路面には至る所に水溜りが出来、その水面にさらに雨粒がぶつかり波紋を広げている。
そんな当たり前の『雨の光景』のさなか、東方仗助はスタンド使いに襲われていた。
「――シャッ!」
敵スタンドは低い唸り声を上げ、仗助との距離をどんどん詰めて行く。
――早い!
水溜りと水溜りの間を高速でジャンプし、こちらに迫ってくる様は、まるで本物のイルカのようだ。
そしてついにスタンドが仗助の射程距離に入る!
「ドラァッ!!」
目の前の水溜りに敵がジャンプしてきた瞬間、クレイジー・ダイヤモンドはその強大な拳で敵を殲滅すべくパンチの連打を浴びせる。
時速300キロを越える(仗助談)高速パンチの雨アラレが地面の水溜りに一斉に降り注ぐ。
破壊されるアスファルト。
空に四散する破片。
水溜りは完全に原型をなくし、何かに爆撃されたかのように地面に大穴を空ける。
だが、敵を倒したという手ごたえが無い。
その瞬間、仗助の背後で敵・スタンドの声がした。
「後ォ!!」
「――っ!?」
重力を失った感覚。
何をされたのか一瞬分からなかったが、自分のふくらはぎ辺りが強烈に傷む事を考えると、どうやら足払いをかけられたようだ。
バランスを崩し、後頭部から地面に落下する仗助。
その宙に浮いた体をクレイジーダイヤモンドがとっさに庇い、地面に直撃は回避された。
――だがどうしてだ?
あの水溜りからその先にはジャンプしていないはずだ。
なのにどうやって、自分の背後に回った?
――仗助の目でも追えない超高速で動いたか?
(……違う。あれはそんなもんじゃあねぇ……。例えるなら、まるで地面の下に通路があってそこから現れたって感じだ。これも野郎の言う『スタンド』の能力の一つか)
仗助は自分のスタンド『クレイジーダイヤモンド』の能力を思い浮かべる。
『破壊した物体を修復する能力』があるのなら、『水と水の間に異空間を作り出し、そこから自由に出入りできる』能力があってもおかしくないと思ったからだ。
「……なんかよぉーー。2順、3順と思考がグルグルと回転しているみたいだなぁ? まあ、正解を教えてやるとだなぁーー、恐らくその中の一つは正解だぜぇ」
敵スタンドは中指を立てながら勝ち誇った顔を浮かべる。
「なぜ、わざわざ答えを教える気になったか不思議か? 答えを知っても意味がねぇからだよ。俺のスタンド『
「!?」
まるでオーケストラの指揮者のように両手を大きく広げ、
それは決して親切心から来るものではなく、状況を理解させ、より深い絶望を仗助に与えてやる為の悪意溢れるものだ。
仗助もその事を理解したから迂闊に踏み込まない。
思考をフル回転させ、敵を分析する。
敵は(どういう理屈かは知らないが)水面がある所なら自由に泳ぎまわれる能力を所有している。
その能力は驚異的で、水溜りと水溜りの間を高速ジャンプしてきたり、奴が『水面の世界』と呼ぶ水の空間から瞬間的に出入りできるというものだ。
水の中という縛り付き、スタンドのサイズが小型。という制限はあるだろうがこの状況では驚異的と呼ぶにふさわしい能力だろう。
「お前とガチバトルするだけで1億。ブッ倒せば3億。組織から貰える算段になってんだ。
たった数分のバトルでそんだけ稼げるなんてヨォーー。
まさに『
『フォレスト・グリーン』は、「ギャハハハ」と口元から鋭い牙を見せながら高笑いする。
それに対し仗助は「笑えねぇ」と真顔で答える。
「ん? なんか言ったかぁ?」
「全然笑えねぇって言ったんスよぉーー。俺が心底『
テメーをボコボコにぶちのめして病院のベッドに栄養チューブに繋がれている所を確認した時だけだからよォーー」
「……それは俺のセリフだよ。もっとも……、ククククッ……。病院より葬儀社を手配しなきゃならんかもだがなぁッ!」
『フォレスト・グリーン』の上半身が水溜りの中に沈んでいく。
まるでその水溜りの下が底なし沼になっているように、ズブズブと沈んでいく。
やがて完全にその姿を水溜りの中に隠した。
これがこのスタンド『フォレスト・グリーン』の能力だった。スタンドは亜空間を通り、液状のある所ならどんな所からでもその姿を出す事が出来る。
この場合は仗助の一番近くにある水溜りから顔を出すつもりだ。そしてその鋭い爪先で仗助を死角から攻撃するつもりなのだ。
――もっとも仗助もその事には気が付いている。現状では勝ち目は3割程度。まともにぶつかってはタダでは済まない。
だからより勝率を上げる為に、『敵を正面から叩く』という作戦を変更する。
それは、つまり――
「なにっ!? 逃げた?」
『フォレスト・グリーン』が水面から顔を出すと、そこには自分に背を向けて走る仗助の姿があった。
そう、仗助は『逃げた』。
だが決して敵にビビッて逃げ出したのではない。
相手の得意な土俵で戦う事を避け、より勝率が上がる状況に持ち込む為の『戦術的撤退』だった。
「フンッ。なかなか……冷静じゃあねーか。あれだけ
『フォレスト・グリーン』はすぐさま仗助の追撃を開始した。
☆
雨の街を仗助はひた走る。
見通しの良い通路を避け、右に左に何度もビルを折り返し、出鱈目な通路を通り走り抜ける。
出切るだけ、人通りの多い場所へ、
「?」
この雨の中、傘もささずに街中を走る特徴的な髪型の学生に、すれ違った人々は怪訝な顔をする。
もっとも、「六月だし春の終わりのこの季節、変な奴もでくるよなー」程度の感覚だったので、すぐに仗助に興味をなくしていったのだが、当の仗助自身にはこの行動こそ状況を変える為にも必要な行動だった。
(野郎の能力……。『水面の世界』に入る事のできる能力……、だがその時どうやって『俺のいる場所』を特定できるのか。恐らく足音だ……。足音で俺のいる位置を特定し、近くの水面から攻撃してくる。だったら、人通りの多い場所にいる限り、野郎は『水面の世界』から顔を出さざるを得ない!)
至る所に出来た水溜りを注意深く凝視する。
前後、左右、僅かな変化も見逃さない。その中で何らかの違和感を見つけ出す。
(いやがったッ!)
仗助の後方3メートル、水面からジャンプを繰り返しこちらに迫ってきている。
「――シャッ!
『フォレスト・グリーン』が仗助に追いつき飛び掛る! 鋭い爪先を振りかぶり、首筋を抉り取るつもりだ。
「――ッ!」
仗助はとっさに体を横にずらし攻撃をかわす。それと同時に芝生に生えていた木が嫌な音を立てて崩れ落ちた。
『フォレスト・グリーン』の一撃がちょうど仗助と同じ軌道上にいた木の幹を完全に破壊したのだ。
スタンドは小型だがあの爪の切れ味は一級品のようだ。
もしあれが自分の体だったなら……
破壊された木を見て仗助の背筋に「ゾ」っとしたものが走った。
「うぉおおおおおっ」
仗助は吼えた。自分に気合を入れる為、あふれ出す恐怖の感情を押し留める為、自然に声が出ていたといっても良いだろう。そのまま飲食街へと走り続ける!
※
「――さーあ!『元祖・ドローリ濃厚ジャンボとんこつラーメン!』麺4玉、スープ1.5リットル! その重量何と2.8キロという超難関を挑戦者はどう切り抜けるのか!? 制限時間の20分はもう目前だぁーーーー!!」
「むぐぐぐぐぐぐぐぉおおおおお!!!!」
とあるラーメン店にて、今まさに激闘の時間が終了しようとしていた。挑戦者のツンツン頭の学生は顔面を蒼白させ、胃から逆流しようとするラーメンを必至に押さえ込み、どんぶりに残ったラーメンを全て飲み込もうとしている。
このラーメン。量は別にしても価格にしておよそ5千円もする。そして味はとてつもなく『マズイ』。
それでも彼が挑戦しているのは単純明快。達成者には賞金5万円と、永久割引券が貰えるからだ。
貧乏学生の彼にとって食費が浮くのはこの上なく『おいしい』。
そして今日の彼はとても空腹だった。
そこで意を決してチャレンジを開始したのだ。
最初の難関、アツアツの濃厚スープをいかに胃に流し込むのかがポイントだった。冷えるのを待っていたらとても時間が足りない。火傷を負うのも覚悟の上で挑むほか無かった。
そしてラーメンに挑む事数十分。勝敗は学生の根性勝ちで決着がつきそうだった。
麺は全て胃に収めた。後はこのスープさえ飲み干せば!
周りのギャラリーも少年の勝利を確信し、「もう少しだ」「頑張れよっ」とエールを送り始める。
店長は既に諦め顔で割引券をピラピラとめくっている。
そして学生はラストスパート、全身全霊を全てこめ、スープに口を付け――
店の入り口が破壊された。
「ブボッ!!」
学生は思わずスープを吐き出した。
入り口の窓ガラスをぶち破り、入ってきたのは東方仗助だった。
「悪りぃ! ちょいと邪魔するぜぇ!」
そのままずかずかと店内へと侵入し、奥の入り口を見つける。
突然の乱入者に店内の全ての人間がぽかーんとした表情で仗助を見ている。
仗助はきょろきょろと周りを見渡すと舌打ちする。
「――追いつかれたっ」
破壊された前方の扉から雨が侵入し、水溜りを作る。そこから『フォレスト・グリーン』が上半身を出し様子を窺っているのを確認する。
「あそこからいくしかねぇ。悪ぃ店主! もう一度、ぶち壊すぜぇ!」
奥の入り口を見つけた仗助は『クレイジー・ダイヤモンド』で入り口ごと破壊し、店内から脱出する。
「シャアアアア!」
一方の『フォレスト・グリーン』も仗助の後を追う為、今いる水面から学生のどんぶりに残っているスープへとジャンプする。そしてすかさず破壊された入り口から姿を消す。
「えーーーー……」
後には最初と同じ姿で固まった常客達だけが残っていた。
不思議な事に、あの奇妙な学生が破壊したと思われるドアは、全て元に戻っており、「本当に夢でも見たんじゃないか」と常客達は互いの顔をつねり合ったという。
破壊されたままだったのはツンツン頭の学生が今まさに平らげようとしていたラーメンのどんぶりだけだった。
残っていたスープがビチョビチョと滴り落ち、テーブルに白濁した水溜りを作り出している。
「あのー……、これって、ノーカン……ですよね?」
ツンツン頭の学生は恐る恐る店主に尋ねる。
すると店主は満面の笑みで
「アウトー♪」
と親指を立てた。
「ふっ、不幸だぁーーーー!?」
後には学生の絶望にも似た叫び声だけが店内に木霊していた。
※
(――そろそろか)
店内を出て再び街中を走る仗助は本格的に街の情景の違和感を見つけ出そうとする。
それは街行く人々の違和感だ。
目の前には傘を指した学生達が、仗助を怪訝そうに見て通り過ぎていく。だが仗助がジロリとひと睨みするととたんに視線を外し、さっと歩み去っていく。
もちろん仗助は彼らに対し睨みを聞かせていたわけではない。その中から違和感を見つけるために観察していたのだ。
仗助は考えていた。自分と同じ『スタンド』と呼ばれる能力を相手も持っているのなら、その人物の射程距離は如何程なものだろうかと。
仗助の『クレイジー・ダイヤモンド』の射程距離は約1m。その分力も強く近距離に特化した人型の形状をしている。
では敵のスタンドは?
超絶なスピードを誇り、瞬発的な破壊力もある。だがあの小型の形状は、どうみても格闘に特化した形状ではない。恐らく『クレイジーダイヤモンド』の拳を受ければ、確実に大ダメージを与えられる。それ位脆そうな印象があった。
そしてあの場にスタンドを操っているであろう敵の本体はいなかった。
それはつまり遠隔操作型のスタンドで、こうして仗助が逃げ続けていれば確実に本体も移動せざるを得ないという事。
ならば見つかるはずだ。
この雨の中、必至こいて
走りながら傘を差して追いかけるなんてマヌケな事は敵はしない。
かといってずぶ濡れ状態で追いかけてたんじゃすぐにバレる。
だとしたら考えられる事はただ一つ、そして仗助の視線がその人物を捕らえた。
「――ようやく、お目にかかれたなぁーー。この雨の中、『その格好』はよく目立つぜぇーー!」
仗助はぴたりと逃げるのを止め、人影に隠れながらこちらを追撃していた人物に向かい、叫ぶ。
街の人々は一瞬、誰の事かと驚き、周りを見渡す。
その中で、一人だけこちらを凝視している人物がいた。
黒いレインコートを被った、年齢は20歳くらいの若い男。
男は、自分が見つけられるとは夢にも思っていなかったようで、うろたえた視線をこちらに送っていた。
「てめー……最初に『カップルの前を通りがかっていた奴』だなぁ?
そのレインコートは見覚えあるぜ。
こんな短時間でヨォーー……『同じコートの奴』に出会う確率ってどれ位だろぉーーなぁーー!」
仗助はレインコートの男に向かい突撃、『クレイジー・ダイヤモンド』を出現させ、男を攻撃する。
この時点で男が敵のスタンド使いである確率70%。
確証に至るにはまだ証拠が足りない。
しかしそれももうじき『100%』に変わるだろう。
「ドラァア!!」
男に向かって拳を放つ。
それを水面から現れた『フォレスト・グリーン』が阻止し、逆に仗助に鋭い蹴りを食らわす。
「がっ!?」
弾かれ、歩道に生えている茂みに体ごと突っ込む仗助。だがこれで確証は『100%』、決まりだ。
この男は『スタンド使い』、倒すべき本体だ。
「……へへへ……、まさか見つかっちまうたぁよぉ……少々お前ぇを侮っていたのは確かなようだなぁ」
茂みから身を起こし敵と対峙する。レインコートの男はフードの下から「にやり」と口元を歪ませ、いやらしい笑い声を上げる。その表情に『怯え』や『焦り』といったものは感じられない。変わりにあるのは『余裕』とか『有利』といった相手を見下した感情だけだ。
「まあ、多少は驚いた事は確かだぜ、『多少』はな。だが状況はさっきと何も変わってねぇぜ。近距離型のお前ぇのスタンドじゃあ、どうあがいても俺の『フォレスト・グリーン』を突破して攻撃してくるなんざ出来やしねえからなぁ!」
男のスタンド、『フォレスト・グリーン』が水面に同化する様に吸い込まれ姿を消す。
そして仗助の死角を突いて水面から攻撃する!
鋭い爪の一撃が仗助の背後から迫り来る!
「ドラアアアアア!」
その一撃を『クレイジー・ダイヤモンド』の拳で何とか防いだが完全とはいかない。かわし切れなかった爪の一線が『クレイジー・ダイヤモンド』の筋肉質な片腕に真一文字の傷を作る。
「――ッ!」
とたんに仗助の右腕から鮮血が滴り落ちる。恐らく学生服の下は血にまみれている事だろう。
仗助は傷口をかばいながら『クレイジー・ダイヤモンド』で反撃する。
傷を追ったとはいえ豪腕のラッシュ。触れるものを破壊する砲弾の様なパンチの雨あられだ。食らえば確実に相手を再起不能に出来る。
そう、
「ドララララララララララララララララララララッ!!!!」
「ケケケッ! こっちこっちぃいいいいいいいい!!」
当たらない。
『クレイジー・ダイヤモンド』の
その反応速度に『クレイジー・ダイヤモンド』は追いつけない。いや、『目は追い付いていても体がついていかない』といった方が正しいか。
一方の『フォレスト・グリーン』は亜空間の中で正確に仗助の足音を把握し、動きを止めた所をすかさず攻撃する! 仗助を攻撃する為の最適の位置、――水面―― を探し、攻撃を仕掛けてくる。
「ドラァッ!」
仗助のクレイジー・ダイヤモンドはスタンドの変則的な動きについていけず、『敵が近づいた』という勘で拳を放つ。しかしそれはあまり良い成果が出ているとはいえなかった。
出てくる水面を予測し先に攻撃しても空振るか、粉々に破壊されたアスファルトが増えるだけだ。
「おいおいおいおい。さっきの威勢はどうしたよ。さっきから地面に穴ぼこばっかり空けて、俺の方に攻撃が届かねぇーなぁーー! これじゃあ最初の頃と状況が全然かわんねーぜぇええ!!」
『フォレスト・グリーン』の爪が『クレイジー・ダイヤモンド』の背面を切り裂き、本体の仗助は背中に熱いものを感じ、膝を折る。だがその目はまったく戦意を喪失しておらず、再び立ち上がる。
「さっきと同じ? 違うね。俺は今希望に満ち溢れているぜ? お前ェが姿を現してくれたお陰でヨォーー。『テメーーをボコボコにする』ッつー『希望』に打ち震えてるんスよぉーー!!」
「なっ!?」
突如、仗助の学ランを突き破り、何かが空中を浮遊している。レインコートの男は一瞬ぎょっとし、目を凝らして『ソレ』を凝視する。
『ソレ』は尖った金属製のフレームだった。
だが何だ? あの形状、どこかで見たような……?
「そいつは、『テメーがぶっ壊した俺の傘』だぜ。それを俺の『クレイジー・ダイヤモンド』で『直した』」
「直す? 直したからどーだってんだ!? 状況見て考えな! このウスラトンカチがぁ!」
『フォレスト・グリーン』は仗助の言葉を戯言だと思い、再び攻撃を再開する。狙うは仗助の首筋、あのダメージを負った体では今度こそ防ぎようが無い!
「これで、幕引きだぁッーーーー!」
そして鋭い爪先で仗助に向かい攻撃を加える。
だが仗助は怯まない。それどころかその瞳の奥に宿るのは『勝利への確信』だ。
「――『直した』ッつー事は、『元に戻る』ッつー事だ。互いが互いを引き寄せ合って、バラバラになったものが『一つに』なぁーー!」
「なにぃーー!?」
宙に浮かんだ金属片はその鋭い先端を震わせ、やがて音も無く弾かれるようにして男に直進してきた。
「――!? ま、マズイッ! 『フォレスト・グリーン』! 戻ッ――!?」
身の危険を感じた男は瞬間的に『フォレスト・グリーン』を自分の下へと戻そうとして「ハッ」とする。
自分の『スタンド』は今、まさに仗助を攻撃しようとしている! つまり本体である自分を守るものは何も無い。
男の背後からは失った自分の破片を求めるように傘の破片が飛来し、これもまた男に向かって直進してくる。
再び一つに合わさり、元の傘へと戻る為に。
「勝利を確信してる時ほどよぉーー。人間ッつーのは『油断』するものなんだよなぁーー。テメーが俺の能力をどれほど知ってるのか知らねーが、ちょいとお勉強がお粗末だったんじゃあねーのか、おい」
そして傘は再び元に戻る。
……『直す』進路上にいた『レインコートの男』の体を貫通して。
東方仗助の『クレイジー・ダイヤモンド』。
その『直す』力は強力で、例え欠片一つだろうが大の大人を宙に浮かすことも可能な程強い。
その強靭な直す力と尖った金属片の先端。その二つの要素が凶器へと変貌し、男のわき腹を貫いたのだ。
「ひゅ――」
男は僅かな悲鳴をあげるとやがて地面に蹲る様にして倒れこんだ。
それと同時に『フォレスト・グリーン』も仗助の攻撃をやめ、姿を消した。
鮮血がわき腹から噴出し、濡れた地面を赤く染め上げる。
「がぁ……あ……あ……」
男は自分のわき腹を抑え、びくびくと痙攣している。
最後の瞬間まで信じられなかった。自分がやられるなんて万が一にも思っていなかったからだ。
――確実に勝てる相手だったはずだ、あの仗助というガキも重症で、後一息だったはずだ。なのに、油断した……
ほんのちょっとのミスが取り返しの付かない事態を招いたって奴か……
男の後方では完全に『直った』仗助の傘が地面に横たわっている。仗助はそれをゆっくりとした足取りで拾い上げると、その瞬間、あれほど降りしきっていた雨が止んだ。携帯を見ると「降雨終了」と表示されている。
相変わらず、この学園都市の
仗助は傘を静かに畳むと、横たわる男に歩みより胸倉を掴んだ。
「さてと……ちぃーっとばかし、お話いいーっスかねーー?」
「――ぁ……が……が……ぁ……」
息も絶え絶えな男に向かい、仗助は質問する。
「まず、オメーはどこのどなた様で、その能力をいつ身に付けた? 俺を攻撃して金を貰うッつってたが、命令したのは誰だ? ……ほら、いいなよ。言えば俺の『クレイジー・ダイヤモンド』で直してやっからよー」
「……う……ぐぐっ……」
「……いわねーんなら、このまま二、三発殴って病院送りにすッけど、そっちがお好みか?」
『クレイジー・ダイヤモンド』の拳をワザと大げさに振りかぶり、男を脅す。案の定、男は慌てふためき「わかった! 言うっ、言うよ」と怯えた表情で仗助の質問に答えた。
「……俺の名前は万丈健次郎(ばんじょう けんじろう)、第七学区の学生だぁ。この能力は薬だ。薬を打たれて実につけた」
「薬だぁ? そんな薬、聞いた事ねーぞ。フカシコイてんじゃあねーぞっ、コラ」
万丈は両手を広げ、「フカシじゃねーよっ」と必至な形相で首をブンブンと横に振る。この様子、冗談を言ってるようには思えない。話をもう少し聞いてみる事にする。
「ある夜よぉーー。俺の携帯に差出人不明のメールがきたんだぁーー。『能力を開花させる』とかなんとかって文面でよぉ。当時能力に伸び悩んでいた俺は、悩んだ末にこの言葉に乗る事にしたんだぁ」
万丈が言うには、ある廃屋の校舎に他の学校の生徒と共に集められた彼らは、そこで科学者と思わしき人物達から奇妙な薬を打たれたらしい。
「……その後はひどかったぜ。急な高熱にめまい、吐き気なんかが三重で襲ってきやがってよ。三日三晩、寝返りもうてずに苦しんだんだ。……だが、目が覚めたら世界は一変していた……『スタンド』と呼ばれる能力に、俺は目覚めた」
その時の万丈は怯えた様子は鳴りを潜め、どこかうっとりとした表情を浮かべて虚空を見ていた。
超絶に気持ちが悪かったので本題に入る事にする。
「……で、オメーに命令したのは誰だ? どこにいて、どんな感じの野郎だ?」
「わ、わからねぇよ……。命令があったのはやっぱりメールからだったからよ。
『東方仗助を攻撃しろ。場合によっては倒してしまってもいい。報酬は前金で3000万』
って感じのメールが来て、俺の口座に本当に3000万円振り込んであったからよぉーー。
これはおいしいと思ったんだぁ。もっと甘い汁が吸えるってよぉーー。へ、へへへっ……」
「……ご丁寧に俺がスタンド使いと知った上で攻撃するたぁ、ずいぶんと下に見られたモンだなぁーー。返り討ちにあうことも想定しないほど頭ノータリンなのか? テメーはよォっ」
「だ、だから悪かったって。スタンド能力に目覚めてつい調子に乗っちまったんだっ。
気が大きくなったッつーか。
お前もそーゆーのあるだろー? 能力を見せびらかしたいッつーか、天狗になった時期がよぉ。……へへ、へへへへっ」
万丈は必至に媚を売るための笑みを浮かべ、仗助の出方を窺う。あわよくばそれでこれまでの出来事をチャラにして貰うつもりなのだろう。そんな万丈の言い分を無言で聞いていた仗助は『クレイジー・ダイヤモンド』を出現させ、万丈に向かって突き出す。
「ひぃ!?」
「……確かによぉ。俺にだって『そういう時期』ッつーのはあったぜ……。だがよぉ、それでも『他人を傷つけよう』なんざ思わなかったぜ。……いきなよ。オメーの
『クレイジー・ダイヤモンド』の拳が引っ込んだ瞬間、あれ程わき腹に重症を負っていたはずの万丈の傷が、瞬く間に修復されていた。
「東方仗助、おめぇー……」
「…………」
万丈の問いに仗助は答えず、そのまま無言で万丈に背を向け、その場から立ち去ろうとする。
「――本当に『マヌケ』だよなぁーー!!」
満面の笑みを浮かべた万丈は『フォレスト・グリーン』を再び出現させると、今度こそ仗助の首を取る為、背後から忍び寄る。雨は止んだとはいえ水溜りは無数に点在している。仗助の死角を突いて攻撃を加える事など造作もないことだ。
「……仗助よぉー、世の中には『利用される人間と利用する人間』、『馬鹿を笑う人間と馬鹿を見る人間』の二種類しかイネー訳よ。この場合、当然俺様が前者でお前が後者になるよなぁーー!
俺の傷を治してくれたことは感謝してるぜ。おめー、『いい奴』だよなぁ。だが『いい奴ほど早死にする』っつー言葉通り、最後には俺様の貯金を増やすための踏み台になっちまうんだがなァーー!
『かくしてハンサムで聡明な万丈君は、東方仗助をぶっ殺して手に入れた大金で、何不自由しない暮らしを手に入れましたとさ』。ギャハハハハハハハッ!」
「…………」
高笑いをする万丈に対し、仗助は無言だ。数歩歩き、ビルの壁面を背もたれにすると、万丈に向き直る。
「――ったくよぉ……。自分の事ッつーのは本当に見えにくくなるモンだよなぁ。……いいぜ、こいよ万丈。テメーのスタンドで俺を攻撃してこいよ。俺はもう、一歩も動かねーからよーー。だが、覚悟がいるぜ? たった一回でも俺を攻撃したらよぉーー。オメーにはキツーイおしおきが待ってるからよぉーー」
学ランに手を突っ込み、万丈に対し脅しとも最後通告とも取れる発言を行う仗助。
視線は鷹のように鋭く、にらみを効かし、万丈を捕らえて離さない。
もちろんそんな言葉に耳を傾ける万丈ではない。
仗助の(この世からの)別れの捨て台詞と捉え、攻撃に移る。
「おしおきだぁーーッ!? 面白い、やってみなッ! テメーが生きてたらいくらでもやられてやるヨォーーッ! このスカタンチ●カス野郎がァーーーーッ! 死ねいッ!」
『フォレスト・グリーン』が水面の亜空間を潜行する。
そこは彼だけが通る事が出来る彼だけの世界だ。
そこは何も見えない漆黒の世界。
しかし音だけは通常の何倍にもなって聞こえる世界。
『フォレスト・グリーン』はその音を潜水艦のソナーのように識別し、標的である仗助の元へと文字通り泳いでいく。
上空、何も見えない漆黒の空間に一筋の明かりが見える。
よく見るとその明かりはあちこちに点在し、漆黒の空間に色を宿す。
この光が現実世界での液体・水溜りである。
点在する光を目指し、瞬時に移動し、対象を攻撃する。それが『フォレスト・グリーン』の最も得意とする攻撃方法だった。
仗助の位置は分かっている。
近くにおあつらえ向きの水溜りもある。
絶好の攻撃タイミングを計り、ついに仗助に攻撃する!
「死ィねェーーーー!」
水面から浮上し、仗助の真正面に水溜りから顔を出した『フォレスト・グリーン』は鋭い爪先を尖らせ、それを振り下ろすッ! ――――はずだった。
「――えッ!?」
体が動かない。動かないどころか体が完全に『固定』されてしまっている。上にも下にも逃げる事すらできない。
「な、なんでッ!? 体がっ!?」
驚愕する『フォレスト・グリーン』を見下ろし、仗助はニヤリと笑みを浮かべる。
完全に「してやったり」という顔だ。
「だから言ったろーが。自分の事ッつーのは本当に見えにくいってよぉーー。テメーが顔を出した所をよく見てみな」
「な、なにっ!?」
慌てて水面を見る。……いや、『正しくは水面だと錯覚していたもの』というべきか。
「俺のスタンド、『クレイジー・ダイヤモンド』は破壊した物体を元に戻せる。さっきバカスカ地面を殴ったついでにヨォーー。アスファルトを原材料にまで戻した」
「ま、まさか! 油膜ぅぅぅぅうう!? 俺が通ってきたのは水溜りじゃあなくて……」
「その油膜をよぉーー。『クレイジー・ダイヤモンド』で再び元の『アスファルト』に戻した。『液状の物体から姿を現す』ッつー能力が仇となったなぁ。この暗がり、そして水溜りの数だ。
ここで『フォレスト・グリーン』は、いや、万丈は「ハッ」とする。
「――気付いたか?
仗助は「さてと」とつぶやき、ゆっくりとした足取りで万丈の元へと歩み寄る。
動く事が出来ない。なぜならスタンドを『地面に固定されてしまって』、逃げようにも体が動かせない。
「……あ、あああ……」
「――俺、言ったよな? 『たった一回でも俺を攻撃したら、テメーに"きつーいおしおき"をくれてやる』ってよぉーー!」
脂汗がだらだらと流れ落ちる、動きたくても動けない。逃げ出したくても逃げられない。
『蛇に睨まれた蛙』とはまさにこの事か。この後待ち受けている惨劇を想像し、ガタガタと体が震えだす。
「……あ、はははーー。冗談、冗談ですよぉ~~。ぼ、僕がアナタ様を攻撃するなんて有り得ないじゃあないですか~~。ちょーっとしたジョークですよぉ、ジョーク……は、ハハハ――――ッ!?」
最後まで言葉が続かなかった。
仗助が『クレイジー・ダイヤモンド』を繰り出し、容赦なく、無慈悲なパンチの
豪腕から繰り出される拳のスピードは時速300㌔(推定)。
確実に物体を破壊できる音速の拳が万丈に突き刺さる!
「ドラララララララララララララララララァーーーーーーーーッッッ!!」
「――――――ッ!?」
『クレイジー・ダイヤモンド』の咆哮と共に
その繰り出される
頭蓋骨を粉砕し、
顔面を破壊し眼球を飛び出させ、
肋骨を折り、
両腕両足の骨、関節を砕き、
皮膚の間から折れた骨の一部が突き破る。
通常なら生命を落としてもおかしくない程のダメージだが万丈は死なない。
いや、『死なせてもらえない』!
「ドラララララララララララララララララララララララララララララララララララララララララァーーーーーーーーーッッッ!!!!!」
『クレイジー・ダイヤモンド』の拳が万丈の体を破壊した瞬間に、瞬く間に再生させる。
それでも破壊された瞬間の痛みは確実にあるのだから、気絶する事もできない。
破壊された瞬間に『直す』!
そしてまた破壊された瞬間に『直される』!
その繰り返される無間地獄に万丈の精神は付いて行けず、思考を停止させた。
心の中に『敗北』という二文字が深く刻み込まれていく。
「ドラァァーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーッッ!!」
「ぐぴぃぃぃぃぃぃぃぃぃーーーーーーーーーッ!?」
思い切り振りかぶった渾身の一撃!
万丈の体がトラックに跳ね飛ばされたかのように空を舞い、ビルの壁に叩きつけられてそのまま落下していく。
「………………」
両手両足があらぬ方向へひん曲がり、虫の息状態の万丈はそのまま体を痙攣させ意識を失った。
「――俺に怪我を負わせた分と、髪の毛を雨に濡らした分。釣り合いはまだ取れねぇが、これで"チャラ"ッつーことにしといてやるよ。……ところでヨォ。おめーはさっき、『世の中には二種類の人間しかいねー』とか宣ってたが、今のお前は確実に『
「………………」
もはや何も語らない躯状態の万丈に対し、仗助はそういい残しその場を立ち去った。
万丈健次郎。スタンド名『フォレスト・グリーン』。
全身を複雑骨折。全治五ヶ月の重症で病院送り。
再起不能――リタイア――