ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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VSヌメルゴン リエンという少女

 ダイとアルバがそれぞれの師の元で修行を行ってる間、リエンもまた同じようにイリスと集中的にトレーニングを行っていた。

 実戦形式のポケモンバトルにもだいぶ慣れてきたのもあり、イリス曰く「ジムバッジ複数個に相当する実力」と呼べるほどの力をつけていた。

 

 そして今日もまた、イリスとリエンはかつて来たことのあるテルス山の一角、崩落現場の真下にあるテルス山地底湖までやってくると、その岸でポケモンバトルを行っていた。

 リエンの手持ちポケモンがみず・こおりタイプを主軸としたテーマパーティであるため、水場での周囲を最大限に活かした戦い方を極めることが出来るからだ。

 

「ヌマクロー! 【だくりゅう】!」

「じゃあこっちも【だくりゅう】だ、ヌメルゴン!」

 

 リエンが指示を飛ばすと、ヌマクローが浅瀬を叩きつけ大きな波を発生させる。それに対抗するようにイリスの"ヌメルゴン"が咆哮で波を起こし、互いに相殺する。

 一際大きな飛沫が二人に降りかかるが今更だ、ヌマクローが起こした波はそれなりに大きい。それを相殺するだけの波を起こしたのならヌメルゴンもすぐには動けない、リエンはそう読んだ。

 

「だったら、【こおりのつぶて】!」

「後隙を狙ってきたか、上出来!」

 

 ヌマクローの隣で咆えるグレイシアが水しぶきをそのまま凍らせて小さな氷柱の群れを一斉に発射する。慌ててヌメルゴンが防御態勢を取ろうとするが、リエンの読み通り技を放った後のヌメルゴンでは対処が出来ない。これが【れいとうビーム】ならば防御されていただろうが、それを見越しての【こおりのつぶて】だった。

 

「でも、相手の相方も意識しないとダメだよ!」

 

 直後、放たれた氷柱の群れが空中に張られた透明なバリアー状の障壁に激突し、殆どが砕けてしまいヌメルゴンに直撃したもののダメージは大したものにはならなかった。

 それはイリスの足元で、額の核を輝かせるエスパーポケモン"エーフィ"がいた。恐らく今の障壁は物理攻撃の威力を半減する【リフレクター】だろう。

 

 後隙の大きくなる技を放つなら、当然それのカウンターに対する防衛策も用意している。【リフレクター】によりヌメルゴンを守ることは勿論、エーフィにとっても無視できない物理防御力の低さを補うことに成功しているのだ。一手で複数の問題をクリアするのがダブルバトルでの強みだと、リエンも分かっている。

 

 おちゃらけているようで、その実イリスには全く隙がない。

 幾度となくバトルを行っているリエンだからこそ、分かる。VANGUARD加入前よりは少し前進したつもりだったが、その短期間でイリスはさらに前へと進んでいる。ずっと強くなっている。

 

 追いつきたいわけではない。だが、その進み方は模倣したい。リエンは考えた、現状を打開するにはやはり数の利を得ること。

 

「ヌマクロー、前へ! グレイシアは【こごえるかぜ】!」

 

 リエンの策、その第一手はヌマクローにかかっている。指示通り前へ出たヌマクローがヌメルゴンと接敵する。正面からの取っ組み合い。

 だがこれも、物理攻撃力の高さが物を言う。ヌメルゴンは特防に秀でるポケモンだが、最優と謳われるドラゴンタイプのポケモン故に他のステータスも高水準だ。

 

 ヌマクローでは、まだヌメルゴンに届かない。だがそれでいい、分かり切っていることだ。

 

「【すてみタックル】!」

「思ったよりも攻めてきたな! ヌメルゴン、受け止めて!」

 

 依然として残っている【リフレクター】に阻まれながらも、ヌマクローは凄まじい勢いでヌメルゴンの土手っ腹へ自身の体を叩きつけた。さすがのヌメルゴンも、自身もダメージを負う覚悟を以て放たれるタックルを連続で喰らっては体勢を崩してしまう。だが何度も【すてみタックル】を放ち、反動でヌマクローも限界が見え始めていた。

 

 しかしその、疲弊しきったヌマクローの状態こそがリエンの狙い。またしても【すてみタックル】を放つと見せかけての、大一番。

 

 

「────【がむしゃら】!」

 

「うぉ!? それが狙いかー! エーフィ! ヌメルゴンのフォローに……!」

 

 イリスがエーフィに指示するが、エーフィは動けなかった。というのも、イリスとリエンは地底湖の岸、即ち浅瀬でバトルを行っている。

 当然浮いているわけではないエーフィは水に一部身体が浸っていた。故にグレイシアがヌマクローのフォローとして放っていた【こごえるかぜ】がここに来て、エーフィをその場に縛りつけたのだ。

 

 ヌマクローの全てを乗せた乱打撃を受け、ヌメルゴンが限界を迎える。もはや立っているのもやっとという状態。

 

「もう一度、【こおりのつぶて】!」

 

 そんな時、弱点であるこおりタイプの技を受ければどうなるか。【リフレクター】の防御ももはや役には立たない。

 氷柱の雨に曝されたヌメルゴンはゆっくりと水の上にその巨体を横たえさせ、小さくない波紋を生んだ。

 

「や、やった……!」

 

「ま、さかヌメルゴンをやられるとは……強くなったなぁ、リエンちゃん。いや、強くしちゃったのか?」

 

 残るはエーフィのみ、対するリエンはヌマクローもグレイシアも健在。数の利を取られたイリスだったが、余裕の表情は崩さない。

 

「だけど、まだ勝ち星は譲らないよ! エーフィ! 【ひかりのかべ】を張ってから【めいそう】だ!」

 

 即座に周囲にドーム状の障壁を張り巡らせ、エーフィが堅牢な防御陣形を完成させるとその中で額の核に念力を集中させ、特攻と特防のステータスを上昇させる。

 これ以上特殊防御力を上げられては敵わない、リエンはヌマクローを動かそうとするが【がむしゃら】戦法の弊害で、既に体力が尽きかけていたために動きが鈍重になってしまっていた。ヌマクローがエーフィに接敵出来るまでにあと二回は【めいそう】を行うことが出来るだろう。

 

「だったら、少しでも行動を阻害しないと……! 【れいとうビーム】!」

 

 グレイシアが鈴の音のような咆哮を放ち、冷気の光線を撃ち放つ。しかしそれは事前にエーフィが張ったドーム状の【ひかりのかべ】により威力が減退、さらに【めいそう】で高めた特殊防御力に物を言わせ、光線を浴びせられながら欠伸が出来るほどであった。

 

「【サイコキネシス】!」

 

 しかし戯れもそれまで、エーフィは再度額の核を輝かせ念力で巨大な大波を作り出すと一気にヌマクローとグレイシアを飲み込んでしまう。水や泥の中でも動けるヌマクローだが、それは体力が有り余っている時の話であり、限界の状態で凄まじい渦に飲み込まれては身動きが取れない。グレイシアもまた渦に揉まれて体力が大幅に減少してしまう。

 

 波は渦へ、渦は竜巻へと変化し天井を穿つまで成長すると、念力が解かれ水は一気に洞窟内へと降り注いだ。エーフィが張り巡らせた念力の障壁によってイリスには水が掛からなかったが、対するリエンはというと頭から盛大に水を被ってしまっていた。

 

 

「あ……やっべ」

 

 

 ペッタリと額に張り付く前髪や、カーディガンやトップスから水を滴らせリエンが小さなくしゃみをする。

 ヌマクローは戦闘不能、グレイシアも限界であり、リエンは両手を小さく挙げて降参の意を示す。

 

「とりあえず、火起こそっか」

 

 イリスの提案にリエンは苦笑しながら頷いて、浅瀬を後にする。

 それと同じタイミングで、イリスの腹の虫がカロリーをよこせと鳴いたのだった。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

「いやぁ、ごめんね! つい熱が入り過ぎちゃって」

「本気でやってくれる方がありがたいですから、気にしないでください」

 

 イリスとバシャーモが起こした焚き火に当たりながら、リエンは軽い昼食を取っていた。トレーニングに熱心になっているうちにどうやら時間は昼を少し過ぎた辺りであった。

 

「しかし、リエンちゃんに遂に一匹落とされるとは……成長が早いのは、若さの特権だねぇ」

「イリスさんだって二五歳じゃないですか、まだまだですよ」

 

 リエンが気を使って言ったつもりだったのだが、少し離れたところにいたイリスは勢いよく振り返った。

 

「そんなことないよ! 二五っていったらもういい歳だよ! 遊んでばっかいられないんだよ! 親とか知り合いに電話で「そろそろ帰ってこないのか」とか「いい相手いないのか」とか言われるんだよ! 私はまだまだ現役のトレーナーでいたいんだってばよぅ!!」

 

「す、すみません。なんか地雷踏みました」

 

 柄にもなくぷりぷりと怒り出すイリスに、火に当たりながらリエンは苦笑いを隠せなかった。アルバから聞いて、実際に手解きを受けて、イリスが凄いトレーナーだという認識はもう揺るがない。

 だけど、こういうところは歳不相応に少女性を持っている。もしかすると自分以上かも、とリエンは少し考えてしまった。

 

「それで、どうですか?」

「釣れないなぁ……これだけ綺麗な湖なら、珍しいみずタイプのポケモンがいると思ったんだけど」

 

 言いながらイリスはもう一度釣り竿を振るう。そう、イリスは今浅瀬に組み立て式の椅子を立ててそこから釣り糸を垂らしているのである。

 昼食を手早く取り、リエンの服を乾かしている間することのないイリスが時間を潰すために取った苦肉の策だが、本当にこの湖にはポケモンが済んでいるのか疑問に思うほど反応がない。

 

「ねーねー、そういえば前から思ってたんだけどさ」

 

 背中越しにイリスが陽気に尋ねてきた。リエンはなんだろうと思い、イリスに意識を向ける。

 

 

「どうしてリエンちゃんは、ミズってニックネームをつけてるのにプルリルを手持ちに加えないの?」

 

 

 正直予想外だった。そこを突っ込まれるとは微塵も思っていなかったからだ。リエンが隣を見上げると、火に当たるリエンをニコニコしながら見守っているミズがいる。

 リエンはこのプルリルにニックネームをつけているが、モンスターボールで捕獲したわけではない。厳密に言えば野生のポケモンである。

 

 だが、リエンの指示には従ってくれる上目を離したらどこかへ行くということもないため、実質手持ちのポケモンと呼べる状況だ。

 

「答えたくないことなら、無理強いはしないけどね?」

「……この子は特別なんです、なんというか……出会いが」

「ほう、出会いの話! いいね、私旅先のトレーナーとバトルして、そのポケモンとの出会いの話とか聞くの結構大好きなんだ! よかったら聞かせてくれる?」

 

 釣り糸を垂らしながらそういうイリス。対してリエンはというと迷っていた。

 なぜなら、ミズが野生のポケモンであると見抜いてきたのは旅に出てからイリスが初めて。

 

 つまりはダイにもアルバにもソラにも話したことのない話だからだ。

 

 しかしイリスはウキウキでリエンの話を待っている。それを受けてリエンは観念したように口を開く。

 だがその口が放つのは夢や希望、愛嬌に溢れた美談などではなかった。

 

 

 

「────私がミズに会った日、それは同時に母が死んだ日なんです」

 

 

 

 空気が凍りつく音がした。リエンの傍でグレイシアがくしゃみするほどには、凍てついた空間に早変わりした。

 ギギギと、まるで錆びついてしまったギギギアルが駆動するみたいにぎこちなくイリスがリエンの方へ振り返った。

 

「あの、なんか、その……ごめん」

「気にしないでください、()()()()()()()()()()()()()

 

 そうは言うがイリス基準で気軽に踏み込んでいい領域を軽々と超えている。イリスは非常にいたたまれない気持ちになりながら、釣り糸に向かって「頼むから掛かってくれ」と念じる他無かった。

 しかし無情なことに、やはり釣り糸はピクリとも動かない。湖自体、波紋すら無いほどに静謐を湛えている。

 

「謝らなくていいですよ、さっきも言いましたけど()()()()()()()()()()()()

「いや、だとしてもなんか……うん」

 

 歯切れの悪くなるイリス、しかしリエンが二度も繰り返した言葉に引っかかりを覚えて、振り返らずにはいられなかった。

 彼女が言った「なんとも思っていない」は何を指しているのか、それが気になった。

 

「……なんとも思ってない、ってそれ私のことじゃないよね」

 

 申し訳無さは鳴りを潜め、返って真剣味を帯びるイリスの表情。やはり隙が無い、リエンはそう感じて、返答の意として頷いた。

 

「お母さん、好きじゃなかったの?」

「いいえ、世間一般で言う良いお母さんでしたし。私も父も、母のことは大好きだったと思います」

「なら、どうしてなんとも思ってないの?」

 

 それは質問というよりは追求に近かった。イリスは一度釣り竿を専用のホルダーに固定しておくと椅子から腰を上げてリエンに向き直った。

 ここまで話しておいて、これ以上は秘密などとはリエンも言い出さないだろうと判断したのだ。

 

「私が小さい頃、っていうのもありますけど……()()()()()()()んです、私には」

「分からなかった?」

「はい、母の死だけじゃないです。マリンレスキューの手伝いをしていた頃も、事故で亡くなった人を何度も見てきました。実際に、私が救護に応った人もいます。だけど、人の命が失われることに対して()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()んです」

 

 リエンは今でも覚えている。眼下で動かぬ肉塊と化した、人間だったモノを見て何も思わなかったことを。泣き叫ぶ周囲の中、自分だけが異質だったことを。

 

「人が死んだら悲しい、そういう感情になるんだってことを知ってからは、いつもの私です。ただ周りの人間を映す鏡のように、()()()()()()になっていたんです。ただやっぱり、ポーズだけで心は動かないので、悲しむ人を内に取り込めば取り込むほど、私には人が死ぬっていうことの悲しさが分からなくなっていって」

 

 人の死がもたらす悲しみが、リエンにはずっと分からなかった。

 そんな彼女にも転機が訪れた。今は少し離れたところにいる、名の通り陽だまりのような少年が現れたのだ。

 

「初めてだったんです、ダイが「一緒に行かないか」って言ってくれたあの日、初めて私は誰かを映す"鏡のリエン"じゃなく、"一人のリエン"として考えることが出来るようになって」

 

 リエンの顔が徐々に綻ぶ。ダイと出会ってから早くも、もう三ヶ月以上が経つ。その間に起きた自分の変化に、最初は戸惑いを隠せなかった。

 まだ完全に"一人のリエン"になりきれず、ダイやアルバといった周囲の人間を映す鏡としてのリエンになってしまう時も多々あった。

 

「……だけど、この前の戦いで、ダイが死んじゃった時。すごく、怖かったんです」

 

 手のひらを見る、思い出すだけで震えが止まらなくなる。イリスはそんなリエンのことを黙って見つめていた。

 

「ダイが息をしてなくて、それでも私の頭は「明日は何を話そうか」とか「今度は一緒にどこへ行こうか」なんて思いついては「でもダイはもう死んじゃったから、そんなことは出来ない」って自分で否定するしか無くて。だけど、その否定がとても痛くて、冷たくて、怖かったんです」

 

 何より恐ろしいのは、その未知だった。知らない感情に支配されるという感覚が、リエンの震えを増長させるのだ。

 リエンは腕で膝を抱え込みながら、イリスに問うた。

 

「イリスさん、まだ私には分からないんです。どうするのが正解なんですか?」

 

 未知に曝された少女は正解を求める。それに対してイリスはあっけらかんと言い放った。

 

 

「どうするのが正解って、リエンちゃんにはもう分かってるじゃんか」

 

 

 あまりにも呆気なく言うものだから、リエンは思わず呆けてしまった。リエンにはもうわかっている、というイリスの言葉の真意を問おうと口を開いた。

 だが先んじて続けたのはイリスの方だった。

 

「こういう言い方はあれかもしれないけど、ダイくんが死んじゃったおかげでリエンちゃんは、ちゃんと人間になれたんだよ。ちゃんと悲しい、ちゃんと怖い、分かるじゃん」

 

 そう言いながら、イリスが取り出したのは旧型のラフエル図鑑だった。リエンが持っているのとは、カラーとアンテナの収納機能の有無や画面の大きさなどが一部異なるものだ。

 ずっと昔、まだ駆け出しだった頃のイリスがピカチュウと共に授かった図鑑だった。

 

「私もね、代名詞を持っているんだ。ズバリ"戦い続ける者"なんだけど、さ」

 

 図鑑を開き、今まで見てきたポケモンたちのデータを流し見しながら言うイリス。その多くのページが埋まった図鑑を見て、リエンはイリスが今まで見てきたものを想像した。

 

「でもね、さっきも言った通り私も二五歳のどこにでもいるようなポケモントレーナーなのさ」

 

 自分で歳を言って苦笑いを浮かべるイリスであったが、その笑みには気遣いが見えた。

 

 

「──だからリエンちゃんも"見定める者"の前に一人の女の子で、人間。

 隣の人を映す鏡じゃなくて、隣の人の光を受け入れて輝く水晶、それで君はいいんだよ」

 

 

 その言葉は、今まで聞いたどれよりもすっと心に入り込んできた。リエンが分からなかっただけで、自分は既にれっきとした人間だったんだと教えてもらった。

 だからか、顔に自然と浮き上がる笑みからは自嘲が消えていた。

 

「……ありがとうございます、イリスさんが私の先生で良かったって思います」

「いやいや、良いって。お礼ならダイくんにでも言っておきなよ、リエンちゃんの成長にだいぶ噛んでるみたいだからさ」

 

 聞いたところ、と倒置法で締めるイリス。コクリと頷くリエン。そうしているうちに服はもう乾いていて。

 

「それにしても、だいぶ話が逸れましたね」

「最初はリエンちゃんとミズの話だったのにねぇ、しかしそっか。じゃあリエンちゃんの手持ち、厳密には二匹なんだ」

 

 ふぅむ、と顎に手を添えて唸るイリス。そして次の瞬間、豆電球が灯るみたいにパァっと顔を明るくするイリス。

 即座に立ち上がり、浅瀬へ戻るとホルダーに立てておいた釣り竿を持ち上げる。

 

「あの、イリスさん?」

「絶対釣り上げるから見てて! ピカチュウ、ちょっとふっかけてやってよ!」

 

 そう言い、イリスはテントの傍で食休みを取っていた小さな相棒を呼ぶ。電気鼠は食後の運動にはもってこい、とばかりに全身を伸ばすと、

 

「ピ? ピカピカ、ヂュゥゥゥゥゥ──ー!!」

 

 湖目掛けて電撃を撃ち込んだ。真水ではあるが、純水ではない。従ってこの水は電気を通す。それも湖全体、広範囲に。

 ピカチュウが電撃を撃ち込んで数秒後、波紋一つ無かった水面が微かに揺らいだ。かと思えば、イリスの釣り竿の先端がほんの少し撓った。

 

「────来た!」

 

 直後、釣り竿が物凄いカーブを描く。ピンと糸は張り詰め、抑えていなければリールが凄まじい勢いで回転するほどだ。

 よほど巨体か、力の強いみずポケモンだと直感でわかる。それほどの相手を、イリスは釣り上げようというのだ。

 

「リエンちゃんの手持ちさ、アタッカーとしては申し分無いけど、どうしてもディフェンスに難があるじゃない。一度崩されると立て直せないのは、持久戦する上では致命的」

 

 だから、と続けるイリスとその肩に飛び乗るピカチュウ。二人が頷き合い、ピカチュウが再度電撃を放つ。今度は湖ではなく、釣り竿の先端から湖に吸い込まれている糸目掛けてだ。

 糸を通し、湖の中でイリスと格闘しているポケモンに直接攻撃を行うのだ。みずタイプである以上無視は出来ない。イリスの挑発に必ず乗ってくる。

 

「私の読みが正しければ、このポケモンは────ッ!!」

 

 リールを限界まで回し、釣り竿ごと一気に引っ張り上げる。澄んだ湖にその影が浮かび上がり、そして────

 

 

「ロォォォォォォォォォォ──────ーン!!」

 

 

 そのポケモンはまるで歌姫のような咆哮と共に姿を現す。全長、少なくとも六メートルはくだらないだろうという大きく細長い身体と艶のある鱗。まるで女性の髪の毛のような頭部のヒレは水を滴らせキラキラと輝いている。

 見るもの全てを魅了するような、美しさの化身であった。リエンは思わず溜め息を零してしまいそうだった。

 

「読み通り! いつくしみポケモン、"ミロカロス"! しかも──」

 

 本来ならば、ミロカロスの頭のヒレはピンク色をしている。だが目の前のミロカロスのヒレは青混じりの薄紫色。さらに青主体の七色に輝くはずの尾は黄金の輝きを放っている。

 イリスとリエンは同時にポケモン図鑑を取り出し、ミロカロスをスキャンする。旅先でミロカロスと戦ったことのあるイリスのポケモン図鑑に新たな一頁が刻まれる。

 

 

「──変異種(いろちがい)だ!!」

 

 

 かかった獲物、ミロカロスは咆哮と共に【れいとうビーム】を撃ち出すが、それと同時にイリスの肩から飛び出したピカチュウが【10まんボルト】をぶつけて相殺した。

 弾けた冷気がまるで淡雪のように洞窟内に降り注ぐ中、リエンはヌマクローを呼び出した。

 

「イリスさん、もしかして……」

「うん、捕まえよう!」

 

 やっぱり、とリエンは突如襲ってくる緊張感に包まれながら、ミロカロスと対峙する。イリスの釣り竿の糸が切れなければ、逃げられることはない。

 しかもどうやらピカチュウが放った電撃が聞いているのか、"まひ状態"のようだ。抵抗力の低い今なら捕獲率はぐーんと上がる。

 

「【アクアテール】が来る!」

「ヌマクロー、【がまん】!」

 

 水流を迸らせながら放たれる尻尾の攻撃をヌマクローは敢えて受ける。じめんタイプを併せ持つ故にダメージは隠せないが、リエンのヌマクローはタフネスが自慢のポケモン。二度放たれた【アクアテール】をきっちりと受けきり、全身に力を漲らせている。

 

 今まさに、逆襲しようというヌマクローの身体がビクンと跳ね、次いでリエンの方を見る。その感覚はリエンにも伝わった。

 肉体に溜め込まれたエネルギーが今、弾けようとしている。

 

 

「行くよ────」

 

 

 ヌマクローが浅瀬を飛び出し、湖上のミロカロスへと迫る。渾身の一撃がその腕によって放たれる直前、ヌマクローの身体が眩い光を放つ。

 イリスとのトレーニング、実戦経験を幾度となく積み、高まったエネルギーが【がまん】によって解き放たれる。

 

 体躯が二倍以上に成長し、それに伴い体重も数倍に跳ね上がる。その重さの乗った腕の一撃が今、ミロカロスの胴へと叩きつけられる。

 

 

「────"ラグラージ"、【アームハンマー】!」

 

 

 鈍い音が洞窟内に響き渡る。ヌマクローを包んでいたのは進化の光、その中から姿を変え飛び出したぬまうおポケモン"ラグラージ"が【がまん】によって蓄えた力を【アームハンマー】でミロカロスを攻撃した。

 水面に叩きつけられたミロカロスだが、未だ健在だった。リエンがポケモン図鑑をミロカロスへ向けると防御の数値が上昇していることに気付いた。

 

「特性"ふしぎなうろこ"……そっか、麻痺してるから返って堅いんだ」

「けどあのミロカロス、私のピカチュウの【10まんボルト】を何度も受けられるなんて、特殊防御も相当だよ」

 

 釣り竿と格闘しながらイリスが呟く。まさに、リエンの手持ちが必要としているディフェンスポジションに相応しい。

 リエンは隣に戻ってきたラグラージに視線を送り、アイコンタクトする。ラグラージは力強く頷き、水中に飛び込むとヒレと腕力に物を言わせ、素早くミロカロスへ接敵する。

 

「掴んだまま、【じしん】!」

 

 ラグラージはミロカロスの身体を両腕でガッチリホールドするとそのまま浅瀬へ引きずり出して叩きつけた。揺れを起こす技をそのまま打撃に転用したのだ。

 如何に堅牢であろうとピカチュウの電撃による補助、戦闘のダメージ、それら全てが蓄積しミロカロスにも消耗の色が見え始めた。

 

「今だよ!」

「モンスターボール、行って!」

 

 サイドスローで投擲されたモンスターボールが放物線を描きながらミロカロスに直撃、衝撃によりボールがオープン。中に仕込まれたキャプチャーネットがミロカロスを捕縛しボールへと閉じ込める。

 浅瀬へポチャリと落下したボールは開閉スイッチを明滅させながら中での抵抗を示すように右へ左へ、と揺れる。

 

「どうだ……?」

 

 イリスが緊張感を口に出す。リエンもじっとモンスターボールを見つめている。その永遠とも思える時間は、モンスターボールの沈黙によって終わりを迎えた。

 再び静寂が洞窟内に訪れ、二人は水に足を取られながら浅瀬に浮かぶモンスターボールに歩み寄った。

 

「ミロカロス、ゲットだね!」

「はい。初ゲット、です……」

 

 モタナタウンにいたままでは決して得られなかった、ポケモントレーナーとしての充足感。それが今のリエンを満たしていた。

 ボールの中のミロカロスは、先程までの激闘が嘘であるかのように穏やかな面持ちでリエンを見上げていた。むしろ今の戦いを経て、リエンを認めているかのようであった。

 

 ボールから呼び出すと、改めてその大きな身体に圧倒される。図鑑によれば全長6.2mという大きさであった。リエンの他にもう一人乗せて【なみのり】しても大丈夫そうなほどだ。

 ユオンシティで買い溜めておいた"かいふくのくすり"をミロカロスに使用し、麻痺と体力を回復させる。すると心地良さそうに目を細めて、ミロカロスがリエンに感謝の意を込めて頭を下げる。

 

 次いでリエンは功労者であるヌマクロー改めラグラージに視線をやる。ラグラージの頭を撫でるとこちらも嬉しそうに顔を綻ばせた。

 

「かっこよくなったね」

 

 それが一番嬉しかったのだろう、ラグラージは飛び跳ねて喜びを表現した。グレイシアも新しいメンバーのミロカロスに早速気を許しているようだった。

 その姿を焚き火の近くで優しげに見守っていたミズ、その傍にやってきたイリスが腰を下ろしながら言う。

 

「君も行っておいでよ。手持ちのポケモンじゃなくても、君はリエンちゃんの友達でパートナーなんだから」

 

 そっと背中を押すイリス。するとミズは頷いてリエンの傍にふわふわと漂うとミロカロスやラグラージの傍を行ったり来たりする。その様を遠目に見つめて、イリスは手首で光るポケギアのランプに気がついた。

 話や釣りに夢中になって全く気づかなかったがかれこれ十五分間隔で律儀に掛けられている呼び出し履歴は、あの男からの連絡であると証明している。

 

「いっけね、そういえばそろそろ待ち合わせの時間だったっけ」

「待ち合わせ?」

 

 立ち上がりポケギアを起こすイリスにリエンが尋ね返した。イリスが頷くのと、通話が繋がったのは同時のことだった。

 

「リエンちゃんの先生を一人増やそうと思ってね、私だけっていうのもつまらないでしょ?」

「そんなことはないですけど……それって誰なんですか?」

 

 疑問を口にするリエン。そもそもイリスほどの実力者に教導してもらった今、並のトレーナーでは教導にはならないだろう。

 ではいったいどんな人物なのか、その疑問に対しイリスはニッと笑いながら言った。

 

 

「私をラフエル地方に、強引に呼び戻した張本人だよ」

 

 

「──強引に、とは酷い言い草だ。呼んでくれたらすぐ戻ると言ってくれたのは君だろうに。

 それに今日は君が強引に僕を呼んだんじゃないか、イリス」

 

 

 それは天井の大穴から現れた。リエンもこの旅の中、幾度も見てきた炎の翼竜"リザードン"。

しかしそのリザードンは太陽のような橙色ではなく、むしろ燃え尽きた灰を思わせる黒色で。

 通常のリザードンを太陽とするのなら、目の前のリザードンは日食のような輝きを放っている。

 

 その背に乗った、まるで女性のように白い肌。

 目にかかる少し長めの髪も淡雪の如く白銀の光を放っていて。

 身に付けている灰色のシャツと白のチノパンが身体の細さを浮き彫りにしている。

黒色のリザードンを従えていなければ、とてもか弱そうにすら見える。

 

 その青年はイリスの隣に降り立つと、イリスと固い握手を交わす。一見無表情そうに見えたが、その青年はイリスの正面に立つと穏やかな笑みを見せた。

 反面イリスもまた、まるで十五年前に戻ったかのようにキマワリのような笑みを浮かべた。二人の間には再会のムードが漂う。

 

「あなたは……」

 

「さすがにリエンちゃんも知ってるよね、ラフエル地方のポケモンリーグ。

その頂点に立つ者……」

 

 十歳という若さで、同じく十歳だったイリスを退けてチャンピオンの座を手に入れた、名に灰色を持つ男。

 リエンへと向き直り、その灰の眼を向ける青年。

 

 

「──ラフエルリーグチャンピオンの、"グレイ"」

 

 

 傍らに控えるリザードンが低く咆えた。それを受けてもなお、リエンはまだ信じられないという顔をする。

 だがイリスの話が嘘でないのなら、これからイリスと共に教導に当たるトレーナーはチャンピオンということになる。

 

「話はイリスから聞いているよ、リエンさん。バラル団と戦うために、貴女の力を貸してほしい。

そのためなら、僕も協力は惜しまないよ」

 

 すっと差し出された手、それを取ったのなら後戻りは出来ない。

 いいや、する必要など無い。初めから覚悟は決めてきた。リエンはそっと、カーディガンの襟元にVGバッジに触れた。

 

 

 もっと、強くなろう。ようやく見つけた自分を手放さないように。

 見つけさせてくれた友達を、今度こそ守れるように。

 

 リエンは差し出されたグレイの手を、ゆっくりと取って力を込めた。

 




リエンちゃんがどんどんやばい人たちに強くされていくんですけど。


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