とある科学と回帰の金剛石《ダイヤモンド》   作:ヴァン

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「ソードキル」の佐々木総一郎と「サザン・コンフォート」の一柳美佐 その③

 仗助の気合と爆音と共に急加速するバイク。

 時速は一瞬にして90キロを突破!

 間もなく二台のトレーラーと合間見える。

 

「おやおやおやおやぁ~~? 玉砕覚悟ですかにゃぁ? 逆走してこっちに来まするよん」

 

 その様子を遠目で見ていた美佐は、手にした双眼鏡を投げ捨て、総一郎に尋ねる。

 

「どうするんです、総一郎のダンナぁ。自爆覚悟の馬鹿か、はたまた何らかの策があるのか。ぼく的には後者の方が”どらまてぃっく”で盛り上がるんですけどねぇ」

「笑止――」運転を担う総一郎は、口角を吊り上げながら当然の回答を口にする。

 

「相手が何の策を有そうが、近づけば”ただ切る”それだけだ」

「うわぁ~~。ツマンネー回答。そういうキザな言い回しがマジで鼻に付くって言われませんかにゃぁ」

「奇遇だな。私もお前の存在自体が不快だよ。これ以上戯言をほざく様なら、その口ごと切り落とすぞ」

 

 車内に漂う不穏な空気。

 ――美沙は、こういうカタブツな人間を見るにつけ、そんなんで人生楽しいのか? と本気で同情する。

 一度しかない人生、もっと気楽に楽しめばいいのに。

 とはいえ、もしこれ以上美佐が茶化そうものなら、間違いなく攻撃を仕掛けてくるだろう。

 それはそれで面白い事になりそうだが、今は事の成り行きを見守りたい。

 この絶対的なピンチに対し、仗助がどう切り抜けるのか。

 その結末がどうしても見たくなったのだ。

 

 美沙は「ハイハイ」とおざなりに答えると、再び双眼鏡で仗助の様子を覗く事にした。

 

 現在仗助を乗せたバイクは、トレーラーからの銃撃に晒され進路を防がれている。

 能力の影響下にある隊員は忠実に美佐が与えた指令を守り、攻撃を仕掛けている。

『前方にいる全ての車体を攻撃せよ』。

 それが隊員に与えた、ただ一つの命令だった。

 その効果はてき面で、確実に仗助を追い詰めてくれている。

 

 ――しかしだ。

 

(くるなぁ。こっちに、確実に)

 

 理屈ではなく直感だ。

 根拠は無いが、確実だ。

 仗助は物の数分の内にこちらにやってくるだろう。

 

 胸に沸き起こるこのザワザワとした落ち着かない感じは――不安だ。

 追い詰めているのはこちらの筈なのに、もう既に勝負は決まっているような、そんな矛盾した感情。

 そんな感情を胸に抱きつつ、同時に去来するのは精神的な高揚感だった。

 

(ああ――やっぱりいいなぁ、命のやり取りをするこの瞬間って。

出目次第で勝てる勝負が一気に負け戦に変化する無常観。

東方仗助はどんな奇跡を持ってぼく達を迎え撃つんだろう)

 

 自分に脅威が差し迫るかもしれないこの状況で、美佐は胸の高鳴りを抑え切れなかった。

 自己破壊願望――

 自分に絶対的な危機が差し迫っている時ほど、美佐が”生きている”と強く実感できる瞬間だった。

 

 

 

 

 自分に向け発射される銃弾を、仗助は器用に斜線を変更し、あるいは『クレイジー・ダイヤモンド』で弾き飛ばしながら前進する。

 

 トレーラーはそれまで逃げるだけだった対象が、急にこちらへと向かって来たことで多少混乱を来たしたのだろう。発射される銃弾は仗助を捉えきれず、遥か後方の地面に穴を開ける。

 だがそれも僅かな間だ。

 修正をし、確実に仗助に当てるのは時間の問題だろう。

 現に発砲するたびに着弾地点が仗助に迫ってきている。

 

 修正までに要するであろう時間は10秒前後か。

 それで確実に仗助に当たるだろう。

 

 ――しかしだ。

 

 10秒もあれば十分なのだ。

 

「『クレイジー・ダイヤモンド!』」

 

 仗助は『クレイジー・ダイヤモンド』を先行させると、アスファルトに猛烈な連打を叩きつけさせた。

 

「ドラララララララララララララァーーーーッ!」

 

 地面が抉れ、破片は宙に散乱する。

 恐らくこの行為にどんな意味があるのか分かる人間は、現時点では誰も居ないだろう。

 後方に控えている総一郎や美佐でさえ仗助の真意は分かりかねているだろう。

「追い詰められてトチ狂ったか!?」そう思っているのかもしれない。

 しかしこの行為こそが重要なのだ。

 これこそが仗助を文字通り、『勝利への階段』へと昇らせる最短の道なのだ。

 

「アスファルトを、部分的に直す!」

 

 その瞬間、破壊した全ての破片は『クレイジー・ダイヤモンド』によって元に戻る。

 空中に舞う破片も、抉れたアスファルトも、破片同士が引き合い空中に一つの形を作り上げていく。

 

 仗助の『クレイジー・ダイヤモンド』。

 直すという方向性であれば、その完成系は仗助がある程度決める事が出来る。

 その特性を利用して作り上げたのは、地面から宙に伸びる傾斜台だった。

 

 傾斜角30度、長さ5mの即席の斜面。

 プロのモトクロス選手でさえ躊躇しそうなキツイ斜面を、仗助は躊躇せず一気に駆け上がる!

 

『クレイジー・ダイヤモンド』の直す力。

 その力は成人男性すら持ち上げるほど強力なものだ。

 だから発動中の数秒間ならば、バイクでの走行も可能!

 

「うおおおおおおおおおおーーーーッ!」

 

 地上2m、3m! 車体をグングンと加速させ、上空へと駆け上がる。

 このまま天まで続けばと思うのだが、現実はそれほど甘くは無い。

 破壊したアスファルトでは数が足らず、途中で道は途切れている。

 だがそれも織り込み済みだ。

 

「コイツで十分なんだよ! 約5m! これだけありゃあトレーラーを軽く越える事が出来るしよぉ!」

 

 加速は十分。

 トレーラーとの距離、速度、高さ、全て略式で計算済み。

 全てがバッチリうまく行く! ……予定だ。

 後は勇気を持って飛翔するのみ。

 上空に作った道路の終着地点。

 ここから先はもはや道は無い。

 

「いけよぉおおおおーーッ!」

 

 その道なき道に対し、仗助はさらにアクセルを踏み込み一気に飛んだ――

 

 空を飛んでいる。

 全ての重力から解放されたかのような、奇妙な浮遊感。

 それが心地よくもあり、不安でもあり――

 だがその感覚もすぐに終る。

 

 仗助を乗せたバイクは交差点の案内標識を飛び越え、その下を通過しようとするトレーラーの一方へと着地する。

 ダウンッとタイヤを大きく弾ませながら、トレーラの屋根部分に盛大に着地する。

 小刻みにバウンドを繰り返す車体。

 その車体の後方に控えるのは、二人のスタンド使いを乗せた黒いバン。

 

「!!」

 

 視線が絡み合う。

 総一郎は殺気をむき出しにして。

 美佐は絶賛の表情を浮かべて。

 

 トレーラーから飛び降りた仗助は、そのままバイクを前進させるとバンの前へと踊り出る。

 当然、そこには総一郎のスタンドが待ちうけている。

 鋭い刃を研ぎ澄まし、帯状になったスタンドが仗助に攻撃を仕掛ける。

 

「その攻撃はもう見飽きたぜ! 攻撃を止めれねぇんなら、止めるように仕向けるだけよッ! ――八雲ッ!」

 

 仗助は叫んだ。

 それが何らかの合図だったのは明確だ。

 総一郎はその時になり、ようやくバイクの後部に八雲がいないことに気が付いた。

 

 八雲憲剛。 

 てっきり仗助のオマケに過ぎないとタカを括っていたのだが、その能力は未知数だ。

 しかし一体あのちっぽけな少年に何が出来るというのだ。

 このまま仗助に攻撃を仕掛け、止めを刺す。

 それからフェブリを回収する。

 それで終わりだ。

 総一郎は心の中に沸き起こる不安感を払拭すると、構わず仗助に対し攻撃を開始するのだった。

 

 

「30……29……28……」

 

 一方の八雲は、交差点にいた。

 正確に言うと、交差点の案内標識の真上に。

 バイクでのジャンプの際にそのまま能力を使い飛び移ったのだ。

 

「……25……24……23……」口に出しカウントする。

 

 八雲の能力『ハートエイク』。どのような能力でも触れさえ出来ればコピーできるという得意な力を持つ。

 反面、制限時間は30秒ほどという時間制限付きの能力だ。

 だから八雲が出来る事は、限られた時間で、いかに有効に能力を使用できるかだ。

 

「16……15……14……」

 

 そしてついに合図が来る。

 

「八雲ッ!」という仗助の叫び。

 同時に通過するトレーラー。

 タイミングはバッチリだ。

 

「いくぞっ! 一世一代の大勝負! こいつは外さないっ!」

 

空間移動(テレポート)。レベル4。

 空間を移動できる能力。

 

 それが現在八雲が使用している能力である。

 悪いと思ったが仗助のマンションを訪れた時、あの場にいた全員の能力をコピーさせてもらっていた。

 悪趣味だと思うが、それが今回役に立つとは。

 

「まあ、ばれなきゃ罪じゃないよね」

 

 八雲は苦笑しつつも対象に『白井黒子の空間移動(テレポート)』を使用するのだった――

 

 

 

 

「にゃっ!?」

「にぃぃぃぃぃっ!?」

 

 あまりの突然の光景に、総一郎は我が目を疑った。

 前方を走るトレーラーが両断され、その後半部分が横倒しになりながらこちらへと向かって来ているのだ。

 地面との摩擦熱で火花を上るトレーラー。

 横転し、回転しながら確実にこちらへと向かって来ている。

 

 八雲が転移させた交差点の案内標識。

 縦220㎝×横280㎝の巨大な正方形のそれは、鋭利な刃物のようにトレーラーを完全に両断したのだ。

 

「う……うははっ、おっもしれー。まさかこんな方法を思いつくとは……」

 

 美佐は両膝を叩いて賛辞の言葉を述べる。

 敵の大胆不敵な行動に素直に感心したのだ。

 

「馬鹿かっ! 相手を褒めてどうする!? くっ、まずい。このままでは……」

 

 総一郎は仗助への攻撃を中断すると、ブレーキをかけ減速させる。

 このまま巻き込まれるのだけは死んでもゴメンだ。

 

「ちわーーっす」

「東方、仗助ッ!?」

 

 気が付くと仗助が目前に迫ってきていた。

 迫るトレーラーから逃げず、減速した車体に取り付く。

 そして躊躇無く『クレイジーダイヤモンド』拳の連打を車のフロントに叩き付けた。

 

「ドラアッ!」

 

 バクン――!

 

 衝撃でボンネット部分が開く。

 視界が遮られ、前が見えない。

 

「人生っつーのは選択肢の連続だ。『右か左』どちらでも好きな方を選びな」

 

 交差する仗助と黒いバン。

 交わった視線の先で、仗助のそんな言葉が聞こえた。

 横倒しになり迫るトレーラー。

 視界が防がれたこの状況。

 どちらに交わすかで運命が決まる。

 

「くっそおおおおおおおッ!」

 

 総一郎のスタンドはパワー型ではない。相手を突き刺したり切り刻むのは得意でも、こちらに迫るトレーラーを切断する力は無いのだ。

 

「来た来たキタキターーァ! これぞ命の境界線! ダンナぁ、とっとと決めてくださいよ、『右と左』。どっちに交わすんですぅ?」

「うるさいぞ! 何嬉しそうにしているんだこの糞女が! トレーラーが迫ってきているんだぞ!」

 

 今はっきり分かった。

 この女は殺すべきだ。

 自殺願望有りのマゾヒストだ。

 こんなヤツとペアを組むんじゃなかった。

 とはいえ選択をしなくてはならない。

 右か左か。どちらにかわす?

 

「うおおおおおおおッ!!」

 

 総一郎はハンドルを右に切った。

 理由なんて無い。ただの直感だ。

 

 車体は大きなブレーキ音と共に、白煙を上げる。

 摩擦でタイヤが焦げ付いているのだ。

 そして摩擦に耐え切れなくなったタイヤは破裂し、重心を支えきれなくなった車体は大きく回転しだす。

 そのまま車はビルに激突。

 それでも勢いを殺しきれなかったのか、まるでピンボールの様に弾かれ、再び斜線に戻り停車した。

 車体全体から上がる白い煙。

 あまりの衝撃でエンジンが焼き切れてしまったのだろう。

 

 しかし、トレーラーをかわす事が出来た。

 あの攻撃を、凌ぎきったのだ。

 総一郎の胸に生への執着心が一気に噴出する。

 

「う、うははははっ。かわした! かわしたぞ! ザマアミロ! 

後はなんとでもなる! 待ってろ、東方仗助! もう一度キサマに――」

 

 アドレナリンが分泌されいつに無くはしゃぐ総一郎。

 そんな様子を遠目に眺め、仗助はバイクを停車させていた。

 

「――右を選んだな。それが最善の選択だと思って選んだな?

……だとすればよぉ、後悔は無いよなぁ。自分で運命を選び取ったんだからよぉ!

胸張って病院に直行出来るよなぁ!」

 

 仗助がバイクを停車させたその地点。

 そこは激突したトレーラーがビルに突っ込んでいる場所だった。

 煙を上げ、炎を上げて炎上するトレーラー。

 その完全に壊れた大型トレーラーの半身を、仗助は『クレイジー・ダイヤモンド』を使い『直した』。

 

 トレーラの半身が浮かび上がる。

 そしてすごい勢いで道路を直進していく。

 スクラップ同然の車内ではしゃぐ総一郎に対して、トレーラーは無情にも向かっていく!

 

「へ?」

 

 車内ではしゃいでいた総一郎は、突然の出来事に目を白黒させる。

 

「なっ!? かわしたはずのトレーラーがぁ!?」

 

 トレーラーはそのまま車に激突し、引きずるように前進を始める。

 

「い、一体何処に連れて行く気だ!?」

「いやですねぇ、ダンナ。決まっているじゃあないですか」

 

 美佐が笑顔で指し示す。

 その方向を見て、総一郎の顔が青ざめる。

 

「ま、まさかぁっ!?」

 

 切断され、遥か彼方へと飛んでいったはずのトレーラー前半部分。

 それが失った半身を求めるかのように、こちらへと向かっているのだ。

 

「仗助ちんの能力の特性ですよぉ。破壊されたもの同士はお互いにくっ付き合う。磁石のS極とN極が引き合うみたいにぴったりと」

「お、お前はこの期に及んでっ!」

「ねっ、ねっ、ぼく達どうなるんですかにゃ。全身打撲? 複雑骨折? それとも圧死? ……ああ、いいなぁ。これぞ命のやり取り。生きてるって実感出来るにゃぁ」

「う、うわあああああっ!?」

 

 そして総一郎達を乗せた黒いバンは、切断したトレーラー同士に挟まれる形となり、そのまま押しつぶされた。

 重金属同士がぶつかり合い、耳障りな衝突音が一帯に響き渡る。

 一瞬の静寂の後そこにあったのはトレーラーの間に挟まれ同化した、哀れな姿の黒い乗用車だった。

 

「う……が……」

 

 幸い両名とも息はあるようだが、総重量数トンのトレーラー同士の衝突に巻き込まれたのだ。ただでは済むまい。

 

●一柳美佐・佐々木総一郎両名。

 全身を複雑骨折。

 全治8ヶ月の重症だが、生の実感を得る事が出来たと美佐の方は嬉しそう。――再起”可”能(リタイヤ)

 

 その末路を見届け、仗助はアクセルを吹かす。

 

「――さっきの続きだがよぉ……。人生は選択肢の連続って言ったが、どっちを選んでも結末は最悪って場合もあるんだぜ」仗助はぐちゃぐちゃになった車に一瞥をくれる。「――特に、お前らみたいな悪党が選んだ選択肢はな」

 

 仗助はそのままバイクを発進させると、八雲と合流する為に来た道を戻って行くのだった。

 

 ――だが、一難去ってまた一難。

 その諺が示すとおり、一つの問題の解決は次の危機の始まりでもあった。

 この場合の危機とは、仗助達にとってもっとも守らなければならぬ存在の喪失。

 この事件の要であり重要人物であるフェブリ。

 草むらに隠したはずの彼女が行方不明となった事実を、仗助は八雲との合流時に知る事になるのだった――

 

 

 

 

 

 

「――よぉ、起きたか三枚目」

「こ、ここは? ひ、東方仗助?」

 

 総一郎が目を覚ますと仗助が自分を見下ろしていた。

 場所は、薄暗く、ジメジメとした通路だ。

 身体は動かせない。

 全身をロープで拘束され、転がされている。

 

「トレーラーと大激突したテメーが五体満足なのか不思議か? 何の事は無ぇ、俺の『クレイジー・ダイヤモンド』で治したのさ。――ここがどこか不安か? 安心しなよ、現場から数キロ離れた裏路地ってだけだ。アンタにはちょいと聞きたい事があったからよぉ」

「わ、私に聞きたい事だとぉ!」

 

 仗助の話に耳を傾ける一方で、周囲の状況を確認する。

 この戒めを何とか解いて、仲間と連絡取る事さえできれば――

 

「――さっきから挙動不審に辺りを警戒してるようだけどさ、無駄だよ」

 

 しかしその企みはまんまと見透かされおり、仗助の後に控えていた八雲に窘められる。

 

「仲間は来ないよ。さっきから僕達も周囲を警戒しているけどそれらしいトレーラーもこない。

――もっとも、あんな大事故おこしたんだから大量の警備員(アンチスキル)が救助活動やってるけど――

あれ、あんた達の組織とは別系統の組織だよね?」

「俺達が聞きたいのはたった一つだけだ」ズイっと仗助が一歩前へ歩み寄り覗き込む。「テメー等の居所(アジト)を教えな。直接行ってぶっ飛ばすからよぉ」

「ついでにその目的も、アンタが知る限りのね」

「…………っ!」

 

 その言葉を聞いて総一郎は青ざめる。

 額に脂汗を浮かべ、大きく動揺する。

 この反応を見ただけで、この男が何らかの情報を持っているのは明らかだった。

 

「…………」

 

 総一郎は話さない。

 口を紡ぎ、視線を逸らし、貝の様にだんまりを決め込む。

 組織に関し、少しでも不利になる事を話すことが出来ないのだろう。

 もし情報の出所が自分だとばれたのなら、即効で始末されてしまうからだ。

 

「あっそう、黙るのね。このまま黙秘を決め込むつもりなのね? ――だったら、それなりの覚悟を決めてもらおうか」

 

 仗助は『クレイジー・ダイヤモンド』を出現させる。

 

「これからテメーをボコる。その中途半端なイケメン顔を徹底的によぉ。……なんつーか、テメーの言動やら、余裕たっぷりのその顔が何故かイラツくんだよなぁ。俗に言う、『相性が悪い』ッつーヤツだよ。きっと前世でなんかあったんだろうなぁ」

「はぁ……はぁ……はぁ……はぁ……」

 

 先の戦闘の勝者である仗助と八雲。

 そして敗者と成り果てた総一郎。

 見下ろす側と見上げる側。

 現在の位置関係は、そのまま互いの力関係をしていた。

 息も絶え絶えに顔面を蒼白させる総一郎の姿は、『まな板の上の鯉』そのものだった。

 

「俺の『クレイジー・ダイヤモンド』の能力は知っているよなぁ? テメーにくれてやるのがただの拳じゃあねぇって事もわかってんよなぁ? その無駄にイケメンな顔を二度と見れないように『直す』事だって可能なんだぜ? それが分かっている上で、あえて『黙っている』っつーんだよなぁ!?」 

「『正直に話す』かそれとも『黙って殴られる』か、好きな方を選びなよ」

 

 追い討ちをかけるような八雲の発言。

 突きつけられる二択に総一郎は再び頭を悩ませる事となった。

 情報をしゃべれば組織に殺され、話さなければ仗助にやられる。

 そんな究極の二択を突きつけられ、総一郎が選んだ選択は――

 

「……私たちの目的は二つあった。一つはフェブリの奪回。行方不明となったフェブリが、木山春生恋しさのあまり能力を使用することは想定の範囲内だった――だから、木山にトレーサーを仕掛け、網にかかるのを待った……」

 

 総一郎は『正直に話す』選択をした。

 組織の忠誠より、目先の危機を回避する道を選んだのだ。

 人生は選択肢の連続だ。

 苦し紛れに出た答えも、一見悪手だと思える発言も、時として正しい選択になりうる場合もある。

 何がきっかけでこの境地を脱する事が出来るのか分からないのが人生。

 隙を見てこの二人を殺れば、何も問題は無い。

 

「……網か。その割に対応が迅速だったね。周辺区域を閉鎖した手際といい、ある程度出現位置が分かっていたのかい?」

「ああ、そうだ」八雲の質問に総一郎は頷き返す。「――鏑木の野郎か?」思い当たる節があり、仗助は即座に質問する。しかし返って来たのは「いいや、指示したのは草薙さんだ」という答えだった。

 

「草薙だと!?」その答えに仗助達は驚く。

 あの男は刈谷製薬での戦いの際、どろどろに溶けて消滅したはずだ。

 それが何故生きている?

 まったくの別人だったのだろうか?

 

「……草薙さんが言っていたよ。仗助、お前とは浅からぬ因縁があると。お前を起点に物語は始まると。だからお前を張っていれば、引力に引き寄せられるようにして、様々な事象は集まってくると」

「……なんだと?」

「お前は別の世界から引き寄せられた旅人。お前を誕生させた母親、そのクローンである少女。引き寄せられないはずが無い……と」

 

 総一郎の言葉には理解に苦しむ単語が含まれていたが、自分の出生にあの男が何らかの形で関わっているのだとしたら理解は出来る。自分のあずかり知れぬ所で起きた事象、それに並々ならぬ因縁を感じ、今日まで己の野望を実現させる為に生きてきた男。

 そのような人物なら粘着的に自分を監視していてもおかしくは無い――と。

 

「それでまんまと罠にかかった俺達を迅速に襲撃できたって訳か」

「しかも二重尾行。僕達がフェブリちゃんを手放すタイミングを見て即座に奪回するなんて、すごい用意周到だったよ。――まんまとしてやられたって感じだよ、まったく」

「で、もう一つの目的ってのはなんだ」

「それは――」その単語に仗助達は驚きを禁じえなかった。何せまったく想定していなかった人物名が挙がったのだから。

 

「――御坂美琴。その人物を回収する事が我々のもう一つの目的だ」

「……御坂……美琴……だとぉ!? なんでそこでその単語が出て来るんだ、オイッ」

「グッ……、理由までは分からない。スポンサーの希望という事しか……」

 

 思わず総一郎の首元を引っつかんで問いただした為、彼は苦悶の表情を浮かべる。

 

「――で、そのスポンサーというのは誰だ? ひょっとして鏑木ってヤツなんじゃあないのか?」

「……そうだ」

「あすなろ園の子供達をさらったのもヤツだな。何に利用しようとしている」

「それは分からない。本当だ、私達はただ雇われていただけでそれ以上は知らないんだッ」

 

 その口ぶり、この必死な様子。

 とても嘘を言っているようには思えない。

 それはつまり美琴に身に危険が迫っている事を意味していた。

 

 ――その時だった。

 仗助の携帯に唐突に着信が入った。

 こんな時に一体誰から? 

 そう訝しみ発信者の名前を確認してみれば、そこに表示されていたのは『白井黒子』の文字だった。

 

「白井っ!?」

 

 仗助は慌てて電話に出る。あんまり慌てていたので、胸倉を掴んでいた総一郎を地面に叩き落してしまったが些細な問題だ。

 

「もしもしッ! 白井かッ!」

『……仗助……さん……、よかった……ご無事でしたのね……』

「あんまり芳しく無い状況だが、無事だ。それより他の皆は? 無事なのか?」

『ええ……(わたくし)共は何とか。……でも、う、ううっ……お姉さまが……お姉さまが……っ』

「…………」

 

 その発言で、自分達はまんまと敵に出し抜かれたという事が分かった。

 美琴はさらわれ、フェブリは敵の手に落ちたのだ。

 この戦いは、完全に仗助達の敗北と言えるものだった。

 

「…………」

『……もしもし、仗助さん?』

「……悪りぃ、こっちも同じだ。追っ手は倒したが、フェブリを奪われちまった」

『……そう、ですの』

 

 黒子は短くそれだけを言うと、それ以上は追求してこなかった。

 大事な人間を奪われた痛みや屈辱は、先程まで彼女自身が味わされていた感情と同じものだから。

 だが仗助の抱いた感情はまったく違うものだった。

 

「……追っ手は倒した。今そいつを尋問して居所を聞き出している。……分かり次第、俺らはこのまま敵のアジトに殴り込みをかける」

『なっ!?』

 

 今回の戦いは確かに仗助達の敗北だった。

 ではここで全てを諦めるのか? といえばそれは断じて否だ。

 ここまで舐め腐った真似をしてくれた敵に対し、尻尾を巻いたまま逃げることなどありえない。

 受けた屈辱、売られた喧嘩は何百倍にもして返すのが流儀というものだ。

 

『バ、馬鹿ですのッ、貴方は!? たった二人で敵地に乗り込んで、勝てるとお思いですのッ!? 今すぐ(わたくし)共と合流し、対策を練るのが――』

「悪いがそうも言ってられねぇ事情があるんだ」仗助は黒子とのやり取りをどこか懐かしそうに思いつつも、ぴしゃりと遮る。「敵を倒したついでに警備員(アンチスキル)と事を構えちまった。今周囲は厳重な警戒態勢を敷かれている。この包囲網を突破してお前らの所へ辿り付くのは骨が折れる。……というか面倒と言うのが正直な感想だ」

 

 フェブリを奪われてまだそれほど時間が経っていない今しか無い。仗助はそう思っていた。

 今ならまだ草薙達の企みからフェブリを奪い返すことも可能だと。

 何せ何でもありなフェブリの能力だ。能力が発動した時点でこちらに勝ち目は無くなる。

 

『……っ』

 

 電話越しに黒子の息を呑む声が聞こえた。

 時間が限られているという現状は黒子も理解しているのだろう。

 暫しの沈黙の後――

 

『……仗助さんはこのまま情報を引き出して下さいですの。そして聞き出した内容をすぐさまこちらに連絡! 絶対に無茶はしない事! (わたくし)達はその前に”仕込み”をしておきますわ』

「仕込みだぁ?」

『単身殴り込みをかけたとして、その後始末をどうつけるおつもりですの!? 警備員(アンチスキル)と事を構えてしまっているのでしょう? 縦んばお姉さまとフェブリさんを奪回出来たとして、そんな犯罪者の言うことに誰が耳を傾けますか!』

「……」

『だからこその仕込みですわ。敵を捕らえるにはそれ相応の準備を持ってかからなければ。

叩けばホコリが出そうな相手なら、思い切りぶっ叩ける(はた)きが必要ですわ』

「何か思いついたな」

『それは乞うご期待という事で、では頼みますわよ。(わたくし)達も、過ぐに合流致しますわ』

 

 先程までのお通夜の様な受け答えは成りを潜め、次第に黒子の口調に元来の覇気のあるものに戻っていく。

 仗助に触発され、萎えていた精神に再び活力が漲ってきたかのようだ。

 

「……やっと、らしくなってきたじゃあねぇか」

『目が覚めただけですわ。今は打って出るべき状況だという事に。

命がけで抗わなければ取り戻せない人達が二人もいるんですもの。腐ってなんていられませんわ』

 

 そう。黒子の言うとおりだ。

 今は凶暴にならなければ。

 現状に抗わなければ。

 闘わなければ。

 大切な仲間は二度と帰ってこない。

 だから、取り戻すのだ。

 命を懸けて。

 

「――さてと」

 

 黒子との連絡を終えた仗助は改めて総一郎と向き合う。

 その顔には悲壮感はまったく混じっていない。

 むしろ逆だ。

 激しい闘志を必死に押し殺し、怒りの眼で射抜くように総一郎に標的を定めている。

 

 その闘志、今だ衰えず。

 その炎は敵に煽られることでますます強くなっているようだ。

 

「最後の質問だ。正直に答えな」

「ひっ」

 

 その凄まじいまでの鋼の意思に当てられ、総一郎が軽く悲鳴をあげる。

 仗助から発せられる凄まじい意思の力に、精神が挫かれているのだ。

 

「敵の居所は――どこだ?」

 

 有無を言わさぬ言動。

 嘘や隠し立てをすればたちどころに見破られてしまうだろう。

 その後の自分がどうなるのか。その末路は容易に想像できた。

 それ位、今の仗助には『凄み』があった。

 下手な小細工は返って逆効果だ。

 

「そ、それを話した後、私が無事な保証は?」

「保障も確約も無いよ。でも話さなければ確実に後味の悪い結末が待っているけど?」

 

 八雲が「仗助君」というと、仗助は総一郎から距離を取る。

 そのまま壁に寄りかかり、成り行きを見守る。

 

「安心しなよ。仗助君には手出しさせないから。だから早く話して欲しいな、君達のアジト」

「…………」

 

 飴と鞭というヤツか?

 仗助を下げさせた事で恩を売ろうというのか?

 総一郎は「だがしかし、これはチャンスだ」と思った。

 

「……私たちの本拠地は第23学区。その工業地帯の一区画だ。場所は――」

 

 総一郎は観念したフリをして、本拠地の詳細な情報を話し始める。

 嘘や偽りの言葉は通用しないと理解しているからだ。

 そうしながら、二人に気づかれないようにスタンドを出現させ、拘束を解く。

 ――但し、最小で。

 

 スタンドは精神力の具現化。

 だから自身のスタンドをごく最小に縮小させる事など造作も無いコト。

 

 まずは八雲の喉元。

 油断しているこの坊やの頚動脈部分を切断する。

 その上で距離をつめ、仗助を殺る。

 間合いを詰めての戦闘で、『ソードキル』の右に出るものはいない。

 二呼吸する間に確実に二人を仕留められる。

 

(脳内でのシュミレーションは完璧。後はそれを実行に移すのみ!)

 

「……仗助君、必要な情報は得たし、そろそろ行こうか」

「ああ、そうだな……」

 

 二人とも完璧に油断をしている。

 こちらの意思を挫き、反撃される事など露にも思っていないはず。

 自分から視界を外した瞬間がお前達の最後だ――

 

 そして仗助は意識をこちらから外して歩み去り、八雲もまた、こちらに一瞥もくれる事無く視界を外に向ける。

 

(チャンス!)

 

 この好機を逃す手は無い。総一郎はすばやくスタンドを操り、八雲の喉元へスタンドの刃を向かわせた。

 頚動脈へ到達する時間、約3秒。

 油断している相手には十分な時間だ。

 

(――死ねっ)

 

 そしてそのまま殺意の篭った鋭い一撃を八雲の喉元へと――

 

「ああ、そうそう――」

「!?」

 

 突然八雲がくるりと転進し、こちらに振り返る。それと同時に聞こえてくる無数の羽音。

 

「殺意ってのは、そんなに簡単に隠しきれるもんじゃあない。どんなに低姿勢で服従しているように見せかけてもそんな鋭い視線を送られちゃあね。モロバレだよ」

 

 ――ガサガサガサガサッ。

 

 音はこの狭い路地裏に反芻し、無数の蠢くもの達を嫌でも連想させる。

 

「な、何をしたッ! お、お前の能力は、一体!?」

「この能力、僕のクラスメイトのものなんだけどね。酷く使い勝手が悪い。正直実践で使う機会あるかなって思ってたんだけど」

 

 ピタッ。と総一郎の頬に触れる楕円形の物体。

 それを恐る恐る手にとって見て彼は雄叫びを上げた。

 

「こ、これはぁああーーッ!? この黒くて脂ぎった6本足の昆虫はぁあああ!?」

 

 それは不潔な環境では必ずといっていいほどお目にかかる昆虫。

 恐らく人類誕生以前から存在し、人間の遺伝子に深く刻まれた恐怖の象徴。

 その形状・フォルムは、理屈なく生理的嫌悪感を抱かせる。

 ゴキブリだった。

 その大群が、ビルの隙間から、土管の中から、まるで排水されるかのようにあふれ出てくる。

 

精神観応(テレパス)レベル2。離れた物体とコミュニケーションが取れる。(但し、――能力者が特定の興奮状態に陥っている場合はレベル4クラスの能力を発揮)

 

『ハートエイク』が使用したのはクラスメイト岡成理子の能力だ。

 触れるだけで対象の能力をコピーしてしまうスタンドの特性ゆえ、毎回過剰にスキンシップを取ってくる彼女からは毎回のようにカードをゲット出来てしまっていたのだ。

 

「岡成さんは愛情の高まりでクラスアップしてたけど、僕の場合は純粋な『怒り』だね。正直君達のやり口は反吐が出るよ」

「お、おまえか。お前がやっているのかッ!? だ、だがありえない。複数の能力を使い分けるだとぉ! お前は一体……」

「君が理解する必要も無いよ。そんな事考えるまでも無く再起不能になるんだから」

「――――ッ!?」

 

 溢れ出したゴキブリの大群は総一郎の体中にへばりつき、必要とあらば穴の中に進入しようと蠢き続けている。

 

「――――――――――――――――ッ!!!!!!!!!!!!!!!!」

 

 叫び声を上げることも出来ない。

 そんな事をすればたちどころに口の中に進入してくるから。

 抵抗する事もできない。

 服やズボン。至る所から奴らは侵入を果たしているから。

 もはや恐怖でスタンドを出すことすら忘れてしまっている総一郎が出来る事は何も無い。

 ただ全てが終わるまで耐え忍ぶのみだ。

 

「――いったろう? 後味の悪い事になるって。僕だって本当は使いたくなかったんだ。この光景、思い返すたびにトラウマが蘇るんだよ」

 

 黒い人形のようになった総一郎に背を向け、八雲がその場を離れる。

 もはや結末を見届けるまでも無い。

 数秒後――能力が切れた時には、打ち上げられたアザラシの様な無残な男が路上に転がっているはずだから。

 

 ●佐々木総一郎。

 この数時間後、路上に倒れていた所を発見。そのまま病院へ搬送される。

 よほど怖い目にあったのか、病室から一歩も出れない重度の引きこもりになってしまった。

「体の中に奴らがいる!」と、毎回の様に暴れては職員に取り押さえられる日々を送る事になる。

 ――再起不能(リタイヤ)――

 

 

 

 

 

 

「……………ぅ」

 

 失っていた意識を取り戻すと、目の前は暗闇だった。

 身体を動かそうとするがうまく行かない。

 両手両足を拘束されているせいもあるだろうが、先程から身体に力が入らないのだ。

 恐らく筋弛緩系の薬品を投与されたのだろう。

 思考も酷く散漫で旨く考えをまとめる事が出来ない。

 

(……私、一体どのくらい……意識を失っていたんだろう……)と、美琴は思った。

 

 視界は効かないが身体に感じる微妙な振動から、自分は大型のトレーラーにいるのだと推察できる。

 しかしそれだけだ。

 後の記憶が酷く曖昧で、自分がどうしてこんな所に寝転がされているのか、理解が追いつかない。

 

(確か……、あの頭の中をかき回す様なノイズ音がして……、仗助達を逃がそうとして……、それで、やられちゃったんだっけ……)

 

 駆動鎧の一機から発生したノイズ音。

 あの音を聞いたとたん脳内で演算が阻害され、全身に力が入らなくなったのだ。

 それでも何とか力を振り絞り仗助達が逃げる足止めをしようとしたのだが、多勢に無勢。

 襲い掛かる駆動鎧達に、あえなく拘束され現在に至るという訳だ。

 

「…………」

 

 仗助達は無事に逃げおおせただろうか。

 黒子達は無事だろうか。

 初春や涙子達は?

 思い浮かぶのは仲間の、友達の姿。

 彼女達も手痛い仕打ちを受けているはずだ。無事でいて欲しいと心の底から思う。

 

(……振動が、止まった……?)

 

 突如、エンジンの振動が感じられなくなった。それはつまり停車したという事。

 ただの小休止では恐らく無い。

 つまり、輸送は終了したのだ。御坂美琴という名の商品の輸送が。

 敵は、自分をどうするつもりなのか。

 そして、自分は一体何をされるのか。

 あえてアジトまで連れて来た意味を考え、美琴は芽生えた不安を打ち消すだけで精一杯になる。

 

 その時、バクン――、と扉が開かれる。

 差し込まれる外の光に目がなれず、思わず顔を背ける。

 

「驚いた。まさか意識があるとは。向こう一時間位は十分に眠るだけの薬品を投与したつもりだったのだが」

「……あ……んた……だ、れ……?」

 

 かろうじてその単語だけを口にする。

 薬物の影響でしゃべる事もままならない。

 

「…………」

 

 姿を現したのは、20代くらいの男だった。

 白衣を着た中肉中背の男。

 眼鏡のしたから鋭い目つきでこちらを覗き込む男の第一印象は、一言で言うなら「嫌なやつ」だった。

 何と言うか、醸しだされる雰囲気が好きじゃない。

 地べたを這いつくばっている自分を見下ろすその表情は、「哀れみ」とか「同情」という感情からは大きくかけ離れている。しいていうなら「モルモット」を見るような視線だ。

 

「危ない危ない。追い詰められたネズミは、猫を噛む為に虎視眈々と喉元を狙っているものだ。東方仗助との戦いでその事は十分に承知している。これ以上は近づかないよ」

「……な……んで……ア……んた……が……」

 

 仗助の名前を知っているんだ――。そう問おうとした美琴だったが、突如襲う頭の痺れでそれは果たせなくなる。

 無理やりに薬品を注入されたような意識の喪失感は一体――?

 

「……ぁ……ぁ……ぁ」

「私の『サンタ・サングレ(聖なる血)』に向かう敵なし――。ついにフェブリを手に入れた。これでやっと、あの方をこの世界に光臨させる事が出来る。……長かった……本当に、悠久の様な数十年だった……」

 

 男が何を言っているのか、もはや美琴には理解できない。

 頭の思考は完全に麻痺し、意識は暗闇へと追いやられる。

 落ちていく。

 何処までもどこまでも、奈落の底に自分の理性が……。

 

 やがて全てが黒に塗り込められ、美琴の意識は完全に断ち切られる。

 その一瞬。

 その間際。

 美琴は願った。

 他人の力を借りる事を、この上なく嫌う彼女が、初めて願った。

 

 ――お願い。助けて、当麻――と。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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