「……あ?」
炎と歯車、剣の丘は完全に消え去った。
感じる冷たい風も、夜になっている現実世界の証拠であろう。
ならば、私たちは元いた十字路に立っている筈なのだが――
「――アアああぁッ!?」
地面がない。十字路はおろか、町の景色すら視界には入っていなかった。
あるのは奇妙な浮遊感――ではない、重力に従って落ちている――!?
『魔法少女専用の空中飛行能力を追加。イメージを、ルツ様』
冷静過ぎるサファイアの声は逆に此方を落ち着かせてくれる。
言われるがままに漠然とした飛行イメージを想像すると、上手く働いてくれたのか空での安定を保つことができた。
……空?
「な――――に?」
そこは夜空だった。間違いなく。
ふとすぐ下の風景に目を向ければ、十字路らしきものが見えてくる。つまり、アーチャーの固有結界そのものの座標が天空に移されていた、ということか……?
「……待った。他の連中は――」
「こちらにいるよ。驚かせてしまってすまないね」
聞き覚えのある、穏やかかつ白々しい声が耳に入る。
振り返ると、そこには案の定空中を歩く魔術王。
彼のすぐ近くの空間にはなにやら見えない地面が形成されており、その上に腰を抜かした
「……いや、待ちたまえ。そんな関心したような顔をするんじゃない。此方も展開が突飛過ぎて理解が追いついていないだけだ。というか、何故君は飛んでいる」
「
『ノー。断じてノー。ルツ様のMS力はマイナス値です』
まぁ、この歳で魔法少女なんぞに変身したら自殺モンなのだが。
飛行イメージの方は月の方で飛んだり跳ねたりしていた経験が役立った。当時は大体死ぬ羽目になりかけていたが、まさかこんなところで発揮されるとは。
「んで、なんで空にいるんだ私たち。そっちも地面はどうなってんだよ」
「外にいた私が結界の座標を移動させた。
自分の魔力がないのなら、外に頼ればいい……というわけか。確かに、多少の魔力を集める程度なら、魔術王にとっては造作もないだろう。
なにはともあれ、現在全員が空中に留まっているという奇妙な状況になっている。理由は町の風景を見ればなんとなく察せるが……これは直接尋ねた方が早い。
「……じゃあ次。なんなんだあの荒野。円蔵山囲まれてない? 大丈夫?」
向けた視線の先には、円蔵山への道を塞ぐように、否、塗り潰すように顕現している荒地がある。
そこには町の風景も何もない。人工の中に突然荒廃した自然環境が現れた景色になっており、かなり違和感を覚える光景だ。
「侵蝕固有結界……いや、異界化と言った方が近いかな。都市喰いの能力が発動した結果だよ」
「――黙示の獣か」
鋭い声で呟いたアーチャーの言葉に頷く魔術王。
……薄々勘付いていたことではある。というか、黙示録の獣というフレーズを聞けばなんとなくその法則性は思い浮かんでしまう。
「今はどうやら、三位一体の災害として顕現するものとして在るらしい。第一の獣の首は落とされたが、それはまだ始まりでしかない。そも、オリジナルの原罪のⅥはあの獣と大いなるバビロンのことを指しているからね――荒野が“彼女”の潜む地を守るように現界しているのも、そういうことだろう」
「……にしては、その。確かに気味の悪い魔力だけど、獣の姿なんてどこにもないじゃないか?」
ウェイバーの意見には同意したいところだ。
現在、私たちの視界に映っているのはあくまでも
「あの荒野の中に踏み入れば嫌でも目撃するよ。侵蝕された領域は既に獣のものだ。未だ『外』である此処から観測しても、姿形までは見ることはできない」
「……要は、倒したいなら奴の結界内に飛び込む必要があるってことだな?」
肯定の返事がくると、思い切り溜息を吐く。
ただでさえ生物……というか存在自体が人や英霊というのを超越しているモノに対し、此方は向こうの領域に踏み込まねばダメージすら与えられないのだ。
……勝ち目は限りなく薄い。相手が自分の陣地に篭り、かつ外界までも侵蝕していく今、まともに戦おうとする方が無謀というものだろう。
「……ちなみに結界内に入ったらどうなるんだ?」
おずおずと質問したウェイバーに、やはりソロモンは淡々とした調子で答えを返した。
「良くも悪くも即死といったところだろう。人間なら獣に喰われるか、それとも結界内で発動される地獄の業火に焼かれるか」
「とんだ鬼畜仕様だな……流石ビースト」
「フォフォーウ、キュッキュッ!?」
なぜこっちを見る、とでも言うようにウェイバーの肩に乗っていたフォウが鳴き声を上げる。
見た目は可愛いのだが、
「私の固有結界で上書きすることはできないのかね?」
「無理、というより無駄だろうね。アレは全てを喰らう。たとえ、外からあの領域へ向けて攻撃を仕掛けたとしても、結界の侵蝕で無に帰すだろう。――最も、それは人間によって作られたものでの話だけれど」
「――、」
そこで、一つの可能性が生まれた。
あらゆる魔術、人によって生み出された術は効果を成さない。がしかし、星や神によって創造されたものならば――?
「……魔術王、あの結界が街を侵蝕し切るまでどれくらいかかる」
「獣の動き次第だね。今は歩く速度で侵蝕しているが、天敵を感知して暴れ始めれば深山町をあっさり呑み込むだろう。その次は新都に移り、この冬木市をバビロンの都に
倒そうとすれば街は喰われ、しかし獣を引き寄せていなければ先へは進めない。
どうしようもない行き止まりである。いや、災害が顕現した時点でとっくに行き止まりは迎えているのだ、この世界は。
……けれど、諸悪の根源である聖杯を回収、破壊さえしてしまえば此方の勝ち。
目的がはっきりしているのならば、取るべき行動はほぼ決まったようなもの。
「アンデルセン! アンデルセンはいるかー!」
「いるぞ。しかし生憎とこちらは絶賛執筆中でな。これ以上一体何の仕事を押し付ける気だ?」
霊体化していた即興詩人が空中の床に降り立つ。
すると、私が言葉を放つ前に彼の近くにいたナイチンゲールが目の色を変えた。
「――手足、喉、身体の至るところに呪いを確認。治療します!」
「くっ! これだから実体化は避けていたというのに!!」
そういえばナイチンゲールが来た時、メモを取ると真っ先に霊体化していたことを思い出す。
スキル、無辜の怪物。読者からの呪いを受けている彼も、看護師にしてみれば立派な患者の一人なのだった。
メスを構え、突撃するナイチンゲールの攻撃から防御するようにアンデルセンが宝具である本を盾代わりにしてなんとか抵抗している光景を眺めつつ、早速ある提案を投げかけてみる。
「アンデルセン、複数の対象に透明化魔術をかけるだけの魔力は残っているよな?」
「どこの鬼編集だ貴様は。確かに発動はできる、が……ええい待て、メスを仕舞えメスを!」
ぎりぎりと全身全霊で看護師からかけられている圧力に耐えようともがく童話作家。ちなみにステータス的にはナイチンゲールの方が筋力ランクは高いので、物理的勝ち目はまずない。
「よしよし、なら次は……っと、そういやあの
「結界内にいる獣の大きさが基準となっている以上、そうなるね。地上だろうと空中だろうと、察知されれば真っ先に殺される」
……要は、気が付かれなければいいワケか。
徒歩で行くのは論外として、しかしそうなるとルートは空に限られる。私やソロモンはともかく、他のメンバーに飛行する能力はないだろう。
「空を飛ぶ、か……いい感じの
「なんだ、追加依頼か。飛びたいのなら『空飛ぶトランク』か『幸福の長靴』か選んでみろ」
「いやそれ燃え落ちる奴だし、もう一つは精神干渉系のだろ……」
「まぁな。ちなみに前者は使うと炎に包まれながら飛行することになる。後者はただ対象の望みを見せるだけの幻覚――」
「その口を閉じなさい。喉の火傷が悪化します」
ぐぐ、とナイチンゲールが本へ迫るように体重をかけ始め、アンデルセンがよろめく。
……しかし彼による飛行魔術は墜落確定だった。これも読者の呪いが影響しているのか、それとも物語の内容的に仕方が無いことなのか。
「空中を歩きたい……というなら、方法はあるよ?」
不意にソロモンがそんなことを口走った。
……まさか指輪にそんな機能があるというのだろうか。いや、ソロモン自身の魔力が枯渇している以上、指輪の力で外界のマナを集めることはできても、魔術行使までは――
「いや。大気中の
「うわ、便利……じゃないや。ちなみにそれ、何か対価とか要求されないだろうな?」
「? 君は他者が呼吸することにわざわざ難癖をつけるのかい?」
どうやら魔術王にとって、飛行は呼吸程度の価値らしい。そりゃあ超級の使い魔召喚をスキル扱いするほどの大物なら、その感覚も仕方ないのだろうが。
「移動手段の心配はなくなった、か。全く、魔術王様様だな。……ところで、あの世界に潜んでいるのは正真正銘、
アーチャーの言い回しには何か含んでいるものがあった。
本物であるのか――それはつまり、あくまでもこの世に顕現しているのは模造品に過ぎないと?
「あぁ、彼らは所詮“彼女”に引かれてきてしまった本物の『影』に過ぎない。故に本来の力を多少反映しているし、違う点もいくつかある。その本質だけは、変わらないようだけどね」
……人類悪のレプリカとはいえど、それでも世界を塗り潰すほどの力を持ち込むとは、一体本物は如何なる存在なのか。
だがまぁ、それに対抗するのは私ではない。きっと他の誰かがやってくれる仕事だろう。
「差し当たっては、このメンバーで決戦に行くことになるけど……やっぱり、あと一人二人は援軍が欲しいな。他の聖杯に呼ばれた連中とは合流できるのか?」
「その心配は要らないだろう。なにせ――」
魔術王がそこまで言いかけた直後、円蔵山の地点に新しい、膨大な魔力の気配が出現した。
……遥か天空から山に突き立つ光の柱。
その輝きは、以前にも見た事のある光景だった。
「――――――――」
「お、おい、今の――って、なんでそんな苦い顔を。またアンタの知り合いか!?」
ウェイバーの問いには頷くことしかできない。
光の柱。それ即ち軍神マルスの剣による力。そしてそんな宝具を持つ英霊は一人しか知らない。
「……冬木の聖杯は縁召喚、か……」
その機能はこれまで私が行ってきたことの結果、或いは成績発表のようなものだ。
別に喚ばれた側からしてみれば、大した思いも共有する記憶があるわけではないが、個人的には――まぁ、多少誇らしく感じてしまってもいいだろう。
「あの山に行けば自ずと合流できる。といっても、流石に本体のいる場所を直接攻撃するのは早過ぎたかもしれないけどね」
「……む、確かに侵蝕のスピードが上がっているような――」
「ちょっ」
それはかなりマズイのでは、と考えかけるが、これから自分がしようとしていることを思い出して結局諦めた。白の剣姫が先に行っているのなら、此方は早く援軍として向かわなければ。
「で、あの獣はどうするのかね? 空を飛んでスルー……という判断に異論はないが、あのまま放置していくのは不安の種だぞ」
「そこは心配いらない。ちょっと荒業かもしれないけど、注意を引きつけておく方法ならある」
荒業な上、とんだ無茶振りではあるが。
しかし無闇に勝負を挑むよりはマシだろう。どれだけ戦力が此方にいようと、あの獣を先に相手にしてしまうと、“彼女”の元へ行く頃には満身創痍だ。故に、取るべき手段は一つに絞られる。
あの獣のところに「誰か」を行かせ、犠牲にするという手段。
その役割を受け持ってもらう対象は――既に決定した。
「アレは原初の地獄に叩き込む。悪は悪らしく、せいぜい粛清されてろってんだ」