ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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VSアシレーヌ たった一つのメッセージ

 登りかけの朝日が窓から謙虚に病室へと入り込む。パチリ、とソラは目を覚ました。目を覚ましながらに、全く頭が寝ぼけていないことに自分で気づく。

 ここ最近はいつもそうだ、基本的に魘されるか()()()()かの違いしか無いが、意識外で意識を脅かされる起き方しかしていない。

 

 今朝はどちらかというと、後者だった。病室に放り込まれている身故、眠ることが仕事のようなもの。

 当然一日の中で睡眠時間は多く取ってしまうのだが、寝る機会が多ければ多いほど悪夢に脅かされる回数は増える。

 

 鏡を見る。数日前まで生ける屍のようだった生気の無い顔からすればかなり人間的な顔に戻っている。

 寝直すことは出来るが、やはり頭が冴えてしまっている。そこでソラは丁寧に畳まれた自分の服と、その隣に畳まれているダイの服を見やった。

 

「~~っ」

 

 うっかり彼のジャージに手を伸ばしそうになって慌てて手を引っ込める。あの時は余裕こそなかったが、あの匂いに一日包まれていたのかと思うと言いようのない恥ずかしさが溢れ出してくる。

 ソラは病衣を脱ぐと自分の服に袖を通し、壁際のテーブル上に置かれた三つのモンスターボールを手に取る。

 

『おはよう』

 

 まだ声は出てきてくれない。ソラは唇だけそう動かし、アシレーヌ・ムウマージ・マラカッチに朝の挨拶をする。

 ずっとボールの中からソラが魘される様を見てきた三匹は心配そうだったが、幾らか血色の良くなったソラを見て安堵したようだった。

 

 そしてソラはチルタリスがまだ帰ってきていないことに気づく。最初はアルバ、次はリエンに貸し出したので今はリエンが連れているはずだ。

 ということは飛行手段が無いので、あまり遠出は出来ない。行けるとすればラジエス市内に限定されるだろう。

 

 ソラは鞄の紐を肩に下げると病室の扉を開け、

 

「あら」

 

 自身の病室の前に立っていたシスター、ステラと目が合った。聖女はソラにニッコリと微笑んだ。

 

「おはようございます、お出かけですか?」

 

 小さくソラは頷いた。ひょっとして不味かっただろうか、ソラはほんの少しだけ不安になった。ダイから「ステラさんは怒るとめちゃくちゃ怖い」と聞かされているのだ。ダイ本人がどこでステラを怒らせたのかはソラの知るところではない。

 

「それなら良かった、よろしければ今日一日お付き合いいただけませんか?」

 

 だから、ステラの提案にソラは面食らった。首を傾げて、ホワイトボードに「どこへ」と綴る。

 それに対してステラは茶目っ気を見せ、片目を瞑りながら言った。

 

「勿論、外へです」

 

 ステラのシスターヴェールがもぞもぞと蠢き、中からミミッキュとラルトスが顔を見せた。

 どこへ連れ出されるのだろう、楽しげに笑うステラの姿にソラは若干の不安を覚えたのだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「最初はここです」

 

 そう言われてソラは建物を見上げた。そこはラジエスシティの中でも比較的大きなダンスレッスン場"スターダム"だった。ラジエスシティ特有の高層ビルに負けない高さの建物であり、その中は幾つものレッスン場がありヨガ教室やエアロビクス等一般開放もされている。

 

 そんな建物の前に、ソラとステラは中くらいのビニール袋を持って立っていた。中を見るとミネラルウォーターやスイーツの類が入っている。

 エレベーターに乗った二人、ここに来るまでソラが声を失っているせいもあり正面に向かって立っていなければ会話が成立しないためかステラも口数を減らしていた。

 

「今日は、会ってほしい人たちが何人かいるのです」

 

 そういうステラの言葉に首を傾げていると、エレベーターは七階で止まった。左右に開くドアのすぐ先にスタジオが有り壁一面の大きな鏡が目に入る。その前で軽快な音楽の中で二人の男がステップを踏んでいる。

 傍らにはやたらゴツい姿のトレーナーがいる。彼が手を叩くたび、空気が破裂しているかのような音がレッスンスタジオ内に響いていた。

 

「ワン、ツー、スリー、フォー! ワン、ツー、スリー、フォー! はいそこでターン! ポーズ!」

 

「「ポーズ!」」

 

「はいオッケー! キレが良くなってきたわ、サツキも体幹が出来てきたようね。レンもステップがトチらなくなってきたわ!」

 

 ご機嫌で二人を褒めるゴツいトレーナー。汗の玉を浮かべながら成長を実感しているのは"Try×Twice"の二人。

 肩で呼吸をしていた二人だが姿鏡でステラの姿を確認すると即座に振り返った。サツキに至ってはタオルで汗を拭って制汗剤の染みたウェットティッシュで体表面を一瞬でコーティングした。

 

「お疲れさまです、お二人とも。朝からハードですね」

「これくらい屁のダックですよ」

「そうそう、まだ全然余裕って感じ!」

 

 レンとサツキがそう言って力こぶを見せる仕草をする。しかしそんな二人の言葉を受けてゴツいトレーナーがそれぞれの肩に手を置いた。

 

「そうなの、二人共()()()()のシゴキじゃ満足出来ないみたいね。メニューを追加しましょうか」

「「げっ、それは勘弁」」

「屁のダックで全然余裕なんでしょう? ウフフ」

 

 二人の肩に置かれた手から二の腕までが目に入る。レンとサツキの力こぶなど彼の腕に比べれば白いアスパラガスのようであった。

 そもそもこのゴツいトレーナー、肉体こそは完全な男だが精神(こころ)は割と乙女で出来ている。故に話し方が女性らしいのだ。

 

「程々にしてあげてくださいね、オーバーワークは不調を生みやすいので」

「心得ておりますわ、シスターステラ。身体が壊れない程度に痛めつけるだけですわ」

「痛めつけるって言った! 今痛めつけるって言ったよね先生!」

「それなら良かったです、二人をよろしくお願い致します」

「いいんだ!? 痛めつける発言容認しちゃうんだステラさん!?」

 

 和気藹々とした和やかな雰囲気で繰り広げられる会話を少し離れたところで見守っていたソラ。そこでソラはようやくここに来るまでに買ったものが差し入れだと気付いた。

 ススス、と静かに歩み寄って先生と呼ばれていた乙女トレーナーにビニール袋を差し出す。

 

「あら、良かったじゃないアンタたち。美女二人に差し入れもらうだなんて、ファンには黙っておかないとね」

「「ありがとうございます!」」

 

 受け取ったミネラルウォーターを流し込み、再び溢れた汗を拭った二人がもう一度鏡に向き合う。流れ出す音楽に合わせて、再び先生が手拍子で空気を弾けさせる。

 その様をステラとソラはエレベーターを待っている間にずっと眺めていた。ステラはソラに言うべきか最後まで迷ったが、言うことにした。

 

「ソラさん、あの二人は……元バラル団でした」

 

 なんとなく、そんな気はしていた。今でこそ同じVANGUARDのメンバーであるものの、今や世間を湧かす人気アイドルと異邦の旅人であるダイや一介のトレーナーに過ぎないアルバやリエンが知り合いである理由などそれくらいしか思いつかない。

 それを聞いて、ソラは無意識に拳を握りしめてしまった。今、目の前で真剣にレッスンに取り組んでいる二人の姿がソラには淀んで見えただろう、()()()()()()()()()

 

「ですが今は、バラル団によって傷ついた人々のために一生懸命頑張ろうとしています。それだけは認めてあげてくださいませんか?」

 

 ステラのその言葉が言い終わる前に、ソラは握り拳を解いてホワイトボードにペンを走らせた。

 

『みんなが信じるなら、私も信じる』

 

「……ありがとうございます」

 

 静かに微笑んだステラ、本気の安堵を垣間見た気がしてソラはステラの人間性を改めて思い知る。

 ちょうど上がってきたエレベーターに乗り込み、鏡越しに二人へ小さく手をふるステラ。それに応えたのは先生の連れている"ソーナノ"だった、耳を振ってソラとステラを見送った。

 

 差し入れも渡し、改めて手持ち無沙汰になったソラはステラの方を伺う。まだどこかへ行くところがあるのだろうか、場所くらいは事前に教えておいてほしいと思うのだった。

 するとステラは腕時計で時間を確認し、少しだけ早足気味に歩を進める。とりあえず一人でいるのもなんなので、ステラの後を追いかけるソラ。

 

 数分後、幾つかの信号を超えて何度かの丁字路を曲がった先にあったのは、ビルに挟まれた小さな教会。ここに来てようやくソラはステラが聖職者であることに意識が向かった。

 しかし扉の先には数人の子供たちが祈りを捧げていて、外の車や人々の喧騒から遮断された静謐な空間にソラは惹き込まれた。

 

「ここは、孤児院も兼ねているのです。親を失った子供やポケモンたちが、ここで生活しています」

 

 それはソラにとっても他人事とは思えなかった。リザイナの学生寮に入らなければソラもこういった施設の世話になっていたことは想像に難くない。

 ポケモンたちは人間よりもずっと感受性が豊かで、すぐさまソラの元へとやってきた。ソラが自分たちと()()であると感じ取ったのだろう。

 

 蛇の祖を持つポケモン"アーボ"がソラの隣へやってきて、ソラを見上げた。ソラが手のひらを差し出すとアーボはそこへ自分の頭をスッと重ねた。ひんやりとした手触りが心地良い、それを見た他のポケモンたちもソラの元へとやってくる。

 

「あっ、ステラお姉ちゃんだ!」

 

 一人の男子がステラの存在に気づき、ぞろぞろと挙ってステラを取り囲んでしまう。一人一人と目線を合わせながら笑みを浮かべて挨拶を交わすステラ。

 

「こちらはソラさん。みんな、お姉さんにご挨拶してください」

『おはよーございます!』

 

 子供たちの笑顔を添えられた挨拶にソラは少したじろぎながら、ホワイトボードにペンを走らせた。

 

『こんにちは、ソラです』

「……お姉ちゃん、喋れないの?」

 

 一人の少女が尋ねた。ソラは小さく頷くと、その少女は「そっか」と自分のことのように寂しそうに呟いた。

 するとそれを見た男子の一人が言った。

 

「じゃあ、おれがお姉ちゃんの代わりに喋る! 任せてよ!」

 

 彼女に良いところを見せたかったのだろうか、そう言って屈託なく笑う男の子。ソラは思わず「ありがとう」と口を動かして、ハッとする。

 まだ不意に口を動かして喋ろうとする癖が出てきてしまう。だがその唇は子供たちにも伝わったようだった。

 

「今日はお歌の練習をするんですよね? みんな」

 

 ステラが尋ねると子供たちはなんだか困惑したような仕草を見せた。やがて一人の女の子が寂しそうに言う。

 

「それが、先生今日は具合が悪いって言ってて……お祈りは、私達だけでも出来るけど」

「そうでしたか、演奏者がいないとなるとお歌の練習は難しいですね……私もある程度は弾けますがつっかえつっかえになってしまいますし……」

 

 どうやら訳ありらしい。ソラはホワイトボードに素早くペンを走らせるとステラの服を引っ張る。

 

『楽譜があるなら見せてほしい』

 

 ソラがそう言い出したのを見て、ステラは目を丸くする。ソラはボードをまっさらにせず、追加で書き記してステラへ見せる。

 

『私が弾く』

 

 その文字はステラの顔を綻ばせた。やがてコクリと頷くと、ステラは子供たちを連れて聖堂の奥。普段聖歌隊が使うであろう舞台の上へとソラを案内した。

 

 舞台脇にあるオルガンにソラは腰掛ける。鍵盤に触れるのは実に数ヶ月ぶり、それこそ最近は冒険の旅に出ていて、楽器に触れる時間などなかった。

 楽譜に目を通す。ソラも歌ったことのあるメジャーな合唱曲だった。なんなら幼少の頃コンクールで演奏したこともある、二度三度指を奔らせれば音を思い出すだろう。

 

「わぁ……!」

「お姉ちゃん、すっげー!」

 

 ソラの思い通りに指が動く。今はの代わりに、オルガンが歌ってくれる。

 弾けることが確認できると、ソラはステラに向かってグッと親指を立ててみせる。ニッコリと微笑むステラが頷いて、静かに手を挙げる。子どもたちが指揮者であるステラに注目、ステラが「さん、はい」と手を振り出すとソラもそれに合わせて伴奏を行う。

 

 鍵盤と歌いながら、ソラは子供たちに目を向けた。誰もが楽しそうに歌っている、ところどころ跳ねたり音を外したりするがそれすらも楽しむファクターとして取り入れているような一体感。

 テクニック、技術が大事なのではない。本当に"楽しむための音”を発していると、それが分かる。

 

 ソラは思い出す。人の心に宿る人それぞれの音楽。一つ一つ、音色の違う音たちが奏でるオーケストラ。

 それこそが人間の合唱だと、遠い昔母チェルシーに聞かされて育ったことを。

 

 バラル団の班長ソマリとの戦いで傷つき、人の心の音を聞くことが出来なくなったソラ。

 だがこの合唱を通して、ようやく思い出すことが出来た。

 

 自分が心から愛していたものがなんであるかを。

 

 

「────楽しい音楽の時間だ」

 

 

 その声は、確かにソラの喉を震わせて出た音だった。だけどソラは驚かない。

 簡単なことだ。大切な人たちが癒やして前を向かせてくれた、そして心から大切だと思える音楽(もの)に触れることが出来た、それでどうして心が折れたままでいられるだろうか。

 

 気づけばソラの顔には笑顔があった。それはステラも、ひょっとするとダイたちですら見たことのない微笑み。

 鍵盤の上を白魚の指が跳ねる。今だけは指揮をそっちのけでフォルテを、クレッシェンドを連発することを許してほしいと思いながら、ソラは唄った。

 

だがそのソラの"楽しい"が文字通り音を通して、子供たちへ伝わる。彼らの声はさらに大きく跳ね上がり、講堂の反響も相まって聖歌隊さながらの迫力を放っていた。

気づけば子供たちだけではない、孤児院に預けられているポケモンたちも一丸となって歌唱に参加している。ソラの持つモンスターボールからアシレーヌが、ムウマージが、マラカッチが飛び出し他のポケモンたちをリードしながら歌う。

 

そうして僅か数分という歌唱時間が終わり、ステラが綺麗に指揮を終える。最後にソラが鍵盤を叩いた瞬間、指は高く跳ね上がった。

歌いきった、弾ききった、それぞれがそういった感慨を浮かべる中子供たちが取った行動は至ってシンプルだった。

 

「ソラおねえちゃん、おうたもすっごいじょうずだね!」

「どうやったらそんなに弾けるようになるの? おれにも教えて!」

 

わあわあと一斉にソラの元へと集まって大はしゃぎをする。普段は子供たちに囲まれているステラも、今ばかりは閑古鳥が鳴いている。

 

「そんなに一斉に質問されては、ソラお姉さんも困ってしまいますよ」

 

ステラがそういうも子供たちの興奮は冷めやらない。ソラは困惑しながらも微笑を浮かべ、一つ一つの質問に丁寧に答える。

数時間前まで余裕のなかった、冷めきった心が今では嘘のように暖かく、豊かだ。

 

そんな中、一人の男の子が言った。

 

「ねーねー! 他にはどんな曲が弾けるの!? おれ、聖歌も好きだけどロックポップっていうのにもあこがれててさ!」 

 

それは突飛な質問だった。オルガンでロック、出来ないことはないだろうがミスマッチ感は否めない。誰もが苦笑いを浮かべたが、当の男子はエアギターをかき鳴らす仕草を見せている。

するとそれまではおずおず、と言った風の態度だった女の子が一人手を上げた。

 

「わ、わたしも、ポップミュージックっていうの、歌ってみたいです……!」

 

一度波が出来るとそれは大きくなる。ぼくも、わたしも、と次々と一斉に声が上がる。

だが当然、音楽にはジャンルがありどれかである以上、どれかではない。そういうものである。

 

全ての要望を飲むことなど、到底出来ない。どうしたものか、ソラが悩んでいるときだった。

ハッとアイディアが浮かび、ソラはムウマージに頼んで荷物を持ってきてもらう。鞄の中から取り出されたのは五線譜が引かれたノートだった。

 

「ソラさん? それは?」

「みんなが歌いたい曲を、()()()()()()()()()

「そ、そんなことが出来るんですか!?」

「曲作りは、初めて。だけどみんなに貰ったものを、私も返したい」

 

ソラは講堂の床に一枚一枚切り取ったノートのページを並べてまずはコードを決めることにした。

最初のロックポップというのがやはり厄介だった。やはりロップポップを重視してしまうと他の曲のコードにそぐわないのだ。

 

「じゃあバラードベースで、そこから明るい曲調に仕上げていく……まずこれで。アシレーヌ、デモをお願い」

 

簡単に書き上げたものをソラがアシレーヌに見せ、アシレーヌがそれに合わせてハミングを行う。たった数分もしない内に出来上がったとは思えないほど曲として出来上がっていた。ステラは思わず感嘆の吐息を零してしまった。

 

「これに、明るさを……スネアとか、パーカッション……アシレーヌ、今度はこっち。マラカッチがそれに合わせてリズム、やって」

 

先程までの数枚をAメロとするなら、今アシレーヌが口ずさみマラカッチが身体を揺らして音を発している部分はBメロに当たる。バラード調だったはずの曲がパーカッションを加えることで雰囲気が明るく華やぐ。子供たちは音楽の骨組みが出来上がる瞬間を目の当たりにし、色めき立つ。

 

「サビ……シンセとか、ストリングス……ムウマージ、出来る?」

 

かなりの無茶振りであったが、ムウマージは二つ返事でやってみせた。アシレーヌが主旋律を、ムウマージが対旋律を、マラカッチが拍子をそれぞれ担当し、最後にソラがハミングで歌詞が入る部分のメロディを歌い上げる。子供たちがワクワクしながらその光景を眺めていると、不意にソラが歌うのを止めてしまった。

 

「どうしたの、ソラお姉ちゃん」

「……詰まった」

「それって、ここの部分?」

 

ロックポップの男の子だった。言いながら楽譜の一小節を指差す、驚くことに正解だった。ソラが詰まったのは二番のサビ終わりからの繋ぎ部分だった。

 

「じゃあ、男子合唱を挟むのはどうでしょう」

「……有り、採用」

 

ステラが提案すると、ソラは頷いて楽譜の一部を書き直し再度ポケモンたちとメロディを練り直す。そこでソラは思いつく。

せっかく男子に歌ってもらうのだ、どうせなら女子と歌い方を分離させた方が音が輝く。ソラも自分で大胆なアレンジだと思った。

 

「マラカッチ、ここもう少しリズム増やして……そう、ラップ」

「ラップ!? バラードで、ですか?」

「そう」

 

そうして編曲されたメロディはバラード主体でありながら刻まれるパーカッションによって明るさを表現していた。ただ、これではまだ曲が出来ただけだ。

一番大事なもの、詞が存在しない。ソラはペンを取ったまま固まっていた。そうして一度、周りの子供たちとステラの顔を見やった。

 

「なにか、アイディア、ある」

 

そういうソラに子供たちもステラも頭を抱えて悩ませた。歌詞は当然、曲に込められたものを聴くものに伝えやすい。伝えやすいということは綻びも分かりやすいということだ。

長い間手が止まっていると、ステラがふと指を立てて言った。

 

「なら、感謝を伝えるのはどうでしょうか」

「感謝……」

「えぇ、私は音楽に関してソラさんほどの知識はありませんが、この曲はソラさんが人の優しさを受けて作りあげたものだというのは分かります。だからこそ、ソラさんの想いを詩にすることが一番であると、そう考えます。この子達も」

 

ステラは微笑み、ソラは再び白紙の紙へと向き合った。そして、ソラなりの『ありがとう』を思い浮かべる。

自身を取り囲む子供たち、それを見守るステラ、そして脳裏に浮かぶ大切な仲間たち。

 

 

「あり、がとう」

 

 

――お日様のような笑顔を浮かべる、君。

 

その時、そっと誰かが背中を押した。ソラが振り返ると、それはリエンに貸し出していたはずのチルタリスだった。チルタリスだけではない、アシレーヌもムウマージもマラカッチもソラに寄り添って温もりを伝える。一瞬だけその後ろに、チェルシーとハンクの笑顔が見えた気がした。

 

持ち上がった腕がペンを握り、紙面の上を滑るように走っていく。そのスピードから、ソラが伝えたい感謝の程が見て取れる。

書いては消し、推古してから、また書く。有限のメロディの中で、伝えたいありったけをぶつける。

 

手が止まっていたときからは想像もできないほど言葉が溢れてくる。こんなにも伝えたいことがあると、ペンは雄弁に語っている。

 

楽しげな君の声が好き。

 

嘘を吐くのが下手なのが好き。

 

怒っても怒りきれない不器用なところが好き。

 

見るよりもずっと大きな背中が好き。

 

ちゃんと目を合わせてくれるのが好き。

 

手のひらの暖かさが好き。

 

不安を取り除いてくれる腕が好き。

 

思いつけば止まらない。むしろいっぱいに溢れてしまうほど、ありがとうに「好き」が着いてくる。

そうして、それらを歌詞としてメロディに刻み込む。歌詞が勝手に浮き上がらないように、音として更にメロディへと落とし込んだ。

 

 

ソラが身体を起こして時計を見て驚いた、集中している間に短い時計の針が四つは動いていたのだ。

 

「出来た」

 

気づけば、額から汗の雫が溢れていた。ハンカチを取り出したアシレーヌがそれをペタペタと拭う。同時にひんやりとした()()が火照った身体を心地よく冷やしてくれる。

出来上がった歌に名前をつける。しかし歌詞とは違って、一概には決まらない。

 

ひとまず保留にしておきソラは鞄から小型のノートパソコンを取り出して、DTM(デスクトップミュージック)を起動すると出来上がった曲を打ち込んでいく。ムウマージの声では限界のあったシンセサイザーもこれならば問題ない。

昼食の準備が完了した旨を伝えにステラが呼びに来た時にはノートパソコンと格闘していたソラ。

 

「出来たよ、わたしたちの『ありがとう』が」

 

四時間もの間、どこへも行かずにソラの作業を見守っていた子供たちは手放しで喜んだ。そして次に子供たちが取ったアクションは、講堂の長椅子に腰掛けることであった。ソラがキョトンとしていると、ロックポップの少年が興奮を隠しきれないように言った。

 

「歌ってみてよ、ソラおねえちゃん!」

「私も聴きたいよ!」

 

素人の、たった四時間で作り上げた曲をここまで楽しみにしてくれることに、ソラは困惑を隠せなかった。ステラに助けを求めると、ステラもニッコリと微笑んで長椅子の方へと移動してしまう。

教会奥の小さな舞台が、まるでコンクールのステージのように緊迫した雰囲気に包まれる。

 

声は出るようになった。だが果たして歌えるだろうか、ソラは十数枚の楽譜をジッと見つめた。そして、手首のライブキャスターに入った数少ない連絡先にコールを送る。

心臓の音に対して静かなコール音が講堂に微かに反響する。そして、数回の呼び出しの後相手は通話に応じた。

 

 

「……もしもし、ダイ」

 

『おお、喋れるようになったんだな! 良かったよ! ッと、あんま長話は出来そうにないんだ! 悪いな!』

 

 

電話の奥では爆発音や風が唸る音が絶え間なく響き続けていた。きっと今日もコスモスとポケモンバトルを行っているのだろう。目を閉じれば彼が頑張っている姿が目に浮かんでくる。

ソラは胸に手を当てて、深く息を吸って静かに吐くと弱々しく切り出した。

 

「あのっ、あのね……ダイにありがとうを伝えたくて」

 

『俺、なんかしたか? 全部ソラが頑張ったんじゃんか』

 

そんなことはない。君に貰ったものがたくさんある。ソラは思うも口に出せずにいた。

逸る心の音がソラに言えと急かす。

 

「それでね、ラジエスにある教会の子供たちと歌を作ったの。今度でいいから、聴いてほしい……いい?」

 

急かされた声は上ずって発されてしまう。

 

『マジか! 聴く聴く! それじゃあアルバとリエンも引っ張ってこなきゃだな! 楽しみにしてるからさ! って、うおわっ!! コスモスさんちょっとタンマ! 悪いソラ! そろそろ集中しないと避けきれねえ! それじゃあな!』

 

「あっ……うん」

 

それだけ言い残してダイとの通話は途切れてしまった。まだ言いたいことはあった、でも時間が無いのに待ってもらうのは忍びないとソラは自分に言い聞かせて無理やり納得させた。

気を取り直して、もう一度深呼吸を行う。子供たちとステラは待ちわびている。ソラは小型のスピーカーをノートパソコンに繋ぎ、ボリュームを上げる。

 

覚悟を決めてエンターキーを押し込むと、イントロが流れ始める。すると打ち込まれている音に合わせて、マラカッチがリズムを取り始める。どうやら彼なりにこのステージを盛り上げる腹積もりらしい。それに乗ったアシレーヌとムウマージがハミングを行う。そして歌い出し、

 

 

「――――――」

 

 

ソラは自分でメロディに刻んだ詞に想いを載せて、風が彼の元へ届けてくれるように祈りながら全力で唄った。

傷つき、絶望に打ちのめされ、悲しみにくれていた自分を掬い上げてくれた君へ送る、最大限最上級の感謝。

 

せっかくみんなで作った曲を私物化するようで気が引けたが、歌に含まれる想いは人それぞれのもの。ソラがこう思って唄うことを、歌が許してくれる。

涼やかな彼女の歌声だけが講堂に響く。少年少女と聖女の心を魅了し、惹き込むほどの力があった。

 

髄まで、芯まで、最後の一滴を絞り出すように声を出す。そして音楽が徐々にフェードアウトしていく中、ソラは天を仰いだ。

真昼の太陽は天窓から降り注いで、ソラの快復を祝福しているようだった。

 

 

小さな観客たちは、ただ呑まれていた。目の前にいる少女の放つ音の魔力にただただ魅せられ、圧倒されていた。

だから、その歌唱に対するリアクションが一番早かったのは思わぬ人物だった。

 

 

「うんうんうん!! すっごい、良かったよ!!」

 

 

惜しみない拍手と共に送られる賛辞の言葉。突然の闖入者に、今度はソラが面食らう番だった。

ソラの周囲をポケモンたちが取り囲む。教会に押し入る不審者など考えたくもないが、万が一ということもあり得る。

 

そんなソラの懸念を払拭したのは、ステラだった。どうやら彼女は闖入者の女性に見覚えがあるようだった。否、なんならソラですらその女性には見覚えがある。

どころか、彼女の声は彼女の首に置かれているヘッドホンから時折その歌を響かせることすらある。

 

「どうして、貴女がここに?」

「今日はラジエスで来月のイベントの打ち合わせがあったんだけど、ちょっと()()と揉めてね、あはは」

 

頭の後ろで腕を組んで歯を見せて彼女は快活に笑った。ソラはまだまだ人の心の音を聴くリハビリが必要だと思った。

彼女の顔を認識してからでないと音が聴こえないだなんて、音の申し子の名折れだ。

 

それだけ、ソラにとって彼女はそれなりに大きな存在だったのだ。

 

「来月のイベント、出演者全員で歌う曲を探してたんだけどイマイチピンとくるのが出演者の持ち歌に無くてさぁ。アタシはロック専、みたいなところがあるし? 」

 

バラードもそれなりに自信あるのに、と零しながらステージに繋がる階段をブーツが跳ねる。アシレーヌを始めとするソラのポケモンたちも唖然としていた。

 

「ところが、どうしたもんかって歩いてたところで貴女に出会った!」

 

燃えるような赤髪を揺らし、女性はソラに詰め寄った。ニッと歯を見せて笑う彼女の名は――フレイヤ。

今、ラフエル地方で"Try×Twice"と双璧を成すほどの大物アーティスト『Freyj@』その人だった。ソラも度々、彼女の音楽に励まされたことがある。

 

 何より彼女こそが、ダイがはるばるユオンシティまで足を運び、アサツキに紹介してもらおうとしていた"英雄の民"なのだ。

 

 思わぬところで出会った偶然に、ソラの身体がだんだんと石化してくる。

 

「ここで提案があるんですけど、貴女の今の歌。来月のレニア復興祭で歌わせてくれないかな」

 

 

だから、憧れの人物にそんな提案をされるなんて思いも寄らなくて。

ソラは言葉を咀嚼して、内容を理解して、静かにしかし思い切り、その場にぶっ倒れた。

 

 


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