とある科学と回帰の金剛石《ダイヤモンド》   作:ヴァン

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東方仗助の邂逅 その②

 あなたにとって一番のくつろげる場所は?

 仮にそういう質問をかけられた時、殆どの人は迷う事無く『自室』と答えるだろう。

 

 自分だけの城。

 自分だけの時間。

 自分だけの空間。

 

 とかくストレスが溜まり易いといわれる現代社会においては、くつろげる場所をいかに確保できるかによって精神的なバイオリズムも変化すると言うのだから、疎かにする事は出来ない。

 一人になれる環境、くつろげる場所を確保すると言う事は、人間にとって必要な事なのである。

 

「……………………」

 

 東方仗助にとってもそれは例外ではない。

 彼は自分の部屋に愛着を持っており、少ない生活費の中でから手間隙かけて部屋を改装していた。

 

「……………………むにゃむにゃ」

 

 自分で組んだベッドフレーム。そして7万かけて購入した高反発マットの上でぐっすりとご就寝の彼は、自分の城に大いに満足していた。

 太陽光を完全に遮断する遮光カーテン(マイナスイオン発生機能有り)

 目にはホットアイマスク(カモミールの匂い付き)。

 BGMとしてヒーリング音楽を流し、爽やかな朝を迎える。

 

 ――やっぱりかけるべき所には金をかけなきゃな。とは彼の談である。

 

「うーーん…………後5分……むにゃ……」

 

 意識の覚醒を自覚する。

 このまま夢心地から覚醒に至るまで数分もかからないだろう。

 それまで暫くこの至福のひと時を満喫したい。

 そう思い、仗助が寝返りを打ったとき、

 べちゃり――、と。

 早朝のまどろみの一時を阻害する、気持ち悪い感覚を感じた。

 

「?……?……?……?……」

 

 最初、それが何なのか理解できなかった。

 というか、理解したくなかった。

 それはこの聖域にあってはならないもの、縁遠いもののはずだったから。

 だが、時間と共にそこはかとなく漂ってくる異臭は、否が応でもアレ(・・)を連想してしまう。

 

「うおっ!?」

 

 反射的に、本能的に、仗助は飛び起きた。

 アイマスクを外し、その正体を確かめる。

 

「なっ!? ――お、お前はっ!?」

「くーーくーー」

 

 そこにいたのは昨日と同じ、ゴスロリ服を着込んだ少女、フェブリ。

 そのフェブリが身体を九の字に折り曲げて、かわいい寝息を立てている。

 なぜフェブリが? とか、

 どうやってここに? とか、

 聞きたいことは山ほどあるが今はどうでもいい。

 今の仗助にとって重要なのはフェブリの腹部だ。

 彼女の股間を中心にベッドを染め上げている染みについてだ。

 

「お、お前。……ま、まさか……信じらんねぇ。――うおおおっ!? この色といい、匂いといい……、もしかしなくても、お前……っ!?」

 

 仗助はブルブルと指先を震わせ、フェブリを指す。この平穏な世界を乱す悪臭の原因を指し示す!

 

「――し、しやが(・・・・・)ったぁ~~ッ!?(・・・・・・・・)

「……ふみゃ?」

 

 マンションの一室に木霊する絶叫を前に、寝ぼけ眼のフェブリが目を覚ました。

 

 

 

「い~~や~~っ!」

「うるせえっ! おとなしく洗われやがれっ!」

「あ~~ん、目がしみるよ~~」

「泣きてぇのはこっちだよっ、ちくしょうっ」

 

 フェブリがした粗相(・・)を見つけるなり、仗助は有無を言わさず彼女を浴槽へと連れ込んだ。

 そのまま濡れた服を脱がし、石鹸とスポンジで汚れを洗い落とす。

 ついでにそのまま全身を泡まみれにする。

 しかし男の力で擦られて、かなり痛かったようだ。

 フェブリが「いたいいたい」と非難の声を上げる。

 

「ちったぁ、我慢しやがれっ。7万だぞ、7万っ。あの高反発マット! マニュアルに洩らした時の対処法なんて書いて無いしよぉ~~っ。影干しでなんとかなんのか、あれ?」

 

 フェブリは寝ている仗助の足元に、抱きつくようにして寝ていた。

 当然、その被害はズボンにも及ぶ訳で……

 仗助はついでに自身の服も脱ぎ、一緒に汚れを洗い落とす事にした。

 

「まずカバーを全部外さなきゃなぁ……。問題はマットレスだぜ、こればっかりは俺の『クレイジー・ダイヤモンド』でもどうしようもねぇし……」

「うわ~~んっ」

「おいっ、ちょっとまて! まだ出んなっ!」

 

 仗助の力が緩んだ隙を見計らって、フェブリが脱走した。

 腕の間をくぐり抜け、泡だらけの身体のままリビングへと。

 ……リビング?

 

「ちょっとまてぇええええええええええ!?」

 

 本日二度目の絶叫は風呂の中だった。

 

「冗談じゃあねぇぞ! あんなビチョビチョの身体のままあちこち動き回られたら間違いなくカビるっ、俺の部屋がっ!」

 

 仗助の頭に浮かんだ、自分の聖域が蹂躙されるイメージ。

 このままあの小さな悪魔に好き勝手動き回られるのだけは、なんとしても阻止しなくては。

 仗助も慌てて後を追う。――まったく朝っぱらからなんて日だよ。厄日か、今日は! そう毒づきながらフェブリを追いかける!

 

「おーい、フェブリ。もう怒んないからよぉ、頼むから風呂場に戻ろうぜ。素っ裸のままでいたら風邪引くだろ? 身体拭いてやっからよ――!?」

 

 その時、ガチャっと玄関のドアが開く音がした。

 

「あら? ドアが空いてますわ、無用心ですわね。――仗助さん、お邪魔しますわよ。 ここにフェブリさんが、――!?」

「……」

「……」

 

 リビングへと上がり込んだ黒子と鉢合わせする事数秒。二人は言葉を失い、互いに固まりあった。

 衝撃的な場面に遭遇して、思考が停止してしまったのだ。

 その停止した思考を再稼動させたのは、他でも無い、フェブリだった。

 

「あ~~んっ、じょーすけがっ、じょーすけがっ! 嫌だって言ったのに、むりやり~~」

 

 何処に隠れていたのか物陰からトットッと出てくると、涙交じりの表情で黒子の足元にしがみ付いた。

 

「……」

 

 全裸の幼女。

 涙交じり。

 無理やり。

 

 黒子の中でその言葉が意味を成すものに変換される。

 そして思考を再稼動させた黒子は怒りに震える瞳で、仗助を凝視する。

 

「仗助さんっ! アナタ、こんな小さな子供に一体何をなさったんですの! この変質者っ!」

 

 フェブリを庇うように後ろに隠し、じりじりと後ずさる。

 

「へ? ……いやいや、待て待て。何を誤解しとるか知らんが、違うからな? 俺は何もしてな――」

 

 仗助は誤解を解こうと一歩前へ。

 しかしそれがいけなかった。

 フェブリを追いかけるため急遽バスタブから出たものだから、仗助は腰にタオルを巻いただけの格好だった。

 つまりあまりに不安定。

 ちょっとの衝撃でも解けるほど、その結び目は不安定だった。

 そのタオル、一歩進んだ衝撃で、落ちた。

 

「あ」

「……」

「……ぞうさん、なの~~」

 

 フォブリは無邪気に喜んだが、黒子はそうではなかった。

 顔を引きつらせ、そのまま空間移動(テレポート)。仗助の背後に回る。

 

「うら若き乙女に何てモノ見せやがるんですのっ、この外道がぁああああーーーーっ!」

「ぐはああああーーーーっ!?」

 

 そのまま、後頭部に強烈なソバットを喰らい、仗助はもんどりうって倒れた。

 意識を失う直前、仗助は思った。

 

 ――やはり、今日は、厄日、だ……ぜ……

 

 

 

 

「――駄目ではありませんのフェブリさん。勝手に姿を消したりして……。佐天さんや初春が心配していましたわよ」

 

 フライパンにバターを投入するとたちまち黄色い液状に戻る。その中に鶏肉と玉ねぎを投入し、炒める。

 室内にバターのいい匂いが充満しだす。

 

「……だって、じょーすけのトコに行きたかったんだもん」フェブリが椅子に座ったまま両足をぶらぶらとさせる。

 

 彼女なりに悪い事をしたという自覚はあるのだろう。ばつが悪そうな表情を浮かべてうつむく。

 

「まったく、こんな変態露出魔の何処が良いんだか――」炒めた玉ねぎが透明になってきた所で塩、湖沼で味付けをし、ご飯を加えてほぐす。

 

「人の部屋に勝手に入った上に、暴行を加えた誰かさんには言われたくねぇセリフだなぁ、おい。何の説明も聴かずによぉ」

「あら、仗助さん。この国には差し迫った身の危険を感じた場合に限り、反撃しても良いという法律がありますのよ?」

 

 ご飯がパラパラとしてきた所にトマトケチャップを加える。さっと中身を別の容器に移し、とき卵を熱したフライパンに投入。半熟状になった卵にチキンライスを入れ、卵をそっとチキンライスにかぶせる。

 

「ザケンナっ。どこら辺に身の危険を感じたっつーんだコラ」

「その下半身から生えた凶悪な一物を振り回して近づいてきた瞬間にですわよっ!」

 

 ドン、と黒子は仗助に悪態を突きつつ、両手に持った皿をテーブルに置いた。

 皿の中身はフェブリのリクエスト通りオムライスで、三人分。ご丁寧にケチャップでデフォルメされたカエルが描かれ、旗まで刺さっていた。

 黒子は制服に仗助から借りたエプロンを装着し、「ふんっ」とふんぞり返る。

 

 フェブリのお腹がぐうと鳴ったのを機に、自ら朝食を作ると立候補してくれたのは黒子自身だった。仗助からエプロンを借り、テキパキと料理をこなしていく。

 恐らく問答無用で攻撃してしまった事に対する、黒子なりのけじめのとり方だったのだろう。

 黒子は飲み物とスプーンを並べ終えると、自身もテーブルに座り両手を合わせる。

 そして仗助達に言う。

 

「ホラホラ、早くお食べなさいな。もうじき美琴お姉さま達も来られるんですから。はい、いただきます」

「うわーーっ。かえるさんだぁーーっ」

 

 オムライスを見るなりフェブリが目を輝かせる。スプーンをもって早速一口。

 

「う~~ん。おいちぃ~~」顔を綻ばせながら、ぱくぱくと食べる。

 

「…………」

「……なんですの? 毒なんて入っていませんわよ」

「いや、あまりにも意外っつーか……」一口、二口とオムライスを口に入れながら仗助が素直な気持ちを言う。

 よく行くファミレスのメニューに並んでいても遜色ない位の、美味しいオムライスだった。

 

「大方、まともな料理なんて出来るはずが無いとお思いだったんでしょうけど、お生憎様ですわね。こんなもの、淑女の嗜みのたった一つに過ぎませんわ」

 

 黒子が自分の作ったオムライスに口を付けながらそう毒ずく。

 

「ったく素直じゃあねーな。謝罪の気持ちを形にしただけって素直に言やあいいのによぉ」

「……何か勘違いされているようですけど、これはお腹をすかせたフェブリさんの為に作った料理であって、仗助さんの分はオマケでついでだと言う事を念押しさせていただきますわ」

「……ホントに口の減らねぇ女だなっ……て言いたい所だが、うまいメシを食わせてもらった礼儀で聞かなかったことにしてやるよ。――それにしても、良くフェブリがここにいるってわかったな」

「そんなもの、ちょっと推理すれば分かりますわよ。フェブリさんはどういう訳か仗助さんにご執着な様子でしたしね。恐らく目が覚めたときに仗助さんがいなくて、思わず能力を使用してしまったんでしょう」

「そこが分からねぇんだよな。どうしてフェブリ(こいつ)は、俺に執着するんだろうな」

 

 仗助は朝食を食べ終えてご満悦のフェブリを見る。

 

「ふんふんふんふ~~ん♪」

 

 フェブリはリュックから画用紙を取り出し、無邪気に絵を描き始めている。

 この幼女が自分にこだわる理由が分からない。

 それに気になる事がもう一つ。

 フェブリの能力についてだ。

 

 フェブリは自分の能力で仗助の自室に移動してきた。

 住所教えた覚えも無いはずの少女が、能力を使って仗助の元までたどり着いてきたのである。

 書いた物を実体化させるスタンド能力を持つフェブリ。

 しかしその本質はもっと別のところにあるのでは無いか? 仗助は直感的にそう感じていた。

 組織が大量にクローンを使い、完成にこぎつけた少女である。そこには絶対に意味があるはずだ。

 

(もしかすると……。コイツの能力は俺が思っていた以上に厄介なものなのかも知れねぇな)

 

 仗助がフェブリの能力について想像を巡らせていると、「できた~~♪」と元気な声が聞こえた。

 

「あら、お上手。真ん中のは、フェブリさん? ですが長身が……」

 

 ご満悦の様子でフェブリが描いた絵を二人に見せる。しかしその内容に違和感を覚えた黒子が素直な疑問を口にする。

 フェブリの描いた絵には金髪の人物と黒髪の人物が描かれている。

 だがそれは「子供を書いた」と言うにはあまりにも身長が高く、むしろ両親を書いたと言った方がしっくり来る。そして金髪の人物の胸元には丸っこい顔の様なものが描かれている。これは、子供を抱く両親の絵なのだろうか? しかし何故こんなものを?

 

「これは昔のフェブリ~~。隣はこいびとの『みなつきごろう』さん。それで、フェブリが抱いてるのは『じょーすけ』だよ」

「は?」

 

 昔のフェブリってどういう意味だ? それに俺? ――俺がフェブリ(お前)の子供? 

 仗助はフェブリの言葉の意味をどう捉えたら良いのか分からず――意味不明ともいう――理解不能、と言った表情を浮かべる。

 その瞬間だった。

 フォブリの持っていた自称・仗助の両親が描かれた画用紙が「ぐにゃり」と捻じ曲がる。

 まるで渦を描くようにぐるぐると「ねじれ」は広がり、やがてフェブリを中心にして周りの空間ごと歪ませる。

 

「こ、これは一体!?」

「何事ですのっ!?」

 

 仗助達のそんな叫びすら歪みは飲み込み、やがて収縮する。

 

「…………」

「どこですの? ここは……」

 

 気が付けば、三人は見知らぬ場所にいた。

 早朝の、まだ薄暗い孤児院。

 正門前ではシスターが清掃作業に勤しんでいる。

 

「とうちゃ~~く。ここは過去のせかい、だよ」

「過去だぁ?」

「うん。じょーすけにフェブリがいったこと本当だって信じてほしくて」

 

 フェブリが「ほら、あそこ見て」と言って、仗助の背後を指し示す。

 そこには、赤ん坊を抱いた一組の男女の姿が。

 

「あれがフェブリ、だよ。そんでだっこしてるのがじょーすけ」

 

 男女は何かを話している。どうやら胸に抱いた赤ん坊の事でモメているようだ。

 

『――残念だけど、その赤ん坊は連れて行けない。行ったとしても、親としての愛情を与えることは僕には出来ない』

『でもっ』

『今はいいさ。だが成長し次第に赤の他人として育っていくこの子を、僕達は果たしてこの子を愛せるだろうか? 僕達の誰とも顔立ちの違う、赤の他人を、君は母親として愛せるかい?』

 

 この会話だけで分かった。

 二人連れの男女は、『じょーすけ』を捨てるつもりなんだと。

 

「フェブリが生まれたときからずっとね。声がきこえてたの。『ごめんなさい。ごめんなさい』ってだれかにあやまる声が」フェブリが『じょーすけ』を抱く女性の前に歩み寄る。「それが、この人。名前はえりな」

 

『えりな』と呼ばれた女性は、成る程。顔立ちと言い、金色に光る髪といい、成長したフェブリそのものだ。

 この女性を元にフェブリは造られたのか。

 その『えりな』は男性の説得に涙ながら応じ、『じょーすけ』を抱いたまま孤児院に向かう。

 その際、身体がフェブリと接触するが、そのまますり抜け何事も無かったかのように素通りしていく。

 

「――成る程。ここは過去の世界というより、過去を再現した立体映像(プロジェクター)の様な世界なんだな」

「道理で皆さんこちらをガン無視する訳ですわね――って、仗助さんっ」

「――っ!?」

 

 黒子が思わず声をかける。偶然か、必然か、『えりな』は丁度仗助のいる所で立ち止まったからだ。そのまま抱いた『じょーすけ』に語りかける『えりな』。仗助はそれがまるで自分に対して言われているように感じ、息を呑む。

 

『ごめんね。愛してあげられなくてごめんね。傍にいてあげられなくてごめんね。お腹を痛めて生んだあなたなのにね……。きっとこれから、貴方の人生は順風満帆とは行かないものになるでしょうね。その原因の私の事を、どうか恨んで。もっと普通に、貴方に愛情をあげたかった……』

「お、おい……」

 

 涙交じりの声から搾り出すように語られる懺悔の気持ち。

 その迫力に圧倒された仗助は思わず声をかけていた。

 手を伸ばし、『えりな』の肩口に触れようとする。

 しかしここは過去を再現した映像の世界。

 伸ばした手は無情にもすり抜け、『えりな』は孤児院へと歩いていってしまった。

 

「…………」

 

 空を切った手が虚しく虚空を彷徨う。

 その瞬間再び世界は歪み、周りの景色は仗助のリビングへと戻っていく。

 気が付くと、フェブリが仗助の足元に縋りつくようにしていた。

 

「フェブリはね。『えりな』のこうかいから生まれたんだと思うの。じょーすけにごめんなさいしたい。じょーすけを愛してあげたい。ずっとずっと、『えりな』が心にいだいていた後悔のかんじょう。それがフェブリのときになって目が覚めたの」

「…………」

「だからね。これからはいっぱいいっぱい、すきすきしてあげるの。『えりな』が出来なかった事をフェブリがしてあげる。だからね。フェブリの事を本当のままだと思って甘えてくれていいんだよ?」

 

 そう言ってフェブリが「えっへん」と無い胸を張りながら仗助に語りかける。

 口調は既に母親気分だ。

 何十、何百、と作られた『えりな』のクローン体であるフェブリ。

 その内の一体である彼女になぜ記憶が引き継がれたのか、それは分からない。

 能力によるものなのか、それとも神の戯れか。

 いずれにせよ数十年をかけて果たした自称・母との邂逅に、仗助は言葉無く立ち尽くしていた。

 立ち尽くすしかなかった。

 

 それもそのはずである。

 突然押しかけてきた幼女に「私が貴方の母親だよ。だから愛してあげるね。よしよし」――などと言われて、「はいそーですか」と納得できるものではない。

 例え過去の映像を見せられたとしても、それが真実だとしても、感情が受け入れない。

 

 純粋に好意の感情を向けられるのは嬉しい。

 だが、これは違う。

 過去の人物の考えや思いに突き動かされているに過ぎない。

 例え好意を伴っている感情でもこれはもっと性質が悪い。

 言い換えるなら後悔や心残りと言う名の、『えりな』からの『呪い』だ。

 

「…………」

 

 それが仗助には気に喰わなかった。

 これからフェブリがそんな考えに囚われて生きる事に、正直むかっ腹が立っていた。

 だから仗助は自愛溢れた表情を浮かべ、こちらを見つめるるフェブリの額に思い切りデコピンをプレゼントした。

 

「い~~だ~~い~~っ!?」

「じ、仗助さん?」

「バーカ。どうして俺がオメーみてーなガキに慰められなきゃあならないんだよ。結局そりゃあ全部『えりな』の記憶で、オメーのモンじゃねーだろーがよぉ」

 

 仗助は涙目で非難の声をあげるフェブリの頭に手を乗せ、わしゃわしゃと髪を撫でる。男性の手なので多少強引にグリグリと。

 そのたびにフェブリの金の髪が乱れ、くしゃくしゃになる。

 突然の横暴に黒子は止めに入ろうか判断に迷ったが、結局仗助に任せることにした。

 

「いやぁ、やめてやめてぇ。痛いよぉ」

「お前が『えりな』のクローンで、記憶を引き継いでまで俺を慕ってくれんのは嬉しいがヨォ。はっきり言って、ありがた迷惑だぜ。俺は今の生活で満足してるし、自分の過去にも興味はねぇ。俺が誰の子供で、何モンだろーとそんなの関係ねーんだよ」

「ふぇぇ……」

「そんなもの無くたって俺は俺だ。こうやって考えて、仲間達と馬鹿やって、日常を謳歌してる俺が全てだ。……だからよ、気持ちだけ貰っとくよ。一時でもお袋と親父に合わせてくれて、ありがとうよ」

「フェブリ、いらないの? いたら、迷惑?」

「そうじゃあねえ。お前はお前の人生を生きろっつってんだよ。お前が俺にかけた言葉。実際は、お前が母親にして欲しい事なんだろ?」

「あ……」

 

 仗助の言葉を受けて、フェブリの動きが止まる。まさに図星だったようだ。

 涙目だった瞳から本格的に雫が零れ落ち、床を濡らす。

 

「……だって……、ママ言ってたもん。能力で自分の事呼ぶなって。敵をひきつけるからって……。だからガマンして待ってたの。でもママこないし、怖い人たちはいっぱい来るし……」

 

フェブリの元にやってきた黒子は後から震える肩を抱きしめると、優しく背中をさする。

 

「だから頻繁に場所を移動して……。(わたくし)と出会ったのも、その逃げてる最中でしたのね」

「合いたいのに会えないの……。さびしいよぉ……、ママに会いたい……ぐすっ……うぇぇぇぇ」

 

 とうとう堪えきれなくなったフェブリは、噦り上げながら大声で泣き出してしまった。

 

 きっと、代償行為だったのだろう。

 母親のいない寂しさを、記憶の根底に刷り込まれた仗助に愛情を注ぐ事で埋めようとしたのだろう。

 だが子供である彼女にそんな器用な真似は出来ようはずも無い。

 薄く塗られたメッキは、仗助の指摘するたった一言で脆くも剥がれ落ちてしまった。

 今のフェブリは母親の帰りを一人寂しく待つ、ただのか弱い子供に過ぎなかった。

 

「だったらよ。探しに行かなきゃあな、お前の母ちゃんをよ」仗助がフェブリの頭を撫でる。今度は力を込めすぎないように、優しく。フェブリは「じょーすけ……」と泣き腫らした目で見上げる。その瞳は未だ不安そうに泳いでいる。

 

「でも……ママがだめって……」

「そいつは無理な相談だな、事情を知っちまった今ではよぉーー。逆に『ガンガン関わってやるぜ』っていう闘志がむんむんと湧き上がってきたよ、俺ぁよ」

「……いいの? ほんとにママを探してくれるの?」仗助の言葉に希望を見出したかのように、期待を込めた瞳でフェブリが見つめる。

 

「ああ、二言はねぇよ。それによ……」

「?」

 

(どんな理由があろうとよ、子供と親が離れ離れのままなんて良くねぇよ。一緒に居られるんならそれに越したこたぁねーんだ)

 

 フェブリが見せてくれた自分の両親。

 自分を孤児院に捨て、そのまま行方を眩ませた酷い親だったが、それでも母は自分の事で泣いてくれた。

 その事実がわかっただけで十分だった。例え愛情は無かったとしても、生まれてきたことを否定されていたわけじゃないと分かっただけで満足だ。

 

 だがフェブリは違う。少なくとも母親を愛し、愛してくれる母親もいる。

 ……そう信じたい。

 例え血が繋がっていなくとも、それに替わる絆が二人にはあると信じたい。

 だから助ける。

 

 自分には無かった二人の絆を確認したい。

 喜ぶ姿を見たい。

 それを見れば、自分が受けられなかった愛情をもらえた気持になれるから。

 だからこれは、きっと代償行為だ。

 仗助にとっての、両親への気持ちの整理の付け方なのだ。

 

「――なんか、面白そうな話してるけど――」その時、この場にいる三人以外の声が室内に響いた。何事かと声のするほうへと振り返れば、そこに居たのは美琴だった。

 

「……勿論、私達にも一枚噛ませてくれるんでしょうねぇ?」

「もうっ! フェブリちゃんっ。勝手にいなくなったら、「メッ!」でしょ?」

「もしもの事があったらと思ったら……、本当に気が気じゃなかったんですよ?」

 

 美琴だけではない。涙子や初春も一緒だ。

 そういえば黒子が、もうじき彼女達がここに来る様な事を言っていた気がする。

 そのタイミングが幸か不幸か重なってしまったようだ。

 

「――だ、そうですが仗助さん。まさかここまで事情を知ったお姉様方に帰れなんて野暮、言うはずありませんわね?」

 

 黒子が若干意地の悪そうな顔を作って仗助に言う。

 同時にその場にいる全員の瞳が仗助に注がれる。

 その顔の表情から伺える感情は皆一応同じもの。

 ……すなわち。

 

『フェブリの母を助ける! ついでに組織もぶっ潰す!』だ。

 

「東方さん! 三人寄れば文殊の知恵って言葉知ってます? それが5人もいるんですよ? 単純に考えて5倍です、5倍! 何かいい知恵浮かびますって」

「佐天さんの言うとおりです! 今こうしている間にも、フェブリちゃんのお母さんは危ない目にあってるかもしれないんですよ? 早急に対策を練るべきです! 必要とあらば、該当施設にアクセスする事だって厭いません」

「……もし来るなって言うつもりなら、私の超電磁砲(レールガン)でアンタをボロボロにしてでも言うこと聞かすけど? おとなしく従うのとどっちがいい?」

 

 三者三様の激励の言葉(一部例外有り)を聞きながら仗助は黒子を見る。

 

「…………」

 

 黒子は何もいわず、短くコクリと頷くだけだったが、その表情は他の三人と同じものだ。

 言っていることは矛盾で無謀で、若さゆえの驕りが見え隠れしている。

 だが、その心の中には間違いなく『正義』の精神が宿っていた。

 誰かの為に、命をかけられる『勇気』の心。

 無謀や未熟さを自覚して、なおも立ち向かうとする『覚悟の精神』。

 

 一つ一つの弱い輝きがフェブリという目的の為に一つに纏り輝きだす。

 仗助にはそれがまるで『黄金』のように光り輝く灯火に思えた。

 

「――ったく、揃いも揃って俺の周りはお人よしばかりだな」

 

 そんな彼女らに対して、東方仗助は何も思わないのか?

 ――否!

 人の思いは伝染する。

 彼女らの持つ灯火は、確かに仗助の心にも宿った。

 

 力が身体中に(みなぎ)る。

 心に力強い太陽の風が吹く。

 今なら何でも出来そうな気がした。

 その根拠なき自信は若さの特権と言うだけではなく、共通の目的を持つ仲間と絆で繋がっていると言う力強さのせいでもあった。

 

 そしてその精神に感化された人間がもう一人。

 

「うー……」

 

 フェブリだ。

 皆の前へ自らの足で進む。泣き腫らした目は赤く腫れたままだったが、涙は止まっていた。

 そのままフェブリは皆を見渡し、「ペコリ」と自らの頭を垂れる。

 

「……ママを、見つけるの、手伝って……。 いっしょに、さがして……くだ……さいっ」

 

 まだ幼女といって差し支えない年齢のフェブリが一生懸命頭を下げる。

 彼女なりに考え抜いた、精一杯のお願いの仕方。

 その光景は幼女が行うにはあまりに早く、異質に写った。

 だから仗助はフェブリの元へ膝を落とすと、その頭をそっと撫でた。

 

「頭を上げな。そんな大人の真似事、お前には十年早いぜ」

「でも……」

「そんな事しなくてもな。お前の想い、ちゃんと受け取ったからよ」

 

 仗助は指で自分の胸の辺りを軽く叩きながら言う。

 

「うー。……みんな、ママを探してくれるの?」

「ああ。だがよ、探すのは俺等じゃあねぇ。お前だ。お前のその力こそ重要なんだ」

「ふえ?」

 

 何の事だか分からず、フェブリがきょとんとした表情でこちらを見ていたのが印象的だった。

 

 

 

「…………」

 

 その僅か5m先――つまり玄関前――で、八雲憲剛は立ち尽くしていた。

 理由は簡単だ。

 会話に入るタイミングを完全に逃したからだ!

 この盛り上がっている空間に割って入るほど八雲は無粋ではない。

 

(事件の進展具合を聞きに来ただけだったのに、すごい入りづらいよ……。何だこの疎外感と場違い感はっ。このまま帰るのも何か嫌だし、誰か早く気づいてくれよぉ)

 

 結局、仗助達に合流を果たすまで(気が付いてくれるまで)の数十分を、彼は玄関先にて過ごす事となった。

 

 

 

 

 

 

 コポコポと、メスシリンダーに溜まっていく赤い液体。

 それは暴走能力者の脳内から採取、抽出した特殊グロブリン。

 その一滴一滴滴(したた)る赤い液体を眺めながら、木原幻生は実験台に横たわる自分の孫、テレスティーナに語り掛ける。

 

「――科学とは、誰かの犠牲の上に成り立っている学問だ。仮説を立て、それを実証する為に披献体に様々な実験を施す。動物実験などがその言い例だね」

 

「TEST SAMPLE01」と表記された機械で目を閉じている幼い少女は、うっとりと幻生の語る内容に聞き惚れている。祖父がこれまで行った偉大な実験の研究は知っていたし、尊敬もしていた。崇拝と言った方が正しいのかも知れない。

 そんな一族の長であり雲の上の存在であった幻生が自分に興味を抱き、実験に協力する様要請していた事を知ったとき、テレスティーナは一も二も無く快諾した。あの祖父の研究に携えるなんて夢のようだ!

 きっと祖父の事だ。素晴らしい事が起こるに違いない。テレスティーナは本気でそう信じていた。

 

「この能力結晶体をお前の体内に注入する。学園都市の科学者全ての願いであり究極の目的。レベル6を誕生させる為に」

「レベル6?」

 

 聞きなれない単語に首を傾げる。学園都市が定めた能力区分は5までだ。その先があると言う事なのだろうか。

 幻生は嬉々とした表情でテレスティーナの疑問に答える。

 

「そう、レベル6だ。お前は学園都市の夢になるのだよ」

「私が、この街の夢に……」

「そう、その礎にな……」

 

 その時の幻生の表情には、普段のにこやかな笑顔とは違う狂気が混じっていた――

 

 

「……ちっ」

 

 テレスティーナは意識の覚醒を自覚すると同時に、舌打ちをした。

 夕焼け色に染まる所長室。時刻は午後5時30分。僅かだがうたた寝をしていたようだ。

 また当時の夢を見ていたらしい。

 

 幼少の頃から幾度と無く見る当時の光景。

 忘れようとしても突きつけられる過去の記憶。

 それはテレスティーナの心に忘れがたいトラウマとしていつまでも残り続けていた。

 

 テレスティーナをレベル6へと押し上げる幻生の実験は、端的に言うと失敗に終った。

 投与された能力体結晶は望むような数値を出す事は無く、テレスティーナ自信にも何の変化も与えなかった。

 

「……無能」

 

 そう呟いた幻生の表情はいつものにこやかな笑顔ではなく、まるでゴミを見るような冷たいものだった。

 自分にかけられた期待が相手の失望に変わる瞬間、人間は自分の無能さを呪い、大きく傷つくという。

 事実テレスティーナは偉大なる祖父の期待を裏切ってしまったという思いに何年も囚われ、今でもこうして苛まれている。

 

 あれから自分の事など歯牙にもかけなくなった祖父。

 それが無言の圧力となりテレスティーナを苦しめる。”無能””能無し””役立たず”自分の存在そのものを否定されてしまった世界では人は生きていけない。

 

 だから見返してやりたかった。

 認められたかった。

 期待に堪えたかった。

 

 そんな時、スタンドという存在を知った。

 草薙カルマ主導で行われた実験データやサンプルの数々。そしてスタンドの能力についても。

 その中でとかく目を引いたのが『とある仮説』だった。

 もしこの仮説が正しく、実験の結果能力者が誕生したのなら……

 レベル6など目では無い。

 世界の理すらこのスタンドは変えてしまうだろう。

 この草薙カルマ、是非とも我が手駒として手中に収めなければ――

 

 そして現在がある。

 草薙には逆らうと身体が溶解する爆弾(いつでも起爆可能)を仕込み、強制的に言うことをきかせて実験を行わせている。

 その実験は半ば成功したらしいのだが……

 

「ミス・テレスティーナ。お目覚めですか」

 

 気が付くと目の前に草薙がいた。

 いつからいたのか。口元に冷淡な笑みを浮かべ、こちらを見ているその様子はまるで全てを見透かしているかの様で不快感が伴った。何より寝ている瞬間を無防備にもこの草薙の前で晒してしまったのが屈辱的だ。

 丁度いい、溜まっていた鬱憤を草薙(この男)で晴らさせてもらおう。

 理不尽な暴力を相手に振るいたい衝動に駆られ、テレスティーナが席を立つ。

 

「てめぇ、誰に断って勝手に入ってきてんだぁ? それにガキの捜索は! 何こんな所で油売ってんだ!」

「ああ、その点ならご心配なく。――既に手は打っておりますから」

 

 草薙はその動作が至極当然とでも言うように、懐から取り出した拳銃をテレスティーナに向けて発砲した。

 タン、タン。と、乾いた音を立てて発射される銃弾。

 それらは全て腹部に命中し、テレスティーナは自分が何をされたのかも分からず、その場に倒れ込んだ。

 

「――ガ……ハァッ! ――て……め……ェ……こんなこと……して……ただで……」

「勿論ただで済ますつもりはありませんよ。殺すつもりで撃ったんですからね。……お前のこれまでの仕打ちを考えれば当然の結果だろうが。私はずっとこうしてやりたかったよ」

 

 カーペットを血で汚し、息も絶え絶えのテレスティーナの頭部を蹴り上げる。 

 そのまま片足を頭部に乗せ、体重を乗せる。

 

「ガハッ!?」

「所長殿は人身掌握術が苦手なご様子ですな。部下の動向は絶えずチェックして置かなければ駄目ですよ? そうでないとこうして離反者が出てしまいますからね」

 

 草薙が指をパチンと鳴らすと、大量の重火器で武装した集団が室内に現れる。その中には鏑木もいる。

 

「すまんなライフライン君。君との関係もここまでだよ。まあ、元々利害関係が一致していたからつるんでいただけの一方通行な組織だからね。私はこちら側に付かせてもらうよ」

「きっ……さまぁあっ!」

 

 テレスティーナの怒りの声を余所に、鏑木は草薙に目配せをする。

 草薙はコクンと小さく頷くとテレスティーナから離れる。

 そのまま鏑木の車椅子を反転させ、室内の外へ。その去り際、男達に命令する。

 

「――始末しろ」

 

 瞬間、大量の銃声と共にマズルフラッシュの光が所長室を照らす。

 その音を背後に聞きながら鏑木は言う。

 

「さて、これからどうする? どうやってフェブリを補足する?」

「既に策は考えてあります。その為にあえてあの女を始末しなかったんですからね。フェブリが失踪して4日、そろそろあの子も人恋しくなってきた頃でしょう。動きがあるとするなら、もうじきのはずですよ」

「部隊の展開の方は?」

「既に完了です。いつでも行動に移せます」

「そうかそうか。後はフェブリ次第か……ただ待つ身は辛いねぇ」

「それももう暫くですよ。私の願いも貴方の願いも、両方叶得られる日はね」

「――所で、頼んでいた案件の進捗状況はどうだね?」

「……御坂美琴の件ですか。まあそれは状況が整えば、あるいは……」

 

 二人はそのまま通路を歩き、やがてその姿を消した。

 

 仗助がフェブリと出会う、1日前の出来事であった――

 

 

  

 


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