鬼剣の王と戦姫   作:無淵玄白

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「鬼剣の王Ⅰ(蚊帳の外の人達)」

 

 

 

「そうか、サーシャは無事だったんだな。いや安心したぞ。さっきまでは本当に気が気じゃなかったからな」

 

 

「ええ、リプナの市民たちにも元気な姿を見せていたそうです。無茶をしたわけではないですよエレオノーラ様」

 

 

椅子から腰を浮かせて、その報告を受け取った銀の戦姫は、胸を撫で下ろす。

 

 

最初は、彼女自身が戦場に出るとは思っていなかった。代官を立てて行われるものだと思っていたのに、出立の直前に届いた伝書で知った。

 

 

だが使者曰く「ご心配なさらず。戦姫様は別に無理をしたわけではありません。寧ろ元気なぐらいです」と朗らかに言われたので、病気はどうしたのだろうという疑問が残るばかりだった。

 

 

疑問が氷解したのは、戦場に赴いたのちに聞こえてきたある男の噂。その男が、恐らくサーシャを癒したのだ。

 

 

その男に関して、考えると公国ライトメリッツの戦姫『エレオノーラ・ヴィルターリア』の表情が苦いものになる。

 

 

「……噂ではオステローデの戦姫もこの男に関わっているそうだが、何というか……好かないな」

 

 

「好かない?」

 

 

金髪の副官であるリムアリーシャ……リムの疑問に対してエレンは答える。

 

 

「巷では『戦姫の色子』などと呼ばれているそうだ。そんな男がサーシャの周りにいるなどサーシャの評価を下げるではないか」

 

 

「ですが相当に腕も立つそうですよ。今回の海賊討伐においても常に前に居て友軍の危機を救ってきたという話ですし」

 

 

「それも好かん理由だ。本来ならば、サーシャと共に戦場を駆け抜けるは私の役目だったというのに……」

 

 

どうにも納得がいかない答えだが、リムは目の前の主人がそこまで不機嫌な理由を何となくは察していた。ようは尊敬していた「姉」が「男」に熱を上げる姿など「妹」としてはあまり見たくないのだろう。

 

 

特にアレクサンドラは、そんな恋や愛に溺れるタイプには見えなかったので、エレンは少しだけ神聖視していた節がある。

 

 

そんな人を夢中にさせる男が、いくら人格的に且つ武芸者として優れていたとしても認められないだろう。

 

 

そしてその男は―――エレンと同じ剣士だ。得物の長短、形状の違いはあれども同じ存在を尊敬すべき相手が頼っているなど受け入れられない。

 

 

「私的な感情を公的に向けるのはどうかと思いますが」

 

 

「分かっている。どちらにせよ……リョウ・サカガミと会うことになるだろ。一度ぐらい会って礼を言ってやらなければならない」

 

 

礼と言うのが「御礼参り」のことでは無いかとリムは考えながら一応釘をさす。

 

 

「喧嘩も売らないように」「それは相手次第だ」

 

 

リムに返しながら、今頃リプナの街では戦勝の祝宴が続いているのだろうと思って―――酒の一本でも送ってやるべきだったかと夕焼けから夜へと変わろうとしている窓の外をエレオノーラは見る。

 

 

†  †  †  †

 

 

宴と言っても宮殿内部における祝宴ではなく一種の立食パーティーを野外で行う。リプナは港町なので港に近い所では多くの飲食店が、明日のための英気を養うための料理を作っている。

 

 

またレグニーツァの公宮においても主はいなくともささやかな宴をしているらしい。しかしその殆どはこちらの街―――もはや祭も同然の所にみんなしてやって来た。

 

 

思い思いの相手と飲みあい、それぞれの相手とダンスを踊り、そして情が通いあえば「愛」を睦みあう。

 

 

「それがこういう無礼講の宴のいいところですよね。ということでリョウ、私をエスコートしてくださいな」

 

 

「別に構わないけど……ヒールが高すぎないか?」

 

 

ドレス以外には装飾品は着けていない。いつも髪に乗せていた赤薔薇も無く、その青みがかった長い黒髪こそが最高の装飾品であり、それを映えさせるのが着ている衣服。

 

 

純白のドレス。いつも着ているものとは違い白薔薇だけの意匠を適度に盛り込んだそれを着ているティナ。

 

 

野外ということもあってかあまり裾が長いものではなく、どちらかといえば短いスカートタイプのものになっている。

 

 

そしてその美脚を映えさせるための靴の高さが、少しだけ不安になる。

 

 

だが、自分にあまり腰を落とさせないために履いているのだということは分かったので、それ以上は言わないでおく。

 

 

怪我をしたならば、自分が何とかすればいいだけだ。腕に腕を絡ませて、パーティーの中心。多くの上流階級が少しだけ毛色の違う宴を催しているところを赴く。

 

 

現れた自分とティナの姿に両公国の関係者と王宮関係者達は様々な視線を絡ませてくる。それを風と流しながら、リーザとサーシャ、そして王宮に近いと言われている「交渉役」パルドゥ伯の前に向かう。

 

 

「この度の海賊討伐見事でした。アレクサンドラ様、エリザヴェータ様」

 

 

「白々し過ぎるよ。けど……ありがとうございます。サカガミ卿。あなたの助けもあって無事に終わりました」

 

 

サーシャが苦笑をしながらも、それが礼儀だと理解して紅いドレスの裾を摘まんで一礼をする。同じくエリザヴェータも、紅紫(マゼンタ)のドレスを同じくしてこちらの礼に応えた。

 

 

「で……何で、ヴァレンティナはひっついているのかな?」

 

 

「もちろん『妻』たるもの『夫』のエスコートで社交界に出るのが儀礼じゃないですか、だから雇い主であるあなた達にも同じく礼をしたでしょ?」

 

 

「いつからそんなことが決まったのかお聞かせ願いたいものです」

 

 

剣呑な睨みあいになろうとしている三人から、抜け出す形でもう一人の賓客に挨拶をすることになる。

 

 

「ヤーファより参りました。リョウ・サカガミと申します」

 

 

「堅苦しくならなくて結構ですよサカガミ殿。王の代行として参りましたユージェン・シェヴァーリンです。とりあえず一献どうぞ」

 

 

灰色の髪を長く伸ばして、同じく顎鬚も灰色の―――四十を超えていると見られる男性にお酒を薦められて、グラスを打ち合うと同時に、飲み干す。

 

 

「この辺りのお酒はどうですかな?」

 

 

「なかなかにいいですね。ただ私には少し甘い気もします」

 

 

そうしてとりあえずこちらも持参した酒を注ごうとした時に、機先を制してパルドゥ伯は、違う酒を薦めてきた。

 

 

「ではこちらはどうでしょうか? なかなかに強いですから倒れられぬように」

 

 

そうして挑戦的な笑みと共に注がれた酒は―――澄んだ水のような色をしている―――、一気に煽ると喉を焼き尽くさんばかりの熱を感じる。

 

 

「これはなかなか……」

 

 

「火酒(ウォトカ)というものでして、この辺りでは身体を温めるにはこれが一番なのです。郷里の酒とどちらがよろしいですか?」

 

 

「いやこれは凄いです。とはいえ私だけ酌をされるのも失礼なので、こちらをどうぞ」

 

 

取り出した酒枡―――檜で出来たそれに、同じく澄んだ水のような色をしている『清酒』を注いでいく。

 

 

「閣下、まずは自分が毒――――」

 

 

「失礼なことを言うな。サカガミ殿は、何も疑わずに飲んでくれたのだ。私が疑うわけにいくか」

 

 

側で控えていた従者の言葉に申しわけないと頭を下げながら言ってきたユージェン殿に、こちらこそ恐縮する思いだが、それを一気に煽るこの人は自分が暗殺されるという意識が無いのだろうか。

 

そして飲み干すと同時に、感嘆の声を上げた。

 

 

「これは……旨い。いや、私としては火酒よりも好きになりましたよ。もう一杯いいですかな?」

 

 

まさか手酌をさせるわけにもいかないので、ユージェン殿にお注ぎしますと一言いってから、枡に三分の一そそぐ。

 

 

「コメから作ったものですから口に合うか心配でしたが、その様子では良さそうですね。とはいえ冷(ひや)だけでは身体を冷まします」

 

 

「ほう、つまりこれは温めても飲めるのですか?」

 

 

「火酒は無理ですか?」

 

 

「ここまで酒精が強すぎると、火にかけただけで燃え上がりますよ」

 

 

確かにと思いながら、お互いに持ち寄った銘酒を飲み干すと同時にパルドゥ伯は切り出してきた。

 

 

お互いに胸襟は開き切ったからだ。

 

 

「―――ヴィクトール陛下は今回の事で、あなたと会いたいと申しています」

 

 

「先に断っておきますが、私はヤーファにおいては今のところ官職とはほぼ無縁です。仕えていた女皇陛下から暇を出されてしまったので」

 

 

「ええ、あなた自身は知らなかったからかもしれないが、ジャーメイン王子の政体こそがジスタートが支援していたのですよ。サカガミ卿のことはそれなりに知っていましたよ」

 

 

眼を鋭くしながら言ってきたパルドゥ伯の言葉にため息を突きたくなる。

 

 

「……あの陣営の防諜がザルなのは知っていたが、まさか俺のことまで知られていたとは……」

 

 

ジャーメイン陣営で、それを言ったのは戦争も終盤に差し掛かっている時だっただろうか。如何に兵力に於いて上回っていても情報戦で負けたらば何の意味もないと。

 

 

自分にも「忍者」としての技能があれば、一も二も無く教えていたのに。

 

 

「だからこそ王宮としては、あなたの思惑を知りたかった。あのままジャーメイン王子をアスヴァ―ルの政体に乗せていれば、あなたの国にとってもジスタートにとってもよかったはずですが……」

 

 

「パルドゥ伯爵、いえユージェン様。あまりリョウの事を疑わないでください。リョウはただ単にそこに戦火があったから止めたかっただけです。まるで国益だけのためにそんな介入したかのような口ぶりはやめてください」

 

 

「ティナ。ユージェン殿の疑念はもっともだ。君だって王位継承権があるのならば、俺を疑うべきだ」

 

 

自分の為に怒ってくれているのは嬉しいのだが、それでもこの人の疑念には自分で答えなければいけないのだ。少しだけ気色ばんでいるティナを慰めてから、パルドゥ伯爵に向き直る。

 

 

「いや、すまない。ヴァレンティナ殿の言うことも本当は一つの可能性として掴んでいたのです。ですが今、少しだけあなたの人間性を垣間見た気がしますよ」

 

 

「戦姫の色子と呼ばれていることですか?」

 

 

自嘲しながら巷での嫌な噂を言うと伯爵は微笑を浮かべながら口を開く。

 

 

「そこまでご自分を卑下なさらずとも、口さがないものには勝手に言わせとけばいいのですよ。私も昔は「王に嫌な進言ばかりする厄介な側近だ」などと言われましたが、そんなことは己の行いに自信があればどうとでも撥ね退けられますよ」

 

 

「……とりあえずヤーファに西方侵略の意図も無く、その上で俺は武者修行の一環として西方に来たのです。その事はいずれ言いますし、女皇陛下の書簡も渡します」

 

 

「承知しましたよ。東方剣士リョウ・サカガミ。では―――若い者は若い者どうしで楽しまれるとよいでしょう。良い夜を」

 

 

失礼をするとしてここから退こうとしていたユージェンを引き留めてティナは、一応酌をすると言う。

 

 

「私も失礼な事を言ってしまったので、とりあえず一杯だけでも酌をさせてください」

 

 

「ありがたいが、私も妻と娘がいる身なので正装した若い娘から酌をされたなどと言えば……嫉妬されそうなので勘弁してくれるかな」

 

 

後でティナに聞いたのだが、ユージェン殿の奥さんと娘さん。特に娘はやんちゃな女の子らしく、礼儀作法を教わるくらいならば剣を振るっていたいとかいうタイプらしく、そんな家族の父親の悲哀を少しばかりその顔に見た気がした。

 

 

堅苦しい挨拶もそこそこに、様々な催しを戦姫達と見回っていく。

 

 

サーシャと流れの楽団の演奏を見ていた時に、気になることを言われた。

 

 

「三絃琴か……懐かしいな」

 

 

サーシャの言葉で視線の先を見ると、三つの弦が張られた楽器を見ている。自分の国にも似たようなものがあるが、それでもやはり国が違えば音色も違うのか見事なものだった。

 

 

「この辺ではどんな田舎にも一つはある楽器でね。僕もむかし母親に習わされたよ。こんなことが生きるために必要なのかと思っていたけれども今思えば何一つ無駄なことは無かった」

 

 

「俺も昔は剣だけを習っていればいいと思っていたが、それだけじゃなく色々と本も読めと言われた。唯一、弓だけは身に付かなかったが」

 

 

母親からは御稜威や文字の読み書き、外国の言葉も習い、師の一人でもあった父からは剣だけでなく色々なことを習った。

 

 

「違う領地を治める戦姫もこれに関しては自信があるとか言っていた」

 

 

「その戦姫って、前に言っていた人か?」

 

 

頭を飾るルビーのティアラを少しずらしながらサーシャは答えてくる。

 

 

「エレオノーラ・ヴィルターリア。ブリューヌとの国境近くのライトメリッツという公国を治めている戦姫だ。リョウとは長剣使いどうしだし、仲よ―――くならないでほしいなぁ……」

 

 

そのティアラの輝きが色あせるほどに暗い表情を見せるサーシャに苦笑をする。

 

 

「出しかけたものを飲み込むような真似はやめろよ。ただまぁ多分だけどその戦姫と俺は……合わないんじゃないかな」

 

 

言葉と同時に、楽団の演奏が終わりを告げた。

 

 

サーシャの言葉を疑うわけではないのだが、何となくそんな気がする。楽団の楽器はそれぞれ違うもので音色も違うが奏であわせると見事だが、弾いている人間どうしが仲良しとは限らない。

 

 

楽団の三絃琴を扱う女性と、名称は分からないが同じようで違う弦楽器の男性が睨みあっていたように――――。

 

 

 

―――――リョウ・サカガミとエレオノーラ・ヴィルターリアとの仲は良くないものになると予想をしていた。

 

 

 

†  †  †  †

 

 

「ティグルは何か事業を始めないのか?」

 

 

「事業……それをやるにはやはりお金が必要なんだ。何とか溜め込んでいるんだが、その後が問題なんだ」

 

 

セレスタの居館の執務室において、対面に座りジスタート文字の翻訳をしてくれている女の子の言葉に答える。

 

 

手を組んでため息を突きたくなるのは、何度となく考えては実行に移す段になれなかったもの。

 

 

しかしながら、何とかして実行に移したい事の一つである。

 

 

「馬を買う相手がいない……放牧をするための農耕馬だから、本当に信用ある相手じゃないと駄目だ」

 

 

「牛や羊じゃ駄目なのか?」

 

 

「それも考えたが、やはり馬だ。いざという時に乗り物としても使えなきゃいけないものは馬なんだ」

 

 

戦争の際の騎馬、旅人や商人の買い付けの際に使うものとしてもやはり馬が一番なのだ。

 

 

「ただでさえ平地が少ないアルサスなんだ。一つの家畜で様々なことが出来なければ、儲けが出ない……ただ馬を買う相手を探さないと……」

 

 

「―――幾らあるんだ?」

 

 

「これぐらい……オルガの領地ならば『ティグル、これだったらば番いの馬を三百頭は買える』え?」

 

 

こちらの言葉を遮って資料を読んだオルガは、どんぶり勘定だが、そのぐらいは買えると言ってきた。各村に十頭ずつ与えたとしても、二百頭ぐらいは使えるとあっさり言うオルガ。

 

 

彼女の領地には、どれだけの馬がいるのだと思うがそうではないと言ってきた。彼女のコネである。

 

 

「私の―――領地と親しくしている部族はいわゆる遊牧民なんだ。騎馬民族と言えば分かるかな」

 

 

「話だけならば、けれどいくら何でも三百頭を……こんな額で」

 

 

彼らとてジスタートの従属民族として税金も納めているだろうに、自分が求めるような駿馬を三百頭も出せるのだろうかと感じる。

 

 

「私が話を通せば割引が利く」

 

 

少しだけふんぞり返るオルガ。ティグルとしても嬉しいことではあるが、少しばかり不安要素もある。

 

 

「顔が広いのは理解したが……それは正しい取引なのかな?」

 

 

「商売の鉄則は正しい相手と交易をすることだ。その上で騎馬の民族ほど馬に関して詳しいものはいない」

 

 

そして、ティグルは少しだけ考え込む。自分の領地にはマスハス以外のコネは無いと言っても良い。

 

 

彼を伝って良い商人を紹介してもらうのも一つだろうが……何でもかんでも父の伝手を使うだけでは自分は本当の領主とは言えない。

 

 

そして目の前の女の子も、領主として何かを出来ないかを手探りなのだ。

 

 

「ものを直に見ることが出来ればいいんだけど……。とりあえずここを通る「隊商(キャラバン)」に伝言を頼めばいいかな?」

 

 

「その書状は私が書く。無論、連名ということで構わなければだけど」

 

 

「ああ、……やっぱりジスタート方面に行ってどんな馬か見たいな。いやオルガを疑っているわけじゃないんだ」

 

 

「分かってる。これはティグルの父上の代から興そうと思ってきた事業。それを失敗させたくないという思いがあるということも、けれども私を信用してほしい」

 

 

眼を輝かせてこちらを見てくるオルガ。とはいえ、ここまで連れてくるだけでも重労働なのだ。駄馬では海路、陸路ともわたりきれまい。

 

 

あからさまに悪いものを掴まされるわけは無いだろう。と思って―――オルガの一計に乗った結果。

 

 

 

――――――ティグルは予想以上の良い商いをすることになって、同時に彼女がただのジスタート貴族では無いのではという疑念を持つが、それはまた後々の話である。

 

 

 


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