『ZOIDOS Genesis 風と雲と虹と』第一部「ソラの都」 作:城元太
幾つもの
「小次郎、今宵筑波の
開口一番に言い放つ。小次郎はこの土俗の荒武者に、呆れを通り越して尊崇の念さえ抱いてしまう程であった。
嬥歌とは本来、月に一度薄暗い篝火の下、社の
「
「俺は三つ以上の数は数えられぬので覚えておらぬ」
髭を掻き分け豪放に笑う。憎めない男だが、女運にも恵まれないようである。
土俗の豪族藤原玄明は、常陸の那珂・久慈に領を張る小領主だが、浮動性が高く国司と常に対立をしており、だからこそ民よりの信が篤い。
「主はこれで参るつもりか」
「無論」
玄明は背後に控えるランスタッグを見上げる。風防から配下の従兵が周囲を警戒している。粗野なだけに仇も多くいるらしい。
「ゾイドは男子に於ける誉だ。顕示することの何が悪い」
「麓の馬場にゾイドを停めて嬥歌に参すれば、そこに在る主のことも判ってしまうぞ」
「野暮なことを言うな。聞けば高貴な姫方も潜んでいるらしく、検非違使とて手は出さぬのよ、それに」
玄明は思いきり小次郎の肩を叩き、首を掴んで引き寄せ耳打ちする。
「
耳元で下卑た囁きを告げると、再び思いきり小次郎を突き飛ばした。
(この
小次郎は苦笑する他なかった。さすがに玄明と性向は異なるが、女に興味が無い訳ではない。美しい女性への憧れは男として当然と思う一方、若い彼にとって未だ恥ずべき行為として二の足を踏む思いであったのだ。そして別の思惑でも、小次郎の中に
父が身罷り、兄が身罷った後、鎌輪の館の当主としては早々に
棟梁としての日々に追われ、何時しか乙女との出会いも絶えていた。このままでは嫡子を早々に得る契機が遅れてしまう。玄明の言葉は、少なからず小次郎の気持ちを掻き乱した。
中途半端な気持ちを言い抜けるため、小次郎は敢えて諫言をする。
「そんなことより玄明、貴様また常陸河内の不動倉を襲ったというではないか。この前は
「腰抜けの国司どもなど恐れるに足らぬわ。それよりどうなんだ、嬥歌に行くのか行かぬのか」
小次郎の諫言にも玄明は悪びれる様子はない。露骨に青い女子との一夜の契りを求める玄明には辟易する。
「兄者、行ってきなされ」
いつ寄って来たかは知らぬが、三郎将頼が背後に立って笑っていた。
「館の事は思案なさるな。なあに、後に我もお邪魔させて頂く。母上には上手く取り繕う故に。玄明殿、兄者を男にしてやってくれ」
「心得た。小次郎、舎弟殿の許しが出たぞ。話は決まりだな」
「こら、勝手に話を進めるな」
頭ごなしに話を進められ、言葉を失った小次郎に、それ以上打ち消す気力は残っていなかった。
*
――
東方大陸、坂東の中ほど。未開地の残る筑波の山は、民の信仰を集めるとともに男女の恋の出逢いを求める場所でもあった。
身を潜めようとしても潜め切れない多くのゾイドが、満月の夜の麓に集っていた。玄明のランスタッグ、小次郎の村雨ライガーはもとより、シャドーフォックス、コマンドウルフ、カノントータスなど、坂東のありとあらゆるゾイドが集っている。
女たちにとっても嬥歌は重要な場所である。伴侶となるべき男が、所領も持たずゾイドも待たずでは、女の生涯を無為にすり減らすのみ。ならば少しでも強力なゾイドを有する武者の元に嫁ぐことを望むのである。土豪の子女が嬥歌に参加しているという噂も、
小次郎は、後悔していた。
玄明は自分のみ出逢いを求めてさっさと暗がりに消えて行ってしまう。慣れない状況に困惑し、相手など誰一人と見つからない。
まるで恥をかきに来たようなものだ。
(俺は痴れ者か)
一つ半の
(俺は痴れ者だのう、村雨ライガー)
主の失意に関せず、碧き獅子は静かに身を伏せ、小次郎の帰りを待っていた。
俺にはゾイドがある。お前なら俺の気持ちが判るだろう。
僅かに離れていただけだったはずが、酷く村雨ライガーが懐かしい。
(玄明め、今度会ったら只では済まさぬぞ。それに三郎にも一言言わねば腹の虫が納まらぬ)
憤懣やる方なく、搭乗席に歩み寄り村雨ライガーの風防を開こうとした時である。
「もし、このゾイドは貴兄のものか」
乙女の美しい声であった。
「如何にも」
咄嗟に返答をしてしまう。
「相馬の殿でございましょうか」
小次郎は操縦席より眼下を見渡し、声の主を探した。
「此方です」
伏せた村雨ライガーの左後肢より、月に照らされ艶やかに光る黒髪を持つ人影が現れた。
「私を知っているのか」
途端に忍び笑いが響く。
「太刀を背負った碧きゾイドを駆る武士など、この坂東には二人と居りますまいて。今宵嬥歌の宴にて、誘う殿方を幾つも袖にしつつ、相馬の殿だけをお待ち申していたものを。
待てど暮らせど姿を見せず、若しやと思い来てみれば、果たせるかなゾイドと戯れておられる。
武勇轟く相馬の殿も、おなご相手では敵わぬものとお見受けしました」
正鵠を射ぬかれ返す言葉もない。
再び涼やかな声が響く。笑っているが決して嘲りではない。若武者の朴訥さ、不器用なまでの振る舞いに、思わず和み笑っているかのようであった。
「このまま恥をかかせるのも
黒髪の間から、上目使いに
「お逢いできたこと、嬉しうございます」
女は小次郎が操縦席より地に降り立つと同時に抱き着いていた。これまで嗅いだことの無い甘く酸えた香りが、若武者の周りをいっぱいに満たす。両手を伸ばし、女の背を抱き締めようとするが、思えば思う程に拙くなり動けなくなる。
女が小声で笑う。
「お噂通りの方ですこと」
言葉の後に、小次郎は突然柔らかな刺激を唇に感じた。眼前に、閉じた乙女の瞳がある。月に照らされ、乙女の白い肌が一層白い。背後にムラサメブレードが照り返し、表情が読み取れないのがもどかしい。
美しい人だ。齢は四郎と同じ位か。しかし慣れた仕草から、嬥歌には何度も訪れていると察せられた。
女は、乙女は頻りに笑っている。小次郎は、乙女の肩幅が思った以上に細い事に驚いていた。
(この大きさは、村雨ライガーのターンピック程か)
こんな時でもゾイドのことが頭を離れない小次郎であった。
「安心しました。既に艶を知り、心中決めた方が居られるのではないかと思い悩んでおりました。それゆえ人づてに嬥歌に誘い、殿の真意を確かめました」
(玄明め、奴が無理やり誘ったのは、これであったか)
小次郎はつくづく自分が乗せられていたことに呆れたが、不思議と怒りは霧消していた。
乙女の言葉は嬉しげに続く。
「どうやら杞憂であったようですね。それもまた嬉しうございます」
小さく軽く、柔らかな肉体が小次郎の胸に枝垂れかかる。乙女に伝わってしまう程、鼓動が早鐘の様に高まる。体は熱いのに、筋肉が硬直したかの如く動かない。
(これからどうすればいいんだ?)
そんな小次郎の様子を、乙女は優しく受け止めた。
「相馬の殿、今宵はこれで
月に輝く黒髪の中より、小次郎の手に
「これは……」
リーオを
「いずれ時が来れば必ずお会い致します。では」
女の姿は漆黒の暗がりの中、黒髪に溶け込むように消えて行く。
小次郎は動けなかった。唇にまだ温かく柔らかな感触が残り、手中にはリーオの櫛が携えられている。
月に翳した櫛の銘に刻まれていた古代ゾイド文字、それには見覚えがあった。
「嵯峨源氏の君……、護殿の子女か」
それは常陸の土豪でも、那珂から久慈に亘って広く所領を広げる名家であった。
背後では、主人の動揺のわけを理解し切れない村雨ライガーが、ゾイド特有の低く甘えるような唸り声を響かせていた。