とある科学と回帰の金剛石《ダイヤモンド》   作:ヴァン

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木山とフェブリ

 これは、木山春生から生み出されたAIMバーストが、御坂美琴により阻止された7月24日の直後から始まる物語――

 事件の後、警備員(アンチスキル)により逮捕・拘留された木山は、収監された留置場にて無為な時間を過ごしている……訳ではなかった。

 頭の中では既に既に出所後の事を見据え別のプランを構築、思考をめぐらせていた。

 

 ――全ては子供達を目覚めさせる為に。

 

 こんな所で挫けている場合ではないのだ。

 今回の一件は結果として死者の類が出さなかったが、AIMバーストなる化け物を生み出すという醜態を晒してしまった。

 構築したシステムは手元から離れ、暴走を起こし、多数の被害を引き起こす所だった。

 

 ――今回の失敗を教訓に、もっと安全な計画を練らなければ。出来るだけ周囲に被害を及ぼさず、誰も傷つかないない計画を……

 

 そんな時だった。拘留中の木山に対し、保釈が決定されたのは。

 勿論保釈の申請は出していたが、正直たった数日で通るとは思いも寄らなかった。

 木山は多少面食らう気持ちだったが、これには何か裏、というか駆け引きの匂いを感じ取っていたのも事実だった。

 そして保釈後――鏑木という車椅子の老人が接触して来た時、付随する陰謀の予感は確信へと変わった。

 

「一体私に、何をさせるつもりだ?」

 

 だから開口一番にこう言ってやった。

 先手を打たれた鏑木は多少驚きの表情を浮かべたが、すぐさま元の笑みを絶やさない表情に戻った。

 ……木原幻生(あの男)を連想させる、嫌な笑みだと木山は思った。

 

「この度の一軒では残念な結果に終りましたね。余計な邪魔さえ入らなければ、貴方は本懐を遂げられたというのに……」

「いらぬ世辞はいい、要件だけを言ってくれ。何故、私の身元引受人になった?」

 

 木山の保釈は、裁判所の裁量で決定される『裁量保釈』だった。正直、1万人以上の被害を出した自分に対する飯山としてはあまりに妥当ではない。恐らく、上層部側と裁判所の方で、「木山を保釈させろ」というやり取り――取引ともいう――があったに違いない。

 つまり目の前のこの老人は自分よりセクションの上の人間。という事になる。

 その人間が一体何をさせようというのか。

 

「では、単刀直入に。貴方の生徒――いや、元・生徒達といった方が良いですかな? その子供達を助ける方法を提供しようといったら、貴方、信じますか?」

「なん……だと……」

 

 今度は木山の方が驚愕の表情を作り、言葉を詰まらせる。

 

「貴方は確か、教員免許をお持ちでしたな。そして子供達に対しても同情的で感情的だ。――まあ、だからこんな事件を起こしたんですからなぁ……。正直、学生をモルモットとしか見ていないこの街の科学者としては、かなり貴重な存在ですよ貴方は」

 

 鏑木はしきりに「ウンウン」と何度も頷き、何事かを納得している様子だ。そして言葉を続ける。

 

「だから貴方には我々の生み出した『フェブリ』の母親役として、教育係をお願いしたい。

学習装置(テスタメント)では駄目なのです。何故なら『スタンド』とは人間の精神力で操作するもの。

幾らうわべだけの知識を埋め込んでみても、能力は不安定で安定しないのです。

貴方には人間(・・)を、あの子に教えてあげて欲しい」

「……何を言っている? ……スタンド? フェブリ? 一体何の話だ?」

 

 聞きなれない単語と唐突な教鞭の誘い。

 苦い過去がどうしても思い出され、頭の中を反芻する。

 

「あの子は不安定な状態なのですよ。夜鳴きを繰り返し、研究職員には決して懐かない。

 それどころか気に入らない職員には自分の能力で暴行すら働く始末でしてね。

 だからまずは「愛」を教え、精神を安定させる必要がある訳です」

「……何故、私なのかの回答にはなっていないな。どうして身内の人間を使わない? どうして第三者の私なのだ」

「そう! まさしくそれなのですよ!」

 

 鏑木は手を叩き「正解!」と木山に賛辞を送る。

 

「あの子の力は強大だ。少しでも機嫌を損ねれば、研究所位消滅させかねない能力を有している。いや、ヘタをすれば世界そのものを消し去る事だって不可能な事では無い。

 そんな化け物に対してね、誰が進んで母親役を買って出ましょうか? いや、するわけは無い。

 戸惑い、卑屈、恐怖、子供はそんな感情に敏感ですからなぁ……」

「――その点、第三者の人間を使えば幾ら犠牲になろうが構わないと言う事か。まったく、学園都市(この街の住人)らしい腐った考えだよ、まったく」

「褒め言葉として受け取っておきますよ。

 優秀な我が研究員を犠牲にする事態だけは、避けねばならぬものでね。(……目的の達成まではね)

それに、利害は一致しているではありませんか。貴方は子供達を助けたい。我々は研究を成功させたい。命を賭ける価値は大いにあると思いますよ」

「……その為に私に人身御供になれというのか?」

「もし協力していただけるなら、真っ先にフェブリの能力を使わせてあげますよ」

 

 まったく悪びれず、悪意を隠そうともしないこの態度。

 さすが学園都市の住人(科学者)だ。人間的に一本欠けている。

 そしてここまで自分達の手の内を見せたと言うことは、断ればタダで済ます気は無いと言う事でもあった。

 

「後日、迎えのものを寄こします。選択はその時までに。――ああ、そうだ」

 

 立ち去る直前、まるでついでを思い出したかのような口ぶりで木山に言う。

 

「もし貴方が首を縦に振らなければ、今の(・・)フェブリは用済みですので廃棄処分される事になりますのであしからず。

――いやいや、特に気にしないで下さい。別にこれを貴方の判断材料にしろとは言っておりませんので。

孤独な老人のただの独り言ですよ、独り言……」

「!!」

 

 鏑木は「クックックッ」という含み笑いを残し、姿を消した。

 

今の(・・)。と言ったな、あの老人は。つまりこれまでにも何体も……」

 

 何の実験かは知らないが、あの老人は木山の目的を知っている。子供達を助けようとしている事を知っている!知った上で、あえて(・・・)そういう風に(・・・・・・)言ったのだ。

 

 ――見ず知らずの、赤の他人である子供の教育係となるのだ。だめならフェブリは殺す。

 お前は子供を救う為にこんな事件を起こした。そんなお前が、同じような子供を見殺しにするのか?

 出来ないだろう?

 だから協力しろ。フェブリと言う子供の命を繋ぐ為に。

 組織に忠誠を誓え――

 

 口には出さなかったが、鏑木はそう言っているのだ。

 あの含み笑いはそういう意味なのだ。

 

「くそっ……」

 

 迷うことは無い。断ればいいのだ。

 赤の他人の子供にかまけているより未だ目覚めぬ子供達の事を優先するべきだ。

 断った後の身の安全は分からない。しかし、そんな火中の栗を拾う様な真似をする方が遥かに危険だ。

 そう、考えるまでも無い。

 自分の研究を進めるべきなのだ。

 だが――

 

「くそぅ……。あの老人……」

 

 悪態。――にも程遠い、弱々しい呟きが木山の口から零れ出た。

 答えなど、出せるはずも無い。

 だが、見捨てることも出来ない。

 間接的にでも、命の灯火を消し去る行為に加担するような真似は、自分には出来そうもなかった。

 

 ――何故なら、例え数ヶ月の間だったとしても、自分は教鞭をふるい、子供達を導く立場にあったのだから。

 誰かに感謝される喜びを、成長していく生徒達を見守る尊さを、あの子達に教えられたのだから……

 自分を人間に戻してくれた彼らを裏切る生き方だけはしないと誓ったのだから。

 

「あ……」

 

 そこで木山は気づいてしまった。

 子供達を助ける。

 その事だけに目を奪われ、自分は多くの人間を傷つける行為を働いてしまった事に。

 子供達さえ元に戻れば、全てが元通りになると思っていた。

 

 だがそんな訳は無いのだ。

 犠牲にしてしまった1万人の学生達。

 確かに身体には何の障害は残らないだろう。

 しかし、その時に負った心の傷は? 

 事件によって地に落ちた彼らの社会的信用は?

 犯罪に走った彼らの今後は?

 一体誰が埋め、誰が保証するというのだ。

 

 自分の犯した行動は、子供達に胸を張って誇れる行為だったのだろうか。

 今の自分を見て、自分の仕出かした行為を知って、果たしてあの子達は笑顔で迎え入れてくれるだろうか?

 

「私は……なんと言うことを……」

 

 ――私は同じだ。あの鏑木と言う男と同じ事をしていた。

 自分の目的に為に、他人の人生を踏みにじる行為を無自覚に行ってしまった! ――

 

 がくり――と膝をつきながら、木山は自分の犯してしまった行為とその規模に、

 ただただ押しつぶされない様に蹲るしかなかった。

 

 

 ――後日、組織の人間が迎えの車を寄こし、待ち合わせの場所にやってきた。

 

「…………」

 

 そこには神妙な面持ちで指定された場所に佇む木山がいた。

 その表情は硬く、ある種の決意に満ちた形相をしている。

 

 自分は褒められた人間ではないだろうし、自分が行ってしまった行為は決して許されるモノでは無いだろう。

 だが、それでも――

 彼らの行おうとしている実験が『吐き気を催す悪』だと分かる!

 

(助け出そう、この命に代えて。フェブリと言う少女を。……これは贖罪でも、自己満足でも何でもない。

自分がやらなければならない事だ)

 

 ここで自らを偽れば、自分は一生後悔する事になる。

 だから本能に従おう。

 今の自分は、胸の内に沸き起こるこの衝動を無視する事など出来ない。

 

「……それは?」

「注入型・ナノビーコンです。万が一と言う事がありますので、受け入れていただきます」

 

 黒服の男が銀色の容器から注射器を取り出す。

 木山はそれを無言で受け入れる。

 

(成る程、犬やネコと同じくこれで私を管理するという訳か。何処にも逃げられないように)

 

 右腕に注入される様子を見ながら、木山はそれでも構わないと思った。

 まずはフェブリと言う少女と接触する事が第一だ。それ以外は考えるな。

 それに好都合だと思った。

 万が一の時には自分が囮になる事が出来るのだから。

 

 やがて黒いリムジンに乗せられた木山はそのまま第23学区まで連れてこられる。

 その一区画の台形状の建物の中へ。

 

 中では鏑木が笑顔で木山を出迎えてくれた。

 

「――やあ、お待ちしていましたよ。いやはや、やはり貴方なら来てくれると思っていましたよ」

「…………」

 

 いけしゃあしゃあとそんな事を言う鏑木に、木山はため息しか出てこなかった。

 どの口がそんな事を言うんだ? と。

 

「ではさっそく、フェブリとご対面といきますか。今は落ち着いていますが、先程までまた癇癪を起こしましてね。貴重な研究員が2名ほど、手痛い仕打ちを受けましたよ」

「何をされたのです? 噛み付かれでもしましたか?」

「いや、消滅させられましたよ。この世から完璧にね」

「え……」

「あの子は自分の描いた絵に能力を付属させる事が出来るのですよ。どの様な能力でもね。

先程は二対の巨人の絵を描き、この世界に具現化させました。

付与させた能力は、『自分の回答に嘘偽りなく答えなかったらこの世から消滅させる』と言うものでしてね。

2名の研究員はそれにやられてしまったと言う訳ですよ」

 

 そう言った鏑木の表情はそれほど残念そうには見えなかった。むしろもっと能力を見せて欲しいと言わんばかりの感情を、言葉の端々から感じ取れる。それは科学者特有の、純粋な好奇心から来る欲求だ。

 

「一体なんなのです? フェブリと言う少女の能力は? 話を聞く限り、この学園都市の能力とはまるで異質なものの様に思える。先日貴方が言った『スタンド』という物と、何か関係があるのか?」

「流石に鋭いですな。ですが私の説明より、実際に体感なさった方が理解もお早いでしょう。――もっとも、出会い頭に洗礼を受ける危険も無きにしも非ず、ですがね」

 

 鏑木は短く笑うと「では行きましょうか」と先導をする形で先を行く。

 その後に木山も続く。

 

 廊下を渡り、何重にも渡る厳重なセキュリティを通り抜け、扉の一室にたどり着く。

 厳重で巨大な扉が設置されているが、話の通りのフェブリの能力ならば、こんなものがなんの役に立つと言うのだろう。

 恐らくこの扉はここの職員の意思表示、恐怖の具現化なのだ。

 叶うことなら永遠に閉じ込めておきたい。だが、研究の為には観察しなければならない。

 そんな恐れとおののきの感情を、木山は扉から感じ取っていた。

 

 その扉がゆっくりと鈍い音を立てて開いていく。

 中を除いてみるが室内は薄暗く、ここからでは中の様子は窺い知れない。

 

「では私はここで御暇させて貰いますよ。フェブリの機嫌を損ねて、うっかり消滅させられちゃ叶いませんからな。またお会いしましょう、……貴方が生きていたらね」

 

 叶うならもう二度と会いたくは無い――心の中でそう毒づきながら、木山は扉の中へと入っていく。

 薄暗い室内は、木山が入るとパッと明るくなった。

 どうやらモーションセンサーが作動して点灯した様だが、そうなると目的のフェブリは動いていない事になる。

 眠ってしまったのだろうか?

 木山は周囲に目を配り、フェブリを探す。

 暗い時には分からなかったが、部屋の中はかなり広い。

 木山が愛用していた図書館の一区画と同じ位の大きさだ。

 周囲には子供用の様々なおもちゃや、本、人形などが散乱としている。

 その中心部に、毛布に蹲った少女がいた。

 

 遠目からでも分かる金色に輝く髪を持つ少女は、顔意外をすっぽりと毛布で覆い、寝息を立てている。

 この少女が鏑木が言っていた『フェブリ』だろう。

 「スースー」と胸を前後させて寝入る姿は、とても危険人物のようには思えない。

 歳相応の子供の寝顔だ。

 

「しかし困った。

 どうやら出会い頭にいきなり消滅させられるという事態は回避されたようだが、これからどうしようか」

 

 声をかけて起こすか?

 それともフェブリが起きてくれるまで待とうか。

 

「――まったく、子供相手に右往左往させられる……これではあの時と同じだ」

 

 とりあえずフェブリの近くに腰を下ろす。何気なく、その綺麗な髪に触れてみる。

 さらりとした、とてもしなやかな髪だ。

 熱を感じた。

 生命としての息吹の熱を。

 それはあの子達と同じだ。

 

 目を閉じれば思いだされる。

 記憶の中の子供達は、いつまでもあの頃の姿のまま、こちらに向かい笑いかけてくれる。

 

 ――先生ぇ、木山先生っ。お誕生日おめでとうっ。

 ――あーー、またニンジン残してるぅ~~。だめなんだよっ、好き嫌いしちゃっ。

 ――私ね、この街の役に立てる人間になりたいっ。学園都市に育ててもらった恩返しをするの。

 

 ――せんせいっ。

 ――木山せんせい!

 

 ――だ~い好き!

 

 

「――はっ!」

 

 気が付けば瞳に熱いものが潤んでいた。

 どうやら短い間だがうたた寝をしてしまったらしい。

 最近見なかった当時の夢をまた見てしまった。

 木山は目尻を拭い、そっとフェブリの方へ――

 

 ――いない!?

 

「……おばちゃん、だれ?」

 

 とても低い、警戒と敵意の篭った声が前方から聞こえる。

 正面を向くとそこには毛布を羽織ったフェブリがこちらを見据えていた。

 そしてその両脇にはなんとも形容しがたい二対のとても大きな人間――の出来損ない――の様な物体が、威圧的にこちらを凝視していた。

 まるで幼女の落書きそのままが出現したかの様なその容姿に、木山は先程鏑木が言っていた言葉を思い出す。

 

「――成る程、これが君の能力という訳か。どんな能力すら付随させるという……」

 

 フェブリが両手に抱える様にして手にしている画用紙。恐らくそこからこの物体は出現したのだ。

 そして情報通りならこの巨人に付随してある能力は職員を消したものと同様のもの。

 

 質問には嘘偽りなく答えなければならない。

 

「木山春生という。今日から君の教育係を任された」

「うーー……」

 

 フェブリは注意深く巨人と木山を交互に見る。

 

「…………」

 

 巨人は何の反応も示さない。それはつまり真実を言っているという事だ。

 それでもフェブリは警戒を解かずに、質問をする。

 

「おばちゃんは良い(白い)人? それとも悪い(黒い)人? 答えて」

「これはまた、単刀直入な質問だな。しかし困る質問だ」

 

 木山は熟考し答えを慎重に選ぶ。良いも悪いも、白も黒も。価値観の相違でまったく答えが異なる。

 それに何より自分から私は良い人、悪い人です――などと正面切って言う人間はいない。

 しかし答えは嘘偽り無く答えなければならない。

 だから木山は思った答えを正直に話す。

 

「私は一度罪を犯した人間だ。だから答えは黒だとは思うが……、そんな私でも『邪悪』というものがどういったものか分かるつもりだ。『邪悪』とは、自分の欲望を満たす為に、他人の人生を破壊しても構わないと考える精神の事だ。

 そして私はそんな精神の捻じ曲がった連中に対し、強い憤りと怒りを覚えている。

 だから今の私の答えは黒でも白でもなくグレー(灰色)だと言っておこうか。

 正しい道(白い)を歩みたいと思ってはいるがね」

「――?????」

「今は分からなくていい。だが君はその渦中にいる。組織の都合でその人生を弄ばれ様としている。だから私は来たのだ」

 

 フェブリは目を白黒させて混乱しているようだった。

 未だかつて自分に対しこの様な事を言った人間は誰もいなかったからだ。

 そして巨人は何も動じない。

 つまりこの女性は本心を話していると言う事。

 それが益々フェブリを混乱させた。

 

「そういえばまだ君の名を聞いていなかったな。外の連中から名前を聞いてはいるが、直接君の口から聞きたい」

 

 木山はすっと手を差し伸べる。

 

「あ……」

 

 それは木山にとってはスキンシップの握手のつもりだった。

 だがフェブリにはそれが自分をここから連れ出してくれる救いの手に見えていた。

 

 一人だった。

 ずっとずっと、一人だった。

 毎日毎日痛い注射を打たれ、

 毎日毎日研究用のデータを取らされる日々。

 自分と同じ容姿の人間は以前は大勢いたが、一人減り二人減り……、気付けば自分だけになっていた。

 職員から自発的に話し掛けてくれる事も無く、会話らしい会話も無い。

 誰も必要以上に自分に話しかけてくれない。

 

 そんな自分の唯一の慰みは絵を描くことだけ。

 そして記憶の奥底に生まれた「絵里奈」という女性の記憶のみだった。

「絵里奈」は母親になりたかった。

 だけどそれは果たせず、学園都市を去っていった。

 記憶に残っているのはその後悔の念のみ。

 その記憶が、母親とはどういうものか教えてくれた。

 

 母親とは子供を慈しみ、深い愛情で包み込んでくれる存在だと。

 

 出来れば「絵里奈」の願いを叶えてやりたかった。

 自分が「絵里奈」のい生まれ変わりなのだとしたら、その願いを叶えてやるのは自分しかいない。

 だけど、本心は逆だった。

 母という愛情を知らずに生まれたフェブリは、いつしかその愛情を自分に授けてくれる存在を願うようになっていた。

 だから絵に描いた。こっそりと、自分の願いが叶いますようにと。

 

 そして、その願いが叶う日が来た。

 

「あ……あ……」

 

 フェブリは差し出された木山の手を握り返しながら思った。

 この人が、きっとフェブリのママになってくれる人に違いない――と。

 

「ママァっ!」

「お、おい!?」

 

 気が付けばフェブリが抱きついてきた。これまでの感情を吐露するかのようにワンワンと泣き腫らしながら。

 その様子に流石の木山も面食らう。

 

「やれやれ……子供は本当に感情で動く。敵意をむき出しにしたかと思えばこのように懐いてくるとは……本当に論理的ではない」

 

 だがそう言う木山の表情はとても穏やかだ。

 優しくフェブリの髪を撫で、落ち着くまで待ってやる。

 そして幾分か泣き声が緩んだ所で耳元に口を寄せる。

 

「――君を助けたい。だがその為には監視の目が緩んでいる時を狙う必要がある。だから協力して欲しい。頃合を見てここの施設から抜け出す為に」

「……うん。ママと一緒にいられるなら、フェブリなんでもする」

 

 小声でささやくその声に、フェブリは力強く首を縦に振る。

 

「ママか……、そのような年齢ではないのだがな」

「でもっ、ママはママだもんっ、こうしてフェブリを助けに来てくれたもん」

「声が大きいっ。分かったからもう少し静かに話してくれ」

 

 母親役をやってくれとはいわれていたが、まさかフェブリからそう申し出されるとは。

 木山は苦笑を持って答えるしかなかった。

 

 

 ――これが、フェブリと木山の最初の出会い。

 それから二週間の後、組織を抜け出したフェブリと仗助がめぐり合う事により、物語は動き始める――

 

 

 

 

 

「――さんっ! 佐天さんっ! それに、ああ……白井さんまでっ。しっかりして下さい!」

 

 煙の中から出現した駆動鎧(パワードスーツ)の射撃は、正確に二人の腹部に命中した。

 あまりにも突然。

 あまりにも迅速な襲撃に、不意を疲れた黒子と涙子は、放たれた弾丸を交わす事も出来なかった。

 床にひれ伏す様に倒れ、動かない二人の下に初春が駆け寄る。

 

 だが、きっと、ただでは済むまい。

 なにしろ銃で撃たれたのだ、このまま元気に何事も無く起き上がるなんて事、あるはずない。

 それでも初春は駆け寄らずには居られなかった。

 涙子の元へ縋りつくようにしてたどり着き、その身体を揺さぶる。

 

「佐天さん! 佐天さんっ! お願いです、返事をして下さいっ!」

 

 動揺と混乱と、恐怖を隠し切れず、冷静な判断を失いつつある彼女の心を落ち着かせたのは他でも無い、木山の一喝だった。

 

「落ち着きたまえ! 君らしくも無い。私と対峙した時の勇ましい君は何処へ行った!?」

「で、でも!」

「彼女達に使用されたのは恐らく液状プラスチック弾だ。当たれば痛いが、あくまで敵を無力化するのが目的。殺傷能力はほぼ無いに等しい」

「え?」

「彼らの目的を考えてみたまえ。ここで実弾なんぞ発射したら、流れ弾でフェブリに当たる可能性だってある。奴等はフェブリを五体満足で手に入れたい。おいそれと使用する事なんか出来ないのさ」

「あ……」

 

 頭に上った血が次第に引いていく。

 冷静さを取り戻し、状況が見えてくる。

 

「うう……」

 

 涙子の口から小さなうめき声が聞こえる。

 身体に触れてみるが出血もしていない様子だ。

 木山の言うとおり、衝撃を受け意識を失っているだけの様だ。

 

「すみません、木山先生……。私、取り乱してしまって」

「今は気を強く持て。どんなに状況が絶望的だろうが諦めるな。そして考え続けろ、自分達が生き延びる方法を」

 

 背中にフェブリを背負った木山は、黒子の下へ歩み寄るとその肩を抱き立ち上がらせる。

 

「君は長髪の友人を。混乱に乗じて脱出するぞ」

「混乱?」

「――ドォラアアアアアアアアーーーーッ!!」

 

 誰かの叫び声と同時に、何かを破壊するような音が前方から聞こえた。

 そちらに意識を向けると、そこには仗助が駆動鎧(パワードスーツ)一体を壁に叩きつける、まさにその瞬間だった。

 

「東方さん!」

「戦闘能力を持たない我々はこの場では邪魔だ。頃合を見て抜け出すぞ」

「で、でも。たった一人で、あんなにたくさんの相手をっ!」

 

 見ると破壊されたのと同等の駆動鎧(パワードスーツ)が4対新たに出現し、仗助と対峙している。

 幾らスタンド能力を持とうが、あんな大勢を相手するなんてあまりに無謀だ。

 

「心配いらんよ。露払いは彼らもやってくれる」

「え?」

 

 木山が視線を送る、その先には――

 

「――東方仗助、先に謝っておくわ。アンタの部屋、滅茶苦茶にしちゃうかもしんないから」

「……誰かと戦うって行為、すごい嫌いだ。それでもこんな理不尽をやられて黙ってられる程、僕は温厚じゃあないよ」

 

 御坂美琴。

 八雲憲剛。

 

 いつに無く険しい顔つきをした二人が、戦闘中の仗助に加担する為、悠然と駆動鎧(パワードスーツ)の元へ赴いていった。

 

「「絶対に! ぶっ飛ばしてやる!」」

 

 

 

 


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