ロートリヒト。
アスタリスクの歓楽街。
派手な賑やかさとダークな雰囲気が同居する、健全とは対極にある場所。
大都市には付き物の区画で、その存在が否定される訳ではないが、色々と問題のある所ではある。
その問題のトップには、治安の悪さがくるだろう。
そんな場所で、剣呑な雰囲気を感じながら歩く涼。
(尾行か。エクリプスの件、誰かを刺激したか?まあ何とかするしかないな)
あえて表通りから細い路地に入ってみる。
歩む事、しばし。
僅かながら、気配が変わった。立ち止まる。
「用件を聞こうか」
「いやなに。ちょっと話を聞きたいだけですよ」
予想通り、数人の男が現れる。その筋の男達のはずだが、服装はばらばら。
むしろダークスーツにサングラスの涼の方が、余程それらしく見える。
「それで、何が聞きたい?」
「今時分になって、エクリプスに興味を持つとは奇特な方だと思いましてね。ぜひウチにご招待したいんですよ」
「大げさだな。俺は頼まれて買い物に来ただけなんだが」
「その依頼主さんについても是非、話してもらいたいですね」
話しかけてきた男は一人だけ。
だが会話の間に、他の男達が距離をつめてくる。
7人、いや8人に囲まれた。半数はジェネステラらしい。煌式武装を取り出している。
(さて、どうするか。叩きのめすのは簡単だが、能力を使うと正体がバレるな)
ここはロートリヒト。
監視カメラもあるし、何より各学園諜報機関の関係者もいるだろう。大立ち回りは避けるべき、と判断する。
「お断りだ」
そう口に出した瞬間、真横の男が飛び出してきた。
煌式武装ではないが、バットのような棒を水平に振る。
それを予測していた涼はさっと屈んで躱すと、次に両脚に全力をかけて伸ばす。
つまり垂直に跳び上がった。
その体は一気に5,6mも上昇したが、この程度の事はジェネステラならできる。
一瞬、虚を突かれた男達だが、すぐに反応する。
「上だー!!」
叫びに全員、夜空を見上げるが―――
「いない?バカな?」
「まさか・・・?」
「チッ。まだ遠くには行ってないはずだ。探せ!」
バタバタと駆け出す男達。
そこから20m程離れたビルの屋上から見下ろす涼。
「確かに、遠くには行ってないけどね、今は」
そう呟くと、煙草を取り出し火をつける。
「実はこれでも魔術師なんだよね、俺」
煙を吐き出すと同時に涼の姿が消えた。
残された煙草の煙が消えると、そこは最初から何もなかったように、闇に包まれた。
数日後
お馴染み生徒会長室、ではない。
いや、生徒会長の部屋ではあるのだが。
「涼さん、ようこそいらっしゃいました」
夜の生徒会長室。
正確に言うと、高等部女子寮のクローディア・エンフィールドの部屋。
今夜の彼女は、自室だからだろうが、少しラフな、あるいは質素な服装。
そんな姿でもその美貌は全く損なわれていない。
「呼ばれたから来たけど、こんな時間にこの場所でねえ。あまり感心しないなあ」
当たり前だが女子寮というものは男子の立ち入り厳禁だし、当然簡単に入り込む事はできない。
防犯システムに自警団の存在もある。
涼はその能力でどちらも出し抜く事はできるが、当然自重している。
「大事なお話ですから。それに涼さんの事は信頼していますし」
そう言いながら、テーブルの上のグラスにルビー色の飲み物を注ぐクローディア。
「信頼、ね。どうかなあ?」
「一緒に生徒会を運営するようになってもう3年目ですよ。如何ですか?」
グラスを持つクローディア。年齢の事を別にしても、彼女は酒は飲まないはずだが・・・
差し出されたグラスの中身を味わってみる。
「ほう。フェイアリンか。珍しいな。いいのかい?」
新しい非アルコール系のパーティードリンク。最近やっと出回るようになったが、人気に対し生産が追い付かないので入手には苦労したはず。効果の程は、穏やかにハイになれるカフェイン、と言ったところ。
「これまでの貢献に対する感謝の気持ちです。そしてこれからもご苦労をおかけすると思います」
「そうかもしれんね」
(これまでの貢献、か・・・大した事はしていないよなあ)
クローディアの言葉に過去を思い起こす。
志摩涼の星導館学園生徒会役員としての経歴は長い。だが継続して努めていた訳ではない。
高等部時代に興味を持って1年だけ勤めてみたが、その1年でもう充分、と思ったのが最初の感想だった。
ところが大学部で、仲間内の罠に嵌って(?)生徒会役員候補にされてしまった。
断るか、適当にやり過ごすかと考えながらしばらくぶりに入った生徒会室で、強い衝撃を受ける事になる。
中等部(当時)の生徒、クローディア・エンフィールドが会長になる、と言う事は知っていた。
だが実際会ってみて、その容姿にまず驚かされた。
まだ十代前半だった彼女は、現在程の色香は無かったが、透明感と生命感に溢れた美しさを誇っていた。
気を取り直して話してみれば、子供と思って軽く見ていた認識をひっくり返される。
その衝撃から立ち直れないまま、役員を受けてしまい、以降生徒会長としての彼女を見てきた。
その間、彼女は非凡な能力を示し続けている。
「それで、例の件はいかがですか?」
少し過去に想いを馳せていた涼に、クローディアが問いかける。
「すまん。一つ興味深い事がある。黒炉の魔剣、を調べてみてくれ」
「《セル=ベレスタ》ですか。一体どうして?」
「多分『5年前』に、使われた可能性がある。だが当時は適合者はいなかったはず」
「確かに、そうですね。それはまさか・・・」
察しが良いクローディアはそれだけで気が付いたようだ。
「俺はあまり装備局には伝手がなくてね。それが純星煌式武装となると尚更だ。当時の記録調査については、クロちゃんが指示した方が話が早いだろ」
一般に魔女や魔術師と呼ばれるジェネステラの特殊能力者は、純星煌式武装(オーガルクス)とは極めて相性が悪く、物によっては触れる事さえできない。涼もそうで、オーガルクスには縁が無い。
「わかりました。他には?」
ここで話が切り替わる。
「フェニクス出場予定者のトラブルの件だが、やはり風紀委員会は望み薄だね。俺も個人的に聞いてはみたが、今回に限っては情報を出さないというより、まだ手掛りさえつかんでいない、と言ったところで」
「一つ、気がかりな事があります。次に何かあるとしたら、ユリスかもしれません」
「ああ。あのお姫様。確かに。あれ?でもまだタッグパートナーは見つかっていないのでは?」
「エントリー締め切りまではまだ少しあります」
ユリス=アレクシア・フォン・リースフェルト。
ヨーロッパの王族にして星導館学園序列5位のストレガについては涼も知っていた。タッグ戦であるフェニクスにおいて、パートナーがまだ見つかっていないという問題があるが、出場が決まればこの学園で最高位の出場者になる。優勝候補と言っていい。
まず間違いなく他校の妨害工作、そのターゲットには充分なり得る。
「ふーむ。ならば、ここは一つ、敵の戦力を分散させると言うのはどうかな?」
「選択肢の一つですね。どのような方法ですか?」
「この俺がフェニクス出場を表明する、なんてのはどうでしょう?」
「ご自分を囮にされる、と?」
「ああ、実際手を出してくれれば、返り討ちとまでいかないまでも、尻尾位は掴めるかも」
「危険・・・ですよ」
「俺の能力はご存じだろう。何とでもする」
クローディアの表情に僅かだが影が差す。
「充分、お気をつけて。無理はしないで下さいね」
涼はそれに答えず、グラスを置くと背を向ける。
窓からは星空。
「それはこっちの台詞だよ。クロちゃん」
そう言って手を振ると、涼の姿は一瞬で消えた。
「おやすみなさい。涼さん」
クローディアの呟きは、届かなかった。
学園序列13位のダンテ、生徒会役員にして実力者である志摩涼のフェニクス出場表明はそれなりに評判になった。当初は出場しないと思われていた彼の、突然のスタンス変更の理由は、出場辞退者が相次いだ為、としている。タッグパートナーについては未定、としているがその事も噂や憶測のネタになっている。
「うーん。学園サイト関係では結構話題になってるねえ。新聞部もあれこれ書いてるし」
大学部校舎1階ホールを風紀委員の七海優と歩きながら、学園内の反応をチェックする。
「あまり目立ちたくはなかったんだが」
「そこは諦めようよ」
本当の目的は目立つ事なので、確かに諦めるしかない。
「それより、パートナーはどうするの?」
「まだ見つかってないな」
「あたしは付き合わないよ」
「わかってる。最初から頼むつもりは無かった」
「むー。そこまではっきり言われると何かムカつく」
雑談しているところに邪魔が入った。
その男子生徒は、正面から歩み寄ってきた。
若干制服を着崩し、表情は良く言えば不敵、悪く言えば相手を見下している。
力に自信を持つ者の態度とも言える。
「志摩先輩ですね。高等部1年、時沢翔。少しいいですか?」
「何か用か?」
と言っても、予想はついた。
「わかりませんか?決闘の申し込みですよ」
ドヤ顔で言ってくる高等部生徒にため息がでる。
(何やら余計なモノが引っかかってしまったな)
「そちらの風紀委員の先輩。止めませんよね?」
「あー・・・うん。でも止める。勝てないよ、多分」
「言っておきますが序列順位にはそれ程意味は無いと思います。違いますか?」
(こりゃあ言って引き下がる奴じゃないな)
「わかったよ。場所探すから、少し待ってな」
数分後。
涼は大学部のトレーニングルームで、挑戦者と対峙する。
突然の事だが、それでもちらほらとギャラリーが集まり始めている。
「今更なんですが、決闘を受けてくれた事には感謝しますよ。先輩」
感謝と言いながら、その言動はかなり挑発的だった。
(結構いるんだよな。こういう奴。まあここに来るまで、負け知らずだったんだろうね)
ステータスをチェックすると、この4月に入学してすぐに決闘を繰り返し、今は序列24位。
もっともその順位に相応しい判断力を持っているかはいささか疑問だった。
「時間が惜しい。さっさと始めるぞ」
「!!」
流石に感情を害したのだろう。表情が強張った。
そこにスタート オブ ザ デュエルのアナウンス。
「いいでしょう。時間が惜しいならすぐに終わらせます!」
そう言うと大剣型のルークスを起動。斬りかかってきた。
「ほう。鋭い」
剣撃を躱しながら涼が呟く。
その動きもさることながら、星辰力(プラーナ)の強さもなかなかのものだ。
ギャラリーからも感心したような声があがる。
「どうしました?ご自慢の能力は?このまま僕に斬られますか?」
「さっきから口ばかり達者だな。今黙らせてやるよ。・・・リフレックス!」
涼の周りに一瞬、僅かなプラーナが輝く。
同時に周りから驚嘆のどよめき。
ざっとみても20人近くの志摩涼が、同時に相手を取り囲んだ。
『リフレックス』と呼ばれる能力。
それは、周囲に自分の鏡像を複数同時展開する事で知られている。
もちろん、その程度であれば大した事ではない。
涼が実力者という地位にあるのは、もう一つの特殊能力による。
その力が、決闘の場で久しぶりに見られる事になった。