――光を、幻視した。
その
虚飾と欲望にまみれた黄金都市は、どこまでも続く穏やかな白い草原へ。
紅蓮の色で支配されていた天空は、宇宙を想起させる美しい色彩で染められた。
この世界の主が立つのは、唯一彼を讃えるようにしてある純白の玉座の傍らだ。
そして、あらゆる生命は直感するだろう。此処は、一つの完成された空間であると。
「これ、は――」
「“時間神殿”。
現実を塗りつぶす固有結界……というより、もう小宇宙の域ではなかろうか。
ここは領域そのもの。虚数空間にある、時間と隔絶された工房だ。もはや別世界、と言っても過言ではない。
「――馬鹿な。貴様の心臓は、確かに――」
「元々、君を降霊させたのは
……そうか。黙示録の金杯だから、ではなく、未完成の金杯だったからこそ彼の心臓を貫けた。完全に黙示録側のものになる前なら、まだ彼の魔力の影響は残っている。
彼は単に、自分の魔力を取り戻しただけ。泥に呑まれようと、それら全ては自分の魔力である以上、ただ還元してしまえばよい話だったのだ。
「ならば、この重圧はなんだ……! 貴様、余に一体何を――」
「なに、単に
さらりと言ってのけた言葉に冷や汗が流れる。
権能の剥奪。それはつまり、あの魔王から絶対の無敵性が失われたということ。
ただ己の領域を展開するだけでこの効力。本来の時間神殿は一体どれほどの力を秘めているというのか。
「ようやくフィナーレか。ああ確かに、決着の舞台にはうってつけだな、ここは」
ふと、隣りからそんなアンデルセンの声が聞こえた。
しかし放たれた言葉には首を傾げる。口調からして、なにやらこの場所を見たことでもあるかのよう。英霊の座があやふやな場所とは知っているが、それにしてもこの作家が魔術王と相対するような状況などあるのだろうか?
「さぁな。此処にいる俺はそんなことなど知らん。だが、そういう可能性が生まれることもあるのだろうよ。いずれ――な」
未来とは不確定要素の塊だ。それを僅かでも「視る」力を手にした今となっては、嫌でも理解できてしまう。
……まだ誕生していない可能性。形作られていない時間軸。
アンデルセンが察知しているそれらは、きっと私ではない、別の誰かが走り抜ける物語だ。
私は、私に歩いていける道を辿っていくだけである。
「お前には勝利の栄光を得る権利も英雄に成る資格もない」
だが、と童話作家の声は続く。
「
「――――――」
それは、その作家なりの役者へ対する花束だった。
暖かでいながら、叱咤するような厳しい言葉。
彼の助言をものにするまでには時間がかかりそうだが、なに、彼が支えてくれるのなら、自分も彼に書かれた主役として踏ん張らねばならないだろう。
「ッああもう! 何が起きてるか理解が追いつかないし、訊いたところでどうせ理解できないんだろこれ! ――とにかく今は援護に集中するからな!!」
「あの女こそ病気の根源。早急に叩いてしまいましょう。……えぇ、貴方も気を付けて」
背後から、確定の状態が解かれたのであろう協力者の声が聞こえる。
彼らにも今まで色々な無茶をさせてきた。ここまで来れば、何が何でも最後まで付き合ってもらうつもりである。
「……やはり刃向かうのか、そなたらは。だが、余は負けるワケにはいかぬ。我らの
叫ぶと共に、彼女の魔力が上昇したのを感じ取る。
権能が停止したとしても、金杯はその効力、その機能を失わない。
剣が折れない限り、彼女は戦い続けるだろう――皇帝として、己の
――ああ、その姿を知っている。
敵がなんであろうと、どれほどの窮地に追い込まれようとも、そういう戦いで彼女が敗北を喫することはない。
「それでも、今のお前が悪であることには変わりない」
ありとあらゆる生命を取り込み、ありもしない黄金郷で栄華を欲しいままにする魔王。
やがて彼女と獣たちは地上を統べる王となる。獣が彼女を裏切らない限り、彼女が獣を軽視しない限り、その繁栄は約束される。
――以上の悪行をもって彼女のクラスを決定する。救世主なぞ偽りの名。
其は人間が縋った、人類史を虚飾の終末に至らせる大災害。
その名をビーストⅥ。七つの人類悪の一つ『愚鈍』のレプリカ。
贋作故にこれの対となるものは存在せず。ただ、再現された黙示録を彼女は獣と生き続ける。
「華と散れ――罪科は問わぬ」
剣から放たれたのは泥ではなく、熱く燃え上がる炎の海。
そこから次々と立ち上がって来るのは、国の指導者を守らんと武器を構える焔の軍隊。
「――
だが、輝きを帯びた剣を握って駆け出した。
十メートルあった距離は刹那に消え失せ、眼前にあるのは武器を振りかざす兵士共。
けれど宝石剣を一閃することはなく、自分はただ、後ろの協力者たちの動きを読んでいた。
「さぁ、破れるものなら破ってみせろ! “
瞬間、炎の海の上から上書きするように究極陣地が敷かれる。武器を構えた大半の兵は動きを止め、次に射出された光線で薙ぎ払われていく。
そうして作られた道を駆け抜けるも、再び生成された兵士たちが再び道を塞ぎ始め、しかしその途端に白衣の天使によって浄化された。
「殺菌します。病原は断ち切るのみ――“
――進む。足場もなかった地獄の中を、ひたすら走る。
此方に向かってくる敵は全て後衛が排除してくれる。それも、この時間神殿による能力の上昇があるおかげだろう。
ならば、一番
「見蕩れよ――“
「
並行世界から習得した剣技のスキルで、放たれた刃に対応する。
宝石剣は名称こそ「剣」の文字が入っているものの、その能力からお察しの通り、その本質は剣ではなく杖である。
故に此方が行うのは刀身の強化ではなく、放出した魔力による
「小癪な。だが良い、もっと愉しませてみせよ――“
「ッ!」
一層重くなった剣から逃れるように横へ跳ぶ。
そこで当然の如く背後に現れた幻想の兵士を切り払いつつ、追撃を仕掛ける皇帝の黄金の刃を紙一重で回避、
「
刹那、純白の草原に亀裂を生みながら斬撃が放たれた。
大地どころか大気をも揺るがす熱量。外すことなく黄金の光が皇帝へ直撃した手ごたえを得るが、直後の反撃に身を翻すこととなった。
「――“
赤い斬撃が草原を、空間を突き抜ける。
まさしく赤雷と見紛うような脅威は、確かに束ね上げた魔力を消し払っていた。
『まさに斬撃皇帝ですね』
「その名はやめろ。私に効く」
軽くトラウマを抉られながらも、まぁ巨大生物を相手にするよりマシだろうと結論付ける。といっても、あの少女もヒトの形をした人類の敵なのだが。
「――集え。束ねろ。万象はここに形を造る」
剣に魔力を充填し、一瞬で星の記録を読み上げる。
無論、そんな膨大過ぎる情報量など人の身には過ぎたもの。事象を塗り替える奇跡、或いは暴挙など早々あってはならないことだ。
一度に使える限度は三回。私が自分で第二魔法に至らない限り、それ以上は
狙うは一点。彼女が支えとしている偽りの聖杯を打ち砕く……!
「真紅に染めよ、繁栄の薔薇――――」
此方の動きに気付いたのか、マザーハーロットの周囲の魔力がより濃くなっていく。
次に展開される光景は目に見えている。だから遠慮なく魔力を収束させ、迎え撃つ。
「“
「“
コンマ一秒、彼女の方が早い。
地を覆い尽くす炎は嵐となり、時間神殿そのものを塵へと還す。
全てを焼く炎。あらゆる軸に存在を証明し、剪定すら許さない業火。
……だが、こと彼の領域において、その在り方に変化が訪れていることを彼女だけが見逃している。
「“
世界を包み込んだ灼熱が、次の瞬間消え失せる。
それに驚愕を表したのは他ならぬ大いなる母。その一瞬の硬直が絶好のタイミング。
「貴様――」
魔術回路をフル稼働させ、ネロの間合いに入り込む。瞬間、
「“
宝石剣を偽聖杯へ向かって
あらゆる可能性を束ね、魔力として蓄積させていた宝石剣を。
その気になれば、事象の一つを塗り替えることさえ可能とさせる神秘の塊を。
――閃光が炸裂する。
ごぉ、という世界が砕けるような音を立てて。
綺麗な草原が荒れるのは少し勿体無いな、という感想を抱きながら真白の視界に目を細め、背を向ける。
今のは、間違いなく聖杯を破壊した。ついでにそれを持っていた大妖婦も――金杯と共に霊核を壊されたのなら、消滅は免れまい。今や、彼女の権能や能力はこの空間によって大幅な制限がかけられているのだから。
「――否。我が、帝国ハ、決して――滅びを迎えぬ」
幻聴じみた声に振り返る。
空間を呑んだ光の奥、見えるのは伸ばされる腕と翠の両眼。
……史実によると。
ネロは皇帝の座を追われた後、追っ手に見つかることなく三度の落陽を迎えたという。
――一度目の落陽。ありえない幻に鼻をかんだ。
――二度目の落陽。聞こえない呼び声に唇をかんだ。
そして、訪れた三度目は――――
「――いいや。君の負けだ、
魔術王が宣言した瞬間、天に魔法陣が現れる。
悪を裁く神の罰。
それは彼女という都市文明を破壊せんとする、
「遊星の紋章、復刻――“
いち早くその場から離脱した途端、崩壊の音が時間神殿を飲み込んでいく。
視界は白に染まり、分かるのは今のが彼女へのトドメとなったことだけだった。
――全ては黙示録通りに。
これで、本当に戦いは終わりを迎えた。