太陽がそれなりに高くなって来た頃合い、神社の境内では物が弾けるようなスパーリングの音が響く。場所の出処は俺のジュプトルだ、アイのフライゴンと軽い技の応酬を繰り広げている。
空中カポエイラというアクロバットな動きで空を飛ぶフライゴンに軽く一撃を入れていく。試合前のウォーミングアップと言ったところだが、俺とジュプトルには別の目論見があった。
フライゴンの尻尾が横薙ぎに払われる。ジュプトルはそれを両手をクロスさせてダメージを最小に抑えると柔らかく階段の手すりへと着地する。
「こんなところじゃない? あんまり熱入れすぎると試合前にジュプトルが怪我するよ」
「バカ言うな、俺のジュプトルがこんなウォーミングアップで怪我なんかするかよ」
俺がそう言うとジュプトルが腕を組みながらうんうんと頷く。だけどアイの言うことも尤もだ、ウォーミングアップはこのくらいでいい。
「いけるか、ジュプトル?」
尋ねてみると、ジュプトルが手のひらに力を溜めていく。やがて蓄積されたオーラが可視化できるようになって大きな鉤爪のような形を取る。よし、成功だ。
「もしかしてわざマシンも使わずに、フライゴンの技をトレースしたの……?」
「まぁそんなとこだ。色々盗ませてもらったぜ、今の一瞬で」
「
アイが大仰に肩を竦めてみせる。
神社にある井戸を借りて顔を洗う。熱が入って出た汗が綺麗に流れてさっぱりする。汗とついでに疾る気持ち、焦りなんかも流れ落ちてくれた。俺たちが準備運動をしている間、サザンカさんは試合用の水上フィールドで腰まで水に浸かりながらポケモンたちと瞑想に耽っていた。
「お待たせしました、それじゃお願いします」
「お気になさらず。僕は待っていたというつもりはありません。水面の声を聞き、考え事をしていましたので」
「さいですか」
軽口の応酬、水上のフィールドは俺達がやらかした神隠しの洞窟崩落事件のせいでか水位が下がって、また朝の満ち干きなんかが関係してるのか踝近くまで水位が下がっていた。人間なら少し足を取られる高さだけど、ポケモン……特に水タイプのポケモンなら影響を受けないだろう。
「改めてご説明致します。僕の、クシェルシティのジム戦はルール選択式です。シングルバトル勝ち抜き戦、ダブルバトル、特殊ルールの技指定ありのエリア限定戦。挑戦者であるダイくんが選んでください」
シングルバトル勝ち抜き戦、オーソドックスだけどポケモンの入れ替えが無いのは今回の戦いでは致命的。かといって特殊ルール、つまりこの水上エリアからポケモンもトレーナーも出てはいけない、さらには使える技は最初に指定した四つのみ。言っちゃうとアレだがこれは論外だ、さっきのウォーミングアップの意味がなくなる。
となると、俺達が選ぶのは必然的にダブルバトルになる。一昨日戦ったアルバはルカリオしか手持ちがいないから、ダブルバトルは不可能。シングル勝ち抜きも選べたはずだけど、アルバはどうやら特殊ルールを選んだみたいだ。旅の付き合いはまだ日が浅いけど、あいつらしいっちゃらしい。
「ダブルバトルで」
「わかりました、ではお互いに二匹のポケモンを選出。そして相手のポケモンを両方倒した方が勝利となります」
「つまり、二対一にも……タイマンにも持ち込めるってわけか」
静かに呟いたつもりだが、サザンカさんはピクリと眉を動かした。気づかれたか……?
俺の心配を他所に、サザンカさんは二匹のポケモンを選出する。二匹とも彼の身の丈の半分ほどの大きさの小柄なポケモンたち。
「クラブと、あれは……」
『ゲコガシラ。身軽さはだれにも負けない。600メートルを越えるタワーの天辺まで1分で登りきる。』
ポケモン図鑑が片方のポケモン、ゲコガシラをスキャンする。サザンカさんが使うという意味でも、やはり水タイプのポケモンだ。だけど図鑑の説明が正しいのなら、素早さに長けるポケモンのはずだ。となれば相手は――――
「よし、俺は……この二匹で挑む!」
リリースしたボールから現れ出るのは、ジュプトルとペリッパー! ゾロアとメタモンも考えた、けれどやはりこの戦いは俺の意地を、覚悟を見せる戦いだ。
この二匹でなければ、この戦いを制することは恐らく出来ない。
「―――僕は迷いを断ち切れるでしょうか。それとも、迷い続けるでしょうか」
サザンカさんはポツリと漏らす。俺は一介の旅人トレーナーにすぎない。この地に纏わる秘伝の書、その守りを任ぜられながら守り通せなかった自責は計り知れない。だからこのジム戦は、お互いにとってお互いが壁。
ふと、ただ勝つだけでは、この戦いの本当の意味に辿り着けないようなそんな気がした。
「俺は、超えていきますよ」
それだけ言い渡して、ペリッパーとジュプトルをフィールドに進ませる。背中が語っている、
「審判がいないので、僭越ながら僕がコールします。これより、クシェルシティジム戦を開始する! 迎え撃つはジムリーダーサザンカ! 不肖の身なれど、我が身は挑戦者を阻む大波なり!」
その一言だけでサザンカさんを中心に、大きな波が起きる。それは俺の方にも押し寄せ踝より上を濡らしていく。まるでクシェルの水全てが彼の心とシンクロしているみたいにうねりを見せる。
「挑戦者よ、見事我が大波を往なしてみせよ! いざ―――!」
気迫は相手のクラブとゲコガシラにも伝わったようだ、その一言を皮切りに二匹が飛び出してくる。
「ペリッパー! ゲコガシラを抑えてくれ!」
「なるほど定石通りというわけですね! クラブ、迎え撃て! 【クラブハンマー】!」
飛び出したこちらのジュプトルがクラブ目掛けて【リーフブレード】を繰り出す。新緑の刃はクラブの鋏によって阻まれる。お互いがノックバックで吹き飛ぶ、が重さはジュプトルが上。吹き飛ぶ距離は短く、体勢も立て直し安い!
「追撃だ! 【おいうち】!」
「なかなか鋭い一撃だった! 今度は【メタルクロー】で応戦してくれ!」
クラブは器用にも鋼鉄化させた自身の鋏を支点に空中で体勢を立て直し、ジュプトルの追撃を難なくやり過ごす。そりゃそうだ、このフィールドは向こうのホーム。戦い方など身に染み付いてるほどだろう。
だけど、アウェーだからって負けるもんか。俺は視線を背中に感じながら、強く拳を握りしめた。ちらりと余所見をすると、ペリッパーがいい具合にゲコガシラを撹乱してくれている。
「さぁクラブ、【なみのり】だ!」
その時だった。サザンカさんが行ったのは、震脚。振り下ろされた足が水を弾く。その圧力で起きた突然の大波にクラブが乗る。それだけじゃない、向かってくる水をジュプトルはやり過ごさなければならない。十中八九、【なみのり】からの近接攻撃に繋げてくる!
だけど、ある程度はこれを予想していた。だからこそ、この戦いにペリッパーがいる。
「ペリッパー! 【とんぼがえり】だ!」
ゲコガシラの相手をしていたペリッパーを即座に離脱させ、ジュプトルの元へと戻らせる。ジュプトルの前に降り立ち、大口を開けたペリッパー。サザンカさんは俺達の意図を察したように、額に汗を浮かべた。
「【のみこむ】! からの、【ハイドロポンプ】だ!」
「ッ、読まれていたのか! クラブ! 下がれ!」
水に乗ったクラブが下がろうとするが、クラブが離脱するよりもペリッパーが水を飲み込むほうが速い。そのまま、溜め込んだ水を至近距離で放水する。たとえ水タイプであろうとあの小柄な身体を弾き飛ばすほどの水流、ダメージは小さくないはずだ。
「今だ……ッ! ペリッパー、【はがねのつばさ】!」
クラブが水の無くなったフィールドに落ち、そこに向かってペリッパーが突進する。足場に水が無ければクラブに素早い移動は出来なくなる……! ここで畳み掛け、ゲコガシラを二体で挟み撃つ……!
だが、見通しが甘かったと瞬時に悟った。そこからのクラブの動きは、移動ではなかった。維持していた【メタルクロー】を、水の無くなったフィールドへ叩きつける。当然打ち付けられた鋏によって地面が砕け、破片が宙を舞い――――
「避けろペリッパー!」
「【がんせきふうじ】!」
水場の無くなったフィールドの活かし方をサザンカさんはちゃんと心得ていた。ホームで戦うというのはそういうことだ。クラブは砕けた破片を使ってペリッパーの進行を阻止、そのまま撃ち落とした。
攻撃の算段をつけていたのもあり、ペリッパーは岩石を避けきれずに破片の下敷きになる。不幸中の幸いだったのは、攻撃に【はがねのつばさ】を用いて防御力が上がっていたおかげで一撃でノックアウトというのを防ぐことが出来た。
ペリッパーが戦闘不能になるかどうか、という瀬戸際だというのに……俺の口元は少し緩んでいた。あれは確か、リザイナシティジムを攻略し終えた俺がバラル団のジャンジュンジョンというトンチンカンに拐われかけたとき、同じようにアストンが即席で作り上げた破片で【いわなだれ】を起こしたことを思い出した。
直後、山積みになった破片から大量の水が噴射する。
「ッ、水位が戻らないと思っていたが……ペリッパーに水を温存させていたのですね……!」
もしかして、程度の警戒だったけれどペリッパーには別の用途で水を蓄えさせた。しかし離脱するには【はきだす】で周辺の瓦礫を吹き飛ばす必要があった。思い通りにはいかなかったが、ペリッパーを失わずに済んだのは不幸中の幸いだった。
クラブの身体が、ペリッパーが吐き出したせいで元の水位まで戻った水に浸かっていく。ペリッパーはこれ以上クラブとの戦いに向かわせられない。十分ペリッパーも素早いが、敏捷と俊敏性は別だ。今のペリッパーではクラブにいいように振り回されてしまう。
「だったら! ジュプトル、【タネマシンガン】だ!」
再びクラブに向かって突進するジュプトルが種の弾丸を雨あられのようにバラ撒く。クラブは水面を蹴って弾丸を綺麗に躱していく。水面に打ち付けられた種の弾丸が高い水柱を立てては波を作る。
するとその時、クラブを庇うように前へ出てくるゲコガシラ。ジュプトルはタネマシンガンを中断すると腕部の刃に力を溜め込む。
「【いあいぎり】!」
「【リーフブレード】!」
一合、二合、幾度となく刃同士が打ち付けられる。ゲコガシラは足元の水を固形化させ、ニンジャのクナイのように手の中に器用に収めるとそれを振るってジュプトルを攻撃する。対してジュプトルもまた、リーフブレードを以てゲコガシラのクナイを迎え撃つ。
二体の鍔迫り合いが続く中、ペリッパーは水面の僅かに上を滑空しながらクラブ目掛けて翼を叩きつける。【はがねのつばさ】と【メタルクロー】の打ち合い、火花が散るほどに苛烈だった。
この辺りでクラブを仕留めたい、だけど有効打を与えられそうなジュプトルは今ゲコガシラの相手をしている。クラブを仕留めようと躍起になって、ゲコガシラのマークを外すのは俺の勘が間違ってると告げた。
明らかにあっちのダブルス、切り札はゲコガシラだと見た。だったら、敢えてそちらを仕留めることで有利に進む戦いがあるはずだ……!
「ペリッパー粘ってくれよ……! ジュプトル! 決めに行くぞ!!」
「ゲコガシラ、攻めてきますよ!! 迎え撃って!!」
今一度、ジュプトルの腕が新緑の力を帯びる。ゲコガシラもまた水を変質させたクナイで【いあいぎり】を行う。攻撃を行う度、二匹に周囲の水がまるで何かを叩きつけられたように高い水しぶきを上げ、下の地面を露出させる。水に脚を取られなくなったジュプトルが滑り込むようにゲコガシラの背後を取った。
「獲った!! そのまま【リーフブレード】! たたっ斬れ!!」
ゲコガシラは後ろのジュプトルに対応しきれていなかった。そのまま、真横に切り払われたジュプトルの腕。しかしゲコガシラを切り裂いた直後、その姿が透明になって弾け飛ぶ。ゲコガシラの身体は水になってそのままジュプトルの腕が叩きつけられたんだ。
その瞬間、今度はジュプトルの背後から水柱が立った。瞬時に理解した、今のゲコガシラは【みがわり】。それも【かげぶんしん】と周囲の水を利用して作った高度な偽物――――!!
「今です! ゲコガシラ、【アクロバット】!!」
背後に現れたアクロバットがジュプトルを支柱に、回転蹴りを大きく叩き込む。それがジュプトルの腹部、首、頭へと炸裂した。攻撃されたジュプトルは何が起きたのか理解できていないように目を点にしていた。それだけじゃない、ジュプトルを攻撃するゲコガシラの体表面の色が、
鞄からポケモン図鑑を取り出し、ゲコガシラをスキャンする。すると通常のゲコガシラと違う特性を理解した。
「『へんげんじざい』……! 攻撃を行う瞬間、その攻撃を最大限に活かせるようになるのか!」
「その通りです! 今のゲコガシラはひこうタイプ! 君のジュプトルに対して、もっとも有効的な攻撃手段です!」
そうか……水を使用していても【いあいぎり】はノーマルタイプの技。だから体表面の色だけは変わらず、タイプだけがノーマルタイプに変質していたゲコガシラにリーフブレードが有効打を与えられなかったんだ。
ゲコガシラのタフさを理解したはいい、だけどジュプトルは今の一撃を受けてひどくダメージを蓄積させた。これ以上闇雲に突っ込ませるのは危険極まりない。
――ペリッパーを下がらせるか……? だけどクラブを野放しにしておけない……! だったらどうする? 何が一番正しい……!
――考えろ、勝つには俺が頭を働かせるしか無い。アイツらだって俺の指示を待ってるはずなんだ……!
その言葉を頭の中で唱えている間、何秒が経過しただろう。時間にして数秒ほどだったはずだ、だけど体感的には一瞬だったと思う。立ち上がったジュプトルが咆えた。ビリビリと、空気と水を揺らしちょっとした波を呼び起こす。
「ジュプトル……」
振り返ったジュプトルが頬の打撃痕を拭って目を合わせてきた。こんなもんじゃ終われない、まだまだ戦えるって、そういう目をしていた。
俺はハッとした。そしてしゃがみ込むと水が揺れるフィールドの地面へと顔を叩きつけた。
「ダイ!?」
初めてこの戦いの最中、アイの声が聞こえた気がした。何度も何度も水に顔を打ちつける俺の姿はさすがに奇怪だったか、サザンカさんも指示出来ないでいた。
顔を濡らし、頭を濡らし、水浸しになった身体と心で今一度考え直す。
「信じるって決めた、勝つって約束した!! ジュプトル! ペリッパー!!」
振り返った二匹が、同時に頷いてくれた。これほど嬉しいことはない、ポケモントレーナーをやっていて、これほど心が躍る瞬間はそうない――!
「ペリッパー! クラブの相手をしながらでいい、【たくわえる】!!」
【クラブハンマー】を【はがねのつばさ】でいなしながら、ペリッパーが再び周囲の水を飲み込み始める。サザンカさんと俺の後ろから水が一気にペリッパー目掛けて流れ込む。だけどサザンカさんもこっちの目論見を潰すべく、クラブを動かす。
震脚だ、さっきもやった震脚でペリッパーに向かって流れ込む水を大波に変える。そしてそれに乗ったクラブがペリッパーの頭上を取った。
「【たたきつける】攻撃!」
ッ、そうか! クラブに波乗りをさせたのはペリッパーよりも頭上を取るため! 波を起こせばペリッパーは簡単には飛べない。そして波が大きくなるほど、高低差も大きくなる。波から飛び降りたクラブがハサミに力を漲らせ、ペリッパー目掛けて振り下ろす。
だがそんな中同じように、ペリッパーが引き寄せる水に乗り緑の影がペリッパーを足場に飛び出した。クラブがハサミを振り下ろし始めた瞬間、目をギョロッと見開いた。
「ジュプトル! 【みきり】から【たたきつける】攻撃!」
飛び出したジュプトルがクラブのハサミから受けるダメージを最小限に減らせる場所で受け止める。そのまま静止した二匹、ジュプトルが身体を捻ってソバットの要領でクラブを蹴り飛ばした。
踵を叩きつけられたクラブだったが、場外へ吹き飛ぶことはなくなんとかサザンカの手前で踏みとどまった。
「よし、これでいい! ペリッパー! ジュプトルを乗せてゲコガシラへ【はがねのつばさ】!!」
「このタイミングでクラブを無視……!? ゲコガシラ、注意してください!!」
ゲコガシラは印を結ぶように手を組み合わせ、作り出した輪っかに息を吹きかけるとそこから飛び出した冷気が亜光速でペリッパーへ襲いかかる。だがそれを【みきり】で読んでいたジュプトルがペリッパーを横へ移動させて回避する。間違いない、今の攻撃は【れいとうビーム】だ。確かにペリッパー、ジュプトル両方に効果的な攻撃と言えばこおりタイプの技が現状適している。
「ジュプトル! もう一発来るぞ!
「何をッ、避けるな!?」
ギリギリまで接近した今、ペリッパーが着水し急ブレーキを掛ける。慣性のまま、弾丸のように撃ち出されたジュプトルがゲコガシラへ直進する――――
向かってくるジュプトル目掛けて、ゲコガシラが再び【れいとうビーム】を放つ。ジュプトルはそれを手を交差させることで受け止める、受け止めた場所から肩口にかけてジュプトルの身体がパキパキと音を立てて凍りつく。
だけど!
「今だ! 【かわらわり】!」
腕を固めている氷を内側から砕き割るとジュプトルがそのまま腕を振りかぶった。
「ゲコガシラ! 受け止め――――ハッ!?」
気づいたようだ、ゲコガシラの身体が先程よりも澄んだ水色に変わっていることに。うっかりひこうタイプからこおりタイプに変わってしまったゲコガシラへ、ジュプトルがペリッパーの加速力を以て勢いを増した手刀が叩きつけられる。
クリーンヒット、まるでゴム毬のようにゲコガシラがフィールドを転がっていく。
「ナイスガッツだジュプトル!!」
「そんな……ゲコガシラの身体は【れいとうビーム】を放つのに適した身体へ変質していたはず……! くさタイプのポケモンが受け止めるなんて……!」
サザンカさんが信じられないような声を上げる。そして、その真下でクラブが目を回して倒れていた。サザンカさんはクラブをボールに戻そうとして、クラブに巻き付いていた複数の蔦に気づいた。
「【やどりぎのタネ】……!? いったいいつ仕込みを……!?」
「さっきの【みきり】でクラブのハサミを受け止めた瞬間さ、後はやどりぎが体力を奪ってくれる」
「だからゲコガシラに二匹のポケモンを向かわせ、僕の意識をクラブから逸していたわけですね……」
これでクラブは戦闘不能、残るは見積もっても体力が半分くらいのゲコガシラだ。数のアドバンテージがあるこちらが有利とは言え、油断は出来ない。
俺の手のひらには、俺の体温で暖められた水が汗かわからない液体が篭っていた。
◇ ◆ ◇ ◆ ◇
ダイとサザンカさんのジム戦は端から見てもわかるくらいに熾烈を極めていた。しかも、驚くことに先制黒星をジムリーダーに与えるほどにダイは強くなっていた。
あたしの元を離れて、ラフエル地方に一人逃げてきたはずのダイが、あんなにも強く進化しているなんてにわかには信じがたかったけれどまざまざと見せつけられては信じるしか無かった。
「あっ、もう始まってるよ!」
その時だ、後ろから男の子の声がした。振り返ると、先日の騒動でダイの側にいた男の子だった。少し遅れて澄んだ色の髪をした綺麗な女の子もやってきた。
「すごいね、ダイ。サザンカさんのポケモンは残り一体だよ!」
「頑張れー! ダイ!」
彼らはしきりにダイを応援していた。きっとダイの旅を支えてきた仲間たち、あたしの知らないダイを見続けてきた人たち。
話したいことはたくさんあった。ポケモントレーナーならばきっと仲良く出来るはず。だけど、今あたしの目はダイの戦いに釘付けだった。一瞬たりとも目を離せない、これはそういう戦いだった。
「畳み掛けるぞ、ジュプトル!!」
ダイの咆哮に近い声に、ジュプトルが答える。それに対しジムリーダーとゲコガシラは寡黙に、けれどダイ達以上に負けないという意思を感じさせた。彼らを取り巻く水が、彼らから発される気力を避けるように流れているように見えた。
「ゲコガシラ、伝わりますよ……君の気持ちが」
ふと、ジムリーダーが呟いた。それに対しゲコガシラがコクリと頷いた。何かを仕掛けてくる、あたしは直感でそう察した。だけどダイは気づいていない。
「【かげぶんしん】!!」
「逃がすなジュプトル! 【タネマシンガン】!!」
接近するジュプトルがゲコガシラに迫るその瞬間、印を結び足場から吸い上げた水が影を帯びゲコガシラの姿に変わった。接近戦を挑みかけたジュプトルだったが、すぐさまダイの指示を受けて【タネマシンガン】で薙ぎ払うように分身を破壊する。残った一匹目掛けてジュプトルが再び【かわらわり】を行った。
「捉えた…………!」
「―――――ッ!」
ジュプトルの手刀がゲコガシラに突き刺さるように炸裂した。ゲコガシラが防ぐべく腕を交差させ、そこへジュプトルの手刀が埋もれていく。明らかに本物に攻撃が直撃した感覚だった。
しかし、次の瞬間ゲコガシラの姿が泡になって消えた。ジュプトルが周囲を見渡すけど、ゲコガシラの姿は無かった。あたしも、ダイの友達たちもゲコガシラの姿を見失っていた。
その時、後方待機していたペリッパーの側で水しぶきがあがった。ペリッパーが驚いた瞬間、水しぶきの中から現れたゲコガシラが再び印を結んだ。
「ゲコガシラ!」
「ッ、ペリッパー!!」
「「【ハイドロポンプ】!!」」
ゲコガシラとペリッパーが同時に極大の水の奔流を撃ち放つ。けれど、水の勢いはペリッパーの方が強かった。ダイはペリッパーを待機させながら、【たくわえる】で湖の水を可能な限りペリッパーに溜めさせていた。迎撃としては上々、ゲコガシラが放つ水がペリッパーが吐き出す水に推された。このままなら、ゲコガシラは撃ち負ける。
だけど、一瞬風が私の髪を撫でた。それは見間違いじゃなかった、不自然な風が巻き起こりゲコガシラに向かって波が迫るように風が吹いていた。例えるなら、大自然の力。
何か人知を超えた力が今ゲコガシラに迫っていた。それを認識した瞬間、ペリッパーが放つ【ハイドロポンプ】がゲコガシラを飲み込んだ。
「波の力……即ちそれは水の力。ゲコガシラは感じていたんです、自分の中に流れる波が最頂点に達するその瞬間を!! ダイくん、貴方の水の力は凄まじい。だからこそ、この大波に乗らせていただく!!」
ようやくあたしは察した。【かげぶんしん】はジュプトルの気を引くための囮を作り出し、ジュプトルが攻撃を行ったのは紛れもなく分身だった。しかも、【みがわり】を織り交ぜての完璧な質量を持った分身。
ペリッパーが溜め込んでいた水のエネルギーを一身に受けることで、ゲコガシラの身体に強い水の力が叩きつけられる。
それはゲコガシラの身体に変化を及ぼし、強い光を放つ。即ち、進化の光!!
「今こそ古い自分を脱ぎ捨てるときだ、目覚めろ――――"ゲッコウガ"!!」
ジムリーダーが叫んだ。直後、ペリッパーが放つ水の奔流を弾き飛ばし、水しぶきの中から現れた影が放つ眼光に思わず震え上がった。ポケモンの進化、あたしは幾度となく見て、経験してきた。
だけど、これほどまでに苛烈で、これほどまでに気高い姿の進化を見たことがない。敵から受けた力を自身の力に変換、進化に必要な爆発的エネルギーにしてしまうなんて……!
「ゲッコウガ! 再び【かげぶんしん】!! そして【みずしゅりけん】です!!」
ゲコガシラ以上に、忍の姿へと変化した"ゲッコウガ"が高速で印を結んだ。直後、空を覆い尽くす勢いで増えたゲッコウガの腕から大小構わず雨とも取れるような手裏剣の数々がペリッパーへと降り注いだ。
「ペリッパー! 【――――】から【みずのはどう】だ! 撃ち落とせ!」
ダイが慌てて叫んだ。しかし次々に水が弾ける音がして、あたしには聞こえなかった。ペリッパーが慌てて【みずのはどう】で迫る手裏剣を迎撃するがとても間に合わない。
濁流、そう表現出来るほどの水が打ち上がりあたしたちの身体を濡らす。ペリッパーの近くにいたダイはもう全身がずぶ濡れだろう。
「ペリッパーが!」
「みずタイプの技で……ペリッパーがやられるなんて!」
水しぶきが収まった後、水の上をプカプカとペリッパーが浮かんでいた。目を回しているようで、戦闘の続行は難しそうだった。
ダイは数の利を覆され、さらにゲコガシラは進化してしまった。今までにない危機敵状況、あたしと一緒にいた時のダイならここで目が死んでいた。
「頑張れ…………っ!」
気づけばあたしはそう呟いていた。誰にも届かなかっただろう。
しかしあたしの思いも虚しく、空がごうごうと唸り、陰り始めた。先程までの晴天が嘘のように空が黒い雲に覆われていく。あの調子ならすぐにでも雨が降り出すだろう。
相手はみずタイプの使い手。雨が降り出せばダイが追い込まれるのは必至。
だけど――――ダイもジュプトルも諦めていなかった。今のダイは例え苦しそうな顔をしていても、目が生きていた。この状況から、まだ勝つ道を探していた。
哭き出しそうな空の下、二人の戦いはより高みへと昇華されていった。
リハビリしつつ短めに。
次回ジム戦決着、出来るといいなぁ……