ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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VSフシギバナ ココロノート

 ざざん、ざざん。

 

 船が波をかき分け進んでいく。

 デッキでは一人の女性が髪を撫でる風に目を細めていた。船乗りはそんな彼女の姿を絵画かなにかと勘違いするほどだった。

 

「お姉さん、随分ラフエル地方が待ち遠しいんだな。今朝からずっとそこにいるだろう?」

「うん? まぁ久々の観光でねぇ。テンション上がってるっていうのはあるよ」

 

 赤毛を超えた、紅色の長髪が風に揺られるたびまるで炎が暴れているかのような苛烈な印象を覚える。女性は振り返り、船乗りに向かって微笑んだ。

 口角を持ち上げる笑い、まるで少年のような笑みに船乗りは思わず見惚れてしまう。

 

「バカ息子と、可愛い可愛い義娘(ムスメ)に会いに行くのよ」

 

 きっとその義娘と呼ばれた方は「気が早い」なんてぷりぷり怒り出すだろうが、などと女性は考える。

 彼女が船の先に立っていた理由を垣間見、船乗りは「なるほど」と納得する。

 

「なるほど、そらぁ待ち遠しいわけだわ。しかしそこは揺れるべ? 船酔いは平気か?」

「平気よ、アタシのダーリンは船乗りだからね。それに地元の海はもっと揺れるのよ、ここの海はまるで揺り籠みたい」

「ほー、強いお人だなぁ。ご職業は何を──」

 

 船乗りが尋ねた瞬間、ガンと何かが船にぶつかった音がする。巨大な船だ、仮に海洋のポケモンがぶつかろうと壊れたりはしない。

 だがそれが何度も起きれば、さすがに不安になる。船乗りがデッキから下を覗いた瞬間だった。

 

「下がってないと、頭食べられちゃうわよ」

「あん?」

 

 女性が言う。船乗りが振り向いた瞬間だった。今まで船乗りの頭が会った位置に、鋭い歯が並ぶ口があった。ガチンと噛み合う歯の音が耳元で唸り船乗りはたまらず転がった。

 

「ひゃあ、サメハダー!」

 

 理由はわからないが腹を立てたサメハダーが船乗りを、ひいてはこの船を攻撃した。女性はかつかつ、とパンプスの底を鳴らしながらサメハダーへ近づいていく。

 血走った目のサメハダーは船乗りから女性へと標的を変え、【アクアジェット】で突進する。

 

「お姉さん危ねえ!」

 

 船乗りは叫んだ。だがサメハダーの突進は女性には当たらなかった。というのも、いつの間にか女性の隣に出現していたたねポケモン、"フシギバナ"が背負っていた巨大な花の根本から伸ばした蔓でサメハダーを拘束していたからだ。「主を攻撃するなど百年早い」とばかりに、伸ばした蔓でペシペシサメハダーの頭を叩くフシギバナ。

 

「勢いは良かったね~! 次はもう少しフェイントを織り交ぜながらやってみな!」

 

 女性がそう言うとフシギバナはサメハダーを離す。完全に頭にきた様子のサメハダーは再び女性目掛けて【アクアジェット】を放つ。女性のアドバイス通り、直撃の瞬間に急制動をかけぶつかるタイミングをズラすフェイント。だが女性はそれでも動じずぶつかってくるサメハダーに手を伸ばして軽く横から小突いてコースを逸らす。彼女の手を包む黒い手袋が"さめはだ"でズタズタになる。

 

「うんうん、そうそう! やれば出来るね! にしても元気がいいなぁ、君」

「な、何を遊んでるんだ!? 相手はサメハダーだぞ! わざと怒らせたりしない!」

「退屈凌ぎにちょっとくらい遊びたいじゃない。だけどそうね、あんまり船を壊されたら運航に関わるもんねぇ」

 

 再び女性を狙うサメハダーだったが、やはりフシギバナのガードが堅く崩せない。本体が巨体故鈍足だとしても、その身体から放たれる【つるのムチ】は凄まじい速度とテクニックで放たれるため、サメハダーは簡単に追い詰められてしまう。再び身体全体を拘束するように蔓を奔らせるフシギバナ。

 

「ありがとう、楽しかったよ! 【ソーラービーム】!」

 

 本日は晴天なり、空に輝く太陽の光を受けてフシギバナが凝縮した光線を撃ち放つ。拘束されたサメハダーでは避けることも出来ず、また吹き飛ぶ事も出来ないために照射された光線がサメハダーを容赦なく焼く。

 やがてフシギバナが光線の照射をやめると、サメハダーをデッキに下ろした。目を回して昏倒するサメハダーに女性は手持ちのキズぐすりを吹き付けた。僅かに体力が回復すると不思議そうに女性を見上げるサメハダー。

 

「なるほどね~、戦ってる最中から気になってたけど身体に締め付けられた後があるね。"ドククラゲ"辺りにイジメられたのかな、それで腹が立ってたのかも」

「や、八つ当たりだったのか……? なんて迷惑な……」

「まぁまぁそう言わない。今度は喧嘩しても勝てるもんね」

 

 手袋を付けた手でサメハダーの頭をポンポンと撫でる女性。先程までの剣幕はどこへ行ったのか、サメハダーはすっかり気を良くして海へ戻っていった。

 それを見送ると女性は手袋を外して船乗りに渡した。突然ずたずたの手袋たちを渡されて船乗りは困惑する。

 

「それ、あげるよ。アタシの激闘の証、なんつって」

 

 ニッと歯を見せて笑う女性。正直いらないが、船乗りは手の中の手袋を見る。そこに刺繍された名前を口に出す。

 

「"コウヨウ"……ん? コウヨウ!?」

 

 この船はイッシュ地方とラフエル地方を結ぶ数少ない定期船だ。そしてイッシュ地方の隣に存在するオーレ地方ではその"コウヨウ"という名前は知れ渡っている。

 むしろ、オーレやイッシュで彼女を知らない者はいないだろう。なぜならば、

 

「バトル山の頂点(トップ)、"真紅髪の女頭領(クリムゾンヘッド)"のコウヨウさん!?」

 

 オーレ地方でのチャンピオンを意味するその称号は、イッシュ出身の彼も当然知っていたから。

 女性──コウヨウは振り返り、頷いた。

 

 

 

「いかにも! アタシが今のバトル山マスター、"コウヨウ・アルコヴァレーノ"! その手袋は迷惑のお詫びとサイン代わりってことで一つ!」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 レニアシティでの激闘から二日、俺たちはラジエスシティにいた。というのもレニアシティでの戦いや、テルス山中腹でも起きていたバラル団との戦いで怪我をした人たちがそれなりの数いたからだそうだ。

 ちなみにレニアシティで戦っていた人たちとの取り決めで、俺が一旦死んだということは秘密にしておくことにした。もちろん、言わなきゃいけない相手もいる。それが、

 

「というわけで一度死にました」

「前々から思っていたがお前は本当にバカだな。一度死んでもバカは治らんか、よくわかった」

「散々だなお前……」

 

 はい、カイドウです。元々アストンに頼まれてReオーラの存在証明からキセキシンカのロジック解明なんかを頼まれていたらしく、Reオーラの効果で蘇生した俺の身体のデータや血液サンプルが欲しいらしい。まぁ研究が進むならいいか、と俺も快く応じたんだけど。上手く行けばReオーラの回復効果が医療に役立つかもしれない。

 

「まぁ、しばらく入院してもらうぞ。本当ならリザイナの病院にしてほしいところだがな」

「仕方ねえだろ、レニアから一番近いのがラジエスだったんだからよ」

 

 ホテルに向かうカイドウをゲートまで見送る。身体の調子は絶好調なんだけど、確かにある日ころっとなにもないのに死んでしまう可能性もゼロとは言えない。

 まだReオーラが俺に作用してるから生きてられるだけで、それが切れたら死ぬんじゃないかっていう不安はそれなりにある。

 いつまでもロビーでボーッとしてても仕方がない。俺はエレベーターに乗って自分の病室へ戻った。しかしレニアシティからの避難民の中でパニックを起こして怪我をした人も大勢いたらしく、病院の中は非常にごった返している。

 

 だから俺の病室、というよりは相部屋なのだ。それが、

 

「おう、戻ってきたかハリキリボーイ」

「……ん、おかえり」

 

 アサツキさんと、同じくジムリーダーのランタナさんの部屋だ。男女混合でいいのか、とも思ったけれどアサツキさんが気にしてないようだから俺もわざわざ口には出さない。

 ちなみに二人もあの時、Reオーラに包まれたおかげで致命傷は治ってるけどアサツキさんもランタナさんもボーマンダにやられて頭から地面に落下した。傷が残ってはいけないとステラさんに大事を取るよう言われたらしい。

 

「しかし、だるいよな。実質無傷だってのに病院に縛りつけられちゃ、よ」

 

 ランタナさんが枕に頭を勢いよく預ける。その頭にはガーゼと包帯が巻きつけられているから、まだ怪我人っぽく見える。アサツキさんも被っていたヘルメットのおかげで頭の傷はゼロだ。ただ彼女は身体が華奢だから、地面に叩きつけられたらどちらかと言えば四肢が心配だな。病衣の陰に見える包帯が怪我の場所を教えてくれる。

 

「まぁ、オレは早いとこ退院してユオンに戻らねえとな。ハチマキとの約束もあるし」

 

 アルバのことだ。というのも、昨日俺たちがこの病室にぶっ込まれてからユオンにいるヨルガオさんから電話が掛かってきて、ヒードランがふらっと帰ってきたらしい。

 テルス山中腹では、ネイヴュ警察の人たちがワースの一味と戦ってたらしい。その戦いの最中、捕獲に使われたヘビーボールが破壊されて野生に戻ったからだろう。

 

 結果、またユオンシティは温暖な地域に戻り地熱発電は復活。今日も忙しくトンチンカンと男たちは鉄と戦っているみたいだ。

 俺もちゃんとアサツキさんと正式なジム戦をやりたい、さっさと退院してユオンシティに戻りたいところではある。ボルト、ネジ、ナットの三人が元気にやってるかも気になるしな。

 

「しかしまぁ、レニアシティもそれなりの大打撃を受けたからな……ある程度の復興支援は必要になるだろうな」

 

 アサツキさんが窓の外を眺めながら言った。レニアシティのビルがいくつか壊れたのは俺が主犯だったりするから頭が上がらない。

 ただ、Reオーラの奔流が無かったらレニアシティは文字通り壊滅していたはずだから、今の状態はまだマシの部類に入るくらいだ。

 

「テルス山、標高はそんな高くねえけど物資を持って登るにはちょっと不親切だからよ」

 

 確かに、ロープウェイを除けばレニアシティに向かう方法は空路しかない。サンビエタウンからラジエスシティまでを繋ぐトンネルなんかはあるものの、それ以上の工事での発展は行ってないらしい。大型のエレベーターでもあれば物資搬入も楽だろうけど。

 

「でもまぁ、ユオンで復興物資を作れるようになったってだけでも、今はありがたいことなのかもしんねぇな」

 

 そう言うとアサツキさんはボコボコになったヘルメットをそっと撫でて、「あっ」と声を出して自身のポケギアを取り出す。

 

「どうしたんだよ? カレシ?」

「ちげーよ。すっかり忘れてたぜ、約束だったよな。お前に"アイツ"を紹介してやるっていう、よ」

 

 アサツキさんに言われて、俺もようやく思い出す。そう、元はと言えば俺がユオンシティに行った理由の一つはゼラオラのリライブを行えそうなアサツキさんの知人を紹介してもらうためだ。

 彼女はポケギアでコールを行うと数回の呼び出し音の後、通話が繋がったらしい。するとアサツキさんはいつもの仏頂面が嘘のように笑顔を交えて話を始めた。

 

「すげぇ変わり身だよな、本当にカレシじゃねーの?」

「本人がそう言うんだから、嘘じゃないと思いますよ」

 

 ヒソヒソ、とアサツキさんにバレないようにランタナさんと耳打ちし合う。するとアサツキさんの笑顔が一瞬で驚愕に変わった。

 

「レニアに凱旋公演? チャリティって、マジか? だってお前、レニアシティの実家と大喧嘩して出てきたんだろ?」

 

 なんか、英雄の民って仰々しい異名だからストイックな人かと思ったけど、全然真逆な雰囲気みたいだ。っていうか凱旋公演って言ったか? それってライブってことだよな、超大物じゃねえか。

 

「……わかった、お前が決めたことに反対なんかしねーって。うん、ありがとな。それじゃあ日取りは後日改めてってことで、うん」

 

 それだけ言うとアサツキさんは通話を終えた。やっぱり相手が超大物アーティストだったりするから、今の電話もかなり切り詰めたスケジュールの中にあったんだろうな。

 

「アポが取れたぞ。近々ラフエル中のアーティストを集めて、レニアシティで復興を盛り上げるためのチャリティライブを行うらしい。その時に時間が取れそうだからお前と会う時間を作ってくれるってさ」

「ありがとうございます、アサツキさん!」

「こっちもお前らには世話になってる、おあいこだ」

 

 ボールの中のゼラオラに視線を送ると、笑顔が帰ってきた。もう少しで元のポケモンに戻してやれるんだと思うとやっぱりワクワクする。

 ただレニアシティに戻るなら、その前にやっておかなきゃいけないことがある。俺は一度病室を出ると上のフロアへと向かった。

 

 上のフロアは俺たちのフロアと違って、完全に個室オンリーのフロアだ。エレベーター脇三つのところに、その部屋はある。

 

 

『ソラ・コングラツィア』

 

 

 そう書かれたプレートの部屋をノックする、返事がない。

 

「ソラ、俺だ。入ってもいいか?」

 

 声をかけてみるが、やっぱり返事がない。戸を引いてみると微かに水の流れる音が聞こえた。有料の個室だとそれなりに広く、シャワールームまであるみたいだった。

 部屋の中に歩を進めるたび、水の流れる音は強くなってくる。そして溢れた水がタイルに落ちる音が新たに加わってくる。

 

 嫌な予感がして、シャワールームの扉を開けた。結論から言って俺の嫌な予感は的中した。

 ソラはシャワーなんか浴びてなかった。洗面器いっぱいに張った水の中に顔を突っ込んでいたんだ。

 

「おい、ソラ! おい!」

 

 慌てて引っ張ろうとすると全然力が入っていないソラの身体は簡単に洗面器から引き剥がせたどころか、勢い余って俺がシャワー室の壁にぶつかってしまった。

 うなだれながら、前髪から雫を滴らせるソラの目は虚ろで、顔はやつれていて、普段から無表情だったけれど今はその倍増で空虚に見えた。

 

「なにやってんだよ、水飲むならウォーターサーバーでいいだろ……」

 

 口に出してから、そうであってほしいと思っていた。それくらいはソラにだってわかってる。

 ソラは口を開いて、数度唇を動かして、噛み締めた。そして喉に触れると再度口を開く、音は出ない。

 

 するとソラは俺の手のひらを取って、指先で俺の手のひらに文字を書いていった。

 その言葉は一文字ずつ、ソラの心情を俺に伝えてきた。だから、一文字ずつ胸が締め付けられるような気がした。

 

 俺はソラの人差し指を止めた。これ以上彼女の意思で紡がれたら、なんて言葉を掛けていいか分からなくなりそうだったから。

 

「とりあえず、風邪引くぞ」

 

 結われていないぐしゃぐしゃになった髪は、濡れてぺったりとソラの肌にくっついていた。シャワールームに設置された棚の中にあるバスタオルでソラの頭をゆっくりと拭いていく。

 旅をしている最中もこうやって、朝の弱いソラの世話をしていた。だから今更恥ずかしさは無い。だけど着替えは別だ。

 

「病衣、借りてくるか……? や、でもなぁ……」

 

 上から下までずぶ濡れの病衣のままベッドに寝かせるわけにはいかない。かと言って、今のソラから目を離すのはなんだかダメな気がした。

 迷った末に、俺は持っていた俺の着替えをソラに渡した。サイズ合わないだろうけど濡れたままでいるよりはずっといいはずだ。

 

「着替えられるか?」

 

 尋ねるとソラは頷かなかったが、病衣のボタンに指を掛けた。慌てて背中を向けると次いで衣擦れの音。

 数分くらいして、ソラがトントンと背中を突いた。振り返ると、案の定ダボダボだった。ジャージは捲らないと袖から指先すら出てない。

 

「ベッドに戻ろう。片付けはやっておくから」

 

 ソラは返事はしなかったけど、俺が動かないと知ると渋々シャワールームから出ていく。ベッドに座ってそのまま俯いてしまった。

 濡れた病衣と溢れた水を片付けてソラの部屋に戻ると、ソラはベッドの脇にある小さなホワイトボードに水性ペンを走らせる。キュッキュ、とペンが擦れる音だけが静かに響く。

 

『なんであんなことしたか、知りたい?』

 

 ボードにはそう書かれていた。俺は頷いた。そしてソラの対面に椅子を動かして座る。ソラはもう一度ボードをまっさらにしてまたペンを走らせた。

 たぶん、レニアシティの戦いでソマリに見せられた幻覚が原因なんだとは思う。

 

『わたしがパパとママを死なせた』

 

 そう、ソラはソマリにそう言ったらしい。それが具体的にどういう意味なのかは分からない。

 だけどもしその言葉通りの意味なら……

 

「それって、ソラが直接手を出したわけじゃないだろ?」

 

 だから聞いてみた。ソラは答えに迷ったみたいだけど、やがて首を縦に振った。

 なおのこと謎は深まる。ソラが直接両親を殺したわけじゃないのに、ソラは自分が殺したと言い張る。この矛盾はなんだ。

 

「なぁ、辛かったら別にいいんだ。だけど、ソラのお父さんとお母さんのこと俺に教えてくれないか? なんだかんだ、今まで聞いたこと無かったからさ」

 

 言ってから、俺はたぶん答えは帰ってこないだろうと思っていた。ソラとは一緒に旅に出てから随分喋る時間も機会もあった。

 だけどやっぱり、言いたくないことだってある。だから黙っていたんだろうし、それでも聞き出したのは今ソラを助けるのにその情報が必要だと思ったからだ。

 

 ソラはやっぱり一度迷ってから、ホワイトボードに箇条書きで書き記していく。

 

 ハンク・コングラツィア、ソラのお父さん。ラフエル地方ではかなり有名なヴァイオリニストでオーケストラでもコンサートマスターを任されたり、ソリストとしても何度も海外の有名なコンクールで優勝するほどの実力者だったそうだ。ラフエル地方に留まらず、ここまで凄ければクラシック音楽に明るい人間なら知らない人はいないだろうな。

 

 チェルシー・コングラツィア、ソラのお母さん。こちらは声楽家として活躍する歌姫で、やっぱりこっちも舞台に立つ機会は多かっただろう。

 舞台で一番目立つ女性をヒロインと呼ぶらしい。端末で調べてみると、ソラの表情をもう少し大人にして豊かにした綺麗な女の人の写真が出てきた。

 

 なるほど、ソラの独特のセンスは彼らから遺伝したのかな。端末の画面をスクロールすると、ハンクさんとチェルシーさんの間にゴシックなドレスに身を包んだ、それでいて今も身につけているヘッドフォンを首に下げた笑顔の少女が写っていた。恐らく数年前のソラだった。俺はソラの笑顔を見たことがない、それくらいに表情が乏しい彼女がこうも笑顔で笑っていた。

 

 ハンクさんとチェルシーさんの死はきっと、それほどまでにソラにとって大きなダメージになったんだ。

 

『雪解けの日、パパとママはネイヴュの刑務所に慰問ライブに行った』

 

 俺が端末から顔を上げるとソラはホワイトボードにそう書いて待っていた。許可も取らずに昔の写真を見ていたのはちょっと悪かったかな。

 雪解けの日、ラフエル地方にいなかった俺だけどもうその日のことはアストンやアシュリーさんから警察としての情報を、アルバやリエンに一般に出回っている情報をそれぞれ聞いて知っている。イズロードが脱獄した際の未曾有の人災をそう呼んでいる。

 

 さらにイズロードはバラル団の介入までの時間を稼ぐために同じく収監されていた数々の凶悪な犯罪者を解き放ったらしい。

 それら全てはネイヴュ支部のPGや当時本部から支援人員として送られたアストンたちの手によって全て鎮圧されたって話だ。もしかしたらそいつらの誰かがソラの両親を殺したのかもしれない。

 

 だけどわからない、だったらなぜソラが殺したなんてことになるんだ。なんでソラは頑なにそう言い続けるんだ。

 

『私が、パパとママに言ったから』

 

「何を、言ったんだ? 教えてくれ、ソラ」

 

 尋ねた。ソラはボードをまっさらにして、ペン先をボードに押し付ける。そのまま、手が止まってしまった。見れば呼吸が荒くなって、手が震えていた。俯いていても、泣いているのが分かった。

 これ以上はもうソラを傷つけるだけかもしれない。だけど、このまま引き下がってソラを泣かせ続けるのはもっとダメだと思ったから。

 

「……っ」

 

 ソラの頭に手を置いた。まだ乾ききってない頭は俺の手のひらが滑るのを許した。ボードの上に滴り落ちる水滴はきっと、ただの水じゃなかった。

 やがてゆっくり、ゆっくりとソラは一文字ずつボードに文字を記していく。そしてやっとそれを書き終わった後、満を持して俺にそれを提示する。

 

『全ての人は、心に音楽を持っている。パパとママが教えてくれた。そう信じてた、だからどんなに悪い人でもパパとママの音楽に触れれば善い人に戻れるって、そう言った』

「そしたら、二人はネイヴュの刑務所で慰問ライブを行うことにしたのか……」

 

 きっと二人はソラの言葉を信じた。だってソラが感じたその心は、二人がずっと育ててきたものだから。

 だけど最悪な形で裏切られたせいで、ソラは今こうして信じるモノと信じられないモノが同じという、グチャグチャな精神状態になってしまった。

 

『私がそんなこと言わなければ、パパとママは刑務所になんか行かなかった。今も生きてて、もっとたくさんの人を笑顔に出来た。私がパパとママの音楽を殺した』

 

 

 ──だから私も責任を取らなくちゃいけない。

 

 

 ソラはそう締めくくった。余白いっぱいのホワイトボードがやけに淀んで見えた。

 

 結果論だと、言うのは簡単だろう。だけどソラはそんな言葉待ち望んじゃいない。いや、何を言ってもソラは救われないだろう。

 そもそも救われてほしいと、俺たちが思うのは身勝手なんだろう。何も言わず「大変だったね」って慰めるのが正解なんだろう。

 

 

「ソラはなにも悪くないじゃないか」

 

 

 ──尤も、俺はバカだからそういう気遣いなんかしない。言いたいことは言う、聞きたくない言葉は言わせない。

 ソラの肩を掴んで上を向かせた。目を覗き込む、サファイアの瞳は俺を写し返す。正直なところ、憤っていた。

 

 世界にも、ソラにも。

 

「ただ、ソラは信じただけだ。裏切った奴が悪い、俺だって許せねえ。ああ、そうだ、超ムカつくぜ。俺の友達をこんな風に傷つけた野郎が許せねえ」

 

 ひゅ、と彼女の喉から息が漏れる。そして、ホワイトボードをまっさらにしようとするその手を止めた。言わせない、これ以上。

 

「死んでも死のうとするな!! 義務感で死ぬなんて、俺が絶対に許さないからな……!!」

 

 ああダメだ、もう少し冷静になれ。これじゃただの恫喝に変わらない。人生をどう生きるかはそいつ次第だ、俺の言葉は我儘に過ぎないんだ。

 だけどそれでも、俺は言わないと気が済まない。それは、奇しくも一度死んでしまった俺だからこそ、言えることなんだ。

 

「何より、ソラが死んだら二人の音楽は本当の意味で死んじまうんだぞ! 二人が生きてきた意味の全てが今、お前の中に音楽として生きてるんだろ!」

 

 血を流している心があるのなら、止めてやりたい。

 

「お前が歌い続けてきたのを俺たちは知ってる。二人のことがあっても音楽を捨てなかったのは、お前の中で二人の音楽が根付いてるからだろ!」

 

 泣き続けている魂があるのなら、涙を拭いてやりたい。

 

「ソラだって本当は分かってるんだろ? ソラは口下手だけど音楽に対してはいつも愚直なくらい真っ直ぐだったじゃねーかよ!」

 

 言いたいことが纏まらない。考えが氾濫するのがこうももどかしいと思ったのは初めてだった。

 ソラの瞳に映る俺の顔は馬鹿みたいに焦ってて、こんなんじゃ伝わるもんも伝わらないなって自分で思った。だけど、言葉を掛け続けなきゃいけない。

 

 分かってることがある。数年前の笑顔のソラはゴシックなドレスを好む、クラシックを嗜む子供だった。それは今のパンキッシュな見た目とヘッドフォンから流れるロックやポップミュージックからは想像もつかない。

 きっと二人のことを死なせてしまった自責から、一度は音楽を捨ててしまったのかもしれない。だけど、それでもソラは戻ってきた。

 自分なりに大丈夫なように、自分なりに音楽に向き合い続けてきた。だから、言いたい。

 

 

「生きて、歌い続けろ! 二人にもらった音楽を奏で続けるんだよ! 罪滅ぼしなんかじゃない。それが、ソラが二人に出来るこれ以上無い恩返しになるから!」

 

 

 自分の口下手を呪う。遂に語彙は尽きて、ソラはホワイトボードに向き直ってしまった。きっと言いたいことがあるんだろう、散々言ったからな。

 そしてソラは自分の喉を指差しながら、ホワイトボードを掲げた。

 

『だけど、声出ない。もう歌えるか分からない』

 

 そんな弱音は吹き飛ばせ、吹き飛ばしてやれ。

 

 

「──だったらお前が歌えるようになるまで俺が傍にいてやるよ! 絶対離れたりしない!」

 

 

 それが友達として、俺がソラにかけてやれる精一杯の言葉だった。俺だけじゃない、アルバもリエンもソラのためなら支えてくれヤツらだ。

 もう一度ソラの歌を聴くまでは諦めない。出来ることはなんだってやってやる。

 

「今更お前の歌が無い冒険なんて味気無いんだよ、ソラ。もっと聴かせてくれよ、お前の歌」

 

 俺の本心だった。毎朝、寝ぼけたソラの世話をするのは大変だった。頭が起きるまで背負って歩くのも一苦労だ。

 それでもソラの歌があったから、ソラが来てからの旅はずっと楽しかった。意識が華やいだ、疲れが吹っ飛んだ。なんだかんだ明日も頑張ろうって最後には思えた。

 

 とすん、と軽い音を立ててソラが頭を俺の胸に預けてくる。恐る恐る、彼女の背中をそっと抱きしめた。やがて静かな嗚咽だけが胸に響く。

 精一杯の言葉だけど、ソラの心に届いたかは分からない。届いたとしてソラが考え改めるかは彼女の都合だ。

 最後には彼女が出した結論を尊重したい。けど、だけど、それでも、我儘が許されるなら

 

「だから生きてくれよ、お願いだから」

 

 死なないでくれ、ではなく『生きてくれ』と言った。同じようで全然違う。

 ソラには意思を持って、心を動かして、生きていてほしい。死なないだけの命は、ただ心臓を動かしたまま死んでいるのと変わらない。

 

 俺の胸に擦りつけるようにして、ソラは頷いた。良かった、ちゃんと届いてくれたんだな。

 言いたいことがゴチャゴチャして、最終的に少し説教くさくなってしまったのは俺の悪いところかもしれない。

 

「あの時、ソラが言った『また会えるお別れは笑顔でしよう』の意味が、やっと分かったよ」

 

 ずっと一緒だったペリッパーと別れた俺にソラはそう言ってくれた。自分がそれを言うことで少なからずハンクさんとチェルシーさんのことを思い出すかもしれなかったのに、ソラは俺の心を救ってくれた。

 その気遣いに気づいて、そういう優しい人が俺の傍にいてくれたことが無性に嬉しくなった。

 

 しばらくソラの頭を撫で続けていると、嗚咽は寝息に変わっていた。泣き疲れたのかもしれない。それにやつれ方からしてきっとこの二日間何も食べていないんだ。

 ソラの頭をそっと枕に預けると布団を掛ける。俺の服はしばらくソラに預けておこう。寝てる間に脱がすわけにいかないし、しょうがない。着替えや身体を拭くのはリエンに任せた方が良いかもしれない。

 

 アルバとリエンは俺とソラに合わせてまたこの街のホテルを取ってるらしい。連絡しておいた方が良いかもしれないな。

 

 病室から静かに出る。だけどここは個室棟のフロアだから、ここでライブキャスターを繋ぐわけにはいかない。エレベーターに向かおうとした時だった、ちょうど下からエレベーターが上がってきてその扉が開く。

 カツ、と小気味の良い音を立ててその人物は俺の前に現れた。

 

「──あら」

 

 鈴の音、って言うんだったか。そう表現できそうな涼しい声音だった。アメジストの瞳は俺の目を見抜いていた。俺は彼女を知っている、話したことは無いけれど。

 VANGUARDの説明会で、ジムリーダーたちの端に立っていた人だ。さっき見た、数年前のソラが好んでいたようなゴシック調の黒いブラウスに瞳と同じ、アメジストパープルのアクセサリーが目を引く。

 

 だが何より、真っ白の肌とその肌に負けない煌めく銀髪が視界の中で異質さを放っていて、近づきがたい存在感を放っている。彼女が身につけているモンスターボールからも、凄まじいプレッシャーが放たれているのが分かる。

 

「確か──コスモス、さん」

「えぇ、そういう貴方はタイヨウくん、だったかしら」

 

 頷く。俺をそう呼ぶのは、両親ぐらいだ。尤も両親がダイって愛称で呼び始めて、それがいろんな人に伝わってるんだけど。

 特別親しいとは呼べないコスモスさんが俺をそう呼ぶのは彼女の人柄だろう。

 

「貴方は、ドラゴンに選ばれた」

 

 コスモスさんはその白魚のような人差し指を俺に向ける。カバンの中にあるライトストーンがそれに呼応して熱を放ったのがわかった。

 

「故に、貴方は知らなければならない。ドラゴンポケモンが如何なる生物なのか」

 

 だから、コスモスさんの言葉に反応するのが少し遅れた。ヒリヒリとするようなプレッシャーが俺を襲った。俺を指す指先からは、どこまでも逃げられないような気さえして。

 

 

「──私と、貴方。戦いましょうか」

 

 

 ニッコリと静かに微笑みながら、コスモスさんはそう言った。それは最強のジムリーダーに突きつけられた、課題だったのかもしれない。

 

 


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