「リル! もう帰るよ!」
深い森の中に幼い少女の声が響く。
それは私の姉の声だ。
リルというのは転生した私の名前だ。
私は無事に転生した。私の意識も生まれた瞬間からあったが、赤ん坊の頃はただ自分の意思に関係なく赤ん坊らしい行動をしていた。
まあ、おかげで気味の悪い子とか思われずに育ったのだが。
で、私の体だが、希望通りに狐の妖怪になることができた。ただまだ尾が一本なのはまだ幼いせいだからそうだ。どうも九尾は百年ごとに一本生えるらしい。つまり私が八百歳になれば九尾になれるということだ。
「ルリ、もうちょっと待って!」
離れたところにいる姉に声を上げて答える。
ルリというのが姉の名前だ。
姉と言っても一緒に生まれたので、姉ではないと言えるのだが。
あとちなみに一緒に産まれたが、双子かどうかと聞かれると微妙なとこだ。だって動物系の妖怪は一度の出産で数人産まれるから。
だから、一緒に産まれても顔が似ているのは少ない。
私もルリもまた似ていない。
「もう! 早くしないとママに怒られるよ!」
私の視界の隅にルリの姿が映る。
ルリが着ているのは和服だ。私も和服だ。
なぜ人間がいないのに和服なんてものがあるのかはしらない。私が能力で作ったわけでもない。
ルリは腰に両手を当て、頬を膨らませてこっちを見る。
同じ八歳なのに立派だな~。やっぱりお姉ちゃんだ。
で、そんな立派な姉に怒られている私だが、私が怒られているのは薬草を取るのに時間がかかっているからだ。
ルリのほうはすでに背中に背負っている籠いっぱいに対し、私はまだ足りない。
しばらく集めてようやくいっぱいになった。手に入れた薬草を籠に入れるとルリのほうへ駆けて行く。
「遅いよ!」
「ごめん」
ぷんぷんと怒るルリに頭を下げる。
「リルは本当に遅いね。私と一緒なんだからそんなに遅れないでしょ。全部リルが色んなところに寄り道するからだよ!」
「うう、だって美味しそうなトカゲが……」
「もう! リルって本当に食いしん坊ね。ご飯はパパが狩ってきてくれるんだから我慢しなさいよ」
「でも、小さいからちょっと焼くだけで食べられるんだよ。おやつにちょうどいいし」
トカゲは小さいからちょっと焼くだけでカリカリになっておやつにはちょうどいいのだ。
ゲテモノを食べられるようになったのは、種族も関係しているし食習慣も関係している。毎日熊とか食べてたらそういう耐性だって付く。今じゃ好物になるくらいだ。
「だからって作業中にするなって言っているの! 何度言えば分かるの!?」
「うう……」
もうルリはお母さんだ。うん、ママって呼んじゃいそうだよ。
それに比べて私はダメダメだ。
立派な姉と落ちこぼれの妹。まさにそんな感じだ。
でも、そんなことが分かっているのに私は子どものようにはしゃいでしまう。甘えたいと思ってしまう。
やっぱり前世の記憶がないせいか、またはこの体のせいなのだろうか。
「リル、どうしたの? 顔、変だよ」
「むう、変は余計だよ! 考え事をしていたの!」
「え!? リルが考え事!? どうしたの? 熱でもあるの?」
本気な顔でルリは私の額にひんやり冷えた手を当ててきた。
「へえ~どうやらルリとはよ~く話し合わないとダメみたいだね!」
「やるつもりなの? ふふっ、私に喧嘩で勝ったことがないリルが私に勝とうって? そんなの無理だよ」
「うっさい! 今度こそ私が勝つんだから! 今から勝負だよ!」
私たちは背に背負った籠を横に置き、対面する。
私たちの体からはまだ不安定な妖力が溢れる。
互いの顔にはこれからの戦闘への興奮が浮かんでいた。
う~ん、どうも私も妖怪に転生してからというもの、こういう喧嘩みたいなことをよくするようになったんだよね。殺し合いじゃなくて戦いにだけど。
「ふっ、言っておくけどこれまでの私は本気じゃないよ! 私にはまだ! 隠された力がある!」
私は自分の掌に妖力を集める。それは不安定だが球の形をとった。りんご程度のサイズである。その時間は僅か十秒ほど。
「なっ!? ま、まさか妖力弾を放つことができるようになったって言うの!? わ、私でもまだなのに……」
ふふふ、さすがのルリも私の真の力を前に驚いている。
私だってね、ずっと負けっぱなしというわけじゃないんだよ! こっそりと、こっそりと私だって勝つための策を練って、努力をしているのだ!
そもそも妖力の操作は十歳で通うことになる学校で習うものだ。難易度は高いというわけではないが、慣れるまでとても時間がかかる。
それを私は独学でやったのだ。不安定な球だがたくさん頑張ったので僅かな時間(十秒ほど)で球にできた。この時間が早いかどうかと聞かれれば早くない、だ。
だが、独学で練習時間が少なかったにもかかわらず、そこまで集中せずに十秒で妖力を操作したのだからすごいほうだ。
「ふふん! 見たか、私の力! 私はルリのように妖力が扱えないからそのままにしておくなどということにはしないのだ! 私は妖力を武器にした! もうルリに勝ち目はない!」
「くっ」
ルリの顔が悔しげに歪む。
それはルリが妖力を有効に扱うことがどれだけの効果を生むのかを知っているからだ。
「大丈夫だよ、ルリ。この妖力弾はせいぜい岩を砕くくらいの威力だから」
岩を砕く程度の威力。
それは人間であれば即死、または運が良ければ重症の威力だ。
だけど、人間と妖怪は肉体が違う。人間にとって即死でも、妖怪にとっては気絶程度の威力なのだ。
「さあ、あきらめるといいよ。素直に降参しな。それで終わりにしてあげるよ」
掌の妖力をくるくると回しながら言う。
「そ、それでも戦う!」
降参しなよとか言ったけど、ルリが決してあきらめないということは予想通りだ。
「へえ、圧倒的力を前にしても戦うと?」
きっと今の私は魔王みたいな笑みを浮かべているのだろう。
「当たり前! 勝ち目がなくたってどうせ負けるなら戦って負けるんだから!」
ルリの妖力が激しく揺れる。
そうか。そうなんだね、ルリ。君は私と戦うことを決めたんだね。
ああ、愚かな姉よ。その心意気に応えて遊ばずにこの妖力弾を当てて終わりにしてあげる。
勝負開始の合図のために私は傍にある石を手に取る。これを打ち上げて落ちたと同時に勝負開始だ。
「いくよ」
私の言葉にルリは無言で頷く。
私は真上に石を投げた。
妖怪という身体能力の高い私が投げた石は空高く上がる。どのくらいの高さかは分からない。普通に二百メートルほど高く上がったのではなかろうか?
鍛えたわけでもないのにこの力。さすが妖怪だ。
しばらく睨みあったまま待っていると、約十四秒ほどで石は落ちた。それが開始だ。
私はすばやく妖力弾を放つ。
私はルリと何度も喧嘩、じゃなくて勝負してきた。だから最初にどう動くかなんて分かっている。ルリは慎重派で相手の攻撃に合わせて動くのだ。だから、狙いやすい。私のペースで始めることができる。
私はもう片手に先ほどよりも小さな妖力弾を作った。小さいので僅か数秒だ。
まずはその小さいほうの妖力弾をルリの足元に当てる。妖力弾はルリの足元で爆発し、土や葉が舞い、ルリの視界を悪くした。
くくく、これで確実に当てることができる。私はすばやくもう片手にある妖力弾を放った。
勝った!
妖力弾は真っ直ぐルリへ向かう。そして、妖力弾がルリに!
「きゃうっ」
当たると思ったそのとき、その瞬間に視界を潰されたルリが滑って転んだのだ。
そのせいで当たるはずだった妖力弾はルリの背後にあった木を当たることになった。もちろん木は粉々になった。
「え? あれ?」
意外な幸運で私の全力の攻撃を避けたルリは私と背後を交互に見た。
なんと間抜けな顔だ。わけも分からずポケーっとしていた。
戦いにおいてそれは大きな隙なのだが、実のことをいうと、私、もう限界なの。妖力をほとんど使ったのであまり動けないんだ。
世の中には気、または霊力という、妖怪しか持っていない妖力とは違った、生物みんなが持つ力があるのだ。
だが、それでも私たち妖怪の主な力は妖力だ。妖力が尽きても死ぬことはないが、動くのが困難になる。今私がそうなっている。
「え、えっと……」
「……来るなら来い!」
ふらふらの私にルリはとことこと歩いてきて、拳を構える。私はふらふらで大して動くことができない。
「えい!」
可愛らしい声とは裏腹にルリは私の顎を突き上げるかのように殴った。
「がふっん!」
拳で突き上げられた私はそのまま宙へ飛ばされる。
ああ、やっぱり私がルリに勝つことはできないんだね……。さすがお姉ちゃんだ……。本当に本当に尊敬する姉だよ……。
顎の痛みを感じながら私はそう思い、私の意識はゆっくりと沈んでいった。
どれだけ時間が経ったのか分からないけど、私はルリに背負われているようだ。
私はぼんやりとする頭でルリの首に回した腕を強く締め、顔を首元に顔を埋める。そして、すーっと匂いを吸い込んだ。
やっぱりいいニオイ。
「リル? 起きたの?」
「うん、起きた」
「顎、大丈夫?」
私は顎をさするがもう痛みはない。まあ、人間なら顎を粉々になるほどの威力だけどね。
「問題ないよ。もう回復した」
妖怪だからこその防御力と回復力だ。
「よかった。ついむかついて本気でやったから」
「え!? 本気でやったの!?」
「当たり前でしょ?」
その本気とはこの勝負(喧嘩)で本気を出さないとかではない。もう妖力がない状態でフラフラで本気で殴らずとも倒れそうな私を本気で殴ったということだ。この本気である。
「当たり前じゃないよ! 見ての通りだったじゃん! 本気じゃなくても大丈夫だったよ! ルリになら分かるじゃん!」
「でも、リルがわざとフラフラしているかもしれなかったんだもん……」
「んなわけないじゃん! ずっと一緒だったんだからそんなことしないって分かっているじゃん!」
「……てへっ」
顔は見えないが可愛らしい顔で舌をチロリと出しているに違いない。
くそっ、ルリの可愛らしい顔が見られないなんて! その分こうやって抱きつくことでよしとしよう。
「あっ、籠は?」
こうして私を背負っているということは籠を背負えるわけがない。そして、私の背中にも背負っているような感触はない。
「ほら前と尻尾」
言われてよく見るとルリは籠を前に背負っていて、もう一つの籠は尻尾で巻きつかれていた。
籠は身長に合わせていることと薬草はたくさんいるわけではないということもあってそこまで大きくはない。なので私たちの尻尾でも簡単に巻きつけることができる。
「もう歩けるでしょ? 降りて」
「むう~嫌だ。帰るまでこのままがいいいよ」
負けたのだからせめてルリの感触を楽しみたい。
ルリは私を無理やりでも降ろそうとするが、私は両手をきつく締めて抵抗した。
「はあ……分かったよ。それでいいよ。でも、今日のデザートは私のだよ。いい?」
そういえば今日はデザートがある日だった。一週間に一度のデザートの日だった。
「うぐっ、わ、分かった」
デザートを食べられないのは痛いが、まあいい。ぎゅっと抱きついたりはよくするが、おんぶなんてされるのは滅多にできない。こうして喧嘩に負けたときくらいしかできない。
ルリを姉だと思っている私としてはこうやって甘えたい。
ふむ、やっぱりこのままでよかったか。
「ただ、尻尾の籠は持ってよ。尻尾で物を持つなんて滅多にないから疲れる」
まあ、ルリの言うとおりなのであまり降りたくはないが、なんとか降りて自分の籠を背負う。
中身が薬草ということや身体能力が高いせいか、やはりそれほど重さを感じない。
私は再びルリの背中に。
「ん、ちょっと! 勢いをつけて乗らないで!」
「いいじゃん、別に。こけたわけじゃないし」
「だから! 万が一、こけたらどうするのって言っているの! 全くリルは!」
私は怒られているはずなのにその頬は笑みで緩んでいた。
ああ、怒られるって何か幸せ! 家族って素晴らしい! 愛って心地よい!
どうも私は怒られるとき、泣くだけではなくこうして幸せを感じることが多々あるのだ。
実は私ってMってやつなの? いや、なんかMとは違うと思うけど……。
「私、怒ってんだけど。反省してくれる?」
「してるよ~。してるしてる。ちゃんと反省してるよ」
「……全くしているように見えないんだけど」
「そう? それは気のせいだよ」
「うれしそうにしているのはなぜ?」
「だってこうやってくっついているんだもん! ルリとくっついていたらどうしてもうれしくなるから。あっ、でも、反省はしているよ。うん、本当だから」
幸せなんだからどうしても頬は緩む。
「はあ……もういいよ」
その言葉とは裏腹にルリの顔はやや赤くなって口元も緩んでいる。
これは喜んでもらえているのかな? 喜んでいるよね。そうだよね。
私は疑問ではなく確信して思えた。
だって私とルリはずっと一緒に過ごしてきた大切な姉妹だ。その表情を見ることで、分からないときもあるが、大抵は分かるのだから。
「大好きだよ、ルリ」
「私も好きだよ、リル」
ふと思いを言葉にし、互いに思いを伝え合う。
私は帰るまで幸せな気分に浸っていた。