こんな夢を見た。
それは忌まわしきディオ・ブランドーの夢。
夢の中でディオは誰かと戦っていた。
自分より背丈の高い、学ランのいかつい学生と異国の地で激戦を繰り広げている。
互いが知略の限りを尽くし、時には有利に、時には危機に陥りながらの死闘は、学生が繰り出した渾身の一撃で勝敗が決まった。
ディオはスタンドを、そして肉体を完膚なきまでに破壊され、その身を異国の地に散らした。
肉体は朝焼けの中に晒され塵と化し、風に運ばれ四散していった。
もし本当にこれがディオの末路だとするならば、完全に決着をつけれなかった身としては溜飲が下がるというものだ。
それにしてもディオを倒したこの学ラン男。何故だろう。
何処かで合った様な無い様な。
懐かしいようなそうで無い様な……?
そんな矛盾した気持ちを抱かせるのは何故なのだろう……
だがそんな感情も覚醒と同時に色が失せ、次第にあやふやなものへと変質し、やがて一部の感情だけを残して完全に忘れてしまった――
☆
東方仗助の朝は早い。
早朝6時には必ず起床し、まずは自慢の
仗助のリーゼントはあまりに特徴的なので、それだけ整えるのに時間を要する。そしてコレが決まるか決まらないかで一日の体調が左右されるくらい重要な儀式なのだ。
特に今日という日はバシッと決めなければ。それ位大事な日だった。
結局ヘアーセットに1時間を要し、仗助はようやく朝食の支度に取り掛かるのだった。
「――繰り返します。午前九時から始まった強制捜索は八時間以上にも及び、500人以上のアンチスキル等によって、応酬された段ボール箱を次々とトラックへと押収していきます。その量は膨大な数になり……」
テレビをつけるとおなじみのニュース映像が飛び込んできた。
ここ一週間連日報道されているMARによる違法な人身売買、及びに兵器密造問題。
表向きは『先進状況救助隊』として災害時における救助活動を主に行っていた組織が、裏では違法な薬物や兵器を売買し、さらにはチャイルドエラーの子供達を実験台に様々な常軌を逸した人体実験を行っていたという事実は、世間に衝撃を与えた。
アンチスキルは迅速な対応で関係職員を次々と拘束。組織に捜査のメスが及ぶ事になったのだが、ここで驚くべき事実が発覚する。
MARの代表を務めていたはずの『テレスティーナ=木原=ライフライン』が実は既に死亡しており、その後釜を実質二人の人間が担っていたというのだ。
草薙カルマと鏑木
資産家である鏑木が資金援助を行い、草薙が組織を影で操作する。実質的なクーデターだった。
だが、一部職員の内部告発によりその企ては阻止され、鏑木は逮捕。
そして実質組織の全権を担っていた草薙は今だ行方不明――。
というのが、仗助達が作ったシナリオだった。
一週間前、全てが終った後。
仗助達がまず始めに行った事は、自分達に関する証拠の隠匿、隠蔽だった。
捕えられたあすなろ園の子供達。
フェブリの出生と秘密。
草薙達の野望の真相。
そして救出活動に当たった自分達当事者。
それらの記録全ての消去だった。
尤もらしい回答は初春が既に捏造し、ネット上に内部告発として公開している。
残りの痕跡は可能な限り消し去り、どうしようもない部分はフェブリの能力で完全に消去した。
これで自分達に疑いの目が及ぶことは無いだろう。
「ま、ケンカ吹っ掛けてきたのは向こうだからな。これも自業自得ッつー奴よ」
テレビではアンチスキルのトレーラーに収監される鏑木の姿が映し出されている。
カメラのフラッシュにもまったくの無反応なその姿は、まるで廃人のようであった。そんな抜け殻の様な老人が、車椅子にひかれて収監されていく。
今後の焦点は責任能力の有無に集約されるのでは無いか――スタジオ内では専門家が訳知り顔でそう付け加え、番組の締めを括っていた。
「夢の末路……、分不相応な力に手を出した代償、か……」
チーンというトースターの音がする。
仗助はリモコンで番組を変えると、簡単な朝食を作る為キッチンへと向かって行った。
☆
待ち合わせの時間までまだ大分間がある。
このまま二度寝するのも何なので、仗助は外出することにした。ちょっとした気がかりがあり、それを確認しておきたかった為だ。
「あっちぃ……」
8月も中盤に差し掛かり、暑さは益々厳しくなっていた。
朝8時にも拘らずこの暑さ。日はアスファルトを照り焦がすかのように陽炎が立ち上り、数歩歩いただけで額からは玉粒の汗が噴出してくる。早くも自室のクーラーが恋しくなってきた。そんな中マンションの入り口付近に見知った顔を見つけた。
「あいつ……。この炎天下で何してんだ」
白井黒子だった。
黒子は持参した黒い日傘をくるくると回し、どこか憂いを帯びた表情で空を眺めていた。その視線の先には夏の風物詩である入道雲と、何処までも続く青い空があった。やがて視線を落とし仗助の存在に気が付くと、かあっと頬を赤く染め、途端にしどろもどろになっていった。
先程不覚にも綺麗だなとその横顔を見ていたが、どうやら見間違いのようだった。
「あ、あら仗助さん。こんな所で、き、奇遇ですわね」
「奇遇も何も、俺ん家の前だぜ」
「べ、別に。ただ、偶然通りがかって、その……、今頃高いびきでも掻いて今日という日を忘れているのでは無いかと思ったものですから……。け、決して仗助さんを待っていた訳ではありませんわよっ」
「ったくよぉ、待つならこんなクソ暑い中で待たんでも良いだろうに。素直に呼び鈴押しゃあ、コーヒーの一杯でもご馳走してやったのによぉ」
仗助が踵を返そうとすると、黒子は「ご心配には及びませんわ、水分対策はきっちりとしておりますの」そういって、手提げカバンから清涼飲料水を取り出して見せた。……やっぱり俺を待ってんじゃあないかよ。
流石に恋愛事情疎い仗助でもここまで明け透けだと流石に察する。黒子の自分に対し向けられる好意の視線に。思えば今回の事件以前にもそういった視線を何度か感じたような気がする。只その時は、黒子を
確かにルックスは悪くない。平均以上だと思いはする。
何しろ腐っても常盤台のお嬢様なのだ。礼儀作法の類は全て心得ている。
時折見せる所作にも、何処と無く気品の様なものを感じとれる。
体型の方は……今後の成長に期待しよう。
性格も、……まあ美琴絡みでは無かったら全うだ。芯のある正義感で、頼もしくもある。
こうして分析すると、好意を抱く程度には黒子の事は好き、といえる。
だが、実感が湧かない。
何しろ今までの黒子との関係は頼りになる相棒。という感じだった。それがいきなり数段階飛び越え男女の仲になるなんて、幾らなんでも飛躍しすぎて未来が想像出来ない。
それに最悪全ての考えは杞憂、考えすぎという可能性だってまだある。
下手に好意を黒子に見せ、万が一でもそれが間違いだったとしたら……
そんな事をグルグルと考えていると「仗助さん?」と黒子に怪訝な表情をされた。仗助は思考を切り替え即座に「なんでもねぇよ」と返す。大丈夫だ、俺は黒子にそんな感情を抱いてはいないし、黒子もそうだ。そう思うことにする。
俺と黒子の関係は何でも……
何でも……
「…………」
……何なんだろうな、俺の黒子の関係って……
「仗助さんはこれからどこに行かれますの?」
黒子がそう訊ねてくる。別段隠すことでもないので仗助は、「ああ、時間がまだあるから『あすなろ園』の方にちょっとな」そう答えた。黒子は納得した様子で「ああ」と呟く。
「そういえば、再開の目処が立ったのでしたわね」
「ああ、御坂には感謝しても仕切れねぇぜ」
鏑木によって捕らわれていた子供達は、フェブリの能力により全て解放された。肉体を取り戻し、記憶も当時のまま。なんら遜色のないまっさらな状態で元に戻る事が出来た。だがそこで新たな問題が発生する。子供達の帰る場所が無いのだ。『あすなろ園』は鏑木の願望を叶える為、選別された子供を育成する為だけに機能していた施設、その鏑木が逮捕された今、施設を運営する手段は何処にも無かった。
「私、ママに頼んでみる」
そういって名乗りを上げたのは以外にも美琴だった。
美琴の母、御坂美鈴を通して、彼女の父親に連絡を取ってみると。
「やっぱりさ、みんな一緒がいいもの。例えどんな意図で集められたにしても、あそこにはこの子達が築き上げてきた歴史とか絆があって、喜びも悲しみも、色んな事を共有した記憶があるもの。だから、無くしたりなんて出来ないよね」
そういって今だカプセルの中で眠る子供達に向かい美琴は、慈しむ様語りかけるのだった――
その後どんな取り決めがあったのか仗助達は知らない。だが、この短期間で施設運営の運びとなったという事実を持ってすれば、彼女の父親、御坂旅掛がこの学園都市においてどれほどの影響力を盛っているのかうかがい知る事が出来るだろう。
現在子供達は全員、木山の知り合いの医者が運営している病院でお世話になっている。
このまま何事も無ければ恐らく来週中には元のあすなろ園に戻る事が出来るはずだ。
「仗助さん、これをどうぞ」
「おい、どういうつもりだ?」
あすなろ園に行く道すがら、不意に黒子が手を差し出してきた。正確に言えば手にした日傘を差し出してきた。
「日中日差しが強いですから。このまま日射病にでもなられては堪りませんからね、ですのでお貸ししますわ」
「いいよ俺はこのままでも」
「いいんですか? そのままだと、自慢の
黒子の発言に仗助は「ぐっ」と喉を詰まらせる。確かに頭が乱れるのは許せない。しかしこの炎天下に女性を晒す真似は出来ない。だが、傘は一本しかない……。
散々考えあぐねた挙句仗助は傘を受け取ると、黒子の隣に並び立ち、傘を広げる。
俗に言う相合(い)傘という奴だった。
「ちょっ!? 仗助さん?」
「俺の方が背が高いからな、これで一緒に入れるだろ」
「いや、そうはいっても……」
「おい動くなよ。日差しからはみ出ちまうだろ」
炎天下の日中を二人肩をそろえて並び歩く。
歩く度に二人の肩口はどちらかに触れ合い、息遣いを近くに感じる。
暑い。
日傘で直射日光は遮断できているはずなのに、体感温度は数度上昇しているかのように熱かった。
結局、目的地まで二人は会話らしい会話をすることは無く、夏の太陽はさらに照りつけ、二人の心の距離を焦がすかのように燦燦と輝くのであった。
☆
「それにしても、変われば変わるモンですよねぇ」
行きつけのファミレス『joseph`s』で時間を潰していた美琴と涙子に、初春がそう切り出した。
3人が合流したのが30分ほど前、話題は今この場にいない黒子に集約されている。
涙子はオーダーしたオレンジジュースの氷を口に含み「そうだねぇ、まさかあの白井さんを落とす異性が現れるとはねぇ」ガリガリと砕いた。途端に頭にキーンとした感覚が襲い、涙子は思わず頭を押さえ込んだ。
「え、何の話?」一方の美琴は二人が何の事を言っているのか完全に分かっていない表情だ。
涙子と初春は「え、嘘でしょ」といった表情を浮かべ、顔を見合わせる。
「御坂さん、身近にいて分からないんですか? 白井さんの変化を」
「へ?」
「時折見せる憂いを含んだ瞳、誰かを思い返して付くため息、知らず知らずの内に思い人を追う熱を帯びた視線!」
「え、てっきり夏カゼを引いたものとばかり……」
「ちっがーーうッ! 恋ですよ恋! 白井さんは今、絶賛恋わずらい中なんですよ!」
身を乗り出し熱弁をふるう涙子。真正面に座っていた美琴は突然涙子の顔が近付きたじろぐ。だが、言われてみれば思い当たる節が無い訳では無い事に気が付いた。
「そういえば、ここ最近発情した犬のように襲ってくる事が無くなったわ」
「気付くのそこですか!? とにかく、芽生えちゃったんですよ恋心がっ。今この場にいないのだって、東方さんの所に理由を見つけて会う為なんですから」
そうだ。今までは「お姉さまぁ、お姉さまぁあああああッ!」と、隙あらば一緒に同行し、あわよくばその貞操を奪おうと尽力を尽くしていた黒子が、ここ最近おとなしい。その兆しすら見せない。これはある意味異常事態ともいえた。
その理由がまさか「恋」とは。
余りにも黒子とは縁遠い理由に、美琴はイマイチ現実感が湧かなかった。
しかもその相手が東方仗助とは。
ん? 待てよ……ひがしかた、じょうすけ?
東方、仗助!?
「嘘でしょ! あの軍艦頭とぉ!?」
美琴の絶叫が店内に木霊し、即座に厨房から現れた屈強な店主が笑顔で「ゲット、アウッ」と三人を炎天下に放り出した。
冷房の効いた極楽の様な環境から、セミの鳴き声が響き渡る灼熱地獄へ。
真夏の降り注ぐ紫外線に晒されながら、涙子と初春は今だショックを隠せない美琴を引きずり、休憩場所を求めて彷徨うのだった。今度こそ、時間までおとなしくしていようと心に誓って。
☆
あすなろ園にたどり着いた仗助達は、そこで新しく園長を務めることになっている女性と挨拶を交わし、園内の様子を見渡した。
園は絶賛改装途中であり、開園まであと数週間かかるとの事だった。
何しろ大量の子供達を攫う様な組織だ。辺りの機材や建造物など無遠慮で破壊して回ったに違いない。
俺の『クレイジー・ダイヤモンド』なら簡単に直せたのにな、と思うがそれは無粋な真似というものだろう。
園長は見るからに人の良さそうな感じで、笑顔を常に絶やさない人だった。小柄な身体で他の職員共々せわしなく、それでいて嬉しそうに働いている。この職業に誇りとやりがいを感じている、そんな感情がありありと見て取れる優しい笑顔だった。
「来週には開園予定なので、その際には是非当園を訪れてくださいね」作業の合間に園長がそう言ってくれた。これ以上長居するのも邪魔だろうから仗助は「はいッす。またボランティアに参加させて貰うッす」と返し黒子と共にあすなろ園を後にした。
「良かったですわ、園長先生が良い人そうで」
「ああ、やっぱこればっかは直接目で見て会話しなきゃあ分からねぇからな」
「
「さあな、何のことだか」仗助は口笛を吹きながら携帯で時間を確認する。
9時30分。ずいぶん長居してしまったが、予想の範囲内だ。これなら待ち合わせの時間に十分に間に合う。
「……いよいよ、お別れですわね」
同じく携帯で時間を確認した黒子が、感慨深げにそう呟く。
新生あすなろ園の施設と園長の人となりは確認した。
恐らくあの先生になら子供達を任せても大丈夫だろう。
なら当初の予定通り、彼女達を見送る為に集合場所に向かうことにしよう。
「ああ、今日はフェブリの、旅立ちの日だ……」
フェブリ達は学園都市を離れる。今日はその見送りの為に全員が集まる事になっていた。
☆
「――この街を、離れようと思う」
そう言って木山が切り出して来たのは、昨晩の事。
フェブリ奪還の成功を祝って開催された祝賀会が終盤に差し掛かった時だった。
ちなみにこの場には協力者である上条当麻や婚后光子らはいない。誘ったがやんわりと断られた。
自分達はあくまで手助けしただけ、こういう会は親しい人間だけで行うべきだ。というのが彼らの考えだった。
とはいえ、「ああそうですか」と鵜呑みにも出来ない。
彼らにはいずれ精神的に何か返さなくてはいけない。それが仗助達全員の総意だった。
だから今はその好意に甘えさせて貰おう。そう思って開催された祝賀会だった。
最近のネットカフェは集団でも難なく宿泊できるくらいの広さはある。おまけにカラオケルームまで完備しているものだから、先程からそれぞれの持ち歌を熱唱し大いに盛り上がっていた。涙子とフェブリ、美琴と初春は仲良くデュエットを行い、八雲は渋めの演歌。そしてトリとして仗助がとっておきの持ち歌を披露しようとして――この爆弾発言である。
ルーム内は静まり返り、伴奏のBGMだけが室内に流れていた。
「そんな、せっかく仲良くなったのに……」
真っ先に反応を示したのは涙子だった。彼女はフェブリを常に気にかけ、親身になってくれた一人である。だから木山の発言に衝撃を受け、そして納得が行かないのだろう。
「だって、もう敵はやっつけたんですよ? フェブリちゃん達を脅かす相手はもういないはずですよ? なのにどうしてっ」
「統括理事会の耳にフェブリの情報が入った。恐らく数日も立たずに捕獲作戦が実施されるだろう。フェブリの能力の特異性を考えれば当然の事だな」
「そんな……」
学園都市統括理事会。
学園都市を統括する人物で構成された最高機関である。
司法や行政、軍事から貿易に至るあらゆる事を掌握している、まさに学園都市の頭脳そのもの。
そんな人物達にフェブリが目を付けられてしまった。
木山がその事実を知ったのは彼女達が現在居候させてもらっている
あの救出作戦において、MARに保存されていたフェブリに関する情報は全て消去した。保存されていたデータは物理的にもそして電子的にも抹消できた。だが――
「完全には抹消は出来なかったということだ。MARと何らかのコネクションを持っていた統括理事会が、ハッキング行為で事前に情報を抜き取っていてもなんらおかしな事は無い。そして奴らはフェブリの能力の特性を把握し、すぐに対策を講じてきた」
フェブリの能力の弱点。
それは曖昧さ。
叶えたい願いが曖昧なほど、その効果を発揮する事は難しい。
今回の場合、『フェブリに関する全ての情報を消去しろ』と願えばたちどころに情報は消去されるはずだった。しかし抜き出されたフェブリの情報は、全てが電子空間に分解され、特殊なコードを打ち込まなければ呼び出せないほど細切れになっていた。
細切れにされた情報。それは最早只の文字の羅列、意味の無いものとしてしか映らない。だからフェブリの能力の効果は及ばない。
「バカヤロウッ! だったら、なんでここに来た。どうして逃げない! 身を隠さねぇんだ!」
仗助は思わず木山に詰め寄る。そんな状況でどうしてここに? こんなどこにも隠れられない場所にフェブリ達を連れて。完全な自殺行為ではないか。
木山は心底「ああ、そうだな」と自分に驚いているような様子で仗助に答えを返した。
「そうだな。私自身も驚いているんだが……多分、この会に参加したかったんだ。今を逃せばこうして全員集まることはまず無理そうだと思ったものだからね。そのくらい、居心地が良かったんだ。君達の事が、気に入っていたんだ」
木山は事の成り行きをただただ見守っているフェブリとナナシの傍に腰掛けると、二人の頭をそっと撫でた。
「フェブリとナナシには楽しい思い出を与えてあげたかったんだ」
「止めてくださいよ。そんな今生の別れみたいな言い方」全てを諦めたかのような言い方に初春が反論する。「困っているなら考えましょうよ! 必要なら私達、幾らでも戦いますよ!」
「そうですよ! だったらこういうのはどうです? 理事会の人たちの記憶を全部弄るんです。そうすれば――」追随するように涙子も言う、だが木山は首を振りその提案を却下する。
「……トカゲの尻尾きりだよ、それは」
「そうですわね……。例え佐天さんの案を実行したとしても上層部の人間の首がスゲ変わるだけですわ。彼らの代わりなんて掃いて捨てるほどいるはずですもの」
「そんな……」
黒子にも提案を却下されて涙子が悲痛な表情を浮かべる。だが涙子にも分かっていたはずだ。電子上に情報が隠匿されている以上、第二、第三の草薙は現れるという事実を。今こうしている間もフェブリを捕獲する準備は着々と進められ、フェブリ達はその身柄を狙われ続けなければいけないという現実を。
そんな四六時中心の休まることの無い生活、私なら耐えられないな……。フェブリ達のこれから辿る過酷さを案じて、涙子の頬に一筋の涙が伝った。
その様子を見てフェブリが椅子から駆け下りるとトテトテと涙子の元へと駆け寄る。その手をぎゅっと握る。
「フェブリ、ちゃん?」
「多分ね。終わりが無いの。鏑木や草薙みたいな人間は一杯いる。今回は何とかなったけど、次も大丈夫だってほしょうはどこにもないの。だからね、旅に出るの」
「旅……」
「ママとね、ナナちゃんね、三人で旅をするの。色んなトコを見て、色んな人にあって。絵本や機械だけじゃ分からなかった世界を旅して回るの。そしてね、いつかたどり着くの。フェブリ達が安心して暮らせる未来に」
「フェブリ……ちゃあん……」
フェブリの純粋な願いはきっと届く。そうじゃなきゃ許さない。
感極まった涙子はフェブリをギュッと抱きしめ恥も外聞も無くその場で泣き崩れてしまった。
「――明日の正午、私達は旅立とうと思う」
涙子が落ち着くのを待って木山はそう切り出した。
明日。本当なら今すぐにでも旅立たねばなら無いだろうに、こうして見送る事の出来る時間を設けてくれる心遣いが嬉しかった。
今日一日は心に区切りを付ける事にあて、明日は笑顔でもって送り出して欲しい、そんな願いを込めての『明日の正午』なのかもしれなかった。
「行く当てはあるのかい」と仗助は尋ねる。木山は「そうだな。とりあえず、海が見える場所がいい」そう言って遠い目をした。
「いつかフェブリと行こうと約束したんだ。ここでは無いどこか、絵本や想像ではない、本物の海を見せてやりたいとね」
「今は二人分ですけどね。主との願いは私との願いでもあるんですから」
今まで黙っていたナナシがクイクイと木山の服を引っ張ると、「ナナシも忘れないでね」とドヤ顔で自己主張してきた。これには木山も思わず苦笑を禁じえない。
「何と言うか……。世俗にまみれたというか、順応したと捕えるべきか、君はここ最近、益々人間味溢れてきたよな」
「そりゃそうですよ。生きているという事は変化を続けるということですから。これからもナナシはどんどんと変化を続けますよ。それにナナシはむしろこれからの生活が楽しみですよ。まだ見たことの無い料理、写真でしか見た事の無いデザート! 海という事は南国ですかね? という事でナナシはヤシの木ジュースが飲んでみたいです」
あまりのナナシのノー天気ぶりに、しんみりとした雰囲気がぶち壊される。それと共に辺りに笑い声が漏れ出す。
「くくくっ、そうだよな。しんみり見送るなんて俺等らしくないよな」
「そうですわね。今生の別れとは限りませんものね」
仗助と黒子は顔を見合わせ、揃って笑い声を上げる。
そうだ。これは旅立ちだ。学園都市という閉ざされた箱庭から世界への。世界を知るための希望の旅なのだ。
だから笑って送り出してやろう。その先にはきっと希望が満ちた世界が待っている。そう信じて見送ってやるのだ。
「ちょっと、私の顔で変なことしゃべんないでよ」
「何ですか元・主。そんなへちゃむくれた顔をして。そういえば胸に秘めた思いは成就されたのですか? あの上条とう――むがっ」
「わーーっ! それ以上しゃべるなぁ!」
美琴がナナシの口を必至の形相で塞ぎながら騒いでいるが、一体どうしたのだろう? 仗助は怪訝な表情を浮かべながらも、とりあえず無視した。木山に見送りの場所がどこなのか訊ねる方が先決だからだ。「ああ、それなら――」そう答える木山の回答を引き継ぐように、フェブリが元気一杯に答える。
「決まってるよ。フェブリとじょーすけ達が初めて出会ったあの公園!」
☆
レンガ造りの花壇にはラベンダーの花が彩りも鮮やかに咲き誇っている。あたり一面に咲き誇るラベンダーの光景を見ると、フェブリと始めて出会った光景が鮮明に思い出される。あの時フェブリは花壇の中で健やかに寝息を立てていて、それを見た仗助は「まるで妖精が眠ってるみたいだな」と、ガラにもない感想を抱いてしまった。
その印象は今でも変わらない。
自分に気が付き陽だまりの様な笑顔を向けるフェブリの姿は、周りの光景と相俟って、やはり妖精の様だった。
「じょーすけっ、きてくれたっ」
「よぉ、フェブリ」
公園には既に全員集まっていた。
八雲は「やあ仗助君、白井さん」と返事してくれたが、美琴は「遅いわよ」と少々嫌味めいた口調で非難してきた。後の涙子と初春は「わかってます、ええ、わかってますとも」的な達観的表情を何故か浮かべていた。仗助はそんな二人の不気味な視線をスルーし、「わりぃ、中々いいのが見つかんなくてよぉ」と懐から小さな包み紙をフェブリに差し出した。
フェブリは袋をあけ、中身を覗き込むと
「わあ、かわいい」
と目をキラキラと輝かせ、喜びに溢れた表情を浮かべる。
仗助がフェブリに手渡したもの、それは犬の形をしたクリスタルのキーホルダーだった。夏の日差しに反射して、キラキラと光り輝いている。
「ありがと、カバンにつけとくね」
そういってフェブリはリュックを「よいしょ」と降し、キーホルダーを小さなチャック付ポケットに付け始めた。いつもは見慣れない大き目のカバン、明らかに旅行を前提としたグッズを見ると、否が応でもフェブリ達の旅立ちを意識してしまう。
「全員、揃ったみたいだな」
その様子を後から見守っていた木山が声をかける。彼女の持ち物は白銀色のキャリーケースのみらしい。私物には余り頓着しない彼女の事だから、あの中には研究用の資料や論文くらいで、私服は現地で調達するつもりなんだろう。かつて”脱ぎ女”として都市伝説に名を連ねていた彼女を知る黒子は、そんな事を思った。
そしてもう一方のナナシのほうは白いワンピースに大きな麦藁帽子のみという、完全に旅行を満喫するつもり満々の出で立ちだった。コイツはホントぶれねぇな――仗助はナナシのお気楽娯楽さに心底感心した。
「……まあ、別れの挨拶は昨日の内に済ませてしまったからね。実を言うと何も言うことは無いんだ。だからこれはある意味”儀式”だ。私達と君達、お互いの心に区切りを付ける為の、互いがより良い未来へ歩みだす為の儀式だ」
木山はこの場にいる全員に視線を這わせると、頭を下げる。昨日言いそびれた言葉を全員に送る。
「ありがとう、君達のお陰で私達はこうしていられる。君達には感謝してもし足りない」そして頭を上げると「さて、これで私の儀式は終わりだ。後は各々自分達の儀式を済ませるといい」そういってやや照れたような表情ではにかんだ。
その後数分間は各々の別れの儀式が執り行われた。
「ううう、フェブリちゃあん、向こうに行っても私の事忘れないでよぉ」
涙子はフェブリに抱擁を行い、感極まってまた泣き出した。
「もう、佐天さん。笑顔で送り出そうって決めたじゃあないですか」
初春はそんな涙子の肩を優しく抱きとめ、フェブリ達に別れの言葉を述べる。涙子にはああ言ったが、彼女の瞳にもうっすらと涙がにじんでいた。
「八雲さん。老婆心ながらアナタの能力について警告を。もしアナタが平穏を望むのなら、能力の多様は控えるべきです。あなたの
「え? へ?」
八雲は別れの最中にナナシからある種警告とも取れる言葉を賜った。
お陰で彼だけ心の片隅にしこりを残す感じで儀式が終ってしまった。
「元気で、フェブリちゃん」
「うん。ミコトも元気で」
「……あんたも一応元気で。まあ、いつでもノー天気かあんたは」
「なんですかそれ喧嘩売ってますか。それよりまだうじうじと悩んでいるんですかね、心の中じゃアレだけ上条当麻の事が好きで好きで堪らないって――……」
「わかったぁ! ナナシちゃんっ、貴方とお別れになるなんて心底嬉し……悲しいなあ! あまりに悲しすぎてお姉さんヘッドロックかましちゃいたいくらい!」
「いだだだだだだっだ! 言葉で叶わないとすぐ暴力に訴える、なんという脳筋ッ。これじゃあ思いを寄せられる上条当麻の方が可哀想ですねっ」
美琴とナナシは……、相変わらずだった。
「……本当に、あいつ等は」
「水と油ですわね」
仗助と黒子は呆れ顔でその光景を眺めた後、気を取り直しフェブリの元へ。彼らなりにけじめをつけるために握手を交わす。
「ま、改まって言うことじゃあないが、元気でな」
「もし困った事があったらすぐに連絡下さいですの。世界中のどこにいても駆けつけますから」
「ありがとう、じょーすけ。ありがとう、黒子おねーちゃん」
フェブリは二人の手を両の手でそれぞれぎゅっと握り、嬉しそうに微笑んだ。
「じょーすけ、もう寂しくないね。お母さんの代わり、ちゃんといるモンね」
フェブリは仗助の母親のクローンだ。そして少なからず、母親としての記憶も保有している。それが別れを前にして噴出してきたのだろうか。以前映像で見た母親は最後まで仗助を捨てる事を後悔していた。その感情をフェブリが引きついているのだとしたら、無碍には出来ない。
別れの儀式が必要なのは仗助やフェブリ達だけでは無い、記憶の中の母親にも必要だった。
多分これが、本当の意味で母親との別れの儀式となる。
仗助は暫し熟考した後、「……ああ、お袋」とフェブリの中の”母親”にそう答えた。
「……もう、大丈夫だ。心配すんな。俺はうまくやっていけてるからよぉ」
「良かった。ずっと心残りだったから」
”母”は、心底安堵したような表情を浮かべ、瞳を閉じる。
もし――この言葉を使うのは嫌いだがどうしても考えてしまう。
もし、仗助の両親が彼を受け入れてくれたのなら、どんな未来が待っていたのだろう。
もし、仗助が本来の世界で生れ落ちていたのなら、どのような出会いが待っていたのだろう。
環境も、人生もまったく違うものに変わった自分はどんな未来を歩んでいるのだろう。
(――いや)
そう考えて仗助は首を振る。やはりこれは只の幻想だ。
妄想や願望といったものに近い。
何故なら仗助は『今、この世界』を生きているから。
ここだけが仗助の知る『本物の世界』だからだ。
「だから、大丈夫だ」そういって”母”の身体を抱きしめる。「俺は過去には捕らわれない。”今”をちゃんと生きるよ。仲間達と馬鹿やって、騒いで……だからもう、自分を責めるのはやめろよ”母さん”」
「ありがとう、仗助」
フェブリの両目から涙が一滴零れ落ちる。
それっきり”母”が出てくることは無かった。目の前にいるのはいつものフェブリで、大人びた母の面影は既に無い。
――さよなら、お袋。
仗助は心の中で母に別れを告げた。
☆
「それじゃあ、いくよぉ」
フェブリがキャンパスに絵を描く。願いを込めて描き始める。
描くのは勿論彼女の大好きなウサギの絵。
ウサギはフェブリが最初に与えられた絵本に描かれていたウサギの楽団がベースとなっている。いつか自分を連れ出してくれる希望の象徴。
スタンドはそんなフェブリの願いを汲み取り、描いたものを物体化させる。そしてウサギはキャンパスから飛び出すと、空間を捻じ曲げ
「――それじゃあ、今度こそ本当に……」
交わす言葉は散々言い尽くした。木山は短く会釈をすると「行こうか」そういって二人を促す。
「じょーすけ、みんな、ばいばい」
フェブリが手を振って皆を見る。だが仗助は「おいおい。まさかもう二度と会わねぇつもりか?」とその言葉に異を唱える。「え?」と戸惑う表情を浮かべるフェブリ。
「こういう場合はな、『またね』でいいんだよ。俺達はいつかどこかでまた出会う。そういう未来を、お前のスタンドは描き出せる。――だろ?」
仗助は悪戯っぽい笑顔でウインクしてみせた。
「だから『またね』だ」
「うんっ。じょーすけ、またね」
フェブリは嬉しそうに訂正すると、力いっぱいに手を振った。
「あ、そうだ」
フェブリは何かを思い出したように仗助の元へ、ポッケから水色の小箱を差し出す。
「じょーすけにお返し。困ったときにあけてみて。きっと力になってくれると思うから」
「? ああ、まあ、サンキューな」
先程渡したプレゼントのお返しだろうか、まるでクレヨンで描いた箱がそのまま飛び出してきたかのような少々歪さが残る小箱――というか十中八九そうなんだろう――からは何の重みも音もしない。一体何が入っているのだろうか? とりあえず開けるのは後にしよう。仗助は小箱を懐にしまいこんだ。
そしてその時は訪れた――
ウサギが作り出した空間の歪が大きくなる。フェブリ達がそれに飲み込まれる形で見えなくなる。
不意に大きな風が巻き起こり、ラベンダーの花々を揺らす。
仗助の瞳が思わず閉じられる。
舞い散った花びらがラベンダーの香りを鼻腔に運ぶ。
それだけだった。
たった一瞬、仗助が目をしかめた瞬間に、フェブリ達の姿は消えていた。
「……またな、フェブリ」
誰に言うとも無く仗助は、先程までフェブリ達が場所に向かって呟いた。
「会えますわよ、きっと」
その言葉を隣にいた黒子に聞き取られていたのが少々気恥ずかしく、仗助は思わず天を仰いだ。
空はどこまでいっても蒼く澄み渡っている。その空のどこかでフェブリ達も同じような景色を眺めているのだろうか? 仗助は異国の地へ旅立ったフェブリ達へ思いを馳せながら、夏の青空をいつまでも眺め続けていた。
☆
一人の少女を巡っての世界の命運をかけた戦いは終わりを告げた。これから彼らは現実の世界へと帰らなくてはならない。現実世界――この学園都市が、彼らの住む世界だからだ。
それぞれのメンバーは誰が言うことも無く公園を後にする。
八雲が消え、美琴が去り、涙子と初春もやがて公園から去っていった。
「お前は、いかないのか?」
一人残るつもりだった仗助は、未だ帰ろうとしない黒子に声をかける。
「……帰りそびれてしまいまして。良かったら、そこまでご一緒しません?」
そういって黒子が差し出したのは、出掛けに彼女が差していた黒い日傘だった。
もう少し感傷に浸りたかった仗助だったが、彼女の好意を無碍にも出来ない。結局は「……分かったよ」とぶっきら棒に言うと傘を受け取り、朝のように黒子の隣で傘を広げるのだった。
夏の日差しはまだまだ高く、午後から益々上昇しそうだ。
遠くの方でセミの声が木霊するなか二人して並んで歩く。
朝とは違い、気まずい空気は感じなかった。
ふと街中を通ると、オープンスタイルのカフェが目に入った。
まだ新しい、新装開店の店だった。この辺り一体は聳え立つビル群が日陰となり、心地よい空気が流れている。
仗助達はお互いに目を合わせるとカフェで一息つくことにした。
「はあ、生き返りますわね」
オーダーしたオレンジジュースを口に含み、黒子が感嘆の声を上げる。
「ああ、まったくだ。地獄に仏とはこの事だな」
アイスラテのグラスに口を付けながら、仗助はビルから吹く心地よい風に身を委ねる。
街路樹が風に揺れてサラサラと葉を揺らす。
緑をぬけてさす木漏れ日が地面に丸い文様をいくつも描き出している。
夏の暑さから解放された理想の空間がそこにあった。
「……なんですの? 人の顔をじろじろと見て」
「いや、何となくな。思えばおかしなものだなって」
仗助が苦笑して黒子と最初に出合った時を思い返す。あの時は確かバスの添乗員を盾にした銀行強盗に仗助がブチ切れ、かなり無茶な事をしてしまった。その時に向けられた黒子の視線の敵意丸出しな感じときたら……今こうして一緒に居られるのが今でも信じられない位だ。
「最初の頃はおっかねぇ女が出てきたものだって思ったんだがな」
「奇遇ですわね。私の方も何て暴力的な男なんでしょうと、あの時の評価は最悪でしたのよ。……それが今、こうしてお茶をご一緒しているんですから、人の縁なんてどこで繋がるのか分からないものですわね」
カラン。とグラスの氷をストローでつつきながら、黒子も最初の出会いに思いを馳せる。
思えば出会って数ヶ月の関係だ。それがこんなにも互いに意識しあう間柄になろうとは。ディオの言葉を肯定する気は無いが、運命とはこういう何気ない結びつきから次第に大きく膨らんで、人を結んでいくものなのかもしれない。
額に浮かんでいた汗が自然に引いていく。体感温度はかなり下がっているはずだ。
夏の暑さから一時的に開放された環境は、仗助に朝の出来事を回想させる。
それは仗助があえて考えないようにしてきた想いだ。
――俺は黒子をどう思っているのか。
――黒子は俺の事をどう思っているのか。
知りたくなった。
一緒にいて心地よさを感じる異性。それが好きと言う感情ならきっと仗助は黒子の事が好きのだろう。だが一歩踏み出せない。踏み出せば確実に今の関係が崩れるような気がして、踏み込めない。後一手、押しの一手が仗助にはどうしても必要だった。
「そういえば仗助さん、一つご相談したい事がありますの」
先手を打ってきたのは黒子だった。黒子は「
「その友人には男友達がいるのですが、これが絵に描いたような不良でして。客観的に見てコレにどうして惚れる要素があるのか今思い返してみても甚だ疑問が残る相手なのですよ」
それはアレだろうか。『雨の日に捨て猫を拾う不良』効果という奴だろうか。普段素行のよくない人間が見せる善行に惹かれるという、俗に言う『勘違い効果』。その男友達はよほどワルに違いない。
「でも完全な悪かと問われれば、そうでもなくて。その方なりのポリシーというか信念があって行動しているというか、悪い物にはきちんと悪いと言える人間というか」
「…………」
「合う度に口げんかをするような関係ですが、そのやりとりが心地よいというか。そんな関係がずっと続いたらいいのに思う程好感度が上がっていたというかなんというか……。とにかく、気が付いたらその方を目でつい追ってしまうくらい好意を抱いていたのですわ」
段々と黒子の口調が歯切れの悪いものに変わり、しどろもどろになり、聞き取りずらい物へと変化していく。
「友人にはお慕いするお姉さまがいたのです。派閥争いを諌めたその姿が大変お美しく、その姿を思い浮かべるだけで胸のあたりがモヤモヤとうずく。四六時中あの方の姿を思い浮かべてしまうそんな素敵なお姉さまが。ですがこの感情はこれまでに感じたことの無いくらい切なくて苦しい。たぶん、きっと、これが本当の”恋”なのでしょうね。思春期の少女が異性に抱くホンモノの恋心」
ここまで来ると馬鹿でも分かる。というか『私の友人の――』という時点で察しが付いていた。黒子も仗助同様に、同じ思いを、悩みを抱いていた。後一歩、踏み出したい。隣に並び立ち、その手を取り合いたい。だけど後一押し、勇気が足りない。
「只一言、”その言葉”を口にする事がこんなにも勇気がいる事とは思いもしませんでしたわ。だから言葉に出来ない分、態度で示そうとしたのですけれど……相手には気が付いてもらえず」
それは違う。黒子の好意には気が付いている。俺もお前と同じなんだ。仗助はそう叫びたかった。だけどその勇気が……どうしても自分ではその言葉が出てこない。後一押し、何か、きっかけが欲しい。
「あ」
そこでコツリと懐に当たる感触が。
――困ったときにあけてみて。きっと力になってくれると思うから。
フェブリの言葉が思い出される。何が入っているのかは分からないが、現状を打破する何かのきっかけになれば。そう思い仗助はその小箱を取り出した。
「それは、先程のフェブリちゃんの……?」
「なんつーか、今開けるべきだと思ったからよぉ」
テーブルに置いた水色の小箱を暫く眺めた後、仗助は意を決して蓋を開ける。
果たして鬼が出るか、蛇が出るか。
しかし箱の中身はそのどれとも違った。
そこにはどこかの部屋のものらしい鍵とメッセージカードが入っていた。
あら、ちょっとまて。仗助は鍵をまじまじと見る。
この形状、どこかで見たような……
《じょーすけからお姉ちゃんへプレゼントだよ。ちゃんと仲良くしなくしなくちゃ、だよ》
「ま、まさかっ!」
仗助は咄嗟にポケットに手を伸ばし、鍵を取り出す。ある! 俺の部屋の鍵は確かにここにある。だったらこの鍵は!? 合鍵? いつの間に作られた? そう思ってはたと気付く。フェブリの能力なら鍵をコピーする事など造作も無い事を。
仗助がうろたえた様子でいたのがよほど可笑しかったのか、黒子は口元を押さえクスクスと笑い声を上げた。
「ふふふふっ、フェブリちゃんッたら。ちゃんと意味が分かっていますのかしらね。異性の合鍵を受け取るという行為が、何を意味する物なのか」
「は!? え?」
「ふふふ、10歳の女児でも分かる程、明け透けな態度を取り合っていたのですわね、
思わず小箱を回収しようと手を伸ばす仗助。だが黒子の方が素早い。自分の手元に引き寄せ胸に抱く。
「ま、せっかくなんで貰っておきましょうかね。毎回
そういって済まし顔で鍵をポケットにしまった。これではもう回収できない。黒子は「そういえば、友人の話ですが」と再び”先程の話”を持ち出す。
「もう一つ、相談に乗ってもらえませんこと? 『……友人は偶然が重なって、思い人の合鍵を手に入れる事が出来ました。どうやら相手の不良もこちらに好意を抱いている様子。それが分かって友人の心は軽くなりました。実は両想いである事が分かったからです。すると、友人に悪戯心が芽生えました。どうしても、向こうの方から告白の言葉を聞いてみたくなったのです』」
そういって悪戯っぽく仗助を見る。
「……さて仗助さん。この場合、どうやったら相手に『好き』と言う言葉を引き出せますかしらね?」
「こ、この
まずい、完全に黒子のペースだ。恋する少女というものはここまで行動的になる事が出来るものなのか。仗助は心の中で舌を巻いた。
落ち着け、ここはクールになれ。主導権を取り戻すんだ。
確かに黒子の事は好きだ。今はっきりと分かった。だが、ソレを口にするのは恥ずかしい。というか黒子にこそ言わせてやりたい。
仗助がどうイニシアチブを取ってやろうかと思案していると、思わぬ横槍が入った。
突如けたたましい非常ベルが木霊し、銀行のシャッターを突き破り爆発が起こったのだ。
街の人々のどよめきは悲鳴へと変わり、中から数人のマスクを被った男達が出てきた。手にはボストンバックを抱えている。
「なんつーかこの光景、どっかで見たような?」
「仗助さんっ、何をのん気してますの! 強盗ですわっ。まったく、これからいい所だったというのに」
黒子が舌打ちをしつつ腕章を取り出し装備する。
「ちょっと片付けてきますわ! 学園都市の治安維持は
そういって黒子は一瞬で
「……ったく、退屈しねぇなぁ、この街はよぉ」
置いていかれた形になった仗助は苦笑しながら席を立つ。このままじっとしている? 冗談じゃねぇ、こちとら需要案件の真っ最中だ、ソレを邪魔した野郎にはキツーイオシオキをくれてやる。
「
現場では強盗団と黒子が対峙している。腕章を掲げ、投降する事を呼びかける。黒子の容姿に油断して、下卑た笑い声を上げる犯人達。いつもの光景だ。
そこに異物として仗助が立ちはだかる。
「そこまでにしときなよ。平穏な午後の
「仗助さん! 手をお出しにならないで! これは
「悪ぃがそれはできねぇなぁ。善良な一般市民として街の治安を悪化させるような真似をするヤツラを野放しになんてよぉ」
「というか仗助さんがしゃしゃり出てきたら余計事態が深刻に……っ!」
黒子が心配は的中する。
最早見慣れた容姿だが、犯人にとってはそうでは無い。必ず、
黒子が心配するのはそこだ。
仗助ではなく、犯人に身の危険が迫っているのだ。
「ンだ、テメェはァ!? ガキが出てきたと思ったら、今度はすんげぇ時代錯誤野郎が出てきやがったぞ。……プププッ、なんだあの頭?」
「ハンバーグでも頭に乗っけてやがんですかァ!? マジなんだよコイツ、アハハハハッ」
ああ、なんてこと……犯人は最も言ってはいけないキーワードを放ってしまった。
黒子は「あちゃぁ」と思わずこめかみを押さえる。
そして恐る恐る仗助を見る。
「……今、てめーなんつったッ」
ダメだ。完全に切れている。整えたヘアースタイルはビンッと跳ね上がり、額には青筋が浮かんでいる。
鋭い眼光は人殺しすら辞さないと、無言で訴えかけている。
あの状態では例え黒子の静止ですら聞こえないだろう。
止める為には文字通り頭を冷やさせる必要がある。
「ホント、退屈しませんわね。この街も、そして仗助さんも」
なんでこんな人を好きになったんでしょうね――黒子はため息まじりに「やれやれ」と呟く。だが、それも仕方ないのかもしれないとも思う。惚れた弱み。恋愛なんて、理屈をつけて行うものでもないのだから。
黒子は仗助と犯人を無力化する最短の方法を頭の中で算出すると、すぐさま実行に移す。
「テメー今、おれのこの頭のことなんつった! コラァ!」
「いい加減に、しなさいですのぉ!」
上空で黒子の声が木霊する。ソレと同時に大量の冷水が仗助達の間に降り注いだ。
露天でジュースを冷やしているイベント用アイスボックス。これを拝借させて貰ったのだ。
犯人達(&仗助)はたちまち面食らい、持っているバッグを地面に落とす。
――まあ、最終的な主導権は
そんな画策を心の中で巡らせながら、犯人を(ついでに仗助も)無力化すべく、
犯人の悲鳴とも取れる声。それと同時に仗助の「俺の髪がぁ!?」という絶叫に近い叫びが周囲に木霊した。
二人の日常は、今まで以上に慌しく。
人生と言う名の冒険の日々は、これからも続く――
とある科学と回帰の
色々と拙い部分はありますが、こうして無事に完結させる事が出来ました。
物語はここで終りますが、東方仗助の物語はまだまだ続く。そんな感じで終わらす事ができたと思います。
またいつか、機会があれば別の作品を投稿してみたいと思います。
応援の方、どうもありがとうございました。
とても濃密な一ヶ月間でした。