プロジェクト・リーダーに就任して以降、草薙の行動は常軌を逸し始めた。
当初の計画は二の次で、『ガーデン』内のとある一族を絶えず観測し続ける様命じ、それ以外の作業をストップさせたのだ。
「――とある一族?」
「はい、『ジョースター』と呼ばれる一族で、『イギリスの貴族』です。『ディオ・ブランドー』はその一族に養子として貰われた人物です」
新田がそこから話す内容は、にわかには信じがたいものばかりだった。
石仮面。
吸血鬼。
究極生命体。
弓と矢。
スタンド。
自分達が居る現実世界ではまったく聞いた事の無い単語が新田の口からぽんぽんと飛び出てきて、皆月は面食らう。『ガーデン』の地球では独自の歴史を歩んでいるのは知っていたが、これ程までとは……
侵略者としてやってきた『ディオ・ブランドー』と『ジョースター』家の奇妙な関係。
数百年以上にも渡る因縁。
時代が変わり、世代が変わっても続く、これは呪い。
その『ディオ・ブランドー』に、草薙は魅入られたのか――
「『ガーデン』を観測している時の草薙の顔がどんななのか、皆月さん、知っていますか? ――まるで数十年ぶりに再会する家族や恋人に出会った時みたいに……泣くんですよ。口元を震わせて……。その時の目を見て確信しましたよ。「コイツ、いかれてる」って――」
「それほど……。『ディオ・ブランドー』という人物は、人を狂気に駆り立てる程のカリスマ性を持って居ると言う訳か。それに草薙は魅入られた」
吸血鬼となった『ディオ・ブランドー』は『ジョースター家の人間』に一度は敗れ去り、海中深くに棺と共に沈む。だが『ディオ・ブランドー』は数百年を経て蘇り、『スタンド』と呼ばれる能力を身につけ、仲間を増やし始めた――
「――計画は大きく分けて二つでした。一つ目は、『ガーデン』から『ディオ・ブランドー』の細胞を採取し、クローン培養する事。しかし計画は失敗しました」
「失敗? 何故?」
「『ディオ』の首から下は、彼を倒した『ジョナサン・ジョースター』のものだからです。草薙は『
「それで失敗……か」
「再生されたクローンは世にもおぞましい姿で急速に成長していきましたよ……。あの姿形……おえっ――」
思い出したくないものを思い出してしまったのか、新田がえずく。
その時丁度、エレベーターが到着する。
誰も乗っていない事を確認すると、二人はすばやくエレベータに乗り込む。
「もし誰か乗り合わせても、俺の後で俯いていて下さい。間違っても顔を合わせないで」
新田は地下10階のボタンを押しドアを閉めた。
ゴウンという作動音と共に、軽い浮遊感を覚える。
しばらくの沈黙、やがて――。
「――それで、新田。計画の二つ目を話してくれ。
皆月が先程の計画の続きを言うよう、新田にせがむ。
「皆月さん。心して聞いてください」新田はためらいがちに、残酷な真実を告げる。
「計画の二つ目は、『スタンド使い』と呼ばれる能力者を、こちらに呼び出すこと。その為に『ガーデン』からランダムでスタンド使いの遺伝データを抽出。生殖細胞を作り出し、母体に着床させたのです」
「そ、それは……つまり……っ」
「……残念ですが、お腹のお子さんは遺伝情報を書き換えられた
「――っ!」
……二人の愛の結晶だった。
絵里奈から妊娠を告げられたとき、最初はとまどった。
自分が父親になる自覚などまだ生まれず、どうしようかと悩んだ。
でも、時間が経つうちに父親としての自覚が芽生え、自分から切り出した。
「結婚しよう」と。
それで……
しあわせな……家族に……なろうと……
皆月は顔を両手で覆い、天を仰いだ。「どうして、こんな……ことを」かろうじてそれだけを口にする。
「……草薙は、『
エレベーターが地下10階で止まり、扉が開く。
新田の話を呆然とした面持ちで聞いていた皆月は、扉の先の光景をみて思わず我に返る。
「――な、なんだ……。これは……一体、何があった……!?」
エレベーターの先は、強化ガラスで覆われた実験区画が複数あり、様々な実験が行われている……はずだった。だが、現在は違う。実験設備も、被験者をモニターするべき科学者も、今は居ない。替わりにあるのは血に染まった床に散らばる、かつて研究員だったもの達の
強化ガラスは何者かに物理的に破壊されたかのように砕け、そこかしこにバラバラに千切れた人間の手や足、頭部などが実験器具と共に散乱している。
中には五体満足な肉体もあったがそれらは頭蓋骨が砕け、中から脳髄が露出し、おびただしい血液を床に撒き散らしている。まるで強力な握力で叩き潰されたかのように。
「おい! 新田っ。草薙の最終目的は『ディオ・ブランドー』をこの世に生み出す事、だよな。
「わ、わかりません。一体何があったのか……。俺が逆に聞きたいくらいですよ」
「こ、この死体達っ。どう形容して良いのか分からないが、”死にたてほやほや”って感じだ。事件発生直後の現場に、まさに今、踏み込んだって感じの――」
この惨状。
草薙が『
そして姿こそ見せないが、その犯人は確実にこのフロアのどかに居る!
通常なら犯人がまだいる現場に足を踏み入れるなど、自殺行為に他ならない。
だがそれでも、行かなければならない。
生きているにしろ、死んでいるにしろ。
妻を……
絵里奈を、このおぞましい現場に残しておきたくは無いのだ。
「新田。私は絵里奈を探す。この通路を突き当たって左だよな?」
皆月は怯える新田に絵里奈の所在を再確認させると、持参したリュックサックの中身を半分渡す。
それは皆月の自作した小型爆弾だった。
起動させ爆破したい時間を入力するだけで簡単に任意の時間に爆弾を作動させる事が出来る。
しかも威力の方も折り紙つきだ。
「皆月さん? も、もしやこれで!?」
「ああ、全て吹き飛ばす。草薙の研究も、『ガーデン』も、全てを」
皆月は決意に満ちた表情で、血と臓物に塗れた通路を走り始める。
絵里奈を取り戻す為に――
その皆月の決意に呼応するかのように奇妙な鳴き声が辺りから木霊し始めた。
「――UUUUU、GAAAAAAAーーーーッ。……にくぅ~~~~、くぅわぁせぇろぉ~~~~」
「のぉみぉそぉぉぉぉお~~~~」
「ずちゅるるるるるる――。血ぃ~~、新鮮な血がほしいよぉ~~~~」
口から臓物を吐き出し絶命した研究員が。
脳漿を地面にぶちまけ、男女の判別も付かない顔面となった職員が。
首を皮一枚残し、もぎ取られた守衛が。
一目見ただけで確実に死亡したとわかる遺体が、各々に活動を再開し始め、生きている皆月達目掛け歩み始める。
「――こ、こいつらっ。新田の話に出てきた
吸血鬼のエキスを注入されることで生まれるという
「どけぇええっ!」
皆月は研究所に散乱している備品から長モノを探し、近寄る
全体重を乗せた全力のフルスイング。
何度も、何度も、何度も、何度も、
振り下ろす度に頭蓋骨を砕き、変形していく
周囲に充満する鉄の匂いに思わずむせそうになるが、皆月はそれでも振り下ろす手を止めることはなかった。
やがて完全に元の躯へと還った、”かつて人間だったもの”達の間をまたぐと、再び妻を求めて走り始めるのだった。
☆
――生まれた時から違和感を感じていた。
自分と、周りの人間との感性の違い、温度差を。
他の人間が仲良くグループを作り青春を謳歌していた時、自分はただ一人、薄暗い一室で参考書を読み漁っていた。
時間を浪費するのは馬鹿のやること。無知、無能。
誰のグループにも属さないし、その必要性も感じなかった。
孤独は常に自分の心を見つめなおし、冷静な気持ちを与えてくれる。自分にとって当たり前の世界。
そんな清く澄んだ湖面の様な
科学の最先端をその知識に吸収できる、またとない機会。
兼ねてからもっと高みへ上り詰めたいと渇望していた自分にとってはまさに渡りに舟。両親との離別など何の感慨も無いイベントだった。
そして始まる新生活。
学園都市は自分にとってまさに理想郷だった。
レベルによって待遇が異なる完全カースト制。実力主義。ここでなら自分の能力を最大限引き出し、研究に打ち込める。
そんな時だった。『ガーデン』と、『ディオ・ブランドー』と出会ったのは。
生まれて初めてだった。
自分の心がこれほど躍ったのは。
悪に生き、欲望に生き、数多くの手下を従え、世界を牛耳ろうとした『ディオ』。
自分もその一員となり、頭をたれ、傅き、忠誠を誓いたいと心の底から思ったのは。
生まれた時から感じていた心の乾き。満たされぬ充足感。
その感情の正体を『
――自分は、彼に使える為に、この世に存在していたのだ、と。
だから奪った。
上司である皆月から『ガーデン』の全てを。
暗部組織と繋がりのある上層部とコンタクトを取り、その全権をまかされるよう情報を漏洩させた。
そして計画を実行に移した。
『ディオ・ブランドー』をこの世に再誕させるために。その仲間を増やす為に。
世界を、彼のものへと譲渡する為に。
「――だが……計画を、急ぎすぎたようだ……。生れ落ちたのは知性の欠片もない化け物だったよ……」
「……草薙ッ」
絵里奈が囚われているフロアへたどり着いたとき皆月が見たものは、血だらけで壁に寄り添う草薙と、大量の被験者たちの遺体だった。
「
草薙の内容は大まかに言うと『ガーデン』から抽出した『ディオ』に関するデータ情報。そこからディオの記憶部分だけを抽出し、用意した吸血鬼のクローンへ意識を移植するというものだったが、皆月の耳には入ってこない。その後にある遺体の山の方に気を取られていたからだ。
草薙の後に控えているのは大量の実験台。そこに大量の装置と共に妊婦が寝かされている。
その数およそ100人。
そのいずれも息を引き取っていた。あるものは断末魔の表情を。あるものは、苦悶の表情を浮かべ……。
いずれの妊婦も、将来を約束した人がいて、子供の将来に夢を馳せ、愛する人とこれからを歩む事を当たり前と感じていた事だろう。きっと思い描いていた未来があったのだろう。
その権利を、夢を、愛を、草薙は無残にも踏み潰し、陵辱した。
「こんなもの……実験でも何でもない……。科学ですらない……。これは生命に対する冒涜だ」
ふらふらと、皆月は力を失った足取りで、遺体の列へと歩みを進める。
妻の……。絵里奈の姿を見つけたからだ。
この薄暗い室内においても、絵里奈の金の髪はよく目立つ。
「絵里奈……」
絵里奈が寝かされている実験台へ。
腹部が大きく肥大し、何らかの子供が体内に居ることは明らかだ。
しかし股間部分から大量に出血し、胎児は死産したものと考えるのが妥当だった。
苦痛は無かったのだろうか? 絵里奈の死に顔は他の被験者に比べ穏やかなものだった。
それだけが、せめてもの救いだろうか。
試しに触れてみる。
まだ暖かさが残る肢体。
しかし脈拍は無く、瞳孔も開き、何の反応も見られない。血色の無い顔色は完全に死者のそれと同じだった。
「絵里奈……。帰ろう……」
絵里奈の亡骸を両手に抱え出口へ。
「まだ……だ……。今回は、失敗したが……。意味のある失敗だった……。失敗から原因を探り、それを次回に生かすのだ……。私は……まだ……フフッ……フフフフッ」
草薙は白衣から大量の出血を起こし、息も絶え絶えながら、未だ研究の意欲を衰えさせない様子で、これからの夢を脳内に描いている様子だ。
この出血の様子……。腸を大きく大きく傷つけられたのだろう。恐らく助かるまい。
だが助かろうと助かるまいと、この男を許しておく気にはなれない。
「草薙。亡くなった被害者たちからお前へ、プレゼントだ」
皆月は懐から小型爆弾を取り出すと、それを草薙の切り裂かれた腸内へねじ込むようにして挿入した。
激しい悲鳴をあげる草薙に冷たい視線を送りながら、再び絵里奈を抱きとめた皆月は実験室を後にした。
全てが粉塵に還ろうとしていた。
研究所の至る所に設置した爆弾は、作動すると共に周りの化学薬品に引火し、大規模な誘爆を起こし始めた。
その火の手が
重要な研究機材も、
実験サンプルも、
全てを燃やしつく強力な炎と轟音。
そして『ガーデン』……
それは皆月の夢と野心。
絵里奈との愛の日々の結晶。
皆月が開発した夢が、消えていく……
絵里奈と共有した時間と思い出を炎で飲み込み、消えていく――
「……これから、どうします?」
エレベーターの中で新田は皆月に言った。
「これだけの事をやらかして、俺ら、完全に犯罪者ですね……。はは、はははっ……」
自嘲気味に笑う。
やったことに後悔は無いが、自分達の今後に対する恐怖がまざまざと脳裏に浮かんでいるのだろう。
死刑か、それとも一生軟禁生活か。
献体として解剖されるという事も十分に考えられた。
「そうだな。このままでは数日中に捕まる算段が高い。だから、逃げる。学園都市の外へ」
「外!?」
皆月の突然の提案に新田は驚きの声を上げる。
「で、ですが、どうやって逃げるんです? あの強力な監視体制の網をどうやってくぐり抜けるんです!?」
新田の言う事は至極当然だ。
外界から交通を断絶したあの壁を物理的によじ登るのは物理的に不可能だし。
上空には監視衛星が常備三機飛び回り、侵入者を監視している。
とてもではないが逃げ出す事など不可能に思えた。
「ああ。確かに通常の方法では無理だ。だから”案内人”を使って街を出る」
「案内人?」
「この一週間、僕が何の準備もせず、ただ無為に時間を浪費していたわけじゃあ無いって事さ」
それは科学とは相反する、魔術と呼ばれる者を使役するもの達。
彼らはこの学園都市のシステムにたびたび干渉しては必要な情報を外部へ持ち出したり運搬したりしている。
そんな彼らは「運び屋」もしくは「案内人」と称され、高い金額さえ払えばどんな立場の人間だろうと内外かまわず運び出してくれると言う。
「そんな人間が……」
新田は感嘆の声を上げる。と同時に「み、皆月さんっ!」と抱えられた絵里奈を指差し、叫び声を上げる。
「な、なんだ! どうしっ――」
皆月の声が止まる。
絵里奈を抱いていた両腕が、思わず震える。
――動いている。
絵里奈の膨れ上がったお腹が、さらに膨張し、股間部分から大量に出血を起こす。
「なっ!? 馬鹿なっ! 死んでいるはずだ! 確かに胎児は死亡していた筈だ!」
ぼたり。ボタリ……と、絵里奈の股間から滴る血液。皆月は思わず両手を離しそうになる衝動に駆られる。
やがて――
ズルリ、とへその緒と共に赤ん坊の頭部が姿を現す。
「う、うわあああああ――!?」
新田の悲鳴に我に返った皆月は絵里奈の身体をゆっくりと地面に下ろし、赤ん坊が激突しないようにする。
左手、右手、と少しずつ姿を現す”ソレ”は間違いなく人間の赤ん坊だ。
「ま、まさか。草薙の実験がっ!? 成功していたと言うのか?」
だが、だとしたら、赤ん坊は誰なんだ。
――絵里奈は一体
「そ、そんな!? ばかなあっ!? ――し、信じられないぃぃぃぃぃ!!」
新田が再び大声を上げる。両手を頬にあて、まるで幽霊を見ているような目で絵里奈を凝視する。
「……ぅ……ぁぅ……」
その声を聞いて、今度は皆月が叫び声を上げる。
「絵里奈!? そ、そんな! うぉぉおおおおおあああ!?」
生きている!
いや息を吹き返した!?
なぜ!
どうして!?
訳がわからない。だがこの後もっと分からない現象を新田と皆月は目撃する!
赤ん坊は完全に絵里奈の体内から姿を表し、泣き声一つ上げず眠りに落ちる。
その際に絵里奈の傷ついた股間部分や手術跡に触れる。
「――うああっ!? き、傷がっ!?」
あれほど傷ついた傷跡が!
切開された部分が!
綺麗さっぱり治っていく。
まるで魔法でもかけられたかのように跡形もなく。
「こ、これは!? この子供は一体!?」
この子供は一体なんだ?
草薙はスタンド使いを妊婦の体内に宿らせ生ませるという実験を行っていた。
だとしたらこの子はスタンド使い!
だが一体、誰の?
その時絵里奈の手首に付けられたタグに気が付く。
そこに書かれた人名に目がいく。
恐る恐る、そのタグに手を伸ばし、見る。
「――東方、仗助……。能力名『クレイジー・ダイヤモンド』……」
そのタグにははっきりとそう記されていた。
☆
数日後。
皆月は奇跡的に回復した絵里奈を伴って孤児院に来ていた。
早朝の早い時間の為、出歩く人も居ない。
「本当に……赤ちゃんを?」
絵里奈は悲しそうに胸に抱いた赤ん坊の顔を見る。
屈託の無い笑顔でこちらを伺う赤ん坊を見るに付け、心が痛む。
そんな絵里奈に対し皆月は「ああ」と冷たく言い放つ。
「残念だけど、その赤ん坊は連れて行けない。行ったとしても、親としての愛情を与えることは、僕には出来ない」
彼らは今日、この街を出る。
新田には既に連絡を済ませ、一足早く合流場所へと向かわせた。
ニュースでは大掛かりな爆弾テロが発生し、その場に居た職員全員の死亡を確認したと報道されていた。
実行犯は未だ逃亡中だとも。
あの惨状ではそう報道するしか無いだろうが、これで自分達に捜査の手が伸びるのも時間の問題となった。
彼らに街を去ることに対する心残りは無い。
ここを離れ、名前を変え、別の場所で第二の人生を過ごす事に何の感慨も無い。
確かにこれからどのような困難も待ち受けているだろう。
辛い時期もあるだろう。
だけどそれでも、二人一緒なら耐える事が出来る。
「確かに今はいい。だが成長し、次第に赤の他人として育っていくこの子を、僕達は果たしてこの子を愛せるだろうか? 僕達の誰とも顔立ちの違う、違う誰かを、君は母親として愛せるかい?」
「そ、それは……」
「それどころか、きっと子のこの顔を見るたびに、後悔が押し寄せてくるんじゃあないのかい? そしていつしか憎しみが募り、この子に手を上げてしまうのかもしれない。『本当に生まれてくるはずだった赤ちゃんを、この子が殺した』ってね――」
「…………」
「もう一度言う。我が子を産んだ感動も、感触も無い。それなのに突然降って湧いた様に生まれたこの子を、僕達は愛せると思うかい?」
絵里奈は何も言わなくなった。
それは皆月の言葉に賛同したのと同義だった。
確かに情はある。
赤ん坊をかわいいと思う。
しかしそれは我が子にかける情ではない。
赤の他人の赤ん坊にかける情と同じなのだ。
「せめて、名前だけでも……」絵里奈は最後にそう言うが、皆月はそれも否定した。
「僕達にそんな資格、あるはずも無いじゃないか。愛情も無く、子供を施設に預ける僕達がそんなことをしちゃあだめだ。僕達に繋がる因縁は断ち切っておいたほうがいい。それがお互いの為だよ」
皆月はそういって、かつて絵里奈に装着されていたタブを赤ん坊が包まったシーツと一緒に入れる。
「君は待っていてくれ。僕が……」
「私が……。私が行く。せめてこれくらい、させて頂戴」
絵里奈は皆月の申し出をやんわりと断り、赤ん坊を慈しむように抱くと、その足で施設へと向かう。
その門の前で早朝の掃き掃除をしていた施設職員に赤ん坊を手渡すと、涙交じりでこちらに戻ってきた。
「――行こうか」皆月が傷心の絵里奈に言う。
「――どこにいくの?」絵里奈が訊ねる。その瞳は泣きはらしたばかりで赤く腫れ、不安そうに揺れている。
「何処へだっていいさ。君と二人、人生をやり直せるのなら何処へだって――」
皆月は絵里奈の手を取ると、ゆっくりと歩き始めた。
だとだとしくその後を付いてくるだけだった絵里奈は、やがて歩調を合わせ皆月と肩を並べて歩く。
そのまま、二人は街の朝焼けに溶け込むようにその姿を消していった。
学園都市側は行方不明の皆月、新田、絵里奈の捜索を開始したがついに見つからず、やがて捜索は打ち切りになった。
☆
「――やあ、気分はいかがかな?」
自分を見下ろすにこやかな老人。
頭がボーっとし、酷い倦怠感が身体を襲う。
草薙は働かない頭で現状を把握する為に、老人に尋ねる。
「ここは、どこだ? 私は、一体どれ位眠っていた」
「それを聞きたいのは私のほうだよ。君は一体何をした? あの日、研究所で何をやらかしたんだ?」
――あの日?
草薙の脳内には何の情報も降りて来ない。
所々の記憶が抜け落ちているようだ。
「――困ったな。やはり
「何の、ことだ?」
「何、簡単なことさ。あの日我々が君を発見した時、君は既に死亡していたんだよ。可哀想に、身体の下半分を吹き飛ばされ、胴体も殆ど残っていない状況だったんだよ」
「なん……だと……」
思い出せない。
思い出せるのは皆月の研究を奪い、『ディオ・ブランドー』をこの世に生み出す研究を進めていたこと。
妊婦を使い、スタンド使いを増やそうとしたこと。
だがそれ以降は――
まるで消しゴムでその部分だけが消し去られたかのように思い出せない。
「……私は死んだのか?」
「そう。だから我々が科学の力で助けてあげたのだよ。君の脳内に残る僅かな電磁パルス。その記憶部分を何とかサルベージし、情報化し
「クローン……。という事は私の寿命は……」
「まあ、1年ってとこかな。最大に延命してね。だが心配しなくて良いよ。君が死んでも代わりの新しい君が後を引き継ぐから」
「なに?」
「『ガーデン』の情報。途中で上げてこなくなったね? 何してんだなーって、疑問に思っていた所にこの事件さ。だから今後はそんなオイタが出来ないように君の身体には時限爆弾を付けさせてもらうことにしたんだよ。
君が不審な行動を取るような場合には、即身体を決壊させるような特別な爆弾をね」
「……」
「さて、それじゃあ早速働いてもらおうか。私個人は『スタンド』というものにとても興味があるんだ。もしこれが本当なら、『私の理想とする世界』を実現できるのかも知れないしね」
そう言って車椅子に乗った老人・鏑木は楽しそうに事を進め始めた。
(時限爆弾つき……か。まあいい。それでも研究を進める事が出来るのだからな。
何年かかろうと出し抜き、必ず計画を実現させる。『
それまではこいつらの飼い犬になった振りをして、おとなしくしておいてやるさ)
草薙は心の中で舌を出し、鏑木の後へと続く。
全ては過去。
東方仗助が生まれる18年前の出来事であった――。