遠き西方の地にて、魔人が覚醒を果たした時、それを感じたものがいた。
魔弾の王の覚醒と、大きな魔の気配。それは一日で終わってさほどの心配もなく消え去ったが、魔人はいまだに蟠っている。
すぐに動き出す様子こそ無いが、自分の勘が正しければ、どうやら―――少し緊急事態だ。
瞑想から醒めて、襖の向こうに控えていた女官に「剣」を召集するように伝える。そして一刻もしない内に全員が部屋に集まる。
御簾の向こう側にいるこのヤーファ……ヒノモトにおける選ばれし最強の武将十二の内の十一振りが揃った。畳にて一応姿勢を正している連中を見ながら、集めた者―――ヤーファ女王「サクヤ」は告げる。
「桃の化神が蘇った。場所は恐らく西方―――ブリューヌ王国だ」
「ブリューヌ……確か、そこは筆頭が赴いている国では?」
眼帯をした紫髪の女、東は奥州藤原氏の類縁にも繋がる武将が怪訝そうに聞いてきた。それを聞いて、誰もが思う。
『ウチ』の隊長が向かってるのだから、簡単に解決しそうなものだが――――。と、これで自分達の内の誰かを派遣するならば、二人か三人で出張らなければならないだろうが。
しかしサクヤは構わず続ける。
「そうだ。だが桃の化神(けしん)、モモウはまだ祖神信仰多かりし時に現れた邪神だ。その力はとてつもないものだよ―――伝承どおりならば、鬼の頭領「温羅」を討ち、万にも上る朝廷の軍勢を退けたほど」
その戦いの詳細こそ正確に語られてこなかったが、神宝を奪い取ったとはいえ桃生の力は普通の人間には倒せなかった。
故に鬼の息子を従えた媛巫女により、桃生を討伐させた。というのが……一応、公に伝えられているものだ。詳細は違うのだが、それで良しとしていたのが、媛巫女と鬼の家系である坂上家なのだから仕方ない。
「それで、こうして呼び出した以上、用件は察せられるぞ――――サクヤ」
「ああ、我が親友にして我が好敵手カズサ―――あなたの理解を頂けて感謝に耐えぬよ」
魔王とヒノモトから言われている南蛮かぶれの女と、神王と宮中と一部の権力者から恐れられている女の視線が御簾越しとはいえぶつかり合う。
意見は――――「相違」であり「一致」であった。
「魔王としての力を使ってリョウを助けろということだな。私が援軍として向かうよ」
「神巫としての力で伝説を再現する形でリョウを助けに行く。だから当分お前達総出でヤーファを守護しろ」
互いに互いの出した言葉に切れた瞬間だった。
「お前なぁ!! この国の霊的守護を担うお前がいなくなるなど以ての外だ!! こういうことは武将に命じろ!!」
「五月蝿い! この給料泥棒どもめ!! たまには私とリョウのいちゃラブの為に身を粉にして働け!!」
先程までの畏まった受け答えなど無かったかのように年頃の娘な会話を繰り広げる二人。
会話と同時にとんでもない圧力が謁見の間に吹き荒れる。
もはや御簾と敷き詰められた畳を吹き飛ばし無にするぐらいの「気」が吹き荒れる。場を圧倒するだけの気が全員にたたきつけられるも、それに動じる人間はここにはいない。
一騎当千、豪傑無双、万夫不倒の異名を取る人間ばかりなのだ。しかしながら、その実力差は確実に出ている。
もしも現在の所、きゃんきゃんと言っている二人が本気でかかれば「自分達」は苦戦させられるのだ。一人一人ではなく、「全員」でかかっても。
(この無駄に力を持て余し気味なモテアマ共の重石というか抑えとなる男は、異国の地で勇戦中か……)
他の隊の連中も、どちらかとえいばリョウの元にて戦いたいという思いだ。そして自分も――――眼帯に手を当てながら、脳裏に浮かぶ男の姿を思い浮かべる。
「仕方ない……カズサもサクヤも落ち着く……ここは公平に――――「じゃんけん」で雌雄を決して、リョウおにいちゃんの所に行ける「剣」を選ぶ……」
そんな風に、みんなして得物を引き抜こうか、抜かまいかという時に、眠そうな表情で「虎娘」がそんな風なことを言ってきた。
どうやら今の彼女は「山」の状態のようだ。彼女がもしも「火」や「風」であったならば、争いは際限なく広がっていた可能性もある。
とはいえ、平和的な「争い」の手段を提示されて、それに全員が従う様子を見せていたので、二人もこれ以上の気を出すことはせずに収まった。
「まぁ虎娘の意見も一つか」
「そうだな。このまま宮を破壊するのも財政的に無駄の限りだし」
ここを壊すことも厭わずに戦うつもりだったのか。という思いで二人以外の全員が白い目で見る。
そんな風にしながらも、モモウとやらは自分達の国の魔なのだから、「全員」で行って始末を着けた方がいいのではないかと思う。
独眼竜『紫苑』は、そんな風に思いつつも、自分だけが西方に赴き、もう一匹の竜として『双竜乱刃』として西方に伝説を築きたくもなる。
それが、好いている男ならば尚のことであった。というより会いたい。あなたの腕の中で抱きしめてくれ。と言いたくもなっている。
決意すると同時に拳を振り上げ、振り下ろすことで決まる刹那の戦場に赴く。
「最初はグー! じゃんけん――――」
そうしてヤーファの『戦姫』達の剣呑な争いは始まったのだった。
誰が来るにせよ。それは大きな力であり――――西方にとっては「ヤーファに手を出すべからず」というメッセージとなることになっていく。
西方の人間にとってリョウ・サカガミに伍するだけの剣士など、そこまで多くいるなどと考えていなかった。
彼らはそれまでリョウの言の中でも語られていたそれを「謙遜」だと思っていたからだ。
† † † † †
転移した先―――、変な話だが帰ってきたという実感がわいてしまうぐらいに、そこに馴染んでしまった。
同乗していた若輩の戦姫からすれば、自分以上のものがあるだろう。目算が狂ったのか、それとも重かったのかは分からないが、セレスタの街から五十アルシン離れた所に自分達はいた。
「ありがとうヴァレンティナ、お陰で助かった」
「礼ならば、ティグルヴルムド卿と同じく私の夫を助けることで返してください……にしても静かですね?」
エザンディスの転移に同乗していた人間二人の内の一方が礼を述べ、それに返してから礼を言われた方は街が静まり返っているのが気になっていた。
静まり返っていたという表現は妥当ではないが、エレオノーラがアルサスに残した戦力が、ごっそりいなくなっているような印象だ。
セレスタの街の活気自体は喪われていない。駐留していた軍がいない印象を受けるのだ。
「野盗でも出て征伐に出たのかな?」
街に入れば分かることとしても、一応の予測を着けてからセレスタの街に入ろうとしたらば、馬蹄の音が聞こえてきた。
単騎で駆けてきた兵士は、一応見知った顔であった。その様子から少しばかりの緊急事態ではあろうと予測は出来る。
こちらを確認した軽装の男は、馬を止めつつゆっくり歩くようにこちらにやってきた。
「トレブションさん。ライトメリッツの駐留軍は?」
男の名前と顔を一番知っているオルガが呼びかけて、これはどういうことだろうかと、聞く。
「おお、オルガちゃん、それにサカガミ卿にエステス卿まで、何とも都合のいいタイミングで――――」
自分達をつれてこようとしていたというアルサスの兵士―――親戚に騎士団の騎士がいるという男性は、己が君の急報を知らせてきた。
予想していなかったわけではないが、それにしてもそんなことになるとは、厄介な敵でもいたのかと思い、戦地に駆けつけることを約束する。
「成程、承知しました。我々も荷を下ろしたりしなければならないので、それが済み次第、至急向かう。とティグルには安心するように言っておいて下さい」
「助かります。では―――」
馬を翻し、再び伝令として「テリトアール」に向かうトレブションを見送りつつ、セレスタの街に向かう―――前に――――。
「リョウお兄さん、私がセレスタに荷を置いてくるから、ここで待っていてくれ」
桃色髪の幼女は、殆どひったくるようにして、自分の荷を持ってセレスタに走っていった。
別段、日用品の類ばかりなのでそれは良いのだが……オルガが、そんな風な行動をしたのは、まぁつまりだ。
「気を遣わせたかな?」
「本当。耳年増な幼女ですこと」
頬を指で掻きつつ、手を頬に当てつつ、二人が呟いてから、正面にお互いの姿を収めつつ、その姿を忘れ得ないようにしておく。
「今生の別れではないのですから、そこまで熱い視線で見つめないで下さいませ……と言えれば武将の妻として合格なのでしょうけれど…」
「そんなに拘らなくていいと思うけれどな。思いの丈を全て吐き出すことも時には必要だと思うけれど」
この西方に来る前にサクヤや知り合いの女性達に言われたことは「武将」の「良人」を自称している身としては、言ってはいけない言葉であったはず。
しかし、その言葉は自分をここまで生きてこさせた。されどティナは自分の妻を自称している女性なのだから。
言ってほしい言葉があるのだ。そうでなければ自分は彼女に対して少しの幻滅もしてしまいそうだ。それはお互いに戦乱の世に生きる人間同士の共感でもあるのだから。
「私は夫と共に戦場を駆け抜ける女傑という姿にも憧れますが、それでも武人の姫なので言わせてもらいますよ―――『ご武運お祈りしています』―――」
「―――ああ、行ってくる」
口付け一つしてから、簡単に返す。その一言にどれだけの「思い」が込められているのか分からぬわけではない。
その見つめる濡れた瞳に、込められた心を理解している。
そうして少しだけ名残惜しそうにしていても、彼女は再びエザンディスで己の国へと帰っていった。
「さてと……まずは、ティグルを助けに行くようだな」
場所はテリトアール。
かつて別の戦姫と共に立ち寄った場所であり、今回に至って何かしらの縁も感じる。
そんな風に感慨に耽っていると、一刻経つか経たないかで、オルガが馬二頭を連れてやってきた。どうやら、準備は全て済んだようだ。
今から全力で飛ばせばトレブションにも追いつくだろうと計算しつつ、馬に乗り込み、戦地へと向かうことにした。
テリトアール領は、ある意味ではアルサスと似たような地でありながらも、その所領の豊かさ領土の広さは比較にはならない。
「山を背にしているアルサスとは違うんだな」
「そういうことだ。このテリトアールとアルサスの違いは山―――ヴォージュ山脈との距離だ。山と競っている形で平原が広く拡大して、そこで取れる作物の多さが、ここの豊かさを表している」
レグニーツァのかつての入植地でもあった火竜山の環境にも良く似ている。しかしながら、こういった土地ならではの問題というのも多くある。
「何だか分かるかオルガ?」
将として、領主として地形を見て何が利点で何が弱点かを―――見えてきたベルフォルの街に馬を向けながら尋ねる。
怪訝な視線を四方八方に散らしながら、オルガは考える。考えた末に出た結論は―――。
「やはり山から敵がやってくる点かな……ジスタートとの境目でもあるから、どんな不逞の輩がやってくるか分からない」
「正解だ。とはいえ簡単過ぎたな」
「お兄さんは敵は山に巣くっていると考えているのか?」
古来より賊は自然の要害を好んで住処を作るものだ。故郷の近隣国の英雄譚―――百八の宿星に導かれた英雄達が、悪徳政府に立ち向かうために天然の要害を住処にしたのと同じく、「山賊」というのは大体そんな所に生息している。
「テリトアールの平原の広さはモルザイムの比じゃない。街や村を占拠するならともかく天然の要害は、あそこだけだ」
ヴォージュに指を向けながら、考えるが……腑に落ちない点もある。
「何でここだけを狙うんだ? アルサスはともかくとして、ジスタート側にも跳梁していてもおかしくないのに」
「いい所に気付けたな。俺もそれを考えていた」
もっともジスタート側に下手に跳梁すれば戦姫が出てくる。知らぬものならばともかく知っているならば、そこには手を出さない。
しかしだからといってテリトアールの兵士・騎士達が弱卒であるというわけではない。
寧ろ、その資金力から装備に金を掛けて、家臣団の中にも有能なものは多い。息子がどちらかといえば「兵站参謀」的な人間だとしても武威が無いわけではないのだから。
「
「昔、騎馬の民がジスタート領域を脅かしていた時にも、そんなものを作っていたりしたそうだが……防げるものでもないんじゃないかな」
万里は夷を防げず―――、当然でありながらも、どうにかしなければならない問題だ。
(オージェ殿達が梃子摺るということは、ただの野盗じゃないな。鍛えられた戦士が盗賊になっている)
内情こそ未だに分からないが、山地、高地での戦い、誘き寄せ方というのは、自分の故郷でさんざっぱらやってきたことだ。
平地での戦いよりも高地に対する攻城戦こそ自分がもっとも得意とする軍略だ。
そうしてベルフォルの街に入り、早速も領主の館に向かうと、どうやらティグル達はもっとヴォージュ山脈に近い所に陣地を構えたとのことで、ここにはいないと告げられた。
「お怪我の方はよろしいので?」
「まぁ、これしき。ただ報告によればジスタートの女将軍殿が、毒を食らったそうで、そちらは少し重いかと」
屋敷に入り、面会を希望するとすぐさま領主であるユーグ卿の私室に案内された。平服で椅子に掛けながら話す老子爵は少し怪我をしているようだった。
当人は客室でのものを希望していたが、家人の人間達に阻まれて、ここに来ることになった。怪我人の自己申告ほど当てにならないものはないのだから。
そして現在の状況が少し悪いものであることを告げられていてもたってもいられなくなる。
「リムアリーシャが毒を受けた……。申し訳ありませんが、早速向かわせていただきます」
「やれやれ、初めてここに来られた時も、金色の戦姫殿を連れて王都へと急いでおりました。あなたとこの領地は相性悪いのですかな?」
笑みをこぼしながら言う老子爵の言葉に、応える言葉はない。しかし、賊は壊滅させると告げて、子爵との面会を打ち切った。
「……リムさん大丈夫かな?」
「ティグルは狩人の技能を持っている。毒矢に対する対処も既知だろうさ」
不安そうな顔をするオルガ。その顔を完全に晴らすにはティグルでなければ駄目なのだろう。
――――馬を走らせて数刻すると、ライトメリッツ軍の陣地はすんなり見つかった。
歩哨を顔パスし、多くの兵士達に歓待されながら指揮官の幕舎を目指す。
瞬間、怪我人として心配していた数刻前のことなど忘れてオルガはティグルの名前を大声で叫ぶのだった。