ドタバタと階段を駆け上がるアルバとリエンとソラの三人。ジムリーダーに確保したバラル団員を預けると全員揃ってダイのいる屋上へ向かったのだった。
しかしそもそもが廃ビルだったために、戦闘とは関係なくあちこちが老朽化しており階段が抜け落ちていたりしたがアルバは跳躍、ソラはチルタリスで飛翔、そしてリエンはミロカロスの【れいとうビーム】で即席の階段を作り上げて昇っていく。
屋上へと繋がる扉は錆び切って押しても引いてもビクともしなかった。アルバが蹴破ろうとした瞬間、一足先に飛び出したリエンのラグラージが【アームハンマー】で扉を弾き飛ばした。
爆音と共に空が視界に広がる。微かな焼け焦げた臭いと、広大な屋上に彼はいた。
「……ふん、もう時間か」
同時に対峙しているバラル団の幹部ワースは短く吐き捨てると、摘んだ燃えカス同然であるタバコの吸殻を踏み潰す。
駆け寄りざま、アルバとルカリオが【はどうだん】を放つも、現れたニドキングが受け止める。そのままニドキングはフェンスの一つをねじ切って隙間を作る。
「じゃあなオレンジ色、せいぜい考えといてくれや」
そう言いながらワースはニドキングがねじ切ったフェンスの隙間から飛び降りた。慌てて四人がフェンス際に駆け寄った時、下から舞い上がったのは人一人が掴まるくらいならば難なく飛行が出来る程の大型ドローンだった。
再度ルカリオが【はどうだん】を放とうとするが、それは不発に終わる。去り際に現れたワースの切り札ヤミラミに【いちゃもん】をつけられていたからだ。
あっという間に街の外へと消えていくドローンを見送りながら、アルバが悔しさから膝を叩く。
「……なんとか、終わったな」
「うん、下っ端もジムリーダーやVANGUARDの仲間が抑えてくれたみたいだよ」
リエンの言葉にダイがライブキャスターを確認、メッセージの欄を見れば"T×T"の二人から一般人に目立った負傷者は出ていないとのことだった。
あれだけ激しい戦闘だったのに人的被害が出なかったのは僥倖と言えた。
「ダイ、何かあの幹部と話してたみたいだけど、何を話してたの?」
「くだらない
肩を竦めて見せるダイにアルバもホッとする。側でずっとワースを警戒していたジュカインを労ってボールへ戻すと、ダイは伸びをしてソラの手を取った。
「戻ろうぜ、会場に。大トリが待ってんだろ?」
「……うん、楽しみにしてて」
微笑みを浮かべて答えるソラ。ひとまずそこで一度別れ、ソラはチルタリスに乗って一足先に会場へ戻っていった。ダイは意識を失っているイグナを抱えるとウォーグルに掴まり地上へと降りた。
すると下にはステラを始め、この戦いに参加していたジムリーダーやVANGUARDメンバーが揃っていた。ダイは手始めに戦闘中はぐれてしまっていたゾロアを手招き寄せると肩に乗せて労う。
「お久しぶりです、ダイくん。お怪我はありませんか?」
人混みの中、前へ踏み出したのはPGのアストンだった。現場入りしていたとは聞いていたものの、祭りの最中は出会えなかったのだ。
それこそ一ヶ月、前回のレニア決戦の時ぶりに再会したのもあってアストンはダイの身体の心配をしていた。
「あぁ、これ。逮捕したバラル団員。かなり消耗してるから、乱雑には扱わないでやってくれ」
「君がそういうのなら、徹底しましょう。アシュリー、車を回すよう手配してくれ」
頷いたアシュリーが無線で配備されているPCへと指示を出す。絶氷鬼姫の命令とあらば数分でPCは現れるだろう。
イグナを引き渡しようやく手持ち無沙汰になったダイはとんとん、とつま先で地面を叩くと続いて降り立ったアルバとリエンを顔を見合わせて頷き合う。
「じゃあ俺たち、特設ステージの方に戻るから! みんなも後で来てくれよ!」
細やかな宣伝だけ済ますと三人はその場を後にしてプールエリアに向かって走り出した。
三人とも楽しみにしていたのだ、再起したソラが作ったという自信作を。だから会場へ戻るその足取りは弾んでいた。
「街の人が殆ど来てるから、立ち見含めてパンパンだね……」
「加えて、俺は見知らぬおっちゃんにチケット譲っちまったし……」
会場に戻った三人を出迎えていたのは、人の海。元からびっしり客席が埋まっていた上、ダイが火事をでっち上げて避難先にここを指定してからは立ち見客も倍増してこれ以上進みようが無いくらいに人口密度が高い。
この場所からでもステージが見えないことはないが、それでも最全席を手放したのはそれなりに痛手だったと思うダイだった。アルバとリエンも、今から元いた客席に戻る頃にはライブは終わっているだろうなと悟った。
さらに戦闘の最中、曲目は手順通りに進んでいたためもう間もなくエンディングが始まる。このライブの主催者たるフレイヤが再び壇上へ上がってくる。先程のステージでは傍らに置いていたエレキギターを肩から下げ、それが陽光を客席目掛けて跳ね返す。
「みんな、今日はありがとう! ちょっと街の方でもボヤがあったみたいだけど、怪我人がいなくてよかったよ!」
フレイヤがMCで繋ぐ間、それまで登場していたアーティストたちが次々壇上へ現れる。それぞれのファンが黄色い歓声を送る中、最後にTry×Twiceの二人が現れた時、歓声は最高潮になる。
ダイたちは改めてレンとサツキの人気を再認識した。始めからバラル団に手を染めずにアイドルを始めていれば変に思い悩むことも無かったはずだ。
しかし逆にその経験が、バネのように彼らをここまで押し上げたのだと考えると決して悪いことだけではなかったようにも思うのだった。
「さて、名残惜しいけど……もう少しでお別れだよ」
客席から漏れる「えー」という声、それにはフレイヤも、レンとサツキも苦笑いを隠せなかった。
そうこう話している内、ステージ上の設営が終わったようだ。壇上のアーティストたちは頷き合い、上着を取り払った。
その下に着込んでいた、今日だけの特別なTシャツが日の下に現れた。観客たちが今一度大歓声を浴びせる。
「それで、今から歌う曲は……一人の女の子が今日のために一生懸命書き上げてくれた、新曲です」
ざわめきが伝播する。ダイは、アルバは、リエンは、その一人の女の子と知り合いなんだぞという密かな優越感に胸を膨らませた。
ステージの中に現れる、キャストのポケモンたち。その中に入り交じる、一際目を引く迅雷──ゼラオラは遠く離れたその位置から、ダイの目を真っ直ぐ射抜いていた。
その瞳に宿る光を見て、ダイが確信した。今から秘密裏に行われる、"リライブセレモニー"は成功すると。
レンとサツキが手始めに音頭を取り、手拍子を始める。それが会場にいるファンに伝播していき、巨大な音の渦が生まれる。
「それでね、考えたんだ。このステージはアタシたちだけじゃなくて、みんなで作り上げてやっと成功するんだって」
フレイヤが言った。そうして舞台袖に視線を向ける。そして勢いよくその場から飛び出すと舞台袖から、成功を見守っていたソラを引っ張り出してきた。
等のソラはというとまさかステージ上に引っ張り出されるとは思ってなかったのだろう、顔が完全に強張っていた。
「ソラ、ステージには立てないって言ってたけど、やっぱアタシは一緒に歌いたい」
「フレイヤ……でも」
「賛成の人────────────ッッ!!!」
『うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!』
会場を煽るフレイヤ、祭りを前にして誰も野暮はしない。ダイたち三人も周囲に敗けないよう声を張り上げた。
「この曲も詞も、誰よりソラが一番理解してるんだよ。だから、歌ってあげて。この場所で」
マイクを介さず、耳朶に直接訴えかけるフレイヤの音。それがソラの心を穿つ。
瞳が放つ最大音量のフレイヤの心。それはスピーカーのボリュームを徐々に開けていくように、ソラの内側へ響いていく。
サツキが駆け寄り、自分のマイクをソラに手渡す。そのマイクは既に電源が入っている。震える喉にそれを近づける。
「……この歌は、私がどうしようもなく哀しい気持ちになった時、支えてくれた人たちを想った歌です……」
込めた想いを吐露するソラ。会場のボルテージは静かに、だか確実に上がっていく。
ここにいる観客の大半はレニアシティ出身だ、そしてラジエスやペガス、リザイナから遠征してきている者も多い。
そしてそのラフエル三大都市は、かつて悲しみの渦となったネイヴュシティからの移転民も多い。
だからこそ、ソラの言う「どうしようもなく哀しい気持ち」というのがすぐさま思い浮かぶのだ。
「私は"雪解けの日"に大事な人を失くしました。ここにいる人の中にもそういう悲しみを背負った人が、いると思う」
ぽろり、小さな涙がソラの頬を伝う。今までの自分ならここで言葉を紡ぐのをやめてしまったとソラは思った。
しかし今日、白昼夢のようだが、確かに見たのだ。以前と同じように笑う
空に掛かる虹が、自分を見守っている。そう思った時、ソラの喉を凍らせていた氷は春の訪れのように溶けてなくなってしまった。
「思い出させたなら、ごめんなさい。でもこれだけは言える。人は必ず前を向いて歩いていける」
どんなに苦しくても。どんなに膝を折っても。
ソラは思い出す。彼の笑顔を。彼らの暖かさを。引っ張ってくれる手の力強さを。
「だからこの歌を届けたい。みんなが辛い時、この歌を思い出して笑ってほしい。泣いてもいい、それでも最後には笑っていて」
ぎゅっと隣にいるフレイヤの手を握りしめる。まるでオウム返しのように、力強く返ってくる。
「────"かけがえのない
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
もしも暗闇が君を包んでも 私が君の瞳になる
もしも哀しみで言葉なくしても 私が詩にして伝えるから
それは衝撃だった。ソラが歌ってるところは何度だって見たことがあった。
だけどソラが自分の思いを込めた曲は初めてだ。
「なんていうか、真っ直ぐだ」
率直な感想はそれだった。良い意味で、歌詞に捻りがなくて。
ただまっすぐに、思いの丈をこの歌に込めたのが分かる。
「ステージのポケモンたちも、気持ちよさそうだよ」
アルバが言う。その通りだった、サツキのルンパッパや、レンのエイパム。その他ステージに上がっているポケモンたちが心から楽しそうなのが分かる。
そしてそれはゼラオラに伝わる。隣のポケモンの身振り手振りを真似していたゼラオラの動きが、だんだんと大きくなっていく。
気がつけばいつも 無邪気な笑顔で
辛い時に そっと支えてくれたのは君で
ちょうど曲がサビに入ろうか、というタイミングだった。全身鳥肌が立つみたいな、そんな感覚。
ステージの上に掛かる、虹の橋。照明器具の演出かと思ったけど違った。アルバと顔を見合わせて、確信した。
あれは間違いなくReオーラだ。そしてそれはソラと、その傍らにいるフレイヤさん。
そしていつの間にかソラの肩の上に座っていた幻のポケモン、"メロエッタ"の歌声が合わさって起きている現象だった。
そばにいて そばにいて そばにいて
たった一人の君
代わりなんていないから
虹の奔流は客席にも届いて、キラキラと空間そのものを輝かせる。
スピーカーを通さなくてもステージの上の、メインボーカル二人の声が届いてくる。
いや、声だけじゃない。強く、ソラがこの歌に込めた感情が身体の芯に響いた。
信じて 信じて 信じて
たった一つのメッセージ
どんなに離れても 届ける I'll be there for you────
聴いてるこっちが照れくさくなるほどの、ありったけのありがとうが込められてて。
その感情の渦は、虹の中にいるゼラオラの心の扉を遂に開いた。
微かに見えたゼラオラの瘴気。その残り滓がゼラオラの身体から放たれ、虹の中に消えていく。
今のでリライブが完全に成功したことを感じた。虹を通してゼラオラの、今まで封じられていた感情のようなものが伝わってきたからだ。
興奮も束の間、ソラが魂を込めた一曲もそろそろ終わってしまう。
昼間の戦闘はあれだけ長引いて感じたのに、楽しい時間はあっという間だった。
「アタシ、今日のライブを絶対に忘れないよ。今日より激しかったり、楽しいライブは今までもあったけれど……こんなに暖かい気持ちに、優しくて、嬉しいライブはきっとこれから出会えるか分からないから」
フレイヤさんが言う。激しいパフォーマンスでも無かったけれど、彼女の額には達成感を示すような玉の汗が浮かんでいた。それはT×Tの二人も同じだ。
誰もが笑顔で、ステージを見上げている。アンコール代わりに観客が送る、ペンライトの波。それに合わせて、ゼラオラが手を振っている。
「私も……今日、ここで歌えてよかった。フレイヤのおかげ」
ソラが言う。フレイヤさんほどじゃないけれど、ソラも顔がやや赤い。夕日のせい、というわけじゃなさそうだ。
一足先にソラがステージを降りる。俺たちは人混みを縫うようにして、舞台裏の方に向かうことにした。
「おつかれ、ソラ」
舞台裏、ステージの裏の階段でソラは座り込んでいた。駆けつけざまに一言労うと、ソラは小さく頷いた。
立ち上がろうとするソラだったけど、俺たちが先周りして階段や機材が入っていた箱に腰を下ろす。
「どう、だった……?」
「すっげー良かった! アルバもリエンも、そう思うだろ?」
言葉にすると思いの外興奮してる自分に気づいた。二人もそう思っていたらしく、しきりに首を縦に振っていた。
それを聞けて安心したのか、ソラはホッと胸を撫で下ろした。
「良かった……みんな、待っててくれて、助けてくれて、ありがとう」
歌に込められていたのと同じ、様々なものが重なって出来上がった大きなありがとう。
それをソラから受け取って、俺は胸が熱くなるのを感じた。
「どういたしまして! こちらこそ着いてきてくれてありがとう!」
「どういうお礼なの、それは」
歯を見せて笑うアルバに、苦笑いで突っ込むリエン。
久しぶりに四人で、何気ないことで笑った。あまりに濃すぎる一ヶ月、ずっとコスモスさんと一緒にいて気を張り詰めていたからか。
このメンバーで集まっているのが、とても落ち着く。下手すれば大欠伸しそうなほどには。
「しかし、忙しい一日だったなぁ……なんか、疲れた」
呟いてごろん、と大の字に寝転がるのを咎める奴はいない。アルバもリエンもソラも各々が疲労の色を見せていた。
思えば今まではやばいところで誰かの助けを経て、ギリギリで戦ってきた。だけど今日は俺たちだけで窮地を乗り越えたんだ、そりゃ疲れもするか。
「La──」
その時だ、小さくソラが喉を震わせた。声なのにまるで楽器みたいな歌声が、やがてユニゾンする。
顔を上げるとステージの方向からふわりとやってくるのは昼間もこうやって見上げた幻のポケモン、メロエッタ。
メロエッタはさっきのステージと同じようにソラの肩へやってくると楽しそうに微笑んだ。
「……うん、分かった」
歌声を聴いたソラが頷いた。どうやら、ソラ特有の不思議ちゃんも健在みたいだ。
ソラは鞄を弄り、中から空のモンスターボールを取り出すと開閉スイッチを押し込んで手のひらにボールを乗せた。
ハイタッチを交わすように、メロエッタが開閉スイッチに触れる。瞬間、光となってモンスターボールへと吸い込まれていったメロエッタ、モンスターボールは揺れること無く捕獲完了のカチリ、という音を響かせた。
「これからもよろしくね」
いつかに見た、子供の頃のソラの笑顔。それと全く同じ屈託のない笑みをメロエッタと交わすソラを見て、心が跳ねるのを感じた。不整脈かな……キセキシンカを使った影響かもしれないし、カイドウに連絡するか。
メロエッタが再びボールの外に現れるタイミングで、ステージの骨組みからゼラオラが降りてきた。エンディングまでしっかりステージを楽しんできたみたいだ。
「ゼラッ!」
俺の目の前にやってくると、ゼラオラが俺を僅かに見上げる。瞳の輝きは、闇の呪縛から完全に解放された証。
ポケモン図鑑を取り出すとゼラオラが思い出した技の一覧が表示される。今までは使える技を出してもらって、それを記憶することで対処していたけれど、これで詳細な作戦を立てることが出来るようになった。
と、そう決めつける前にやるべきことがあったな。
「ゼラオラ、お前は俺と来るか?」
ダークポケモンにされる時、きっとこいつは人間に嫌な目に遭わされたはずだ。
心の扉を完全に開いて、感情を取り戻したゼラオラには選ぶ権利がある。人間の側にいるのが嫌だ、というなら野生に戻ればいい。こいつがそう選んだなら俺は引き止めたりはしない。
ゼラオラと俺を繋いでいるモンスターボールを取り出し、こいつの前に差し出そうとした瞬間。
バチバチとスパーク音を放つ拳が俺の胸を小突いた。小突く、と言ってもポケモンが放つ【かみなりパンチ】だ。
俺はというと全く予期していないこともあってゴロゴロ転がって機材の箱に空と地面が逆さまになった状態でぶつかった。
それなりに痛てぇ……
「今のは僕でも分かった」
「私がゼラオラでも、殴るかな~」
リエンに殴るなんて言われちゃ、こっちが十、あっちが零で俺が悪いのが分かる。俺なりに、ゼラオラに配慮したつもりだけどそれがまずかったのか。
身体を起こしてゼラオラと対峙する。今度は俺がこいつを見上げる番だった。
「…………ゼラ」
「ダイと一緒に行きたい、そう言ってるよ」
ソラの補足と共に、ゼラオラの手が差し出された。見ればどこか気恥ずかしげに目を逸している。
あぁ、そういえば知らなかったな。お前、"さみしがり"な性格だったんだ。だから「一緒に行きたい」なんだな。
「一緒に行こうぜ、お前も」
「ゼラ!」
差し出された手を掴んで立ち上がる。その返事はきっとこいつの望んだもので、ゼラオラは屈託無く笑顔を浮かべる。
正直、俺なんかが幻のポケモンと絆を結んでもいいものか、とは思う。だけど俺はトレーナーで、こいつはポケモン。そしてポケモンが望んだなら、トレーナーは応えるだけだ。
「──こちらでしたか」
その時だ、俺たちに向かって放たれた男の声。見ればアストンとアシュリーさんだった。どうやらイグナたちの押送は無事他のPGに引き継ぎ出来たらしい。
「ある方が皆さんとどうしてもお話がしたい、とのことでして。少々、お時間頂けますでしょうか」
「構わないけど、いったい誰なんだ?」
俺たち四人と話がしたい、と言う人物はアストンの後ろからアシュリーさんにエスコートされてきた。天下のハイパーボールクラスがまるでSPだ。
だけどそれもそのはずだった。というのも、その人物が胸元に付けているバッジは以前見たことがある、ペガスシティのエンブレムだった。
「やぁ、君たちがバラル団を撃退したというVANGUARDの若き精鋭たちですね?」
やや興奮気味にその男は言った。アストンに似た、地毛特有の輝きを放つ金髪。
歳は三十代半ば、って感じの若さと大人の魅力を半々にした壮年という言葉が似合いそうな、それでいてどこかで冷たさをも感じさせるミステリアスガイ。
初対面で、そういった印象を受けた。
「初めまして、私の名前はフリック。ペガスシティの代表をさせてもらっている者だ」
彼──フリックさんが名乗ると、俺以外の全員が目を見開いた。普段は他人には全くと言ってもいいほど興味を抱かないソラでさえもだ。俺だけアウェーだった、久しぶりだこの感じ。
俺が首を傾げていると、アルバが小さく補足してくれる。
「彼はペガスシティの市長さん。雪解けの日で住む家が無くなった人たちの殆どはペガスシティに移り住んだんだけど、フリックさんが移民受け入れ体制を真っ先に整えてくれたからなんだ。住むところの他にも、新しい仕事先や精神療養まで手厚くやってくれてるから、人気も高いんだ」
なるほど、だからソラもフリックさんのことを知ってたんだな。リザイナシティに移り住んだソラでさえ知ってる、ってことはフリックさんの善意はラフエル中に届いてるんだろう。
「ひとまずは市民を代表してお礼を言わせてほしい。バラル団の襲撃があったのにも関わらず人的被害がなかったのはひとえにジムリーダーや君たちのおかげだ、ありがとう!」
「俺たちはやるべきことをやっただけですって」
「それでもだ。その若さで、巨悪と立ち向かうには勇気がいることだろう。私はそれを讃えたい」
改めて言われると、なんだかむず痒くなってしまう。照れ隠しに頬を指で撫でるしかできない。
見ればアルバも同じくらいデレデレした顔をしていた。リエンとソラは俺たちほど顔に出ていないけど、そわそわした感じからして少し浮足立っている気がする。
「さらに、先程の唄。人々は命だけ助かったら良いというものではない。もちろん私も福祉に力を注いでいるが、やはり人の心を救うにはああいった、魂の篭もった何かが必要なんだ」
フリックさんはソラを真っ直ぐ見つめてそう言った。魂の篭もった、俺たちみたいな友達贔屓を抜きにしても、ソラの歌がそう思ってもらえる。それがなんだか無性に嬉しい。
「私はこれからも君には人々の前に立って歌っていてほしいと思う。そのための支援は惜しまないよ、どうだろうかミス・コングラツィア」
これはつまり、引き抜きか?
フリックさんは傷ついた人たちの心を救うために、ソラに歌ってほしいと思ってる。ソラは人の痛みが分かるから、それに寄り添った歌が唄える。
だからこれはソラにとっても、悪くない話なんじゃないか?
「──それはアタシも思うな」
その時だ、ようやくステージが幕を下ろしたのかフレイヤさんやTry×Twiceの二人が現れた。三人ともやり切った、という顔をしている。
フレイヤさんはソラに向き直った。この一ヶ月、俺がコスモスさんとずっと一緒にいたように。ソラの側にい続けてくれたのはこの人だ、きっとソラのことを俺たちと同じくらい知ってくれている。
「祭の前にも言ったよね、ソラには才能がある。それは努力しても手に入れられない人がいる類の、そういう才能」
SNS上で見る陽気なフレイヤさんとはまるで別人の、アーティストとしての顔だった。いつでも全力でストイックな顔を覗かせる『Frey@』としての言葉のように思えた。
ソラの実力は、レンやサツキも認めるところのようで、二人もまた神妙な顔でソラを見つめていた。
「ソラの才能の音を、響かせたくはない?」
差し出される手、ソラはフレイヤさんとフリックさんの顔を交互に見つめ、差し出された白い手をジッと見る。
なんだかんだ言って、俺もソラの不思議ちゃんが伝染ったかもしれない。だって今、ソラが悩みに悩んでるのが分かるから。
こういう時、どうしたらいいんだろう。背中を押すのが、正解なんだろうか。アルバとリエンに視線を向けると、首を横に振られた。二人にもお見通しみたいだった。
数分にも思えるソラの逡巡、やがてソラはフレイヤさんの手から俺の方へ視線を移し、近づいてきた。
「ダイ」
「……おう」
静かに名前を呼ばれた。プレッシャーのようなものを感じて、思わず返事が遅れる。
「ちょっとだけ、手握ってもいい?」
「手を? いいけど……」
ソラの手を取った。その時、触れたソラの手は細くて、柔らかくて、同じ人間でもこんなに違うんだってことが伝わる。
きゅっと小さく力が込められた。俺も同じくらいの力で握り返す。静かな空気だけが俺たちの間に流れた。
閉幕に従って、祭に戻る観客たちの遠い声だけが聞こえてくる。ただただ心地良い静かな音だけが満ちていた。
いつまで続くのか、なんて思った瞬間だった。ソラがリズミカルに、きゅっきゅっと力を込めてきた。顔を見ると、ソラは何か返事を待ってるように思えて、同じリズムで力を込める。
「楽しいのか、これ」
「うん、とても楽しいよ」
「そっか、じゃあ続けるか……」
周囲の目があるからか、たかだか握手なのにとても恥ずかしい気がしてきた。
手を繋いだまま、ソラが深呼吸する。そして息を吐ききると、ソラは手を離した。最後は弱々しく、まるで別れを惜しむかのような手だったと思う。
「アルバとリエンも、良い?」
「もちろん!」
「いいよ」
次にソラはアルバとリエンにも同じことをしに行く。右手でリエンの、左手でアルバの手をそれぞれとってまた同じように、三人の中で独特の空気が生まれる。
先に一人で握手を済ませたせいか、若干俺だけ仲間外れ感が出てしまっている。
同じくらいの時間が経って、ソラが二人の手を離した。どうやら決心はついたらしい。
俺の手には、離れていくソラの手の感覚が未だに残っていた。それを振り払うように右手を強く握り締めた。
「──フレイヤ、ありがとう。市長も、とても嬉しい。だけど、私はみんなと行く」
握り締めた手に、熱が篭もった。思わず、素っ頓狂な声を上げそうになった。見れば、アルバとリエンの二人も、ソラのこの決断は予想外だったらしい。
「私が今唄えるのは、みんながいてくれるから。
だから、旅をしながら傷ついた人に寄り添う歌を唄っていきたい」
それを聞いてフレイヤさんは微笑んだ。フリックさんも小さく肩を竦め「敗けたな」と呟いた。
「それに、私がいないとみんな寂しがる。特に、ダイとか」
「特に俺かよ」
「ちゃんと伝わってきたから」
今の握手は心理テストかなんかだったのか、ソラの奴意外と小狡いぞ。
でも確かに、今更三人の旅に戻れって言われてもなんだか物足りないかもしれないな。
「みんなと一緒なら出来る気がするから。歌で、音で、誰かを元気に」
そうソラが締め括る。それに対し、これ以上議論の余地もなくて。
「……フラれちゃったなー! うん、残念!」
全然そうは見えないけれど、フレイヤさんが両手をあげて降参のポーズを取った。
それにしても、ソラがこうもハッキリ物を言う時が来るなんて思ってなかった。
誰かを元気にしたい、目標をしっかりと言葉にしたソラがなんだか少し、ほんの少しだけかっこよく見えた。
さっぱりと諦めたのか、フレイヤさんは手を下ろすとソラから俺に向き直った。明るめの瞳が俺の目を真っ直ぐ射抜いてきて、思わず吃りそうになってしまう。
「さてと、改めまして。フレイヤです、よろしく!」
開演前に一度挨拶をしたというのにフレイヤさんはそう言って俺に手を差し出してくる。同じように挨拶し返し、手を取る。
「ありがとう、フレイヤさんたちのおかげでゼラオラを元に戻してやれた」
「ううん、困ってるのが人でもポケモンでも、放っておけないもんね。それに他でもない、アサツキからのお願いだったし」
彼女に取り次いでくれたアサツキさんの顔を思い出す。俺のような一般人が彼女みたいな一流アーティストにアポが取れたのも、ひとえにアサツキさんの助力があってこそだ。
俺の隣に立っていたゼラオラを見て、フレイヤさんは目線を合わせた。
「これからは、いろんなものに触れて、いろんなことを考えて、楽しく生きていくんだよ。そうしていつか君が大事な宝物でいっぱいになった時、最初に感動したのが今日のステージだったなら、アタシは嬉しいな!」
ワシャワシャと力強くゼラオラの頭を撫でる。以前のゼラオラなら警戒していただろうけど、今はもう違う。暖かい手のひらの感触に心地良さそうに目を細めている。
その時、ブーと短くバイブレーションの音がする。見れば、レンの端末だった。
「フレイヤ、そろそろ打ち上げ始まるってよ。俺たちも急がないと」
「もうそんな時間!? それじゃボーイズ、並びにガールズ! またどこかで会おうね! バイバーイ!」
サインを貰う暇も無く、フレイヤさんとレン、サツキが走り去る。T×Tはともかく、フレイヤさんのサインは何が何でも貰っておくべきだった……
なんてくだらないことで肩を落としているとフリックさんが腕時計を確認する。
「私もそろそろお暇しなければならないのだが、待ち合わせをしている連れがなかなかやってこなくてね。ハイパーボールクラスを二人も無駄に侍らせてしまってすまないね」
「お気になさらず、市長」
困り眉で言うフリックさんに柔和な笑みでアストンが返す。一方隣にいるアシュリーさんからは「早く帰りたい」という感情が見て取れた、口には出さないけれど。
バラル団との戦闘があった後だし、当然事後処理や関係する書類のチェックなど、発生した仕事は山積みのはずだ。そうでなくても、VANGUARDの構成員が動いたということで監督責任が生まれるんだから大変だ。
フリックさんが腕時計を眺めているとその時、不意にコツコツとコンクリートの上を革靴が跳ねる音がした。
その人物を見てフリックさんが顔を綻ばせる。「ようやく来たな」と呟く彼の声音には、待ちかねたという色が見えた。
「すまない、道行く人の波に逆らっていたものだからね」
ただ、その声を俺は聞いたことがある。それはアルバもリエンもだ。
なぜなら、俺とアルバとリエンが持っている"ジュカインナイト"を始めとするメガストーンは、この人から受け取ったんだから。
「──随分と久しぶりだね、ダイくん。以前よりも、見違えるようだよ」
モタナタウンを北上してすぐ、地元民が滅多なことでは近づかない意味深な"神隠しの洞窟"。
そこで出会った、ディーノさんが俺の目の前に立っていた。