鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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「凍漣の雪姫Ⅰ」副題『天空の城のレギン』

 

「ティグル、空から女の子が」

「はい?」

 

突如、空を見上げたオルガの言葉に従って行動を同じくすると、確かにそこには一人の女の子がいた。

短い金色の髪が宙に舞いながらも、何とか地に落ちようとするのをこらえようとするも、どう考えても間に合わないだろう。

 

このままではどう考えても、激突するのは防げない。下が草であれば、まだやりようはあったのだが―――――。

 

「ティグル、『土』を動かす。だからあの人を助けてあげて!!」

 

瞬間、オルガは己の斧で地面を思いっきり叩いた。そして次にはニースの路面が『波』となって動いたのだ。

 

波の上に乗るティグルは奇妙な経験と現象に驚きつつも、このままいけば彼女が激突する前に何とか助けることが出来るはずだと思ったが、目算するとこのままでは少し時間が足りないと考え直す。

 

一寸の時間だけでもいいということを考えて、ティグルは背の弓を掴み矢をニースの家に翻る国旗の内の一つに放った。

 

支えるもの無くなる国旗は風に流されて、彼女の下に「予想通り」滑り込んだ。

一寸の時間を稼ぐクッションとなったそれの下にティグルは走りこんで落ちてきた彼女を抱きとめた。

 

「――――大丈夫か?」

 

走りこんだ勢いのままこちらも尻を着いたので呼びかけるのが少しだけ遅れた。

 

そしてブリューヌ国旗に包まれた少女―――その可憐な顔がこちらに向けられて、思わず動悸が上がるのを隠せない。

 

「あ、ありがとうございます……」

 

それは少女も同様だったのか、それとも先程までの命の危険からまだ緊張しているのかは分からないが、紅い顔が向けられる。

年頃の男女の視線の交わしあい―――をするには、少しばかり現在の状況は騒がしくなり過ぎた。

 

(不味いな)

 

衛兵たちは、自分がブリューヌ貴族ティグルヴルムド・ヴォルンであったとしても職務に忠実だ。

 

でなければ、彼らはこの職に就いてはいないだろう。

 

しかしながら、彼女がいきなり空から落ちてきたのはそれなりに理由があるようにも思える。

 

この場合、ティグルのやるべきことはただ一つであった。

 

「逃げるぞ」

「分かった」

 

応と答えたのはオルガだけであり、ブリューヌ国旗に包まれた少女は戸惑っていたが、こちらの手の導きに従い、走り出す。

 

(俺はただ単に国王陛下の召喚に応じただけだというのに、なんでこんなことになるんだか…)

 

だが、それでもここでこの女の子を見捨てるのも寝覚めが悪い。何か訳ありなのは流石に分かる。

 

「すみません……その迷惑をおかけしてしまって……」

 

「というか何故に君は空から落ちてきたんだ?」

 

「えーと……その色々と見込みが甘かったんです。何とか狙い通りに辿り着けると思ったのに、思ったよりも早く落下しまして……」

 

つまりは、彼女は何らかの目的があって、空を落ちてきたようだ。

だが、彼女は『何処から』落ちてきたのかを語っていない。この城下町のどんな建物よりも高い建物といえば王城しかない。

 

もしも彼女が天空に浮かぶというお伽噺の場所から落ちてきたというのならば、どうしようもないが

現実的に考えれば、彼女は王城から身を投げて、ここまで落ちてきたのだろう。

 

「君の名前は?」

 

彼女の手を取り走り抜けながら尋ねると、少しだけ戸惑った表情をしつつも彼女は己の名前を語った。

 

「レギンです……」

 

「レギンか。俺はティグル、よろしくな」

 

「私はオルガ、ティグルの愛妾兼客将」

 

「―――――!? こ、こんな小さい子供が趣味だなんて、は、恥を知りなさいヴォルン伯爵!」

 

絶句してから、叫びだすレギン。しかしティグルとしては疑問が浮かんだ。

オルガのかなり妄想混じりの自己紹介に対する弁明を忘れてしまうほどに、手を取っている少女に対して疑念が湧いてしまう。

 

何故この女の子は自分が―――ティグルヴルムド・ヴォルンだと分かったのだろう。

家名を名乗った覚えは無いのだが……。

 

「……その、私は王宮の行儀見習いをしていますのであなたのことを知っていたのです」

 

こちらの疑惑の視線の意味を理解してか、彼女はそう説明してきた。

 

疑う要素は無いわけではない。

 

しかし、彼女は自分に悪意があるようには思えない。

だったらばこのまま見捨てるのも気分が悪い。故にティグルは、その手を握りしめながら衛兵を撒くために走り続けた。

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

鍛えの間には一種の男特有の匂いが籠っていた。

 

女騎士がいないわけではないが、それでも依然どんな国でも男が戦場の主力だった。

 

王宮に勤めている騎士の多くはここで己の腕を落とさず更に上げるために鍛える。

 

ゆえにそこに年頃の娘達が四人も入ってきた時には何事という思いがあった。そしてその娘達が自分の国の誇る一騎当千の存在であることを確認してから敬服する。

 

戦姫が四人とも剣呑な表情で入ってきたのだ。これから何が起こるのか少しばかり恐ろしくもなる。

 

「失礼ですが戦姫様……ここに何の用でしょうか? 不躾ですがここはこの城の騎士達の鍛えの間ですので……少しご遠慮してもらいたいのですが」

 

一人の勇気ある騎士が、仲間からせっつかれる形で四人の人知を超えた竜の姫達に来訪の目的を尋ねた。

 

それに対して四人が四人とも異なる答えを返してきた。

 

「鬼退治だ。女を誑かす鬼を殺す」

「トリグラフの鎧を斬れる戦士と決闘するの」

「竜殺しの実力を検分したいの、戦うのは私じゃないけど」

「僕の色子が殺されないように、ここに来た」

 

返した順番は、風、氷、光、焔であった。要領を得ない回答であったが、それでも何人かの聡いものが、何のことかを察した。

 

つまり邪竜殺し―――リョウ・サカガミと彼女らの中の誰かが戦うということなのだ。

 

何にせよ、これは一大事と思いながら急いで椅子を用意して観戦の様を整えようとした時に、彼は現れた。

 

謁見の間で見たような礼服ではない平服に見えてヤーファの戦装束を身に着けた男だ。

 

「随分と早かったわね。私を焦らすことも出来たんじゃない?」

 

「女との待ち合わせには遅れたくないんだ。一度酷い目に合わせられたからな」

 

郷愁を感じさせる顔。恐らくここではないヤーファでのことだと察せられた。

 

リュドミラとしては何にせよ、この男の実力の程を測りたかった。自分の領地の職人が作り上げたトリグラフの鎧すらも叩き斬る最強の戦士の一人ともいえる存在。

 

ならば、握るべき得物は尋常のものでない方が良いだろう。握るべきは氷の槍。

 

竜具ラヴィアス。それを確認したリョウ・サカガミは腰に差していた刀とは別に、もう一本の剣を取り出した。

 

先刻エレオノーラのアリファールを受け止めた剣――――。銘を「クサナギノツルギ」という異国の剣だ。

 

「勝敗の基準はどうする?」

 

「自己申告制でいいでしょう。私はエレオノーラと違って引き際は弁えているので」

 

挑戦的な笑みにも彼は答えない。ただ淡々と己の作業を精密に行おうという表情だ。

 

しかしながら始まりの合図は彼から出してきた。

 

「そうかい。ならば――――始めようか」

 

黒鋼の鞘から引き抜かれたクサナギノツルギが一陣の風を出しながらも収まり、その刹那に走りながらの斬りつけが見舞われる。

 

しかしながらラヴィアスの間合いを理解していない。薙ぎ払いのごとき剣閃は反対側から走ってきたラヴィアスの薙ぎ払いによって止められた。

 

そこからがリョウ・サカガミの剣の神髄だ。防御していたはずの剣と槍の境目からいきなり攻撃に転じる。

 

下に潜り込む形から剣を振り上げるリョウの動きに対して、リュドミラは槍を回転させて石突を顎に直撃させようとしたのだが、それも読まれていたのか、剣で防御されながら横に逃れて行った。

 

(硬いな……)

 

(疾いわ……)

 

お互いにお互いの実力に対して感想を内心でのみ述べる。離れた位置で構えなおしながら、相手の動きを探る。

 

飛び出してきたのはリュドミラの方であった。防御を戦術の核に据えているとはいえ、己から動かないことなど無い。

 

膠着を嫌う辺り、彼女もエレオノーラと似たような気性なのだ。それに対してリョウは、己の剣を胸の高さまで水平に上げて突きを待つような構えに変えた。

 

(こんな所で捨て身―――安い手を―――)

 

腰を落として放たれた穂先が一直線にリョウ・サカガミを貫こうとしていた。動きが無い。貫こうとした刹那の時にリョウは後退しつつ回転をしてリュドミラの側面に躍り出た。

 

超速とかいうレベルではないその動き方から、剣がリュドミラの腕を叩こうとした時に、氷の籠手が彼女の腕に出来上がって斬撃の勢いが殺された。

 

重圧の御稜威をかける暇も無くリュドミラの背後に大きく移動していくことにした。

 

判断を誤れば――――。

 

「俺も氷漬けになっていたか……」

 

「そういうことよ。それにしてもまさか……こちらの間合いを測るための構えとは…」

 

氷が貼り付いた剣に仕方なしと嘆くリョウとは対称的にリュドミラは先程の攻防に対して恐ろしい思いだ。

 

先程の水平の突きのような捨て身の構えの目的とはラヴィアスの間合いを測るためだった。

 

「いきなり「短槍」の間合いが変化したんだ。まずは仕掛けを理解しておくのが最初だろ」

 

見るとリュドミラの槍は決闘当初のように、短い柄ではなかった。長槍の類にまで伸びたそれはつまりこの竜具は間合いを変化させられるということだ。

 

こんな武器もあるんだな。と思いながらも警戒は解かない。穂先を地面に突き立てて、あちらも仁王立ちしながら更なることを問い返してきた。

 

「あの構え……本来は防御に徹するものね?」

 

「というよりもどんな攻撃であっても対応できる構えだ。今回は己の眼を補強するため物差し替わりに使った」

 

言いながらリョウは懐より赤い石を取り出した。気付いたサーシャは苦笑しつつも、大人しく何も言わないでいる。

 

「破邪の穿角の異名を持つ「凍漣」ラヴィアス。相手に極寒の冷気を叩きつける氷の竜の吐息を凝縮した槍よ―――その異名を存分に教えてあげるわ」

 

酷薄な笑みを浮かべたリュドミラの言葉の後には、鍛えの間の地面を突き破るように大きな氷柱の波が真っ直ぐにラヴィアスの穂先から放たれていく。

 

しかしそれだけでなくそれに呼応したかのようにリョウの四方八方から氷柱の波が襲いかかってきた。

 

殺到する氷柱の豪撃に終わりを誰もが予感していた。リュドミラも、殺すまではいかずとも一部でも氷漬けになれば、その後には降参の言葉が聞こえると思っていた。

 

だが、予想は裏切られた。誰もの予感を超えて勝利を掴む勇者こそが―――彼なのだ。

 

「ここからだよソフィー、エレン。リョウ・サカガミの力の神髄は―――」

「けれど流石にあれを食らっては――――」

「……サーシャ、あれは「芋女」が放った氷柱による「塵煙」じゃないな」

 

戸惑うソフィーと対照的に冷静なエレンの言葉の通り今リョウの居た辺りには、煙が立ち込めている。最初は石床を砕けた際のそれだと思っていたが、明らかな熱を感じる。

 

「!?」

 

瞠目したリュドミラの驚きは、サーシャを除いてこの場にいる全員が同じ思いであった。

 

殺到した全ての氷柱の切っ先から下を斬り捨てて綺麗な断面を見せている。

 

煙を切り裂いて現れた侍の周囲には氷柱は無く開けた小島のような空間を作り上げていた。その手に握られるは、先程の剣と同じ形状に見えて微妙な変化をしている剣だ。

 

何よりの変化は形状の変化ではなく、その剣が炎を纏っているということだ。

 

揺らめく炎の剣。サーシャのバルグレンを思わせる剣が侍の手に握られていた。

 

「クサナギノツルギの形状変化の一つ「炎蛇剣」―――これの前には、極寒の冷気も無に帰る」

 

宣言と同時に、剣から大きな炎の鳥が飛び立ち実体のない炎の剣をもう片方の手に握らせた。

 

「鳳凰剣といった所か、まさか……異国にて「覇炎紋」を帯びるとはな」

 

独り言のようにつぶやいた直後には、氷柱の切株を足場としてリュドミラに迫っていくリョウ。

 

「くっ!!」

 

まさか自分が作り上げた氷柱を利用されて高い所からの攻撃を受けようとは思っていなかったリュドミラは後退する。

 

(いい判断だ。そのままならば首を落とされていたぞ)

 

攻勢よりも守勢に重きを置いた彼女の技術はたいしたものだ。だが、それでもこういった場合に対する対処が遅い。

 

同じ戦姫と本気で戦うこともそんなに無いのだろう。

 

だが―――――。

 

(俺相手にそれは敗着の一手だ)

 

二刀の剣を振りかざしながら迫り槍の間合いを踏み越えて剣の間合いに入り込む。長柄を利用した攻撃がこちらの攻撃を弾く。

 

その合間合間に氷の礫などが降り注ぐも振るう剣の熱が水へと変わり、そのまま大気に溶け果てる。

 

「亡者共を倒した焔……サーシャのものだと思っていたけど……あなたが、そうだったのね!」

 

槍の穂先がこちらの切っ先を跳ね上げる。そのがら空きの腹に槍が吸い込まれる寸前に、槍の横に水平に移動する。

 

「彼女の炎と俺の火が合わさり―――「火炎」となり亡者を還しただけだ」

 

彼女の薙ぎ払いよりも前に体を低く落として下段である足を狙うも長柄の回転が剣を押しとどめる。

 

「つまりあなたも!! 『私』と同じということね!!!」

 

言葉と同時に膂力の限りでこちらと鍔競り合うリュドミラの表情はどこか楽しげだ。

 

リュドミラの言いたいことは分かるようで分からない。しかしながら、攻防の終着は見えつつあった。

 

彼女の頭上高くに形成されている氷の結晶―――その巨大さから彼女が何をしようとしているのかは分かる。

 

炎蛇剣の熱に溶かされることなくあるそれは間違いなく、彼女の必殺の前兆だ。

 

槍の間合いを活かして距離を離されてしまいながらも注意は怠らない。読速が全てを悟らせる。

 

「これで最後よ。この技はいかにあなたの破邪の炎でも切り裂けない。今ならば降参出来るわ」

 

「降参するほど絶望的な状況ではないな。ヤーファの剣客として負けられぬ」

 

緩く剣を握りながらも、剣速・身速の全てを最大限駆動させる準備を整える。

 

この時間に題を付けるとしたならば、「決する時」といったところだろう。

 

全てが一瞬で決まる―――お互いに視線で隙が出来ていないかを探る。

 

間隙の一つが生じた瞬間に全ては―――――《氷晶から水滴が落ちて》―――――――動く。

 

空さえ穿ち凍てつかせよ(シェロ・ザム・カファ)

 

言葉が始まりの合図であったかのように氷晶が弾けて氷の棘がリョウの前方の空間を埋め尽くす。

 

しかし―――『完全に埋め尽くされているわけではない』。隙間はどこにもある。

 

足の駆動と手の駆動が連動して、炎剣が氷の棘を大気に溶かしていきつつも、止まることは無い。

 

その超反応と迫りくる剣士の絶技にリュドミラは肝を冷やしつつも、ここに来るまでに放った仕掛けが順調であることに成功を確信する。

 

直線ではないが、それでも最短でリュドミラに迫るリョウ。その距離が20チェートに迫ろうとした時にリュドミラは更なる秘術を用いて、決着の時とした。

 

「――――静かなる世界よ(アーイズビルク)

 

床に着いていた槍の穂先から冷気が放たれて闘技場の床が凍っていく。

 

だが、そのスピードは尋常ではない。まるでもともとあった水が凍るかのようだ――――。見ていたエレンが気付く。

 

(そうか、あの男が斬っていた氷の水――――、それを凍らせたのだな)

 

如何に気体に変ずるといえ場所は外ではない。この空間には水蒸気が溜まっていた。天井の結露からの落水。それも一役買っていた。

 

結果として、リョウ・サカガミの足は氷の上に縫い付けられた。

 

「終わりよ―――ヤーファの退魔剣士!!!」

 

氷の足場を滑るようにして迫りくるリュドミラ。氷を扱う彼女にとってこの程度の動きは造作もない。

 

不得手なものであっても転倒する場所を彼女は難なく渡り歩く。

 

一方のリョウは、彼女の強襲を躱せる体制ではない。――――氷を溶かせる炎の実体亡き剣はナイフ程度のサイズに、クサナギノツルギも強烈な冷気の叩き付けに凍り付いていた。

 

刹那の数瞬さえあれば、炎が再発し氷を溶かせるはずだ。だがその数瞬は接近し巨大化させた槍を突きつけるリュドミラによって奪われている。

 

ゆえにリョウは、その数瞬を―――抜刀に使った。腰に差していた「鬼哭」を抜き放ち―――柄を口に「結わえた」。

 

行動の奇異さにリュドミラは瞠目するも氷槍は既に止められぬ。何よりここまで来れば決着。しかし、リョウはまだ遠いとして「鬼の牙」で氷の穂先を受け止めた。

 

「――――凍―――」

 

「遅い!!」

 

受け止めた後に上体だけを後ろに逸らすことで突進力を受け流すと同時に刹那の数瞬を稼ぎ、炎が己に纏わりついていた氷を溶かしきった。

 

円を描くようにしてリュドミラの圏内から逃れて彼女の背後に躍り出る。動揺が消せぬ表情。

 

槍を戻そうにも、リョウの奇策により完全に逸している。何より巨大化させた槍は、バランス悪すぎで突進を仕掛けたので重心が崩されるとどうしても反応が遅れる。

 

必勝を期して得物の強化に走ったのが仇となった。実体なき炎の剣と実体に纏わせた炎の剣の二刀になった「戦鬼」が、リュドミラに―――実体なき炎の剣を足元に投げつけた。

 

縮小させた槍でようやく振り向いた所に投げつけられた炎が彼女の足を止めた。刹那の時間が生まれて、その刹那の時間にリョウは走った。

 

斬るべき始点―――そして終点は見えている。かつて長柄の鎌を振るった美しき死神に対して放たれた刃と刃が合わぬ必殺の交差斬撃。

 

それが「凍漣の雪姫(ミーチェリア)」に放たれた。

 

リュドミラの後ろに走り抜けながら放たれた斬撃の結果―――二つの武器が宙にて回転しながら落ちてくる。

 

主の手元に戻るは、「剣」であり―――主の手元に戻らぬは「槍」であった。

 

闘技場の床に突き立つ氷の槍。その結果は誰の眼にも分かっていた。

 

「――――参ったわ。いえ、参りました」

 

「潔いな。少しだけごねると思っていた」

 

手の甲からの出血で握力を失ったリュドミラに近づきながら剣を二刀とも納める。

 

呪言を唱えながら、彼女の表情を見るとどこか晴れ晴れとしていた。

 

「あそこまで手加減された上に、とどめすら加減されていては―――怒る気力も失せるもの。おまけに……傷まで癒されては……」

 

御稜威を唱えて彼女の手の甲の傷を癒してから、周りを見渡すと表情はそれぞれであった。

 

(まぁ普通の人間があれだけの動き出来たらばそうなるよな……もしかしたらリュドミラの領地出身の騎士もいるかもしれないし)

 

そんな中で、サーシャは遊び暴れすぎた子供を見るような表情であり、ソフィーヤは深刻そうな顔。

 

……一番、問題なのはアリファールではない大剣を持ち上げて、こちらを爛々と見てくるエレオノーラだ。

 

「私は負けたわけだけど……何か要求することある?」

 

「とりあえず喧嘩しないでくれ。今にも俺に斬りかかりそうな女ともだ」

 

神妙な様子で尋ねてくるリュドミラに対して決闘の対価を話す。とりあえず避けられる喧嘩は避けてほしい。

 

本当に譲れぬことであるならば喧嘩もやむをえまいという意思で言ったのだが……。

 

「委細承知しましたリョウ義兄(にい)様」

 

「………はい?」

 

何だかリュドミラの様子が少しばかり変であった。こちらに向けられる視線がどうにも……尊敬のそれに代わっているような気がする。

 

一番に「義兄(にい)様」って……確かに彼女より自分は年上であるのだが、何でそんな風になる。

 

「義兄様の実力、このリュドミラ感服しました。あれだけの剣腕であるならば、我が義姉アレクサンドラが信ずるに足ると確認出来ました。何よりその精神に私は武人としての義兄様の本質を見出しました。だからミラはこれからリョウ・サカガミ殿のことを義兄として慕わせていただきます」

 

胸に手を当てて、そんな事を滔々と宣うリュドミラの様子に戸惑う。

 

内心、少し嘆きたくなるほどの変節。ただそういう風に思われて悪い気はしない。しかし何なのだろう彼女のここまでの変節の原因は。

 

「というわけでエレオノーラ、義兄様に向けているその無粋な剣を下げなさい」

「貴様にそんなことを指示される謂れは――――」

 

こちらの願いを無駄にするかのように、早速も喧嘩をおっぱじめそうな二人から離れて、他二人の戦姫にどういうことなのかを聞く。

 

「多分だけど、彼女は女系の家の生まれだからね。そういう家に生まれた女の子って……分からないかな?」

「同年代の自分と同じような男を下に見がちだな。おまけに父性というものが欠如しているんだろう」

 

しかしながら、何か一つの切欠があれば、その人物の評価を改める。要は本質的にはいい子なんだろう。

 

自分は最初からそれなりの評価を受けていたからこそこうだが、もしもリュドミラが最初から侮っている人間であれば、その時はその人間に純粋な好意を寄せるだろう。

 

「そういうことだね。僕としては彼女を懸想させなかったから結果オーライ。良かったよ」

 

とりあえず自分は汗かいているので、あまり抱きつかないでほしい。出仕用の礼服が汗臭くなると思いながらも、サーシャの気遣いというか柔らかな感触は、まぁ悪くない。

 

「貴様! サーシャから離れろ!!」

 

「僕はリョウから離れたくないんだ。エレンは僕の意思は尊重してくれないのかい?」

 

サーシャの言葉にそれはもう盛大な歯ぎしりして「ぐぬぬ…」とでも言いそうなエレオノーラに少し同情しつつも、その態度に感謝もする。

 

彼女の敵対はある意味では、自分にとっては好都合。全てが味方という状況よりも油断ならぬ敵の方が信頼出来るということもある。

 

「お前はそこまで俺が信じられないか?」

 

「……剣技だけは認めてやる。お前は噂以上の剣士だ。だがその人間性は好色な男と変わらん」

 

辛辣な言葉に内心泣きそうになりながらも、言葉を重ねる。

 

「言っちゃなんだが、お前もいつか女誑しな男に入れ込む気がする」

 

「ありえんな。だが、ありえたとしてもそいつはお前のような剣士じゃない。お前とは対極の武を修めた武人だ」

 

エレオノーラに関する星を見てみると、そんな風な結果が出たので伝えると、彼女は妙な所で勘が冴えわたるのかそんなことを言ってきた。

 

その考えは――――ある意味では正しかった。

 

自分が西方で探し求めた光。その光を最初に見つけたのはエレオノーラだったからだ。

 

◇ ◆ ◇ ◆

 

城門を潜ると同時に、思わぬ人物の登場にティグルは緊張を強いられた。

 

ブリューヌ王国の文官の頂点。その権威と権力は大貴族とそん色ないことで知られるピエール・ボードワン宰相が現れた。

 

「城下での騒ぎは聞き及んでおります。もう少しご自分の立場を理解して、ご自愛下されますか?」

 

「……すみません。けれども私は―――」

 

「……ジャンヌ殿が待っておられます。お早く」

 

まるでレギンの言葉など何の意味も無いかのように、そして自分とオルガを無視する宰相に腹立たしく思いながらも、今は黙っておかなければならない。

 

そして宰相の言葉にやはり思う所があったらしく、レギンは振り返りこちらを向いた。

 

「ヴォルン伯爵、オルガさん、私の少しの我儘に付き合ってくれて本当にありがとう。城下の食べ物が暖かくて本当に美味しいものだったなんて私は初めて知りました」

 

「大袈裟な……もう会えないのか?」

 

「ごめんなさい。けれども……また会えたらば、その時は……また私の隣を歩いてくれますか―――『ティグル』」

 

意を決してこちらを愛称で呼んでくれたレギン、レギンのそんな様子にボードワン宰相は少しばかり驚き、こちらとレギンを交互に見返していたがティグルは気付かなかった。

 

それよりも、これから何か大変なことになってしまうかもしれないレギンを安心させるためにも嘘偽りのない言葉を言わなければならなかったから。

 

「約束するよレギン。君の小さな我儘に付き合うぐらいは、俺のような男でも出来るんだから、何でも気兼ねせずに頼ってくれ」

 

「ありがとうティグル。また会える日を私は心より待っております」

 

胸を抑えて城内に入っていくレギンを見送り、振り返る彼女の顔が見えなくなるまでティグルとオルガは動かなかった。

 

そして見えなくなると同時に、猫顔のボードワン宰相はこちらに質問をぶつけてきた。

 

「ヴォルン伯爵だったかな……お手数掛けた……が、あまり彼女にはかかわらないことをお勧めする」

 

「別に宰相閣下の懸念されるようなことはありませんよ。私はまだそういったことを考えてもいられませんので」

 

ここに来るまでにティグルもレギンという王宮の行儀見習いという少女が、ただの貴族の娘ではないのではないかと懸念させていた。

 

一番に考えられるのは今のファーロン王の辺りに出来た「メートレス」(愛妾)の子供ということだ。

 

基本的にブリューヌにおいては、男子の王族のみが尊ばれて、女王という例は殆どない。

あるとすれば、何とかという騎士が王の娘、つまり王女を娶って王になったという話。

 

「―――とにもかくにも王宮の危機を救ってくれたのだ。感謝する。陳情があればヴォルン伯爵―――あなたの番を優先しよう」

「これといっては無いのですが……あれば、その時は国王陛下によろしくお願いいたします」

「伝えておきましょう」

 

淡々と事務的な口調で決められた手順を踏むかのようなボードワンは一礼してからレギンと同じく王城の中に入っていく。

 

自由騎士リョウ・サカガミ及び、ジスタートが新たに獲得した島に対する会議は、明日だ。

 

それまで―――――。

 

「鼻の下伸びすぎだティグル、あとでティッタさんに言うことが増えた」

 

この不機嫌最大の小さな斧闘士を宥めるために、少しだけ豪華な食事をとることにした。

 

 


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