ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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VSゾロア まだ名もなき唄

 ダイがコスモス宅に泊まってから、レニア復興祭までの二週間。即ちこの限られた修行期間の折り返し地点を過ぎた。

 この日よりコスモスによるポケモンバトルはさらに苛烈を極めていた。

 

 彼女の宣言通り、今まではジュカインのみに絞っていた使用ポケモンも今では手持ち全てを駆使してのフルバトルトレーニング。

 ゲンガー、ゼラオラ、ウォーグル、メタモンはそれぞれの強みを見つけ、それらを発揮出来るように最適な力の引き出し方を戦いの中で見つけていた。

 

 しかし、そんな中一匹だけが遅れていた。

 

「ゾロア、【あくのはどう】!」

 

 それはゾロアだった。今、ダイの手持ちの中で最古参となるゾロアが強化の波に乗り遅れていたのだ。

 これまで数々の激闘を乗り越え、先日のレニアシティの戦いでは遂に【ナイトバースト】を習得した。

 

 だのに、ゾロアには来るべき進化のタイミングが一向に現れなかった。ゾロアは"ゾロアーク"と呼ばれるポケモンに進化が可能なはずなのだ。

 ポケモン図鑑によれば【ナイトバースト】を扱えるゾロアは全て近いうちに進化したという報告まで上がっている。

 

 それに従い、強化の方向性を定めた他のポケモンたちよりも重点的にトレーニングを行っているのだが、やはり兆しは現れない。

 ゾロアは咆哮と共に闇色のオーラを自身を中心に放出。それが対面するポケモン目掛けて殺到する。

 

「躱せ、シンボラー」

 

 メガネの奥、眠たげな眼を向けながら対戦者──カイドウが呟く。シンボラーは【かげぶんしん】を多用して闇色の波動攻撃を不発に終わらせる。

 そして攻撃を避けたシンボラーが分身含め、同じように闇色の魔球を発生させる。

 

「【シャドーボール】、二匹ずつ同じ射角で放て」

 

 分身したシンボラーが逃げ場を無くす闇色の魔球(シャドーボール)の弾幕を張る。それを見てダイはゾロアを一度下がらせた。

 

「【こうそくいどう】! そしてこっちも【かげぶんしん】だ!」

 

 素早い動きを繰り返し、魔球の尽くを回避。そして返すように【かげぶんしん】を行い、一匹のシンボラーに対し一匹のゾロアがマークするように展開する。

 分身同士が衝突し対消滅。徐々に数を減らした瞬間にカイドウは第三の目を開眼させる。

 

「本物はそこだ、【シグナルビーム】!」

「まずい! なんとか躱してくれ!」

 

 第三の目、即ち超常的頭脳の本領である【ミラクルアイ】を発動させた状態のシンボラーとカイドウは圧倒的な分析能力を発揮し、相手のポケモンに技を必中させられるようになる。それだけではなく、本来効果のないエスパータイプの技がゾロアを捉えるようになる。

 

「シンボラー、三六秒後にエリアF-Rに攻撃だ」

「動きが止まった! 【ナイトバースト】!」

 

 一瞬の隙を突き、ゾロアが暗黒が凝縮した光をシンボラー目掛けて撃ち出す。しかしその攻撃は僅かにシンボラーの翼を掠めただけにとどまる。

 元より命中精度に不安の残る技ゆえにシンボラーには当たらなかった。せっかくの隙を潰してしまったゾロアが焦って【あくのはどう】を撃ち出すが、それをシンボラーは【サイコキネシス】で無理やり軌道を捻じ曲げゾロアに返してしまう。

 

「【テレキネシス】で浮かせて【エアスラッシュ】」

 

 ノックバックで後退したゾロアの身体がふわりと浮き上がる。有翼ポケモンではないゾロアは空中に上げられると途端に機動力を無くしてしまう。動きの止まったゾロア目掛けてシンボラーが空気の刃を閃かせてゾロアを攻撃する。吹き飛ばされたゾロアが起き上がろうとした瞬間、先程カイドウが宣言した三六秒後が訪れた。

 

「ジャスト三六秒、指定座標狂いなし」

 

 シンボラーの瞳が輝き、次の瞬間降り注いだ光がそのままゾロアを狙い撃った。吹き飛ばされたゾロアが戦闘不能になり、ダイの眼前で倒れる。

 

「【みらいよち】か、予知っつーか……納期決めてそこまでに無理やり原稿仕上げるみたいだな」

「それでも結果は変わらん。予め定めた場所に予てより待機させていた攻撃が当たるだけだからな」

 

 メガネの位置を直しながらカイドウが涼しげに言い、手を差し出した。ダイがゾロアをボールに戻し、カイドウの手に預けるとカイドウは部屋に設えられた回復マシンでゾロアを回復させる。するとカイドウはリモコンを操作し、ジムを教室モードへ変形させた。

 

 すると最前席で淑やかに座って二人の戦いを眺めていたコスモスがようやく口を開いた。

 

「どうですか、カイドウくん」

「このゾロアとやりあったのは二度目だ。以前のデータと合わせて分析する必要があるな」

 

 ため息交じりの言葉には、コスモスも「そうですか」と返すほかない。

 コスモスとダイは進化の兆しが一向に現れないゾロアを不審に思い、ちょうどダイのメディカルチェックも兼ねてリザイナシティに訪れた際にカイドウに調べてもらおうとアポを取ったのであった。

 

「もう半年か」

「そんなになるか、俺とお前」

「気色の悪い表現をするな。それにそれほど長い期間でもあるまい」

 

 隣に並んだダイを肘で軽く突き飛ばすカイドウ。しかしダイからすればその半年の間に色々なことがありすぎた、あまりにも濃密すぎて一瞬で過ぎ去っていく。

 腕を組んで唸っていると、カイドウの手首のポケギアが震える。それを見てダイが感心したように呟く。

 

「お前、俺とかアルバ以外に連絡先交換してるやついるのな! なんか安心したわ」

「っ、黙れ! バトル前にゾロアの血液検査を頼んでおいたんだ!」

 

 まったく、とぼやきながらポケギアを起動したカイドウがイヤホンに繋いで先方と話し始めてしまったため、手持ち無沙汰になったダイはコスモスが座っている席の隣へ腰を落ち着けた。

 

「先程のバトル、動き方は良かったですよ。あの子(ゾロア)の長所が掴めていたと思います」

「あ、ありがとうございます。負けちゃいましたけどね」

「貴方とあの子は野試合の方が向いていそうですからね」

 

 言外に公式戦ではポンコツだぞ、と言われているような気がしてダイは苦笑いを隠せなかった。もちろんコスモスにそんな意図は無いとわかっていてもだ。

 回復マシンに設置されたボールを見て、ダイはふと思い出す。

 

「あいつと出会ったの、もう一年以上前になるのか」

「ラフエル地方に来る前からの付き合いと仰ってましたね」

「そうなんですよ、イッシュ地方を旅している時に立ち入った森で会ったのが始まりだったかな」

 

 イッシュ地方をアイラと共に旅していた時、ダイは"迷いの森"と呼ばれる森林に立ち入ったことがあるのだ。

 

「その時、俺はアイラに付き合わされる形で森に入ったんですけど、途中ではぐれたんですよね。で、当時の俺って手持ちがペリッパーだけで、積極的にバトルもしなかったから今よりずっと弱くて。雨も降り始めて困っていた時、誰も使ってないキャンピングカーがあって雨宿りに使わせてもらってたんです。そうしたらその中で遊んでたあいつに出会って、森を出る手伝いをしてくれたんです」

「でも、そこでお別れとはならなかったんですね」

「はい、結局森には何も無かったから戻ってホドモエシティに向かおうって時、必ず通るライモンシティ入のゲートで俺を待っていたんです」

 

 そこから意気投合し、ダイはゾロアを連れて旅を再開することとなった。相変わらずジム戦は眺めているだけの退屈な旅だったと、今になってダイは思っていた。

 しかしゾロアはラフエル地方に来るまではダイに自分をぶつけることもせず、ただ楽しげに後ろを着いて歩いているだけだった。

 

「最初はなんであいつが俺に着いてくることを選んだのか分からなかったんですよね。別に強いわけでもないし、キャンピングカーの中でちょっと遊んだり一緒に少ない携帯食料分け合ったりしたくらいで。でも一緒にいるうち、楽しいことに目がないんだなって分かってそれからはボールの中より外に出して一緒に歩き回ってる時間の方が多いくらいで、今もそうしてます」

 

 昔を思い出しながらダイがそう言うと、コスモスは薄く微笑みながら天窓越しの空を仰いだ。

 

「どこか、貴方たちの雰囲気は似たところがあります。あの子が人間だったら、兄弟のような感じでしょうか」

「兄弟、か……そうかもしれません」

 

 今でこそ、アルバのように一緒にはしゃげる同年代の男友達がいるが、それ以前のダイにとっての気の置けない存在がゾロアだったのだ。

 しっくりと来る表現にダイが頷いた。その時、カイドウが通話を切って戻ってきた。

 

「おかえり。それで、なんだって?」

「ふむ、そうだな。そろそろ回復も済んだ頃だろう、揃って話を聞け」

 

 カイドウがそう言い、ボールからゾロアを呼び出す。ゾロアはそのままダイの膝の上にやってくると、座してカイドウの言葉を待った。

 

「ゾロアの血液を調べてみた結果、体内の細胞組織にちょっとした以上が見られた。通常、ポケモンというのは体内に存在する進化因子が活性化することによって進化する。活性化の方法は様々で、例えば人為的なものなら"交換進化"。俺のフーディンのようにポケモン交換によって発生するエネルギーがこの進化因子を活性化させることで起きる」

 

 突如始まった講義にダイの頭が一瞬ついていくのを放棄した。今晩の夕食はどのメニューにしようかなどと考え出そうとしたところでカイドウに頭頂を叩かれた、完全に気づかれていると悟り断念するダイ。

 

「ところが、そのゾロアの血中には進化因子が全く見られなかった」

「ってことは、つまり──」

 

 ダイが膝の上のゾロアと目を合わせた。ゾロアはというと眉を下げてこれから告げられる真実が嘘であってほしいという顔をしていた。

 だが、それは無情にも叶わない。カイドウは淡々と告げた。

 

「ああ、()()()()()()()()()()()()()()()()()。ゾロアという種から見れば規格外(エラー)ということになる」

 

 その言葉を受けて、ゾロアは衝撃を受け思わずその場から飛び出してしまった。ドアを突き破るように乱暴に突進で開け、外の街へと消えていった。

 立ち上がったダイが追いかけようとしたが、それをカイドウは引き止めた。

 

「なんで止めんだよ! 追っかけねえと!」

「落ち着け、まだ話は終わっていない」

「だとしても話は後だろうが!」

 

 熱くなったダイを制するようにコスモスが諌めた。そして外にカイリューを呼び出しながら言った。

 

「私が追いかけます。きちんと連れ戻しますから」

「……お願いします」

 

 ダイがコスモスに頭を下げて頼み込むと、コスモスはカイリューの背に乗って合図を出す。直後翼を羽撃かせて飛翔する翼竜。

 しかし空から探すと言っても、ゾロアは小柄なポケモンでこの街はそういった小さいポケモンが入りやすく、コスモスの連れているポケモンでは入り込めないような路地がたくさんある。しかしコスモス自身の運動性で追いかければ、ゾロアが逃げ続けたと仮定して、オタチごっこが始まってしまう。

 

「ですが、そうですね……」

 

 コスモスはそう呟くと、カイリューを降下させてその背から降りた。ボールに戻すことなく、そのまま上空へカイリューを向かわせ地上と空から探すことにしたのだ。そのままコスモスは道沿いに歩き、ビルとビルの間の僅かな裏路地を進んだ。

 

 するとその先に、チョロネコとニャルマーの群れがいた。どちらがこの場所を縄張りとするか、まさにリーダー同士の一騎打ちが始まろうかという空気の中、一匹だけ姿の違うポケモンがいる、ゾロアだった。

 

 早いうちに追いかけ始めた甲斐あって、行方がわからなくなる前に見つけることが出来た。安堵したコスモスがゾロアに歩み寄ろうとしたときだった。

 威嚇するチョロネコとニャルマーの両方目掛けてゾロアが突進していった。小さなポケモンの小競り合いとたかを括っていては怪我をしかねない。コスモスは物陰から伺うことにした。

 

 二匹のポケモンが放つ【みだれひっかき】を受けながらゾロアが【バークアウト】を放ち、両方を撃退する。しかし群れのリーダーが攻撃されたとあっては、子分たちも黙っていない。敵の敵は味方ということなのか、自然の中で育ったポケモンたちが手を取りゾロアに一斉に襲いかかった。

 

 それはコスモスから見て、あまりにゾロアの分が悪いように見えた。決してゾロアが劣っているわけではないが、数の利は個の強さを凌駕することがある。

 事実、ゾロアが一匹一匹を撃退する間に数体のチョロネコがゾロアに飛びかかり、【あくのはどう】を直に浴びせた。

 

「エストル」

 

 コスモスは見かね、手持ちのジャラランガのうち一匹を召喚した。そして攻撃を指示しようとしたところで、ゾロアが彼女に気づいた。

 その時ゾロアが取った行動は、威嚇だった。エストルに、というよりはコスモスに。

 

 それはまるで「手を出すな」と言っているようで、意を汲んだコスモスはエストルの前に手を出して制止させた。

 ゾロアはそれからどれだけ傷つけられようとも絶対に助けを求めることはせず、チョロネコとニャルマー両方の群れを全て退けた。

 

 やがて視界に映る全てのポケモンを戦闘不能にした後、ゾロアもぐったりと倒れた。回復マシンで回復したにも関わらずものの数分でボロボロになってしまったゾロアをコスモスは優しく抱え上げた。

 

「よく頑張りましたね」

 

 頭をスッと撫で、ゾロアの乱れた毛並みを手櫛で軽く整えるコスモス。ゾロアはすぐさまコスモスから離れてエストルをも相手取ろうとしたが、回復もなしに立ち上がることは出来そうになかった。

 

「……焦っているんですね」

 

 それは図星だった。再度抱えあげるコスモスに抵抗もせず、ゾロアは頷いた。

 トレーニングの期間も折り返し地点を迎え、自分もまた強くなろうとしていた。だのに、自分は進化することが出来ない、出来損ないであると突きつけられてしまった。

 

「これから始まる戦い……彼の力になりたいんですよね」

 

 やがてゾロアは泣き始めた。自分だけ足を引っ張るのはイヤだ、と悔しさが声を上げさせる。

 

「彼には、貴方の力が必要です。誰が欠けてもダメなんですよ、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 それは、コスモスだけが知っているバラル団との戦いを左右する予言に関することだった。

 

「貴方に差し上げます。今の私には必要ありませんので、遠慮なく」

 

 そう言ってコスモスが取り出したのは磨かれた淡いローズピンクの石を加工したペンダントだった。その石の名は"しんかのきせき"、かつてコスモスが修行中の身であった時にポケモンに持たせていたことがある道具だったが、言葉通り今は使う必要のない道具だった。

 

 それをゾロアの首にぶら下げると、ゾロアはその石から身体に凄まじいエネルギーが流れてくるのを感じた。

 

「これがあれば……いえ、きっと無くとも貴方は彼と並んで立つことが出来ます。彼が貴方と共に歩むことをあれだけ楽しげに語るのですから、間違いありません」

 

 コスモスはそう言って微笑むと、ゾロアを連れてリザイナシティジムへと戻った。すると入り口の前でちょうど飛び出してきたダイとコスモスが鉢合わせし、腕の中のゾロアを見てダイは顔を明るくする。

 

「ゾロア! お前すげぇな!」

 

 開口一番、叱られると思っていたゾロアは面食らってしまう。コスモスもまたダイの言葉の意味を掴みかねて首を傾げた。

 その意味は、後ろから現れたカイドウが眠たげな顔で告げた。

 

「全く、話の途中で飛び出すな。進化因子が足りない代わりに、お前の身体は他の個体に比べて遥かに優れた数値を持っていることも同時に分かった。恐らくは身体が進化出来ない状態を受けて、通常よりも成長の効果が強く出るようになったと見るべきか」

 

「つまりな、お前はお前のままでいいんだ。一匹くらい、姿が変わらないヤツがいたって良いさ」

 

 そう言ってゾロアの頭を撫でるダイ。途端にゾロアは顔を綻ばせ、コスモスの胸の中からダイの肩に飛び移る。

 

「では、今日も始めましょうか」

「よろしくお願いします!」

 

 戻ってきたカイリューをそのまま場に繰り出し、それに応えるようにゾロアがダイの肩から飛び出した。

 カイドウは深い溜め息を吐くと、計測器を持ち出してダイのデータを取り始めた。ダイの身体はもはや生きた検体とまで呼べるほど貴重な体験をしたものだ、研究者として調べないわけにはいかないのだろう。

 

「ゾロア、頑張ろうぜ!」

「クォン!」

「行きますよ、カイリュー」

 

 無言で頷いたカイリューが羽ばたき、空へと舞い上がる。対するゾロアは首から下げたペンダントの輝きを纏い、防御力を大幅に上昇させた。

 上空からの【しんそく】を、ゾロアが【カウンター】で返す。両者の攻撃がぶつかり合い、カイリューの音をも置き去りにする特攻は周囲に凄まじい衝撃を呼んだ。

 

「すげぇ、あのカイリューの攻撃に正面からぶつかっていくなんて、気合十分って感じだ!」

 

 突風に煽られながらも、ダイはゾロアの健闘に声を弾ませた。ゾロアがそれに対して不敵な表情で返した。

 それを見ながら、コスモスはやはり二人は似たもの同士だと口元を綻ばせるのであった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 同じ頃、ラジエスシティではシンガーソングライター『Freyj@』として活動中のアーティスト、フレイヤは鼻歌を奏でながらホテルの廊下をスキップで歩いていた。彼女が見初めたソラの音楽をレニア復興祭のプロデューサーにゴリ押した結果、二つ返事で快諾となったのだ。

 

 その上、いつもはフレイヤに小言を零しがちなマネージャーも先んじて論破しておいたおかげで話はスムーズに決まり、ストレスも溜まらないという良い事尽くめだった。

 

 しかし等のソラから一つだけ提案があった。というのも「曲を使うのは構わないが、もう少し時間を掛けて練らせてほしい」というものだった。

 その気持ちはフレイヤにも分かる。シンガーソングライターというからには、曲と詞を自分で書くのが常だ。稀にタイアップということで著名な作曲家に楽曲を提供してもらうこともあるが、基本は自給自足だ。

 

 だからこそ、もっとこの曲は良くなる。良くなれる。良くしてみせるというソラの気持ちを尊重した。

 のだが、彼女がそう言い出してそろそろ一週間になる。作曲など一朝一夕には出来ない。ソラが作った『まだ名もなき唄』は一日で作り上げた半ば即興に近いもの、デモ音源は出来ているとは言え細部まで練ろうとすればそれこそ一週間二週間などあってないようなものだ。

 

 今日、フレイヤがこのホテルにやってきたのは退院し滞在先をホテルに変えたソラの様子を見に来たのだ。

 作曲部屋として使う以上防音のしっかりしたホテルを取っているようで、ロビーに足を踏み入れただけでフレイヤは自分のパンクな衣装に少しだけ場違い感を感じずにはいられなかった。尤もパンクファッションはソラもお揃いなので今更とも思ったが。

 

 インターホンを押し込むが、応答がない。もう一度、今度は深く押し込んでみる。

 が、やはり反応がない。フレイヤが部屋を間違えたか、と事前にもらったメモを確認するが部屋番号は合っている。

 

 その時だった。内側からドアが開いたと思えば、そこにいたのはソラではなかった。

 彼女の手持ちであるソリストポケモンのアシレーヌだった。しかしその姿は見るからにぶっ続けで作業しているのが分かるほど、見窄らしいものとなっていた。

 

 毛並みはボサボサ、表情など優雅さが欠片もなく疲れ切っている。そしてフレイヤは部屋の異常さに気づく。

 テーブルの上には今まで食べ終えた食器の数々が溜め込まれており、ちょっとした塔のようになっていた。

 そして足元には丸まった五線譜入のルーズリーフの塊、全てがくしゃくしゃに丸まっていた。

 

 電気は点いておらず、ノートパソコンと借りてきたのか電子鍵盤(キーボード)だけが光を放っていた。そしてそれに照らし出されたソラの顔はまさに亡霊のそれ。ゴーストタイプに耐性のあるフレイヤですら一瞬喉から空気が漏れそうになった。

 

 ソラは虚ろな顔で、頭上で手をゆらゆらと動かしていた。それはさながら指揮のように見えたが、ソラの状態があまりにも不気味すぎてともすれば悪霊でも操ろうとしているかのようだった。

 

「ちょ、ちょっと! 大丈夫!? 明らかに正気じゃないけど!」

「平気」

 

 フレイヤが電気を点け、カーテンと窓を開けて外気と陽の光を取り入れる。溜め込まれた食器から放たれる数多もの匂いが混ざり合って悪臭と化し部屋中に充満していた。

 

 これでは良い曲になるはずもない。フレイヤは改めて明るい中ソラを見やった。

 椅子の上に丸くなって毛布を被っている上、覗く髪はボサボサ。顔色は最悪で、目の下には真っ黒い隈まで出来ている。

 

 フレイヤは自分が医者なら光よりも早くソラをベッドに叩き込むだろうと思った。

 

「……何日そのままなの」

「……ん、たぶん、五日……? 覚えてない」

「やっぱり……とりあえずお風呂入ってきなって、掃除はしておくから」

 

 ソラの頭から毛布を剥ぎ取るフレイヤ。ソラはというと頭の上の荷物が奪われ、頭のバランスが取れなくなって頭がフラフラと揺れだした、そのせいでさらに重症に見える。

 

「お風呂……ヤ」

「ヤ、じゃなーい! 音楽は気から! こんな環境じゃせっかくの歌にキノコが生えちゃうよ!」

「それは、もっとヤ……」

 

 かなり渋々といった様子だが、ソラはバスタブに湯を張り出した。さすがは高級ホテル、ユーザーの求めるサービスが分かっている。

 服を脱ぎだすソラを他所に、フレイヤはフロントコールで従業員を数人連れてきてもらうよう頼んだ。まずはなんと言っても悪臭の元である食器を片付けない限りこのもやもやと漂う臭いは消えない。

 

 それから床に散らばった今までの努力を証明するルーズリーフの塊も拾ってはゴミ箱へ放り投げていくが、当然ホテルの個室に設えられているような小さなゴミ箱では収まりきるはずもなく、フレイヤは仕方無しに追加でゴミ袋も持ってくるよう頼んだ。

 

 やがてソラがバスルームに消えていったのを確認し、掃除を再開するフレイヤ。ふと気になったのか、丸まったルーズリーフをいくつか手にとって広げてみることにした。

 

 すると偶然か、彼女が手にとったルーズリーフはどれも同じ小節のページであり、ありとあらゆるアイディアを試してはそうじゃないとソラの眼鏡に適わず却下されたものだと分かった。

 

 走り書きされた乱雑な文字、フレイヤは解読できる限りそれらに目を通した。

 

『もっとありがとうを』

 

『これでは気持ちは伝わらない』

 

『自己満足で終わらせない』

 

『これはありがとうじゃなくてごめんなさい、やる気あるのか』

 

 ソラらしからぬ手厳しい言葉の数々が書き殴られていた。それだけ、ソラがこの曲に込める思いは強いのだと悟った。

 他のボツ案を見てみようとフレイヤが身を屈めた瞬間、バスルームの方からハミングが聞こえてくる。それはまさに打ち捨てられている小節のメロディであった。

 

「なるほど、ここで詰まってるのか……」

 

 ページから推測するに大サビやラスサビと呼ばれる、所謂曲が一番盛り上がるタイミングだった。それは存分に悩むべきだ、フレイヤですらこの場所は一番頭を使って書く。それにしたって五日間寝ずに考えていたのはやりすぎだとはフレイヤも思う。

 

 しばらくして現れた従業員に皿の山とゴミ袋の山を託す。ようやく部屋の中がスッキリし、換気のおかげで部屋の空気も入れ替わり始めた頃。恐らくソラに合わせて五日間ぶっ続けで歌ったりリズムを取っていたのだろう、手持ちの四匹が遂に疲労困憊で力尽きた。

 

 フレイヤはソラの手持ちを全員ボールに戻して部屋に設えられている回復マシンにセットする。戦闘のダメージでは無いため、回復マシンで癒える傷は無いがそれでもただボールの中で休ませるよりはずっと効果的だ。

 

 ふと、バスルームでシャワーの音と共にソラのハミングが止んでいることに気づいたフレイヤ。恐る恐るバスルームの扉を開けて中を覗き込むと、

 

「ぶくぶくぶく……」

 

「わー! 大変だ! 目を離すんじゃなかった!!」

 

 案の定バスタブに顔が半分埋まって眠りかけていた。フレイヤは慌ててソラをバスタブから引っ張り上げると安否を確認する。もう少し発見が遅れていたら危なかったかもしれないと思うと冷や汗が止まらなかった。

 

 もう意識を失う寸前のソラの身体を吹いて適当に荷物に紛れていたジャージを着せるとひとまずベッドに放り込んでしまった。少なくとも今日の作業は難しいだろうと、フレイヤは思った。しかし、これでもフレイヤは多忙の身である。復興祭で発表する自分の新曲、そのレコーディングを行わないといけないため、これからの二週間でソラに合わせて時間を割けるのは二回が限度だろう。だからこそ今日という一日はかなり貴重だったのだが、ソラがこの調子では無理をさせるわけにはいかない。退院したとは言え、彼女は深刻な心の傷を癒やしている最中の病人のようなものなのだから。

 

 しかしソラはというとたったの十分ほどで目を覚ますとすぐさまノートパソコンの前に戻っては隣の鍵盤に指を置き始めた。

 

「無理しない方がいいって。さっきも言ったけど、音楽は気から。気疲れしてたら良いものも出てこないよ」

「ううん、やる。この辺まで来てる」

 

 ソラはそう言って喉の部分を指差す。それは確かにアウトプットしないと気分が悪い、フレイヤにも覚えがある。

 言っても聞かないソラに対し、フレイヤは深い溜め息を吐くと観念したように隣に腰を下ろした。

 

「じゃあチャチャッとやろう! そんで今日はもう爆睡しちゃおう!」

「おー」

 

 それから、『まだ名もなき唄』の大サビ作成が始まった。ソラが今までボツにした部分からいくつかサンプルを用意して聴かせると、フレイヤがそれに対してアイディアを出していく。創作はブレインストーミングが基本だ、人数が多いほど質の良いものが出来上がってくる確率が高い。

 

 実際、フレイヤの今まで培ってきた引き出しは素人のソラの作った粗雑な骨子に確実な肉付けを施していく。

 正直歌うことをやめたとしてもこっちで食べていけるほどの才能をソラは感じていた。そして同時にフレイヤもまたソラのセンスに感心していた。

 

「(荒削りだけど、やっぱり良いものを持ってる。通信で音楽は続けてるって言ってたけど……)」

 

 この冒険はきっと彼女が未来作っていくものに華を添えるだろう。今は安定した歌手として引っ切り無しに活動しているフレイヤには少し羨ましいものがあった。

 過酷なことが待っているだろう、それでもたまにはのびのびと、歌を口ずさめるような旅路を歩んでほしいと言外にフレイヤは思った。

 

「やっぱ転調は外せない感じか」

「盛り上がるから。でも……」

 

 結局ソラが詰まっているのはそこだった。この曲は本来ならバラードに属する曲であり、盛り上がってしまっていいのかという葛藤があったのだ。

 フレイヤも専門はロックミュージックであり、ロックならば転調は王道。切っても切れない縁だが、それをバラードに持ち込むかは決め倦ねていた。

 

「今までのデモ音源にいろいろ試してみたのがあるんじゃない?」

「……これ」

 

 ソラはフレイヤにヘッドホンを渡してひとまず一通り聴かせる。さまざまなバリエーションを聴き比べてみて、フレイヤはというと首を傾げていた。

 

「これは悩むわ……明るめのバラードだし入れてもいいんじゃない? と思わせてくる……」

「そう、困った」

 

 二人で頭を悩ませていた時だった。ほんの少し強い風が吹き込み、カーテンを揺らして部屋の中に心地の良い風が入り込んでくる。

 まだ微妙に湿っているソラの長い髪を自然風が乾かしてくれる。その優しい風はかつて母のチェルシーに髪を乾かしてもらった子供の頃を思い出させた。

 

 メロディがどうこう考えるよりも、大事なことがある。ソラは目の前が見えなくなっていることに気づいた。

 復興祭のステージで披露される曲だから、誰もが愛してくれるような曲を、と息巻いていた。

 

 だがそうではないと、この歌の起源を思い出した。

 

 ソラは次の瞬間、大サビを少し前の部分から一気に削除した。今までは芯となる中心部分は残していたが、それすらも全部消し去った。

 もっと大きくするために、今と同じではダメだということに気づいたのだ。

 

 それを見て、フレイヤは何も言わなかった。むしろここからソラがどういった音を作るのか、口出しせずに見てみたくなったのだ。

 キーボードと格闘を始めるソラを見て、フレイヤはそろりと席を立った。そして窓際に寄って外の光を浴びながら『まだ名もなき唄』の冒頭部分を口ずさんだ。

 

 これは感謝を伝える歌だ、とびきりのありがとうを届けるための歌。

 思えば二週間前、マネージャーといつもの口喧嘩をして飛び出してきたところにこの歌が聞こえてきたのだった。

 

 これを運命と呼ばず、なんと呼ぶのだろうか。

 

 

 

『────♪』

 

 

 

 そんなことをふわりと考えていたから、フレイヤは窓枠から部屋の中の様子を伺いながらまさに今フレイヤと同じ歌を口ずさんでいるポケモンに気づくのが遅れた。

 

 そのポケモンはカーテンに隠れながら歌っている。ポケモンが歌うなど別段珍しくもない、なんならフレイヤも子供の頃から一緒に歌ってきた。

 

 だが、そのポケモンはフレイヤも見たことのないポケモンだったのだ。

 女性のように長く艷やかなエメラルドの髪は、五線譜のような筋が見え、至るところに斑点で音階が描かれているようだった。

 

「キミもこの歌が好きなの?」

 

 フレイヤが話しかけた。次の瞬間、そのポケモンは慌てて飛び去ってしまった。ものすごいスピードで視界から消えたポケモンに、フレイヤは目を点にしてしまう。

 しかしそのポケモンが消えた方向から、独特なメロディが風に乗ってきた。それは再びカーテンを揺らし、部屋の中のソラの耳へ届いた。

 

 直後、ソラの頭がノートパソコンのキーボードの上に落下する。フレイヤが寝不足が祟ったかと頭を抱えたがそうではないようだった。

 

「なんか降ってきた」

 

 瞬きの間に復活したソラはより作業にのめり込んだ。フレイヤには、今のポケモンがもたらした旋律がソラにインスピレーションを与えたように見えた。

 

「なんだったんだろう、あのポケモン」

 

 かのポケモンが飛び去った方角の空を仰ぎながら、フレイヤは呟いた。

 それに対する返答は、もちろん無かった。

 

 


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