「ダイ! ねぇったら!」
アルバがいつになく語気を強めて、足早に歩くダイの肩を掴んだ。
振り返ったダイと目が合う。ダイの目はいつになく冷ややかでアルバは吐き出しかけた言葉が喉に詰まってしまった。
しかしそんなアルバを見て、萎縮させたという自覚があるのだろう。ダイはハッとしたように態度を改めた。
「悪い、ちょっと気を張ってた」
「それは良いけど……いや良くないって! いくらなんでも結論を出すのが早すぎるんじゃないかな!」
もっともだ、こればかりはダイ以外の全員が共通意見のようだった。
それこそダイが真っ先にネイヴュ支部との協力関係を持ちかけ、相手が渋るようなら粘り強く交渉すると誰もが思っていた。
だからこの突然の事態に驚きを隠せないでいる。
「せっかくフライツ巡査が同調してくれる雰囲気だったのに」
アイラが腕を組みながら言う。口にこそ出していないが「あーあ」という文字が見えるようだった。
他のメンツも程度の差こそあれどそう思っているようだった。けれどダイの意見は変わらない。
「俺はあの人達を説得するのは無理だと思う。自信があるのなら任せるけど、悪いけど期待は出来ない」
突き放すような言い方に、アルバたちは眉を顰めた。これは本当にダイなのか、偽物の巧みな変装なんじゃないのかと思ってしまうほどの温度差だった。
「なにか理由があるの?」
すると沈黙を保っていたソラがおずおずといった風にダイに尋ねた。わざわざ小さく手を上げてから質問する辺り今のダイの態度を好く思っていないようでもあった。
ダイはというとバツが悪そうに目を逸しながら「まぁな」とだけ答えた。
「ひとまずさ、ダイの怪我を手当しようよ。ほら、ここ」
話題を変える意味合いも強かったのだろう、リエンがハンカチをダイの頬へ押し当てた。するとハンカチに赤黒い液体が付着して汚れる。
それでようやくダイは自分の頬が切れていることに気づいたらしい。
「かといってこんなに寒いところじゃゆっくり手当は出来ないよね」
「それにもうすぐ夕方よ、ネイヴュは東の山間だしすぐ暗くなるわ。でも今、宿になりそうな場所はネイヴュ支部しか思いつかないし……」
「……入りづれーな」
「アンタのせいでしょーが」
「────ぶえーーーーーーっくしょい!!」
どうやって夜を明かすか考えようとしたところに盛大なくしゃみが割り込み、話が中断させられる。
見ればまるで露頭に迷うかのように両腕で身体を支え擦りながら寒さを堪えるハロルドと彼の自家用機のパイロットがいた。
「ざぶい……鼻水まで凍ってしまいそうだ」
不時着してすぐバラル団との戦闘になったこともあり彼らの存在をすっかり忘れていた。
すると珍しくソラが自発的に動き、ハロルドに声を掛けた。
「ハロルド、さん……どうかしたの」
「ん……? おぉソラさんか。聞いてください、全く酷い話だ! ネイヴュ支部の連中め、送り届けてやった恩も忘れ「一般人の支部庁への立ち入りは認められない」と抜かしおって! ふん、誰がこんな寒々しい街に長居などするものか、すぐにでも別の自家用機を迎えに来させたわ。だが、準備も含めると少なくとも今夜はどこかで明かさねばならない! 実に、不愉快だ!」
ソラが相手だというのも関係するのだろう、ハロルドは捲し立てるように不満を口に出した。
どうやらダイたちが出ていった後、入れ違いのようにネイヴュ支部を尋ね門前払いを食らったのだろう。
「ハルロドさんも大変ですね」
「逆だ逆。元はと言えばお前たちのせいではないか、本来なら今頃熱い風呂に入って日々の疲れを癒やしているところだぞ!」
ハロルドが大げさに肩を竦めて半眼でダイたちを睨む。バツが悪そうな顔をするアルバたちだが、ダイはハロルドの発言の
だが何が気になっているのか自分でも分からないという不明瞭さが、彼をイライラさせた。
「提案があるんだけど」
またしてもソラだ。挙手制でも無いのにわざわざ手を上げてから口を開いた。
ひとまず考えを脇に置いておき、ダイはソラに「発言どうぞ」の意味を込めて促した。
「私の家、使えないかな。屋敷自体はそこまで酷い破損じゃなかったから」
「ほう、ソラさんのお家があるのかね! この街もまだまだ捨てたもんじゃないなぁ!」
先程までの不機嫌顔が嘘のようにハロルドの顔が明るくなる。
誰もがその発想は無かった、とばかりに顔を見合わせた。今度はダイが手を挙げる番だった。
「今、ネイヴュはガスや水道が通ってるのか?」
「それは、わからない」
「この街には今、PGと収監されてる囚人、それに各地から復興作業に集められた職人さん達の拠点があるわけじゃない? だったら少なくともそのライフラインは通ってる可能性は高いと思うよ」
ネイヴュ支部へ向かう道すがら、土木作業を行ってると思しき人間を数人見かけたことを思い出したアルバ。
それに万一その二つのライフラインが止まっている場所であっても、ここには五人を超える人間と凡そ六倍近いポケモンがいるのだ。
少なくとも一晩明かすくらいなら可能だと思えた。
「それじゃあソラのアイディアで行こうよ。なにをするにしても立ち話してたら風邪引くよ」
「違いないわね。ソラ、案内してちょうだい」
そうして一行は導かれるようにコングラツィア邸を目指すことにした。
彼らの後ろ姿をネイヴュ支部の二階から窓越しに眺める者がいることに、ソラだけが気づいていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「でっ────」
「か」
あんぐり、誰もがそう思った。いや、ダイ以外はだろう。
ダイは師であるコスモスの生家、エイレム邸を知っているが屋敷の大きさで言えば恐らくエイレム邸に軍配が上がる。
だが、周囲を壁に囲まれ使える土地に限りがあるネイヴュシティの中で広々とした庭があり、門扉から家の大扉までそれなりの距離があるような屋敷は一般人で構成されたダイたちにとっては見慣れない大きさの建物であった。
「鍵はあるか?」
「持ってるよ」
ソラは言いながらペンダントのように紐で繋がれた鍵を取り出し、鍵穴へと差し込んだ。
ガチャリ、という音を立ててロックが外れる。しかし鍵を開けただけで、ソラはドアノブを捻りはしなかった。
そのドアノブを見つめるソラの睫毛が微かに揺れていることにダイは気づいた。
実は無理をしているのではないか、本当はこの家に帰ってくる覚悟が定まってないのではないかと思った。
「大丈夫だよ」
それはダイたちに言ったというよりも自分に言い聞かせるようでもあった。ソラは首元のチョーカーに触れ、意を決してドアノブを捻った。
長い間冷やされ続け、金属疲労を感じさせる蝶番の音がホールに響く。
「この家が生きてるなら、玄関が開いたから電気がつくはず」
「そこまで都合良くはいかないんじゃ……」
アイラの言葉を遮るように、天井から吊るされたシャンデリアはソラの帰りを歓迎するようにパッと点灯する。
その瞬間、アルバやリエンがホッと胸を撫で下ろしたのは言うまでもない。
予め備えて持ち込んだ食料は有限ではあるが、少なくとも衣と住は確保出来たと言っても過言では無いからだ。
「よし、それじゃどこかゆっくり出来る部屋は無いか?」
「……パパとママが使ってた、応接間とか」
応接間と聞けば、ソファなどの長椅子が思いつく。腰を落ち着けてゆっくりと話が出来る。
今この状況においてはベストな選択と言えるだろう。
ソラの案内で、舞踏会でも開けそうな玄関ホールを抜けると長い廊下に差し掛かり彼女を先頭に歩いていく。
しかしダイは進めば進むほど新たな違和感に気づくことになった。それは廊下の窓枠や階段の手摺を見てのことだった。
埃一つ積もっていない。半年も家を空けていたのなら、少なくとも拠点にする部屋の掃除くらいはせねばならないと思っていただけに不可解であった。
「おほぉ~! 素晴らしい、暖炉があるではないか! ほれガオガエン、火をつけるのだ今すぐに!」
「おっさん、ちょっと待ってくれ」
派手に装飾されたモンスターボールからハロルドが"ガオガエン"を呼び出し、火を起こそうとするがダイはそれを制して暖炉の傍に寄った。
そして暖炉の中のレンガを指先で擦り、確信する。
「たぶんだけど、誰かがこの家を使ってる。もしくは、管理して手入れしてる人がいるな」
「薄々感づいてたわ、電気の件もそうだけどあまりにも綺麗でとても雪解けの日から今日まで放置された屋敷とは思えないもの」
アイラの同調にダイは頷く。ハロルドはというと「だからどうした」とばかりに地団駄を踏み、ダイたちを押しのけるようにして暖炉に火をつける。
そもそも部屋の隅に蓄えられている薪もそうだ。放置されていたにしては燃料として適しすぎている。仕入れてからそこまで時間が経っていない薪だ。
「建材として使えそうなくらい丈夫だ……もしかすると復興に来てる職人から端材を分けてもらったのか」
「────その通りでございます」
突如として響く部外者の声、振り返るより先にダイはジュカインをけしかけようとしたところで、ボールに触れたダイの手をソラが制した。
入り口に立っているのは水色の髪を一つに束ねた切れ目の女性。その身にはPGネイヴュ支部の制服と、支給されている防寒用の外套を纏っていた。
女性の視線は全ての人間を値踏むように移動し、最後にソラに向かうと口元を柔和に綻ばせた。
「お嬢様、お久しゅうございます」
「ただいま、シャーリー」
目元を潤ませる女性──シャーリーの元へ歩み寄るソラ。二人の関係は他の人間にとっては奇異に映ることだろう。
しかしながら衆人環視ともなれば、シャーリーはすぐさま表情を入れ替えた。鼻を啜り、目元を拭うとすぐさま数秒前のクールな姿へと戻る。
「皆様、お初にお目にかかります。前当主ハンク・コングラツィア様に雇われたメイドの"シャーリー・ブルーデ"と申します。皆様、お嬢様が大変お世話になったことと存じます」
シャーリーは目に見えないメイド服のスカートの裾を持ち上げるように
「ソラん家のメイドさんが、ネイヴュ支部の人間だったのか」
「というより、いずれお嬢様がお戻りになる時のため、お屋敷の管理をと思い厄災の日以降に追加人員として志願した次第でございます」
そう言ってシャーリーが見せるのは"ダイブボール"と二個の"ほしのかけら"、即ち本部基準で考えれば巡査長クラスとなる。
この短期間で一階級昇進してみせる辺り、潜在能力は高いということが伺える。
「というか、ソラはネイヴュにツテがあることが分かってたのか。言ってくれって」
「聞かれなかったから……」
「そりゃ聞かないわよ、みんな気を使うもの」
肩を落とすソラ、アイラが苦笑いを浮かべながらその肩を抱く。
「シャーリーさんの話も聞いてみた方が良いんじゃない? ネイヴュ支部の人たちを説得する取っ掛かりになるかもよ」
「言えてる。それじゃ改めて話し合いましょ。ダイも今更渋ってないで建設的な意見出しなさい」
「……わかったよ」
リエンとアイラに諭され、ダイもようやく根負けしたというように肩を竦めてみせた。
それからダイたちは荷物から用意していた簡易食料をこれまた簡単に調理して腹に詰め込んだ。ポケモンたちにも満足な食事を取らせることが出来たのは偏に墜落に耐えきった自家用機の備蓄庫から持ち出されたハロルドの保存食もあったからだ。
デザートの木の実の缶詰を摘みながら、全員はソファや絨毯の上で考え込む。
「──そんなわけで、これからバラル団との全面的な戦いは避けられないと思うんですがシャーリーさんはどう考えますか?」
まだネイヴュ支部の力を借りることに気乗りしていないダイを差し置き、前向きな意見代表のアルバが尋ねた。
「無論、お力添えさせていただく所存であります。元より、いずれ来る復讐の機会を待つために私はここに残ったので」
「これでまた貴重な戦力が増えたね」
「また、っていうと?」
「みんなフライツ巡査の同調が意外すぎて忘れてると思うけど、ユキナリさんも賛成寄りの意見を持ってたでしょ」
指を立ててリエンが言うと、みんなが「あー」と頷く。
それだけあの面子の中で唯一フライツが同調してくれたという事実が衝撃だった、ということもある。
「確かにユキナリ特務を味方に出来れば心強いですね。私からも助力を願い出てみようと思います」
「ぜひお願いします。それじゃ明日はユキナリさんに会いに行くってことでどうかな。それで、可能であればフライツ巡査にも声を掛けてみる、とか」
リエンが意見を纏める。異論なし、となるかと思いきやダイは同意もせずに火を見つめて何かを考えていた。
「その件なんだけど、俺は明日別行動でもいいか。少し気になることがあって」
「気になることって?」
「悪い、言語化出来るほど頭の中で纏まってるわけじゃないんだ」
歯切れの悪いダイはやはりいつもとは違う様子で、リエンたちは顔を見合わせた。
沈黙の後、アルバが「それじゃあ」と明るく言って切り出した。
「僕はダイの調査を手伝うよ。多分僕は話し合いになると萎縮しちゃうから、席を外しておいた方が話が纏まりやすいと思うんだ」
昼間の緊張もあり、アルバは自分を客観的に評価する。
女子チームの中でもその評価だったらしく、反対意見は出なかった。
「明日は男女で分かれて調査と説得、で良いかな」
「異議なし」
今度こそダイも頷いて話し合いは終了となった。各々が腹を満たし、暖かい部屋というのもあってすぐさま眠気がやってきた。
そこでシャーリーは兼ねてより掃除と整頓を行っていたソラの部屋に女子を移し、男性陣はこのまま応接間で夜を明かすことになった。
長旅の疲れか、パイロットやアルバはすぐさま寝息を立て始めた。ちなみにハロルドはダイの寝袋を使っており、ダイはベッドが使えるソラから寝袋を借りた。
キャタピーのように寝袋に包まれているハロルドはいつもの威厳もなく、ふとダイは話しかけてみることにした。
「おっさんは寝袋で寝ろって言われたら怒るかと思ってたぜ」
「私をただの成金だと思わない方がいいぞ小僧。私の地位は、血の滲むような努力で積み上げられたものだ。この程度、ほんのちょっぴり屈辱程度で済ませられるわ」
ちょっぴりは屈辱なのか、思ったがダイは口にしなかった。
「聞いてもいいか、おっさん」
「なんだ騒々しい、その上馴れ馴れしい」
「おっさんが飛行機を出してくれ、ってフリック市長に頼まれたのは確か今朝方だよな」
「そうだが? 元はと言えばネイヴュ行きのヘリが故障していたという話ではないか、おかげでとんだ大迷惑だ」
何かにつけて難癖をつけてくるハロルドに鼻白むことも無くなってきたダイ。
「しかし」ハロルドが寝袋ごと寝返りを打つようにダイの方へと向き直った。全身が包まれたままのハロルドの動きがやたらとシュールだった。
「貴様ら、一介のポケモントレーナーとは思えんコネだな。ただのVANGUARDでは無いな」
「そうでもないよ、俺自身は至って平々凡々なトレーナーだぜ、状況がそうさせてくれないだけでね」
「それは"選ばれた"ということだ。貴様らは生まれながらにして『いずれ非凡な存在となる』ことを運命づけられていたに過ぎん、この私のようにな」
ハロルドは口元をニィっと歪めて笑んだ。心底厭らしい笑い方ではあったが、ハロルドの気取らない笑みとはこういうものかと、ダイは彼を少し知った気分になった。
「考えてもみろ。貴様らのうち三人は幻のポケモンを連れ、そうでない二人も化石ポケモンを所有している」
「化石ポケモンを持ってることって、そんなにすごいことか?」
尋ねると、ハロルドは「はぁ~これだから無知なガキは」と言わんばかりの溜息を零して講説を始めた。
「当然だ、今でこそ復元技術の確立によって化石ポケモンの珍しさは減っているが、どの道復元に至るにはそれ相応のコネクションが無ければ成り立たん。特に貴様らは"MUSEUM"のディーノ氏と知己であり復元を依頼したそうではないか、彼が自身の掘り出した化石を譲渡するなど本来有りえんことだ、コレクターがコレクションを放棄するに等しい行為なのだからな」
「そういうもんか、思えば今まで知り合った人がそこまですごい人だった、なんてあまり考えたことはないな」
ダイが天井を眺めながら言うと、ハロルドはクツクツと笑みを零した。
「ほら、そういうところだ。貴様如きが実に腹立たしい限りだが! それこそ非凡たる由縁だろうよ。貴様は私は生まれもこのようにリッチだったと思うか? 違うね、幼き私こそ唾棄すべき本物の凡愚であったよ」
ぽつぽつ、まるで雨が降り出すみたいにハロルドは語った。
「明日の食料に困窮し、草を食み泥を啜った日さえある。汚い大人に体の良い小間使をさせられたことなど数えるのをやめたほどある」
やがてそれは幼き自分、ひいてはその生まれへと向ける憎悪を含むようになっていった。
生まれを呪ったことがダイにもある。それこそ弱かったかつての日々、母の名に泥を塗る自分の才能の無さを呪ったことも少なくない。
変な話、ダイは彼に共感を覚えてさえいた。
「だが、私にはチャンスをモノにする才があった。手を掴むべき時に掴む人間を誤らなかったのだ。それが今の私を造ったと言って良い」
ハロルドの瞳が暖炉の火を映す。その中で身を焼かれ続け、熱を供給するため燃え滓になっていく薪を見つめていた。
「故にな、人とは生まれながらに非凡であっても周りの凡愚によって拘泥するのだ。貴様もその口であろう」
「それは違うんじゃないか」
「ほう、何が違う?」
ダイはハロルドと同じように火を囲みながら、ここまでの旅路を振り返る。
「俺はその逆だよ、みんなが俺をここまで掬い上げてくれたんだ。担がれるのは正直プレッシャーだけどな。だからまぁ、ハロルドさんみたいに自分で泥から上がれる原石はすげぇよ」
「なんだ藪から棒に、気持ち悪い。男に褒められても全く全然これっぽっちも嬉しくない!」
ほんの少しでもハロルドに共感した自分を今すぐ無かったことにしたくなったダイ。
ハロルドは「ふん!」と顔を背けて、吐き捨てるように言った。
「貴様とてそうだろう。認められるのならば美女に、それもとびきりの相手を所望するだろう! 例えばそうさな、ジムリーダーのコスモスさんとか」
常々上から目線ではあるものの、話せば返してくれる程度にはハロルドと打ち解けたダイ。
天井を眺めながら、ポツリとハロルドは切り出した。
「コスモスさん、良いよな」
「良いッスね」
「強さもさることながら、あの儚き美貌が良い。長めの睫毛に、眩い宝石のような双眸。あのアメジストに値がつけられんのが歯痒いくらいだ」
酒が入ってるわけでもないのに、ハロルドは饒舌に語った。
酔ってはいるのだろう、コスモスに。
ダイが目を閉じれば思い出すのは修業の日々。良い思い出ばかりではない、血と汗の一ヶ月だったが総合的に見れば楽しかった。
「寝起きのコスモスさん、結構我儘なんだぜ。俺は一人っ子だからわかんないけど、手のかかる姉ってああいう感じなんだろうな」
「なんだと貴様! 寝起きのコスモスさん!? 聞き捨てならんぞ!」
「静かに、二人が起きちゃうだろ」
「だが寝起きだぞ! 羨ましい! 写真は無いのか、今なら貴様に豪邸の一つや二つ買ってやらんこともない!」
「ねーよ写真なんか! あるとすれば俺の脳内フォルダの中だな……ってなにしてんの」
「知り合いの外科医に連絡する。貴様の脳髄を摘出し映像を抽出できないか聞いてみる」
「殺す気か!!」
次第にはダイまでヒートアップしてしまい、てんやわんやに。
そんな彼らの大騒ぎは幾つかの部屋を跨いだ女子たちに筒抜けで。
「男子ってやーね、いつまでも子供でさ」
「本当だね」
川の字になって巨大なベッドで横になっているアイラ、リエン、ソラ。
ソラはというと久しぶりの自分のベッドの感触に包まれたからか、もう既に夢の世界に船を漕いでいた。
「けど、ダイが元に戻ってよかった」
「全くよ、今日のあいつどうにかしてたわね」
思い出す。朝、フライトを始める前まではいつも通りだったのだ。
それがネイヴュに到着するなり、人が変わったように悲観的になってしまったではないか。
「ねぇ、なんであいつはネイヴュ支部の力を借りない、って言ったのかしら」
「アイラでも分からないんだ」
「悔しいけどね。あいつのことはなんでも分かってると思ってた。だけど、前にあいつがいなくなった時何も見えてなかったんだな、って思い知らされた」
今回はその延長線なんだ、アイラは眼前に手を伸ばして何を掴むでもなく拳を握った。
「気づいてた? シャーリーさんがユキナリさんたちの説得を手伝うって言ったときダイは嫌そうな顔をしてたよ」
「……やっぱりリエンの方が良く見てるよ」
「これでも"見定める者"ですのでー」
両手を上げて枕に頭を投げ出す、五体投地、お手上げその他諸々。
瞼を閉じる、どちらにせよ明日が正念場となるだろう。
そうして各々が夢の世界へ旅立った後、壁の外の大穴"アイスエイジ・ホール"で。
何かが胎動を始めるように、強く脈打った。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
夢とは、人間が記憶を整理する際に起きるフラッシュバックのような現象だと、カイドウが言っていた。
人間の脳にあるタンスのような入れ物に、ジャンルごとに経験した出来事を記憶としてしまっておくような感じらしい。
難しい話は分からないが、ともかく俺は今夢を見ていた。夢を見ていると認識できる夢を、明晰夢と言うんだとか。
ここ数日の出来事と今日の出来事を、久しぶりにゆっくりと眠れたからか纏めて整理していた。
レニアシティ復興祭の夜、バラル団幹部のハリアーと戦ったこと。
初めて実戦でキセキシンカを意図的に発動させた。でももう少し特訓が必要だ、せめてあと五秒時間を長く発動できるようにしないと。
そういえばアルバたちは俺やアイと合流する際に敵のポケモンと思しきボスゴドラと戦闘を行ったと言っていた。
犯人のボスゴドラは戦闘が佳境に入ると、シールドポケモンの"トリデプス"の援護で離脱。
アルバのプテラはこの時偶然発見された"ひみつのコハク"を復元することで仲間になったんだよな。
その際に居合わせたリエンもディーノさんから譲られた"ヒレのカセキ"を復元して、アマルスを手持ちに加えた。
このアマルスがどうやら特殊な個体で"ゆきふらし"の特性を持っていたらしい。
フローゼスオーシャン、俺たちがネイヴュへ来る途中超えた氷河地帯で見つかった化石だからかもしれない、なんて話を聞いた。
――貴様らのうち三人は幻のポケモンを連れ、そうでない二人も化石ポケモンを所有している。
――コレクターがコレクションを放棄するに等しい行為なのだからな。
――なんていっても、彼はリザイナシティに居を構える"ラフエル考古博物館"の館長だからね。
その時だ、バチンと電流が奔るような感覚。
強制的に夢から目覚めた俺は窓の外を見た。夜が明け、灰色の空がそこにはあった。
眠気は一切ない、跳ね起きるように意識が覚醒していた。
まるで最初から眠っていなかったかのように、鮮明だった。
周りを見ると、ハロルドのおっさんは大いびきをかいて、アルバも寝苦しそうにしているもののきちんと眠っていた。
俺は物音を立てないように屋敷の外へ出る。
やっぱり一年を通して雪が降っている地域というのは嘘や伊達なんかじゃなく俺たちが昨日つけた足跡はすっかり新雪に埋もれていた。
「おはよ、ダイ」
「リエンか。早いな」
門扉の外、屋敷からちょっと離れようとするとリエンがいつの間にか後ろに立ってた。
「ミズが教えてくれたんだ、ダイが屋敷から出るのが見えたって」
「そっか、ちょっとな。せっかくだから一緒にいてくれ」
リエンが首を傾げながらも頷く。スマホロトムを呼び出し、連絡先の中からアストンを選んで発信する。
しかし早朝ということもあってか、繋がらない。仕方無いので、連絡先を交換してから初めてアシュリーさんに電話をかけることにした。リエンがいるからスピーカーモードにすることも忘れない。
「もしもし、俺です」
『私だ。随分と早いな、そちらで何か進捗があったか』
アシュリーさんに繋いだのは正解だったかもしれない、こちらの事情を察してくれているので話が早く済みそうだ。
俺は深呼吸して、迷いを吹っ切った。
「ネイヴュ支部との連携が難しくなりそうなので、そちらの方から増援をお願いできませんか」
そう言うと画面の向こうのアシュリーさんは「やはりか」とまるで分かっていたかのように腕を組んだ。
『事情は分かった。こちらで手配しよう。それで、人員はどれほど必要だ?』
「動けそうなVANGUARDのメンバー、いや……そうだな、ジムリーダーを可能な限り寄越してほしいんです。急を要するのでペガスのフリック市長と連携して交渉を進めてください」
『……ふむ、了解した。他にもあれば随時連絡してくれて構わない』
頷いて礼を言うと俺は一旦通話を切った。
「思い切ったね、もしかしてネイヴュ支部の人は信用できない?」
「いや、そういうわけじゃないんだ。昨日言ったよな、なにか引っかかってるって」
ネイヴュに来てから引っかかってる何かが、靄の向こうにいる何かが。
俺はその姿の一端を見た気がして、それは一つの答えを示していて。
「バラル団は、ワースが俺に情報を与えたことを逆手に取って先回りしてた。
「そう、思ってた?」
「あぁ……もしかすると、考えたくないんだけど……」
俺が到達した仮説をリエンに話す。するとリエンはいつもの彼女らしくなく、目を見開いて驚いていた。
声も出ないみたいだった。当然だ、誰だって信じたくないだろう。
もしかしたら、俺たちが今まで出会ってきた人の中に。
絆を結んできた人の中に。
バラル団の内通者がいるかもしれないなんて、信じたくはない。