8月も残り少なくなった。
その日の涼は生徒会室にて来期の予算案をチェックしていた。
本人は日常が戻って来た、と思っているが、まだ夏休み中ではある。
実際、仕事をしているのは3人だけ。
涼の他はクローディアと秘書のリオ。他のメンバーは帰省で市外へと出ていた。
休みの前半はフェニクス対応の為、後半しか休めないのが生徒会役員の辛い所である。
「書記長は帰省されないのですか?」
「ああ、リオは知らなかったか。俺の親はアスタリスクにいるよ」
そういう学生は一定数いる。実はリオもそうで、彼女の場合は生まれた場所もアスタリスク。ある意味純粋なジェネステラと言える。
「そうでしたか」
「・・・」
会話が続かない。
今日の涼は静かな物だった。
理由は治療院で見てしまった事について、思い悩んでいる為。
その悩みにクローディアも気付いていた。だが流石にその理由までは思い至らない。
「涼さん、あの二人の事ですけど・・・」
よって違った気遣いになる。まあその件も涼にとっては悩みの種ではある。
「わかってますよ。そんなに時間をかけるつもりはありません」
「どうするか、考えているのですね」
「まあ。戦闘力では優が明らかに上ですが」
「女子力では澪さんの方が上では?」
「え・・・?え?」
突然始まった男女間問題の議論にリオが戸惑っている。
「確かに荒事の時に隣にいて欲しいのは優ですが、いつまでもそんな世界に身を置くつもりもありませんし」
言外に、卒業したら後ろ暗い活動から離れる可能性を仄めかしている。
「そうですね。それがいいかもしれません」
クローディアの声にはわずかな低さが混じるのは、それを惜しいと思っているのかどうか。
「それはともかく、そろそろ・・・来たか。リオ」
リオに頷くとドアを開けてくれた。そこには・・・
「ユリス。よく来てくれました。さあ入って下さい」
今期フェニクス優勝者がそこにいた。
「何ともこれは・・・高校生が持つには過ぎた金額だが、一国の王女様なら有り得るのかな?」
「少なくとも私の場合は違うな。リーゼルタニアには私の予算はあっても私が使える金は無かった」
フェスタにおける重要なルール。
フェスタ優勝者は、どんな願いであっても統合企業財体が叶えてくれる事になっている。
そうは言っても物理的、政治的に無理な内容もあるので揉める事もあるのだが、今回ユリスの場合はシンプルに金、だったので、あっさりととんでもない額の通貨が彼女の個人資産となった。ではそれをどのように使うのかというと。
「国元で新しい福祉制度運用基金として立ち上げの準備中、という事ですね。学園として支援できる事があれば教えて下さい。対応しますので」
「すまんな。手続きの状況によっては知恵を借りるかもしれん。その時は頼む」
リーゼルタニアにある複数の孤児院の負債解消はともかく、運営を支援する基金の立ち上げとなると色々面倒が多いのだろう。ユリスにしては素直にクローディアの手助けを求める気になっているようだ。
ただ、今日来て貰ったのはこの件での相談、だけではない。
再び部屋のドアが開く。
「失礼します・・・こんにちは」
「綾斗?どうしてここに?」
「あれ?ユリス?」
これで今期フェニクス優勝ペアが揃った。
リオが以前より更に洗練された動作で机上に飲み物を用意していく。
それを見て感心したように視線を送るユリス。
ヨーロッパの王族に評価されるとは、と同じく感心する。
「会長?」
「はい、始めて下さい」
「では。二人に相談したいのは、学園としてフェスタ優勝者をどうねぎらうか、という事でね。まあ既に、フェスタ運営委員会と統合企業財体に二人が出した希望は叶えられつつあるんだが、それとは別で、という事」
もっとも天霧綾斗の願いについては微妙だろう。
失踪した姉の行方。
治療院特別エリアで見た光景。
誰が関与しているのかわからないが、あの状態の天霧遥について、素直に明らかにされるのか?
いや、今は別の話だ。
涼は意識して表情を変えずに続ける。
「何しろお二人さん、久しぶりにフェスタ優勝トロフィーをウチに持ってきてくれたんだ。関係者一同大喜びでね。かなりの無茶でも通りそうなんだよ」
「私はすでにページワンとしての特権を享受している。これ以上は必要ないな」
「俺も・・・特にそういうのは要らないかな」
「全く・・・。何で今年の序列上位は謙虚な奴ばかりなんだ?これを辞退されると色々面倒なんだけどなぁ」
「まあまあ涼さん。このお二人はそういう方ですから。それが希望なら無理は言えませんよ」
「二人がそれで良ければ・・・。何とか調整してみましょう」
ため息混じりに言う。本来ならこの後、学園内の特権や褒賞の内容についての話になるはずだったのだが、要らないとなったので用件は終わってしまった。
「じゃあお二人さん、今回は本当にお疲れ様。残り少なくなってしまったが、夏休みを楽しんでくれ。そういえば宿題終わったか?」
最後の言葉に対して、意外にも二人共に渋い表情になった(程度の差はあるが)。
フェスタ開催の関係で、それ程大変になる量の課題は出ていなかったはずだが・・・
「あ、課題免除を希望するなら何とかするが?」
「お、お願いしようかな・・・」
「綾斗!!」
釣られる綾斗と止めるユリス。お姫様は真面目だ。
まあフェスタ優勝の特権で夏休み宿題免除というのも外聞が悪いだろう。
「あらあら。課題で分からない所は教えますよ。今夜からどうですか、綾斗?」
「余計な事はするな!綾斗の面倒はパートナーである私がみる!!」
和やかな雰囲気から一転、火花を散らす美少女二人。
見ている分には面白いが、このままでは比喩でなく周りに火が付きかねない。
「会長。そろそろ」
「はい、そうでしたね。ではこの辺りで」
「すまんがお二人さん、この後俺達は別件がある。そちらが良ければ・・・」
「あ、はい。ユリス、行こうか」
「う、うむ。わかった」
並んで出て行く二人を見送って大きく息をついた。
そんな涼を怪訝に見るクローディアの視線には気付いていない。
翌日の午後。
涼は商業エリアの一角、某総合アミューズメントビルの最上階、関係者以外立ち入り禁止のフロアを平然と進んで行く。
慣れた様子で幾つかのドアを通ると、そこは一見管理用の事務所が並んでいる。
その一室のドア・キーにコードを打ち込むと、扉がスライドして開いた。
中は無人の会議室。
時間はまだある。
シガー・ケースから煙草を取り出すと、火をつけて一服。
煙は細く立ち昇ると、空調によって消えていく。
続けて2本、灰にしたところで扉が開く。
「よお」
「志摩さん。しばらくです」
言葉が穏やかながら、視線に非難を乗せているのは趙虎峰。界龍第七学院会長秘書。
「済まんね」
そう言って換気を強める。
煙草の香りが無くなる頃、もう一人が到着。
この前も会っているレティシア・ブランシャール。聖ガラードワース学園生徒会副会長。
フェスタを挟んだ為、しばらくぶりとなった『会合』が始まった。
予定通りの『会合』開催だったが、今回はこの3人で調整すべき事は余りない。それだけ問題が起こらなかったとも言える。
フェスタ期間中にあった事件も、既に星導館とガラードワースの二校間交渉でケリがついているので、レティシアも敢えて蒸し返すような事はしない。その後の対応の進行状況の確認に留まる。
ただその話を界龍の趙虎峰が興味深そうに聞いていた。
「何も言うなよ、趙。この件はもう終わったんだ」
「ええ、そうでしょうね。ただこういう問題を、お二方がどう処理したかは参考になりましたよ」
「ったく。可愛い顔して抜け目がないな」
その後は時間が許すだけ雑談に近い話になった。
何しろフェスタが終わったばかり、必然的に先のフェニクスについての講評のようになる。
「それではあの剣士君と鎧のダンテは、刀藤と沙々宮に及ばないと?」
「ええ、エリオットではあの技、連鶴、でしたか。あれを抑えきる事は出来ないでしょう。防戦一方になりますわ。その間に・・・」
「ああ、沙々宮の煌式武装、その攻撃力にあの鎧は耐えきれないか。随分素直に認めるんだな」
「客観的、と言って欲しいですわね」
話題は3位決定戦があったとしたらどうなるか。という想定。
「まあ煌式武装と魔術はともかく、ウチの子とお宅の剣士君はどちらも天才と言えるだろう?」
「ええ。ですがエリオットは、そちらの天霧綾斗に剣が軽い、と評されたそうです。かなり気にしていましたわ」
「軽い、か。なるほどね。いやしかし・・・」
案外剣速では刀藤を上回るかもしれないが、打撃力で劣るという事か。でも体力、パワーでは彼が上回るはず―――
「随分気にされますのね」
「そりゃそうだ。次世代のエースなんだからな」
「次世代、ですか?」
「そうだよ。趙。ああ、レティシアもそうだが、お前さん達と違って、俺が学園に関わるのは良くて来年一杯だ。今の内に先の事を考えとく必要がある」
そう。
今回の好成績はあくまでボーナスのような物。
今の内に新たな才能を見つけつつ、現有戦力のリフトアップも進めないと。
恐らく来年のグリプスはクローディアのチームは涼の予想する編成なら優勝が狙えるだろう。
だが他のチームはどうか?
そして再来年のリンドブルス。
レヴォルフのオーフェリア・ランドルーフェンが出て来たら、今の星導館で勝てる奴はいない。
今年の優勝に浮かれていると、来年以降不味い事になりかねない。
そうならない為には・・・
「どうすればいいと思いますか?」
思い切ってストレートに訪ねてみる。
昨日の『会合』、内容についてはあまり報告すべき点が無かったので、来期以降の展望について隣にいるクローディアに聞く。
場所は生徒会フロア、レスティングルーム。
プールサイドのデッキチェアに優雅に横たわっている生徒会長。
涼はといえば、隣に椅子とテーブルを置いて缶ビールを呷る。
「グリプスは心配ありませんよ。予定メンバーは涼さんも察しがついているでしょう?」
「まあ、それは」
深く考えなくても、フェニクス優勝ペアとベスト4ペアをクローディアが率いる形になるだろう。
目の前をリオがゆっくり泳いで横切る。
「後は連携と、各自の能力アップを並行して進めて行けば。そうそう、アルルカントとの共同開発、形になってきたのでチェックお願いしますね」
「了解です」
向こう側では高等部の松岡とサンドラが並んでプール際に座っていた。
「となると問題はリンドブルスですが」
「綾斗が出てくれればいいのですが・・・」
水音と共に澪がプールから上がる。そういえば残った男共は何をしている?と思ったら。
歓声と共に何かが飛んできて、プール中央で派手な水飛沫を上げた。
「広石!アンディ!無茶な飛び込みはやめろと言っただろう!リオ、大丈夫か!」
涼が立ち上がって怒鳴る。ジェネステラの力を使えばちょっとした悪ふざけでも笑えない事故に繋がりかねない。
「大丈夫です!」
「す、すみません」
まあここではそう大変な事にはならないだろうが。
「ま、中3と高1ではこういう時、バカをやりたがるもんだけど」
「あら?涼さんもそうだったんですか?」
「俺は今でもそうですよ。何しろ大学生ですから」
まあ、バカの度合いや意味は違ってくるけど。
「そうですか。でも皆さんの元気が見れて嬉しいですね。休みにして良かったです」
そう。帰省等が終わり、学園で生徒会メンバーがそろった初日、クローディアの発案で仕事はやめて1日レスティングルームを使おう、という事になった。つまりプールでパーティー、みたいな過ごし方になる。
特に異論は出なかったので、料理、飲み物、酒(涼専用)を持ち込んで水着で集合、となった。
という訳でワイワイやっていたのだが。
「でも皆さん、今日は余り私に話しにきてくれませんね」
「・・・」
そりゃそうでしょう、という言葉を飲み込んだ。
何しろ今のクローディアは、それなりに露出度高めのビキニ姿。元々プロポーションが抜群なだけあって、相当刺激の強い外見になってる。
男からしたら目の毒だし、女にしても近くにいるのは気が引けるだろう。
涼としても隣で平然、としているようには見えるが内心かなりの努力を必要としている。
それはともかく、こんな時間があってもいい。
今年の夏は大した事が出来なかった。
もうすぐ、完全に日常に戻る。
だから、今位は。