外の世界より数十年は先を行っている科学技術と文明レベル。
外の常識では夢物語で終わる研究も、この街では当たり前のものとして認識される。
やりさえすればどんな研究も可能だったし、結果を出せば更なる飛躍も可能だった。
ここは学園都市。
科学者にとって夢の箱庭。
「――絵里奈さん、どうだい? 実際に白亜紀の世界を体験してみて」
装着したヘッドマウントディスプレイから同僚の皆月が声をかける。
その呼びかけに若干興奮した面持ちで佐名木絵里奈(エリナ(は答える。
「すごいわ……。佐々木君のプロジェクトの事は話に聞いていたけど、まさかここまでリアルに再現するなんて。
これが仮想現実の世界だなんて思えないくらい」
「――その発言はちょっと語弊があるなぁ」絵里奈から頂いた賛辞の言葉を、皆月はやんわりと訂正させる。「仮想現実ではなくて現実そのものさ。僕達が作り出した『ガーデン』はね」
エリナからはこちらの表情が伺えない事を良いことに、皆月は悪戯っぽい表情で笑った。
「――来たぜ」
刈谷製薬の会社前。
東方仗助と八雲憲剛は休日を利用し、敵陣にまでやってきた。
正確には”敵”の疑いがある会社だが、それは些細な事だった。
大事なのは行動に移すことだ。
それからの事はその後に考えればいい。
このまま『停滞し』、『受身』でいてはきっと『真実』に辿り付く事無く『物語』は終ってしまうだろう。
仗助は知りたいのだ。
何故他のスタンド使いをけしかけてまで自分を攻撃したのか。
八雲は知りたいのだ。
何故自分達にスタンド使いを生み出す薬品を投与したのか。
その意図は?
彼らなりの『真実』に到達できなければきっとこの先の人生、心に『疑問』というシコリがいつまでもへばり付いたままだろう。
それはきっと『後悔』として残り続け、彼らの『成長』の妨げとなるはずである。
どこかの誰かの思惑によって被る、理不尽な悪意の残骸。
そんなものに悩まされるのはゴメンだった。
しかしそんな彼らの決意をあざ笑うかのように、現実は無情だった。
「――どうやら、一足遅かったみたいだね」
八雲の言葉を聞くまでもなく、刈谷製薬は閉鎖されていた。
正門、通用門には「KEEPOUT」のテープが巻かれ、完全に人の気配は無い。
セキュリティの類も死んでいるらしく、正面扉に設置された監視カメラも稼動はしていないようだった。
「どうする? 一回出直すかい?」
だが仗助は「いいや。このまま続行だぜ、中に入って証拠を探す」と八雲の提案を否定する。
「現場百篇ってやつかい?」
「それよりも確実な方法だ。関係者から口を割らせる」
「え?」
「さっき、窓の方にちらりと人影が見えたんだ。――だからよぉ~~」
仗助は『クレイジー・ダイヤモンド』を出現させ、5mはある外壁をよじ登っていく。
「――ぶっ飛ばしてでも情報を聞き出す。……ホレ。八雲、掴まんな」
塀の上まで無事に昇りきった仗助は『クレイジー・ダイヤモンド』の差し出した手に八雲を掴まらせると、そのまま強引に引き上げた。
施設内は廃墟と言う言葉が当てはまらないほど小奇麗だった。
各部屋ごとに設けられた実験器具などは、再開しようと思えば今すぐにでも取り掛かれるくらい整頓されており、この施設がつい最近まで稼動状態だった事を悠然と物語っていた。
仗助は試しに一室に設置されているパソコンのスイッチを入れてみる。
電源が入らない。
どうやら電気の類は完全に遮断されてしまっているようだ。
しかし仮に電源が入っていたとしても、何かが入っているとは考えにくい。恐らくデータは既に抜き取られた後で、パソコンに入っているのは初期化されたOSだけだろう。
諦めて仗助達は移動を開始する。
「……ここを訪れたのが昼間でよかったぜ。もし夕方や深夜だったらよぉ、人影なんて絶対気が付かなかったろうしよぉ~~」
かつてはセキュリティコードが必要だったであろうドアも、電源が無かったら何の役にも立たない。仗助は音を立てずにドアをスライドさせ、通路に出る。
外から見えた感じ、窓から見えた人影がいたのは恐らくこの区画で間違いはないだろう。
後はいかに気づかれずに奴らに接近できるのか。
そしていかに抵抗する隙も与えず無力化できるのか。そこが考えどころだった。
「仗助君、左の方っ」
「ああ、気になるな……。入って確かめてみるしかねぇな」
延々と小さくカーブしている廊下を進む事数分。
部屋の入り口が二人の前に姿を現した。
セキュリティ付きのドアの先にあった部屋だ。重要な実験を行っていた場所に違いない。
二人はその部屋へと入り、中を確認する事にした。
「……広いな」
「うん。広い」
仗助と八雲はそれぞれに感嘆の言葉を口にする。
学校の体育館の2倍はあるだろう広大な実験設備は、その名残だけを残し綺麗さっぱりにその痕跡を消し去っていた。
所々に何らかの機器を設置したであろう跡はあるのだが、肝心の機械は撤去されてしまっている。
お陰で広い部屋がさらに広く感じ、まるで巨人の国に迷い込んでしまったかのような錯覚を覚えるほどだった。
「ここが本当に"元"製薬会社かよ? なんつーか、薬品作るのにスゲー大掛かりだな」
「というか、なんか”陰謀”の匂いがぷんぷんするんですけど……。明らかに『薬品じゃないもの』も作ってるよね?」
八雲が「ひえ~」と声を細めて周囲を執拗に何度も見渡す。敵がいつこちらに攻撃を仕掛けてくるか分からないという不安感からだろう。
「まあ、ロクなモンを作ってねぇのは確かだな。問題はソイツを何に使うつもりなのかッつー事だが……。
――ん? ……八雲、ちょいと静かに、耳を済ませてみな。声が聞こえてこねぇか?」
仗助が声を潜め、八雲に聞き耳を立てるよう促す。
「――――…………――――」
「…………~~~~…………」
確かに声がする。
静寂に包まれた室内に僅かに洩れる話し声。それは今、仗助達の居る場所より上の方から聞こえてくる。
「あの窓の所だぜ……」
仗助は顔を上げると小声で八雲に話しかける。
恐らくこの実験室の設備を管理するオペレータールームか何かがあるのだろう。
設備一体が見渡せる位置に長方形の窓が設置されている。
こちらからでは声しか確認できないが、話し声からすると最低でも二人はあの部屋に居るようだ。
「……八雲、移動だ。あの部屋んトコまで行って様子を伺うぞ」
仗助が人差し指を上の部屋へと向けるジェスチャーを行い、物音を立てないように移動を開始する。
「……覚悟を、決めなくちゃ……」
ゴクンと喉を鳴らしながら、八雲も仗助の後に続く。
つばと一緒に緊張感も飲み込まれてくれれば良いのに――移動する最中、震える体を何とか押し止めながら八雲はそう思った。
☆
「――しかし貴方がわざわざ出向く程のことではないのに……。この程度の処理、私でも出来ますよ」
「いやいや、仮にもここの所長を務めていた私がだよ? その後始末を部下に押し付けたままでは目覚めが悪いじゃあないか。――それに、神経質な性格なものでね。『案件を処理しました』という報告だけでは安心できないのだよ」
「……それって結局、私の事を信頼していないって事に繋がりませんか?」
「あっはっはっはっ。そうともいうねぇ~~」
ドアの向こうでやり取りされる会話を聞きながら、仗助達は出方を伺う。
このまま奇襲を行うべきか否か。その判断材料を得ようと、中で交わされる会話を慎重に聞く。
現在中で聞こえる会話。それ以上の声は聞こえてこない事から、人数は二人で正解なのだろう。
「――まったく。……ですがこれで、私達に繋がる全ての証拠は全て消えました。後は”彼女”の覚醒を待ち、プロジェクトは最終段階へと進む事になる。貴方としても感慨深いものがあるんじゃあないですか?」
一人は若い男の声だった。声の感じからして30代後半位だろうか、声色から何処と無く神経質そうで、プライドの高そうな印象を受ける。
「それは君も同じだろう? 君の頭の中はいかにしてテレスティーナを出し抜こうかでいつも一杯だったよなぁ。
そしてそれは今も変わらん。今は『いかに私を欺こうか思案中』といった所かい?」
もう一人は若くない。声質から60代後半、もしかしたらそれ以上かもしれない初老の男性という印象を受けた。
「……この声、何処かで――?」
この声を仗助はどこかで聞いた気がした。
しかし何処でだったか、はっきりとは思い出せない。
逆に八雲は聞こえてくる男の声をはっきりと思い出せたようだ。「この声……覚えてる」と洩らした彼の脳裏に浮かぶ数ヶ月前の記憶。
これは自分に薬品を注射した男性職員のもの。
八雲にとって全ての原因を作った男のものだった。
「草薙カルマ……」
知らずのうちに、八雲はその言葉を呟いていた。
「――まあいいさ。結局”組織”といっても互いの目的を達成する為の仮宿みたいなものだからね。
目指すものも別、互いの目的達成の為に力は貸すが、それ以外は不干渉の一方通行な組織。それが我々だ。
だから君がどんな腹積もりでも一向に構わんよ。こちらの邪魔さえしてくれなければね」
「……さあ、なんのことだか。私には分かりかねますね」
「ククククっ。怖い怖い。そうやって本心を出さない人間が一番厄介なんだよね、草薙君?」
「…………」
「…………」
草薙と呼ばれた男が黙ると同時に部屋の中が静かになった。
会話らしい会話はこれ以上聞こえてこない。
「……なんだ? 急に静かになったぞ。中で一体何が……?」
ずっとドアの前で聞き耳を立てていた仗助は、突然中の様子が伺えなくなり怪訝の表情を浮かべる。
人のいる気配は確かにする。
だが動かない。会話もない。同行が察知できない。
(どうする? このまま踏み込んでの奇襲を仕掛けるか? それとも現状を維持するか?)
相手の出方が分からない。
中の状況が見えない。
そういう状況に陥った時ほど、人間とは恐怖心を煽られるものである。
そして短絡的な解決法を模索し、実行に移そうとするものである。
今仗助の脳内がまさにそれだった。
奇襲。
それとも現状維持か。
脳内ではこの二つの選択肢が大きく揺れ動いていた。
「――そこに、誰かいるんだろう? ……入ってきなよ」
「!?」
意外!
第三の選択肢を提示してきたのは敵の方からだった。
動向をどうやって察知したのか知らないが、声の主は扉前に佇む仗助達を部屋へ招きいれようと声をかけてきた。
この神経質そうな声。
八雲が草薙といった男のものだ。
だがこれは罠だ。
「入れ」と言われておとなしく従うほど仗助も馬鹿ではない。そんな心理を理解したのか草薙は言葉を続ける。
「……入って来ないのなら、そちらから来て貰うしかないな」
ドスッ。
そういう擬音が付きそうな位、仗助が聞き耳を立てていたドア、その眼前2cm位の位置にマイナスドライバーが深々と突き刺さっていた。
「な、なにぃ~~――ッ!?」
鉄製のドアをものともせず、マイナスドライバーはものすごい勢いで回転をしながらドリルの様に扉を抉っていく。
「じ、仗助君っ! うしろ~~ッ!」
八雲の悲鳴にも似た叫び声に反応し、後を振り向く。
――そこにはおびただしい数の貴金属が宙に浮き、こちらに狙いを定めていた。
ビーカー。
試験管。
注射器。
スパナ。
ナット。
その他諸々の施設内の備品達がまるで生き物のように蠢いている。
いや、生き物そのものだ。
こいつらにはそれぞれ生物のように目や口、手足があり、おまけに羽まで生えている。
元の備品の形を留めたまま、まるで節足動物のように手足を蠢かせている様は『不気味』以外の何者でもない。
それらが通路一杯に広がり、仗助達を取り囲んでいる。
「こ、コイツは何だっ!? スタンドじゃあねぇ! 本物だッ、本物の生き物に見えるッ! だが、こんな生物見たことも聞いたこともねーぞッ!」
「仗助君っ! ドアッ、ドアがっ!」
八雲がマイナスドライバーが突き刺さったドアを指差し、仗助に確認するように促す。
「扉がっ!?」
昆虫の様な手足が生え、もぞもぞと動くドライバーに生理的嫌悪感を覚えるが、問題はそこじゃない。
先程まで閉じられていたはずの扉が僅かだが開いていたのだ。草薙が開けたのだろうか?
正面切っての突破は不可能。
ならばあえて敵の誘いに乗るしかないのか。
仗助は瞬時に決断する。
「部屋ン中に入る! 八雲っ、遅れんなよ!」
「ひっひぃ~~」
仗助と八雲は扉に体当たりする勢いで突進!
転がるようにして部屋の中に逃げ込んだ。
その際に足でドアを蹴り、強制的に扉を閉じる。
バタンと閉まるドア、と同時に大量の器具がぶつかる音が木霊した。
やがて攻撃が止み、辺りに静寂が戻ってくる。
「ふう」と一息つき、危機的状況を脱した事に安堵する仗助。
しかしここは敵陣だ。敵の誘いに乗ったからこそ危機を脱したのだ。
仗助がその事に気づくのと、敵が話しかけてきたのはほぼ同時だった。
「……これはこれは。誰かと思ったら……東方仗助君……と、そのお友達かね? わざわざこんな所に何の用かな?」
バランスを崩し床に倒れこんだ仗助達に声をかけてきた男性の声。草薙のものではない。この声はもう一人の初老のものだ。
「あ、アンタはっ……」
見上げた先にいる声の主の姿を認識し、仗助は思わず声に詰まる。
視線の先にいるのは二人。
一人はショートカットの黒髪の青年。
眼鏡をかけ白衣を着こなしこちらを見下ろしている。
コイツが八雲が草薙と言っていた男に違いなかった。
そしてもう一人。
最初の声で疑問を抱き、その姿を確認してようやく思い至る。
「鏑木、光洋……」
車椅子に乗った初老の男性。
いつも笑みを絶やさないその表情は、仗助が「あすなろ園」であった時とまったく変わらないものだった。
「――あえて問いましょう。我々の究極の目的は何か? 学園都市が存在する理由は何であったのか?」
壇上にて大勢の研究員に向かい熱弁をふるう白髪の男性。
「……そう、人類を超えた存在。レベル6の創造に他なりません」
齢を重ね、肉体的に還暦を迎えてなお、彼の研究熱は衰えるどころか益々盛んだ。
今回の講義では彼の研究の集大成と言うべき発表が行われ、その場に居る学生達に大きな波紋を呼んでいた。
彼は壇上のモニターに研究の成果を公表すると共に、その成果である透明なケースに入った結晶を手に取り、その場に居る全員の前で掲げる。
「我々が暴走能力者の体内から凝縮生成したこの能力体結晶。これを選ばれた能力者に投与することによって、人為的にレベル6を生み出せるのです。
能力結晶体こそが長らく暗闇に閉ざされていた『神ならぬ身にて天上の意志に辿り着くもの(SYSTEM)』へと至る道を照らし出す科学のともし火なのです」
多くのどよめきが沸き起こる中、壇上に居る男性・『木原幻生』は、満面の笑みで講堂内全ての人間に視線を送るのであった。
「――しかし本当かな? 木山教授の言った事。暴走能力者の体内から結晶体を取り出すって」
講義の帰り道。
皆月は先程の講義内容を同伴したエリナと交わそうと話を振る。しかし絵里奈はあまり興味のあるそぶりを見せず、「さあね」と首を横に振る。
「私、貴方の付き添いで講義に出ただけだからなんとも。なんか好きになれないのよね。あの教授」
絵里奈の馬鹿正直な感想に皆月は苦笑を浮かべる。その苦笑いした表情に絵里奈は軽く口付ける。
「あんな良く分からない研究より、貴方の研究の方が百万倍素敵よ」
「おいおい。それは学園都市の研究員にあるまじき思考ですよ、絵里奈さん」
「関係ないわよ。だって私、科学は皆を幸せに出来る学問って信じたから
ちょっとおどけた感じで受け答えする皆月に対し、絵里奈は心底尊敬した眼差しで返す。
それが多少気恥ずかしくもあり、皆月は頬を書きながら視線を絵里奈からずらした――
――『ガーデン』。
それは人工的に作られた仮想現実世界の総称である。
プロジェクトの目的は、電子世界に架空の世界をプログラムし、生命の進化と可能性をシミュレーションすること。
これにより人類の起源、文明の進歩、失われた歴史文化などを観察する事が出来る。
開発は皆月を中心とした学生グループで、あとは上層部の申請さえ取る事が出来たらプロジェクトは完成の目を見る。
「――『ガーデン』内全ての生物、環境を統括するにはどうしても学園都市の誇る『超高度並列演算処理器・
今のままでは限定的にしか『ガーデン』内を観測できないんだ」
以前、『ガーデン』にダイブさせて貰った経験を絵里奈は思い出す。
その時は紀元前・約1億 4500万年前の白亜紀の世界を体験した。
まるで神の視点になったかのように浮遊し、恐竜達を観察できた感動を絵里奈は生涯忘れないだろう。
しかしそれでもまだ用途は限定的にしか再現出来ない。
複雑な演算処理すら数秒で完結する
「――申請、通るわよね」
絵里奈は期待を込めた目で皆月を見る。
「もちろんさ。これは僕がこの学園都市に来て、最初に取り組んだ大プロジェクトだ。必ず成功させる。君と、お腹の赤ちゃんの為にもね」
皆月は絵里奈の手を握り締めると、人目もはばからず抱き寄せ、その唇を奪った。
「プロジェクトの成功を、君と赤ちゃんに捧げる――」
「うん」
唇から離れ互いを見詰め合う二人は、互いの親愛を確かめ合うように、厚い抱擁を交わすのだった。
――結論から言うと、申請は通った。
だが、それは……
彼らのまったく望まぬ、最悪の形として……
それは一週間後、所長から告げられる言葉と共に訪れるのだが、互いの未来を信じて疑わない二人に、それが分かるはずもなかった。