「うーん、どうしたもんか」
ダイは頭を悩ませていた。ここ数日口を開けば、この言葉が飛び出るのが慣習となっていた。
悩みのタネは単純で、ネイヴュシティへ行きたいがユキナリを始めとするネイヴュ支部のPGが帰る飛行機には乗せてもらえそうにないということだ。
次のバラル団の目的がアイスエイジ・ホールであるという行動予測を進言したものの、そうだとしてもネイヴュ支部の人間で対応するの一点張りだった。
暗に歓迎されていないということを悟ってしまい少しだけナイーブな気持ちに陥っていたのだ。
「でもバラル団がアイスエイジ・ホールを目指してるのは確定事項だし、逆に言えばそこにいるって噂の伝説のポケモンを捕まえるところまであとちょっとってことだよね?」
隣のベッドで寝転がりながらアルバが言った。
彼の言う通り、既にバラル団はリーチを掛けていると言っても過言ではない。そんな中手を拱いているわけにはいかないのだが、そうするとどういった言い訳でネイヴュシティに入るかという堂々巡りが続くのだ。
「やっぱアストンかなぁ」
「如何にネイヴュ支部って言っても、PG本部の意向なら無視できない……よね?」
アルバが不安げに言う。問題はそこだ、ネイヴュ支部はラフエル地方中で逮捕された凶悪犯を収容するための巨大な監獄施設を管理する役割柄、本部の手が入らない独立の指揮系統を持っている。
だから警視正クラスのアストンやアシュリーの推薦状を以てしても、支部長に「知らん」と返されたらそれでお終いだ。
「かくなる上は不法入国か」
「僕らがお尋ね者になっちゃうよ」
しかも五人組のうち一人しか土地勘が無い場所で大規模作戦を敢行するであろうバラル団をPGや他のジムリーダー、彼らが要するVANGUARDメンバーの手助けも無く戦えるかと言えばほぼノーだ、不可能に近い。
幹部クラスが複数人投入されていればそれだけでアウトだ、そこで彼らの冒険は幕を閉ざすだろう。
ダイは枕に頭を預けながら頭上の壁を見た。この壁一枚隔てた隣の部屋では女子三人が何を話し合っているのか気になった。
しかし今はアイラがいる、経験上どうせくだらない話でもしているはずだとすぐさま興味対象から外れた。
「あっ!」
その時だ、アルバが上体を起こしながら妙案を思いついたと言わんばかりの顔をしていた。
伸るか反るか、ダイもアルバの方へ向き直って彼の天啓に耳を傾けた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
「えぇ、いない!?」
翌朝、ダイたち五人はラジエスシティを南下した場所にある遊興の街、"ペガスシティ"へとやってきていた。
庁舎、"ソムニウム・ライン"受付にてダイの声が響く。後ろのアルバも「名案だと思ったのに」と額に手をやっている。
「フリック市長は本日、出張しております。ご用事であれば私共が伝言致しますが」
受付の冷ややかな女性はそう告げる。大体の場合、ここで情報は止まる。自分たちが警察機構の末端に属しているとは言え、市長相手にアポイントメントが取れる人間では無い、というのが彼らの自身の評価だ。
どうしたものか、ダイは受付に背を向けて考え出す。そこで目に入ったのは、リザイナシティでも使われているボックスロボットだった。
さすがラフエル全土を支える頭脳の街、その技術は他の街でも遺憾なく発揮されている。
ふと思いついたことがあり、ダイはそのロボットに近づいた。
「やぁ、こんちは。ちょっといいか」
『ペガスシティ庁舎、ソムニウム・ラインへようこそ。ご用件はなんでしょう?』
思ったとおり、案内ロボットのようだった。ダイはこっそりとモンスターボールを取り出し、その中のポケモンに図鑑を確認させた。
ボックスロボットが緑から返事待ちの黄色へ変化するのを見てダイは慌てて取り直す。
「フリック市長に会いたいんだけど、行き先を知らないかな」
案内ロボットにそんな情報が入っているわけがない、ダイ以外の四人は「ダメ元すぎるだろ」とダイの後頭部に総じてチョップを繰り出す。
が、
『ギャピッ!? ……検索結果、本日のフリック市長の予定は午前十時よりPGペガス本部にて本部長デンゼル氏との会合、十三時から先日リニューアルした遊園地のセレモニーに出席することになっております』
短い悲鳴の後、案内ロボットは五人にしか聞こえないボリュームでぺらぺらと今日のフリック市長の予定を話し始めた。
ダイ以外の全員が驚いているとロボットの中から一匹のポケモンが飛び出してきた。バーチャルポケモンの"ポリゴン2"だった。データ状になっていたポリゴン2はダイの手のひらの上に戻るとくにゃっと姿をもとに戻した。
当然、メタモンだ。
「メタモンをポリゴン2に【へんしん】させて、ちょっと喋ってもらった」
「ばっ、アンタそれってハッキングなんじゃないの!?」
「声がデケーよバカ! それより、行き先がわかった。ただ候補が多いからちょっと絞れるかどうか」
ダイがスマホロトムで時間を確認すると今は既に正午を過ぎたかどうか、という時間。ソラが寝坊し朝ご飯が昼ご飯になったという会話をした覚えがあるので時間的にそれくらいだろうと見切りはつけていた。
「微妙だな、会合が長引いてればまだPG本部。けどあと一時間もしないうちに遊園地か……」
「せっかく五人いるから、手分けする?」
「そうだな……じゃあ、PGの本部に二人、遊園地に二人、そんで万が一の連絡要因にここ一人、って感じでどうだ?」
提案に異議なしと声が上がり、五人は徐に拳を突き出し合図でそれをパーに開いたり、開かなかったりする。今回ハサミのチョキは仲間外れだ。
ジャンケンの結果、パーを出していたのがアルバ、ソラ。手をグーのままにしていたのはダイ、アイラ、リエン。なかなか珍しい組み合わせと言えた。
「で、後は俺たちの中から一人ここに残る人を選ぶわけだけど、残りたいやついる?」
アイラとリエンが目を合わせる。次いで二人揃ってダイを見る。それが意味するのは「言い出しっぺが残るべきでは?」というメッセージ。
正直なところ、ダイは遊園地に行きたかったのだ。理由は元々の目的七割、残りの三割はもしかしてと思うところがあるからである。
「はぁ、分かったよ。俺が残るよ、お前らだけで行ってきてくれ」
「はーい」
それぞれ警視庁本部の方向と、遊園地方面に分かれていく仲間を見送ってダイは一人挙動のおかしなボックスロボットに寄りかかってため息を吐く。
一人でいるとどうしても考える時間が出来てしまう。ダイが今考えるのは手放したライトストーンのことだ。
アイラに言ったことは嘘ではない、レシラムとようやく対話が出来るようになったのはつい最近のことでバラル団がレシラムと交信するには恐らく時間がかかるはずだという推測も恐らくは正しい。
しかし規格外の、伝説と呼ばれるようなポケモンの力を甘く見ているのではないか、そういう不安が拭えない。
「もし、アイスエイジ・ホールにいるっていう伝説のポケモンが
そうなれば話は変わってくる。もはやバラル団に障害など無くなり、今すぐにでも伝説のポケモンを解き放つことが出来るのだから。
スマホロトムの連絡先を見る、知人の中で唯一浮いている「四天王 サーシス」の文字。彼女と共に視た未来ではレシラムとゼクロムを駆る者の姿には靄が掛かるように不明瞭だった。
「あの時、二匹のポケモンと戦ってた大量の影はなんだ……? あれはバラル団のポケモンなのか?」
青と紫の体色をしたポケモン
仮にあれがバラル団のポケモンならば、レシラムとゼクロムと共に戦うトレーナーはこちら側の人間ということになる。
「逆なら……?」
口にして頭を振るダイ。少なくともレシラムは一緒に戦うつもりだと宣言もした。
だが心変わりが無いと、どうして断言できるだろう。ダイたちよりもバラル団の思想を正しいと思って彼が向こうに手を貸すことになったら。
ゾッとした。時間があると悠長に構えている場合ではない。
しかし焦ってどうにもならないことも事実だ。むしろ最大限急ごうとしている、だから深呼吸と共に溜め込んだ焦りは全て吐き出してしまおう。
「それにしても、みんな遅いな……ってなに!? まだ二十分も経ってないじゃんか!!」
時計の針は四分の一をようやく渡り終えたところ、特別我慢強いはずのダイだが一人で待つとなると流石に焦れったかった。
次第に貧乏揺すりが増えていき、ポケモン図鑑を眺めてメタモンに変身させたりを繰り返すこと、さらに十五分。
「あーもう、待ってらんねぇ」
そう言うなり、ダイは先程とは違う受付に市長が戻ってきたら連絡をもらえるよう伝えに言った。見せびらかすようにVGバッジにチラつかせると気の弱そうな受付はコクリと首を縦に振った。
もっとも今の時間的に遊園地へ迎えばリニューアルセレモニーに出席している市長を見つけることは出来るはずなので、保険ではあるのだが。
「よし、行くぞウォーグル!」
庁舎を飛び出すなり呼び出したウォーグルに飛び乗ってダイはペガスシティ上空へとあがっていき、そこから街を一望する。
ラジエスシティに匹敵するほど巨大な建物が並ぶこの街で唯一目立っていたのが巨大な観覧車のある遊園地、その前の広場にある噴水には見覚えがある。
かつてPGに逮捕され、バラル団によって脱獄させられた後出会った幹部イズロードとの戦いを思い出す。
あの時は今よりもずっと弱かった、イズロードを退かせることが出来たのはアシュリーがイグナを始めとする部下を先に離脱させイズロードもある程度消耗させたからに他ならない。
何よりダイはあの時からずっとイズロードの中にある、掴めないが確実な意図を感じていた。
取り出したモンスターボールの中には微睡みのゼラオラがいた。まさかラフエル地方でも、地元を騒がせたダークポケモンが流行っているとは思わなかったからだ。
「あいつは、救ってみせろって言った。バラル団はポケモンを救うために行動している……」
最初に出会った時はメーシャタウンの王城前。そこで何を探していたかは分からないが、ゼラオラとソラが連れているメロエッタの件から鑑みて、恐らく何かしらのポケモンが目当てだった可能性は十分ある。
それもまだ世界に数匹いるかどうかの、幻のポケモンと呼ばれる存在であるかもしれない。
「リザイナシティでレンタルポケモンを強奪したのは、人間に無理矢理使役されてるポケモンだったから……?」
その件に関してアストンは最初から育成済みのポケモンに言うことを聞かせられれば、戦力増強として申し分ないとは言っていたものの単に人に囚えられたポケモンの開放が目当てだったのかもしれない。
「レンとサツキはなんで"神隠しの洞窟"にいたんだ? 聞きそびれてたな、そう言えば」
ダイがディーノと初めて会ったのもそこだった。彼がいたことから見ても、恐らくはポケモンの進化に必要な石を探しに来ていた可能性はある。
この辺は本人たちが既に改心してこちら側についているため、タイミングが合えば聞き出すことは出来るだろうとダイは頭に留めておく。
と、ダイがこれまでのバラル団の行いを振り返っているだけであっという間にウォーグルは遊園地の真上に到着する。
当然遊園地には入園料という物が必要であり、券売機も改札機も基本的には園の外にある。
のだが、
「今日は非常時ってことで、VGの経費で落ちるだろ」
全く落ちないのだが、ダイはそのままウォーグルから降下し広場の噴水前に着地する。
しかし思ったより高く、衝撃を殺し切るのに足のバネだけでは足りずダイの身体が思わずよろけた。
「おっと」
「あっ」
その時だ、運悪くダイが倒れかかった方には人がいたのだ。そうして後ろの人間にぶつかった際、ダイの頬にべちゃりと冷たい感触が奔る。それはモーモーミルクを原料に作られたアイスクリームで、ダイの頬とそれの持ち主のTシャツに挟まれ溶けてしまった。
「すいません、ちょっとうっかり……」
「いや、いいよ。君が降ってくるのは見えていたけど、倒れてくるのを読めなかった僕の落ち度だ」
そんなことはない、十割ダイの過失によるものだ。ダイは代わりのアイス代をと、財布を取り出す。持ち合わせはあまり多い方ではないが、先日ハロルドが冬服代を全部持ってくれたというのもありアイス代くらいは難なく払えそうな額は入っていた。
「君は……」
とダイが財布からワンコイン取り出した時、相手の男性はダイの顔をまじまじと見て驚きに満ちた表情を見せた。
男の顔を見た時、ダイが一番最初に覚えたのは既視感だった。
銀の髪と対を成すような黒衣、そしてアメジストに近い暗い紫色を湛えた瞳。そこまで観察できてから、コスモスやヒメヨに似ていると思い至った。
男はそのまま右手を差し出してくる。間違いなく、握手の構え。
「初めましてだね、白陽の勇士。会えて嬉しいよ」
ダイのことをそう呼ぶのは今の所バラル団が主だ。一瞬警戒するも、敵意を感じなかったため握手に応じようとした。
そして男の手を一瞥して、一言。
「あの、ティッシュとか持ってます?」
「生憎後ろのポケットに入ってるかな」
「本っっっっっっっっっっ当にすいません、まさかチャンピオンだとは思ってなくて」
「いいよ、僕に覇気が無いのも問題だから」
数分後、俺は遊園地内の屋外カフェで首が壊れるかと思うほど頭を下げていた。男──グレイさんは苦笑いを浮かべてそう言うが、諸々の遠慮がちな反応が返って俺に傷を残す。
にしてもここにアルバがいたら大変だった。きっと「バトルしてください」の一点張りだったかもしれない、脳内再生可能な辺りあいつの現地師匠作りを間近で見続けてきたんだなとちょっと感慨深くなった。
グレイさんはというと俺がなんとしてでも弁償させてもらった当園限定の"モーモーバニリッチ"を無心に舐め続けている。
確かにこれがチャンピオンのオフの姿なんて言われても、レベル高いコスプレだなーぐらいにしか思わないだろうな。
「今日は遊園地に一人で? もしそうなら、変わってるね」
「グレイさんにそれ言われちゃな……」
「……それもそうだね、すまない」
甘いものに目がないのか、わざわざ休日に一人で遊園地に来てはアイス食べてる姿はとてもチャンピオンには見えない。
少なくともアルバに見せられた、ドラゴン軍団を従える強者には。
「そういえば、リエンがお世話になったとか」
「あぁ、彼女ね。うん、すごく筋が良かったから僕が教えられることはあまりなかったけれど」
懐かしむようにグレイさんは言う。確かにリエンはあまりにも飲み込みが早い。俺と出会う前にはポケモンバトルなど専門外だった子とは思えないほど、今は戦術の組み立てが上手い。
スピードでゴリ押すアルバや、小細工でなんとか相手を出し抜く俺には出来ない戦術眼がリエンの武器と言ってもいい。
例えば俺が戦う前に策を練って対策を立てる戦略家タイプとするなら、リエンは戦闘中の即興で瞬時に戦場に合う選択が出来る戦術家タイプという違いだ。
要はリエンはアドリブに強いということだ。俺も弱いとまでは言わないけれど、競い合えば確実に遅れを取るのは俺だろう。
そう、俺はみんなを引っ張ってるようで実は引っ張れてなんかいない。俺より潜在的にすごい奴らが、偶然俺の周りに集まっている。
「君は、コスモスに指導を受けたんだってね。実は彼女に後進育成のアドバイスを求められてね。とはいえ、僕もそれほどノウハウがあるわけじゃないから返事に困ったよ」
グレイさんが言うには、四天王の一人"ハルシャ"さんに二人して色々教わったらしい。
彼女の名前は聞いたことがある。というのもアルバが旅の途中で時折端末で確認している通信教育の講師がそんな名前だったはずだ。
曰く、就任当時チャンピオンであるグレイさんを除けば歴代最年少四天王であり同時にあのカイドウの才能を見抜いた一人だという。
食べ終え微かに指先に残ったアイスを、ぺろりと行儀悪くも茶目っ気と言わんばかりに指先を舐めるグレイさん。こうして見れば本当にチャンピオンとは思えない。
だけどコスモスさんがそうだったように、きっと彼はスイッチの切替が出来るタイプの人なんだ。
話している分には静謐そのものだけど、戦うとなった瞬間手持ちのポケモンが持つオーラが肌で感じ取れるようになる。
俺の感覚ではまだ掴みかねてるけど、きっとソラならもう既にグレイさんの手持ちや彼の心境なんかが彼女独特の感覚で伝わってくるんだろうな。
そうして休暇を満喫しているチャンピオンを観察していると、やや遠くの観覧車付近の特設ステージで何かが始まった。
見ればいつぞやの園長がステージの上でマイクを前に語っていた。近くにはそんな父親の姿を眺めている娘さんの姿もあった。
腰のボールが揺れる。見れば、ゲンガーが外に行きたがっているように見えた。こいつがゴーストだった時に、ここのホラーアトラクションで出会ったのも随分昔のように思える。
「行ってこいよ、でもはしゃぎすぎるなよ? あとアルバとソラには見つかるな」
「ゲーン!」
ゲンガーが二人に見つかったら一瞬で俺がここにいることがバレる、特にソラに見られれば一瞬だ。俺は一応お忍びで来ているわけで。
近くを通りかかった親子連れの、子供が持つ風船の影に沈んでゲンガーは移動を始めた。我がポケモンながらなかなか器用なことをする。
「聞きそこねていたけれど、どうして今日は一人なんだい?」
「あー、話すと長いんですけど」
俺は逡巡の末、グレイさんに顛末を話す。主にネイヴュシティに行きたいがユキナリさんの帰還時に同行できそうにない旨をだ。
「なるほど、それでフリック市長か。確かに、今ネイヴュに駐留しているPGの支援の一翼を担っていたはずだよ」
つまりアルバのアイディアは間違ってはいなかったということだ。誤算があるとすれば市長の圧倒的アポイントメントの取れなさだけ。
「ユキナリ特務はPGであるが、同時にポケモンリーグの一員だ。僕からポケモン協会の方に口を利いてみるよ」
「本当ですか!? それはすっげぇありがたい!」
同時に二つの立場の板挟みになるユキナリさんに手を合わせた。あの人に苦労人の気を感じていたけど、多分間違いない。
「その代わりといってはなんだけど、条件があるよ」
「うぐ……な、なんでしょうか」
「あの噴水の前に"ローブシンの柱チュロス"の屋台があるだろ? お代は出すからちょっといいかな」
「まさかのパシリ」
しかしこんなことでネイヴュ行きのチケットが五人分手に入るなら安いもんだ。俺はグレイさんから代金を受け取ってカフェの日陰から日の当たる広場へと進み出た。
屋台の目の前に到着、みんなこぞってステージの方へ向かっているから広場の方はガランとしている。
その時だ、俺の視界にふと飛び込んできたのは風船を配っているピエロ。しかし戯けた様子は無くて、ただぼっ立ちのまま風船片手に──
「俺を、見てる……?」
派手な化粧の下、陽光を微かに跳ね返す夜色の瞳が俺を捉えているような気がした。今、この広場には俺たち以外周辺に誰もいない。ただ近づいてきたやつに風船を渡す算段でもつけている、と考えたが違う。
ぞわり、と身体がただならぬ気配を感じ取った。あのピエロは只者ではない、そして確固たる意思があって今俺を見つめている……!
瞬間、ピエロの口周りが歪む。元々笑っているような口元の化粧が大きく歪んだことから、無表情から明確な笑みに変わったことを意味する。
そして意外なことに、即座に現れた敵意は背後からだった。グレイさんだ、彼が今俺に向かって歩いてくるのが見えた。
見えた瞬間、
「【はいよるいちげき】」
「────【かみなりパンチ】!」
ゆらりと姿が霞むグレイさんの幻から、化け狐が顔を出す。ポケモン図鑑で調べるまでもない、俺は
「"ゾロアーク"、こんなとこでけしかけて来て何のつもりだ」
俺がピエロに問う。するとピエロは心底意外、という顔でようやく戯けた調子で拍手する。
するとそのピエロは男とも女とも取れないような声で喋りだす。
「質問に質問で返すようだけど念の為聞いてもいいかな、どこで気づいたの? もし本人だったら怪我では済まないけれど」
「お使いを出したボスがパシリに着いてくるってことはまずねぇんだ。つまりグレイさんがここまで歩いてくる理由がない」
見れば後ろの方、カフェのテーブルで彼は未だに俺がローブシンの柱チュロスを持ってくるのを待っている。だが、グレイさんはハッキリと俺の方を見ている。
この攻防を見てなお焦りも協力の姿勢も見せない、ということは少なくともこのピエロは敵対者ではない。
どころか、俺はある程度当たりをつけていた。
「さてはアンタ、四天王だな?」
「フフ、どうやら
ピエロ──改めジニアはくるりと回るとその手に持った風船の山が空へと飛んでいく。俺が一瞬その光景に目をやった次の瞬間には、道化はおらず黒基調のミステリアスな細身の人物がいた。
彼、ジニアが指したのは当然俺の後ろにいるグレイさん。彼は手を小さくあげると、ジニアがそれに応える。
「ひとまず、ローブシンの柱チュロス一本追加で」
「アンタも俺にたかるのか!?」
催促されるまま、俺は三人分のチュロス代を払ってテーブルへ戻った。するとジニアは既にテーブルに着いており、俺が戻ってくるなり手を差し出してくる。
もちろん握手なんて高尚なものじゃなくて、はよ寄越せという意味だろう。
「さて、まずは謝っておこう。実は僕たちは今日、君がここに来ることが最初からわかっていたんだ」
小さく頭を下げるグレイさんの横でジニアが両手のひらで何かを包み込むような動かし方をする。何をしてるのか分からなかったが、その手の中にモンスターボールという球体が置かれた瞬間ピンときた。
チャンピオンと四天王だ、当然サーシスさんにコネクションがあるわけで。彼らはサーシスさんの予言通りにここへ来たみたいだ。
「俺を調べるために、わざわざ?」
「あくまでおまけだよ、僕は本当に休日はここに入り浸るし話が出来るなら一度しておきたいと思ってね」
「ボクも、サーシスからキミによろしくと言われてるよ。すごいね、四天王とチャンピオンから一目置かれてるんだよ、キミ」
ジニアが薄い笑みを浮かべながら言った。俺はというと、それが期待しているという意味にも聞こえたし失敗は許さないと言われてるような気もした。
見えない重圧に俺が耐えていると思ったのか、グレイさんはテーブルにやや身を乗り出すようにして「それにしても」と話題を変えようとした。
「ようやく得心がいったよ。会った時からまるでプレッシャーを放ってるかのように、君からでんきタイプのオーラを感じていたけどゼラオラだったんだね」
「ゼラオラとはここで出会ったんですよ。思い出の場所だから、きっとこいつも嬉しかったのかな」
ボールからもう一度出してやるとゼラオラは一度ジニアを警戒するように睨む。しかしジニアにローブシンの柱チュロスを差し出されるとおずおずとそれを受け取ってしまう。
幻のポケモンがお菓子で懐柔されるところを目撃してしまい、なんとも言えない気持ちになる俺。
「話を戻しますけど、今の俺はみんなが期待するようなトレーナーじゃないんだ。ライトストーンだって、取られちまったし……」
「だから、それを取り返しに行こうとしているんだろう? 君は」
頷く。俺の気持ちが伝わったか、グレイさんは一度頷くと席を立ち腕に巻き付いているポケギアでどこかへ電話を掛け始めた。
テーブルに二人残された俺とジニア、初対面なのもあってなにを話せばいいのか分からず無言の時間が続く。
「──上手く誤魔化せたね」
「えっ?」
その時だ、組んだ指の上に顎を乗せたままのジニアがそう言った。俺が聞き返してもジニアは悪戯な笑みを浮かべたまま返事をしない。
「あぁいや、ゼラオラさ。キミに不意打ちしたことを根に持ってたみたいだから。お菓子で機嫌が取れるなら安いものさ」
そういうことか。ゼラオラはというと、視線が気になるのか齧っていたチュロスを半分に折ってもう半分をジニアに返した。幻のポケモンも気を使うんだな……
「気をつけなよ、ネイヴュシティは生半可な気持ちで足を踏み入れられるような地じゃない。今は特にね」
ジニアが会ってから一番の真剣味を帯びた声音で言う。その手にはいつ取り出したのか分からないトランプのエースがあり、角を指で抑えクルクルと回す。
しかし瞬きの合間に、スペードのエースはモノクロのピエロに姿を変えた。手品の一種なのか、俺には分からないが含みのある言い方に思えた。
「キミというエースが使い物にならなくなることは、こっちの陣営としても望んじゃいない。自分の価値を見誤らないようにしなよ」
その一言は気遣いというよりも、釘を差すようで。
俺はただただ無言で頷く他無かった。