『ZOIDOS Genesis 風と雲と虹と』第一部「ソラの都」 作:城元太
上総の国府を発った古びたホバーカーゴは、江戸内海より相模、駿河を越え、一路ソラの都を目指していた。
船縁に打ち寄せる波涛を眺めながら、小次郎は郷に残してきた母や弟達の寂しげな顔を思い浮かべていた。
「こじろう兄さま、行かないでください」
今回小次郎が都に上る事を聞き、陸奥の叔父の
「陸奥には母上がお待ちですぞ」
宥める有梁の声も聞こえず泣き縋る。小次郎は八郎の小さな頭に掌を乗せ力強く諭した。
「ぬしは陸奥の国にて、我らが父良持の所領を継ぐ者。そんなことでは父が遺した
途端に八郎は必死に嗚咽を呑み込んだ。やはりゾイドには乗りたいのだ。
「偉いぞ八郎。有梁殿、将種をお願いします」
「心得て御座いますお館様。弟君は必ずや健やかにお育てします。どうか御無事で都からお戻りください。我も吉報と共に必ずや再び坂東に下向するが故に」
涙を拭い掃った八郎が見上げた。
「こじろう兄さま、お帰りまでに八郎は
「そうだ、それでこそ俺の弟だ」
小次郎は泣き腫らした丸い頬を頻りに撫でてやった。
母や弟が別れの寂しさと不安さを示すのに反し、良兼や良正の叔父達は形の上では悲しさを装うものの、その心中ではほくそ笑んでいることが判る。唯一人、村岡の良文だけが、門出を祝い凱龍輝で駆けつけていた。
「小次郎よ、都には太郎貞盛がいるが油断はするな。幼き頃より山野を共に駆け巡った従兄とはいえ、太郎もまた都に毒されているやもしれぬ。都は油断のならぬ土地、頼りになるのは己のみだ。村岡の叔父からの諫言、忘れるでないぞ」
小次郎は、この叔父が嘗て父良持と共に母である犬養春枝の君を巡り兄弟で競い合ったことを知っていた。父亡き後、何かにつけ世話を焼いてくれるのも、全ては母への高潔な想いを抱き続けているということだとも。
この叔父だけは信じられる。凱龍輝を率いてわざわざ相模の国から出向いている理由も、小次郎の去った後に国香や良兼が下総に攻め込むことを防ぐためである。
「弟達と、母上を宜しく頼みます」
老成した相模の武士は、力強く頷くと九曜の紋の刻まれた護符を差し出した。
「持って行け。我が氏族に伝わる妙見の護符だ。北辰は星宮神、万一大事があれば妙見童子が救済に駆けつけるとの言い伝えがある。船路の安全を祈願しておる。
小次郎、達者でな」
「ありがとうございます叔父上。行って参ります」
鬼怒の水面に、凱龍輝の山吹色の集光板が輝いていた。染谷の家舟に搭載された村雨ライガーは、風防を閉じたまま上総の津に向かい旅立っていった。
東方大陸は
坂東を含む南島が、北島の三倍の面積を持つにも拘らず
ホバーカーゴには、様々な人々が乗り合わせていた。定期的に南北の大陸を行き来する中、小次郎の如く大番(=都の警護職)のために上洛する者や商業の為に巡回する者、そして
船路も半ばを過ぎ、間もなく大津宮に近づく頃、小次郎はホバーカーゴの甲板に、使い込まれたタブレットが落ちているのに気が付いた。拾い上げ手に取って表面を返すと、そこには達筆な文字で持ち主と思われる名が刻まれている。
(土佐守・紀貫之?)
幾分痩せぎすで内股気味な文人らしき人物が、頻りにタブレットに何かを綴っていいたのを思い出す。雅な仕草は男性でありながらも女性的な風采を醸し出す人物であった。恐らくは単に置き忘れているに違いない。小次郎は艇内に戻り、持ち主である人物を探すこととした。
「つかぬ事を伺う。紀貫之殿ですか」
見知らぬ武士より突然名前を告げられ、当惑しているその人物に、小次郎はタブレットを差し出す。
「こちらは貴殿の物ではありませんか」
それを手にした途端、貫之の顔に血の気が戻り、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。土佐への旅路に戯れに記していたこれを無くし、途方に暮れていた所でした」
一頻り感謝の言葉を述べると、貫之は銭袋から
「多すぎます、受け取れませぬ」
その金額は小次郎にとって分不相応の大金と思われ、受け取りを固辞した。それでも貫之は礼をしたいと懇願するので、止む無く招きによって夕餉に同席をすることとなった。
「見れば立派な坂東武者の出で立ち。内裏への参内で御座いますか」
小次郎は簡単に都への出立の経過を説明した。勿論、彩への淡い想いを語ることもなく。
「坂東出身で有れば御存知あるまいが、実はこの航路は、近年危ういものになりつつある」
初耳であった。村岡の叔父でさえ伝えてくれなかったことから、ごく最近の出来事なのだろう。
「瀬戸の内海に入り、伊予から讃岐の域にて、ウォディック、ブラキオス、ハンマーヘッドにシンカーなどの水中戦用ゾイドを具した海賊が
「海賊ですか」
小次郎も
「一時期、私の同族に当たる
都への船便も度々襲撃され被害を受けており、追捕使の派遣を待っているのですが、このホバーカーゴは警護の無い謂わば丸腰。いやはや全く物騒な話です」
瀬戸の
「海賊の頭目の名は藤原純友と申す。元の
「
平将門は、その時初めて藤原純友の名を耳にしたのであった。