鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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「魔弾の王Ⅴ」副題『女の戦い(嫉妬の章)』

 

 

 

 夜中、一人物思いに耽っていた頃に音もなくメイド姿の女性がザイアンの私室に現れた。

 

 

「出征なされるのですか……若様」

 

 

「ああ、気が乗らないが……このままでは、俺がやってきたことを、無にされかねない」

 

 

 問いかけの不安げな言葉に明朗には答えられない。情けない男だ。こんな男が、これから他国を侵略しようというのだ。馬鹿げた話だ。

 

 

 だが万事を順調にこなせれば、このネメクタム及びランスの全てを善導出来る。そして王軍の一員として忠節の道を貫く。

 

 

 しかしアルサスの民は、ヴォルンのものだ。それを奪うというのはなんとも気が乗らない。

 

 

「……しかし、やらなければ父上は納得しないだろう……」

 

 

 アルサスの民よりも自分にとってはネメクタムの民の方が重要なのだ。博愛主義ばかりではやってられないのだ。

 

 

「お供いた―――」「いや、お前はここにいてくれ。もう……人殺しをせずに、俺の側に……ダメか?」

 

 

 侍女の言葉を遮りながら、ザイアンは覚悟を決めた。

 

 

 サラが来れば確実な勝利はあるだろう。仮に近隣諸侯が妨害に来たとしても勝てるだけの謀殺が出来るだろう。

 

 

 だがそれはザイアンにとって、助けではない。男として―――もはやこの女性には血にまみれてほしくない。

 

 

「俺が……テナルディエの領主となった時に改めて話がある。サラ、君と生きていく本当の道を…」

 

 

 語りたい。その時に、渡すべきものを今のうちに渡しておく。そうしてから抱き締める。この歳上の姉貴分に相応しい男ではないのに、

 

 

「ザイアン様……それは―――」

 

 

「頼む。俺に全てを背負う覚悟をくれ」

 

 

 身分違い。もしかしたらば、サラ自身はザイアンを男と認識してなかったかもしれない。

 

 

 けれど勇気が欲しかった。父と対決をしてでも戦い抜けるだけの覚悟が―――。

 

 

 

 そうして翌日の早朝、ザイアンは多くの騎士兵士……そして巨竜五頭を引き連れて、ネメクタムを出発した。

 

 

 多くの人間がその戦いを楽な戦いであり、ただの略奪程度と考えていながらも、ザイアンは出来うるならば、人民だけでもなるたけ死なせたくはなかった。

 

 

(ヴォルン、貴様の弱さがこの事態を招いたんだ……!)

 

 

 民が弱いのは罪ではない。しかし領主が弱いのは罪だ。武でも文でも牙を研ぎ澄まし、いざという時に突き立てられなければ、このようなことになる。

 

 

 怒りは戦場から帰れなかった同輩の貴族に向けられる。

 

 

「ザイアン殿、これからの日程は?」

 

 

「他領を威圧するように行軍する。そうしていればアルサスには妨害なく着けるでしょう……スティード卿」

 

 

 馬を横に着けてきた父の腹心に返しつつ、アルサスに着けばスティードが「取りもの」の指揮を取るのだろう。

 

 

 それはいい。しかし総指揮官としての鼎も気にしてほしいものだ。

 

 

「竜を前に出せ―――」

 

 

 そういうことだろう。と思いザイアンは伝令を出しつつ、ドレカヴァク……あの胡散臭い占い師より渡された薬を飲んだ。

 

 

 身体が楽になるという触れ込みだが、確かにそうだ。まだまだ死ねない身。そう考えつつもザイアン破滅は近づいていた。

 

 

 それは―――、二つの方向からだった。

 

 

 

 † † † †

 

 

 遂に期限まで二日と迫っていた。

 

 アルサスよりの使者も来ない。王宮からも連絡なし。というよりもここ数日エレンは、自分に公務に関わることに近づけないようにしていた。

 

 

 嫌な予感がする。ティグルは不安掻き立てる胸騒ぎを覚えていた。何かをしなければならないというのに、何も出来ない焦燥感も相まって、夜の庭に己を投げ出していた。

 

 

 公宮の監視はここ数日強くなっていた。だからこそ窓から身を投げた。万が一見つかっても夜中の散歩だということは可能だ。

 

 

 着地して少し歩く。公宮をぐるりと囲む塀は高く、そして今は出ていく手段がない。

 

 

 たった数枚の壁なのだ。それを打ち破ることができれば……。

 

 

 ぼこっ、ぼこっ、何か音がする。ティグルの武人としての感覚は本人の気性の割に鋭い。

 

 

 この夜中、誰もが寝静まり、その一方で酒盛りの叫び聞こえる中でもそれは響いていた。

 

 

 どこから……。下、地中からだ。まるで地下水が吹き上がる前兆のように……、土が盛り上がった。

 

 

「なっ……!?」

 

 

 盛り上がった土を押し退けて現れたのは、黄銅色の蜥蜴に似た生命。地竜の幼子。

 

 

 もぐらのように土から這い出てから、地竜はこちらを見て直ぐに寄ってきた。そして―――その這い出た穴からもう一人が出てきた。

 

 

 汚れた旅着、土まみれになったそれを纏いつつも、別れたころのままの姿だ。

 

 

 こちらを見たそれは涙を溢れさせながらも、這い出て幼竜と同じく抱きついてきた。

 

 

「ティグル!!!」

 

 

「――――オルガ!?」

 

 

 腰に抱きつかれて思わず身を縮める。彼女が何故ここにという疑問もさることながら、とんでもない潜入方法である。

 

 

 しかし、それを無しにしても、彼女は泣きながら自分を抱き締めている。その想いが嬉しい。

 ティグルの家で過ごしてきた家族との再会が自分の涙腺を緩ませる。

 

 

 その頭を撫でながら、ここにいる理由を訪ねる。涙を乱暴に拭いつつもオルガは説明してくれた。それは予想通り、いや予想以上の危急の事態を告げてきた。

 

 

「テナルディエ公爵の軍団がアルサスに向かっている!?」

 

 

「三千以上もの大軍で、こっちにやってきている。他領を通過するようにして真っ直ぐアルサスに侵攻しているんだ……」

 

 

 そして詳細をしたためた手紙を渡される。そこにはマスハスの字で多くのことが書かれていた。

 

 

 身代金を用意出来なかった謝罪、そしてティッタが神殿にて祈りを捧げて自分の安全を願っていたこと、バートランが避難を指示しつつ、勝てぬだろう戦いに挑むことを…。

 

 

(何をやっていたんだ俺は…………俺は、本物の愚か者か!)

 

 

 歯ぎしりをして、拳を血が出るまで握りしめる。

 

 

 先程までの甘い考えを捨て去る。皆が自分の帰りを待ってくれている。それなのに……。

 

 

「ティグル、アルサスに戻ろう! 今度ばかりは私も戦う!!」

 

 

 言葉と同時に気配が生まれた。いや違う。その時気付いた。ルーリックやアラム達が痛ましそうな顔で、自分達の後ろにいたことを……。

 

 

 威嚇するように声を上げるカーミエ、そこに厩舎から出てきたのかルーニエがカーミエの前にやってきた。

 

 しかし、ルーニエ本人(?)は、カーミエと争う気はないのか、首を傾げるようにしてたりする。その様子を見てから、もう一度、ここに来てから友誼を結んだといえる人々に目線を移した。

 

 

「ティグルさん、気持ちは分かるが、あんたは戦姫様の捕虜なんだ。部屋に戻ってくれ……」

 

 

 海狸なる生物に似ているとからかわれている公宮の兵士の一人であるアラムが不安げに言う。

 

 

 賭け事をよくやる関係でティグルとは勝ったり負けたりの関係だ。その日々を思い出しているだろうアラムだが、構わずティグルは進んだ。

 

 

 出るというのならば……正面から出る。その決意でティグルは足を止めない。そのティグルを守るように、オルガは隣に座した。

 

 

「ティグルの邪魔をするならば私が相手をする。エレオノーラ・ヴィルターリアに伝えろ……ブレストの戦姫、『羅轟の月姫』が、やってきたと」

 

 

 竜具である戦斧を月明かりに翳しながら、威圧するようにルーリック達にオルガは言った。

 

 

「アラム、戦姫様を呼んでこい……!」

 

 

「分かった……」

 

 

 事情を察したルーリックがアラムに言うと身を翻して、公宮内に入っていった。

 

 

 そして、ティグルは正門まで進む。自分の行いを突き通す為には……出ていく時には正門から出る。

 

 

 そこにどんな困難があって、これ以上の困難があると分かっていてもティグルは進む。

 

 

 公的には脱走だというのに堂々とした歩みに思わずルーリック達は道を譲り、その背中を追うように同じ道を歩く。

 

 

 だが脱走を咎められない。まるで見えぬ……霊力、運命力とでもいえばいいものが、ティグルを止めることを阻ませた。

 

 

 そして正門に赴くと―――予想通りの人物がいた。人物……エレンは戦衣装でなく、普段着、町娘姿でもなく執務を行う際の衣装だ。

 

 

 顔が上気している辺り、急いでここまでやってきたと思われる。篝火の向こう側にいるエレンの姿は、どこか泣きそうにも見える。

 

 

「……色々と言いたいことはあるが……ここは通さん……!!」

 

 

「ティグルは連れて帰る…例えあなたでもティグルの歩みは止めさせない!!」

 

 

 宣言と同時に超常の武具を抜き払い構える戦姫。お互いに相手を睨み付ける羅轟の月姫と銀閃の風姫。

 

 

 瞬間、斧と長剣が神速の移動と共にぶつかりあった。火花を散らして何合も打ち合う。戦姫どうし。

 

 

 しかし最大技は振るえない。竜技を使えばティグルを巻き込みかねない。

 

 

 そんな考えはエレンだけであり―――、オルガは地面を叩き、土砂を巻き上げて飛び道具として放ってくる。

 

 

(位置関係が悪すぎる……! あちらは脱走したい。こっちは脱走を止めつつ出来るだけ傷つけたくない…)

 

 

 門を背中にしている限りやられっぱなしだ。土砂を風で押さえつけながら、エレンは己に風を纏わせた。

 

 

風影(ヴェルニー)

 

 

 高速で移動してオルガの後ろに回り込もうとするも、あちらもそれを理解してか、体で捌きながら戦斧を伸ばして、移動を制限する。

 

 

角貫の弐(ドウヴァローク)

 

 

 そのまま石畳を叩き礫として放つ戦姫。身体をしこたま叩く礫に風を防御に回さなければならない。

 

 

 とんでもない幼女だ。こうなれば言葉で動揺を誘うしかない。

 

 

 情けない話だが先程までは己の武威で、この若輩の戦姫を討とうと思っていたが予定変更である。

 飛んできた石畳を切り刻んでから、再び鍔競り合う。

 

 

「大体、お前今まで出奔していながら、こんな時にだけ来るというのか?」

 

 

「私はティグルの客将であり愛妾だ。何よりアルサスの禄で今まで食べてきた。義理を果たすは今だ」

 

 

「せ、戦姫が客将で……あ、あ、愛妾だと!? ティグル!! お前の趣味はこんな幼女なのか!?」

 

 

 前半を問題視するのではなく、後半を問題視する辺り、エレオノーラの作戦はもはや失敗しつつある。言葉で押されつつ、武芸で押されている現状がそれを物語る。

 

 

「そもそもそれだけ大きいのに、それを己の器の大きさとせずに、アルサスに七万もの大金を要求する時点であなたの器が知れる。そんな人に大敗ありしディナントで天命により生き延びた我が主ティグルヴルムド=ヴォルンを置いていくわけにはいかない」

 

 

 続く言葉で自分を馬鹿にしつつ、ティグルを立てるオルガに何でこいつが先に―――ティグルを知っているんだ。という感情が溢れた。

 

 

「お前の下でならば満足だというのか……そもそもジスタートの戦姫が雇われ傭兵のような真似をするなど…………」

 

 

 もしもティグルが立ち上がり、己の領地と誇りを守るために立ち上がるならば―――、エレンは戦姫としてではなく―――。

 

 

 それなのに、その前にティグルの力となっていた女がいた。しかもそれは自分と同じ竜の姫。戦姫ヴァナディースだった。

 

 

 嫉妬心が膨れて、剣の精細が乱れる。

 

 

「私はある占い師の予言でブリューヌにて己の光を見つけられると言われた。その予言に従って私はティグルの部下になったんだ」

 

 

 誰だ。そんな余計なことを言った占い師は、エレンの中でその占い師に対する罵詈雑言が溢れだそうとして―――。

 

 

「思い出した……! あれは、あの占い師はヤーファの人で「自由騎士リョウ・サカガミ」だった!!」

 

 

「あの好色サムライぃいいいいい!!!!!!」

 

 

 その時、閃いたというよりも、思い出したようにオルガは言った。

 

 

 本人としてはエレオノーラを止めるためでもあったのだろうが、逆効果であり、火に油を注ぐ結果となった。

 

 

 先程までの乱れた剣より苛烈に下ろされるアリファール、それを受け止めるムマだが、既に勝敗は喫したようなものだ。

 

 

 城門は、戦姫二人の激突によって砕けて病葉も同然になっている。

 

 

 逃げに徹すれば、どうやってもティグル達が優位だ。

 

 

 しかし……。

 

 

 

「待ってくれ二人とも」

 

 

 いくらアルサスに帰るためとはいえ、これ以上はティグルとしては不義理が過ぎると思えた。脱走しようとしている時点で不義理千万ではあるのだが……。

 

 

「ティグル!!! お前は私を謀っていたんだな!! この貧乳ロリ娘がやってくるって分かっていたから……! ううっ……!」

 

 

「それは違うんだ。落ち着いて聞いてくれないかエレン?」

 

 

 もはや泣きながら、お前ら二人して私をいじめてくるなどと言わんばかりに、見て言うエレンだが、自分としても言わなければならない。

 

 

「確かにオルガを雇ったのは俺だ。けれど考えてみてくれ―――」

 

 

 そうしてティグルは今回こうなったのは偶然でしかないという説明を懇切丁寧に行った。

 

 

 ディナントに連れてこなかったのは、オルガを思ってのこと。そして、こういう行動を取らせたのは別に示し合わせたわけではないと。

 

 

「つまり偶然が重なった結果ということか……?」

 

 

「俺だってまさか名高き戦姫の捕虜になるとは思っていなかった。せいぜい貴族位の人が俺を捕虜にすると思っていたんだ。…何より……テナルディエ公爵が、ここまでの王権を踏みにじった行為をするなんて」

 

 

 それこそが最大の盲点だった。だからこそ自分は帰らなければならない。

 

 

「……ならばティグル。お前はどうするんだ。相手は三千を越える大軍なんだぞ。死ぬと分かっていて―――」

 

 

「ティグルは私が守る。竜技を使ってでも三千を打ちのめす」

 

 

「ええい。お前は黙っていろちびっ子! と、とにかく確かにやりようかもしれないが、お前は勝つ見込みの無い戦いに無策で挑む気か?」

 

 

 そう詰るように言うエレン。しかし自分を心配しているような声音だ。

 

 

 その問いに対する答えはある。それは目の前の銀閃の姫が教えてくれたことだ。

 

 

「俺は……今までどこかで自分なんてという捨て鉢な感情を抱いていた。多くの人の憧憬を集められる人間でありたいという男としての有り様すらも無にして…けれど今は違う」

 

 

「どう違うのだ…?」

 

 

「君に誇れる男でいたいんだエレン」

 

 

『!?』

 

 

 戦姫二人の驚愕の表情。意味合いはどちらも違うが、そんな言葉の後にティグルは語る。

 

 

「君は言ったな。意地と誇りを賭けて戦うと、例えどんな状況に陥っても、俺にとっての誇りは、アルサスを大事にするという意思を讃えてくれたオルガ、ティッタ、レギン―――その三人、そして俺の弓を讃えて自由騎士にも通じるものと言ってくれたエレン。君なんだ」

 

 

「な、なんで……今更……」

 

 

 戸惑うエレンに構わずティグルは己の覚悟を話す。

 

 

「だからこそ俺は自由騎士リョウ・サカガミに通じることをすることで、己の誇りを全うしたい。それが今、アルサスに向かう理由だ」

 

 

 目の前の銀髪の戦姫。彼女が教えてくれた戦うための最大の理由。それを行うためにも自分は、アルサスに帰らなければならない。

 

 

 地上に生きるもの全てに遅かれ早かれ死は訪れる。

 

 

 ならば先祖の遺灰、神々の『神殿』のため『巨人』に立ち向かう以上の死があるだろうか。

 

 

 かつて自分をあやしてくれた母のため、赤子に乳をやる妻のため、永遠の炎を灯す清き乙女らのため、恥ずべき悪漢から皆を守る以上の死にざまがあるだろうか。

 

 

 ―――かつてこの西方の一国家で行われた英雄譚の一節を用いてエレンに語る。一千の敵を三人で防いだ。

 

 

『隻眼の英雄』。

 

 

 彼の如く戦い、そしてリョウ・サカガミのように戦うことで自分は誇りを全うしたい。そうエレンに伝える。

 

 

 一呼吸置いて彼女は―――短い言葉を発した。

 

 

 

「―――――そうか」

 

 

 穏やかな微笑。それを浮かべたエレン。もはや決した。眼を瞑り、剣を収めるエレン。

 

 

 感謝の念が湧きあがる。

 

 

 道は開けた。この道を行くまでだ。その先にこそ己の通るべき道はあるのだ。

 

 

「行こう! ティグル!」

 

 

「―――ああ」

 

 

 オルガの言葉で駆けだすように、砕けた扉の向こうへと向かう。

 

 

 自分の矜持を守るためにも、今は向かわなければならな―――。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「―――――――って、ちょっと待てぇ!!!!」

 

 

 がしぃっ!!!とでも擬音が出そうなぐらいの力で肩を掴まれたティグル。

 

 驚き振り返ると、焦った様子でいるエレンの顔が見えた。

 

 

「ど、どうしたんだエレン!?」

 

 

「見事な演説に思わず道をゆずってしまったが、何でそうなる!? ティグル! お前、何か私に言わなければならないことが無いか!?」

 

 

 エレンに言わなければならないこと、それは……。

 

 

「いま実施している事業でいずれ身代金は支払う。春まで待ってくれ」

 

 

「違うっ! それよりも何よりもまだあるだろ!? 何の為に私がここにいたと思ってるんだ!?」

 

 

 何をエレンは怒っているのだろう。早くアルサスへと向かいたいのだが、エレンは離してくれない。

 

 

 というか周りの連中は『もう一声!』的にティグルに視線を向けている。その言葉から察するに―――。

 

 

「見送り」「引き留め」

 

 

 オルガと同時に言った答えで更に頭を抱えるエレン。何が不満なのだろうか?

 

 

「何でちびっ子の方が正確な答え出てるんだ。ティグルお前少しこの場面で行動がおかしいぞ! もういい。ティグル! 私はお前に貸しを作りたいんだ! というか作らせろ!!」

 

 

「貸しって…身代金を待ってもらっているのにそれ以上の借りは、申し訳ないな……」

 

 

「謙虚になるタイミングがずれてる!! だからつまりだ。ティグル、お前に軍を貸してやる。私が指揮するライトメリッツ軍を、アルサスの援軍として出動させるんだ!」

 

 

 その言葉に、何でそこまでしてくれるんだ。という驚きの思いだけだ。

 

 

 これ以上、彼女に迷惑をかけることはしたくなくて脱走という手段を取ろうとしたのに…。

 

 

 しかし脱走という時点で既に迷惑千万だったな。とティグルも考え直す。

 

 

「一応言っておくがあの色魔が村一つを守ったという逸話、百人殺しの万人殺しだって、援軍が到着するまで獅子奮迅したのが鬼の如くだったからそう伝わっているだけだ……お前は、何のあてもなく戦って果てるなんてことをして、誰かが喜ぶと思っているのか……私だってその一人だ」

 

 

 だが、この戦いはエレンには関係ない。言うなれば内戦なのだ。そこに彼女が軍を率いてやってきては余計な嫌疑を招きかねない。

 

 

 そう言うとエレンは、短く息を吐いてから呆れるように伝える。

 

 

「もうブレストのおちびが、お前の客将として戦うなんて言っているんだ。今更戦姫の一人、色魔の一匹増えたところでどうとも思わん。お前は私のモノだ……無駄死にはしてほしくない―――リム、いいな?」

 

 

 言葉の前半でオルガをむっ、とさせてから副官に了承を取り付けるエレン。

 

 

「今更でしょう。それにテナルディエ公爵が軍をアルサスに向けたという情報を知った時点でエレオノーラ様は戦支度を進めておくように言っていましたし、集めた燃料、兵站、荷車それらの準備が無駄にならずに済んで私はほっとしています」

 

 

 淡々と裏事情を話すリム、その言葉に最初から、エレンはそうするつもりだったのだと気付かされる。

 

 

 もしも自分が、最初から兵を貸してくれとか言えばエレンはそうしてくれたのかもしれない。

 

 

「もしくはティグルヴルムド卿が『部下になるから、アルサスを守ってくれ』と言うのをエレオノーラ様は期待しておりました。その目論見はオルガ様の登場でかなり下方修正されることになりましたが……」

 

 

「ティグルはいずれは王様にもなれる器だ。そんな人間が簡単に人の下に降ることはない。王道歩むものは例え一度は膝を折ったとしても心の中ではそんなことにならないんだ」

 

 

「お前にとってのティグルとはそういう人間に見えるか……長い付き合いをしている同じ戦姫がそう言っているんだ。ますますお前が欲しくなったぞ」

 

 

 リムの言葉はエレンのたくらみ全てを暴露するものだ。それに対してオルガは買いかぶり過ぎなことを言って、先刻までは打ちのめされていたというのにその言葉に興味を持って怪しげな眼でこちらを見るエレン。

 

 

 三者三様な見目麗しき女戦士たちに見られてティグルも眼をそらさざるを得なくなる。

 

 

「というわけでだルーリック、この辞表は既に無効だ。我らは忌々しくもあの自由騎士と同じく苦難に陥る民の為に戦いの園へと向かう。お前はティグルの護衛として動け。それが望みだったんだろ?」

 

 

 辞表という言葉と同時に、十枚ぐらいの紙を破り捨てて剣で風化させて塵として風に攫わせるエレン。

 

 

 ルーリックは、エレンの言葉に膝を折り再びの忠節を誓う。

 

 

 自分如き虜囚のためにそんなことをしようとしていたルーリックに申し訳なくなる。と同時に自分などに着いてきてもろくに給金は出せそうにないのだ。

 

 

(それでもいいなんて言わないでほしいけれどな……)

 

 

 ルーリックは、この公宮でもかなり高い地位の武官だ。そんな人物に辞められてはエレンもリムアリーシャも困るだろう。

 

 

「さてとまずは戦支度だ。戦姫オルガ・タム、お前はまず私と共に湯浴みだ。そんな恰好でまさか戦姫として戦場に立たせるわけにはいかないからな」

 

 

 首根っこを掴むようにして、捕まえられたオルガだが、不満げな顔を見せつつもそれに一応従う。

 戦姫同士、ジスタート人として言っておかなければならないこともあるのだろう。として、自分も一応の支度をしようとした所、リムアリーシャがやってきて、一枚の紙を渡す。

 

 

「では、こちらが我々ライトメリッツ軍を使った場合の戦費です。オプションで対要塞攻略戦、火砲装備戦などによっては二倍ぐらいに膨れますが、まぁ貴方に対する好意的勘定で、この値段です」

 

 

 クマ賄賂―――という項目を見つけて、あのグラナート(ザクロ色の憂い奴)を射的屋から獲った甲斐があったものだとしていたが、その紙に走り書きのように、城門修復代というものが付け加えられていた。

 

 

「これも俺の費用に含まれるのか……?」

 

 

「納得いかないかもしれませんが、あなたが戦姫オルガ様を焚き付けることをしなければ、こんなことにはならなかったのです。穴の埋め直しまで含めていないのですから、受け入れてください」

 

 

 ため息突きつつも、仕方ないと思い廃材の如く砕けた城門、何枚も巻き上げられた石畳と土砂の残骸を見る。戦姫どうしの戦いで出来上がる被害とはとんでもないものがある。

 

 

 彼女ら神話に出てくる英雄のような存在。それが戦うのは、人間どうしの戦争ではないのではないかとも思う。

 

 

 無論、竜などもあるが、もしかしたら……英雄達の敵であった『邪神』や『魔王』などのような悪鬼羅刹こそが戦姫の振るう武器の斬るものなのではないかとティグルは感じる。

 

 

「ティグルさん、こっちに弓と矢筒のいいやつ用意しているから選んでくれ」

 

 

「お前、ティグルヴルムド卿だとあれだけ言っているのに」

 

 

 アラムの威勢のいい声。その際の呼び名を諌めるルーリック。それを止めるためにもティグルは思考を止めて、武器を選ぶために親しくなったライトメリッツ騎士達の輪の中に入ることにするのだった。

 

 

 

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