とある科学と回帰の金剛石《ダイヤモンド》   作:ヴァン

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ブレイク・ザ・ワールドダウン その②

 その偶然をなんと呼べばいいのだろう。

 切っ掛けはただの戯れ。

 八雲憲剛がフェブリの能力を模倣して作成した指輪から始まった。

 

『どんな願いも三回だけ叶えてくれる指輪』。

 

 そういう制約をかけたのも、多くの物語に登場するアイテムがそういう制限が掛けられていた為、それに習ったまでの事。特に理由は無い。

 本当に使い捨ての為だけに作った指輪だった。

 

 指輪は結果として二つの願いを叶えた。

 初春飾利と白井黒子。

 その両名の願いを確実に叶え、最後の一つの願いは佐天涙子を通過し、御坂美琴の手に渡った。

 

 だが――

 美琴は願いを躊躇った。

 確実に思い人に振り向いてもらう手段を手に入れたのにもかかわらず、それを願う事はしなかった。

 

 卑怯な気がしたから。

 まるでズルして満点を取るみたいで後ろめたかったから。

 やるなら正々堂々と、自身の心をぶつけ、努力して勝ち取りたかったから。

 だから美琴は指輪をそっと懐にしまいこみ、後で別の誰かに渡そうと思ったのだった。

 

 ……その後襲撃者の登場と共に身柄が確保された為、それは叶う事は無かった。だが、その間も指輪は美琴と共にあり、持ち主の願いを叶える時をじっと待ち続けていた。

 

――お願い。助けて、当麻――

 

 そして、指輪はあの時……

 草薙のスタンドにより意識を失わされる直前の美琴の願いを叶える為に、その能力を発動させたのだ。

 

 

 

 

「……どうして。当……、アンタがここに……」

 

 怪物達からの戒めから逃れた美琴は素肌を隠すことも忘れ、呆然といった表情で上条を見ていた。

 その余りの無防備さに、上条は顔を背けながらも美琴の体に触れる。

 

「あ……」

 

 その瞬間――まるで掛けられていた魔法が溶けるかのように、美琴の身体は元の14歳の肉体へと変換された。

 

「も、どった……の?」

 

 自分の顔の感触を確かめ、それから両腕両手、その肢体をまじまじと見つめる。

 全てが元通りだった。

 華奢だけど思い通りに動かせる。頼りになる自分の身体だ。

 そんな十数年来の友人に再会できたかのような懐かしさに打ち震えている美琴に、上条は「ほらよ」と何やら柔らかいものを投げて寄こした。

 

「……これ、私の……?」

 

 それは常盤台の制服だった。服のサイズと、僅かに漂う残り香から、美琴は瞬時に自分の制服だと実感できた。

 

「来る途中にゴミ箱に捨ててあったんで、一応持ってきたんだけどさ……」上条はチラリと美琴を見て「それにしてもお前、その良く分からん生物がプリントされたパンツはどう考えたってガキくさ――」

「死ねぇッ!」

「ぐはぁっ!?」

 

 無情にも放たれた蹴りが上条の顔面を捕えた。鼻血を噴出して倒れこむまでの十数秒。美琴はその間に瞬く間に制服にその身を包んだ。――こういう場合の女子の着替える速度って音速超えてんだな。と、上条は薄れそうな意識の中でそう思った。

 

「《バカな……たどり着けるはずは……この部屋にたどり着けるはずは無いッ。この部屋には幾重ものロックや仕掛けが施してあったはずだ。突破される事など万一にも……》」

 

 鏑木は動揺を隠せない。しきりに「ありえない」「バカな」を繰り返し、うろたえたそぶりを見せる。

 彼にはこの現状が信じられなかった。

 この場所は地下の最下層に位置する。

 最早誰にも進入できないように出入り口は封鎖し、保険として大量の罠を張り巡らせていたはずだ。それをこのたった一人の学生が、なんの致命傷も負わずに突破し、この部屋まで辿り付ける確率などあるはずが無いのだ。

 だが実際問題として目の前には上条当麻がいる。

 その現状を認める事が出来ず、鏑木は軽く取り乱していた。

 

「ん」

「? ――これってッ……」

「制服と一緒にゴミ箱に入っていた。実際問題、俺がこうしてこられたのはお前のお陰、らしいぜ?」

 

 上条が美琴に投げて寄こしたのは、その存在を彼女自身も頭の片隅に追いやっていた『あの指輪』だった――

 

 

 

 ――当初、指輪は美琴の願いをすぐに叶えるつもりだった。

 草薙に捕えられ意識を失うあの瞬間、目前に上条を転送させ、美琴を救わせるつもりだった。

 だが――その願いが叶うことはなかった。

 

 幻想殺し(イマジンブレイカー)

 あらゆる異能の力を無効化するというその特異な能力は、指輪の力すら強制的にキャンセルさせてしまう程強力なものだったのだ。

 もしも指輪に人格と言うものが存在したのならば、相当な焦りぶりだったろう。

 願いを叶える。

 ただそれだけの為に生み出された自分を否定する存在など、あってはならない。

 自分の存在理由の為にも、願いは叶えられなければならない。

 だから指輪は、別の形で願いを叶えることにした。

 

 その日。

 大飯喰らいの同居人により、家計がじわりじわりと圧迫していることに頭を悩ませていた上条の頭の中に声が響いてきた。

 

 ――たすけて。と

 

 最初は幻聴、もしくは家計ノイローゼにでもかかったのだろうかと思っていた上条だったが、その余りの切迫した助けを求める声にしかたなく問いかけることにした。

 

「あのー、何処のどちら様でしょうか? ひょっとして幽霊とか自縛霊の類の方ですか? それだったら、俺なんかよりウチの同居人に聞いた方が……」

 

―幻聴でも幽霊でも、ましてや怨念の類でもありません。

貴方に用があり話しかけたのです、上条当麻―

 

「お、俺ぇ?」

 

―御坂美琴が危険です。彼女の命はもはや風前の灯、いつ何時それが消されてしまうのか分かりません。ですから、力を貸して欲しいのです。貴方にしか彼女は救うことは出来ないのです、上条当麻―

 

「え、ちょっと待って意味分からんのだが。第一ミサカミコトって誰――っ!?」

 

 その時、上条の脳内にフェラッシュバックのごとき記憶の断片が挿入された。

 それは美琴の記憶。

 彼女が何と遭遇し、どんな状況に陥っているのか。それがまるでダイジェストを見ているように上条の記憶に挿入されたのだ。

 

「みさか……みこと……?」

 

 その記憶の中には自分とミサカミコトとのやり取りも含まれている。

 美琴が柄の悪い男達にナンパされているいる所に自分が割って入ったこと。

 その際のいざこざで彼女のプライドを甚く傷つけたらしく、以来顔を合わせるたびにケンカを吹っ掛けられている事。

 そんなろくでもない美琴との記憶の断片。

 

「う……ぐぁ……ああああああ……ッ!」

 

 これは、自分の記憶ではない。かつてこの学園都市で過ごしていた『上条当麻』のモノだ。

 ならそれは自分にとって、まったくの赤の他人のものと同じだ。

 なにしろ今の『上条当麻』には、日常生活を送る知識以外、何も入っていないのだから。

 そんな空っぽの自分の頭に、まったく知らない他人の記憶が混入してくる。

 自分の人格がまるで侵食されるかのような生理的嫌悪感に、上条は思わず嘔吐く。

 

「くっそ、なんだこれ、気持ち悪いし、頭が……」

 

―その右手で頭部に触れないで下さい―

 

 酷い頭痛と吐き気。とりあえずどちらか一方を何とかしようとした所、例の声がそれを止める。

 

―貴方の右手、とても奇妙です。どうやらその手で触れられると私の能力が及ばなくなってしまうようです。ですから、その手で頭部には触れないで下さい。私の声が聞こえなくなってしまいますから―

 

「そ、そんな事言ったって、お前……」

 

―心配なさらず、痛みはすぐに治まります―

 

 その言葉の通り、痛みはものの数秒で波が引くように収まった。

 後に残ったのは見知らぬ美琴という名の少女の記憶のみ。

 

―私は他人の願いを叶える。ただそれだけの為に生み出された存在です。そして現在の持ち主である彼女が願ったのが、『上条当麻に危機を救ってもらうこと』。ですから私はどうしても貴方に動いて貰わなければならないのです。何故ならそれが私の存在理由であり、使命だからです―

 

「まったく……勝手なことばかり言いやがって」上条は右手……はやめて左手で頭をガリガリと掻く。「いくら『御坂美琴』に関する記憶を俺に入れたからって、それで『以前の上条当麻』に戻れるわけじゃあねぇんだぜ。俺にとってはやっぱり赤の他人と同じなんだからな。俺に助ける義理はないんだぜ」

 

 指輪は答えない。ただ静かに、上条の回答を待っている。

 

「だけど、『上条当麻』ならそうする(・・・・)よな。お前が見せてくれた当麻(アイツ)は、誰かの為に命をかけられる奴だった。そんなアイツなら、見ず知らずの他人だろうが助けを求められた時点で必ず助けるよな。……なら、俺もそうしなくちゃ。あいつの……インデックスの為にも」

 

 上条は視線を同居人であるインデックスと呼んだ少女に向ける。

 

「う~~ん、むにゃむにゃ……とーま、おかわりぃ……すぴー」

 

 純白の修道着から美しい銀色の髪を覗かせた少女は、畳に大の字になって横たわり、非常に美しく無い姿勢で高いびきをかいていた。

 

「ほんと、寝てりゃ可愛いんだけどなぁ」

 

 上条はインデックスの寝顔を苦笑しながら頭の中の声に呼びかけた。

 

「……行こうか、俺は、どこに向かえばいい?」 

 

 

 アパートの目前に何故か(・・・)放置してあったアクロバイクに乗り込んだ上条は、指輪の誘導に従い第23学区を目指す。

 このアクロバイク、人力だが最高時速は50km/h以上出す事が出来、何をやっても倒れないという優れものだ。

 

「おお~早い早い。しっかしあんな所に都合よくアクロバイク(コイツ)が落ちてるなんて……。これもお前の能力か?」

 

―はい。『上条当麻を御坂美琴の元へとたどり着かせる』という条件下でしたら、私はあらゆる事象を操作する事が出来るのです―

 

「それって、もう神様みたいな力だな……」

 

 それから先は、指輪の独壇場だった。

 上条の通る道には何故か(・・・)人通りがまったく無く、停車による時間のロスもなくスイスイと進む事が出来た。仮にいたとしても通行人や車が自動的にこちらを避けてくれる。

 スクランブル交差点にいたっては、上条の姿を見るなり一斉に青へと変化する有様だ。これには流石の上条も笑うしかなかった。

 そしてなんら障害物の存在を気にする事無く第23学区へ。

 途中駆動鎧の大部隊が入り口を封鎖していたが、上条の姿を見るなりまるで気力を奪われたかのようにその場にへたり込んでしまった。

 

 意識操作、運命操作、事象操作。

 ここに至るまでに一体いくつの奇跡を指輪は起こしているのだろう。

 『御坂美琴を助ける』。

 ただその為だけに、一体いくつの人間の運命を指輪は操作しているのだろう。

 その余りの馬鹿げた能力に、上条は薄ら寒いものを感じずにはいられなかった。

 

 ――まったく。一体何処の馬鹿がこんな恐ろしいものを作り出したって言うんだ。

 

 そしてついに上条は、23学区にあるMARの敷地内へと侵入を果たす。

 台形の地下施設へと至る建物。

 上条が近づくとセキュリティロックが外れ、重い扉が開かれる。

 

―この施設の際下層部。そこに御坂美琴は囚われています―

 

 瞬く間にトラップの類が解除される。

 ゴウン、という何かがせり上がる音がし、非常用エレベーターが作動する。

 やがてエレベーターの扉が開く。

 これに乗れと言うことだろう。

 上条はゴクリと唾を飲み込むと、意を決してその中に飛び込むのだった――

 

 

 

「《――理解不能、理解不能、理解不能ォぉぉおおおッ! 全てが、完璧だったッ。全てがッ、私の、思惑通りに、進行していたというのにッ! 何故にお前の様な異物が現れるのかッァ! ありえない、ありえない、あァりィえぇなぁああああああイィィィィィィィッ!!!!!!》」

 

 鏑木が自分の理解の及ばない現象、事象を目の当たりにし、イレギュラーの存在である上条に対し、怒りを剥き出しにした憎悪の感情をぶつける。

 

「おい、おっさん」

 

 それに対し上条も激しく闘志の篭る瞳で鏑木を見上げる。

 巨大な水槽からはぶくぶくと水泡があわ立ち続け、旗から見たらまるで沸騰しているかのようだった。

 

「アンタが何処の誰かなんて知らねぇけど、幼い子供を拉致して、言うことを効かなかったら洗脳して思い通りにするなんてやり口、とてもじゃねーが同じ人間とは思えねぇ。そんな姿(・・・・)になっちまったから人間性すら無くしちまったとでも言うのか?」

「《だまれェッ! 青臭い若造がッ、知った風な口を聞くんじゃあない! この日の為に、私の理想を叶える為に、どれほどの歳月を注ぎ込んだと思っている!? それがもうじき叶うというのにィィィィ、何故お前のような矮小なカスが出しゃばってくるのだ!》」

「――訂正だ。アンタそんな成りをしているが化け物なんかじゃなかった。ちゃんと(・・・・)まともな(・・・・)只の変態だ(・・・・・)

 

 鏑木が「《フェブリィィィィ――ッ!》」と怒声をフロア全体に轟かせる。ビリビリとした音声振動による圧迫感が上条と美琴に襲い掛かる。それと同時に巨大な脳を収めている容器から、球体の様な光の玉が飛び出す。

 

「《フェブリッ! あの男を、イレギュラーをッ、この世界から消滅させろォォォォォォォッ!》」

 

 フェブリの意識は未だ鏑木の制御下に置かれ、その能力は自在に引き出す事が可能である。

 だから鏑木が願えば触れたものを消滅させる兵器を瞬時に作り出すことも可能だった。

 この光の弾は鏑木の意志のままに動き、任意の場所からの攻撃が可能。

 さらにエネルギーをチャージし、遠距離からの狙撃も出来ると言う、物理法則をまったく無視した出鱈目なシロモノだった。

 

「《お前のような存在はァッ、私の理想とする世界には不要ぉぉおッ! 聖域に足を踏み入れることすらおぞましいッ! 消え去れェ、この世界から、痕跡すら残さず塵へと還れェェエエエエッ!!》」

「ッ!」

 

 それはエネルギーを溜め込むかのように収縮をし、光を増幅させると、一筋の線熱を上条へ向かい放射された。

 

「《死ィィィねェえエえええエ――ッ!》」

「――ッ!!」

 

 だが、鏑木はそこで信じられないものを見た。

 その収縮されたビームの熱線を、上条はなんと! 右手一つで(・・・・・)受け流したのだ。

 放射されたビームが上条の手の中で分散し、その威力を消滅させる。

 

「……効かねぇんだよ。悪いがよ」

「《ゲェッ!?》

 

 上条はまるで準備運動にもなら無いという顔で、広げた手の平を握る。

 その先にいる鏑木に向かい、己の拳を突きつける。

 それは上条なりの宣戦布告の合図だった。

 

「《馬鹿なッ!? 馬鹿なバカなッ馬鹿なァッ! このような理不尽ッ、このような不合理ッ! 許されるはずが無ぁぁぁあい! お前は、一体、なんなのだぁッ!》」

「……人間さ。あんたの言う、矮小で、ちっぽけで、お人良しなだけの、只の最弱の人間さ」

 

 上条は視線を美琴に合わせる。

 美琴はその視線の意味を考えあぐね、不思議そうな顔をしている。

 

「だけどよ、そんな最弱に助けを求めてくる奴がいるんだ。悲痛な声で、心の底から『上条当麻』が救いに来る事を願ったヤツがいるんだ。そんな真似をされて、知らぬ存ぜぬを決め込むなんて事、俺には出来ない。少なくとも上条当麻は(・・・・・)それを許さない(・・・・・・・)!」

 

 かつての『上条当麻』と面識のある少女の姿を、自分の瞳に焼き付ける。

 彼女が、今の俺が救わねばならない少女なのだ。と決意を固めて。

 

「理想の世界を体現しようとするアンタの姿勢には、多少なりとも見習う所があるのかもしれない。けどよ、それが他人の犠牲の上に成り立つ世界なら、最早それは理想郷なんかじゃあねぇ。ただの害悪だ。自分ひとりが幸せの世界を作り出し、他人の世界を殺すあんたは世界の敵だ。あんたの捻じ曲がった精神が、これ以上誰かの世界を壊そうってんなら……。まずはその幻想をぶち壊す! あんたの世界を、俺が全力で否定してやる!」

 

 上条はそのまま一歩、また一歩と足を踏み出し、鏑木の下へ歩み始める。

 

「《勝てると思うなよ、小僧ぉぉおぉぉぉぉぉォォォォッ!》」

 

 対する鏑木も再び空間を歪ませ、大量の怪物を召還させる。

 対峙する上条と鏑木。

 互いが互いの世界を否定する為の戦いが、今始まろうとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下施設へと侵入を果たした仗助達は、エレベーターを使いB5(地下五階)の中央管理センターへと到達していた。

 施設内の全てのフロア構造のデータがあるここ(・・)ならば、美琴やフェブリの監禁されている場所が分かるとの考えからだ。

 ちなみに管理センター内にいるのは仗助と黒子そして初春の三名で、八雲達は周囲の警戒へと当たっている。

 総員が出払っているらしく施設内に人影はまったく見えないが、それでも第三者が突如襲ってくる不測の事態には備えないといけないからだ。

 

「どうですの? 分かりそうですの?」

 

 黒子が作業中の初春に訊ねる。

 初春はモニタールームのパソコンを操作し、先程から高速でコマンドを打ち込んでいる。

 

「もう少しです、ちょっとプロテクトが硬くて……」

 

 これ程の大規模な施設だ。

 防犯対策の類は完璧に施されている。

 このモニタールームのパソコンを起動させる為にも、起動コードが必要なのだ。

 

「ちっ、そうと分かってりゃ一人くらい無傷で残しておいたのによぉ。今からでも上に転がっている連中を引っ張ってくるか?」

 

 仗助は頭をかきながら黒子に言う。

 引っ張って、尋問し、最終的にボコボコにするつもり満々の顔をしていた。

 それに対し黒子は心の中で「(まったく仗助さんは、思考がお姉さま寄りですわね)とため息を付きつつ、その申し出を「いいえ。それには及びませんわ」とやんわり断る。

 

「こう見えましてもウチの初春、とても優秀ですから」

「もう、白井さん。”こう見えても”は余計ですよ……っと、わかりました!」

 

 無数にある記号の羅列から暗号解読に成功した初春は、すぐさま起動コードを入力しパソコンを立ち上げる。

 液晶モニターに次々と灯る、人工の光。

 

「マップ表示、次いで監視カメラっ」

 

 瞬時に施設内の監視カメラを掌握し、全フロアの地図データを画面に表示させる。

 そしてすぐに違和感に気が付く。

 

「この施設の最下層エリア……ここだけ消費電力が桁違いにすごいです。おまけにアクセスも拒否されました」

「拒否、ですって?」

「はい。このエリアだけ監視カメラへの接触が一切出来ない状態です」

「あからさまに怪しいな」

 

 仗助の言葉に、黒子と初春は無言で頷き返す。

 

「お姉さまが捕らわれている可能性がある以上、行ってみる価値は十分にありますの」

「そうですね。ここでこうしていてもしょうが無いですしね」

 

 初春が椅子を立つと同時に、仗助達は踵を返しすぐさま行動に移る。

 外で待つ仲間達に連絡を取り、すぐさま集合をかける。

 そのまま全員で美琴救出に向かう手筈を整える――つもりだった。

 

 ドクン。

 

「――なんだ、この感覚は……」

 

 それは余りにも唐突だった。

 モニタールームから仗助が飛び出そうとした瞬間、突如として奇妙な感覚が襲ってきたのだ。

 感じる……。

 俺はこの感覚を知っている――何故かは知らないが、仗助はそう思った。

 それはまるで幼少期に離れ離れで育った兄弟が、数十年後に違う場所で出合った瞬間に互いの存在を理解する感覚に似ていた。

 プラスとマイナス。

 離れていたもの同士が運命的に引き合い惹かれあう。

 

 そんな存在が、今、このフロアに居る。

 それも好意的なものではない。もっと最悪の、悪意の塊の様な存在がこちらに近づいているのが分かった。

 

「……? 仗助さん、どうしましたの? いきなり立ち止まって」

 

 突如立ち止まったままの仗助を不審に思い、黒子が訝しげに訊ねる。

 

「逃げるぞ……」

「はい?」

「今すぐこのフロアから、全員連れて脱出するぞ」

「ですから、一体何の話ですの――」

「いいからっ、とっとと(・・・・)こっから逃げんるんだよォォォーーーー ーッ!」

「……仗助……さん?」

 

 自身の体から湧き上がる恐怖感が、絶叫にも近い叫びとなって口から零れ出る。

 そんな仗助を今まで見た事もなかった黒子は、返す言葉も見つからずに立ち尽くすしか出来ない。

 だがその時間もすぐに終わりを告げる。

 

「――仗助君っ、誰かが来るッ!」

 

 接近者の到来を告げる八雲の声が呪縛を解くかのように、停止しそうになった三人の時間を動かした。仗助達は弾かれるように八雲達の下へと急ぐ。

 

「八雲!」

「仗助君っ、約100メートル先に誰かがいる! 巡回中だった僕の『ハートエイク』が、その存在を認識した! だけど――」

 

 そう言う八雲の顔色は仗助同様に優れない。額からは冷や汗をかき、得体の知れないものを見たかのように呼吸も荒く、明らかに動揺していた。

 

「――何か変だ。旨く説明できないけど、どこか変だ。威圧感? 存在感? よくわからないけど、ソイツがいる空気に触れた瞬間、例え様の無いおぞましさが全身を駆け巡って……、ち、近づいてくるっ!」

 

 コツン……コツン……。

 

 靴音が、こちらに近づいてくる。

 只それだけの筈なのに、音が聞こえる度にソイツの威圧感が増している気がする。

 空調はそれほど効いていない筈なのに、一歩近付くほどに底冷えする位の冷気を感じる。

 そんな存在が、後一分もしない内にこちらにやってくるというのに、相手からかもし出される例え様も無いプレッシャーに飲まれ、その場に居る全員が動くことが出来なかった。

 

「黒子……、今すぐ全員を連れてエレベーターまで行け。ここは何とか俺が食い止める」

「そんなっ、何を言っていますのっ」

 

 それを破ったのは仗助だった。

 相手から放たれる殺気に必死に耐え、全員を逃がす為一歩前へ出る。

 

「コイツは今までの相手とは違う。次元が違うっつーか、とにかくヤバイ奴だ。まともに遣り合っても勝てるかどうか分からねぇ相手だ」

「だったらっ、尚更仗助さん一人で戦わせる訳には参りませんわ」

「頼むからよぉ――」仗助は一呼吸間を置き、黒子の肩に手を置く。「言う事聞いてくれ。相手の悪意がお前らの誰かに向けられた時、全員を守りながら戦える自身がねぇんだ」

 

 直感で分かる。もしこの場に全員が留まった場合、相手の悪意は確実に弱いものに向けられるだろう。

 それを避ける為にも黒子達にはこの場を離れて貰いたかった。

 逃げるという選択肢もありえなかった。

 アイツの感覚を仗助が感じれるように、アイツもまた仗助のいる場所を感じる事が出来るのだ。

 例え逃げたとしても、すぐに追いつかれて戦いへと発展してしまうだろう。

 ならば今留まり、黒子達を逃がすことに専念した方が良い。

 空間移動者(テレポーター)の黒子さえいれば、少なくとも全滅だけは避けられるはずだから。

 

 そんな仗助の意図を察したのだろう。

 黒子は「……もう、何を言っても無駄という感じですわね」そう言って添えられた手を、自身の手で包み込む。

 柔らかくも暖かい手の感触が、仗助に僅かの間、緊張感を忘れさせる。

 やがて「分かりましたの」と短く言い、肩口にかけられた手が、やんわりと外される。

 ぬくもりが失われる喪失感に、仗助はどことなく寂しさを感じた。

 

「白井さん、本当に良いんですか?」

「いいんですのよ。さ、エレベーターまで、急ぎますわよ」

 

 初春の問い掛けに黒子はそう答え、無理やり方向転換させる。

 

「ひ、東方さん。無茶しないで下さいね」

「危なくなったら逃げていいんですからね。命あっての物種ですよ!」

「挨拶はそれ位でいいでしょう。ほらほら、行った行った」

 

 初春達は別れの挨拶もそこそこに、半ば黒子に押し出される形で連れられていった。

 

 そして後には仗助――と、八雲だけが残された。

 

「すまねぇな。貧乏くじ引かせてよ」

 

 仗助の謝罪の言葉に八雲は「別にいいさ」と答える。

 

「元々君一人残して逃げるつもりもなかったし、それに相手も『スタンド使い』なんだろ? だったら、人数は多い方がいい。それに、僕以外の誰が君の傷を治すって言うのさ」

 

 八雲が『ハートエイク』を出現させる。

 

「怪我の心配はしなくていい。『クレイジー・ダイヤモンド』をコピーした僕が治せる。君は攻撃に専念してソイツをやっつければいい。大丈夫、僕達ならやれるさ」

「八雲……」

 

 仗助が頼もしい相棒に対しもう一度感謝の言葉を述べようとすると、

 

「――二人より三人の方が勝率も上がると思いませんこと」

 

 そういって黒子が背後から声をかけてきた。

 先程まで率先して初春達を撤収させていた黒子が、再び仗助達の元まで戻ってきたのだ。

 危険と警告したその場所に、自ら戻るその根性。仗助は開いた口が塞がらなかった。

 通りでコイツにしてはあっさりと引き下がったと思ったんだ!

 

「バ、バカヤロウ! なんで戻ってきやがった!」

「何故と言われましても、(わたくし)きちんと言われた通りの事をしただけですわよ」

「なにぃ?」

「ちゃんと、私以外(・・・)の全員をエレベーターに退避させましたわよ。それに何の不都合がございまして?」

「こんのっ……いけしゃあしゃあとっ」

 

 すまし顔でそんな事をのたまう黒子に、仗助は頭が痛くなった。

 せっかく格好つけて女性陣を逃がそうとしていたのに、この女はあろうことか自分も戦うつもりでいるのだ。

 もし自分達が全滅したら、一体誰が初春達を逃がすというのだ。

 

「初春達には了承済みですわ。足止めには(わたくし)達三人が当たると。どの道ここが突破されたら、敵は確実に初春達を始末するのでしょう。ならば、今持てる総力を持って相手を沈黙させる。それがベストな方法ではありません事?」

「いや……だからな……」

「相手が姿を見せた瞬間に、(わたくし)達三人が一斉に攻撃を仕掛ける。どちらかが重症を負わされても、仗助さんか八雲さんが無事ならそれも治せる。状況がまずそうなら空間移動(テレポート)で一旦距離を置く。この攻撃パターンが一番最良だと思うのですが、何が質問はありまして?」

「……お……おぅ」

 

 今からでも黒子を追い払うつもりの仗助だったが、矢継ぎ早に尤もらしい言葉でまくし立てられると、反論する気力が削がれていく。

 最終的には何となく黒子の言っている事の方が正しいような気さえして来てしまい、言葉も弱々しいものへと変化してしまった。

 

「ここまできたら、白井さんの勝ちだね」

 

 そんな二人のやりとりを見ながら、八雲が言う。

 

「じきに敵が来る。こうなったら白井さんの言うように先手必勝でかかるしかないよ」

 

 視線を前方に集中する。一瞬たりとも気を抜く事は即・死に繋がる。何故か分からないが八雲は直感的にそう感じた。

 前方から感じるプレッシャーは、足音が近付く度に増していくような気がする。

 その押しつぶされそうな重圧を仗助も感じとり、「しかたねぇ」と気持ちを切り替える。

 

「やるしかねぇか。黒子(お前)のペースに乗せられた感じで気に食わねぇがよぉ」

「まあまあ、そんな小さな事は置いておいて……。速攻で敵を倒して、お姉さまの元へと急ぎますわよ」

 

 やがて足音は少しずつその存在感を増して行き、ついに肉眼で持ち主の姿を確認出来るまでになった。

 それはすなわち、敵がこちらのスペースに到達した事を意味していた。

 距離にして25メートル。

 薄暗い通路から黒い影が這い出てくるように現れた。

 

「お前……は……」

 

 そして現れた相手の顔を確認した仗助が真っ先に抱いた感情は、「お前が!」でも「とうとう姿を見せやがったな!」でも無かった。

 仗助はその人物と実際に戦ったこともあり、この事件の黒幕であるという認識もあった。

 だが、醸し出される雰囲気は彼とはまったく違う異質のものだ。

 もっと異質の恐ろしいナニカだ。

 だから仗助は訊ねた。

 

「お前は……一体、誰……なんだ」

 

 目の前の人物・草薙カルマに向かい、仗助はそう訊ねずにはいられなかった。

 

 

 

 

 


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