ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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VSゴースト ダイという少年

 ペガスシティの特別拘置所に収監されていたバラル団員が脱獄してからおよそ半日が過ぎた。その間、PGの捜査官たちが街の監視カメラをくまなく探し、団員たちを載せた巨大ヘリの数々が東の空へ消えていくのを発見した。ポケモン"カクレオン"の特性を応用した光学迷彩によりバラル団のヘリが姿を消し、これ以上の追跡は困難とされた。

 

 そして、脱獄したバラル団の追跡を単独で行ったアシュリー・ホプキンスはペガス署の目と鼻の先にある本庁、その中でも一層高い位置にある部屋で頭を下げていた。

 

「――以上が昨夜のバラル団集団脱獄についての経緯です。全て、私の判断ミスが招いた結果です」

 

 それを聞き流しながら、渋い顔で白い顎髭を撫でるのはポケットガーディアンズの中でも最高のランクを持つ男。

 "悪人を必ず捕らえる"という意味を込めて背負ったマスターボールの紋章がクタクタなのは、それだけ場数を超えてきたという何よりの証。

 

 名をデンゼル。些か老いが過ぎるその渋顔は次の瞬間に笑みを浮かべた。

 

「んにゃ、仕方ないんじゃないの~? アシュリーちゃん、レニアシティから飛んできてそこから各囚人の取り調べも全部やったって言うじゃない? オマケに出てきたのはバラル団の中でも指折りの実力者、不幸が重なった結果だ。気にしなさんな」

「そういうわけには……」

(やっこ)さんたちが一枚上手過ぎた。まさかこんな早くに脱獄を企てるたぁな……やっぱ、幹部のイズロードが拘置所やネイヴュの氷獄を観察するためにわざと捕まったってぇのは、あながち間違いじゃねえかもなぁ。裏付けとっての脱獄だろう?」

「だとしても、脱獄を許したのは私の責任です。しかもイズロードを目の前にしながら無様に敗北を……ッ!」

 

 アシュリーがグッと拳を握りしめ、唇を噛みしめる。悔しさに目から血が噴き出すかと思ったほどだ。そんな彼女を見てデンゼルはため息を吐いた。

 

「変わったなぁ、アシュリーちゃん。昔はもっと表情が豊かだったよ」

「……昔の話です」

「ほんの数年前だろ、どうしてそこまで固くなっちゃったかなぁ……いや、おっぱいは柔らかそうになったけど」

 

 刹那、風を切る音。アシュリーがほぼ反射で放ったストレートをデンゼルが指二つで挟む形で受け止めた。

 

「殴りますよ」

「おまわりさんが殴ってからそれ言っちゃ問題だよ~、表ではやらないようにね」

「善処します」

 

 そもそもがセクハラなのだが、アシュリーはもはやデンゼルに対して硬派を諦めている。彼女がPGに入った頃から彼の軟派癖は変わらないのだ。

 アシュリーが拳を収めると本部長室の扉がノックされる。デンゼルが入るように促すとそこに現れたのはアシュリーの見知った顔だった。

 

「失礼します、本部長」

「来たかァ、フレックスんとこの。また背ェ伸びたんじゃねえのかい?」

「お言葉ですが本部長、会う度に言われたのでは伸びるものも伸びませんよ」

 

 入室してきたのはアストンだった。入るなり飛んでくるデンゼルの冗談に苦笑交じりに応えるアストンは部屋の中ほどまで入ってから入り口を見やる。するとその奥から一人の少女が現れた。

 

「彼女は……?」

 

 アシュリーが訪ねると、少女は身につけているゴーグルを持ち上げる仕草をしながら自己紹介を始めた。

 

「どうも、アシュリー刑事。あたしはアイラ・ヴァースティン。ちょっといろいろあって、しばらくアストンさんとバラル団の調査をしてたんだ」

 

 少女――アイラは、かつてダイと共に各地を旅していたトレーナーだ。ダイを追いかけてラフエル地方にやってきたが、今はこうしてアストンと共に行動している。

 

「アストン、お前まさか民間人を巻き込んで調査を行っていたのか? 正気とは思えんぞ」

「いやぁ、違うんだよアシュリーちゃん。こっからは俺ちゃんが話すわ」

 

 半眼でアストンを睨みつけるアシュリーだったが、その言葉を遮るようにデンゼルが続けた。

 

「先日、クシェルシティのジムリーダーが襲われる事件があったろ。んでバラル団が秘伝の巻物を盗んだって話、あの直後にねぇ彼女が俺ちゃんに「PGはもっとバラル団に立ち向かうための戦力が必要だ」って熱弁してね。そんで暫くアストン警視に預けてみたってわけなのさ。そしたらどうよ、民間人って馬鹿に出来るでもなく(やっこ)さんたちの情報ポンポン拾ってくるじゃないの、これには俺ちゃんもおったまげてねぇ……そんで、彼女の言う「バラル団に立ち向かう戦力」ってのを真面目に考えたわけ」

 

 デンゼルはそこまで語ってから顔を切り替えた。それは軟派な朗らか爺さんではなく、明らかに正義のために何かを切り捨てた男の顔があった。

 

 

「アシュリー・ホプキンス並びにアストン・ハーレィ両名に特命を言い渡す」

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 夜が明けてから数時間、俺は昨夜激しい戦闘の行われた遊園地に戻ってきていた。案の定、遊園地はありとあらゆるアトラクションが凍結により損傷し、レンガには激しい爪痕がいくつか残っていたため臨時休園となっていた。

 

 見れば既に修理に来た業者やポケモンたちがせっせとメリーゴーランドの解凍、分解作業を始めたりしていた。

 そんな事件現場に俺が戻ってきたのは()()()のことをもっと知るためだった。

 

 俺は隣に立ってただただ落ち着かなそうにしているポケモン、ゼラオラに視線をやる。イズロードから渡されたこのポケモン、昨日でこそ俺の言うことを聞いてくれたが、今朝になって話をしようとしても通じなかった。

 

 ダークポケモンが戦闘に特化させるために特別な処置を施されたポケモンだということは知っていた。それほどまでに俺の故郷オーレ地方で蔓延したこのダークポケモンとは環境に根付いていた。

 戦闘になれば俺の言うことを聞き、相手を殲滅するために戦うポケモン。だけどバトル以外になると途端に今までの従順さを失くす。

 

 銃が戦争以外で役に立てないように、そういう風にされてしまったポケモン。

 

「よし、ゼラオラ。ここはな、遊園地だ。あそこにいるポケモンたちは戦う相手じゃない。ここにはお前と戦おうとしてるポケモンはいないんだ」

 

 視線の高さを合わせて話しかける。ゼラオラは俺の言葉を認識しているようだったが、何を言われているか理解はしていないみたいだ。現に拳には微量のプラズマをまとわせ、あとは作業員のゴーリキーが戦闘の狼煙を上げるのを待っているようだった。

 

「確かに、ダークポケモンは積極的にバトルすることでも心を解き放つって聞いたことはあるけど……」

 

 あの作業員の人たちにちょっかいをかけるわけにはいかないし……

 

 そうやってゼラオラと何をするでもなく、壊れた遊園地の中をこっそり歩き回っていたときだった。

 

「こら〜〜〜〜! 何をしとるんじゃ〜〜〜!!!」

 

 明らかにここの責任者らしきおじさんに見つかってしまった。責任者――園長はズカズカと近づいてくると俺に掴みかかった。

 

「怪しいな少年! さては私のパークを破壊した犯人だな!」

「えっ、違います違います! 俺はただのお客さんだよ!」

「どうだかな! 犯人は現場に戻ると言う! 一緒に来てもらうぞ、事と次第によっては警察署にしょっ引く!」

 

 げぇ、それは勘弁してほしい。そう思ってどうやって言い訳したものか考えていると俺は微かに金属がくたびれる音に気づいた。

 現在地はメリーゴーランドと噴水の間、まさに昨日イズロードとアシュリーさんが戦闘を行っていた場所だ。どこからその音が聞こえているのか、耳を済ましてみた。

 

 音の出処はすぐにわかった。頭上、この遊園地の目玉アトラクションの観覧車だった。見れば、俺達の頭上にある一つのボックス、その接続部が既にギリギリ繋がっている状況に気づいた。

 

 そして不幸にもそれは園長と俺の頭の上に落下を始めた。園長が落ちてくるそれに気づいたときは既に頭上数メートル上だった。

 

「ゼラオラッ!」

 

 短く叫ぶ。ゼラオラは拳に極大のプラズマをまとわせ、落下してくるボックスを殴って迎撃する。吹っ飛んだボックスが氷の彫刻と化している噴水を破壊する。水の循環器に纏わりついていた氷が今の衝撃で壊れたのか水がピューピュー飛び出した。

 

「ふぅ、危ないところだったな……ありがとうゼラオラ」

 

 功労者の頭を撫でて労うが、ゼラオラは「なぜ褒められているのかがわからない」という風に首を傾げた。

 しかし命を救われたはずの園長はというと顔を青く、ではなく真っ赤にして俺に向かってバクオングのようにまくし立てた。

 

「なんてことをしてくれたんだー! 噴水が……木っ端微塵ではないか!」

「え、えぇー!? いや園長を助けるためには仕方なかったんだって! 大目に見てくれよ!」

「許せん! こっちに来い! 取り調べだ!」

「うわ〜! 勘弁してくれ!! 

 

 俺の弁解も虚しく、俺は従業員棟へと連れて行かれ園長室と思しき場所に放り込まれてしまった。

 

 

 

「いや、申し訳ない。確かに君が助けてくれなかったら今頃大変なことになっていただろう」

「ごめんなさいね、お父さんが。きっとさっきは頭に血が登ってたから」

 

 数分後、園長が正座しながら俺に頭を下げてきた。これ俗に言う土下座ってやつなのでは? 

 園長の隣にいるのは園長の娘さんらしい。長い髪をポニータテールに結い上げ、エプロン姿の似合う美人さんだった。

 

「でもあなた、どうして休園の今日に来たの?」

「白状すると、昨日ここで警察の人が悪い人とやりあってるのをこっそり見ちゃって。野次馬根性で見に来ちゃったんです」

 

 嘘はついてない。警察と悪者のドンパチは目撃したし、嘘はついてない。

 お姉さんはどうやら信じてくれたみたいで、とりあえず通報は免れたみたいだ。

 

「でも、あなたのポケモン強いのね。観覧車のボックスを一撃で吹っ飛ばすなんて」

 

 ゼラオラを見ながらそう言うお姉さん。そういう風に調整されてしまったポケモン、とは言えなかった。するとお姉さんはポン、と手を打ち園長に耳打ちした。

 

「そうじゃ! その手があった! 腕のあるポケモントレーナーと見込んで君に頼みがある!」

「はい?」

 

 突然園長がまくし立てた。話はこうだ。

 

 この遊園地にはありとあらゆるアトラクションがあるが、最近特に人気の落ちてしまったアトラクションが存在するという。

 

「旋律大迷宮と言ってな、数々の名のある音楽家の霊が待ち受ける中進むというアトラクションなんじゃが……」

「なにか問題があるんですか?」

「最近、ケタケタとスタッフの物ではない不気味な笑い声がするようになったんじゃ。それを気味悪がって、誰もあのアトラクションに挑戦しないようになってしまった。そこで、腕の立つポケモントレーナーである君に調査を頼みたいのじゃ!」

 

 う……ホラースポットの調査か。何を隠そう、俺はその手のオカルトが超苦手だ。

 しかも話ではアトラクションの奥地からその笑い声がするという、ということは調査のためには実質アトラクションの制覇を求められる。

 

「あ、そっか。俺が入る間、アトラクションの機能を落としてもらえばいいんだ」

「それが……制御装置もアトラクションの中にあるから、私達も手出しができないの」

「なんてこった……」

 

 正直すげぇ遠慮したい。だけどここで突っぱねてPGに通報、とかなっても困る。

 俺はゼラオラと親睦を深めるための遊園地散策と割り切ることにして、その依頼を受けた。

 

 

 

 

 

「もう無理、吐きそう……」

 

 渡された懐中電灯は長いこと使い込まれているのか、時々明かりが強くなったり弱くなったりしている。それがまた雰囲気を助長させるんだけど。

 いっそのこと、隣を歩くゼラオラに【フラッシュ】で照らしてもらおうかとも考えた。だけどダークポケモンにはわざマシンを使うことが出来ない。

 

 したがって、俺は顔を真っ青にしながらもコンサートホールを模したアトラクションの中を歩いていた。見れば、清掃スタッフも立ち入り出来ないのか到るところに埃が積もっていたり、そもそも空気中に舞っているのが見えた。

 

「デボンスコープで元凶が分かりゃ、世話ないんだけどな」

 

 聞くところによると、デボンの競合であるカントーのシルフ社のスコープには幽霊を見る機能が付いてるとかなんとか。ただデボンスコープにはサーモグラフィカメラが搭載されてる。これで視界に入るものを温度で認識することが出来る。目の前のオレンジ色の物体はゼラオラ、それ以外は基本的に緑か青色の低温の無機物。

 

 サーモグラフィを起動しながらコンサートホールのステージに上がろうとしたときだった。青い何かが視界に入ってきた。レンズを暗視に切り替えるとそれの正体がわかった。

 絵画だ、もちろんアトラクション用のレプリカだろうが、名のある音楽家がポケモン"コロトック"の群れと音楽を奏でる一枚だ。その絵画の中の音楽家が、ギョロリとこちらを向いた。

 

「なっ!?」

 

『ゲラゲラゲラゲラゲラゲラ!!!』

 

 次の瞬間、絵の中の音楽家の身なりからは想像もできない馬鹿笑いを始めた。それに合わせて絵の中のコロトックたちが狂ったように金切り音を響かせる。

 

「うわわわわわわわわわわわわわ!!!」

 

 ゼラオラが絵画を蹴り飛ばすと笑い声と金切音は止んだが、完全にパニックに陥った俺は逃げるようにステージから舞台袖の方へ走る。どうやら舞台袖から楽屋方面へ進むのがこのアトラクションの正解ルートらしい。早いところゴールの正面玄関に辿り着いて、近くにある事務所の制御装置のスイッチを落とさないとそのうち心臓が止まっちまいそうだ。

 

 コンサートホールと違い、狭い廊下を歩く。朽ちた椅子や放置された木箱なんかがそこかしこに置いてあり、廃墟感を演出している。いや無理、怖い。

 暗視ゴーグルにしていたから気づいたが、廊下が荷物で塞がれていた。この先にあるロビーとその先の事務所に辿り着くには迂回するしかない。だけど迂回するには階段を登るしか無い。

 

 従って、俺はこのダンジョンの二階の攻略もまた強いられていた。もう勘弁して欲しい、本気で。

 

 階段を登ると今度は楽屋エリアに辿り着いた。恐らく「コンサート当日に何かがあった」って設定なんだろうか、フラスタの山が飾られていた。しかも造花ではなく生花を使ってるようで枯れ果てたその姿がリアリティを醸し出す。

 

「ほんとよく考えられてるよこのアトラクション……」

 

 衣装を着たマネキンが鏡の前に座っている。置物だとわかってても、そこにいるという存在感が返って恐ろしい。

 マネキンの前のテーブルには化粧道具が乱雑に置かれており、それが埃で真っ白になっていた。イトマルの巣も到るところにアーチを描いている。

 

「だいたい、こういうのがいきなり動いたりするんだよな」

 

 トン、とマネキンの肩を小突いてみた。当然何かがあるわけでもない。本来なら楽屋は部屋だ、そこで完結するスペースのはずだが当然ツアー型アトラクションなので壁に穴が空いててそこから隣の楽屋へ映ることで進めるようになっている。

 

「あれ?」

 

 隣の楽屋のドアを捻った。捻ることは出来たが押しても引いてもドアは動かない。おかしい、ドアノブの中が壊れてるのか。

 しばらくガチャガチャと動かして見たが開く気配は一向にない。仕方ないので元いた楽屋へ戻って、そこで異変に気づいた。

 

 マネキンが無いのだ。さっきまでそこに座っていたはずのマネキンが。

 

『ドロドロドロドロドロ!!』

 

「ぎゃあああああああああああああ!?」

 

 正しくはその部屋にはまだマネキンがいた。だがフラスタの陰に隠れていたマネキンが突然襲いかかってきた。顔の無いタキシード姿が異様に恐怖を煽る。再びパニックに陥った俺は思い切り尻もちを突いた。マネキンはなおも俺に向かってヴァイオリンとその弓を持って襲いかかってくる。

 

「ゼラオラッ!」

 

 息も絶え絶え、裏返った声でゼラオラに指示を飛ばす。ゼラオラは相も変わらず後ろ回し蹴りでマネキンを蹴り飛ばす。壁に激突したマネキンがバラバラに砕け散る。

 心臓がバクバクと早鐘を撃つ。しかし悪夢はそこで終わらない。バラバラになったはずのマネキンのパーツが浮かび上がり十字架に括られた人のようなポーズになりながらも俺に向かってくる。

 

「ひいいいいいいいいいい!!!」

 

 パーツごとに襲いかかってくるマネキンだったが、ゼラオラが身体に纏わせたプラズマを周囲に拡散させることでパーツを撃ち落とす。俺と違ってかなり落ち着いて行動できている、あまりに情けないトレーナーすぎる。

 

 元来たドアでは階段に繋がってる。下の階からではロビーに行けない。つまるところ、あの閉まっていたドアを潜らない限りはロビーには行けない。

 俺は恐怖からリミッターの外れた脚力でドアを強引に蹴破ると廊下を駆け出した。マネキンはもう追っては来なかった。

 

「び、ビビった……あれもアトラクションなのか? 凝りすぎだろ……」

 

 園長に悪態をつきながら廊下を暫く歩くとようやくロビーに出た。事前に園長からもらった地図によると確かに、目的の制御装置がある事務所は目と鼻の先だ。

 

 気をつけなきゃいけないのがここは階段を上がった先だ。手すりに気をつけないとうっかり飛び出して落っこちかねない。

 

「ん?」

 

 ふとゼラオラがピリピリとプラズマを纏っているのが見えた。何かの雰囲気を察知したのか、臨戦態勢を取っている。俺はデボンスコープを再び暗視状態からサーモグラフィに変えて振り返った。

 その時、巨大な舌が見えたかと思いきや思いっきり顔を舐められた。顔を拭った手を退けた瞬間、

 

『ギャー!!』

 

「うわああああああああああああああああああああ!?」

 

 突然壁から出てきた()()が大声を上げながら突っ込んできた。俺は思わず飛び退くがそこは手すり、気づいた時にはもう遅く俺はロビーに積まれたダンボールの山に落下してしまった。

 大量に舞う埃に咳き込みながら俺はスコープを覗き込んだ。それは明らかにポケモンでありながら温度は緑から青にかけての低体温だった。素早く暗視モードに切り替え、同時にポケモン図鑑を起動させる。

 

『ゴースト。ガスじょうポケモン。ガス状の舌でなめられると魂を取られてしまう。闇に隠れて獲物を狙う』

 

「そうか、さっきの絵画もマネキンもお前の仕業だな! おおよそ【サイコキネシス】ってところだろうが……」

 

 めちゃくちゃビビったぞ、この野郎。ゴーストは腰を抜かして落っこちた俺を見てゲラゲラと笑っている。敵性有りと判断したのか、ゼラオラが飛びかかった。

 ところがゴーストはゼラオラに襲われた瞬間、慌てて逃げ出したかと思えばロビーの隅でデカい頭を抱えて怯えだした。そしてふよふよと浮いている手を上げて降参の意を示してきた。

 

「なんだ、こいつ……」

 

 俺が呆れ返ってると襲いかかってこないことに気づいたのか、ゴーストがこっちの様子を伺うようにしていた。やがてゴーストはおっかなびっくり、【おどろかす】攻撃を仕掛けてきた。当然、相手がビビりながらビビらせようとしてくるせいで、俺も全く怖くない。ゼラオラに関しては「こいつは何をやってるんだ」とハッキリ分かる態度でゴーストを睨んでいる。

 

「う、うわー! ビックリした~!」

 

 なんだか居た堪れなくなって俺はポケウッド俳優も真っ青になるほど迫真の演技で驚いて見せた。するとゴーストはさっきまでの挙動不審が嘘みたいにまたしてもゲラゲラ笑い始めた。

 これで確信した。こいつ、ただいたずら好きなだけだ。ところがこのアトラクションに参加する客がいなくなって、驚かす相手をずっとここで待ってたんだな。

 

「とりあえず園長にはこいつが原因だって知らせるとして、どうしたもんか……」

 

 戦うつもりのないゴーストを無視して事務所に入り込む。チカチカと点滅している制御装置の電源をオフにする。電子施錠は動かなくなる代わりにマスターキーで建物の点検が出来るようになるはずだ。

 デボンスコープを外して正面玄関から表へ出る。久方ぶりの太陽の光が眩しくて目を開けてられなくなった。やむなく俺は普段から装着してるゴーグルを掛ける。

 

 とりあえず、園長に報告からかな。

 

 

 

 

 

「――で、どういう状況なの」

「いやまぁ、なんか懐かれちゃって」

 

 そう言って俺は唾液でベロベロになった頭の上を指差す。そこにはさっきのゴーストがいて、俺の頭に噛み付いている。噛み付いてても痛くないけど、図鑑の説明によると俺魂を吸われてるのでは……? 

 園長とアトラクションの不調の理由を説明していると、園長の娘がお茶を淹れてくれたらしく園長室にトレーを持って現れた。

 

「あら、ダイくん戻ってたのね……って、あら?」

「このゴーストがアトラクションの中でお客さんを怖がらせていたんだ。こいつとしてはただイタズラをしてただけなんだろうけど」

 

 説明するが、どうやらお姉さんはこのゴーストに見覚えがあるみたいだった。ゴーストも、彼女のことを知っているようでようやく俺の頭から離れた。

 

「やっぱり。随分前に怪我をして流れ着いたあのゴーストだわ。すぐどこかに行っちゃったと思ったけどアトラクションの中にいたのね」

「お前が言ってた手負いのゴーストだったのか。しかしなんでアトラクションの中に……?」

「こいつ、"むじゃき"な性格ですからね。きっと恩返しがしたかったんじゃないかな、ロビーで戦いになったときもこいつは襲いかかってくる気は無くて、ただお客さんをビックリさせたかっただけなんだと思う」

 

 その割には些か気合い入りすぎてて心臓止まるかと思ったけどな。

 しかしゴーストはお姉さんから離れると再び俺の頭を舐め回しにかかった。なんか寒気がする、頭痛もだ。

 

「よっぽどダイくんの驚きっぷりが気に入ったのね」

「いっそのこと連れて行ったらどうだい? 手持ちには空きがあるんだろう?」

 

 それは考えてなかった。頭にくっついてるゴーストを引っ剥がして目を合わせる。これを連れて行くのか……正直、今はゼラオラのことで精一杯だとは思うんだけど……

 

「俺、一応ジム制覇を目的に旅をしてるんだけど、お前ちゃんとバトル出来るか?」

 

 尋ねてみるとゴーストは三つしか無い指の恐らく親指に相当する指をグッと立てて見せた。やる気は十分みたいだな。

 俺はゼラオラを除く手持ちを全て喚び出す。メタモンとゾロアはジュプトルのときがそうだったように、ゴーストの姿になって新入りの歓迎をする。仲良くやっていけそうだな。

 

「本当にいいのか? お前、ちゃんとしてればここの名物アトラクションになれるんだぞ?」

「まるで今の"旋律の大迷宮"が名物じゃないみたいな言い草じゃな」

 

 園長の視線が痛いが無視する。ゴーストはむじゃきな割に、一度決めたらやり通すつもりみたいだ。そうじゃなきゃ、怪我の手当でホラーアトラクションの手伝いなんかしないだろう。

 何より俺も、着いてきたいというポケモンを無碍にする気にはならない。空の、最後のモンスターボールをゴーストの前に出す。ゴーストは指先でボールの開閉スイッチを押し込み、自ら中に入る。

 

「ゴースト、ゲットだぜ」

 

 捕獲を意味する輝きをボールが放ち、俺はそのボールからゴーストを再び出す。嬉しそうに俺の頭の周囲を飛び回るゴーストを見て、ジュプトルもゾロアもメタモンも楽しそうだ。

 そしてそんな光景を、ボールの中から珍しそうに眺めるゼラオラもまたそこにはいた。

 

「それじゃ俺はそろそろ行きます。友達が待ってると思うんで」

「まぁまぁ待ちなさい若人。最初こそ怪しい奴だと思ったが取り消そう。君は立派なポケモントレーナーだ、そこでこれをプレゼントしよう」

 

 そう言って園長が持ってきたのは"旋律の大迷宮"内部ほどじゃないけど、それなりに埃を被っていた折りたたみの自転車だ。

 

「旅をするなら必要じゃろ? わしが社内ビンゴでもらったのじゃが、サドルを下げても足が届かなくてな」

「いいんですか? もらえるものは基本的に全部頂戴するので、返せって言っても返しませんよ」

「意外とガメつい性格じゃな……」

 

 苦笑する園長をよそに、もらった自転車を展開、乗ってみる。身体にちょうどいい、色も白とオレンジで俺好みだ。

 

「気をつけてね、怪我しないように。ゴーストもよ?」

 

 お姉さんに言われる。ゴーストは別れを惜しむようにお姉さんに抱きついていたが、やがて俺の隣に戻ってくる。

 園長と娘さんに見送られながら俺は遊園地を後にする。太陽が真上から少し傾いた頃、まだ夕方と呼ぶには早い時間だ。

 

「さて、どうしたもんかな……」

 

 ライブキャスターは今電池が切れてる。かといって充電するにはポケモンセンターが必要だ。でもポケモンセンターを扱うにはトレーナーパスがいる。

 ところが俺の荷物にはトレーナーパスがない。恐らくレニアシティのポケモンセンターに置かれっぱなしの可能性が高い。

 

「ってことは、ひとまず北上して"ラジエスシティ"にあるレニアシティ行きのケーブルカーで山に戻るか……」

 

 壊れたケーブルカーはサンビエタウン方面だし、ラジエスシティ側のケーブルカーは動いているだろう。ポケモンセンターを利用できない以上、不必要なバトルは避けないとな……

 ポケモンたちをボールに戻すと俺はペガスシティ北部目指してペダルを踏み、走り出した。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 その頃、薄暗い森の中に鎮座する研究所廃墟。その中にある部屋の一角で、イズロードは査問に掛けられていた。

 

「聞かせてくれイズロード、なぜ不安要素を取り除かなかった」

()が気に入ったから、では説明にならんか」

「わかっているのなら答えろ、悪戯に尺を稼ぐな」

 

 対面に座するは、組織のナンバー2。生きていながら、まるで人形のような男だ。イズロードは常に彼をそう評価していた。

 名をグライド。主である、バラル団頭領(ボス)の忠実なる下僕。彼のためならば恐らく作戦で命を懸けろと言われれば自分が死ぬまで、あるいは死んだとしても命令を遂行するだろう。

 

 その瞳には意思がない、されど怒りはある。

 

「なぜ、我々の邪魔をするあの少年を、見逃した? あまつさえ、貴様が保持するポケモンまで」

「あれは俺のポケモンではない。そしてお前と違い、俺はあまねく全てのポケモンをより良い未来へ導くために動いているのだ。バラル団にいるのはその理念に共感したからだが」

 

 その心に彼はいない。されど怒りがある。

 

「そのポケモンたちの未来のために、バラル団の障害、その芽を摘まなかった貴様の独断について私は憤しているのがわからんか」

「大木を薙ぎ倒してこその悲願成就だ。お前はまだ弱い相手に勝って嬉しいのか? グライド、思うにこの話は平行線を辿るぞ」

「あぁ、そのようだ。貴様を矯正せねば、あの御方に顔向けできない。貴様のような男にその席を預けた私を、私は許せない」

 

 直後、グライドの背後に竜が現れ、鬨の声を上げる。ドラゴンポケモン"ボーマンダ"、暴力の化身は主の意に従いイズロードに向け咆哮、威嚇する。羽撃きの風圧で会議室のボロボロのカーテンが揺れる。

 ボーマンダがその両手にエネルギーを纏わせる、【ドラゴンクロー】だ。しかしイズロードはポケモンを呼ぶことすらしない。

 

 竜が吠え、そのツメをイズロード目掛けて振り下ろす。イズロードは瞬きすらしない。

 ピタリと、その攻撃が眼前で止まる。無表情の仮面の下に憤怒を隠しながら、グライドは放った。

 

「どうした? 矯正は終わったか、グライド」

「あの御方が貴様を買っているのは事実だ。であれば、私が貴様を処断するのは忠義に値しない」

「随分利口な犬だ。さぞ良い首輪をもらったのだろうな」

 

 同じ組織に与していながら、二人の息が合うことはない。イズロードはポケットからモンスターボールを取り出すと、中に入っていたマニューラとクレベースをリリースした。

 青白い光は、ポケモンを野生に逃した証だ。

 

「すまなかったな、狭苦しいところで苦労を掛けた」

 

 ポケモンを労うイズロード。しかしマニューラもクレベースも別段気にしていないようだった。仮にも、両者の関係はポケモンを持たないポケモントレーナーと野生のポケモンである。

 双方に存在するのは利害とそれに付随する絆だけだ。モンスターボールに頼らずともポケモンの全力を引き出すその手腕こそ、バラル団幹部にして強襲部隊を纏め上げる実力者の証明。

 

 

「――お取り込み中失礼しますわ。ここの壁は薄いので、もう少しボリュームを考えてくださると助かるのですが」

「ハリアーか……」

 

 突如二人の間に割って入ってきたのは長いまつ毛を儚げに揺らす女性だった。彼女もまたバラル団の幹部、その名をハリアー。バラル団幹部の中では実働補助と参謀の役割を持っている。

 彼女もまた、笑っているように見えるがその実全く笑っていない。まるで産声を上げたことのない、感情の起伏が存在しない全くの平坦。

 

「そんなに不安要素が気になるなら、うちの班の部下を動かしましょうか」

「彼女か……一度始末に失敗したと聞いているぞ」

 

 彼らの言うハリアーの部下とは、バラル三頭犬(ケルベロス)と称される班長の一人、『妄執』のコードネームを持つ"ケイカ"だ。彼女は二度、グライドが言う不安要素と接触している。

 二度目は目標物の奪取が目的だったため、気にすることはないが一度目は様子見で終わったと聞く。

 

「あの子は飽き性ですもの、次はありません」

「そうか、だが念には念を入れる。イズロード、貴様の部下も動かせ」

「仕方ないか。"ソマリ"と"ハートン"を行かせる」

 

 強襲部隊から二人の班長を動かし、実働補助としてケイカが動く。現状、ただのトレーナー相手なら十分に足りる布陣。

 

「だがなグライド、彼は恐らくこの壁すら乗り越えるぞ」

 

 グライドの確信をよそに、イズロードが水を差す。無表情に再び怒りが灯ったその時だった。

 

 

「――――ンハハハハ! イズロード、手前相当そのオレンジ色の小僧を買ってるな」

 

 

 ハリアーの後ろから現れたのは、幹部衣装を身に着けずクタクタのワイシャツ姿の男。この幹部陣の中では比較的感情が見えやすい男、名をワース。

 だが、感情が見えやすいがそれが正しいとは限らない。その実全く別の感情を抱いている可能性すらある。例えるなら、ポーカーフェイス。

 

「あぁ、お前の眼鏡にも適うと俺は見てるが」

「どうだかなぁ。お前らの話で買ってるのは以前ネイヴュでルカリオをツールなしでメガシンカさせたPGの嬢ちゃんと、それからハルザイナの森でも同じ状況を作り出したバンダナの小僧くれぇだ」

 

 それを超える逸材でなきゃ、値打ちにはならない。ワースは薄ら笑いを浮かべていった。

 

「だが、手前がそこまで言うんだ。いいぜ、査定()てやるよ」

 

 金勘定を役割に持つワースは独特の表現を用いて、その旨を表明した。こめかみを抑えながらグライドが総括する。

 

「纏めるぞ。ワース、貴様がイズロードとハリアーの部下を連れて不安要素の駆逐を担当しろ。イズロード、貴様はクロックと共に新規団員にここの規律を叩き込め」

「お前はどうする」

 

 

「私は、裏切り者の始末をつける。あの御方の理念を理解しない不届き者など、この地に根を下ろすに相応しくない。徹底的に排除する」

 

 

 そう言ってグライドは一枚の写真をテーブルの上に放った。それを見て、イズロードとハリアーは目を瞬かせ、ワースは一泊置いて大笑いする。

 写真に写っていたのは二人組の男性。

 

 

 今はアイドルデュオとして活動している、元バラル団の団員だった。

 

 


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