『ZOIDOS Genesis 風と雲と虹と』第一部「ソラの都」   作:城元太

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第五話

 昇る朝日を浴び、夜露に濡れた(たてがみ)を黄金色に輝かせる碧き鋼鉄の獅子が、嬥歌の宴を終えた筑波の麓から緩やかな歩調で鎌輪の館へ向かっていた。

 風防硝子を突き抜けた朝の陽射しは、朦朧(もうろう)とした意識を覚醒させようとしているかの如く、未だ夢見心地の若者の瞳に突き刺さる。

 操縦を村雨ライガー本体に任せ、ゆっくりと自動で左右に振れる操縦桿と、右手に翳したリーオの櫛を代わる代わる眺めつつ、しかし小次郎は目を瞬かせながら、未だ思案を繰り返していた。

 (まもる)殿の姫君が、嬥歌の様な下賎の衆に雑ざるとは。

 玄明の言葉を振り返る。

「高貴な姫方も潜んでいるのだ」

 小次郎はふと、源護の娘達はそれぞれ常陸の伯父二人と上総の叔父の妻として迎えられていたと思い出す。

 坂東に勢力を張る豪族は、血縁より地縁を固める為、互いに姻戚関係を結ぶことが(なら)いである。伯父国香、叔父良兼と良正は、(よわい)廿(にじゅう)以上離れた若妻を源家より迎えていた。坂東では女系を重んじる相婿婚(しょうせいこん)の形態が残り、形の上では伯父達は源護の(あい)婿(むこ)、つまり源家の息子となっていたのだ。

 国香の正妻、つまり太郎貞盛の実母には小次郎も何度も世話になり、従兄と共によく夕餉を振る舞ってもらったものだ。だが和やかな国香の館がいつしか殺伐とした空気に支配されるようになったのが、国香の二番目の妻がやってきた頃であった。

 昨夜の乙女の顔を思い起こす。国香が満面の笑みを浮かべ、小次郎と太郎に紹介していた新妻の顔とよく似ていた。そして張り付いた笑顔を繕う伯母と従兄の姿を思い出す。突然自分とほぼ同い年の女性を「母」と呼べと言われた太郎貞盛の気持ちを推して知る。貞盛が上洛するのはその後間もなくであった。

 昨夜の乙女は護の四女、若しくはその妹か。

 源家にはバーサークフューラー、ジェノブレイカー、ジェノザウラーを操る(たすく)(たかし)(しげる)の三兄弟がおり、肥沃な真壁から筑波の麓にかけて権勢を誇っていた。源家の姫であれば、筑波の嬥歌に忍び込むのも容易である。櫛には紛れもない嵯峨源氏の銘が刻まれている。乙女は、小次郎と知った上、そして自らの素性を示すものを携えた上で、嬥歌に望んでいたのだ。

 小次郎の心は掻き毟られるようであった。吸い込まれるような黒い瞳。輝く長い黒髪。若武者にとって初めての甘酸い感情であった。

 村雨ライガーが咆哮する。

「どうした、村雨」

 奇妙な(むずか)り方だった。(あるじ)(そぞ)ろな心を推し量り、これまで感じたことのない乱れた想いを読み取った金属の獣は、自分だけに向けられていた愛情が一部欠けたことを敏感に読み取ったのだ。

 咆哮を二三度繰り返す。

「悪かった、村雨。今はお前が大事だ、心配するな」

 操縦桿を握り直し、一頻りゾイドを宥め賺した。

 村雨ライガーは咆哮を止め、歩を僅かに速めた。鎌輪の館が見え、馬場でケーニッヒウルフが出迎えている。

「三郎め、嬥歌に来ると言いながら結局あいつも臆病者ではないか」

 門扉が開き、村雨ライガーは朝の館の中に吸い込まれていった。

 

 その日の武芸の鍛錬は散々なものであった。寝不足に加え、瞼の裏側に浮かぶ黒い瞳に気も(そぞろ)ろとなり、三連砲の騎射でさえ到底満足できるようなものではない。操られる村雨ライガーも主の心を映すように、ムラサメブレードを展開しても全く切れ味が冴えず、ただ(いたずら)に刃を標的に叩きつけるだけであった。

「兄者どうした。昨夜心残りでもありましたか」

 不調の理由を察した三郎が、心遣いとも冷やかしとも取れる問い掛けをする。

(うるさ)い」と答えるのが精一杯で、小次郎は憮然としたまま馬場を出る。駄目な時は駄目だと腹を括り、館をあとに野駆けに出る事にした。

「御厨に行くついでに、別当に挨拶してくる」

 言うが早いか村雨ライガーで駆け出していた。相も変わらず村雨は不機嫌だった。操作には従うものの、まるで今の小次郎の気持ちの様に歩みは重く進路は揺れる。

 漸く牧に到着したのは、いつもより倍の刻を過ぎてのことだった。

 

 官牧にあたる栗栖院常羽御厩は、太郎貞盛の属する左右の馬寮にも多数のゾイドを送っていた。坂東で多く産する放飼のランスタッグの群れが砂塵を上げて駆けている。藤原玄明達が操るランスタッグは、此処とは別の官牧から奪い取ったものである。そして玄明と同じように御厨を狙う僦馬の党という盗賊集団は多い。土豪の玄明と親しい小次郎の牧を狙う輩は少ないが、保障は何処にもなく、小次郎たちは定期的に官牧を警邏するのも習いとなっていた。

 牧を囲む土塁の向こう側、角を矯めたランスタッグの群れの奥から、超硬角を振り翳した黒い牛型ゾイドが姿を現す。村雨ライガーの姿を見て、頭部の装甲式風防が開かれた。

「本日の見分(けんぶん)はお早いですな」

 常羽御厩の別当、多治経明(たぢのつねあきら)のディバイソンが村雨ライガーの元に近づいて来る。この従類も武勇に優れ、何度も僦馬の党を打ち破っている上兵であった。

夷狄(いてき)は見かけませぬ。全ては殿のお蔭です」

 確かに、頻りに村雨ライガーやケーニッヒウルフが警邏(けいら)することで、野盗の類を寄せ付けなくはなっている。加えて藤原玄明との親交を持つ小次郎の官牧を襲撃しようとする党は少なかった。国家の乱人と呼ばれ公から睨まれている玄明との交流を断たないのも、理由があってのことだったのだ。

 一頻り官牧の状況を確認した後、経明が「そういえば」と切りだした。

「この牧のゾイドが、都の馬寮に送られているのは御存知ですな」

 何を今更、とも思うが、経明は構わず続ける。

「左馬寮にお勤めの平貞盛殿でありますが、近々に源護殿の御息女との縁談が進んでいるとのお話しです。先日ソラからの駒牽(こまひき)(※ゾイドの受け取り担当官)より小耳に挟みました。目出度い事でございます」

 経明から差し出された二杯目の茶を運ぶ手が止まった。小次郎は勉めて平静を装い、何も知らないふりで上兵の話に応える。

「ほお、護殿の御息女か。齢は幾つぐらいの娘御かな」

「確か、四郎殿と同じ位かと。(あや)殿と申しましたかな。これで源家とは常陸の伯父君達は更に姻戚が固まります。殿もそろそろ御身を固められては……」

 楽しげに語る多治経明の言葉を、しかし小次郎は身を固くして聞いていた。

 嬥歌に参じたあの乙女は、リーオの櫛からして紛れもなく源家の息女である。そしてその名が(あや)ということまで判った。あの月夜の乙女は、目前に従兄貞盛との縁組を控えていたのだった。

 少ない小次郎の経験からも推察された。

 見ず知らずの男と結ばれる前に、あの乙女は一夜の契りを求め嬥歌に参したに違いない。どこで自分の噂を聞いたか知らないが、同じ坂東に住む武者との逢瀬を夢見る、源家の女としての最後の意地ではなかったか。昨夜の唇の感触は生娘の戯れなどではなく、領主であり父である護への大いなる抗いであったのではないかと。

 理由は如何様でもよかった。いま小次郎は、彩という乙女に恋焦がれていた。

 時間が無い。急に小次郎は漫ろになってきた。

「済まぬ、用事を思い出した」

 経明の引き留めも底々に、小次郎は一路筑波、真壁の源護の館へと村雨ライガーを走らせていた。

 

 鳥羽江(とばのえ)を横目に過ぎた真壁の郷は、植えたばかりの早苗が初夏の微風に靡いていた。夕日に筑波峰が茜色に浮かぶ。霞棚引く壮麗さは、昨夜の嬥歌が嘘のようであった。

 駆け続けた村雨ライガーもさすがに息が上がり、レッゲルの補給も必要となる。小次郎は国玉の郷に住む、母の代からの上兵である平真樹の館に立ち寄りレッゲルをわけてもらうと、再び頭を巡らし源家の館を目指した。

 源護の館に到着したのは、とっぷりと日も沈んだ頃であった。

 

 昨夜と異なり、月は雲に隠れていた。屋敷の手前で村雨ライガーを降りると、小次郎は常陸随一と呼ばれる屋敷の門扉の陰に身を潜ませた。

 遠い地平には、普段目にすることのない軌道エレベーターのケーブルが緩やかな弧を描き、天界の雲上から照らす月明かりを浴びて白く浮かび上がる。

 門扉の隙間から屋敷の馬場を覗き込む。広大な敷地内を、時折低く唸りを上げながら動く背鰭(せびれ)が見えた。小型の索敵ゾイド、ゲーター数機が、野盗の襲撃に備え夜通し警戒している。当然だが、小次郎は正面からの侵入が不可能であることを思い知らされた。

 屋敷に張り巡らされた堀に接して築かれた塀と山門の上には、屋敷の見張り部屋から繋がった矢倉が備えられている。探る灯りは薄暗いが、夜目に慣れていた小次郎にとって矢倉の上に立つのがどんな顔の武者であるかまで判別できた。見張りは交代で矢倉に立ち、気忙しく警戒を繰り返している。

 ふと、矢倉の上の武者の姿が消えた。交代の者の姿を見せないまま、暫く無人のままとなる。やがて武者の武骨な姿とは違う、見覚えのある小柄な人影が現れた。

 雲間に隠れていた月が再び現れた。白銀に染め上げられる月明かりの中、女の顔が見えてくる。

 天啓か。

 小次郎は鼓動の高鳴りを抑えつつ、月明かりの下に姿を顕した。

「源氏の姫君、彩殿と覚え申す。もし昨夜の事を御存知とあらば、どうか返答願いたい」

 人影は一瞬虚を衝かれ辺りを見廻したが、塀の下で佇む小次郎を見つけ微笑む。紛れもなく、昨夜の乙女であった。

「数日はお待ちしようと思っておりましたが、まさか今宵にいらしてくださるとは。彩は嬉しゅうございます。お判りになったようですね、相馬の殿」

 女は辺りに響かぬよう声を忍ばせつつ、視線を投げかけた。

「お慕い申しておりました。藤原玄明殿に頼み嬥歌に貴方様を誘うよう頼んだのも、他ならぬ私です。姉の祝儀の席でお会いした事、覚えておられますか」

 小次郎の記憶の底で、良正叔父の祝儀に呼ばれた際、源家姻戚側の末席に小さく座る少女の姿が朧気に浮かぶ。だが宴の席はあまりに広く、また源家平家の一族数多にして参集した全ての客を思い起す事など叶わぬことであった。

「私は碧き獅子に乗り、義兄国香殿の館前に降り立つ貴兄の凛々しき姿、何度も拝見しておりました。源家と平家は姻戚を結ぶもの、さすれば何れかには貴兄とも結ばれるのではないかと、娘心に淡く期待しておりました。

 ところが、父より告げられたのは太郎貞盛殿との祝言でした」

 貞盛と別当多治経明の言葉が確かであったことに小次郎は愕然としたが、楼上の影、彩と思しき乙女は構わず言葉を続けていた。

「父は、貞盛殿が左馬允に任じられ、都でも確たる地位を築いていることを重んじております。

 でも私は抗いました。『では、別の平家の殿が仕官されれば、嫁ぐことも許されるのでしょうか』と尋ねたところ、少し驚いた様子で私を見ておりました。私の気持ちが別の殿方にあることが、父に判ってしまったからです。

 父(まもる)とて人の子、末娘の私が可愛くない訳はありません。

 父は条件を出しました。『貞盛殿が再び坂東に戻るまでに、その男が貞盛殿を凌ぐ位を任じられるならば、聞けぬ話ではない』と。私は貴兄の名を挙げる訳にもいかず、思案を巡らし昨夜の嬥歌に参したのです」

 余りに大胆な行動であった。坂東の女の意地であるのかもしれない。そしてそれほどまでの想いの強さを、小次郎は感じ取った。

「貴兄は、相馬の殿は、私の想いに応えこうして直ぐに館を訪ねてくださいました。彩はとても、とても嬉しうございます。

 今申し上げられるのはこれだけです。小次郎様、あそこに行ってください。行って仕官を得て、ここに戻って来て欲しいのです」

 楼上の乙女の影は、遠く地平に浮かぶ軌道エレベーターのケーブルを仰ぎ見ていた。小次郎も同じく白いケーブルの光を見つめていた。

 やにわに楼上の人影が動く。

「ゲーターが察したようです。屋敷の衛士も戻ってくる頃。小次郎様、一刻も早くこの場から立ち去られませ」

 屋敷に灯りが点った。探照灯の光芒が煌めく。小次郎は堀を跳び越え、茂みを抜けて、村雨ライガーの待つ林に滑り込んだ。矢倉門が開き、中から仰々しい背鰭を光らせたゲーターの群れが現れた。村雨ライガーと察知されれば一族の間で騒動が起こる。コアの活動を抑え脱出の機会を待つ。ゲーターが屋敷の反対側に移動するのを確認すると、小次郎は一気に村雨ライガーを最大出力で跳躍させた。

 ゲーターが索敵した頃には、村雨ライガーは既に追跡範囲を遠く抜けていた。小次郎は操縦席に身を任せ、月明かりに照らされた乙女の姿を想い起していた。

 気持ちは決まっていた。広い世界を見るのは当主として必要な事だ。官位を得るのも一族繁栄の為にも必要なことだ。今は三郎や四郎を信じ都に上がってみようと。

 精気を取り戻した村雨ライガーが咆哮し、力強く大地を踏み締めている。

 暫しの別れぞ、坂東の大地よ。俺はソラへ昇る。あの軌道エレベーターの元にあるソラの都へ。

 

 季節は春から夏へと移り変わろうとしていた。

 

 


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