空は快晴。波穏やか。海の様子はただただ穏やかであり平素のものだ。
だが、その海を走っていく船――――その船員たちも穏やかなのだが、一人だけ気分も胃の中も穏やかではない人間がいた。
青い顔をして、波を見ながら胃の中のものをもう盛大に吐き出していた。『オロロロロ』という声が嫌でも耳に入ってくる。
背中をさする幼竜プラーミャは吐いている女性。ヴァレンティナ・グリンカ・エステス―――ティナを本気で心配している様子だ。
「盛大に嘔吐するMFレーベル(?)の女性キャラってどうなんだよ……ついこないだは、大丈夫だったはずだろ」
「つまりこれは酔ったからではなく、悪阻(つわり)というものですね。はてさて私のお腹にいる赤ちゃんの父親は誰なのでしょうか?」
「あっ、やめて。そういう色んな意味で寒気がすること言わないで」
呆れながら言うも仕返しするかのように、口元を拭いながら、こちらに笑いかけてくるティナが本当に怖い。
しかし、それ以上にティナは辛いのだろうと思い、口を吹いてからもらってきた野菜―――汁気が多いトマトなどに塩をたっぷり振りかけてパンで挟み食べるようにいう。
「あー……なんか塩気が利きますね。空っぽの胃に沁み渡る感じです」
「塩は貴重なんだからな。ゆっくり食べろ。まぁとにかく落ち着いたならばなによりだ」
「そうですね。お腹の中のもう一つの命のためにも死ねませんし」
「そういう風な冗談、本当にやめてくれ」
リスのように野菜サンドを頬張るティナは、先程から冷視線を感じないのだろうかと嘆きたくなる。
その視線の元は、御厄介になっている軍の最高責任者である。無論、船長は他にもいるのだが、それでもティナの同輩である相手が最高責任者だ。
レグニーツァ軍の総大将。戦姫アレクサンドラ・アルシャーヴィン―――サーシャは、険しい視線をこちらに向けてくる。
仕方なく弁明のために彼女の近くに歩いていく。
「何というか悪いな。色々と騒がせてしまって」
「もう慣れたよ。君が来てからというもの僕の領地はお祭り騒ぎの連続だ」
「お前もその片棒を担いでいるの分かってる?」
皮肉に皮肉で返すとサーシャは、痛いところを突かれたかのように顔を固くする。
事実、こうして出征する前にもそういうお祭り騒ぎを彼女は起こしたのだ。ティナとサーシャの言い争いから市庁舎から逃げ出した自分。
それから数刻リプナの街を適当に歩いていると、まるで賞金首を見つけたかのような騒ぎが巻き起こった。
何事と思いながら、見ると――――お触れが出ていた。
「まさか俺を捕まえると金貨百枚だなんて……」
「ご、誤解だよ。僕は金貨千枚と言ったのに、文官が『そんな余裕はありません』って言うから仕方なく百枚で手を打ったんだ」
「そこは重要な問題じゃない。そこが問題じゃない」
恥じ入るように顔を伏せるサーシャには悪いが、そういうことではなく―――まぁつまり捕り物騒ぎの大騒ぎは市民、兵士、全てを巻き込んでのとんでもないこととなり。
火つけをしようとしていた海賊共の斥候を見つけたり、誰かの飼い犬を探したり、野外で逢引きしようとしていた恋人達を注意したりで、一日中走り回っていた。
市民たちは海賊騒ぎで暗い気分であったのが晴れたり、兵士は「鈍った体を鍛えなおせましたよ」などと、いい気分転換になったようだが、追われた側はたまったものではなかった。
「でも結局、リョウを捕まえたのは私でもアレクサンドラでもなく、プラーミャなのですから世の中分かりませんね」
近くまで来たティナが抱きかかえた幼竜を撫でながら、そんなことを言う。
そう。結局この捕り物騒ぎの勝者はレグニーツァ住民にとって馴染深いフラムミーティオの息子であるプラーミャであった。
どこかの路地裏で息を整えている時に、この幼竜が空からやってきて自分の頭に乗ったのだ。
今のティナのように抱きかかえるようにしたらば、その目は寂しそうに見えたので帰るために仕方なく路地裏から出ると捕り物騒ぎの勝者が決まった瞬間となる。
「金貨百枚分の骨付き肉は美味しかったかな?」
サーシャの問いかけに対して、プラーミャは言葉を理解したのか首肯してくる。
その姿にふと考えることがある。あの巨竜。火竜山の主フラムミーティオは、サーシャという戦姫に戦姫ミーティアの「四魂」を与えた。
それはもしかしたらば、プラーミャとサーシャとの間で友誼を交わせという意味なのかもしれない。
事実、「四魂」のルビーを持ったサーシャには何となくプラーミャの言いたいことが分かるそうだ。―――栓もないことを考えていたらば、美女二人から少し変な視線を感じる。
「僕が魅力的なのは分かるけれど、戦場で美女に見とれるというのはどうかと思うよ。一瞬の油断が君を捕虜にしてしまうかもしれない」
「私の魅力を再認識するのは、構いませんけれどそんなに見つめられると色々と濡れてしまいそうです」
何がだ。ということを言わずに、美女二人の戯言を無視して周囲の軍船を見る。かき集められるだけかき集めたレグニーツァの船団の数は四十二隻。有志を募った武装商船なども含めたその威容の中央の旗艦に自分がいる。
たかだか傭兵風情である自分がいるということに場違い感もある。むしろ傭兵集団の中で動きたかったのだが、これに関してはサーシャが頑として譲らなかった。
旗艦が先陣を切るなんてありえないというこちらの言葉に対して、『それならば旗艦が多くの敵を担うべきだね。僕の船には、火砲を全て搭載するつもりだから』
その言葉通り―――この甲冑魚号というガレー船の威容は従来の船の装備とは一線を画していた。
両舷側の火砲八門に船首にも砲を着けて、それよりも目を引くのは―――甲板を拡張するような形で作られた大きな円形の台座である。
船首付近に一つ、左右に二つ。どでかい車輪か円形の小屋のようなそれからも火砲を叩きこむための装備であり、舷側からでは打てない射角に対応するためのものだ。
「投石器にせよ大弩にせよ。射角は変えられませんからな。そういう意味ではこの兵器は革命的ですよ」
「敵陣に突っ込み―――至近距離から砲撃を叩きこむ―――それがこの「ガレアス船」の役目なんだけど……それを旗艦にするのは不味くないか?」
「おや? サカガミ殿は我らの力を侮っているので?」
「そんなことは無い。ただ戦姫に乗り込ませなくてもいいんじゃないかってことだ」
指揮船と攻撃船の区別ぐらいはあってもいいと思うのだが、船長であり軍団の指揮官でもあるパーヴェルキャプテンは、その強面な面構えで微笑を浮かべている。
彼とて自分がやろうとしていることがどういうことなのかぐらいは分かるはずだ。
「だが、戦姫様はそれをやろうとしているのだ。敵陣に突っ込むということはこの船が一番危険に晒される。必勝の策があれどもな」
「……誰も死なせない。俺の目の前に見える範囲でならば、俺は俺の剣を振るうことで全員を守る」
「ありがたいよ。我が船には生ける伝説が三人もいる。負ける気はしない」
「やっと見えてきたか」
船首に向かうと、燦々と輝く太陽の下でおぞましき髑髏の旗を掲げる大船団が見えてきた。それに遮られてはいるが、向こうに三十隻程の軍船が見えた。
掲げる旗が違うのを見れば、あれこそが件のルヴ-シュ軍なのだろう。
「背後を取れたことを喜ぶべきかな。それとも陽光で目を焼かれかねないことを嘆くべきか」
「前者に決まっているよ。決めていた号令を発しろ。ルヴ-シュ軍と歩調を合わせて海賊を殲滅する」
角笛と銅鑼、太鼓をリズム良く発する騎士達。だが―――攻撃は始まらなかった。返事として出されるべきルヴ-シュ軍からの応答が無かったからだ。
いや、応答はあった。だがそれは決めていた発令暗号では「否」というものでしかなかったからだ。
唖然としながらも、海域には沈黙が降り立つ。海賊からの攻撃も、ルヴ-シュ軍の攻撃もない静寂な海がある。
狐に化かされたような気持ちで、海賊船からの不意打ちを警戒していると、戦場を迂回してきたのか一艘の小舟がやってきた。
甲板にやってきたルヴ-シュ軍の使者であると名乗った戦士に警戒をしつつも、此度の仕打ちの内容を聞くことにする。
「その前にこちらを、アレクサンドラ様にと」
懐に隠していた文をパーヴェルはダガ―で封を切ってから、サーシャに渡した。
内容を一読したサーシャは、ため息一つ突いてから、こちらに読むように言ってくる。
「いちいちぐだぐだと長ったらしい修飾文だな。書いたやつの人間性が透けて見える」
「要約すると……『人質交換』まで待てということですか……ったくあの子は、こっちは準備万端でやってきたというのに!」
「怒るなよティナ。というか海賊がこんなことに応じるのか?」
「分からない。だが、今は一刻の猶予というものを信じるしかないね」
ティナを宥めつつ、サーシャに聞くと彼女も少し怒っている風に見える。
「何か異変があればそれは交渉失敗ということでこちらは戦いを仕掛けてもいいんだね?」
「はい。戦姫エリザヴェータ様も、そこに関しては特に何もおっしゃっておりません。ご迷惑をおかけしているのは重々承知です。ですが御寛恕いただきたく思います」
平伏しているこのルヴ-シュの兵士の言を疑うわけではないのだが、何故ここまでするのか理解が出来ない。
特にこの男の態度もだ。頭を甲板に着けて、平身低頭のままでいるこの男が戯れに首を刎ねても構わないとも付け足してきたので、少し理由を聞くことにする。
「……捕らわれているものの一人は私の妹なのです。馬鹿なことをしていたとしても、後先考えなかった者だとしても……助けたいのです」
泣き出さんばかりのこの男の言葉に違う意味でのため息を船員一同漏らさずにはいられなかった。
だがこれで、士気が少し砕けたのも事実だ。即座にこちらとしては初のガレアス船による戦闘といきたかったのだが、それを台無しにされたのだ。
全員の士気に影響が出なければいいのだが。
「果たして上手くいくかな」
「その前に人質を返すつもりがあるかどうかということだ」
「殿方の獣欲というものは際限がありませんからね」
単眼鏡の向こうに見える細身のガレー船の船団。その内の一隻が進み出て、海賊の船と接舷するのが見えた。
だが、その人質交換は順調には見えない。剣呑な雰囲気が完全な闘争になるまで時間はかからなかった。
進み出たルヴ-シュ軍のガレー船に火砲が吹かれた。三つの砲弾がガレー船を海に沈めていく。
「交渉は決裂だ。海賊共は、最初から人質を返すつもりはない」
「戦闘開始! 打ち合わせ通りに動け!!!」
こちらの言葉にサーシャは即座に号令を発した。これら一連の流れに怒りをぶつけたのは、ルヴ-シュ軍であった。
卑怯な不意打ちによって自軍の兵達が殺されたのだ。すぐさま報復を願う絶叫が聞こえていた。
それに構わずレグニーツァ軍は、戦闘行動を開始していく。
◇ ◆ ◇ ◆
「私の判断が兵士達を無駄な死に追いやってしまった……」
「しかし如何に戦姫様といえどもあの火砲という兵器の前では足場を無くしてしまいます」
「だからこそ……彼らは、向かってくれた。その死に報いるためにも―――海賊共を殲滅します」
海に沈んでいくナターリヤ号の船員を救助するための小型船を派遣するためにも目の前の―――壁を壊さなければならない。
ルヴ-シュの戦姫、エリザヴェータ・フォミナは、報復の声を願う兵士の声を聴きながらも現実に対処しなければならない理不尽に苛まれていた。
(八十隻もの船団を打ち破る策なんて)
目の前には八十以上もの船の壁だ。ナターリヤ号はその陣地の奥深くまで進出してしまっている。
レグニーツァ軍には大見得を切ってしまったのだ。動かざるをえまい。だがそれは壮絶な消耗戦にルヴ-シュ軍に巻き込まれるということだ。
「戦姫様!!!」
物見の声が聞こえて何事かと問い返すよりも先に、こちらからは4ベルスタは離れているはずだったレグニーツァの旗を掲げた船が海賊の船団の真ん中に進出してきた。
力ずくの突破に、誰もが何も言えなくなる。次の瞬間には―――さらに何も言えなくなっていった。
楽の音のように小気味の良い破裂音が、自分たちの耳に届いた―――。
海賊の船団の真ん中にいきなり突破を仕掛けてきた船に、海賊達は一瞬呆けてしまった。
その船の異様さもそうだが、常識を無視した行軍に本当にこいつらは軍人なのかと思ったのもある。
「周りは敵、敵、敵だらけだ。こんな中にいきなり出てくるなんて正気の沙汰じゃないな」
「
そしてその船のクルーたちは至極まっとうであった。この船はそれだけのことが出来るのだ。焔の戦姫は、甲板の中央にて黄金の小剣を振り上げて声を上げる。
「『砲戦準備』――――」
声に従い『砲列甲板』の船員達は砲弾を入れて火薬を仕込む。火種を導火線に着ける準備も完了している。導火線は発見されたものよりも短く次なるサーシャの声と同時に、放てるだろう。
突破を掛けられた海賊船達も、ようやくその船に自分たちと同じような装備があることを知って、顔を青ざめる。
遅ればせながら同士討ちを考慮しながらの遠距離攻撃の準備がされようとした瞬間に、サーシャは見透かしたかのように、黄金の小剣を紅蓮の小剣に振り下ろすことで最後の合図とした。
「赤炎の流星(フラムミーティオ)!!!」
声と同時に燃える鉄球は小気味よく船尾から船首の方に向けて、順番に吐き出されていく。
大音声の打楽器をいくつも打ち鳴らしたかのような音は出来の良い交響曲のようだ。もっともそれは海賊にとってははた迷惑な葬送曲であったが
それぞれの射角にいる敵船に正確に叩き込まれた砲弾の数々が、凡そ十隻の髑髏船を航行不能に陥らせた。
運が悪い船は一撃にして竜骨を叩き折られたのか二つに割れて海に沈んでいく。ほかの船も沈没する時間を遅らせているぐらいだ。
「ルヴ-シュ兵達を助けるためにも小舟を何艘か出すんだ。砲撃は続けろ!! 見えるのは全部敵であり的なんだ遠慮はするな!! 火竜山の竜王のご子息が作った炎を武器に海賊に煉獄の苦痛を味わせてやるんだ!」
「了解ですアレクサンドラ様!!!」「戦姫様をミーティア様のような悲劇の姫にはするな!!!」
指揮官であるサーシャの熱気が伝わったのか、意気を上げた甲冑魚号の砲兵達の攻撃は苛烈を極めて、十隻以上もの損害を出していった。更に言えば火砲を充填する前の弓、弩による矢や投げ槍が、海賊共に吸い込まれていく。
「まさか無理やり蹂躙戦に持っていくなんて……ちょっと印象を変えられてしまいますね」
「とはいえ、有効な策だ。さて―――このままこちらの思惑通りになってくれるかな」
船縁の射壁から周囲を覗き見ると、陣形を乱して勝手な行動を繰り返す連中と冷静に戦隊行動を取るのと半々だ。
奇襲の効果としては、不満ではあるが、それでも戦っているのは自分たちだけではない。
こちらの盛大すぎる合図と同時にレグニーツァ軍は背後を見せていた海賊船達に襲いかかっていた。
更に言えば自分たちが突破を仕掛けた時点ですら混乱が起こっていたのだ。もはやこいつらは烏合の衆となり果てている。
「戦は確かに数だがね。それを有効活用出来なきゃ何の意味も無いな」
怒号の音楽に、あちらも反撃を繰り出してきた。至近距離からの火砲の一撃が、甲冑魚号に当たろうかというのだが、既に回避行動を取っていた船には何の被害もなく側に盛大な水柱が出来上がった。
「―――火砲船は残り七隻だな」
「見えるんですか?」
「何となくだがな。それよりもルヴ-シュの人質がいる船がどれか見つけなきゃならない」
「……別に一緒に撃沈しても構わないのでは?」
「俺も正直賛同したいが……寝覚めが悪いだろ」
ティナの情け容赦ない言葉に視線でルヴ-シュの使者を示すと同時に、どの船かと考える。こういう場合。人質は軍団の指揮官の側か一番安全な場所にいる。
「一つ聞く。こちらから人質の姿は確認出来たのか?」
「はい。――――、その後こちらが接舷していた船に乗り込んだと見えたのですが……」
矢を防ぐ盾を空に構えて防御行動をしている使者の言葉に加えて、最初にどの船に見えたのかを聞く。
「あの黄色い髑髏船です」
それはここからも見えていた。至近ではないが、それでも赴けない「距離」ではない。概算ではあるが六百アルシンというところか。
丁度よく「八艘跳び」の進路が出来ている。他の連中には出来ないだろうが、俺ならば出来る。
「よし、このままじゃルヴ-シュ軍も思い切った行動出来ないだろう。俺が動いて人質を救出しよう」
「じっとしていられないのは分かりますけれども、まさか海中を行くわけではないですよね?」
「昔、俺の国の武士の一人は鎧を着けたまま船から船を飛んでいき、最終的には「神器」の奪取に成功したという伝説がある。それと同じことが出来るかな」
もっともその船はこのような大型船ではなく小型・中型船だったようだが、それでも弓の名手である宿敵との戦いに勝利するためにそのようなことが出来た東国武士の伝説はティナほどではないが、英雄譚に憧れる気持ちとしてあるのだ。
「サーシャ勝手な行動悪いけど俺は他の船を片付けるついでに、人質を助けてくるよ。いくら混乱しているとはいえ、数は海賊が多いんだからな」
「ルヴ-シュ軍を自由にするためですから、ご安心を」
面白がるようなティナの言葉にサーシャは驚きの顔をこちらに向けてきた。
「ちょっと待―――」
サーシャの戸惑った言葉を聞きながらも、甲冑魚号の船縁に足を掛けて、百アルシン先にある船―――もはや沈没する寸前のそれに向けて跳躍をした。
丁度よく甲板に着地をすると残っていた連中が驚愕していたが構わず沈没寸前の船縁に足を掛けて再びの跳躍。
今度は百五十アルシンほどはあるか、そして次なる船は五体満足だった。そして火砲船である。いきなり空から降ってきた男に甲板中から奇異の視線が注がれる。
「お初にして―――おさらばだ!!!」
名乗りとしては陳腐だったかもしれないが、次の瞬間にはこちらが振るった乱刃のそれによって命が絶たれたのだから。
十数名を切り殺すと同時に、やはり冷静さを取り戻した船長の一言で行動が再開される。
「て、敵だ!! 殺せ!」
「味方殺しの汚名を着たくなきゃ慎重になるんだな」
一人を相手に集団が一斉にかかってくる人数というのは素人であれば三人が精々である。こちらの警告を受けた海賊が止まった。
思考という停滞の時間が一刹那生まれる。その瞬間にリョウは斬りかかっていた。疾風神速という言葉の体現かのように前方の集団の合間を駆け抜ける。
駆け抜けると同時に、リョウが船首の舳先にまで到達すると前方二十数名が既に息絶えて倒れこんだ。
何が起こったのか、周りは分からなかっただろうが、見るものが見ればすれ違いざまに全員の急所を一撃必殺して殺したのだと理解できる。
痛みも感じさせぬ死撃を食らって倒れた仲間達の死体を踏みながら、他の海賊共がやってきたが、その時点で敗着の一手であった。
斬ったのは何も―――人だけでは無かったのだ。殺到した海賊共の重みは通常ならば支え切れていただろうが―――斬られた「甲板」には無理だったようで船首の半ばから崩れ落ちて海へと落ちる。
それに巻き込まれないように既にリョウは退避するように飛び跳ねて、海賊の後ろに降り立った。崩れる甲板と共に海へと落ちていく海賊。
船首が半ばから無くなり、既にバランスを欠いた船の沈没はまつばかりだが―――それを許さないかのように、プラーミャが炎を吐きつけている。
外からも見えている船内の砲列甲板の連中に対してだ。火薬に引火したらしく船のあちこちから火柱があがり、沈没の時間が早まったようだ。
「全く早すぎますわ。追いかけるにも体力いるんですからね」
「君だったら追っかけてくれると思っていたんだ。信頼しているんだよティナ」
同じく沈みゆく船の縁に立つ貴人の姿を確認すると同時に、次なる船の姿を見る。今度は味方の船だ。五十アルシン先にあり、接舷した敵船と格闘戦を挑んでいる。
そこに足を向けようとしたが、ティナがこちらの袖を引っ張って、何かを要求してくる。表情から何を要求されているのかは分かるのだが、今いるのは船上であり戦場なのだ。
場違いではないかという気持ちでいながらも、女一人の重さを守れず何かを守ることなど叶わないだろうな。と思い直して、ティナを抱き上げる。
「アレクサンドラがいたらば嫉妬で斬りかかってきてますね」
「勘弁してくれっ!!」
笑う彼女の言葉に応えながら再びの跳躍。碧海、碧空を切り裂き戦姫と侍が飛んでくるなど誰も予想はしていなかった。
サムライ―――鬼の剣士は無邪気に、されど確固たる意志を以て飛翔し、運命を切り裂いていくのだった……。
(後篇へ続く)