鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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第一章「東方剣士来訪」
プロローグⅠ


 

世界を見てきなさい―――――。

 

その言葉は、自分を動かすに足りた。己が修めたものが広い世界でどう役に立つのか。それが知りたかった。

 

武者修行といえばそれまでだ。だが何故今なのだ? 己の主君に問いを放った。

 

『かつて我が国に多くの「妖」が跳梁跋扈した時がありました。彼らはその姿を人間に変えて世界に溶け込み大なり小なり人間社会を混乱させていました』

 

『その「妖」と同じ波動を遠き異大陸にて感じるのです。「桃」にも匹敵する波動が幾つも―――。そこにてあなたは運命を自覚しなさい』

 

『いまよりあなたの役目は私を守ることではありません。世界を――――』

 

瞬間。言葉が途切れて映っていた景色も違ってしまった。

あの桜舞い散る庭園ではなく無味乾燥な木の室内。一際大きくこの「船」が揺れたことで、夢から覚醒したようだ。

 

故郷―――この辺りでは「ヤーファ」と称されている場所とはまた違う。寝室。畳もなければ、布団もまた違うそれにも最早慣れてしまった。

 

望郷の念は無いが、それでもここまで来れば少しの寂寥感もある。「ベッド」という寝台から起き上がると同時に部屋を出て甲板に出る。

多くの水夫達が忙しく動いていたのは、目的地が近くなりつつあったからだ。

 

陸地が見える。大きな港町だと思い、賑わっているのを見ると先刻まで滞在していたアスヴァールという国の悲哀が分かる。

二人の継承者による継承戦争は、どちらであれ国にとって悲劇をもたらす。唯一といってもいい救いは、平民からのし上りつつある王聖をもったものがいることだ。

 

彼は自分を誘っていた。遠く異郷の地の剣士の腕は彼の革命の一助にはなっただろう。だがまだだ。酷い話ではあるが自分はまだ世界の全てを見てはいない。

それを見てからでなければ自分は彼の力にはなれない。まだ―――この西方の地における善悪、正邪の区別がついていないのだから。

 

「珍しいですかな港が?」

「―――そんなことはありませんよキャプテン・マトヴェイ。ただ単におもいがけず遠くまで来たものだと我が身の置き所に思いを馳せていただけです」

 

「郷里の港に似ていますかな」

「活気という意味では」

 

逞しい肉体に日に焼けた赤銅色の肌が映えるこの船の最高責任者。誇り高き白イルカ(ゴルディ・ペルーガ)号という船の主に返しながら、足音を立てずに近づいてきて何の用事だと心中でのみ警戒しておく。

 

「ヤーファからのお客様にも私の故郷を気に入ってくれてうれしい限りですよ。しかし、ここでお別れかと思うと少しばかり寂しいものですな」

「いずれは帰る時には、あの港からの船を使いますよ。それまでこの船が存命だったらの話ですけど」

「言ってくれますな」

 

こちらの冗談めいた言葉に挑戦的な笑みを浮かべる船長。話によれば彼はこれから行く港町の領主―――のような人間の部下でもあり、騎士階級にも当たる人物だと。

 

奇特な客。遥か遠い地からの剣士に彼なりに探りを入れてきたのだろう。その領主に牙を向く存在なのではないだろうかと、しかしどうにも違う空気である。

 

素性明かしはその意図だったろうが、こうしてやってきたのは違う目的のはず。

 

 

「しかしそれが現実のものになるかもしれませんな」

「どういうことです?」

「アスヴァールでの戦乱がこの地にも飛び火しているのです。つまり海賊です」

「港が襲われているのか」

 

それは隣国の影響もあったが、何より海運都市ならではの問題でもあった。だからこそ問題は即座に解決しなければならない。

 

 

「海賊どものねぐらがどこにあるのか分かっているのか?」

「いいえ、ただ近いうちにリプナなどのレグニーツァの各港町が襲われるだろうことは分かるのです」

「夏だからな―――どんな生活をしているかは知らないが、何かしら必要物資があるんだろう」

 

 

陰鬱な顔をしているマトヴェイ。それを見て何気なく理解した。せめて海賊討伐の間までは彼の国であるレグニーツァ。もしくはジスタートに居てほしいということなのだろう。

 

 

「―――傭兵部隊の選抜は?」

「! 近いうちに行われます。それでは引き受けてくれるのですか?」

「まぁ海賊討伐はタラード卿の助けにもなるでしょうし、何より路銀も稼がなければいけない」

 

 

自分の武勇がこの海の男に知れ渡っているのは今更だ。何より海賊を許しておけるほど自分も寛容ではない。手に携えた黒塗りの鞘に収められた剣。

その剣を振るう理由は、穏やかな日々を送る人々を脅かす存在を斬るためにある。

 

(剣は凶器。剣術は殺人術。されどその魂までも狂気に侵されてはならず、己の行いに高潔を求めよ)

 

あの賑やかな街から悲鳴をあげさせるような輩は許してはおけない。

 

 

船から下りる際に、再会をマトヴェイと誓い合う。自分のような小僧とも対等に話してくれた船長。

感慨を少しだけ残してそうしてジスタートの公国の一つレグニーツァへとヤーファの剣士は降り立った。

 

公宮はこことは別にあるそうだが、詳しいことはよく知らない。よく知らない国によく知らないまま降り立ち曇りなき眼で真実を見据える。

剣の奥義にも通じるそれを実践して街道を歩いていこうとした時に、一人の女性に声を掛けられた。

 

「こんにちは」

 

 

目の前に突如現れた。―――そうとしか思えないぐらいに気配は突然放たれた。周りの人間は誰もいぶかしんではいないが、自分だけは分かる。

この女性は―――いきなりこの街に現れたのだ。

 

「こんにちは、何か御用ですか?」

「用事といえば用事です。女性が男性に声を掛けるからには色々と考えられると思いませんか?」

「格好だけ見れば真昼間から客引きをする娼婦にしか見えない」

「不敬罪で死にたいのですか?」

 

もうしわけない。と謝りながらも彼女の格好はいわゆる普段着というやつではない。いくら異国からやってきたとはいえ、こんな格好しているのがただの平民とは思えない。

 

様々な色の薔薇の模様を縫い込まれた純白のドレスは、街道を歩けば数刻で裾がぼろぼろになることは間違いない。

青みがかった長い黒髪といい、どこかの貴人だろう。だがどこかの貴人が持つには不釣合いすぎるものが彼女の手にある。

 

大鎌(デスサイズ)……)

 

心中で言ってから、何者という感覚が拭えない。

 

 

「まぁ許してあげましょう。そしてこちらも非礼を詫びましょう。私はこのジスタートにて商会の一つを代表していますヴァレンティナです。その腰に携えている剣は東方国家ヤーファの「カタナ」とお見受けしますが如何?」

 

「良く気づきましたね。その通りですよ。しかし……商人のあなたに何か利益を出せるようなものを私は持っていないのですが」

 

畏まった対応にこちらも少し畏まった対応を余儀なくされる。

 

 

「ご心配なく。情報一つ、風習一つ、技術一つからも金銭を作り出すのが私達のポリシーですので、ご安心を―――、立ち話も何ですから適当な店に入りませんか? もちろんお金は気にせず」

 

裏を感じさせない笑顔でいて、本当は裏を感じてしまう笑顔。無論、商人というのはそういうものといえばそれまでなのだが、どうしたものかと思う。

 

「ではお言葉に甘えさせていただきますヴァレンティナさん」

「承知しました―――と言いたいところですけど、私はあなたの名前を教えられていません」

 

 

「――――坂上(サカガミ)(リョウ)。リョウの方が私の名前ですのでリョウでお願いします」

 

 

彼の字はジスタートにおける神聖生物と同じであり、その時より王位を目指す少女は、かの国にて神聖視されている竜と同じ字を持つ剣士と出会ったのだ。

入った店は猥雑な港町に違わず様々な人間が飲み食いをしていた。多くは船乗りなのだが中には帯剣した傭兵らしきものもいれば、ヴァレンティナと同じく商人らしきものもいる。

 

だが、それにしても彼女は目立っていた。その姿があまりにもこの店に不釣合いなのもさることながら、その美貌に誰もが息を呑んでしまうから。ついでにその手に持つ大鎌にも息を呑む。

しかし誰も声を掛けようとしない。ヴァレンティナに伴われてやってきた黒尽くめの剣士。その手にある剣はこの辺りでは見かけぬものであり、容姿もザクスタン人ともムオジネル人とも違うからだ。

 

ヴァレンティナよりもはっきりした黒髪に、この辺りの人間とは少し肌の色も違っていた。

 

「何だか視線が痛いですね。きっとこれはリョウのせいですね。ヤーファ人は珍しいですからね」

「それだけじゃないと思うけど……とあの辺りが座れそうか」

 

空いてる席とテーブルを見つけて、そこに腰掛けるとウエイトレスが注文を取りに来た。給仕服の女性の声が少し震えているのを少し不憫に思いながらも、注文を言っていく。

 

「君のその大鎌どうにかならないのか?」

「帯剣する男や女がいても何も言われないのに、なぜ大鎌を持つ女が警戒されるのでしょうか。差別です」

 

抜き身の状態が良くないのだということを告げてもこれに合うだけの長布も無い。頬に手を当てながら困った風に言うヴァレンティナには水掛にしかならないだろう。

ほどなくしてまずは麦酒と果実酒が陶杯に入れられテーブルに置かれる。

 

「では私達の出会いを祝して乾杯」

「乾杯」

 

 

打ち合わせると同時に、中身を飲んでいく。数年間の内に西方大陸の味に舌も慣れたが今日は何かと故郷のことを思い出してしまうので、酒の味もこんなものではなかったなと考える。

 

 

「美味しくありませんでしたか?」

「いや、故郷の穀物酒を思い出してしまっただけだ。これはこれで美味しいからな」

 

「穀物酒……麦酒とは違うのですか?」

 

「郷里にて取れる米という主食を発酵させて作る酒でね。まぁ麦酒ともまた違う製法で澄んだ水のような色をしている」

 

「それは興味深いです。いずれ武装商船をヤーファに向ける際にはかならず仕入れさせてもらいましょう」

 

果実酒をこくこくと飲んでいく彼女を見ながら、何気なく彼女の正体は、商人ではないのではないかと思ってしまう。

 

先程の言葉は一種の探りでもあった。アスヴァールにてヤーファの噂を探ったが、せいぜいが竹が弓の素材として最高という程度。

本当の商人であれば、それ以外の特産物にも興味を示すはず。無論彼女の商会が取り扱う商品の性質にもよるだろうが

 

「ヴァレンティナさん『さんはいりません。呼び捨て、もしくはティナ、ティーナとでも呼んで下さい』―――ならヴァレンティナ。ジスタートの歴史について教えてくれないか?」

「歴史というと……どういったことを? 隣国との征服被征服とかいう話ですか?」

 

首を振り、自分が聞きたいのはそういうことではないと言う。

 

 

「英雄アルトリウスと円卓の騎士―――それに準じた建国神話というやつだ」

 

「……実を言うと私、その話一番好きなんですよね。本当に好きなのはゼフィーリア女王の話なんですけど、アスヴァールの神話は私の人生の指標です」

 

「いずれは君も女帝とか覇王とか呼ばれたいのか?」

 

「卑猥な想像は厳禁ですよ」

 

 

今の言葉のどこに卑猥な想像があったのかは分からぬが、これ以上藪をつついて蛇を出すのもあれなのでヴァレンティナからジスタートの建国神話を聞くことにする。

約三百年前―――ジスタートの地には五十以上の部族が存在していてこの部族は、土地の問題や食糧の問題で争い続けていた。

 

増えすぎた人口を養うための戦いは結局のところ収まらずに百年続いた。

 

百年の間に戦いの結果として部族は三十ほどにまで減ったところこの地に一人の男がやってきた。男は自らを「黒竜の化身」と称して自分を王と戴くのならば、その部族を勝たせると約束した。

 

その言葉に応えたのは七つの部族であり、その七つの部族は忠誠の証として美しくかつ武芸に長けた娘を男の妻として差し出した。

 

七人の妻たちに男は「竜具」という力ある武器を与えて彼女らに一つの称号を与えた。

 

 

戦姫(ヴァナディース)……それが現在の七つの公国を治めている領主の正体か」

「嘘か真か、竜具(ヴィラルト)という武器を駆った戦姫を得た七つの部族は他の部族を滅ぼして黒竜の化身たる王はジスタート王国を建国したそうです。現在のジスタートはどうあっても戦姫よりも上位にあるものは王。如何に武勇・知勇に優れていても王にかしづくのが戦姫なのです」

 

建国神話の最後に、この男は本当に竜なのではないかという意味で燭台の炎によって作られた影に映るは竜のそれに見えたとして締めくくられている。

 

「竜が建国した王国か……」

 

姫君に言われたことの通りならば、この戦姫とか竜の化身とやらこそが妖なのではないかと思ってしまう。かつてヤーファ―――いや『大八島(オオヤシマ)』にて、犬、雉、猿の畜生を人間にした桃の「妖」。

 

一人の『英雄』と巫女の少女によって退けられたそれを連想してしまう。

 

連想してしまうが、結局のところ建国神話でしかない。第一、その妖どもは人間を殺戮したが、ヴァレンティナの語る黒竜の化身はまがりなりにも人間に協力している。

 

「それにしても……港町だからか魚が美味しいです。ほらリョウも食べないと冷めてしまいますよ」

「ああ、旨いな……アスヴァールの料理はなんと言うか大味すぎたが、この料理はそうじゃないな」

 

 

遠い眼をして思索していた時に、目の前の彼女に急かされる形で食事に没頭する。平目のムニエルは柔らかくて舌の上で蕩けていく。味の方も繊細なものであり手を凝らしている。

だが、それはどこか話しを逸らすような動きに思われたが、とりあえず彼女も食事を楽しんでいるようなので、自分もそれに倣う。

 

(戦姫ね……)

 

 

器用に宮廷式のテーブルマナーでムニエルを食べ終えてからロブスター煮を食べる彼女の顔と後ろの壁に立て掛けられてある大鎌(デスサイズ)

ちなみにリョウが次にヴァレンティナに聞こうとしたのは、その竜具なる武器の「形状」はどんなものなのかということだった。

 

 

 

 

「そうか、では良い旅だったようだねマトヴェイ」

 

「ええ。大王イカを仕留めた時などみんなして『これを戦姫様に献上して報奨金で俺たちの船を改修しよう』などと息巻いたくらいです」

 

「大王イカか……大きい魚は大味じゃないかなぁ。まぁマストを新調するぐらいの金子は融通しようかな」

 

「これは手厳しい。いえ、恩情ですかな」

 

 

リプナに帰還したマトヴェイは所用を済まし、リプナの責任者である『市長』ドミトリーに取り次ぐと同時に戦姫アレクサンドラ=アルシャーヴィンとの謁見を頼み込んだ。

 

『お前が帰る報は受けていたから既に伝えてある。アレクサンドラ様の下に急いで出仕しろ』

 

旧知の港町の長の言葉を受けると同時にリョウ達よりも先に馬を飛ばしてレグニーツァの公宮へと出仕した。

そして寝台の上で上半身のみを起こした女性の様子が船出する前に会った時よりも細くなったと思えた。

 

それも本当に不味いものを感じるほどに、マトヴェイは死神が彼女に迫っているように思えた。

ゆえにこれまで彼女の気持ちを晴れやかにする話をしてきた。そして戦姫に生きる希望を与えるためにも『彼』の話をする。

 

「良い旅には良い友も出来るものでして、今回リプナの街に珍しい客人を降ろしたのです」

 

「客人?」

 

「遠く東方の地よりやってきた剣士です―――」

 

「ヤーファの剣士―――侍とか武士とか呼ばれているものか。彼の目的は?」

 

 

先ほどとは違い、少しばかり乗ってきた彼女に詳しく話すことにする。

 

「恥ずかしながらそれに関しては口が堅く知ることは出来ませんでした。ただ彼は武芸と知勇に秀でアスヴァールの戦乱に一時の平穏をもたらしました。そして彼は今回の海賊討伐にも協力してくれると確約してくれました」

 

「そうか……ならば、僕は前線に出なくてもいいかもしれない。恥ずかしながら最近、更に身体が重くなってきた」

 

「その病を治す手助けが出来るかもしれません。彼―――リョウ・サカガミの力を使えば」

 

マトヴェイは、レグニーツァに帰るまでに起こった出来事の中で本当の窮地を話した。今までの楽しい話とは違うものを。

船が難破しかけ生水がなく原因不明の喀血を起こす船員も出る中、ヤーファからの客人は薬を処方し、海水から生水を精製し、喀血を起こす船員に対しての処置も完璧であった。

 

 

「リョウ・サカガミはこう言っていました「ジャガイモやキャベツに含まれるある成分が症状を緩和すると」無論、だからといってアレクサンドラ様の病を治すことにつながるとは限りませんが」

「………分かった。報告ありがとうマトヴェイ。下がっていいよ」

 

自分の言葉は届かず。話を打ち切られる。自分の病が治ることを期待する戦姫の姿は無く、どこか虚無感を感じさせる女の姿があった。

老いた従僕と共に公宮の外への道を歩く。歩きながらアレクサンドラのあの様子はいつからなのだと聞く。

 

 

「つい最近じゃな。自らの体は自らが知っているからだろう……侍医には伏せさせてあるが、察しているのだろう」

「しかし、あれでは!」

「戦姫様の本当の意味での病とは―――気の病。絶望とも言える。例え、残り少ない命であっても気を強く持ち生きようとする意思のものは長く生きる。逆に明日にも死ぬことを恐れているようでは、長く生きることはあるまい」

 

 

従僕の言葉は重く、そして真実を突いていた。彼女自身が本当に死にたがっているわけではない。それはこちらの話を聞いていた時の態度で分かる。

しかし話が病のことになると彼女は、どこか虚無を顔に出す。生への希望―――。それが無くなる。

 

 

「そう言えば、アレクサンドラ様はレグニーツァに封ぜられてから何も欲を出しておりませんな。一つでも何か要求はなかったのですか?」

 

 

欲望こそがある意味では人間の生きるための希望だ。戦姫であってもそれが無いわけではないはず。一縷の望みを託して老従僕に問いかける。

 

 

「非道な領主のように贅を凝らした何かというものをあの方は好まれぬ。この公宮を見れば分かるとおりにな。食事も聞けば子供の頃から豪勢なものは好かなかったそうだしの……ああ、そういえば侍女長がこんなことを言っていた」

 

 

老従僕の思い出した話は彼女の世話役である侍女長からの話であった。

 

女同士の内緒話だからなのかその時のアレクサンドラはいつもとは違う面持ちで、目を輝かせて子供がどれぐらい可愛いのかを聞いてきた、と。

この公宮に勤めている侍女の中でも侍女長は古株であり、結婚をし子供を儲けてもいる。その子供を育てていくということの難しさなど、その難しさを超えた先にある幸福を教えてくれと言っていた。

 

 

「つまりは……戦姫様は、なんといいましょうか……その……」

 

「そんな歯に物が挟まっているような言い方をするな。失礼だぞマトヴェイ。つまりはアレクサンドラ様は「恋をして好いた男性との間に子供を作りたい」そういうことに終着する」

 

 

改めて言われると、なんと言うか乙女な欲である。つまりは酷な話だが順番が逆でなければならない。

アレクサンドラを夢中にさせるほどの異性が現れ、その異性との未来のためならば己の命を延ばさなければと努力をする。

 

 

「お前が連れてきた客人というのはどんな若者だ?」

「とりあえず娼館のご婦人方からは人気でしたな」

 

果たして戦姫アレクサンドラの御眼鏡に適う相手かどうか―――。それだけが気がかりであった。

 

 

 

食事を終えてヴァレンティナと共に食堂を出ると同時に、この後にどうしたものかと思う。

 

「レグニーツァの公宮へと赴くのでは?」

「確かにそうだが……君も来るのか?」

「無論、リョウから十分な報酬も頂いておりませんし、何よりこのままでは私の気がすみません」

 

ヴァレンティナの言葉に少し考える。確かに彼女には世話になったし、彼女の望むことつまり商談の類に協力するのも吝かではない。

 

だがこれ以上。彼女に深入りするのは危険な気がする。可憐な容姿に、貴人のような所作。それらが―――まさに自然な「擬態」であると認識出来るほどに、ヴァレンティナからは危険な香りがする。

自分の嗅覚が、何かを告げている。だが―――それでも彼女の人格が最悪なものではない。海千山千の狐狸の類だろうが、それはこちらが胸襟を開いていないからだ。

 

(仕方ない……)

 

「ティナ。馬に乗る前に少し寄るべき所がある」

「? どこですか?」

 

本当に怪訝に思った彼女の表情は、擬態でも何でもない素のものだろう。だからこそ―――その表情を留めておきたかった。

 

 

 

 

「―――で、これがリョウの目的なのですか……まぁ悪くないとは思いますけど」

 

そこまで気にするものか? と言ってきた彼女には構わず話を続ける。

 

「君が気に入ったのを買ってくれ。金は出すよ」

「路銀が心許ないのでは」

「服ぐらいは軽いものだ」

 

流れの旅暮らしなどをやっていると路銀が心許ないの本当の意味というのは、つまりは宿に連泊するだけの資金が無いということだ。

 

無論、野宿という手もあるが……役人に一度通報されて拘束されかけたことから出来ることならば街の宿に泊まるようにしていった。

 

そして自分がティナのために寄った場所というのは言うなれば衣料屋―――つまり服飾店であった。

彼女の着ていた服というのは控えめに言ってもこれからレグニーツァまで行くには相応しくない格好である。

 

何よりこんなに立派な服を塵芥まみれにしてしまうというのはよろしくない。

現在ヴァレンティナの着ている服は、短いズボンに靴擦れを起こさない丈夫なブーツ。最大の特徴はやはり上に着こまれたシャツなのだが―――

 

「市井の町娘でもこんな風にお洒落を楽しむものなのですね。少しばかり新鮮です」

 

シャツ自体は簡素なものだ。白さだけがそれの特徴なのだが―――上衣として薔薇の模様が縁どられた赤色のベストを着こむ。

 

(美人は何を着ても似合うって本当かも……)

 

清楚な貴人が一瞬にして、街から街へと旅立つ女の旅人のそれに代わり、見様によっては女盗賊にも見える。

 

「似合っていますか?」

「ああ、色んな意味で美人の定義を更新させられたよ」

 

くるりと一度回ってこちらに見せつけてきたヴァレンティナに対してそう言う。何の世辞も含まれていないその言葉に、ヴァレンティナはきょとんとした顔を見せてくる。

 

「どうした?」

 

「……そこまで真っ直ぐに言われると正直、恥ずかしいですよ」

 

「社交界なんかで言われなれていそうだけど君の場合は」

 

彼女という華の美しさに吸い寄せられる男は多いと思うのだが彼女は頬を紅潮させている。

 

迂闊な言葉だったかと自戒しつつも、彼女と―――自分はこの後に―――。

 

(刃を向け合う。場合によっては―――)

 

そういう予感を感じながらも、今だけはこの異国に咲き誇る可憐な華との一時を楽しんでいたい。

 

「では、やはり海賊共はやってくるのですね」

「はい戦姫様。夏の季節ともなれば、やつらも備えをしなければなりませぬ」

 

夏という季節は様々な意味で消費が多くなる。特に日中の温度次第では様々なものが腐敗しやすい。

それにつけても衣料、食糧、酒など船上で暮らすにしても多大なものが必要となる。無論、海賊共にとっての寄港地がどこかにあるというのは分かっているのだが、それが分かればこちらから仕掛けてやったというのに。

 

ままならない世の中だ。自分が貴族の落胤として生れて、その父親の処罰を一番委ねたくなかった相手に殺されたことも含めて。

戦姫エリザヴェータ=フォミナにとって、この世界は自分を祝福していないのではないかと疑ってしまいかねない。

 

力を手に入れれば全てが変わると思っていた子供の頃から―――何が変わったわけではない。

従うべき部下も出来て責任も増えた。その分、不自由さからは解放されたかもしれないが……。真なる意味での自由を自分は手にしていない。

 

部下たちの報告を聞きながらレグニーツァのサーシャはどう動くのかを聞く。

 

 

「アレクサンドラ様もまた戦力拡充をするために傭兵を雇いだしているようです。そこで少しお耳に入れたいことが……」

「何か問題でも?」

 

 

間諜を仕切る部署の担当官の報告に凶報とも吉報とも取れる情報が挟まれた。

それは隣国アスヴァ―ルにおいて、有意の行動によって戦争を一時的に止めた男。その者―――遠く東方の地よりやってきた剣士とのこと。

 

ヤーファの剣士。リプナの街に降り立った。と

 

 

「―――サーシャの軍列に加わると思いますか?」

「恐らくは、傭兵というのは戦の匂いを感じると集まりますので」

 

 

考えてみれば「あの女」もそうだった。無論、彼女の意向で自分の村に来たわけではないだろうが。

あの頃の彼女と自分は立場も身分も違っていた。

 

「何を目的でジスタートまでやってきたのやら……一応、ヴィクトール陛下にも報告を入れておきなさい」

「承知しました」

 

担当官がいなくなると同時に窓の向こうに広がる自分の領地を見渡す。自然と気鬱が生じる。

 

(自分にこの領地を統治する資格があるのか?)

 

 

それは昔から思っていたことだ。自分は為政者としては些か「情」に向く部分が多い。

 

疫病が発生した時に、自分は多くの人を救う方法がほしかった。本当は隔離政策など取りたくなかった。

だがその疫病は性質の悪いことに、多くの人に伝染していった。

 

天秤の傾きで深い方を救うのが、正しい領主の務めだ。だが自分は少ない方を切り捨てるなどということを認めたくない。

 

他ならぬ自分がその少数の中に含まれていた時があったからこそそんな事はしたくなかった。

 

大勢であるということで少数の存在を無視する―――。自然と自分の瞳を手で覆う。これが自分の為政者として向かない原因だ。

 

 

「それでも私は負けない。本当の意味で真なる領主になってみせる―――そして」

 

紅玉の剣士―――エレンをあらゆる面で上回るものになることで、自分を確固たるものにする。

そういう決意で彼女は今回の戦いにおいて容赦をしないことにした。海賊共に戦姫という存在に手を出せばどうなるかを完全に思い知らせる。

 

 


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