ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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ジム戦、決着。



VSゲッコウガ 高みへ

 

 ――――絶望的な状況ほど覆し甲斐があると思ってた。

 

 

 ボクの眼の前で繰り広げられるバトルはまさにそれだ。ダイのポケモンが善戦し、数のアドバンテージを取った直後の事。サザンカさんのゲコガシラが、ダイのペリッパーの水を利用して進化の力を溜め込んでいた。そして再び思い知らされる、数の力。【かげぶんしん】を使って空を覆い尽くすばかりのゲッコウガが放つ【みずしゅりけん】が濁流のごとくペリッパーを飲み込んだ。

 

 数の差はタイ、だがゲコガシラがゲッコウガへと進化するというダイにとってこれ以上無いイレギュラー。ボクがあの場に立っていたなら、どうしていただろうか。

 膝を屈していただろうか。それとも、いつものように燃え上がっていただろうか。

 

 だけどダイはボクじゃない。昨日の今日だ、ダイにとってもこのイレギュラーは相当メンタルに来るはずだ。

 

 いや、だった。少なくともボクの知ってるダイならここで諦めていたかもしれない。"ユンゲラーも匙を投げる"という諺があるように、幾ら意気込みがあったとしても投げ出してしまいたくなるはずだった。

 

 ダイは至って冷静にポケモン図鑑を取り出しすぐさまゲッコウガをスキャンした。ここからでは図鑑の音声が聞こえてこない、だがそれはダイがまだやる気だという何よりの証拠だった。

 

「ゲッコウガ! 【くろいきり】!」

 

 先に動いたのはサザンカさんだった。素早く印を結んだゲッコウガから発せられる漆黒の靄が陰り始めている空に掛かり、陽の光を完全にシャットアウトした。そうだった、今この場では少しずつだけど雨が振り始めている。水場のフィールドに雨天、みずタイプのポケモンがくさタイプのポケモンとのタイプ相性を覆すのにこれ以上無い好条件だ。

 

「【つじぎり】!」

「仕掛けてくるぞ、ジュプトル!」

 

 ダイの言葉を受けてジュプトルが防御態勢を取る。ダイのジュプトルは優れた【みきり】を使うことが出来るけど、それは相手が見えている……つまり予備動作が見えている時に限る。暗闇のヒットアンドアウェイをジュプトルが捌けるかと言う問題に対してダイが取ったのはひたすら防御を重ねること。クラブを戒めていた【やどりぎのタネ】はクラブが戦闘不能になったことで既に効力を失っている。急所を突かれてそのままノックアウトという最悪の事態も考えられる。

 

 靄の中のジュプトルの影が動いた。ボクには見えないけど、恐ろしく素早いスピードでジュプトルの急所を狙っているようだった。だけどジュプトルはそれを丁寧に防いでいるようだった。

 

「雨が本降りになってきた……!」

 

 ボクの隣でリエンが呟いた。その隣にふよふよと浮かんでいるプルリルが心地よさそうに雨を受けている。雨が徐々に強くなり、それが黒い靄を晴らしてくれる。だけど、湖に浮かぶ水上都市であるクシェルシティの水かさが上がるということは、それだけサザンカさんが操る大自然の力が増すということでもある。

 

「恵みの雨、利用させていただく。ゲッコウガ、【みずしゅりけん】!」

 

 ゲッコウガの手の中に水が集中、それがゲッコウガの背丈ほどもある手裏剣と化す。どういう力で束ね上げられているのかはわからない、ただわかるのはあれが直撃すればジュプトルでもやばいということだった。

 

「――――ッ!」

 

 短い吐息、ゲッコウガが裂帛の気合いを目で放ちながら手裏剣を投擲する。ジュプトルはそれを身を屈めて回避、後ろへ逸れた手裏剣がダイのすぐ真横に浮かんでいるペリッパーの眼の前に着水して大きな水しぶきを上げる。だがゲッコウガの攻撃はそれで終わりではなかった。

 

「二撃目!?」

 

 そう、ゲッコウガの手の中には既に次の【みずしゅりけん】が装填されていた。それだけじゃない、もう片方の腕にもゲッコウガ大の手裏剣が収まっている。奇しくも、ダイのジュプトルが使う【タネマシンガン】と同じ連続攻撃が可能な技! しかも水上フィールドと土砂降りの雨。手裏剣はみるみる水を吸収して巨大化していく。

 

「――――のむ」

 

 ぽつりと、雨の中に佇むずぶ濡れのダイが呟いた。ボクはルカリオを呼び出して、一緒に耳を澄ました。ボクには聞こえなかったけど、ルカリオにはそれがわかったようだった。そっと耳打ちしてくれるルカリオの言葉はダイの正気を疑うものだった。

 

 

 

 ――――頼む、まだ止まないでくれ!

 

 

 

 それはこの土砂降りに対しての懇願。どう考えても雨が止んだほうがジュプトルにとって、ダイにとって都合がいい。

 にも関わらず、この雨に対してダイは祈りを続けていた。

 

「どういうつもりなんだ、ダイ……もしかして何か策があるの?」

 

 ボクの一人での呟き。それに応えたのは、先にこの戦いを観戦していたダイの友達、アイって呼ばれていた女の子だった。

 

「あいつ、ちょっと大胆になったよね。いつもなら、とっくに諦めてるところだよ」

「そう、だね……いつものダイなら匙を投げてたと思う」

 

 彼女はダイの戦い、ジュプトルとゲッコウガの一進一退の攻防を見つめていた。ジュプトルは【リーフブレード】による攻撃、ゲッコウガは進化前から行っている水を手中に固定して行う【いあいぎり】での応戦。

 ただ【みずしゅりけん】同様にゲッコウガの手の中のクナイは水で構成されている。雨が振っている今は、まるでちょっとした小太刀ほどの大きさ、リーチで言えばジュプトルの腕の刃より僅かに大きいくらいだ。

 

「畳み掛けてください!! 【つばめがえし】!」

「こっちもだ! 【つばめがえし】!」

 

 次の瞬間、ジュプトルの右腕から放たれるのは三つの剣閃、ゲッコウガも小太刀となった水を同時の速度、バラバラの角度から、同じタイミングで繰り出す。計六つの斬撃が一箇所に向かって叩きつけられ、彼らの周囲の水が大きく弾けた。

 

「まずいよダイ! ゲッコウガは未だ"へんげんじざい"だ!」

 

 思わず叫んでしまう。ダイもそれは承知の上なのか、頬の上を雨水なのか汗なのかわからない液体が滴り落ちた。

 "へんげんじざい"、今から使う技を十全に扱えるようポケモンが自身のタイプを変質させる特性。問題は、ダイのジュプトルが撃てるリーサルウェポンは軒並みひこうタイプに相性が悪い。くさタイプはもちろん、上手いことぶち当てた【かわらわり】もそうだ。

 

 だけど、それはダイも承知の上だったのか、口角が持ち上がっていた。ボクはハッとした、リエンもアイも気づいていたみたいだ。肌の色が空色になったゲッコウガの手に集まる水が一気に膨張し、破裂した。ゲッコウガがみずタイプだったからこそ受けられた恩恵が受けられなくなったんだ。

 

「チャンスだけど、依然ピンチだね……」

「うん、ゲッコウガはひこうタイプ。ジュプトルから与えられる有効打は一つとしてないし……」

 

 チャンスだけどピンチ、リエンの言う通りだ。確かにみずタイプじゃなくなったゲッコウガは水上フィールドと雨の恩恵を受けられなくなった、けどダイのジュプトルはひこうタイプに対して有効な、いわタイプやこおりタイプの技が使えるポケモンじゃない。厳密には覚えることは出来るはずだけど、今この場では絶望的だ。

 

「逆に言えば、ゲッコウガがひこうタイプから変化した瞬間が最大のチャンス……!」

「だけどそう都合よくサザンカさんがゲッコウガのタイプを変えるなんて……」

 

 ゲッコウガは依然俊敏な動きでジュプトルを追い詰めていく。澄んだ空色の水で作られた刀がジュプトルに迫る。振り下ろされた刃を避けるも、返す刀が駆け上ってくる。

 まさに【つばめがえし】、忍じみた格好からは想像もつかない達人の太刀筋だった。いかに【みきり】が扱えるジュプトルと言ってもさすがに連続で見切り続けていれば、読みが甘くなる。

 

「ジュプトル! 下がれ!」

 

 ダイが叫んだ。けれどジュプトルは下がろうとせず、ゲッコウガに食らいついた。【リーフブレード】を放ち、ゲッコウガが攻撃に出られないほどの強烈な斬撃を浴びせ続ける。攻撃は最大の防御、とは言うが少し熱が入りすぎだ。サザンカさんが指示するまでもなく、再び【つばめがえし】でジュプトルに三点同時攻撃を叩きつける。

 

 だけどその時、ようやく土砂降りの雨の勢いが弱くなり始めた。これでゲッコウガがみずタイプに戻ったとしてもさっきのような水の勢いは出せないはず。

 

「そろそろか……! ジュプトル、()()()下がれ!」

 

 その言葉を受けたジュプトルがゲッコウガの剣戟をなんとか受け流しながらバックステップで下がる。本当に……? さっきの下がれはブラフだったってことか……?

 ボクの疑問はすぐに解決した。そしてボクは理解した、なんでダイが雨天が長続きするように祈っていたのか、それは彼の足元に最大のヒントがあったんだ。

 

「今だペリッパー! 【れいとうビーム】!!」

 

 ジュプトルが高く飛んだその時、ダイの足元でぐったりしていたはずのペリッパーが蓄えた水を一気に冷気に変えて打ち出した。ビームと言うよりは飛礫に近い感じではあったものの、ひこうタイプであるゲッコウガに対して、これ以上無い有効打!

 ゲッコウガが大きく目を見開いた。直後、ガラスが割れるような音を立て続けに慣らしながらゲッコウガに氷の光線が着弾する。ゲッコウガから逸れた光線は着水した瞬間パキパキと音を立てて水上フィールドを氷上に変えた。

 

「なんでペリッパーが……!? まさか、あの雨は……」

「ッ、【あまごい】か! だけど、いつ……?」

 

 ボクとリエンが口々に疑問を口にする。ダイが雨天の延長を望んでいた以上、あの雨を降らせたのはたぶんペリッパーだ。その問いに答えを出したのはアイだった。

 

「ゲコガシラがゲッコウガになった瞬間だわ。あの時、【みずのはどう】を撃たせる直前……普通は【みずのはどう】の威力を雨で底上げするには間に合わない。だけど、ダイのペリッパーは……」

「そうか"あめうけざら"! 戦闘不能に見せかけて、雨で少しずつ体力を回復させていたんだ」

 

 だからダイはペリッパーをボールに戻さなかったんだ。戦闘不能寸前に倒れたフリをしていたから……!

 

「この一撃を狙ってたんだ……ひこうタイプになったゲッコウガを倒すための切り札。本命はペリッパーの方だったのね」

 

 真正面から不意打ちで弱点攻撃を喰らったゲッコウガは膝を突いている。そして数のアドバンテージを取り戻したダイに勝機が舞い込んでいた。

 

「いける、いけるぞジュプトル! ペリッパー!」

 

 ダイが叫ぶ。今までずっと耐え続けてきた分、チャンスがやってくれば気分が高揚し、それがポケモンたちに伝播する。ジュプトルも、ギリギリながらに起死回生の一撃を放ったペリッパーも強気な表情を浮かべていた。しかし、誰よりも笑みを浮かべていたのは相対しているサザンカさんだった。心から楽しそう、もしくは熱くなっているような、普段の彼の評判からは想像もつかないような快晴の笑み。

 

「よもや、君がここまでのビッグウェーブとは……ッ!」

 

 サザンカさんの気持ちが伝わったのだろう、ゲッコウガは自力で自身を蝕む氷を打ち砕いてバックステップで彼の元へと戻った。アイコンタクトだけで通じ合う彼らが頷き合う。ゲッコウガの目は、サザンカさんに「まだやれる、まだ立っていられる」と短く、だけど確実に伝えていた。ルカリオの補助がなくても、それくらい分かるほどにゲッコウガの眼力は強かった。

 

 次元が違う。今まで見てきたどの戦いよりも、知略と精神、そして肉体を駆使した名勝負!

 

 ポケモントレーナーなら、昂ぶっても仕方がない!!

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 観客席で一人ウッキウキのアルバを視界の端に捉える。確かに、あいつが好きそうなシチュエーションかもしれない。けど案外自分が直面してみると分かる、一つ一つが絶対に間違えられない難問でその答えを瞬時に叩き出さきゃいけないプレッシャー。

 

 目の前で小さな背中張ってくれる奴らのためにも、ここでオタオタなんかしてられない。カラカラになった喉が張り裂けそうになる、けど構わずに叫んだ。

 

「ジュプトル! 決めに行くぞ!」

 

 ジュプトルの咆哮が届く。駆け出したジュプトルの足に合わせて、足元の水がバシャバシャと音を立て、波を起こす。ゲッコウガもまた立ち上がると、たんと小さく水を蹴ってジュプトルとの勝負に応じた。【いあいぎり】だ、もはやサザンカさんの指示がなくともゲッコウガはジュプトルを迎え撃つことが出来ていた。

 

 いや、サザンカさんは指示を声に出していないだけだった。彼は、ゲッコウガの後ろで右手を繰り出していた。次の瞬間、ゲッコウガが右手に持ったクナイを突き出す。ジュプトルがそれを左のヒレで受け流す。続いてサザンカさんが左手を掬い上げるようにして放つ。するとゲッコウガが左手のクナイを、滝を割るように繰り出した。

 

「君という大波を目の前にして、ボクは思い出した。日々の鍛錬を、心を通わせたい相手と日頃同じ動きを繰り返し続けてきました。相手の真似をするのが理解の最適解であると信じ続けて。"天衣無縫"、ボクにとってこれがニュートラルな力の使い方。そして之が、クシェルシティジムリーダー・サザンカが生み出した奥義"泰然自若"!!」

 

 張り上げられた声が、プレッシャーとして俺に襲いかかってきた。ビリビリと水が震え、水から足に移った震えが俺に膝を突かせた。次の瞬間だった、サザンカさんが舞踏するように発勁、拳、手刀を連続で繰り出した。その動きをノールックで感じ取ったゲッコウガが今までの速いだけの攻撃からサザンカさんとまるで同じ動きを繰り返し、ジュプトルに襲いかかった。

 

「なんだあの動き……! どっちがどっちの真似をしてるのかパッと見わかんねぇ!」

 

 最初から、そう仕組まれてると言われたほうがまだ理解できる。サザンカさんの動きとゲッコウガの動きが完全にリンクしていて、尚且そこにタイムラグはない。そして恐ろしいことに攻勢はさっきよりも緩いのに、ジュプトルが攻撃を捌ききれずにいた。

 

 俺も、ジュプトルも、目の前の相手の動きが読めない。ジュプトルの【みきり】は相手の予備動作から攻撃パターンを察知する。だから動きがゆっくりであればそれだけ読みやすいはずなんだ。

 それが出来ないのは、()()()()()()()()()()()()()()()からだ。

 

「サザンカさんが動く、それに合わせてゲッコウガが動く。ゲッコウガに身体を動かしてるっていう感覚がないんだ」

 

 鞄の中からデボンスコープを取り出して装着する。思ったとおり、ゲッコウガの身体には力が全く入っていない。完全にサザンカさんに身体を明け渡してると言っていい状態だった。

 サザンカさんの動きさえ読めれば、反撃のチャンスが見えてくる――!

 

 だがその時だった。

 

 刀を携えたような動きをサザンカさんが行った。すり足移動、足首から下が水に埋まっている以上音が立つのが普通。だのにサザンカさんはまるで顔を洗っているのと同じような最小限の音しか鳴らさずにゲッコウガに進言を指示する。水面ギリギリの前傾姿勢から弾丸のようなスピードで飛び出したゲッコウガが下から掬い上げるように手に持った水の刃を奔らせた。

 

「懐に入れるな!」

 

 ダメだ間に合わない! 迎撃を指示しようにも舌が周らない! 

 ジュプトルは一度下がろうとしたが下がるために踏み込んだ瞬間にはもう懐に飛び込まれることを予測。慌てて下から襲いかかってくる水の刃を受け止めようとした。だが、

 

 見えていた晴れ間にサッと影が射した。あまりの素早さに一瞬スバメかオオスバメかと思ったけど違った。それはゲッコウガの【つばめがえし】を食らって空を舞ったジュプトルだった。

 

「ジュプトル!」

「まずいこのままじゃリングアウトだ!」

 

 アルバが叫んだ。ジュプトルはあのままならば確実にこの水上闘技場からはみ出し湖に落下する。そうすればリングアウトと見なされ、戦闘不能扱いになってしまう。

 

「ペリッパー頼む!」

 

 既にフラフラのペリッパーが頷き、羽撃くとジュプトルが場外に飛び出る前にそのクチバシでキャッチする。アルバとリエンがホッと息を吐いた瞬間、轟音が俺たちの耳を襲った。

 轟音の正体、それはサザンカさんが震脚で足元の水を割った音だった。闘技場の岩肌が露出し、サザンカさんとゲッコウガが同時に地面を穿った。

 

 

「【いわなだれ】!!」

 

 

 喉から悲鳴が出ていきそうになった。俺の身の丈半分あれば良い方のゲッコウガが地面を穿ち、砕かれた闘技場の地面が大きな瓦礫となってそれが空へと舞い上がった。

 十全のペリッパーなら兎も角、"あめうけざら"でギリギリ動けるところまで回復したペリッパーに回避は無理だ……!

 

 遠くでリエンの息を呑む音が聞こえた。アルバの嘆くような声が聞こえた。

 

 

 ――――ペリッパー!

 

 

 あのギャラリーの中で唯一俺とペリッパーの馴れ初めを知っている、アイの叫びが聞こえた。

 

 次の瞬間、水上にドボドボと音を立てながらペリッパーを巻き込んだ瓦礫が積み上がった。痛いほどの沈黙。

 

 無意識に拳を握りしめた。

 

 積み上がった瓦礫の山、下敷きになった二匹の反応はない。

 

「そんな……」

 

 ここまでか、俺は……ッ。

 

 これが俺たちの限界なのか……!

 

「勝負あ――――」

 

 勝負ありましたね、サザンカさんがそう呟こうとした瞬間、再び臨戦中のキッとした顔に戻った。彼の反応に、俺もようやく気がついた。

 瓦礫の山に向かって、水が流れ込んでいた。足首から下が水に浸かってなければ気づかなかったかもしれない。だけど確かに、確実に瓦礫の山が水を吸い込んでいた。

 

 

 次の瞬間、破裂音にも似た爆砕音が瓦礫の山を吹き飛ばした。水の勢いは瓦礫の硬さを上回り、粉々に砕け散った瓦礫が俺に方へ飛んできた。俺の額、お気に入りのゴーグルのど真ん中に直撃する破片。

 

「ダイ!?」

 

 額を撃たれた俺は気がつくと尻もちを突いていた。そしてゴーグルの真ん中が真っ二つに割れ、はらりと俺の目の前を落下していった。ジワジワと額に痛みが奔る。

 だけど痛みから、眼の前から目を逸らすなんてことは、絶対にしなかった。

 

「いけえええええええええええええええええええええッッッ!!!!」

 

 飛び散る瓦礫の中、鋭い眼光がゲッコウガに向いていた。瓦礫を吹き飛ばした水圧、それは瓦礫に呑み込まれたペリッパーが【たくわえる】で溜め込んだ水を【ハイドロポンプ】で撃ち放ったものだった。

 そしてペリッパーの口の中に匿われていたジュプトルが、【ハイドロポンプ】を背に受け弾丸のように飛び出した。

 

 瓦礫を吹き飛ばし、ジュプトルに最大限のアシストをしたペリッパーは今度こそ力尽きた。だけどその顔は非常に安らかで、思わず溢れ出た涙が視界をボヤけさせた。

 信じて、繋いでくれた。限界だったはずなのに、弱点のいわタイプの攻撃からジュプトルを庇い立てて直撃したはずなのに、ペリッパーは最後まで勝つために、ここまで繋いでくれた。

 

「勝つぞ!! 勝つ!!! 絶対に!!!」

 

 額から流れ出る血と、視界を悪くする涙を拭い叫ぶ! 

 ペリッパーの【ハイドロポンプ】を加速に活かしたジュプトルがその腕に新緑の力を溜め込んだ。【つばめがえし】と【いわなだれ】、さらには【ハイドロポンプ】を立て続けに受けたジュプトルは既に限界を超えているような状態のはずだ。

 

 だからこそ、"アレ"が使える。

 

 サザンカさんは既に口頭でゲッコウガに指示をしなかった。ただ、万全の状態で受け止める選択をした。その身をずぶ濡れにしながら、ジュプトルがゲッコウガに迫った。身体の色が焦茶色のゲッコウガはいわタイプ。これを逃せばもう勝ちのチャンスなんてやってこない。

 

 

「――――――ッッッ!!」

 

「………………ッッッ!!」

 

 

 一方は苛烈に、一方は寡黙に、相対する獲物と目を合わせた。

 

 

 ――ジュプトルは叫び、突進の勢いを増すために高速で回転、小さな竜巻と化した彼は渾身の一撃とばかりに【リーフブレード】を放つ。

 

 ――ゲッコウガの体色が大きく変化する。焦茶色の地味めな色から、空のような快晴の色へ代わり手の中の刃を翻した。

 

 

 

 

 ――――湖上に響く、斬撃の音。

 

 

 

 

 交錯する二匹、サザンカさんの前に残心状態のジュプトルが着地する。そして俺の前にゲッコウガが佇んでいた。

 永劫にも思える時間、俺とゲッコウガは睨み合っていた。彼の目からは、絶対に膝を突かない。負けたくないという、クールな外見に似合わない熱い感情が伝わってきた。

 

 だけど、その時間は永遠じゃなかった。

 

 ジュプトルの腕から緑の力が消え、ゲッコウガの腕から手に持った水の刀が解けてバシャバシャと音を立てる。

 そして忍水蛙は瞳から力を無くし、俺の目の前に、(こうべ)を垂れるように突っ伏した。ひときわ小さな、けれど大きい波を呼んだ。

 

 審判のいないジム戦、俺の勝利を告げるものは誰もいなかった。だけど、満足げに微笑むサザンカさんの瞳を見て、膝から力が抜けてしまった。

 思い出したようにやってくる額の痛み、額から流れ出た暖かい液体が顎の先から水面にポタポタと赤い痕を残す。

 

 空を見上げると、そこには先程までの土砂降りが嘘のような快晴が広がっていた。眩しさに手を太陽に掲げ、それを拳に握り変えた。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 数時間後、ダイたちはポケモンセンターにいた。激戦を終えたジュプトルもペリッパーも既に満身創痍で、集中治療室とまでは行かないがボールの外で手当を受けていた。

 手当を受けていたのはダイも一緒で、今朝ぶりの自室に宛てられた部屋でリエンの応急処置を受けていた。ペリッパーが【いわなだれ】の瓦礫を弾き飛ばした際、飛んできた飛礫が額に直撃。アドレナリンが湧き出ていた勝負の際は気にならなかったが下手をすれば頭が割れてもおかしくなかった。

 

「さすが元海難救助隊のお手伝い、手際いいな」

「額がパックリ割れてるだけだからね。ドククラゲに刺されたわけじゃないし、ガーゼと包帯あれば十分だよ」

 

 そういうダイの格好は先程までの一張羅と違い、ポケモンセンターで貸し出しされているジャージだった。紺色にオレンジのラインが入ったジャージはどこかダイらしくなさを演出していて、けれどもワンポイントはきっちり抑えているダイにリエンは思わず笑みを零しそうになった。

 

「そうだ、これどこにつけておく?」

 

 リエンが手のひらに乗せた小さなバッジを見せびらかす。ダイはそれをショルダーバッグの肩掛け紐に固定した。ずっと閉まっておいた、カイドウからもらったスマートバッジも同じように並べて設置する。

 

「目に見えるところのほうが、強そうじゃん?」

「そうだね、ダイすごく頑張ったもんね」

 

 包帯越しに頭を撫でるリエン、ダイは気恥ずかしくなってジャージに顔を埋めた。襟のところから包帯と橙の髪が飛び出していてともすればちょっとした怪異そのものだった。

 それから二人は他愛ない話を続けた。バラル団の襲撃ですっかりそれらしい気分じゃなかった昨日に比べてずっと穏やかな気持ちでクシェルシティや、これまで見たリザイナシティやモタナ、そしてこれから行く街々の話を弾ませた。

 

 そうして話を続けているうち、ダイの部屋のベッドに設えられてるポケモンの様子を知らせてくれるランプが治療中のオレンジ色から処置終了の青色に変わった。同じタイミングで乾燥に出していたジャケットとズボンが返却されてきた。ジャージから普段着に着替えるとダイとリエンは受付カウンターに赴いた。受付の女医さんがボールに入った二匹と、様子を見守りに行ったゾロアとメタモンの二匹を連れて出てきた。

 

「お預かりしたポケモンたちはすっかり元気になりましたよ!」

「ありがとうございます。さ、行こうか」

 

 ダイとリエンはポケモンセンターの外に出る。空はオレンジ色に染まり始めていて、もうすぐにでも夜の帳が訪れるのを知らせていた。ダイはモンスターボールからペリッパーを出すと、その頭を一無でした。

 

「お手柄だったぞ」

 

 短くそれだけ言うが、ダイの顔は今までにないくらい綻んでいてペリッパーもこれ以上無いくらいに嬉しそうに目を細めて、ダイの手のひらに頭を擦りつけた。

 

「さ、アルバはどうなってるかな」

「あと、アイラ……だっけ。彼女も、ね」

 

 そう、ダイの手当をリエンに任せてアルバとアイラは今頃、バラル団の襲撃で滅茶苦茶になったサザンカの修行場の片付けを手伝いに行っていた。アルバはトレーニングの一環ということで、アイラは手持ちのポケモンが大柄なものが多く、力仕事にはうってつけなのだ。

 

 ペリッパーがボートを引き、ジム戦を行った水上神社の横を通り抜けて長く続く石階段へと辿り着いた。すると、アルバとバラル団戦闘員ジンの戦いで思い切り爆ぜていた玄関入り口が新しいヒノキで既に新造されていた。戸を引くと、上下に設けられたローラーがカラカラと小気味良い音を鳴らす。そしてとてつもなく長い廊下の電源は落とされていた。これが動いていたならまたニョロボンやニョロトノとの戦いを行わなければならないところだった。

 

 しかし歩いているうち、ダイとリエンの耳に変な音が届き始めた。何かをぶつける音、走る音、とにかく忙しい音にどんどん近づいていった。

 そして疑問を浮かべ、顔を見合わせ首を傾げながらダイが再び引き戸を開け、修行場に入り込んだ時だった。

 

「バシャーモ! 【スカイアッパー】!」

「ルカリオ! バシャーモの着地を援護して!」

 

 爆発音にも似た音を立てて、ポケモン――バシャーモの腕が火を噴き拳を高く空へ向け突き上げた。しかしその攻撃は対象の顎をするりと掠めるだけで直撃はしなかった。スカイアッパーを躱したポケモン"コジョンド"が【はどうだん】でバシャーモへ追撃を仕掛けようとするが、二匹の間に踊り入ったのはアルバのルカリオだった。

 

 目にも留まらぬ速さで繰り出される格闘技の応酬、ダイのジュプトルですら捉えきれなかったコジョンド相手にルカリオは善戦していた。

 

「今だ! ルカリオ!【インファイト】!」

 

 ルカリオの身体から発生する蒸気。刹那、ルカリオが防御をかなぐり捨てた猛攻に出る。コジョンドはそれを的確に受け止めるものの、数発防ぎ漏れが出て拳が直撃した。だがそれを逆手に取り、ルカリオの腕をガッチリとホールドしたコジョンドがルカリオを投げ飛ばす。それは未だに滞空中のバシャーモめがけてであり、バシャーモにルカリオが激突する。

 

「【あてみなげ】、からの」

 

 ダイにはわかっていた。あの予備動作には見覚えがあった。ゆったりとした動きだが、コジョンドは確実に練気したエネルギーを体内で爆発させた。まるで弾かれたように飛び出したコジョンドの【とびひざげり】がルカリオとバシャーモに炸裂し、地面に叩きつけられた二匹は目を回していた。

 

「つ、強い……」

「まいりました!」

 

 へたり込んだアイラとアルバが頭を下げる。それに対しコジョンドが武道礼を行い、戦闘が終了する。

 

「なにしてんだ……?」

「サザンカさんの師匠と一勝負! 本当はタイマンが良かったんだけどね、そしたらアイのバシャーモも一緒に掛かってこいって言うから」

「いやーん悔しい! 本気出す前にやられたー! くーやーしーいー!!」

 

 負けた後とは思えないくらいさっぱりしているアルバと、地団駄踏むように暴れるアイラ。そんな二人を見て、ダイがニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべていた。

 

「ふーん、俺がいない間に随分仲良くなったな……?」

「お邪魔しちゃ悪いかな?」

 

 それに同調したリエンまでニコニコとしていたが、やがてサザンカがその場に現れると笑いも次第に収まっていった。

 

「あぁダイくん。具合は大丈夫ですか?」

「ちょっとした怪我ですから、大丈夫です。それより、片付けは順調ですか? よかったら手伝おうと思ってきたんですけど」

「それなら問題ありませんよ。先生も手伝ってくださいましたし、何よりアルバくんとアイラさんの働きがありましたからね」

 

 地面に突っ伏したままの二人が手を上げて答える。やがて真面目な顔になったサザンカが小さく切り出した。

 

「結局、"英雄の民"が遺した古の巻物。そのうち片方は奪われてしまいました。もう片方は先生が死守してくださいましたが……あれを手に入れたバラル団が何をしでかすかわかりません」

 

 空気が一気に重くなった。当然だ、この場の全員がみすみす奴らを逃がしてしまったのだから。ですが、とサザンカは続けた。

 

「アストン警視正と連絡を取り、この事態を重く見たPG並びにラフエル地方ポケモン協会は結束し、バラル団という共通の脅威を退ける為に戦うことを声明致しました」

 

 ダイがライブキャスターを起動するとどのニュースサイトも一面の見出しはその話で持ちきりだった。これで警察権力と、この島で一番強いジムリーダーたちが協力して事態に当たることになった。

 つまりダイたちがもうバラル団との厄介に首を突っ込む必要はなくなったのだ。

 

「そして、これはボク個人が貴方がたへ表明……いえ宣誓しなければなりませんね。ボクはクシェルシティのジムリーダーを続けることにしました。ダイくん、貴方は私にとって乗り越えるべき大波だった。一方、君にとってもボクは退けるべき大波だった。ボクは君を超えられませんでした。でも、貴方という希望に道を指し示す波であれた、と思っています。前へ進んでください、いかなる困難を乗り越え、この地に辿り着いた英雄ラフエルのように……!」

 

 サザンカの激励を受け、ダイは大きく頷いて彼が差し出した手を取った。今ここに、ジムリーダー・サザンカから挑戦者(チャレンジャー)ダイへと水の魂は継承された。

 

 

 

 修行場を後にしたダイ、リエン、アルバ、アイラの四人はボートの前で顔を見合わせた。

 

「アルバには自己紹介はいいよね? あたしはアイラ。アイラ・ヴァースティンだよ」

 

 フルネームをリエンに明かしたアイラ。リエンも自身の名前を告げ、柔らかい握手を交わした。ボートに乗り込んだダイたち三人に対して、アイラはボートには乗らなかった。

 

「行かないのか?」

「うん、あたし考えたんだけど今回の事件の当事者として協力できることがある気がして。だから、アストンさんと合流しようと思うんだ」

「へぇ、お前なんだかんだ行って着いてくる気なんじゃないかって思ってたよ」

「なによそれ、ダイのくせに生意気なんじゃない? だいたいアンタがあたしについてくるのがデフォでしょうが」

 

 腕組みしながら言うアイラに、「たしかにな」と小さく呟き鼻の頭をかくダイ。アイラは腰のボールからフライゴンを呼び出した。

 

「じゃ、元気でやんなよダイ。アルバ、リエン、このバカをよろしくね」

「「バカを任されました」」

「おい」

 

 小さな笑いが起きて、フライゴンが飛び立とうとしたときだ。意外にもアイラに声を掛けたのはアルバだった。

 

「また会おうね! 全部終わったら、ポケモンリーグで!」

「――――うん! それまで負けるんじゃないよ!!」

 

 それだけ言い残して、アイラを乗せたフライゴンが遠い空へと消えていった。アイラが見えなくなるまで手を振る三人だった。

 

「さてと……帰ろうか」

「そうだね、お腹空いたし」

 

 ペリッパーやミズゴロウたちの力を借りず、自力でポケモンセンターまでボートを漕いで行く三人。その影はオレンジ色の夕日に照らされ、湖の底まで届いていた。

 湖の底の石が夕日の光を受けて、キラリと輝いた。

 

 




ここまで来るのにだいぶ長い時間が掛かったような気がします。
改めてポケ虹1周年おめでとうございます。


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