これからも気軽に読んでいただければいいなと思っています。
戦の準備が行われる。それは、別に兵隊だけの仕事ではない。郷里……ヤーファでも城内に入らせた女性陣が、戦場に出る連中の為に塩たっぷりの握り飯を握ることある。
戦に一番消費されるのは食糧よりも何よりも兵士の身体にある水分と塩分だ。それを補うためにも普段作る握り飯よりも、塩分が多い方が兵士は良く働ける。
つまりは、セレスタの街では現在、戦闘糧食が作られている。アルサス領兵士及び援軍としてやってきたライトメリッツ兵士達のための食事作りだ。
その光景と作られているメニューは郷里とは無論違うが、大鍋で汁物を作る辺りはどこでも同じなのだとしみじみ思う。
「こちらお使いになってください。いま必要なのは兵士達の塩分補うためのものですから」
広場の一角で大鍋を用意していたセレスタの女性陣に貴人の女性が差し出したのは、華の彫刻一輪どころではないもの。
その正体は土塊ではない。
「これ……岩塩ですか? こんな高価なモノ……」
「私の領内で採れた特産品です。彫刻にして税金逃れもしていますから、塩が足りないとあれば公国オステローデを御贔屓に、お安くしておきますよ」
さりげなくセールストークを行う雇われ先の領主。彼女の逞しさに感心しつつも、あっさり裏事情をばらすんじゃないと思う。
(まぁ商法の整備が少し遅れているのは、ジスタート特有だからな……)
厳密な罰則規定が無いのは問題だが、余所の国の事情なのでそこまで進言しない。ユージェン様辺りにそれとなく言っていそうだが……。
「冬が厳しいジスタートですから、商いのそれに関してはあまり罰則しないんですよ。リョウの国でもそんな風だと聞きましたけれど?」
「そりゃ商業や歓楽街を規制しようとしても完全には無理だからな。規制してもそれをすり抜けたものが、出回ってしまう」
故に商法も厳格なものではないものとした。無論、あまりにも街の風俗を乱したり、儲けに対する税金隠しに関しては厳罰する。
白洲にて様々な裁きはされている。それでも自分の領地は持ち込まれる沙汰は深刻ではない。それでも巧妙な偽装隠ぺいあれば、それを見つけるために市井に行くこともある。
「遊び人の「リョウマ」「リュウさん」とか言われてるんでしたっけ?」
「市井を知るには市井に紛れるのがいいのさ」
ただ単に遊びたいだけだろ。と隣を歩く―――別の姫(サクヤ)に言われた時には、反論出来なかった。
そうして、外に対する支援的なものと見回りを終えて、ここの領館に戻る。ここに来るまで目立った混乱は無く、次の一戦のための準備を全員がしていた。
未だに鼠賊共は、この辺りにたむろっている。
「お帰りなさいませ。ウ……じゃなかったリョウさんにヴァレンティナさん」
「構わないよウラでも、どちらも俺の名前だからね。ただいまティッタさん」
入り込んで最初に挨拶をしてきたアルサス領主の侍女に礼をしてから、館の中央に行く。
「すまない。遅れたかな?」
「いや、今からだ。テナルディエ軍に追撃を掛ける―――。軍議に参加してくれ」
歓待されながらも真剣なまなざしを受けて、館の中央のテーブルまで進み出る。
そこにはこの辺りの正確な地図があった。テーブルを覆うほどの大きさは、何故ここまで正確な測量地図があるのか疑問も出た。
「ティグルは私の部族から馬を買って牧場事業を展開していたんだ。その際の測量地図だ」
答えを示したのは同じく軍議に参加している若輩の戦姫―――あのリプナでの出会いから、ここまでやってきた女の子だった。
自分の言葉でティグルヴルムドを光とするほどだったので、何というか色々と人と人の出会いはどんな形で繋がるか分からないものである。
その一方でエレオノーラはいつも通りだ。いつも通り「油断ならぬ敵」として「信頼」出来る。
卓の反対側―――。ティグルヴルムドの両隣にはオルガとエレオノーラ。それを正面に見据えながら、自分も卓に広げられた地図を見る。
「頼む。みんな―――俺に力を貸してくれ」
数で劣る自分達がテナルディエ遠征軍に勝つための策―――それを出すことをティグルヴルムド・ヴォルンは頼んできた。
言われるまでもなく、自分は自分の策をこの男に授けようと思う。それを実行するかどうかは彼の判断だが……。
円卓に並べられたこの辺りの地図を見ながら勝利の方程式を組み上げてゆく。
† † † †
テナルディエ陣営は暗く沈んでいた。自由騎士の参戦によって当初から逃げ支度は完了していたが、そこにまさかジスタート軍が襲いかかってくるとは東洋の格言で「泣きっ面に蜂」といったところだ。
サラから教えられたそれを思い出させるほどに敗北であった。何より略奪も殆ど出来なかった。
「ヴォルンが……帰還しただと!? そうか!……ジスタート軍の派遣を決定したのは最終的には奴だな……ふん。傀儡になってまでも、領土が惜しいか…!」
吐き捨てつつも、気持ちは分からなくもない。あの地にはヴォルンの大事な人間がいるのだろうから。
「自由騎士を足止めしていたのは良かった……だが、その後のジスタート軍の突撃が予想外だった」
返す返すも、日が悪いとしか思えない不運続きだ。しかし、このまま逃げ帰ることは考えていない。
この一戦には、自分の進退と自分がやってきたことの決算が待っているのだ。それを考えれば逃げることは出来ない。
「セレスタを焦土にする為にも、やはりヴォルンには決戦を挑まなければならない。第一……このままいけばガヌロン遠征軍ともぶつかる」
奇襲を受けて逃げてきたので武器などはともかくとして燃料や兵糧の類は、あの幕営内に置きっぱなしだ。
そんな所を適当な理由をつけて攻撃されたらば自分たちは壊滅だ。退く道なく、前に進むしかない。
「戦力確認は?」「兵二千と百です」
三千を超える大軍の内九百が自由騎士によって殺されたようなものだ。無論、それはどんぶり勘定で、実際はジスタート騎兵軍による攻撃やアルサス兵達による反撃もあったのだが。
全ては自由騎士が、こちらの戦力展開を阻んだ結果だ。
(英雄かもしれんが……あれでは化け物ではないか!)
ザイアンにとって、それは恐怖だ。生首十を放り込んだ後に、獲ろうと思えばあの男は、自分の首を獲れたかもしれない。
血飛沫舞う中でも輝く目を向ける神域の剣士。まさに「死神」だ。
知らずに親指を噛みながら、考える。考えなければ負けるだけだ。現状確認の為に近くにいた従者に聞く。
「それとどこからともなく現れた自由騎士の隣にいた女……あれは戦姫だな?」
「確証ありませんが、そう考えて良さそうでしょう。実際、我が軍の中の多くはディナントで戦姫から命からがら逃げ延びてきましたから…」
奇態な大鎌。自由騎士の振るう刀とは違い、実用的でない武器が自由騎士に負けず劣らず兵士達をアルサスの大地に死伏せた。
(戦姫が最低二人はいると考えて行動した方がいいだろうな……もしも自由騎士と同―――)
閃きがザイアンを動かした。ついぞなきその戦術のそれは、言われたディナントでも思っていたことだった。あの戦い。確実に勝てる芽はあったのだから。
「……作戦を立てる。スティード卿を呼んできてくれ」
ザイアンとしては、それは最良の作戦であった。
もしもそこに「戦鬼」「虚影の幻姫」「羅轟の月姫」など多くの要素あってこその「戦場」でなければ勝てたかもしれなかったが、それでもその男に運は向かなかった。
破滅と破局の日は―――確実に近づいていた。
† † † †
「―――――足りないな」
地図上に展開された軍移動の様を見ながら、リョウは一言発した。それはある意味、この会議場を凍りつかせることとなったのだが、構わずリョウは自分の意見を発する。
「? これ以上なく最良の作戦だと思いますが……ご不満ですか?」
ライトメリッツの女将軍であり軍師でもあるリムアリーシャが、眦を上げながら、問い詰めるように言う。
「ああ、敵は予想外に粘り強い。そして何より工夫もある。俺がザイアン・テナルディエだとしたらば……俺とティナを最大限警戒するはずだ」
自分達を最大の脅威と認識した後のザイアンの変化は早かった。それはこの国の貴族としてはかなり柔軟な発想ゆえのものであった。
あちらが採った戦術の内容を話すと、ティグルヴルムドは「変わったな……」と呟き、それからこちらに意見を求めてきた。
「サカガミ卿、ならどうすれば勝てる?」
「勝つことは容易い。卿とリムアリーシャの作戦においては、俺かオルガ、ティナが最大の脅威を排除すればいいだけだからな」
「私を含めろ! 別に総指揮官だからと『役目』を他に押し付けん。寧ろ、お前こそこれ以上戦って武功を重ねるな」
エレオノーラの言葉を無視しつつ地図上の駒を移動させる。ティナが持ってきたチェス盤の駒だ。それを移動させていく。
ティグルヴルムドとリムアリーシャの作戦ならば勝てる。しかし―――自分の予想通りならば被害が大きくなる。
被害を少なくして完全に勝つ。こちらは少数なのだ。如何に強兵でもっていても少しの損害が継戦能力を減じる。
「……これの意図は?」
「完全に壊滅させる。その為の作戦だ。それと開戦時刻は今から一刻半後がいいだろうな」
敷いた布陣の意図を完全に読めなかったティグルヴルムドに言う。
そしてこちらの考えを駒を移動させながら話す。一言ごとに質問が飛ぶがそれに明朗に答えて反論を消していく。
語り終えると―――――静寂のみが、部屋に残った。
「―――あなたは……軍師としての才能もあるのか?」
オルガの呆然とした言葉。確かに自分には個人の武勇のみが際立ち、指揮官としてのそれはなかったなと思う。
「そりゃ俺も剣だけの猪武者じゃないからな。そして何よりあちらさんには「ディナント」での恐怖病が多い。だろうエレオノーラ?」
「……色々と認めたくないが、その通りだ。逃げていく賊の中には私が「ディナントの悪魔」であると分かった連中もいた」
腕組みのまま、一番反論してきたエレオノーラが不機嫌そうに言う。苦笑しつつも、これを採用するかどうかは総指揮官であるエレオノーラとティグルヴルムド次第だとして視線を向ける。
「エレン、作戦の主力は君達ライトメリッツ軍だ。だから指揮権は君にある。けれど俺はあまり犠牲は出したくない。サカガミ卿の言う通りならば無用な犠牲が出る。……ここを守るために君の兵に多くの死人が出るのは俺も君も承服出来ないだろ」
「……分かった。というよりもその可能性を私も考えていたんだ。竜を使った戦術―――それを聞いた瞬間から多くの犠牲が出るだろうとな」
それに対してエレオノーラは、己の竜技で始末しようとしていたのだろう。しかし敵は―――大勢であり、巨大だ。
「すまない。ティグル……私はお前に無用な責を負わせようとしていた……リョウ・サカガミ……お前は、どこにいるんだ?」
「中央だ。火竜は俺が始末する。お前は地竜を始末―――飛竜に関してはまだ未知だ。しかし出てくれば俺とお前で始末する。いいな?」
「言われるまでも無い。というか嫌なことにお前と協力することになってからアリファールがとんでもなく嬉しそうだ。だからさっさと竜を殺すぞ」
戦いの「ツボ」を見誤らない。敵の強みを一直線に叩き潰す。それこそが自分の役目だ。そしてそれはエレオノーラも同じだろう。
「では私とオルガは一隊を率いて右翼と左翼に展開ですね。将としての才には不安ですが、騎馬兵として突撃は得意でしょうし」
「言われれば反論は出来ない……。けれど、全力でやるのみだ。ティグルの為にも」
皮肉を言われながらもオルガは戦意が衰えない。寧ろ燃え上がるほどだ。
オルガとティナの役目。それは右翼と左翼の撃破である。オルガには「アラム」などのジスタート兵とアルサス兵を率いてもらい、ティナにはジスタート兵を率いてもらう。
これはティグルの気遣い故だった。オルガが戦姫であることは知れ渡っていても、アルサス兵の多くは気心しれる人間に率いてもらった方がまだ信用できるからだ。
「そして私とルーリックは……後方で待機ですか………」
彼女としてはまさか、そんな役目だとは思っていなかったし、何より副官としての立場を奪われるとは思っていなかったのだろう。
「不満なのは分かるが、最後のとどめの為にも元気があり、馬も最良、武器は最上の部隊が必要なんだ」
「リム、勝利の栄誉と花道はルーリックと分け合えよ」
だから最後の攻撃の為にも―――何があっても動くな。そう言外にエレオノーラは含めた。
「ところでサカガミ卿……何と呼べばいいんだ?」
「何を?」
まさかこの作戦に気取った名前でも付けようという考えでもあるのだろうか。と思ったが、この「王」は意外な事を言う。
「いやあなたのことだ……俺としては、あんまりしゃちほこばった態度で居たくないし、拝跪もされたくない……同年代の男子なんだからな」
「変態色情狂とでも呼んでやれ」「エレオノーラ、私の夫に罵詈雑言吐かないでもらいましょうか?」
剣呑な言い争いが始まろうとしているのを察しつつも、自分としてはこの青年領主に何と呼ばれたいのか分からない。
『弓』が大得意。それだけでリョウとしては羨まし過ぎて「爆発しろ」と言いたくなるほどだ。しかしティグルからしても同じだった。
自由騎士の噂を聞いた時から、その武勇に自分は羨望を抱いていた。しかしそれに勝ることが出来ない我が身に窮屈さを感じていた。
しかし……こうして相対すると――――何故か、嫌悪も羨望も無くなる。リョウとしては「魔弾の王」が、この青年であろうと確信はしている。
だがそれと相手を真に敬えるかは別のことだった。彼を助けて魔を討ち払うぐらいはしていただろうが。
あんまり深入りするのは危険だ。そしてリョウも親近感と気安さを感じつつも今はまだ線引きしなければならない――――。
「勝手に呼べ。何でもいいさ。ただし俺は俺なりの理由でそちらをまだティグルヴルムド卿と呼ばせてもらうが」
「分かったよリョウ」
その笑顔にこれ以上の悪態は突けなかった。こちらが突き放しても彼は、こちらに近づいてくるのだ。
別に節度を守っているだけだというのに……。逃げるようにして、目の前を辞することにした。王になれる人間ではあろうが、それでもまだ俺はこの男を見定め切れていないのだから……。
「俺は全ての準備を一刻半後までに用意しておく。お前たちも諸兵に号令しておけよ」
「私も指揮する兵士達に挨拶しておきますか、では少し失礼いたします」
「私もトレブションさん達に改めて挨拶してくる。ティグル、ティッタさん。ちょっと出てくる」
―――――屋敷から三人がいなくなると同時に、ティグルは力なく声を吐く。
「フられたかな……?」
「お前「そっち」の趣味があったのか!?」「ティグル様!!」「非生産的ですね」
「そっち」って「どっち」だよ? と不機嫌に思いつつもティグルとしては本当に残念だった。
別にこれからも彼を利用しようという考えではなかったのだが、それでも何か彼なりに思いとどまるものがあったようだ。
最初の出会いの時に、もしかしたらば―――盟友となれると思えた。それは打算では無くティグルにとっては求めていた友人だからだ。
自分の弓の全てを認めてくれる相手。そんな人間と友になれれば自分は多くの戦場を駆け抜けられると思っていた。
(俺を……「光」としながらも、それに「惹かれる」ことはない……俺に何があるんだ?)
リョウは全てを知っている。全てではないが、それに近いことは知っているはずだ。それがオルガをここに導き、彼自身もここに招いた。
我が身の流れるままのそれが、全て運命であるというのならば、それを教えてほしい。
何より―――――。彼に完全に認めてもらえないことが自分にはとても不満だ。
「リョウの言う通りならば中央には厄介な部隊が出てくるはず。剣が届かぬ距離ならば俺の弓で認めさせてやる」
「その意気だ! むしろそのつもりで奴を這いつくばらせろ!!」
自分の意気はそういうことではないのだが、なんでこんなにもエレンはリョウの事を嫌うのやら―――。
出来うることならば仲良くしてほしいのだが。
「弓……ティグル様……戦にはこちらを持っていくべきです。ウルス様の遺言の「時」は「今」です」
そうして、思い出したかのようにティッタは家宝である「黒弓」を携えてきた。
愛用の弓は、既に張り直しが利かなくなってしまった。それを考えれば、これを持っていくべきだろう。
何より父ウルスの生前に語っていた「時」―――――。それは今だろう。そして何より自分はリョウ・サカガミに負けたくない。
(認めさせてやる―――本当の自由騎士に―――俺の誇りは―――負けないんだと)
領民を守る。そして何より男として憧れた人物に自分の全てを認めさせてやるのだと―――ティグルは、その弓を持ちながら心で決意した。
そして一刻半を過ぎた時―――モルザイム平原において、両軍は対峙することになった。