空が夕の橙から夜の紺へと移り変わる、茜色の空。テルス山中腹ではバラル団の幹部、ワースが率いる"ワース組"がヒードランを利用してテルス山内部の掘削並びに捜索活動が続けられていた。
しかし流石に視界が悪くなってきたため、ワースは部下に指示しスタンドライトを設置させる。
「サウナになってきたな」
だらしなく
「ヒードランの調子はどうだ?」
「どうもこうもねえよ、山に入れてから
そう言ってロアがモニターを覗き込む。そこにはテルス山の断面図のようなグラフが表示されており、そのグラフの中腹付近から一直線に伸びるラインがヒードランの進行した通路のようだった。
まるで定規を使ったかのように、一切の歪み無く掘り進めていくヒードラン。ロアの言う通り、ヒードランにはこの山のどこかにあると言われている物の場所がわかっているようだった。
「報告します!」
と、ロアがモニターから顔を上げた直後だった。夜営準備を整え終わった下っ端が駆け寄り、バラル団式の敬礼をしてロアに取り次いだ。
「現在、レニアシティでグライド様が交戦状態に入ったと入電有り! 同行していた班長たちも同様です!」
「上はおっぱじまったか、野郎の予想通りだな」
ワースがそっと顎髭を撫でる。するとロアがずいっとワースに詰め寄った。
「オッサン、まさかグライドさんがドンパチやってんのは……」
「あぁ、恐らくはあのオレンジ色のガキだ」
「だったらオレも上に行かせてくれよ。どうせ後はヒードランの経過観察くらいしかすることはねぇし、それならテアでも出来んだろ」
ロアはユオンシティでの負けを引き摺っているようだった。だからリベンジに燃えている、拳を手のひらに打ち合わせるロアを見てワースは言った。
「駄目だ」
「なんでだよ!」
「
ワースの物言いにロアが首を傾げた。なぜこの場から自分がいなくなることがワースにとって痛手になるのか、ピンとこなかったからだ。
困惑するロアにワースはため息を吐きながらもう片方のモニターを見せる。そこには山のあちこちに仕掛けられた監視カメラの一部が映されていた。
「これは……!」
「そうだ。リザイナシティ、クシェルシティのジムリーダーとVANGUARDの面々がここに向かってきてる。別にここをどうこうされようがヒードランの活動に支障は出ねえが、お前っつー一端の戦力がいなくなるのはまずいってこった、分かるな?」
ワースの説明に「そういうことなら」と渋々了承する。リベンジできないのは悔しいが、どの道グライドの手に掛かれば誰も助からない。昔から貫いてきた我が身大事を今回も貫こうとロアは思い直した。
頬をバシンと打つと、ロアはテントの外に出る。近くをウロウロしている下っ端たちに集合を掛ける。
「たった今、この拠点に数人のジムリーダーが向かってきてることが分かった。総数はわかんねぇ、そこで人員を三班に分ける。オッサン、オレ、んー……テア、はちょっと不安だな。よし、マニ。お前が三班目のリーダーだ。お前の扱いやすいメンツを優先してチームに入れろ、残りはオレがオッサンと上手く分け合う」
「了解しました!」
マニと呼ばれた女団員が気の合う仲間、その他手持ちのシナジーが合う仲間に声を掛けて小隊を作り上げる。
それを眺めているロアに向かって、唇を尖らせて抗議の視線を送る者がいた、テアだ。
「ぶーぶー、班長ってば少しは私のこと信用してくれてもいいじゃないですか~」
「お前は誰かを纏めるよりオレかオッサンのチームで動いてる方が動きがいい。天性の使われ気質ってやつだ」
「なんですかぁそれ、まぁいいですけどー!」
ニンマリ笑ってワースとロアに「どちらにしようかな」と一文字ごと、交互に指差し入るチームを選び出すテア。やれやれ、と肩を竦め残ったメンバーを効率的に動かす編成を考えていた時だった。
ふと、先程までサウナだったテント周辺の拠点が常温に戻っているような気がしたのだ。言い方を変えれば、過ごしやすくなっていた。
「妙だぞ……なんで、こんなに」
次の瞬間、ロアが感じ取ったのは「寒さ」だった。数分前まで灼熱のようだったというのに、寒さを感じた。
それを感じた瞬間、しまったと己の勘の鈍さを呪った。
「やべぇ! 罠だ、総員戦闘配備!! つーかその前に伏せろ!」
ロアが叫ぶ、テントの中のワースが何事かと様子見に出る。ロアはすぐさまワースに飛びつき、体勢を低くさせる。
直後、拠点をまるごと凍らせるかのような【ふぶき】と【ぜったいれいど】がワース隊の面々を襲った。ロアの指示が通ったメンバーとロアが押し倒したワースはその氷雪攻撃から難を逃れたが、一部の団員は身体をまるごと凍らされ行動が不能になる。
「クソ、
立ち上がり、ズルズキンを呼び出しながらロアが悪態をつく。ワースも立ち上がり砂埃を払うとこおりタイプの技に耐性のあるエンペルトを喚び出す。
すると斜面の下、森の暗がりからスッと人影とそれに付き従う従者の姿が目に入る。それはこちらに近づいてくるたび、一人、二人と増えていく。
「少し、離れすぎていたかな」
そう呟くのは氷獄の中にある熱血、警部という役職を与えられながらネイヴュシティのジムリーダーをも務める男、ユキナリ。
その隣では同じく氷雪系の技を駆使するのりものポケモン"ラプラス"の背に乗ったアルマが少し高い位置からバラル団を睥睨していた。どうやら今の【ふぶき】と【ぜったいれいど】はこのラプラスが放ったようだった。
「関係ありません、立ちはだかるのなら倒すのみですから」
冷ややかな眼で対峙する敵を見定めながらアルマは言った。ユキナリはこういう時、少しだけ彼女を危なっかしく感じる。尤もその危なっかしさは自分も持っているらしく、彼女から釘を差されることも多々ある。
問題は、アルマの後ろから遅れてやってきた仲間の方だ。既に目が血走っている。
「イズロードはどこだ!」
遅れてきたにも関わらず、一番槍とばかりに飛び出したのはフライツだった。呼び出したポケモン"パルシェン"の【とげキャノン】が先頭に立っていたロアに突き進む。ズルズキンがそれを蹴り飛ばし第一撃は終了、両者の睨み合いが続く。
「いるなら連れてこい、ヤツを! イズロードを!!」
声が嗄れてしまうほどに苛烈に叫ぶフライツ。見かねたアルマがラプラスの背から降りてフライツの肩を叩く。血走った眼でアルマを見たフライツは次の瞬間、借りてきたニャルマーのように大人しくなる。
何を見たのか、ユキナリが知りたいような知りたくないような複雑な気持ちでいると、アルマがフライツに問い掛けた。
「頭は冷えた?」
「は、はい……すいません」
仮にも年下のアルマに頭が上がらないフライツだったが、この時ばかりは仕方がない。なんせ仇敵を目前にしているのだ、アルマとてフライツの気持ちがわからないではない。
だが、だからこそ冷静に立ち回らなければならない。相手は班長並びに幹部級なのだから。
「テア、大丈夫か」
「すみません、不覚を取りました……」
「気にすんな。これから動けんなら働きで返せ」
運悪く回避し遅れ、下半身を氷漬けにされたテアだったがロアがズルズキンとザングースに氷を剥がさせ、なんとか脱出する。しかし残った冷気は依然脚を蝕むもので、テアはアブソルを喚び出すとその背に跨るようにしてワースとロアの隣に並び立った。
「二人共、僕たちの役割は他のジムリーダーが到着するまでの先駆けだ、無茶はしないように」
「わかりました」
「了解……」
です、までフライツが言い切るのを待ってはくれなかった。先陣を改めて切るロアのザングース、放たれた【ブレイククロー】がパルシェンを狙う。急いで【からにこもる】ことで防御を堅牢なものにする。
殻に籠もって攻撃をやり過ごしたあとは当然、
「【からをやぶる】!」
取り付くザングースを吹き飛ばすかのように、アーマーパージ。数枚の甲殻を散弾のように撃ち飛ばし攻撃に転用する。さらにそれだけではない、防御面の低下は免れないが素早さがぐーんと、
「上がらない……!?」
フライツも、殻を破ったパルシェン自身も驚いていた。いつものように力が漲ってこないのだ、その答えは簡単だった。対峙する、テアのアブソルだ。
【よこどり】を使うことでパルシェンのステータスアップを無効に自らの力に変えてしまったのだ。さらにパルシェンに向かって、アブソルは紫色の炎の連弾を発射する。
「【おにび】だ、避けろ!!」
【からをやぶる】で素早ささえ上がっていたのなら回避は出来たかもしれない。しかし今のパルシェンにそれは出来なかった。炎の連弾がパルシェンを飲み込む。
形だけ殻を破ったことでいつもの堅牢さは無くなり、柔らかい殻のみが残っている。普段ならば耐性のあるほのおタイプの技で"やけど"状態にされてしまう。
「アブソル、【たたりめ】!」
「まずい……!」
テアを乗せたままだというのに凄まじいスピードでパルシェンを撹乱し、その死角から頭部の角を用いて闇色の斬撃波を飛ばすアブソル。
そのまま斬撃波がパルシェンの方へと進み、
「──サンドパン!」
直撃の瞬間、横から割って入ってきた氷針鼠が斬撃を【ブレイククロー】でかき消してしまう。さらにそのままパルシェンの背中を踏み台に、離脱しようとするアブソル目掛けて追撃を行う。
だがそれを許すほど相手も甘くはなかった、エンペルトだ。【アクアジェット】で割り込み、その翼を鋼鉄のように堅くし斬撃を繰り出す。
「【はがねのつばさ】」
「【アイアンヘッド】!」
硬さ比べなら負けない、と氷針鼠──"RFサンドパン"は標的をアブソルからエンペルトに変更、繰り出された翼による斬撃に対し頭突きでやり返す。
衝突。
衝撃。
二匹のポケモンが互いに弾かれ合い、主の傍へと舞い戻る。そして睨み合いに戻った瞬間、溜め込んでいた一撃が今まさに撃ち出される。
「【ぜったいれいど】!」
動きは鈍重でもその巨体から繰り出される冷気は極限のそれ。ラプラスが照射する冷気の波動がフィールド全体を飲み込む。
木々に降り積もる氷雪、土から熱気を奪う極寒、ワースたちはエンペルト、ザングースに防御指示を出し、自身も攻撃を回避しなければならなかった。
そしてラプラスが放った一撃はザングースよりも前に出て防御していたエンペルトを飲み込み、やがて完全に凍結させてしまった。
一撃必殺、その技が誇る最高の戦果を上げたラプラスが「どうだ」とばかりに首を擡げた。ワースはエンペルトを下がらせ、改めて手持ちを確認する。
というのも、エンペルトを除きワースの手持ちでこおりタイプに耐性のあるポケモンはいないのだ。
そして混戦状態である中、弱点を突けることを優先し弱点を曝すのは避けたい彼は選択を迫られた。だが決まって、大一番で彼が頼る相手は決まっている。
「ヤミラミ、勘定だ」
ユオンシティでも立ちはだかる強敵を退けたエース、ヤミラミ。闇夜の中でその鉱物の瞳だけがギラついていた。
ワースが手首にある金のバングルに触れた。それがヤミラミの胸部に埋め込まれていた石と呼応し、闇夜を吹き飛ばす光を放つ。
「ったく、とんでもねー大損害出してくれやがって……」
小さくなったタバコを吐き捨てるようにワースは呟き、その唇が五文字の音を放つ。
瞬間、ヤミラミが光の繭に閉じこもりその中から身の丈以上の巨大な鉱石の大盾を持って現れた。
「出した分の損害はキッチリ払ってもらうぜ、手前らの自腹でな」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
一方その頃、レニアシティでもジムリーダーとバラル団の苛烈な戦いが始まっていた。
シンジョウ、アストン、ランタナの三人が空へ上がり、ボーマンダを駆るグライドと対峙する。そして地上に残ったアサツキ、ステラ、イリス、アシュリー、ダイの五人が残る班長格三人、ハートン、ソマリ、ケイカと睨み合いを繰り広げていた。
「相手は五人か、少々分が悪いな」
「そうだそうだー、フェアプレイの精神で戦えー」
状況を鑑みてハートンが零すと、ソマリが囃し立てるように野次を飛ばした。思ってもないことを口にして、ジムリーダーたちを煽っている。
しかしソマリが巫山戯れば巫山戯るほど、感情を顕にするダイ。彼の視線は依然として彼女たちが抱えている自分の仲間に囚われていた。
「ダイくんは三人を助けに行きなよ、フォローは私達に任せて」
そう言って背中を軽く叩くイリス。言われなくてもそうさせてもらうとばかりにダイがジュカインを伴い、地面を強く蹴った。
だが動いてくるダイを見越して、最初に動いたのはケイカだった。リエンを抱えたままギャラドスの上に飛び乗り、空いた片手で前髪をかき上げる。
「【だいもんじ】!」
顔を覗かせたのは獰猛な人格の方のケイカだった。
巨躯から吐き出される豪火もまた、巨大。どんどんと巨大になり、身体を覆い尽くさんばかりの大きさへと変わった大の字の炎がダイに直撃する瞬間。
「"ヌメルゴン"! 【だくりゅう】!」
背後からイリスとその手持ち、ヌメルゴンが泥を含んだ水流を呼び寄せ、【だいもんじ】にぶつける。水気を切られた泥が飛散する中、ダイはそのまま直進する。
ギャラドスに乗ったケイカに拘束されている以上、リエンの救出は一度見送らざるを得ない。ダイは歯噛みしながらギャラドスの横を通過、ハートンとソマリ目掛けて加速する。
「ジュカイン!」
「チッ、バンギラス!」
接敵の瞬間、二匹のポケモンが交錯する。ジュカインが腕の新緑刃を二つに増やして力を込める。淡い燐光を帯びたそれが空中に軌跡を残しながらバンギラスへと奔る。返すようにバンギラスも研ぎ澄ませた石刃を用いてジュカインを返り討ちにしようとする。
「【リーフブレード】ッ!」
「【ストーンエッジ】!」
まるで弾丸を居合斬りで両断する達人の如くジュカインは放たれた【ストーンエッジ】を切り裂き、勢いを殺さぬままバンギラスを二度、三度と斬りつける。ハートンを護る壁が瓦解した、ダイは今しかないとモンスターボールを前方に掲げながら尚走る。
「ウォーグル! 飛べ!」
「させるかよ、好き勝手!」
呼び出したウォーグルの背に飛び乗ってそのままハートンへと【ブレイブバード】で突進する。たまらずハートンが回避し、アルバの拘束が解かれる。ウォーグルは速度を殺し、アルバの肩を鷲掴みにすると一度上昇し追撃をやり過ごす。しかしジュカインと対峙しているはずのバンギラスがアスファルトに手を差し込み、それを砕く。
「【いわなだれ】!」
「ッ、まずい!」
いくら自動車を軽々と持ち上げて空を飛べるウォーグルとて、背中に主を乗せ手に荷物を持っていたなら飛行には気を使う。従っていつもより自由を奪われた状態で、バンギラスが放った巨大な岩石の雨は回避のしようが無い。
だが、
「【とびひざげり】!」
バンギラスの背後から飛び出した影が跳躍し、岩石に渾身の膝を叩き込んだ。粉々に砕かれた岩石が飛散し、ウォーグルは間一髪攻撃を避けることが出来た。
そうしてバンギラスと対峙するのはサワムラー、即ちアサツキであった。
「アサツキさん!」
「そのまま突っ込め! 振り返るな!」
ダイは頷き、ウォーグルの背に指を奔らせる。するとウォーグルが急降下からの反転を行い、猛スピードで滑空しながらソマリへと突撃する。
「【つばめがえし】!」
「そう簡単に渡してたまるかよ!」
ソマリはソラの脇腹へ腕を差し込み抱えるようにしてダイを迎え撃つ。瞬間、ウォーグルの三つの分身が別方向から同時攻撃を放つ。
迎え撃つのはソマリのドーブルだ。迫るウォーグル目掛けて尻尾を手で振り回し、粘度が高いインクの爆弾を投げつける。
視界にインクを投げつけられ、ウォーグルの飛行進路がブレる。間一髪のところでウォーグルの突進を回避したソマリがニッと意地悪い笑みを浮かべたその時。
ダイがウォーグルの背中から飛び降り、ソマリへ一直線へ走る。予想外の行動にソマリが一瞬気遅れる。
「くそっ、せめてさっきの録画しておけばよかった……!」
「この性悪女が!」
あいつだけは許せないと、ダイの怒りに燃えた瞳が告げている。
流石に腹立たしくなったか、ソマリが態度を崩して舌打ちをしながらメタモンを喚び出す。変身させるポケモンは当然ゴースト。
「【シャドーパンチ】!」
ゴーストに化けたメタモンの腕が二度、ダイ目掛けて飛来する。俗に言う、ロケットパンチのように凄まじい勢いだ。意思を持っているからブレたり、曲がったりもする。
だがそれで臆することはしない。地を蹴るスピードを、落としてたまるか。ダイの加速が雄弁に語る。
「クソ、止まれよ!」
「いいか覚えとけ、俺は女だからって────!」
ダイの右腕が唸る。振りかぶった拳が助走のスピードを受けてさらに素早く、風を切る。加速と同時の攻撃に脚がもたついてつんのめっても、腕を優先させるように。
握り締められた拳がソマリの顔に直撃する、
「容赦しねえぞ!!」
──寸前で止まった。なんだ口だけか、とソマリが嘲笑おうとした、その瞬間。
ダイの影から現れたゲンガーが珍しく憤怒に顔を歪めて、返すように【シャドーパンチ】を繰り出す。一つの拳がソマリに、もう一つがメタモンに直撃する。
それで終わらない。もう一度、【シャドーパンチ】が放たれる。さらにもう一度、もう一度。幾度となく、ゲンガーの拳が様々な角度から襲いかかる。
遂には不可視の速度で繰り出される乱打撃。ソマリは腕を盾にして攻撃を防御しながらメタモンを見やる。だがメタモンにはソマリの命令をアイコンタクトで受け取る余裕など無かった。
「お前に言うことは、なにもねぇ!!」
それは一種の諦観だった。ダイが誰かを叱咤するのはその人間にわずかでも人間性が残っていることを期待しているからである。
だがソマリにはそれを感じなかった。生まれた場所が違う、それは土地の話ではなく次元の話。最初から言葉が届かないような場所に生きている人間には言葉を掛ける理由が、価値が、必要が無い。
だから、言葉よりも手が出る。そしてそれはダイの言う通り、相手が女性だろうと関係ない。
「さっさと、地獄に帰れェェェー!!」
そしてダイは、ソラが先程から呟いている譫言の意味を知った。
「ごめんなさい」
それは謝罪の言葉だった。誰に届くともしれない、そもそも届かせる相手がいない謝罪だった。虚ろな目で、真っ青な顔色で、ただひたすらに誰かに謝り続けるソラは見ていて心が抉られるようだった。
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
「ソラ、もういいよ」
彼女が誰に、どう言葉をかけてほしいのか、ダイには正解が分からなかった。それでも見ていられないから、目を逸らすようにソラの身体をゆっくり抱きしめ背中を擦って宥めた。
するとソラのモンスターボールからチルタリスが現れる。主の変わり果てた姿を見て、彼女も心が傷んでいるようだった。そしてチルタリスは【うたう】ことでソラの意識を夢の世界へと送った。
やがて心音は穏やかになり、耳元でソラの寝息が聞こえ始めた。ダイはソラからゆっくりと身体を離し、チルタリスの柔らかい身体に預けるようにしてソラを寝かせた。
立ち上がると、ダイは再度ソマリに向かって一歩踏み出した。頬を腫らせたソマリがゆっくり向かってくるダイに得体の知れない感情を察知し後退る。
しかしそんなダイの肩にそっと手を置いて、引き止める姿があった。ダイがゆっくりと振り返るとそこにいたのはステラだった。
その傍らには眠り続けているリエンの姿があり、ダイの大立ち回りの隙にケイカから奪い返してくれたようだった。傍らではアシュリーとイリスがステラの行動を見守っていた。
「怒りに、呑まれてはいけません。あなたにもその虚しさは分かっているのでしょう?」
「でも……俺は」
顔を上げたダイの表情は修羅のそれ。続く言葉は誰にも、容易に想像が出来た。でもだからこそ、ステラはダイの肩から手を離すことはせず言の葉を紡いだ。
「
ここに来てダイはVANGUARDの説明会でフライツの言葉が理解出来た気がした。到底許せない悪に対峙した時、怒りに身を任せることがどれだけ簡単かを思い知った。
だからこそ、諭すようなステラの言葉が返って突き刺さる。赦せ、とステラの口からその三文字の音が出てくるのを本能で恐れてしまう。
「あなたがゼラオラの暴走を見ていられなかったように、きっとあなたのポケモンたちもそれを望んではいないはずですよ。彼らはあなたの怒りを肯定し寄り添ってくれるでしょう、だけどそれでも、心は痛いのです」
ハッとする。そこに来て、ようやくダイにはステラの言葉が心の芯に届いた気がした。触られても痛くない、暖かい優しさが包み込んでくれるような、そんな感覚。
ダイの影の中に隠れていたゲンガーが、おずおずと顔を覗かせた。その眉、というか瞼のラインはハの字に曲がっているような気がした。ダイは無邪気な彼に暴力の片棒を担がせてしまった罪悪感に襲われた。
「そこまでにしておけ、戦えなくなられても困る」
ステラの肩に手を置いてそう言ったのはアシュリーだった。ステラも睫毛を揺らして悲しげな顔を見せるが、ダイはステラの手をそっと振り切り言った。
「いや、もう大丈夫だから。いい具合に、頭冷えたから、大丈夫」
こういった説教にポケモンを持ち出されると弱い。誰に恥を晒しても、彼らにだけは格好悪いところを見せられないダイのちっぽけな矜持が頭に冷水をかけた。
蒸発していた理性の雫が、掛けられた冷水の分だけ溜まっていく。頭が冴え、クレバーな気分になる。
そうしていると、ハートンの牽制を終えたアサツキが合流する。ダイは改めて集った戦士たちに頭を下げた。
「ありがとうございました、俺だけじゃきっと取り返せなかったと思うから」
怒りに囚われたまま奪還を試みた結果ビルから突き落とされたのだから、それは推論ではなく事実だった。故にダイは四人への感謝の念が尽きなかった。
だがそれで終わりではない。ダイたちはまだ人質を救出しただけに過ぎない。まだ相手には戦うための手札が揃っているのだから。
「ハートン、そろそろじゃない?」
いつの間にか元に戻っていたケイカが告げる。するとハートンはフードの襟元にある機械を二度叩く。そこに何かを語りかけ、数度頷くとケイカとソマリにハンドサインを送る。
動けなくなっていたソマリをギャラドスに回収させるケイカ。ハートンの隣に並び立つと、ケイカが再びフードを被った。
「グライド様、始めますよ。いいですね」
数秒してから『構わん』と通信機の向こうから無機質な声が返ってくる。それを合図に、ハートンがパチンと指を鳴らした。
しかし何も起きない。が、ダイの耳朶が何かの音を捉えた。規則的に響くその音、それは靴底が地面を叩く音だ。それも軍隊行進のように規則正しい、整然とした足音。
ダイは未だに意識のない三人をビルの陰へと潜ませ、メタモンとウォーグルに三人の護衛を任せた。そして再び大通りへ出た瞬間、目を疑った。
人、人、人、人、人。灰色の装束を身に纏った集団がビルの屋上から、飛行船から、飛行可能なポケモンから次々と降りてくる。
「あたしはこう見えて、下っ端の総括を任されててね。あたしの一声で部下が全員動くのさ」
ハートンが言う。やがて、視界にバラル団の団員服が映らない空間がなくなった。360度、全てを包囲される。路上だけでも数十人はくだらない。ビルの屋上や未だ空を飛んでいる部隊を含めれば二百人は確実にいると見ていい。それだけの数の下っ端がダイたち五人を取り囲んでいた。
「なんて数だよ……」
思わずダイが呟いた。視界に入る、圧倒的な数の暴力。その全ての目に敵意が宿り、自身を射抜いている。
「五人いるから、一人四十人くらい倒せばいけるんじゃない?」
だから、そんなことをあっけらかんと言い放つイリスに、ダイは耳を疑った。ついでに目も疑った。
だがそれを真に受けたのだろうか、アシュリーがエースであるこうていポケモン"エンペルト"を呼び出して一歩前に出た。
「なるほど、理に適っている。なんなら、誰が一番か競うか」
「PGにも骨のあるヤツがちゃんといるんだな、見直したぜ」
アサツキもまたローブシンを呼び出し、自身を取り囲む敵意に対して強気に出た。恐る恐るダイは背中を預けたステラの方へ視線を送る。
するとダイの期待通り、ステラは他三人の女戦士の言葉に苦笑いを隠せていなかった。
が、
「四十人で済めば良いのですが……」
彼女もまた別格だった。"出来ない"と否定するのではなく、"やれるか"という次元の話をしている。
五人中唯一の男ながら、ダイは情けない話味方にすら気圧されていた。だがピシャリと頬を打つと再度ジュカインと前に出た。
「戦いは数じゃない、ですよね?」
「いいや数で決まる」
「そこは肯定してくださいよ!」
ピシャリとアシュリーに言われてダイが抗議の視線を送る。だがアシュリーは自信に満ちた横顔を見せながら言った。
「だが今回は別だ」
それが合図だった。第一陣、アシュリーの方向から一斉にポケモンが雪崩込んでくる。でんき、じめん、いわ、くさ、ほのお、ありとあらゆるタイプの攻撃が迫っていた。
だがエンペルトはそれを【ふぶき】で一蹴し、あまつさえ技を放ったポケモンを一瞬で凍結させる。
「イリス、好きにやれ」
「ふふん、好きにやっていいの?」
肯定を意味する沈黙が訪れ、イリスはキャップの位置を整えるとここ一番を任せられる小さな
そしてアシュリーが凍らせ今一番陣形が崩れた場所目掛けて指差し、声を発する。
「ピカチュウ! 【10まんボルト】!」
それは一種の嵐だった。イリスを足場にして空高くジャンプしたピカチュウが空中から電撃を放ち、イリスが指差した方角を文字通り
バラル団員が、そのポケモンがまるで塵のように吹き飛ぶのを目にしてダイは目を剥いた。思えば、彼女が戦っているところを間近で見るのは初めてだった気がするからだ。
しかしダイは別のことが気になっていた。
「あの、ステラさんたちって知り合いなんですか?」
「どうして、そう思うのです?」
ダイが感じていたのは、妙な空気だ。アサツキ以外の三人が「やはりこうなったか」と苦笑いのような空気を醸し出していたからかもしれない。
するとステラは小さく微笑んで、「えぇ」とダイの疑問を肯定した。
「────少し昔、"古い
めちゃくちゃ長くなったので分割します