アルバがクシェルシティの修行の岩戸を訪れて、今日で三日程が経過した。その間、アルバの修行に付き合うのは決まってサザンカではなくレンギョウだった。
朝、早くに水の匂いで目を覚ます。この街は全ての建物が水の上に成っている、故に目を覚ませば水に囲まれているというのは珍しい光景ではない。
手っ取り早く湖の澄んだ水を手で掬ってアルバは顔を洗うと使った寝具を片付けた。チルタリスは暫くここに留まる都合上、ソラに返してしまった。帰る時は陸路を使うしかないだろう。
クシェルシティジムの裏手にある階段を駆け上り、玄関を潜り抜ける。廊下の清掃を行っているニョロボンとニョロトノに挨拶をして先を行かせてもらう。
その先の引き戸を開けると、既にサザンカとアイラ、プラムの三人は組手を始めている。時折ちょろっとレニアシティのジムリーダー、カエンもやってきて参加しているのをこの数日でアルバは知った。
「おはようアルバ」
「うん、アイラおはよう。二人共早いんだね」
まだ登りきってない朝日の僅かな光を受けてキラキラと輝く二人の汗が目を引く。アルバはサザンカにも軽く挨拶をすると、岩戸に流れる滝の上を目指した。
急斜面の階段を尚も駆け上がる。ここ数日の修行でこのコースはもう慣れたもので、ルカリオを引き連れてのランニングアップも素早くこなす。
滝の上、森林が拡がる空間へやってくるとそこで瞑想に耽るレンギョウが待っていた。アルバの呼吸音を捉え、薄目を開けるレンギョウ。
「おはようございます、
「昨日はよく眠れたか?」
「はい、クタクタでしたからご飯の後すぐに」
アルバが言うとレンギョウは少しだけ渋い顔をした。
「飯の後はすぐに横になるな、ミルタンクになる」
「生憎、僕はオスなので……」
その返しにレンギョウがふっと小さな笑みを零した。冗談を言うくらいにはまだまだ体力が有り余ってるというわけだ。
では今日も始めようと、レンギョウが立ち上がるとモンスターボールを地面目掛けてスッと翳し、その中のポケモンを召喚する。
「"ボスゴドラ"、頼むぞ」
『オォォォォォォォ──────────ン…………!』
鋼鉄の鎧を纏ったポケモン"ボスゴドラ"は遠吠えのような遠くまで響く咆哮を静かに、けれど確かに遥か彼方まで轟かせた。
これはこの数日間で当たり前となった光景。ボスゴドラが行っているのは「挑戦者求む」という意思表示だ。それを遠くまで響かせる。
遠くの木々からポッポやピジョンたちが飛び立つ。森が静かにさざめき始める。アルバはルカリオとブースターを呼び出し、深く呼吸をして精神を落ち着かせる。
来る、そう思った瞬間岩戸の奥から飛び出してくる影。
「"ドクロッグ"! また来たのか!」
岩戸に生息する野生のドクロッグがその手刀の先に毒液を滴らせて現れた。即座に前に出るルカリオ、互いの拳と手刀が交差しルカリオの拳の圧がドクロッグの頬を強く撫でる。
このドクロッグは相当喧嘩っ早い性格らしく、ボスゴドラが野生のポケモンを呼び寄せれば必ず一番手は自分がいただくとばかりにやってくるのだ。
どくタイプを持つドクロッグにはかくとうタイプの技は半減される。さらには相手が放つ【リベンジ】はルカリオの弱点だ、大事なのは戦いをよく見ること。
ルカリオが拳圧による【しんくうは】でドクロッグを攻撃し、それに対しドクロッグが【リベンジ】を放ってくる。その時、レンギョウが叫ぶ。
「来るぞ、備えろ!」
「はい!」
狙うはルカリオの鳩尾、駆け上がってくるドクロッグの毒手が淡い燐光を放つ。
しかしそれを後転で回避すると、ルカリオは波動を練り上げて骨状の棍棒を作り出し、振り回したその先端でドクロッグの顎を撃ち抜いた。
「【ボーンラッシュ】!」
頭部を思い切り揺すられたドクロッグは攻勢を維持できずによろめいた。ルカリオはそのまま棍棒を器用に振り回すと途中で二つへ分裂、目にも留まらぬスピードでドクロッグの四肢と体の中央目掛けて五連撃を繰り出す。【カウンター】を決めようにも、手数を増やされては対応出来ない。さらにドクロッグの弱点を突くじめんタイプの攻撃。ドクロッグはたまらず降参の意を示す。
「次!」
アルバが叫んだ。ドクロッグの次に現れたポケモンはいつつぼしポケモン"レディアン"、むし・ひこうタイプを持つレディバの進化系だ。
高速でアルバとルカリオの元へ現れたレディアンが拳を振りかぶる。恐らく放ってくる技は【れんぞくパンチ】か、そこまで考えてアルバはレディアンの素早さに気づく。
「違う、【マッハパンチ】だ! 【ファストガード】!」
ルカリオが腕を交差させ、レディアンが放つ神速の一撃を防御する。殴られた衝撃を逃がすべくあえて吹き飛ばされたルカリオが空中で器用に体勢を立て直しアルバの隣へと着地する。
むし・ひこうタイプのポケモンにはかくとうタイプの技が通らない。無理にルカリオで攻めるのは得策ではない。アルバがモンスターボールをサイドスローで投擲する。
「ブースター! 【ほのおのうず】!」
ボールより飛び出したブースターが思い切り膨らませた肺から吐き出す空気に体内で燻る爆炎を乗せる。それは巨大な渦巻きとなってレディアンを正面から飲み込んだ。
威力自体は大したことはないが、レディアンの空中を自在に動ける機動力は放っておけば厄介だ。故にブースターの技で拘束、仕上げはルカリオだ。ルカリオは拳を地面へ叩き込み、地面をそのまま破砕させる。
「【ストーンエッジ】!」
地面の破片が浮き上がり、ルカリオがそれをレディアン目掛けて撃ち出す。波動によって撃ち出された破片はみるみるうちに研ぎ澄まされ、小さな石刃となってレディアンに襲いかかる。
ほのおといわ、どちらもレディアンが苦手とする攻撃だ。もう動くだけの体力は残っていないだろう。アルバはさらに次の刺客を呼び出す。
「今度は、"ヨーギラス"!」
新たに現れたポケモンを、アルバのポケモン図鑑が認識する。厄介なことに、いわはだポケモン"ヨーギラス"が持つ二つのタイプはアルバの手持ちポケモンに強く出られる。しかし、
「先手を取るよ、【バレットパンチ】だ!」
ルカリオが地面を蹴り、身体を纏う波動の軌跡がアーチを描きながらヨーギラスへ迫る。雪崩込みながら神速の乱打撃を繰り出すルカリオ。しかしヨーギラスもただやられるだけではない。ルカリオが着地した瞬間、その両足で地面を踏み鳴らし【じならし】を起こす。着地の隙を突いた範囲攻撃にルカリオが思わず体勢を崩した。
ヨーギラスの顔がニヤリと不敵に変わる。攻撃を誘発することでカウンターを確実なものとするテクニック、さすがは修行の岩戸で日々研鑽を重ねる野生のポケモンだ、とアルバは感心した。
だが、それでもやらせない。アルバはルカリオの背中向けて声を張った。
「"マーシャルアーツ"だ、ルカリオ! 上限反転して【ローキック】!」
体勢を崩したのなら、それを利用するまで。ルカリオは地面を転がるようにし、両腕で地面に突っ張るとそのまま逆立ちからの回転蹴りをヨーギラスの頭部目掛けて繰り出した。
上下反転することで【ローキック】を頭部へ炸裂させたのだ。当然ヨーギラスもこの攻撃は読んでいなかったのだろう。急所にあたった攻撃はそのまま彼を昏倒させた。
「よし────ッ!?」
ヨーギラスを退けた瞬間、アルバは思わずガッツポーズをした。が、次の瞬間、ルカリオと自分を襲う【はっぱカッター】に気づき顔を再び引き締めた。
ガサガサと、アルバたちを取り囲む木々がざわめき出す。アルバが警戒を強めると、それは一斉に飛びかかってきた。
「ダーテングと、コノハナの群れ!」
時折襲いかかってくる、群れバトルだ。しかも今回は頭領まで先頭にいる。だがアルバは臆さない。
なぜなら、
「ブースター! 【ふんえん】だッ!」
叫ぶ、次いで起こるのは周囲を巻き込むほどの大規模な爆発。飛びかかってくるコノハナの群れを一撃で仕留め、残ったダーテング目掛けてルカリオが飛び込んだ。
「【しんくうは】で牽制! そしてそのまま──」
ルカリオが波動を手刀に乗せて撃ち出す。それをダーテングが回避するなり、防御するなりで隙を見せた瞬間。ダーテングの懐へ滑り込み、ルカリオがダーテングを見上げた。ダーテングもルカリオを見下ろす。
打突の瞬間、世界が止まったかのような静寂が訪れる。アルバは胸いっぱいに吸い込んで、喉を震わせた。
「──【インファイト】ッ!!」
渾身の一撃がダーテングの胸を穿った。弾ける波動が花弁のように散華する。インパクトが突風となって再び木々をざわつかせる。
目を回して倒れたダーテングを見て、周囲のコノハナ共々撃破を確認する。新手に備えてアルバが周囲を見回した瞬間だった。ブースターの放った【ふんえん】でコノハナの群れに留まらず、周囲を取り囲んでいた野次馬のポケモンたちまで巻き込んでしまったことに気付いた。
「しまった、やりすぎた……!」
幸い木々には引火せずに済んだようだ。しかしアルバが見たのは視界の端、そこで二匹のポケモンが蹲っていた。わたげポケモン"モココ"とくさばねポケモン"モクロー"だった。この二匹にアルバは見覚えがあった。ここで修行を開始して三日、こうして野生ポケモンを呼び寄せての対集団戦闘を学んでいる最中いつもこの二匹はアルバの戦闘を見学しに来ていたのだ。
見ればモココもモクローも【ふんえん】により、火傷を負っているようだった。アルバはポケットの中から買い溜めておいた"なんでもなおし"と"いいキズぐすり"を二匹の傷口に吹き付けた。あっという間に火傷が治った二匹は意識を取り戻し、次いでアルバを見上げた。
「ごめんね、巻き込んじゃって」
申し訳なさげに言うアルバに対して、モココとモクローは気にしてないように笑った。それどころか、攻撃したブースターを持て囃すように周囲で飛び跳ねていた。ブースターも褒められて悪い気はしないのか、嬉しそうに尻尾を振っている。
「すみません、
「いい、続けるぞ。それと、そこの二匹はボスゴドラのところまで来い」
呼びつけられたモココとモクローが恐る恐るボスゴドラの元までやってくる。ボスゴドラは身を屈めると両手を拡げてモココを迎え入れた。意図に気づいたモクローがボスゴドラの頭部の角へと移動する。角に乗られるのは困るのか、ボスゴドラがションボリとした声を出す。
「あまり近くで見ていては怪我をするぞ」
それはレンギョウなりの気遣いだった。ボスゴドラの上は居心地が良いのか、モココもモクローもさっきより安心してアルバの戦いぶりを見られそうだった。
アルバが再び森の奥に意識を向け、ルカリオとブースターもそれに倣う。再びボスゴドラが挑戦者を呼び寄せる咆哮を行った。
「来た! ブースター、前へ出るんだ!」
飛び出してきたのはヤナップ、バオップ、ヒヤップの三匹だった。ヒヤップの技は警戒が必要だが、残り二匹はブースターでどうにかするのが課題だろう。
そうして、今日もまた午前中から昼を挟んで、アルバの対集団戦闘は続いたのだった。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
すっかり日も落ちかけた頃、レンギョウとアルバは階段を降りてサザンカ組の修行場へと戻った。三人は今日の鍛錬に区切りをつけて、クールダウンを行っている最中だった。
しかし三人がテーブルを囲んで、さらにはプラムが目隠しをしながらテーブルの上の飲み物のカップを一口ずつ飲んでいる。変わった光景にレンギョウが首を傾げた。
「なにをやってんだ?」
「利きタピオカです」
「タピ、は……?」
義弟から飛び出した言葉が突飛すぎてレンギョウが思わず変な声を出した。アルバはまたか、と困り眉を作った。全てのカップに口をつけたプラムが数秒唸ると、
「じゃあ最初からね。一口目のはクシェルのポケモンセンターで売ってるタピオカ。二口目が街の西側にある商店河川のタピオカ、で三つ目が多分センセが作ったタピオカ、どうよ」
「正解、すごいねプラム」
「まぁあーしもタピ巡礼しまくったかんね~! 混ぜても分かると思うわ」
それを聞いてアルバはとてもじゃないが自分には出来ない芸当だと思った。サザンカは急須からお茶を注いでレンギョウとアルバに手渡す。
「あっ、アルバくんもタピオカが良かったですか?」
「お、お構いなく! あちちっ……」
笑顔で漆黒の物体が沈むミルクティーを差し出してくるサザンカにアルバが困り眉のまま遠慮する。もらったお茶に口をつけるが、さすがにまだ熱かった。
舌を冷ましていると、サザンカがアルバに問う。
「どうですか、彼の元で学んでみて」
「まだ俺は何も教えちゃいない。動きを見ているだけだ」
横槍を入れるレンギョウ。しかしサザンカはまるでレンギョウならそうするだろうと思っていたかのように、薄目を開けながらレンギョウの方をちらりと見やる。
「まぁ三日間、詰めに詰めたからな。多少はマシになっただろう。だがまだ下準備だ」
その言葉にアルバは少し表情を曇らせた。レンギョウはサザンカと違い、実戦経験を積ませてくれるもののやはりそれでも急激に強くなる術を教えるつもりは無いらしい。
アルバの中に、焦りだけが募る。それを見越して、レンギョウはアルバに向かって言った。
「その顔、ここに来たときから気になっていたんだ。大方、こいつが勿体ぶって戦う術を教えてくれないから腐ってるってところか?」
図星だった。アルバは否定せず、頷いた。するとレンギョウはため息を吐いて呆れるでもなく、ただ無表情で言い放った。
「俺から言わせればお前の方が問題だ。こいつは何も意地悪をしようとしてるんじゃない、お前の中に芯が定まっていないから教えかねているんだ。それは俺も同じだ、お前の戦いは強くなりたいという思いだけが先走って肝心の中身が着いてきていない」
「芯……?」
アルバはただ疑問を浮かべるしか無かった。自分が掲げた「強くなりたい」では足りないのか、それではダメなのかと考えが巡りだす。
「そこにいる二人がこいつの元で学べるのは、芯があるからだ。行動に中身が伴っているからだ」
「じゃあどうすればいいんですか、教えてください!」
声を少し荒らげて、アルバが言った。するとレンギョウは頷いた。アルバが一瞬顔を綻ばせると、レンギョウは言った。
「今から、俺がお前の芯を引っ張り出す。それまで折れるなよ」
次の瞬間、滝の上から巨体が降り注ぐ。アルバが飛び退き、サザンカたち三人が身構えたところへ爆弾のように落下してきたそれが大地を揺らした。
レンギョウの手持ち、ボスゴドラだ。両の手に乗せていたモココとモクローを降ろすとそのままボスゴドラはアルバ目掛けて突進する。
「お前が戦う相手は、この地を脅かす巨悪なんだろう。なら自分が狙われる心配と覚悟をしておけ」
「ッ、はい! 行けっ、ルカリオ! ブースター!」
アルバが飛び退りながらモンスターボールを二つリリースする。中より現れた闘志と猛火の化身はすぐさま陣形を立ててボスゴドラへと突っ込んでいく。
「【グロウパンチ】!」
ルカリオが波動を纏った拳をボスゴドラの土手腹へと叩き込む。飛散する波動がルカリオの拳を一段階強化する。それだけではない、そもそもかくとうタイプはボスゴドラにとても有利な攻撃だ。だが当のボスゴドラはビクともしない。
「な、効かない!?」
「言っただろう、芯が伴ってないんだと。拳に乗せるものが無いから、軽いんだ」
ボスゴドラはルカリオの腕を掴むとそのまま滝目掛けて放り投げてしまう。水柱を立てて滝壺に飲み込まれたルカリオから視線を外し、ブースターを探すボスゴドラ。
しかし視界のどこにも見当たらないブースターを見て、ボスゴドラは攻めあぐねた。チャンスだ、とアルバは思った。
「なるほど、ルカリオはアルバくんのエース。故に先手を取ることで彼とボスゴドラの気を引いたというわけですね。ですが──」
サザンカがアルバの思惑に気づく。次いでアイラも、プラムも。当然それはレンギョウにも伝播する。アルバが悟られる前に動こうと、喉を震わせた瞬間だった。
「下だ、ボスゴドラ」
レンギョウが地面へ踵を穿つ。次の瞬間、ビキビキと音を立てて地面に亀裂が走り、大地が割れだす。ボスゴドラがその亀裂目掛けて拳を叩き込んだ。
ぐらぐらと、立っていられないほどの振動がアルバを襲った。大規模範囲攻撃の【じしん】だ。アルバのルカリオとブースター二匹の弱点であり、さらには【あなをほる】で地面の中にいたブースターには二倍のダメージが入る。
「今の戦い方……もしかして」
今の攻防を見たアイラが小さく呟いた。今の一連の攻撃はアイラにも分かった、全く
地面から這い出たブースターが戦闘不能になった直後、再び滝壺から現れたルカリオが【はどうだん】でボスゴドラを攻撃するが【まもる】ことで攻撃を無力化するボスゴドラ。
「ボスゴドラは全身が鋼鉄の鎧に包まれている、なら!」
ルカリオが縦横無尽に駆け巡り、【しんそく】でボスゴドラへと迫る。そして背後からスライディングし、足元へと滑り込んだルカリオが横からボスゴドラの脚を攻撃しようとする。
「重いほどダメージが大きくなる、【けたぐり】で!」
「なら脱ぎ捨ててしまえばいい」
瞬間、ボスゴドラが纏う鎧が勢いよく弾けた。当然真下にいたルカリオはその影響を多大に受けた。重い鎧は砲弾となってルカリオを襲う。
自身の装甲を削いで素早さを上げる【ボディパージ】を迎撃に転用したのだ。それだけではない、重い装甲を脱ぎ捨てることでボスゴドラは軽くなる、後二度ほど繰り返せば【けたぐり】の威力は減退してしまうだろう。
「でも、まだボスゴドラの重さは260kg以上ある……!」
アルバが再び【けたぐり】による状況打開を検討した瞬間だった。ボスゴドラは突進でルカリオへの距離をあっという間に詰めると脚を掴み、空中へと投げ飛ばしてしまう。
地を蹴り、ルカリオよりも上空を取ったボスゴドラがその巨体と重さを乗せた伸し掛かりでルカリオを攻撃する。地面とボスゴドラに挟まれ叩きつけられたルカリオが戦闘不能になる。
「へ、【ヘビーボンバー】……!」
「便利だな、その箱は」
レンギョウがアルバの手の中にあるポケモン図鑑を指して言った。レンギョウは今まで【ボディパージ】を使ったボスゴドラの重さを自分で持ち上げた感覚で捉えていたのだが、ポケモン図鑑はそれをデータとして即座に算出した。
歯を食いしばり、アルバが悔しげに俯いた。次の瞬間、悔しいという感情がトリガーになったのかアルバの身体から紅が一気に噴き出した。まるで全身に切り傷が生まれたかのようなヒリヒリする痛みと共に"紅の奇跡"が発現してしまったのだ。
「まだだ、立てルカリオ! 僕たちはまだやれる!」
その声に、ルカリオは開眼で応えた。【ヘビーボンバー】をまともに食らったはずだというのに、ルカリオはスッと立ち上がり再び突進の構えを見せる。
「センセ、あれって……!」
「間違いありません、"Reオーラ"です。それもとびきり危険な、"紅の奇跡"……!」
プラムとサザンカが顔を顰める。修行の岩戸に祀られている秘伝の巻物に記された、数ある
それを見て、レンギョウは一度眉を寄せた。似たような紅に、見覚えがあったからだ。
「レンギョウ、これ以上の攻撃は──」
「見れば分かる。だが、そうだな。お前が俺を呼んだ理由がようやっと分かった」
そうしてレンギョウは一つ深い溜め息を吐くと、自身の手首に触れた。そこには何もない。なにもないが、目の前の紅はこの手首をジワリと苦しめる。
「まだ、動ける!!」
「クァッ!!」
空間というキャンバスに血のように紅い軌跡を引かれる。目にも留まらぬスピードでルカリオはボスゴドラへと迫る。
拳に乗せるのは「強くなりたい」という想い。ただ一心に、その心を届かせるように【ドレインパンチ】がドスゴドラの脇腹へと突き刺さる。今までよろけもしなかったボスゴドラがその一撃を受けて大きくグラついた。
「そのまま! 【きあいだま】だーッ!!」
突き立てた拳から練り上げた波動を球状にして体外へ放出し、そのまま防御の薄いボスゴドラの脇腹へと練気した闘気を撃ち放つ。
吹き飛ばされたボスゴドラが、先程のルカリオのように滝壺へと叩き込まれる。アルバは狙ったわけではないが、堅牢を誇るボスゴドラの弱点が特殊防御にあったのだ。故にゼロ距離からReオーラを乗せた【きあいだま】はボスゴドラの急所を抉ったのだ。
ボスゴドラが起こした水しぶきがレンギョウの身体を頭からずぶ濡れにする。だが視線はアルバとルカリオから一度も離さない。
「僕は、そうだ。自分の弱さが嫌で、嫌で嫌で嫌で、だから強くなりたいんだ!!」
自身に対する怨嗟は止まらない。決壊したダムのように、明けない嵐が訪れたように、ただひたすらに滂沱の感情が溢れ出す。
「アイツが言った、僕が弱いせいだって!!」
瞼の裏に蘇るダイの亡骸とグライドの言葉。だからアルバは強く願った。
強くなりたいと、ただ我武者羅に願った。
「ダイも、リエンも! みんな強くなろうとしてるんだ。僕だけ、こんなところで……ッ!」
一筋、溢れるのは汗ではなく涙。食いしばった歯を解き、思いの丈を吐き出す。
「こんなところで、立ち止まってるわけにはいかないんだ……ッッ!!」
その慟哭にも似たアルバの吐露はレンギョウに一種の感慨を湧き起こさせた。
出来の悪い、古い鏡を見ているようだった。いや、まだアルバのほうがマシだろうか。
「弱さが嫌で、か。お前は本当にそっくりだ」
──昔の自分に。
心の内に秘めたレンギョウの独白は誰にも届かない。届くとすれば、サザンカぐらいだろう。
レンギョウはボスゴドラをボールに戻すと、もう一つのモンスターボールを取り出す。中のポケモンを召喚する前に、瞑目し祈るように額へと近づけた。
「……ネリネ先生、俺に──」
──こいつを導く力を貸してください。
呟き、レンギョウはモンスターボールを投げる。中から現れたのは一匹と、腹袋に収まった小さな一匹。おやこポケモン"ガルーラ"がアルバとルカリオの前に立ちはだかる。
髪留めにあしらわれたキーストーンが眩い光を放つ。その光がガルーラをも包み込み、進化の繭を形成する。光の中で、レンギョウは今尚追いかける師の背中を見た気がした。
────あぁ、いいともさ。しっかりやんなよ、レンギョウ。
「取り合う手と手で、道行き照らせ──ガルーラ、メガシンカ!」
静かに唱えられた文言、含まれた言霊が力となってガルーラの姿を変化させる。正確には、ガルーラの腹袋の中にいる子供を変化させた。
急速に進化を遂げ、もはや母親の腹に入り切らなくなった子ガルーラが勢いよく飛び出し、咆哮する。
「お前が強くなりたい理由はよくわかった。だが、敢えて言うぞ」
親と子がルカリオ目掛けて突進する。自分よりも巨大な相手だがルカリオが両手で組み付いて、一歩も引かない。
「憎しみや悔しさ。そんなものはな、積み上げたところで──脆い」
それは言葉通りの意味だった。証明するように紅いReオーラによって膂力が凄まじく強化されているはずのルカリオの身体がズズ、と僅かに後退させられた。
脚が地面を抉る。やがてどんどん圧されていき、ルカリオは親ガルーラの突進を受けて吹き飛んだ。
「親は【ほのおのパンチ】、子は【きあいパンチ】だ」
壁を足場に着地したルカリオ目掛けて親ガルーラの炎を纏った拳が横からフックパンチの要領で襲いかかる。さらに親が襲いかかるタイミングで力を溜めていた子ガルーラが闘気を迸らせた拳をルカリオの腹部へ突き立てた。殴られたルカリオの痛みがフィードバックされ、アルバが腹を抑えて膝を折った。
「
「昔の、
「あぁ、随分と昔の話だがな。当時の俺は世界の全てが憎かった。理不尽に何度も屈した、なんで俺ばっかりがって何もかもを恨んだ。その果てに、力を求めた。愚直なまでに、全てを圧倒するだけの力を欲した。その結果、大切なものを失った……
目尻に浮かぶのは後悔。無意識に食いしばる奥歯が、今も悔しさでキツく結ばれている。
「だから、俺がお前に"道"を渡してやる」
だがそれも昔の話。大きくなったのは肉体だけにとどまらない。何よりも大切な"心と魂"を徹底的に鍛え上げた。
「何も難しい話じゃないんだよ。家を建てるのにまず土壌を作るのと一緒だ。お前が強くなるために最初に作らなくちゃいけないのは、心なんだ」
修行中の厳格な父親のような張り詰めた厳しさから一点、母親を思わせる優しい声音でレンギョウはアルバを諭した。
その言葉は、スッとアルバの中に入り込んできた。彼が纏う紅いReオーラが一気に霧散し、ルカリオもまた膝を突いた。
「強くなりたいって願うばっかりで心がいっぱいになるといずれ破裂する。張り詰めた弦がすぐ切れるようにな。適度に緩めてやらないといけないんだ」
「あっ……」
アルバは気づく。そしてサザンカの方へと視線を向ける。
「お前が意味を知りたがった鬼ごっこや"ヒヒダルマさんが転んだ"は、あいつなりの"緩み"なんだよ」
「それと、タピオカ巡りもですね」
「水を差すなバカタレが」
レンギョウがスパン、とサザンカの頭をすっぱ抜いた。クスクスとアイラとプラムが笑うのを見て、自然とアルバも笑みを取り戻した。
次いで泥だらけになったアルバへアイラがタオルを差し出した。
「あとね、サザンカさんが言った「プラムのようになってほしい」ってアレ」
「いい加減になれ、ってヤツ?」
「そう、あれはね「いい加減」って言うよりは「
噛み砕き、納得する。今の心には、あれほど難解に思えたサザンカの思いやりがすぐ馴染む気がした。
「センセ、あーしのことそんな風に思ってくれてたんだ! あーし感激! センセマジ惚れるわ~! あと百歳若かったら抱いてた……」
「いえいえ、僕もプラムさんのように頭空っぽならどれだけよかったか、と常に考えていますからね」
「あ、あれ? あーし褒められてる? めっちゃディスられてね? 頭空っぽは褒めてるっていうかもうバリDisじゃね?」
三日前まであれほど悠長だと思っていた彼らのやり取りが、今は楽しい。どれだけ自分に余裕が無かったのか、アルバはただただ噛み締めた。
そうしていると、レンギョウの言葉も必然的に胸を打つ。
「まぁ、言っておくべきことは言った。今日はもう飯食って寝ろ、明日の朝スッキリした頭で今一度答えを出せばいい」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
その日の夜、アルバは寝袋の中で眠れずにいた。心地よい夜風が吹き抜ける夜の道場は涼しくて目を瞑っていればいつもなら疲れも相まってすぐ眠くなってしまうのに。
そうして星空を眺めていると、頭の上の方で物音がした。そちらに視線を向けるとアイラが寝袋を持って現れた。
「隣、いいかな? 眠れなくて」
「アイラも? いいよ」
アルバが少しスペースを空けると、アイラがその隣に腰を下ろした。そうして夜空を見上げると自然と言葉が湧いて出てきた。
「聞いてもいいかな、アイラが強くなりたい理由」
「……アタシはね、ダイのために強くなりたいんだ」
正直予想は出来ていた。少しでも一緒にいれば、アイラがダイを大切に思っていることなどすぐに分かるからだ。
ならなおのこと、どうして一緒に旅に同行しないのかアルバは尋ねてみることにした。すると、アイラは夜闇でも分かるほど苦笑いの雰囲気を醸していた。
「今のダイを作ったのは、アルバとかリエンとか、最近はソラも……三人がいるからあいつすごい楽しそうでしょ。アタシはそれを守りたい。こういうことを言うと怒られるかもだけど、VANGUARDを発足するようアストンさんに言ったのも全部はそのため。バラル団と戦う力を持った人たちが増えれば、きっとダイが戦わなくても済む状況が出来るって、思ってたんだけど」
アイラは既に知っている。ダイがライトストーン、伝説のポケモン"レシラム"に選ばれてしまったことを。それは即ち、戦いの運命に身を委ねなければならないということ。
「実を言うとね、昨日までのアルバ。すごく似てたんだ」
「誰に?」
「アタシとまだ一緒にいる時の、ダイに。あいつも、顔には出さなかったけど強くならなきゃってずっと藻掻いてた。そうしたら、アルバまでダイに戦い方が似てきた。いよいよ放っておけないなって思ったんだよ」
その言葉を受けて、アルバは親友の顔が脳裏に浮かぶ。レンギョウとの戦い、エースのルカリオを敢えて囮にしブースターで奇襲するという戦い方はまさしくダイのそれで。
隣にいるようで思えば随分と先を歩かれているような錯覚を覚える。真似をしているということは即ち、無意識の内に追いかけていたということ。
今なら偽り無く、自分でも見えていなかった"本当"を言葉に出来る気がした。
「僕は、そうか……ダイの力になりたかったんだ。ううん、ダイだけじゃない。
リエンも、ソラも守れる力が欲しかったんだ。みんなの隣で胸を張れるように」
それはアルバが掲げる"理想"でもあった。その言葉は自然と自分に溶けていった。
「そうだよ、たぶんサザンカさんが言ってほしかったのはそれなんだと思うな」
傷つけるためではなく、守るために力を欲する。そのためならば、きっとサザンカは応えてくれる。
夜の闇が、夜明けとともに消滅するかのように"道"が開けた気がした。
そんな二人の会話を吹き抜けの先で立ち聞きしている人物がいた、レンギョウだ。それを聞いて満足気に口元を綻ばせると、レンギョウはその場を後にしようとする。
ところが振り返った瞬間、目の前にいたのは同じように立ち聞きしていたサザンカ。思わず声を出しそうになったがサザンカが口元に指を立てて「静かに」というジェスチャーで制する。
二人は部屋に戻ると小さな卓について、小さなグラスに少々の酒を注いだ。それを酌み交わしながら少しだけ耽る。
「しかし
「昔の名前を呼ぶな。名前とも呼べんものだろうに」
尤もレンギョウの顔は嫌とは言っていなかった。ひどく懐かしさに打ちひしがれているような複雑な顔だった。
「そうだったね、歳を取ると無性に昔が懐かしくなってしょうがない」
「あれからもう一世紀は経ったって言うのにな……俺もお前もバリバリ現役、まるで先生がまだこっちに来るんじゃないって言ってるみたいだ」
口にして、グラスを傾ける。少し酔いが回り始めた気がする。見ればサザンカのグラスも注いだ酒が底をついていた。
「それで、いいのかもしれないよ」
空いた窓から覗く月、吹き抜ける夜風が解いたサザンカの髪を撫でる。
嗚呼、そうだ。今も昔も変わらない。世界は変わらずに美しい。こんなにも彩りに溢れている。彼女と最後に交わした約束は今もなお色褪せない。
だからこそ、
「──まだまだ修行中の身だからさ」
「あぁ、そうだな」
サザンカは、ここにいる。
ラフオクまだ見れてないよって人のために簡単に説明すると、サザンカさんとレンギョウさんは昔ネリネ先生っていう師匠の下でメガシンカについて学ぶ子供だったんだよってお話です。
さすがにこの五十云々話まで読んでくれたコアなポケ虹読者ならラフオクも履修済みと信じてこの話を送り出します。
2019/10/04 劇中のポケモンを一部変更しました