開戦直後、ニンフィアは息を吸い込むと衝撃波を発生させるほどの大音量で叫んだ。
その音波にも屈せず弾丸のように飛び出したゼラオラが鋼鉄の拳をニンフィアに叩きつけた。
「なるほど、【トリックルーム】の弱点を突いてきましたね」
「結果的に、ですけどね。本当にゼラオラを出す気はなかったんで」
しかし思った以上に攻撃が通用していないようだった。それもそのはずだ、ダイがミミッキュに大ダメージを与えるために使った【ワンダールーム】が今度は逆に作用してしまったのだ。
ニンフィアの高い特防の値が防御の値に置き換わってしまったため、ゼラオラの攻撃を受け止めることが出来てしまったのだ。
「大丈夫か、ゼラオラ」
一合目の攻撃を終え、バックステップで大きく距離を取ったゼラオラにダイが言葉を掛け、ゼラオラは短い鳴き声で返す。
【バレットパンチ】はフェアリータイプと戦う上で切り札にはなるだろうが、少なくとも【ワンダールーム】の効果が切れるまでは控えるべきだとダイは考えた。
いざ【ワンダールーム】が切れた時、今度は見切られても困るからだ。だが【トリックルーム】がまだ効力を持つ中、素早さにより有利に立つのはニンフィアの方だ。
「ニンフィア、【サイコショック】です!」
「このタイミングで!? 防げ、ゼラオラ!」
遠吠えにより実体化する念力が一斉にゼラオラへと殺到する。ゼラオラは鈍くなる動きでそれらを弾き飛ばし、ダメージを最小に抑える。
でんきタイプのポケモンは基本的に高い素早さを誇る一方で防御方面に難を持つ。つまりは【トリックルーム】に影響されやすいタイプなのである。
「よし、今のニンフィアは特防がそれほど高くない! 【10まんボルト】!」
ダイの指示を受け、ゼラオラが拳を打ち合わせ蒼い雷撃を地面に奔らせる。雷撃自体は素早いが、やはり撃ち出すゼラオラの方が動きを制限されているためニンフィアには簡単に見切られてしまう。
念には念を入れ、ステラはニンフィアをゼラオラへと向かわせる。
「懐に飛び込んでくるぞ!? 気をつけろ!」
「いただきます、【ドレインキッス】!」
逃げようとするゼラオラだったが、ニンフィアは身体のリボンで素早くゼラオラを雁字搦めにして身体の自由を奪うとそのまま軽く口付けをする。その瞬間ニンフィアの身体が淡く輝く。
回復吸収系の技。しかも身動きが取れない状態で受けてしまったために為す術なく体力を奪われてしまう。
「抜け出せ! そのままじゃまずい!」
「そのまま拘束をキープしてください」
ゼラオラが脱出を試みるが巧みに全身を覆うリボンを解けず、再度【ドレインキッス】を受けてしまう。せっかく【バレットパンチ】で与えたダメージを無かったことにされてしまう。
ダイが歯噛みする。彼が発するその気持ちを、音としてキャッチする人物がいた。観覧席にいたソラだ。
「勝ちたい……
そして今度はゼラオラが発する気持ちを感じ取った人物がいる。同じく観覧席にいたカエンだ。
「ダイにーちゃんの勝ちたいって気持ちが、ゼラオラに伝わってる……」
そこまで呟いたカエンが目を凝らした。さっきからゼラオラが纏わせている雷撃自体は蒼い色を放っている。だが、その中に一点の染みのように存在していた赤黒いオーラが火災現場の煙のようにモクモクと立ち上がるのを見てしまったのだ。
昨日、カエンは言った。ゼラオラは何も言ってくれない、と。
今は真逆だった。かつて無いほど、鮮烈に、自分の感情を発露していた。
「違う、
「カエンくん……?」
突然叫んだカエンにステラがキョトンとした顔をした。それはダイも同じで、二人してうっかり戦闘中の二匹から目を離してしまった。
「ステラねーちゃん! ニンフィアを引っ込めて!」
続いてカエンが叫んだが、遅かった。ゼラオラは【ほうでん】で自分諸共ニンフィアへと強い電撃を放ち拘束を逃れると後退するニンフィア目掛けてそのまま突っ込んだ。
──ダイの指示も無しに、だ。
「ゼラオラ!? 待て、ゼラオラ!」
慌てて静止を呼びかけるダイだったが、ゼラオラは止まらない。ニンフィア目掛けて【バレットパンチ】を高速で繰り出す。しかも、狂気的なまでの勝利への渇望がすべての拳を急所に叩き込ませた。【ワンダールーム】が効力を切らしていたなら、今の一撃で終わっていただろう。
「【トリックルーム】が!」
ステラの言葉通り、【ワンダールーム】上に張り巡らされた不思議な空間が儚げに終わりを告げていた。これにより、ポケモンの速度関係は元に戻る。
しかし今の勝つために最善手を自分で選ぶゼラオラは【バレットパンチ】を放つ。つまり、ニンフィアはどうあろうと先手を取れない。
「ニンフィア! 離れてください!」
「止まれ! ゼラオラ、頼む! 言うことを聞いてくれ!」
後退を指示するステラ、それに従って下がろうとしたニンフィアだったが身体が痺れて思うように回避行動が取れないでいた。
「麻痺してる!? さっきの【ほうでん】で!?」
身体中のリボンでゼラオラを拘束していたため、ゼラオラの【ほうでん】に触れる面積が多くなったことが仇となった。
逃げられないニンフィア目掛けてゼラオラが再び鋼鉄の拳を叩き込む。そして、遂に【ワンダールーム】もその効力を失った。
「一か八か、もう一度【ハイパーボイス】で!」
「ダメだ、間に合わない!」
ニンフィアが痺れる身体で再び大きく息を吸い込み肺を膨らませた。ニンフィアの特性は"フェアリースキン"、ノーマルタイプの技をフェアリータイプとして撃ち出すことが出来る。
その状態で相手全体を攻撃できる【ハイパーボイス】はまさに切り札になるだろう。
尤も、それが撃ち出せれば、の話である。
地面を這うような姿勢で飛び出したゼラオラが、息を吐き出すまさに直前のニンフィア目掛けて【かみなりパンチ】を放つ。稲妻の拳が突き刺さり、吹き飛んだニンフィアはステラの眼前で力尽きる。
選出した二体は既に戦闘不能、このジム戦はダイの勝利だ。
だがそれで終わらなかったのだ。ゼラオラの目には、まだ
「これはもう、ジム戦じゃない……!」
歯噛みするダイが拳を握り締める。ゼラオラが一歩、また一歩とステラとの距離を縮めていく。
「ステラねーちゃん! グランブルとアブリボンを出して! このままじゃやられる!」
カエンが叫ぶとそれに従い、ステラが二匹のポケモンを喚び出す。新たな敵が現れたと認識したゼラオラが再び、勝利への渇望を湧き上がらせ絶叫に近い遠吠えを行う。
グランブルが大手を振るってゼラオラを威嚇する。しかしそれは悪手であった、ゼラオラの敵対心を強く煽ってしまったのだ。
「グランブル、攻めてきますよ! 【インファイト】!」
再び飛び出したゼラオラがグランブル目掛けて拳を撃ち出す。それを受け止めたグランブルがゼラオラに決死の白兵戦を挑み、強烈なパンチの雨を食らわせる。
しかし勝利しか見えていないゼラオラはたとえ体力が尽きようと、グランブルに食らいついた。【インファイト】により防御が低下した瞬間に【バレットパンチ】が突き刺さった。
「アブリボン、【めざめるパワー】です!」
直後、石造りのフィールドが隆起してゼラオラを飲み込んだ。ステラのアブリボンが有する【めざめるパワー】はじめんタイプ、本来はほのおタイプやいわタイプやはがねタイプに対する迎撃技として覚えさせていたものだが、奇跡的にゼラオラの弱点を突く攻撃となった。
が、それでもゼラオラは止まらない。隆起した地面による拘束を先ほどと同じく【ほうでん】で散らしてしまうと、逆に飛び散った破片を足場にしてアブリボンへと迫った。
「グランブル、アブリボンのフォローを!」
でんきタイプが持つ数少ない弱点を突けるアブリボンは言わば切り札。それを守ることをグランブルは了承し、迫るゼラオラの前に再び立ちはだかる。
「【ほのおのキバ】!」
突き出された拳を再び、自分の胴を盾に受け止めるとグランブルは体内で生成した炎をキバに宿らせ、そのままゼラオラへと噛み付いた。
肉が焼けるような耳障りな音と、ゼラオラの絶叫が響く。その痛々しさに、その場の誰もが目を逸らしかけた。
「まだ、勝ちたいのか……?」
ゼラオラの咆哮の意味を知るカエンだけは、呆然とその意味を問うた。
先程から、ゼラオラはただただ「勝ちたい」と叫んでいた。普段何も喋らない彼がそこまで勝利に固執する理由はなんなのか。
「ダイにーちゃんが、勝ちたがってたから、おまえは、一緒に勝ちたかったのか」
そう、ゼラオラが望むのはダイの完全なる勝利。普段は口にしないが、主と見定めた者へ勝利を献上するための、狂気的なまでの忠心。
カエンが言葉にできない感情を覚える中、ゼラオラは再びグランブル目掛けて拳を振るう。だがグランブルもゼラオラの肩口に噛み付いたまま離さない。
しかし長くは保たなかった。やがてグランブルはゼラオラから口を離すとそのまま前のめりに倒れ込んだ。アブリボンを死守するべく、ゼラオラの攻撃能力を削ぐ"やけど状態"に持ち込んだのだ。
肩口に火傷を負ったゼラオラだったが、それでもまだアブリボンが残っていると見るなり闘争心を湧き上がらせた。
それに伴い、先程はカエンしか認識できていなかった赤黒いオーラがその場の誰もが可視化出来るような状態になる。
ダイは聞いたことがあった。故郷オーレ地方で蔓延したダークポケモンは、感情が昂ぶると"ハイパー状態"と呼ばれる一種の錯乱状態に陥る。
感情を出さない普段と違い、一つの感情に狂気的に傾倒させ特化させる。今回の場合は勝利に対して強い感情を抱いたゼラオラはあっという間にステラのエースを続けて戦闘不能にした。話に聞くのと、実際に目にするのではまるで違う。これはもはやポケモンバトルと呼べるものではない。
ただの蹂躙だ。暴虐の嵐が小さな村々を悪戯に破壊するように、一方的な破壊行動だった。
「もう一度、【めざめるパワー】!」
アブリボンが今度はゼラオラが散らした破片を操り、それを弾丸のようにゼラオラへぶつける。ニンフィア戦から喰らい続けたダメージは既に限界を超えており、さらには火傷のダメージ。通常のポケモンなら戦うことを放棄するほどだ。
地面の弾丸がぶつかろうと、ゼラオラは止まらない。一歩ずつ、確実に歩を進め、アブリボンへと接近する。
そしてグランブルから受けた炎技への意趣返しのように炎を纏わせた拳、【ほのおのパンチ】をアブリボンへと叩き込んだ。
小さな妖精はその炎をまともに食らっただけで飛行不可能なほど追い詰められてしまった。これ以上追撃を喰らえばまずい、本能で察したステラはすべてのポケモンをボールに戻した。
「ダメだ、ステラねーちゃん!」
「逃げて!!」
カエンとサツキが叫んだ。ゼラオラの目は未だ血走っている。
否、ようやく敵将への障害を蹴散らしきったのだ。むしろ、これからが彼にとって本番と言えた。
「────ゼェェェェェッッルァァァアアアアアアアアア!!!」
極大の稲妻を纏った拳を掲げ、絶叫と共にステラ目掛けてその拳を振り下ろす。誰もが目を背けた、耳を塞いだ。
しかし衝撃はいつまでも訪れなかった。ゼラオラの拳は
「な、にが」
ステラは呟くと自分がポケモンの背に乗って空を飛んでいることに気づいた、自分の下にいたのはペリッパーだ。
バトルフィールドの上に目を向けると、ゼラオラが貫いたステラの姿をした何かがボヤけた。その足元にいたのはゾロアだ、今のステラは"イリュージョン"で本物に見せかけた幻影だったのだ。
なんにせよ、本物を討ち損ねたことに気づいたゼラオラが再び【かみなりパンチ】を放とうとして突進し、ぶつかった。
電撃が周囲に弾け飛び、地面を焼く。ゼラオラの拳を受け止めた緑色の腕がそのままゼラオラを放り投げ、挑戦者側のスペースへ投げ飛ばす。
「そこまでだ、ゼラオラ」
ゼラオラの新手──ジュプトルの後ろに立ったダイが、ステラを守るようにゼラオラへと立ちはだかった。
「お前の相手は、俺だ」
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
こんな状況で有りながら、俺が思い出していたのはイズロードの言葉だった。
『せいぜい寝首を掻かれないようにすることだ』
その言葉通り、ゼラオラは今目の前に立つすべてを障害と捉えて攻撃する。
だけど同時にさっき、カエンが呟いた言葉もまた俺の頭の中で繰り返されていた。
『ダイにーちゃんが、勝ちたがってたから、おまえは、一緒に勝ちたかったのか』
普段無口なクセして、こんな時ばっか饒舌になりやがる。
「お前が俺と一緒に勝ちたいって思ってくれたのは、嬉しい。だけどな、こんなのはダメだ」
だから俺が、俺たちがお前を止める。
「行くぞゼラオラ! ジュプトル、【タネマシンガン】!」
ゼラオラは俺が立ちはだかってることよりも、目の前に敵対するポケモンが現れたことの方が重要だったらしい。即座にジュプトル目掛けて突進する。ジュプトルは種の弾丸を雨のように発射すると弾幕を張る。しかし石畳のフィールドを縦横無尽に駆け巡るゼラオラには当たらない。
「だったら、【マジカルリーフ】だ!」
即座に種の弾丸を撃つのをやめ、次いで不思議な光を放つ葉の手裏剣を放つジュプトル。葉っぱは摩訶不思議な軌道を描いてゼラオラの後を追いかける。如何にゼラオラが素早くても、当たるまで追いかけてくる葉っぱの手裏剣を無視することは出来ない。立ち止まり、【ほのおのパンチ】で手裏剣を迎撃するゼラオラ。
「動きが止まった! ジュプトル!」
ジュプトルが飛び出し、ジグザグと不規則な軌道でゼラオラへ距離を詰めると【リーフブレード】で攻撃する。それに対して【かみなりパンチ】で応戦するゼラオラ。
直後、衝撃で両者が弾かれるように吹き飛ぶが、ゼラオラは空中で電撃を使うことで体勢を空中で整え、さらにはその電撃で足場に散らばる石の飛礫を放つ。それはゼラオラを中心に放たれてしまった。
「ゾロア! メタモン! 皆を護れ!」
ゾロアの背に飛び乗ったメタモンが観覧席の前へ移動し、過去にメタモンが変身した中で一番大きな"ボスゴドラ"へと変身すると、飛んできた飛礫をすべて受け切る。ゾロアもまた【バークアウト】で迫る飛礫を散らして回避する。
「ステラさん、みんなを連れて外へ! 正直、守りながらアイツと戦える気しないです!」
ゼラオラの方を向きながら叫ぶ。けれど、ステラさんから返事が返ってこなかった。
「いいえ、私は残ります。ここで見守ります、この闘いの行方を」
「話聞いてましたか? 難しいんですよ、護りながら戦うの!」
俺が目を離している間も、ジュプトルがゼラオラの攻撃を防ぐ。返すようにジュプトルもまたゼラオラを攻撃する。
もう体力が限界のはずなのに、ゼラオラは一向に止まる気配を見せない。長期戦になることも覚悟しなければいけない。だから、ここで他の皆を護りながら戦うのは俺の集中力の限界を超えている。
「────それでも、私は貴方を信じます!」
というのに、ステラさんはそう言って芯の強い瞳で俺の目を射抜くように見つめてきた。ステラさんの強い語気を受けて、俺は一瞬そのまま硬直してしまう。
「防御は俺とイワークに任せろ!」
その時だ、観覧席に座ってたレンが立ち上がりボールからイワークを呼び出してそう言った。さらには他の皆も、自分のポケモンを出して自衛の準備を始めた。
まるで、ステラさんと一緒に俺の闘いを見守ろうとしているみたいだった。というよりは、まさにその通りで。
「負けらんねぇな、クソ……」
毒づくけど、頬は緩む。だけど気持ちまで緩めないように、頬を手で張る。そしてゼラオラへと向きなおる。
ゼラオラは目を血走らせて、俺以外のすべてを蹴散らそうと躍起になっていた。
「ゼラオラ、聞いてくれ!」
みんなのポケモンが標的にならないように、ジュプトルが【エナジーボール】で注意を自分に向けさせる。俺はジュプトルの攻撃の合間に語りかけた。
「正直、カエンから聞いて嬉しかったよ。お前が、俺を勝たせようとしてくれてたこと。お前がここまで感情を見せるなんて思ってなかったからさ」
牙を剥き、ジュプトルへ接近戦を挑むゼラオラ。ジュプトルもまた【リーフブレード】で攻撃をいなす。
「だけどな、俺はお前がそんなになってまで……お前をそんなに追いやってまで勝ちたいとは思わねぇ!!」
ゼラオラが俺の叫びに耳を傾けた。後少しだ、ジュプトルが踏み込んだ。だがゼラオラはまるで雑念を振り払うようにして頭を振ると、【ほのおのパンチ】でカウンターを放った。
殴られ、吹き飛ばされたジュプトルが俺の眼前に転がってくる。火傷は負っていないようだったが、ほのおタイプの技を直接食らってしまったために体力が大幅に減ってしまった。
「いいや、嘘吐いた。やっぱ勝ちてえわ、俺」
俺が本音を漏らすと、ジュプトルが「ふっ」とまるで人が納得したときにするような笑い方をした。見れば、ゾロアもメタモンも、ペリッパーも一緒だった。今は戦闘不能で休んでるけど、きっとゴーストも笑ってくれるだろう。
「だからさ、俺は勝ちたいんだよ。お前らと一緒にさ……
ゼラオラの動きが止まる。ジュプトルがその隙に合わせて跳躍し、再び懐に飛び込むと【ギガドレイン】でゼラオラの体力を急激に奪う。
遂にゼラオラが膝を突いた。正気が戻りだし、痛覚を認識し始めたんだ。
声を掛け続けろ、頭の中でそんな声が響いた気がした。
「お前もそう思ってくれてるんだろ、ゼラオラ。なら一緒に戦おうぜ、これはそのための第一歩だ」
それでも、ゼラオラは膝を曲げ続けたままにはしなかった。立ち上がり、俺の声がする方へ歩みを進めた。その方向にはジュプトルがいる。
仲間か、それとも敵としてジュプトルを認識しているのかはまだわからない。だけどそれでもゼラオラは極めてゆっくり俺たちの方へ向かってきた。
「前にも言ったな、俺はもっとお前のことを知りたいんだ。どんな性格で、どんなことが好きで、どんな味の食べ物が好きなのか」
しかし歩き続けていたゼラオラが再び苦しみだす。可視化出来るドス黒いオーラが、ゼラオラの正気を再び奪う。
「俺を! 俺たちを見失うな! お前のピンチに手を差し伸べるヤツらがここにいる! お前が手を伸ばせば届くんだ!! でもそれは拳じゃダメだ! 手のひらで、俺たちの手を掴め!!」
ドス黒いオーラの中にいながら、自分の拳を解き手のひらを見つめるゼラオラ。しかしもう片方の手が拳を握りそれが稲妻を纏い始める。
敢えて自分を攻撃対象にさせるためにジュプトルがゼラオラの目の前に躍り出た。一瞬正気を失ってしまえば、弾かれるようにゼラオラの身体は拳を突き出した。
「ぐあっ!!」
ゼラオラが拳に纏わせた電撃、それが飛礫を撃ち出し俺の腹部へと突き刺さるように直撃する。鈍い痛みが走り、思わず膝を突く。
「かまうな……!」
シャツとインナーを捲りあげると、ささくれ立った石の端が幾つか実際に突き刺さっていた。ぬるりと生暖かい血が垂れて石畳の上に赤黒い染みを作る。
ジュプトルが俺の目の前に戻ってくると、ゼラオラが放つ飛礫攻撃を防御する。しかしそれはゼラオラが放つジャブ、であるならストレートを防ぐ手立てが無くなる。
「ジュプトル……ッ!」
【ほのおのパンチ】で急所を突かれたジュプトルが吹き飛んでくる。このままではジュプトルは石舞台から叩き落とされてしまう。俺は痛む腹部を無視して吹き飛んでくるジュプトルの身体を受け止めるが、衝撃を抑えきれずに石階段に体勢を崩した状態で転がり込んでしまった。
「ダイくん!」
「ダイ!」
ステラさんとリエンの声がグルグルと回る。アルバやカエンの声もする。それらがまるで、ドラム式の洗濯機に入った俺に向かって順番に放たれたような錯覚を覚える。
ジュプトルごと階段の半ばまで転がり落ちる。俺は荷物から"いいキズぐすり"を取り出してジュプトルに吹き付けた。今しがた受けたダメージは回復させたものの、ハイパー状態のゼラオラの攻撃なら一撃で仕留められるだろう。
変な汗が出る。滝のように吹き出る。腹からも、生暖かい血が溢れてるのがわかる。打撲で全身が痛む。
だけどそれでも、この闘いに誰かを巻き込むわけにはいかなかった。それは、ゼラオラに誰も傷つけさせないためだ。もちろん、ステラさんのポケモンに既に怪我をさせてしまったけど、それでもこれ以上は誰も傷つけさせない。
「あっ、やべぇ……」
ついふらっと体勢を崩した、後ろ側に。ジュプトルが俺の手を掴もうとするが、届かない。
「おっと!」
「危機一髪だね……」
その時後ろからやんわりと支えられて、俺はなんとか階段を後ろ向きに転がっていくことなくその場に留まった。
アルバとリエンだった。二人が俺を支える腕に力を込めて俺をもう一度階段に立たせてくれた。
「傷、見せて」
リエンが俺のシャツを捲りあげて傷口を見る。尖った石が幾つか刺さってる上、大きな飛礫に当たった衝撃で内出血も見られた。大した怪我じゃないように見えるけど、放っておくのは危険な怪我みたいだ。
「手当はあとでいいから」
「良くないよ、だって辛いんでしょ」
「それでも、今はダメなんだ」
一歩ずつ、階段を登る。アルバが力を貸してくれたおかげで足を踏み外さないで済んでいるが、正直歩くたびに腹の傷が痛む。
と、どうやら後ろにいたのはアルバとリエンだけじゃないみたいで。アイがバシャーモを引っさげてフィールドに上がろうとした。
「アイ、手ェ出すなよ……」
「馬鹿言ってる場合じゃないでしょ、アンタはもう限界だしゼラオラはまだ健在よ」
「言っただろ、それでも俺が、俺たちがやらなきゃダメなんだ」
苦痛で顔が歪む。笑顔を見せてる余裕はない。
俺の意固地に、遂にアイが堪忍袋の緒を切ってしまう。
「なんでそこまで頑張るの!?」
「────信じてるからだ!!!」
ビリビリと空気が震える。アイはジッと俺を見つめていたけど、やがてバシャーモをボールに戻すとアルバの反対側に立って階段を上がる俺のアシストをしてくれる。こういうときは素直で、良い幼馴染なんだけどなぁ……こいつ、物言いで損するから。
「大丈夫だよ、二人共。ダイを信じよう」
「アルバ……」
なおも食い下がる二人をアルバが説得した。アルバは石舞台に俺を連れて行きながら言った。
「ダイ、言ったよね。信じてるんだって。それでいいんだ」
「ははっ、気休めか?」
「違うよ、経験だ。ポケモンを信じて。ただそれだけでいいんだ。それだけ出来れば、きっと"虹の奇跡"は起きるはずだから」
アルバの言う"虹の奇跡"が何を指しているのかはいまいち分からなかった。だけど、その時のアルバの目は嘘なんかついていなくて。
俺はつい、ポツリと心情を零した。
「
もう一度石舞台に立ち、俺はゼラオラに向かっていった。さっきに比べれば絞り出すような小声だ、だけど届くと信じる。
ゼラオラが絶叫し、特大の電撃を拳に纏わせる。あれはただの【かみなりパンチ】じゃない、俺には分かる。
「そして、俺はもう一個信じてることがある……」
光が、ジムの真上から差し込んだ。太陽の光だ、それを見上げた瞬間心地よさで思わず眠りそうになった。
だけど、寝るならこの騒動を収めないといけない。ゼラオラと一緒に、陽のあたる場所で。
「お前なら、きっとアイツを止められる。アイツの目を覚まさせることが出来るって、信じてる……」
ゼラオラが飛び出す。それに合わせて、ジュプトルもまた飛び出す。
飛び出す瞬間に、ジュプトルが俺の方に視線を送りコクリと頷いた。
そう、お前にもわかっているんだな、この瞬間が。
俺の左手のグローブリストに埋め込まれたキーストーンが一際強い虹色の光を放つ。
眩しくて、けれど目が痛くなるような光じゃなくて、陽の光のように暖かい、虹。
「だから────────」
左手を握り締め、拳に変えて、突き出し、叫ぶ──!
「────"ジュカイン"!! 【リーフブレード】ォォォ!!」
「────ジャァァァアアアアッッッ!!」
太陽の光にも負けない強い光を放ち、その姿を変えたジュプトル改めジュカインがより巨大になった腕の新緑刃を、より素早くなった速度を以て繰り出した。
ゼラオラの拳は空を切る。なぜなら既にジュカインはゼラオラの後ろにいたから。しかしジュカインが放った【リーフブレード】はゼラオラを傷つけることはなかった。
フッと、ゼラオラの身体から溢れ出ていたドス黒いオーラは跡形も消えてなくなってしまう。それに伴い、ダメージを認識したゼラオラが前のめりに意識を失うが、それを後ろから抱きかかえるようにしてジュカインが支えた。ジュカインはゼラオラを包む闇の瘴気だけを、【リーフブレード】で作り出した真空波で切り裂いたんだ。
「それがお前の、新しい姿か。かっこいいじゃん」
そう言うと、ジュカインがニッと笑って応える。震える手でポケモン図鑑を取り出すと、ジュカインをスキャンする。ジュプトルだった時とは比べ物にならないほどのステータス。
グローブリストのキーストーンは小さな輝きを放っていたが、やがてふわりと消えた。
「あー、やべぇ……ちょっと限界かも」
俺の身体も、叫んだり無茶したり血を流したりでボロボロだ。膝から力が抜けてしまう。汗まみれの顔に、砂がついて泥に変わる。けどそれを煩わしいと思う余裕もなくて。
ステラさんがペリッパーの背から石舞台の上に降り立って俺の傍に腰を下ろした。長い髪が俺の顔を擽る、淡い石鹸の匂いが心地よくて陽の光も合わせて眠ってしまいそうになる。
「すみませんでした、残念だけど……今回のジム戦、バッジは……」
いらないからゼラオラを恨まないでください、まで言葉が続かなかった。目の前が霞んできたからだ。
その時、俺の手のひらに何かが掴まされた気がする。それが何かはわからないけど、ひんやりとした小物なのはわかった。
「いいえ、貴方は私に示しました。どちらのポケモンも信じる心を。このバッジを授与するのに、十分値します。
ステラさんが俺の頭を抱えて、ハンカチで泥を拭ってくれたような気がした。
けれど、心地いい匂いと暖かさに満足して、俺は欠伸を漏らして眠り始めた。
エースが進化しました、バンザイ!