ポケットモンスター虹 ~ダイ~   作:入江末吉

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VSギャラドス ナイトビーチ

 

「それで、どうして私のベースにいるのかな」

「あ、いや……今日の騒ぎでポケモンセンターがごった返しててさ……」

「ふ~ん、部屋が取れなかったんだ。まぁいいけど、なにもしないでよね」

「面目ない」

 

 あれだけ輝いていた太陽もすっかり姿を消し、夜空には幾万もの星とまん丸の月が浮かび上がっていた。夜の海もまた月の光を受けて鏡のように輝く。

 そしてそんな夜に俺はリエンのベースキャンプにお邪魔させてもらった。リエンもリエンでどういうわけか家に帰らずここにいた。

 

「リエンは家に帰らないのか?」

「パパが遅番で今日は家に帰ってこないから家に帰っても誰もいないし」

「そっか……」

 

 もしかしたら聞いちゃいけないことだったかな。リエンもそっけない態度で話が続かない。

 俺はソファに座ると窓から夜の浜を見る。そしてカバンから少しごついデザインのゴーグルを取り出した。

 

「それは?」

「ホウエン地方で手に入れた、というか同行者からくすねた"デボンスコープ"、これで夜でも構わず昼間のように浜を監視することが出来るってわけだ」

「監視? なんで監視する必要があるの?」

「昼間のサメハダー。恐らくっていうかほぼ確実に野生じゃなかった。指示していたトレーナーがいるはずだ。一応あの後、あのサメハダーは海に帰ったフリをしてたけどトレーナーが回収しに来てないからな」

 

 話しながら浜を凝視していると頭を軽く叩かれた。そっちを見るとリエンが頬を膨らませていた。

 

「もしかしてまた厄介事に首を突っ込もうとしてる?」

「いや、厄介事っていうか話しても誰も信じないだろ。襲われた、襲ってきた理由も不明瞭だけど明らかに人為的な事件だって。だから唯一アタリをつけてる俺がどうにかするしかないだろ」

「だから言ったじゃん。ダイは怪我人なんだから。そういうのはPGに通報すれば、少しは話を聞いてくれるかも」

「うーん、それも考えたんだけどな……」

 

 アストンを思い出す。ハイパーボールクラスの人間ですら俺の顔を知っていたわけだし、普段から迷子探しだのなんだので街を奔走している一般のPG隊員なら俺の顔にすぐピンときて、保護されるだろう。

 そうなると間違いなく、あの女に連れ戻される可能性が出てくる。それはごめんだ、せっかく今までラフエル地方での一人旅が順調に……順調か? 恐ろしいほど事件に巻き込まれてる気がするんですけど……

 

 ともかくだ、俺はもうあいつの腰巾着は死んでもごめんだから。

 

「だいたい、あのサメハダーが野生じゃないとして……なんでまだトレーナーの元に返ってないってわかるの?」

「あぁ、話は簡単さ。あのサメハダーが海に戻ったタイミングで、あのサメハダーをつがいにしておいたからな」

「つがい?」

 

 まぁそのうちわかるさ。とにかく、俺は人目が無くなる時間をわざわざ待って、そのタイミングでサメハダーが陸に戻ってこれるタイミングを作っていたってわけだ。

 あとは、そのトレーナーが正体を現すのを待つだけ。

 

「……じゃあ、もう止めないけどさ。代わりに聞かせてよ」

「ん? 何を」

「どうして、ダイはそうやって自分がやらなきゃいけないって思い込むの? 私にはここまで度が過ぎてると君の中で強迫観念が動いてるようにしか見えない」

 

 なんで俺が、か……そういえば考えたことはなかったかも。昼間は誰かがやらなきゃいけなかったからで……

 

「男の子は正義の味方に憧れてるって言ったら、それで納得する?」

「うーん……まだ答えとしては弱いかな。もう少しピンとくるものじゃないと」

「そうなると、もう俺が人助けが大好きでそのために下手をすると命を投げ出すような正義のド変態って性分じゃないといけなくなるよな」

 

 ただ、俺は地元の、オーレ地方にいた頃からポケモンを道具にしか思っていない連中を見てきた。だから、そんなやつらは片っ端からいなくなればいい。痛い目を見ればいいってずっと思ってた。

 結果的にそういう組織の連中は軒並み捕らえられ、活動も下火になった。

 

 だからもしかすると俺は正義の味方が好きなんじゃなくて、正義を振りかざして悪を裁くような、そんな独善的なダークヒーローを心の底では望んでいるのかもしれない。

 そして、それが俺の正義なのかもしれない。悪を裁くためには、独りよがりの正義を振りかざすしか無い。そんな感じかも。

 

「って言いながら、実は俺も面倒事って嫌でね。この地方に来てから巻き込まれ体質ここに極まれりって感じで、いろんな事件のど真ん中にいる」

「……それって、ダイは自分が事件の中心にいるしかなかったから、解決を迫られたってだけじゃない。今回もダイが解決しなきゃいけないってものじゃないと思うけどな、私は」

「気遣ってくれるのはありがたいけど、こればっかりはそういう星に生まれたって諦めるしかないよ……おっと」

 

 そのときだ、俺は海に近づく人影を見つけた。俺の襟を掴んでいるリエンの手を振り払って俺はその人物にさり気なく近づいていく。ワンピースにフードつきポンチョという暑さ対策と寒さ対策の入り混じった服装の少女が夜風を浴びながら海を見つめていた。

 さすがにこんな小さな子が犯人とは考え辛いけど、一応念のために。

 

「こんばんは、こんな夜にどうしたの?」

「……おにーさんは?」

「俺は……おいいい加減離してくれよ、このお姉さんの手伝い。んで、このお姉さんはマリンレスキューのお手伝い。つまりおにーさんはお手伝いのお手伝いさん」

 

 そうやって説明すると少女は首を傾げた。不思議な子だった、まるで目だけが猛禽のような鋭さを放っていた。しかし雰囲気はミステリアスとか柔和の入り混じった、猛禽類が持ち合わせていない穏やかさだった。

 俺が言葉を紡げないでいると、俺の後ろから身を乗り出すようにしてリエンが口を開いた。

 

「あなた、お家は? お母さんたちはいないの?」

「お母さんはいないけど、お父さんはいるよ。でもお父さんは今ここにいないよ」

 

 まるで事務的に、ロボットのように告げる少女。リエンはようやく俺の襟から手を離すと少女の手を取った。

 

「じゃあお姉さんと一緒に行こ? 夜の海は危ないんだよ」

「そうなの? じゃあお姉ちゃんたちは危ないのにここにいるんだ」

「それがお仕事だからね……ダイ、程々にしなよ。私はこの子をレスキュー本部に連れてって保護してもらうから」

 

 しっかりと釘を刺される。リエンは少女を連れて浜から上がっていく。俺は夜の浜に腰を降ろしながら、首に降ろしていたデボンスコープを再びかぶり直す。すると海から背びれが飛び出す。

 

「お、帰ってきた。どうだった、メタモン?」

 

 昼間、サメハダーが海に戻ってから監視をさせていたメタモンが陸に上がってくる。どうやらサメハダーには逃げられたらしい。となると、接触ポイントは別の場所になりそうかな。

 もう少しここで張り込みをしてみるか、と砂に腰を降ろした。

 

「しっかし、あの子……リエンだけど、彼女も不思議な子だよな」

 

 自分の中に正義感は持っている。だけど決してそれを絶対に徹すという真似はせず、誰かの正義……信念って言い換えてもいいな、そういうものを尊重する節がある。

 正義の反対側が悪じゃないと知っているような感じだ。けれど、もう一つの正義だからと少しでも人道的ではない行いまで許容してしまうような危うさも感じる。

 

 もう少し話してみたい。彼女のことを知りたい。俺の中でそういう感情が生まれつつあった。

 

「誰かに興味を持つなんて初めてだ……やっぱり、身一つの旅だからかな」

 

 身一つの旅、に覚えがあるメタモンが俺に擦り寄ってくる。お前も船体にくっついて身一つの旅をしていたんだもんな……付き合いはそこまで長くないはずなのに、メタモンは結構人の機微に敏い。

 俺の手持ちは元々俺についてきたがった連中のためか、どこか人間的な感覚を持っている。野生の中にいて、野生とは違う人間性を手に入れていた……そんな感じかもしれない。

 

「にしても、なんだか波が騒がしいな……」

 

 風はそよそよと吹いているにも関わらず、ざあざあとやや凄まじい音を立てている。まるで沖の方で何かが暴れてるみたいだ。

 そしてその予感は、尽く、嫌なくらいピタリと当たるものだった。海をかき分けるようにこちらに向かってくる二つの影があった。しかもそのうちひとつはとても巨大な影で、その影の口がきらりと閃く。

 

 直後、俺の数メートル横の浜が高圧力の光線によって吹き飛ばされた。堤防部分のブロックが粉微塵に吹き飛び、その破片が俺の身体にぶち当たる。

 

「【はかいこうせん】だ……! あれは、"ギャラドス"……!?」

 

 しかもただのギャラドスではない、その全身がまるで血のように真っ赤だったのだ。話には聞いたことがある。怒りの象徴の如く赤いギャラドスが確かどこかの地方で発見されたはずだ。

 それを捕獲したのか、その噂のものとは別個体なのかは定かではない。問題は、そのギャラドスが浮上し浜で大暴れを始めたということだ。

 

「大怪獣バトルだ……メタモン、ギャラドスに【へんしん】だ!」

 

 メタモンがコクリと頷き、俺の両手大の大きさから俺の身長数倍ほどの赤いギャラドスへと姿を変える。俺は図鑑を取り出し、相手のギャラドスが覚えている技、すなわちメタモンが使えるようになった技を確認する。

 しかしギャラドスとメタモンの取っ組み合いとは別の場所で起きた水柱の中から現れたもう一つの影が放つ高圧力の水流が俺の手目掛けて飛んでくる。それは外壁掃除用の高圧シャワーのように、物理的な威力を持っていて俺の腕は吹き飛ばされるかのような痛みを感じていた。

 

「あぐっ……図鑑を狙っているのか……!」

 

 いかにポケモン図鑑が耐水性とはいえ、あんな勢いの水に当たったら木っ端微塵だ。俺は難を逃れた図鑑で現れた水柱に向けて図鑑を向ける。すると予想通りの答えが帰ってきた。

 

「昼間のサメハダーか! ペリッパー! キモリ! もう一度伸してやれ!」

 

 ペリッパーが空を飛びながらキモリをその背に乗せる。昼間とは違い俺を乗せていないペリッパーは簡単に空を飛ぶ。これはルール無視の野良戦だ、わざわざ相手と同じ土俵で戦う必要はない。

 しかしどちらの戦いにも気を裂かねばならない。ギャラドスとメタモンの戦いはそんじょそこらのポケモンの戦いとは違う。しかもただでさえ相手のギャラドスは気が立っているのか、動きが荒々しい。目を離している隙に尻尾にぶち当たったら無事じゃすまない。

 だからと言ってあのサメハダーを完全に無視は出来ない。先程の【ハイドロポンプ】を食らっても、ただではすまないだろう。それにペリッパーはともかく、キモリは水上水中での戦いに慣れていない。海のギャングであるサメハダーを相手にそれはまずい。

 

 暴れるギャラドスは浜の砂を舞い上げる。だが見ればそれだけではなかった。一件暴れてるように見えてギャラドスは自らの勢いで【たつまき】を起こしている。さらに【りゅうのまい】でどんどん動きがエスカレートしていく。

 吹き飛ばされそうなほどの風圧を受けながら、俺は覚悟を決めてメタモンに飛び乗る。

 

「よし、こっちも【りゅうのまい】だ。振り落とされねーように掴まってから遠慮すんな!」

 

 メタモンがギャラドスの声で咆えると、負けじと相手のギャラドスに対峙する。ギャラドスが起こした【たつまき】を打ち消すべく、一度海の中に飛び込むと身体に水分を蓄積する。

 そして海水をフルで利用した【ハイドロポンプ】を竜巻目掛けてぶつけるが、やはり【りゅうのまい】で素早さを高めたギャラドスが生み出した竜巻の強固な風圧によるバリアは抜くことが出来なかった。そのときだ、【ハイドロポンプ】によって水分が含まれた竜巻は動きが鈍重になった。

 

「そうか、あの竜巻砂を巻き上げて威力が上がってるんだ……! ペリッパー! 【なみのり】だ! ビーチを飲み込むくらいどデカイのを頼む!」

 

 キモリを抱えたままペリッパーが昼間のように跳躍し、羽撃きによる風圧を加算したダイブで巨大な波を起こす。その波は繰り返すごとに大きくなり、俺の指示通り戦闘区域のビーチをすべて飲み込むほどの波が押し寄せる。

 すると昼間の太陽でカラカラに乾燥した砂浜に水が含まれ、ちょっとした風では持ち上がらなくなる。すなわち、竜巻の威力は大幅に落ちる……!

 

「メタモン! 【アクアテール】!」

 

 尾の部分が海水に浸っていたため、【アクアテール】はより協力な一撃としてギャラドスの頭を打つ。しかしギャラドスは存外タフなために頭部への一撃を加えても依然健在だった。

 そしてギャラドスが口を開くと、そこに煌々と輝く光が蓄積されていく。

 

「来るぞ! 迎え撃て! 【はかいこうせん】!」

 

 ギャラドスが放った【はかいこうせん】と少し遅れてメタモンが放った【はかいこうせん】がぶつかり合う。先程の竜巻に匹敵する風圧が俺の身体を撫で、髪を引っ張る。

 撃ち合いから逸れた高熱のエネルギーが砂を焼き、海を割る。さすがは数あるポケモンの中で五指に入るほどの暴れん坊が放つ【はかいこうせん】だ。

 

「メタモン! こっちは任せるぞ!」

 

 俺はメタモンの背を滑り降りるようにして今度は浅瀬に向かう。

 

 そのときだ。俺はギャラドス化したメタモンの尾の部分に何かが付着していることに気がついた。それは齧られた木の実の食べ残しだ。恐らく、【アクアテール】がヒットしたとき相手のギャラドスの口から離れたものだろう。

 もしかしたら、と俺の中で一つの仮説が立つ。

 

 ペリッパーたちは俺の指示を受けずとも独自の戦法でサメハダーを追い詰めていた。こちらを先に圧倒することさえ出来れば、ギャラドス攻略は多少容易くなる……!

 しかしサメハダーにもアドバンテージがある。昼間一度戦っていることで、ペリッパーたちの同じ戦術が通用しない。何より、今は夜中で太陽が無い。キモリ必殺の【ソーラービーム】を放つことが出来ない。つまり決定打が撃てないのだ。

 

「ダメージ覚悟で突っ込めるか……?」

 

 俺の呟きを拾った二匹がコクリと頷く。覚悟は決まってるらしい、だったら俺は道筋を示してやるだけだ。

 

「ペリッパー! 【でんこうせっか】でサメハダーを追い立てろ!!」

 

 キャモメの頃の素早さを今一度、とばかりにペリッパーがキモリを抱えたまま低空で飛行しサメハダーの後を追いかける。サメハダーもまた【アクアジェット】で必死に逃走する。

 しかしやはり水中では微かにサメハダーの方に分があった。普通に追いかけるだけでは、ぐんぐんと差をつけられてしまう。

 

 選択肢は二つ。メタモンとペリッパーたちを入れ替えて戦う。そうすればサメハダーを追い立てることは出来るだろう。けどそれでは今以上に決定打に欠ける。

 となれば少しでも勝率が高い現状を維持するのが最優先だ。だが何か一手が足りない。その決定的な一手を埋めることさえ出来れば……

 

 頭を捻っているその時だった。ギャラドスの咆哮が耳を劈き、次の瞬間俺の身体はふわりと浮き上がった。見れば再びギャラドスが竜巻を起こし、なんと俺をそのまま攻撃してきた!

 

「視界がッ……!」

 

 風に煽られぐるぐると吹き飛ばされる。ペリッパーが俺のフォローに回ろうとするが、俺はそれを手で制する。このまま飛んでも落下するのは海の上だ、落ちても死ぬことはない……!

 直後、俺自身の身体が水面に打ち付けられて水柱が立つ。そのとき俺に天啓とも言えるアイディアが生まれる。

 

「そうか、【ぼうふう】だ!」

 

 ペリッパーが一度動きを止める。そしてキモリを俺によこすと、自ら水上に飛び上がり、大仰な羽撃きを見せる。その風圧はギャラドスの竜巻とは比べ物にならない範囲の風を起こす。

 だけど範囲が広ければ、それだけ風の威力は分散する。とても先程のようなうねる竜巻は起きない。

 

 それでも、水の流れは作れる。

 

 俺と、サメハダーはペリッパーが作る擬似的な【うずしお】のど真ん中にいる。作られた波の中を抜けることはサメハダーにも出来ないのか、抵抗も虚しく俺と一緒にぐるぐると渦の中を回っている。

 そして俺は今一度キモリをペリッパー目掛けて放る。するとキモリはペリッパーの嘴の下にペタリとくっつくと、波の影響を受けない空からサメハダー目掛けて急降下する。

 

 キモリがペリッパーを足場とし、弾丸の如くサメハダーに襲いかかり【メガドレイン】で大幅に体力を奪う。やがて体力を消耗しすぎたサメハダーは昼間のように暴れ、やがてピタリと動きを止める。

 

「やったぞ! よし、このままメタモンの援軍に……!」

 

 思わずガッツポーズした次の瞬間だった。俺の真上を飛んでいたペリッパーに極大の炎が直撃する。みずタイプでなければ、間違いなく消し炭になるような炎だった。

 ペリッパーの苦悶の叫び、炎が掻き消える頃にはペリッパーは戦闘不能になっていた。ほのおタイプの技で、一体誰が……

 

 もちろん敵はギャラドスしかいない。ギャラドスはその口に炎々と燃える光を蓄えていた。

 しかもあの巨大な炎の一撃、恐らくは……

 

「【だいもんじ】か……ッ!」

 

 俺は急いでペリッパーの元に泳ぎ着くと、ペリッパーをボールに戻す。瀕死に加え、尋常ではない火傷を負ったペリッパー。どう考えても戦闘を続行することなど出来ない。

 なんとか陸に戻る。その間ギャラドスはメタモンが抑えてくれていたものの、メタモンは慣れない大型ポケモンへの変身を続けていたせいか動きがだんだんと悪くなっていた。

 

「メタモン! 一度下がれ!」

 

 しかし今のメタモンを除けば、俺のポケモンはすべて小型のポケモンだ。ギャラドスを相手取れるかすらわからない。一旦この場は引いた方が賢いやり方かもしれない。

 だが、俺が逃げもしあいつが追いかけてくるのなら、街には逃げられない。暴れるギャラドスの危険性は今この場で思い知った。

 

 じっとりと、海水混じりの汗が頬を伝う。そのとき、脳裏にはリエンの言葉が蘇っていた。

 強迫観念が俺を動かしている。俺がやらなきゃいけない。その意思が俺を突き動かしていると。

 

「正直言えば逃げたいさ。こんなでっかいやつ相手に、追い詰められて……」

 

 だけど、あのギャラドスもまた誰かの指示で動いている。そして、戦いの最中にあのギャラドスが零した、あの木の実を見て確信した。

 木の実の名前は"ウイのみ"、かつて図鑑で種類を見たことがある。どちらかというと渋い味のする木の実だ、そしてあのギャラドスは戦っていてわかった、いじっぱりな性格なのだ。

 

 つまり食べると、好みの違いで混乱する。それを自分から食べたとは考え辛い、あのギャラドスは野生にしろ手持ちにしろ誰かの手によってわざと混乱させられたのだ。

 そしてサメハダーによる誘導で、俺たちとぶつかっている。ギャラドスは怒って暴れているのかもしれない、ただそれは誰かが人為的に起こしたものだ。

 

 だったら、助けてあげたい。

 

 苦しんでいるのが人間だとか、ポケモンだとかは関係ない。誰かがあのギャラドスを利用しているのなら――――

 

 

 

「絶対に助けてやる……!!」

 

 

 

 俺の思いに同調したキモリが我こそは、とばかりに前に立つ。ギャラドスは再び浜で暴れ、その尾で水を切り裂きながらキモリを狙う。【アクアテール】だ、狙いはまずまず!

 

「【みきり】!」

 

 キモリは【アクアテール】の一撃を、威力が一番死ぬポジションまで引きつけてから受け止め、そのまま背負い投げるようにして地面へと叩きつける。あの小さな体のどこにそんなエネルギーが溜まっているのか、不思議だ。

 

「ん……? エネルギー……?」

 

 少しばかり目を凝らす。キモリの動きがいつも以上に良いのだ。あんな大きなギャラドス相手に物怖じせず、果敢に突っ込んでいく。弾丸のようなトップスピードで襲いかかり、尻尾を【たたきつけ】、即座に離脱。

 ギャラドスが混乱しているとはいえ、手も足も出させないほどに……

 

 とにかく、今のキモリの力があれば押せる。あとは後一歩をみんなで踏み出させるだけだ……!

 

「ゾロア! やれるか?」

 

 今までボールから静観していたゾロアが満を持して現れると、俺の問に力強く咆える。この小さな身一つのゾロアがあのギャラドスを戦闘不能にする(しずめる)には、強力な一撃を要する。

 それこそ、あのギャラドス自身の力のような、強烈な一撃が。

 

 キモリの電光石火の早業で追い立てられたギャラドスは癇癪を起こし、【だいもんじ】とは違う光を口に蓄え始める。さっきも見た【はかいこうせん】の光だ。そして俺はこれを待っていたんだ。

 

「今だ! 【まねっこ】だ!」

 

 ゾロアが精一杯に口を開き、闇色のエネルギーを蓄える。それはゾロアの身体よりも大きな力の集束体となってギャラドス目掛けて一足先に放たれる。

 光と、闇の砲撃が交錯しギャラドスの身体にゾロアの【はかいこうせん】が直撃する。それを受けて倒れるギャラドスの絶叫を乗せたはかいこうせんが再びビーチや海を薙ぎ、焼き払う。

 

 しかしジタバタと苦しみだすギャラドスの放った光線による薙ぎ払いが、俺たちにに向かってくる――――!

 

「ミズ! 【れいとうビーム】!」

 

 そのときだ、凛とした声が夜のビーチに響き渡り、俺の周囲に壁になるような氷壁が幾つも出来上がる。氷による即席のシールドが一瞬俺を守ってくれる。俺はゾロアを抱えて、その場に伏せる。

 氷の盾もギャラドスの【はかいこうせん】を受けて容易く溶けてしまうが、先程の一瞬が生死を分けていたと思うと、少しゾッとする。

 

「ちょっと、無事だよね!」

「なんとかね! なんとか!」

 

 すぐさま詰め寄られ、身体中を調べられる。しかし俺が受けた傷はそんなに多くはない。せいぜい海に投げ出されたときのダメージくらいだ。

 それがリエンにもわかったみたいで、彼女もホッと胸を撫で下ろしていた。俺は氷の盾から少しだけ頭を乗り出してギャラドスの様子を伺った。

 

 ギャラドスはサメハダー同様目を回していた。どうやらゾロアに受けた攻撃がクリーンヒットしたらしい、それにキモリは攻撃の合間に【メガドレイン】を挟んで反撃の機会を作ってくれていたようだ。

 

「それにしても、【れいとうビーム】が使えるんだなミズは……」

「よく海に流れ着いたガラスとかで怪我しちゃう子供とかが多いからね、傷口を凍らせる応急処置のためにパパにわざマシンを借りたの」

 

 俺達はギャラドスの側に歩み寄る。俺達がつけた傷でダメージが酷い。しかし暴れられても困るので、今回復させるわけにはいかないのが心苦しかった。

 

「ところで、どうしてここに……?」

「あの子をレスキュー本部に預けて、帰ってきたら浜でドンパチやってるんだもん。気になってきたら、ギャラドスのはかいこうせんが……」

 

 リエンがそこまで言って、半袖からはみ出ている白い手を抑えた。俺は気になって腕を覆った手を少し無理やり退かした。すると、リエンの白い手に薄っすらと赤い線が浮き出てはそれがさらっと垂れ落ちる。細くだが傷が走っていた。

 

「これ、どうしたの?」

「暴れてたギャラドスの一撃が地面を壊して、その破片が飛んできたの。痛くはないから少し抑えておけば血は止まるよ」

 

 そう言うが、血がじわりじわりと滲み出てきている。俺はカバンの中から生地が柔らかいハンカチを取り出して、それをリエンの手に巻き付ける。

 

「平気だって言ったのに」

「俺の応急手当ばっかりして、自分の身体は後回しなんてたとえ小さな怪我でも俺が見過ごさないぞ」

「ふぅん、男の子って変わってるんだ」

 

 飄々とした態度で告げるリエンだが、次の瞬間には口が綻ぶ。少し照れくさくなって、俺は顔を逸らす。

 しかしその時だ、サンダルがコンクリートを擦るような、足を引きずった子供のような歩き方特有の音が耳に入った。それは徐々に近づいてきて、

 

「へぇ、ギャラドスがやられちゃったんだ……想定内だけど、おにーさん強いんだ」

 

 ギャラドスをボールに戻し、浜に降りてくる影。

 

 それはさっきリエンが連れて行ったはずのワンピースとフード付きポンチョの、不思議な女の子。しかし先程とは違って、雰囲気がガラリと違っていた。先程の不思議ちゃんっぽさはどこへ消えたのか、彼女はまるで冷ややかに高所から俺たちを見下していた。

 

「そのギャラドスは君の手持ちだったのか……?」

 

「そうだよ、ついでに言えばサメハダーもね。わたし、みずタイプのポケモンが好きなんだ」

 

 聞いてもいないことを、視線を変えずに俺に向かって告げる少女。雰囲気が変わっても、なお変わらない猛禽のような目つき。

 彼女はカラカラと笑って、視線を俺からリエンへと切り替えた。

 

「お姉ちゃんはイイ人だね、こんな夜更けにこんな小柄な子が一人でいてまったく警戒してなかった? ベースの人たちもまったく疑ってこないから、不意打ちが簡単だったよ」

 

「……まさか、レスキュー本部の人たちを襲ったの……!?」

 

「死んではいないよ、わたしたち()()()()()()得意なんだ。()()()()()のは得意だけどね」

 

 舌舐めずりをするように彼女は呟くと俺とリエン、まるでどちらから手を付けるか品定めをするように交互に視界を送る。

 しかし俺は、リエンより一歩前に出て彼女に質問を投げかけた。

 

「君もバラル団なのか?」

 

「そうだよ、君たちに名乗った"バラル三頭犬"の子犬と違って、"真のバラル三頭犬"のヘッド……名前はケイカ、よろしくね……オレンジ色のおにーさん」

 

 少女――ケイカは名乗り、俺達に向かって歩いてくる。俺もリエンもジリジリと後退するが後ろは海だ、逃げ場は存在しないも同然だった。

 

「もう一つ、聞かせてくれ。ウイのみをギャラドスに持たせたのは君だろ、なんでそんなことをした?」

 

「理由か……そうだなぁ、おにーさんがどこまでギャラドスを分析して戦えるかが見てみたかった、って感じでいい? 大して理由なんて考えてなかったんだよ」

 

 歯が割れるようだった。噛み締めた奥歯が悲鳴を上げて、俺はリエンが俺の手首を握り締めていなかったらこの瞬間にも飛び出してしまいそうだった。

 

「トレーナーが、ポケモンをわざと混乱させるなんて……ギャラドスは本気で苦しんでいたんだ……」

 

「そうだね、悪いことをしたとは多少思ってるよ。でもギャラドスはわたしたちが大好きだから、わたしたちが差し出した木の実を平気で口に運んだよ。わたしたちはギャラドスが了承してやったと思ってるけど?」

 

 まったく悪びれない態度、ついに頭に来た俺はリエンの手を振り払って怒りのままキモリをリリースする。癇癪を起こしていたキモリも同感らしく、指示せずとも全力の【エナジーボール】がケイカへと向かった。

 しかしケイカがニッと笑うと、次の瞬間新緑の球体がスッパリと両断されてしまう。エナジーボールを切り裂いた何かはそのまま俺とリエンに襲いかかる。

 

「風ッ!? いや、これは……!!」

 

「【かまいたち】、刃物にも匹敵する切れ味の真空波だよ。わたしたちの、"アブソル"のね」

 

 顔を上げると、ケイカはいつの間にか呼び出していたポケモン"アブソル"に腰掛けていた。アブソルもまた俺たちを冷ややかに見下ろしていたが、やがて興味をなくされたように顔を逸らす。

 

「さすがにギャラドスもサメハダーもいない手持ちじゃ、おにーさんたちの相手はちょっと面倒だから今日は帰るね。ジンもイグナも詰めが甘いと思ってたけど、なるほどね……」

 

 ボソボソとケイカが何かを呟くが俺たちには聞き取ることが出来なかった。ケイカはアブソルの身体をポンポンと叩くと、俺達を一瞥してそのまま走り去ってしまった。

 またしてもバラル団との因縁が生まれてしまったことと、度重なる巻き込まれ体質……いや今回のことで自覚した、首突っ込み気質。

 

「くそっ……バラル団って、何が目的なんだよ……」

 

 苛立ちを砂にぶつける。舞い上がった砂は先程の戦闘で水を含んでおり、脚に重い衝撃を残した。

 拳を握りしめると、リエンが後ろから俺の手を取った。触れられたことで、手にかかっていた力が一気に抜けてしまう。

 

「とりあえず、レスキュー本部に行かなきゃ。みんなが心配だよ」

 

 リエンはそう言って俺を置いて先に向かう。そうだ、ケイカにやられた人たちが心配だ、それに今日はただでさえリエンのお父さんが遅番で残っていたらしい。彼女としても心配だろう。

 俺は急に静かになったビーチを見て、それから急いでリエンの後を追った。

 

 

 

 

 

 ◇ ◆ ◇ ◆ ◇

 

 

 

 

 

 気づけばたくさんいた。

 

 私という個はいつの間にか、たくさんある個の一つになっていた。

 

 いつからか私はわたしたちになった。だけどわたしたちはとても似ていて、気になるものが常に一緒だった。私の中でブームが訪れるようなものだ。

 

 そして今回のブームは、あのオレンジ色くんだった。

 

 私が言う。オレンジ色のおにーさん強かったね、と。

 

 それに私が返す。ジンとイグナはきっと爆発力に負けたんだ、と。

 

 それに向かってまた私が言う。組織にとっては非常に厄介な存在だ、と。

 

 わたしたちが、それに頷いた。

 

 だけど、わたしたちが目をつけたなら最後はきっと巡り会う。どんなことがあろうと、きっと再び相見える。

 

 そのときが楽しみだね、わたし。

 

 ああ、とても楽しみだな、わたし。

 

 


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