病院特有の浄化された匂い、視界いっぱいに拡がる白がステラは好きだった。窓から入る陽の光を受けて、病める者への完治の祈りを想起させる白の中を聖女は進む。
というのも、昨夜コスモスと共に現れたダイが「暫くの間ソラの様子を見ていてほしい」と頼んできたからだ。
先日のレニアシティでの決戦後、ステラは暇があれば警察病院の方にも訪れていた。というのも、あの戦いで負傷し逮捕されたバラル団員たちの様子を見に行っているのだ。
もちろんジムリーダーとの面会は、尋問の一種だろうと突っぱねる団員も多い中、面会に応じた者へ怪我の具合は良いか等些細なことを聞いて回っている。
中にはステラの思いやりに触れ、積極的に話に応じてくる者もいる。その団員はグライドのボーマンダが放つ【りゅうせいぐん】や【ハイパーボイス】に巻き込まれてしまい、大怪我を負ってしまったらしい。
もちろん上司であるグライドが戦いやすいように戦うべきだと彼も思ってはいるが、味方の攻撃で死に直面仕掛けたことで考えを改めつつあるようだった。
「改心……出来ると良いっすね、あの人」
「出来ますよ、彼は。本来優しい人なのだと、今日確信致しました」
後ろを歩くのはステラが管理するVANGUARDチームのメンバーにして、大人気アイドルユニット"Try×Twice"のレン、隣にはサツキもいる。
バラル団員との面会にステラが赴くと知り、彼らも説得に協力できるのではないかと考え同行しているのだ。彼らは先日、ユオンシティへ向かうダイたちを見送った後、タイミングを見計らって自分たちが元バラル団員だったことをステラへ告解した。それもあり、道を踏み外した者でもやり直すことは出来ると証明してくれるレンとサツキを、ステラは改めて快く仲間に迎え入れた。
「ステラさんの説得なら、誰だって足洗いますよ」
「ふふ、
「いやいや、凄い人ですって。そう言えば、この間保護したポケモンの様子はどうですか?」
サツキはとにかくステラを褒めるのだが、悲しいかな不勉強ゆえの語彙力の無さが話題の継続を不可能にさせていた。苦し紛れにレンのフォローで話題をすり替えることに成功、拳のタッチを静かに行うレンとサツキ。
そう言われ、ステラは思い出したように一つのモンスターボールを取り出した。中に入っているポケモンは"ラルトス"、人の心を感じ取れるきもちポケモンとして有名なポケモンだ。
実はレニアシティでの戦いの前に保護していたポケモンで、ステラのミミッキュが「連れて帰る」と言い出して聞かず、ステラとしても断る理由は無いのでそのまま預かる形となっていた。
あまり人に慣れていないところを見ると、恐らくは野生。あまり考えたくはないが、捨てられた可能性も考えられる。だがミミッキュが彼女を連れて帰ると言い出したのは、自身の生まれの境遇が重なったからなのかもしれない。
もう三年以上前の話になるがミミッキュもまた、とある事件でラジエスシティを騒がせてしまった言わばお尋ね者だった。ところが行く当ての無くなった彼女を引き取ったのがステラだったのだ。
だからか、まだまだ慣れないながらもミミッキュはこのラルトスを妹のように可愛がっていた。里親が見つかった時の彼女の反応は、想像に難くない。
「ミミッキュがめちゃくちゃ可愛がってますもんね、このままステラさんが引き取っていいんじゃないですか? お似合いですよ」
「ですが、里親探しは出来るだけ続けてみようと思います。もしかしたら本当に、ただはぐれてしまっただけの可能性もありますから」
そうこうしている間に、ステラはソラの病室の前に来ていた。ノックするが、反応はない。「失礼します」と一声掛けてステラがドアを開けた時だった。
「あっステラさん! おはようございます! それじゃ俺はこれで!」
「えっ、あっ、はい! 行ってらっしゃい?」
ぶつかりそうな勢いで飛び出してきたダイを見送ると部屋の中には既にアルバとリエンもいて、ソラもベッドの上で血色の良い顔を見せていた。
しかしステラは三人の微妙な空気に気付いて、尋ねてみることにした。
「なにかありましたか?」
「ダイ、コスモスさんと連日、朝から夜までずっとポケモンバトルしてるみたいで。少し根を詰め過ぎじゃないかって言ったんですけど」
リエンが心配そうに目を伏せる。恐らく部屋を飛び出してきたダイのことだ、「大丈夫」と無理に突っ張って出てきたのだろうとステラは考えた。思えばちゃんと眠れているのかも怪しい顔色だった気がする。
するとアルバもまた、ライブキャスターを起動すると病室を出ていった。どこへ行くのか聞く前に、アルバはそそくさといなくなってしまった。
「なんだ、あいつ?」
「なんか元気無いな、みんなして」
レンとサツキが部屋から顔を出し、アルバが消えていった方へ視線をやった。すると、エレベーターから見覚えにある赤キャップが現れると、レンとサツキがいる方へやってきた。
「おはよう! リエンちゃん、待ったかな!?」
「いえ、ちょうど私も出るところでしたから。それより、今日からまたよろしくお願いします」
現れたのはイリスだった。というのも、リエンは前日の内にラジエスに滞在中の彼女を呼び出していたのだった。
ステラがどういうことか、視線で問いかけるとそれに気付いたイリスがこっそりと耳打ちをする。
「強くなりたいんだってさ」
それは、ダイたち四人組の誰しもが抱えていた思いだった。そして、それぞれが強くなるために別々の方向へと進み出したのである。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
アルバは取っているホテルの部屋へ戻り、荷物を纏めると隣の部屋の戸を叩いた。その部屋には女性が二人滞在しているはずで、この時間ならば部屋でゆっくりしていると言っていた。
数秒ほどして、扉が開くと中からアイラが顔を出した。
「来たね、だけど待ってね。今プラムとサザンカさん、街に出てるんだ」
「そうなの? じゃあ探しに行こうかな」
病院でアルバが連絡を取っていたのはアイラだった。というのもアルバが強くなるうえで師事しようと決めたのがサザンカだったからである。
アイラはそれから数分ほど部屋の中で外出用の準備を整えると、部屋に鍵を掛けてアルバと共にホテルを後にした。
「それで、二人はどの辺にいるんだろう?」
「んー、多分
「タピ……え?」
アルバが素で変な声を出す。聞き間違いかとも思った、今はアルバの知っているタピオカとは別のタピオカを指している言葉かと思っている。
だが悲しいかな、アルバとアイラがタクシーで西区にやってきた時、オープンテラスのあるカフェで端末を弄りながら
しかしアルバは動じている暇など無い。テーブルで端末と睨めっこをしているサザンカとプラムに歩み寄る。
「サザンカさん、お時間良いですか?」
「なんでしょう、僕でお力になれればよいのですが」
太めのストローから口を話して居住まいを正したサザンカに、アルバは勢いよく頭を下げた。その勢いや、剣幕。それらはアイラやプラムは元より通行人すら圧倒するほどであった。
「僕に稽古をつけてください! もっともっと、強くなりたいんです……!」
ありきたりだ、しかも掲げてきた文面はいつもと変わらない。変わるとすれば、どれだけ熱心かということだった。アルバは頭を下げながら唇を噛みしめるような思いだった。
そんな彼を見て、サザンカはアルバを通して遠くを見るような目をした。それに気付いたプラムがサザンカの頬を突いた。
「センセ、なんか訳ありぽいし、ひとまず話を聞いてみん?」
「いえ、その必要は無さそうです」
プラムの言葉をやんわりと一蹴したサザンカは立ち上がり、アルバの肩に手を置くと言った。
「では場所を変えましょう、少し試してみたいことがあります」
サザンカが提案したのは、山火事が起きたサンビエタウン側のテルス山中腹での出張稽古だった。アルバは病院でソラから一時的にチルタリスを預かり、アイラのフライゴンと共に四人でテルス山へと向かった。
ラジエスシティから一度レニアシティ上空を通過し、緑の無くなり山肌の露出する空間へと降り立った。
アルバがチルタリスを休ませると、周囲を見渡した。一面開けた焦土と化しており、空の青が返って意地悪く見えるようなみすぼらしい大地だった。
「それではアルバくん」
「っ、はい! よろしくお願いします!」
「────鬼ごっこをしましょう」
「…………は?」
アルバは素っ頓狂な声を上げていた。それも仕方ないだろう、なにせサザンカの口から飛び出したのは鬼ごっこだ。
古今東西、様々なルールこそあれオーソドックスなのは、鬼と呼ばれる人物が他の人間を追いかけ、タッチすると鬼が入れ替わるというルールだ。
子供の屋外遊びとして代表格のそれを、サザンカはやろうと提案していた。
「じゃあセンセが鬼ね! アイラ、逃げよ!」
「オッケー!」
サザンカが指折り数える。その間はどうやら一歩も動かないらしい。そこでアルバは異変に気づく。そういうルールがあるのかもしれないが、そもそも最初に数えてその間に逃げるというのは、鬼ごっこに並ぶ代表的な遊び"かくれんぼ"のルールだ。しかしどんどん小さくなっていくプラムとアイラは隠れる様子がない。おおよそ百メートルかそれ以上離れていた。
「では、始めますね」
そう、サザンカが口にした瞬間だった。アルバはこの場に降り立った時、サザンカとの距離はおよそ二○メートルはあると思っていた。
そして数えている間もサザンカが動いている様子は無かった。
ではなぜ、今目の前でサザンカの声がしているのか。考える暇も無く、サザンカの手がアルバの肩に触れていた。
「タッチです、アルバくん」
「えっと」
「タッチ返しは無しで、アイラさんかプラムさんを捕まえてください」
アルバが瞬きをした、一秒も無いほんの一瞬でサザンカはアルバまでの二〇メートルという距離を縮めたのだ。タッチされ、鬼が交代する。
サザンカに見送られながら未だ困惑する頭でもう視界の中で米粒ほどの大きさになっているアイラとプラムを追いかける。バイタリティには自信があるアルバだったが、如何せん相手が悪すぎた。
木々の間を縫うようにしてアルバがプラムへ距離を詰める。そして右手を一気に突き出して、プラムの肩へと手を伸ばし。
「はい、ハズレ~!」
半身引くことでアルバのタッチを回避するプラム。アルバは目を剥き、次いで左手でフックパンチのようにプラムを捕まえようとする。
「またハズレ!」
プラムはブリッジの要領で上体を逸し、アルバのフックタッチを躱すとそのまま後転しアルバから一定の距離を保った。負けず嫌いの発動したアルバが乱打を行うようにプラムへ一気に手を突き出す。突いては引き、突いては引き、その姿はさながらルカリオの【バレットパンチ】そのものだった。
だが、
「それじゃ当たらんて! ぜーんぶ、ハズレ!」
突き出される手のひら、もとい掌底を全て目測で回避するプラム。最小限の動きでアルバの手を避け、息の上がってきたアルバが両手で掴みかかろうとすると軽く地面を蹴った。
プラムの身体は打ち上げられたかのように高く舞い上がり、焼けた木々の枝の上へとゆったり着地した。
「頑張れ男の子!」
「む、無茶苦茶だ~!」
ここまで来るとアルバはもうプラムに触るのは不可能だと思った。こうなったらアイラしかない、と思ったのだがプラムとの一方的な攻防で体力を大きく消耗したアルバはさらに距離を伸ばして逃げるアイラを追いかけるところから既に動きが鈍くなっていた。
だがここで諦められない。この鬼ごっこはきっとサザンカに考えがあってのことだ。
ならば、教えを請う身のアルバが意味を考えても仕方がない。そう思い、ただひたすらに、愚直なまでにアイラとプラムを追いかけた。
それからおおよそ四時間掛けて鬼ごっこは続いたが、結論から言うとアルバは最後まで鬼のままであった。サザンカはそもそも論外だし、プラムには指一本触れることも出来ず、アイラは持ち前の健脚でアルバからとことん逃げ切ったからだ。アルバは大の字に寝転がって大急ぎで肺に酸素を取り入れていた。彼が着ているスポーツパーカーはもはや乾いた場所など一箇所たりとも無いというほど汗が染み込んでいた。
「お疲れ様ですアルバくん、気持ちの良い追いかけっぷりでした」
「ひぃ、ひぃ、はぁ、はぁ、ひぃ……これが、稽古になるんですか……?」
「結論から言えばならないでしょう。持久力は多少つくでしょうがそれも継続有りきです」
バッサリと切り捨てるサザンカにアルバはぐったりと起き上がりながらへなへなの抗議の視線を送った。サザンカは満足したように頷き、
「では次はそうですね、"ヒヒダルマさんが転んだ"でもやりましょうか」
否、まだ満足していなかった。少なくとも、鬼ごっこは十分堪能したという意味だったのだろう。アルバは幼少の頃の記憶を無理やり引っ張り出した。
「ヒヒダルマさんが転んだ……ってあの、ヒヒダルマ役が後ろを向いている時に近づいていってタッチするっていう、あの?」
アルバが尋ねると「概ね合っています」とサザンカが肯定する。さすがにサザンカがヒヒダルマ役ではプラムが逃げ切れるかどうかのほぼタイマンゲームと化してしまうため、サザンカ以外でジャンケンを行うことになった。結論から言ってヒヒダルマ役はプラムがやることになった。アルバは少し嫌な予感がしつつも、そのゲームに乗ることにした。
「じゃ、始めるぽよ~! ヒーヒーダ────」
「……よしっ!」
プラムが目を瞑り、木に額を預けてアルバたちに背を向けたタイミングでアルバが一気に駆け出す。それに続いてサザンカとプラムも少しずつ歩を進める。
「──ルマさんが転んだ!」
サッとプラムが振り返る。その瞬間、ヒヒダルマ役以外は一ミリたりとも動いては行けない。そしてプラムが決めたルールとして、止まってる最中にポケモンのモノマネをしながら止まらなければならない。
アルバは即座に決めていた"ナマケロ"のポーズ、即ちうつ伏せ大の字で寝転がった。それに対し、サザンカは"ゲコガシラ"、アイラはプラムの連れている"チャーレム"のモノマネをする。ヒヒダルマ役のプラムは振り返った時に明らかにポケモンではない動きをしている人間を攻撃することが出来る。が、今回は全員ポケモンに成り切っていたため再度カウントが始まる。
「ヒヒダルマさんがぁ──転んだ!」
今度のカウントは素早かった。アルバは起き上がるだけで精一杯だったが、ゴーリキーのように力こぶを作るポーズでやり過ごす。それに対し、隣に並び立つサザンカはというと、
「センセ~それなに~?」
「ジョウト地方に伝わる伝説の鳥ポケモン、ホウオウのマネです」
「そっか~! 見えるわ、オッケー判定」
そもそも並び立っていなかった。サザンカは宙に浮かび、両手を翼に見立てていた。というより、本当に飛んでいた。滞空すらしている、アルバはうっかりゴーリキーのポーズを途切れさせそうになった。アイラはむしろ見慣れたように、ノクタスのポーズを続けていた。
「ヒヒダルマさんが転んだー!」
再び早いカウントでプラムが振り返った。アルバはある程度プラムの背後まで接近するとドータクンのポーズで静止する。既にプラムと睨み合っているため、振り返ることは出来ない。だが恐らく後ろでサザンカがおよそ人間業ではない再現度のポーズをしていることだろう、正直気になった。
「はーい、アイラ動いた~! こっちにおいで~」
「ちぇ~っ、バレたか」
そうやって一歩一歩確実にヒヒダルマであるプラムへ距離を詰めていく遊びだ。アルバも子供の頃よくやっていた覚えがある。もちろん当時は子供なりに楽しんでいたが、今の精神状態で楽しめるとは思えなかった。
それから何度かヒヒダルマ役を変えながら数時間は遊んで時間を潰してしまった後、アルバはサザンカに問いかける。
「教えてくれませんか、今までの遊びにどういう意味があるんですか?」
サザンカは鬼ごっこの後も「稽古にはならない」と切り捨てた。であるならばヒヒダルマさんが転んだにもさして意味はないのだろうとアルバは思っていた。
そしてそれはどうやら推測通りであったらしい。
「意味、ですか。難しいですね、あると言えばありますが……それを言って
「それって、納得できないような理由ってことですか……?」
アルバが語気を強めて詰め寄った。サザンカは観念したように、近くに転がっていた巨大な岩石に視線をやった。
「君は、この大岩が最初から丸かったと思いますか? 違います、この岩は数えきれない時間を雨や風が削りようやく丸くなった、そういう岩です。人もそうです、長い年月を経て技術や力は身につきます。一朝一夕とはいかないでしょう」
サザンカが岩を撫でながらアルバを見やる。精一杯、アルバなりにサザンカの言葉を噛み砕いているようだった。
「ですのでせめて僕は、今までの遊びを通してアルバくんに
「いい加減になれ、ってことですか?」
「えぇ、そうです」
「えっ、あーしいい加減認定? マジやみ……」
視界の端で肩を落とすプラムだったが、アルバには理解が出来なかった。確かに鬼ごっこやヒヒダルマさんが転んだを通してプラムが尋常ならざる女子高生であるのは分かった。だが、だとしてもアルバが彼女のようになる必要がまるで分からなかった。
「いい加減になんて、そんな……遊んでる時間無いんです! それよりもっと、ポケモンバトルに強くなれそうな稽古をつけてほしいんです!」
「では僕もアルバくんに問いましょう。アルバくんがそんなにも性急に、強さを求める理由とはなんですか? ぜひ、君の言葉で聞かせてほしい」
それは今までのような、柔らかい波のような声音ではなかった。鏡面のような、波紋一つ無い水面の冷たさがあった。
気圧されながらもアルバは、睨み返すようにサザンカに向かって吠える。
「僕は、"立ち上がる者"なのに、立ち上がるべき時に立ち上がれなかった。そのせいで…………怪我した人が出たんです」
ダイの死は公にはされていない。アルバはそれとなく言葉を濁して、そのまま続けた。
「今までは、ただ何度でも立ち上がれることが僕の強みだ、アイデンティティだって思ってたんです。ヒヒノキ博士が認めてくれたから、自信だってあったのにそれは驕りだった」
気付いてしまったのだ、アルバは自分自身の決定的な弱点に。
それは何よりも、打たれ弱いこと。肉体も、精神も。まだ十五という齢の少年なら順当だとサザンカは思うも、アルバはそれで満足などしないだろう。
「僕が立ち上がれなかったせいで誰かが傷つく、自分の弱さが許せないんです。だから、立ち上がる必要が無いくらい強くなりたいんです! 誰にも負けない力を手に入れて、僕はその力でバラル団を倒す!」
拳を握りしめるアルバ。サザンカはそんなアルバに、微かだが"紅"の色を感じた。
それは百余年という時間を生きている彼が、まだ年若い頃に見た惨劇の色と同じだった。もはや悠長なことを言っている暇は無いのだと、ようやく悟った。
「やはり、僕では今のアルバくんの力にはなれません」
「ッ、そんな!」
「ですが、代わりに紹介したい人物がいます。その人物ならば、きっとアルバくんの力になってくれるはずです」
くるり、とサザンカは踵を返した。アイラがフライゴンを呼び出し、プラムと共にその背に乗り込んだ。フライゴンに捕まりながら、サザンカはアルバに視線を送る。
「僕が言った言葉の意味を二日、よく考えてみてください。考えが変わろうと、変わらなかろうと僕たちはクシェルシティの修行の岩戸にて待っています、それでは」
それだけ言い残して、サザンカたちはクシェルシティの方面へと飛び去ってしまう。アルバは小さくなりゆくその背中を見送りながら、ぽつんと一人残された寂しさを感じていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
約束の二日後、アルバは再びソラのチルタリスを借りて数ヶ月ぶりのクシェルシティを訪れた。
待っていたサザンカ、アイラ、プラムの三人が武道礼でアルバを迎え入れた。荷物を見るに、アルバは暫くここを離れるつもりが無いことが分かった。
だがそれでいい、アルバに必要なのは考える時間だ。移動する時間などに使っている暇はない。
「来ましたね、アルバくん」
「はい、やっぱり僕は強くなりたい。誰よりも、強いポケモントレーナーに」
「今はそれでいいでしょう、その思いの丈を彼にぶつけてください」
彼、とは一体誰を指すのか、アルバが周囲を見渡すがそれはアイラとプラムも一緒のこと。
するとサザンカは玄関の方へと視線をやる。
「今日、来ることになっていたのですが……まだ姿を見せませんね」
「そういえば聞き忘れてたけど、今日来る人っていったい誰なんセンセ」
尋ねながらプラムが玄関の戸を開いた時だった。自分より上背の人間が目の前に立っており、プラムは顔を見ようと視線を上げた。瞬間、目の前から発されるプレッシャーに思わず飛び退いた。先日、自分がいない間にバラル団の強襲があったことも手伝って、プラムは即座に臨戦態勢を取った。
「待っていたよ」
「随分と賑やかだな、今日は」
しかしその男がサザンカと柔和な笑みを交わし合うのを見て、プラムは警戒を解いた。サザンカに視線で確認を取ると、プラムは静かにうなずいて居住まいを正した。そうしてようやっとその男の顔を見上げて、プラムは一気に
「えっ! ちょっ、誰このイケメン! めーっちゃあーし好みなんですケド!! 好きみがやばい! え、誰なんセンセ!」
まるで贔屓にしているスターが突然目の前に現れたかのようにプラムが大はしゃぎする。アイラが「また始まったか」と頭を抱え、サザンカは変わらずニコニコと笑っており、当の男性はというと、
「……本当に賑やかだな」
「おかげで退屈しないよ」
サザンカがその男性の元へ近づき、手を差し出した。再会の握手かと誰もが思った。
だが、違った。瞬間、跳ね上げられた拳同士がぶつかり凄まじい拳圧が突風となってその場の全員を襲う。
さらに男性は背負っていた荷物を下ろすと跳躍、サザンカ目掛けて目視出来ない連続の蹴撃を繰り出す。普段ならば全て避けるサザンカだが、この時ばかりは全ての足に対して全ての手のひらで反撃を行い、その攻防が再び風を呼び、岩を穿ち、水を散らす。
吹き飛ばされないように、アルバは必死に踏みとどまった。目の前で行われる人外じみた格闘を見せつけられ、とても自分がジムバッジを過去に獲得するに至ったジムリーダーだとは思えなかった。ジム戦とプライベートは別ということなのだろうが、それにしたって差が明らかすぎる。
「「覇ッ!」」
互いに全力を以て打ち付け合う掌底と拳、踏み込んだ二人の足が地面を抉り互いの身体を貫通する衝撃が二人の背後を強く煽った。
アルバたちは、構えを解いて抱擁を交わす二人を見てようやく今の激戦が演武であったことを悟った。
「紹介しましょう。こちらは本家"心道塾"における僕の兄弟子」
「────レンギョウだ」
男性──レンギョウは武道礼を行う。それに対してアイラとプラムも武道礼で返す。アルバだけはただただ唖然とレンギョウを見つめていた。
彼こそ、サザンカがアルバに紹介したいと言っていた人物で、レンギョウは離れたところにいるアルバを鋭い眼光で射抜いていた。
「話は聞いている。ただひたすら、強さを求めるヤツの面倒を見てほしいとな」
言葉の端々から、強者のオーラが滲み出ていた。それはアルバにもわかったし、少なくとも"力になれない"とさじを投げたサザンカに比べれば、まだ幾らか有益な修行になるだろうと考えた。
そんなアルバを見て、レンギョウはどこか苦虫を噛み潰したような渋い顔をしていた。
「お前も人が悪いな……」
「自覚はあるよ」
その小さな呟きは、交わされた当人同士にしか聞こえなかった。
またしてもラフオクネタを突っ張ったなお前。
というわけでサザンカさんの兄弟子レンギョウさんです。修行ネタやるなら引っ張ってくるかと前々から思ってました。