日本。
その島国の中央部から少し北の地域に、かつては存在しなかった湖がある。
北関東多重クレーター湖。
落星雨、と呼ばれる世界的カタストロフィの後、その直接の影響で発生した、ある意味惨劇の現場と言える。
だが、新しい世界はそんな場所ですら人の生活の場にしてしまった。
アスタリスク。
正式には六花という名の水上都市。その形状から、アスタリスクの通称で呼ばれる事の多い、特別な街。
星導館学園。
その特別な街の外周部に存在する六つの学園の内の一つ。
中等部、高等部、大学部の3つの生徒層を有する比較的大きな教育機関。自由かつ明るい校風で知られている。
しかし、この街に存在する学園である以上、普通の教育機関である訳がない。
すなわち、落星雨の後に出現した、星脈世代(ジェネステラ)と呼ばれる特別な能力を持つ少年少女の育成機関である。
その特殊性の為か、学校運営は教員だけではなく、所属する学生において構成される生徒会も関与する。
いや、ある面では生徒会が大きな権限を有する場合もある。
むしろ学生に関係する案件については、ほとんど生徒会だけで運営されている、とも言える。
そして学園の生徒会は、高等部校舎最上階に専用の活動フロアを持っていた。
その生徒会室での一場面。
「ああもう!何なんですか天霧彩斗って奴は。この時期に転入?書記長!」
「学園祭のイベント経費の集計、まだ出してない所ありますよ。とっくに期限過ぎてるのに・・・」
「わかったわかった。その件は俺がやるから。お前さんは引き続き新入生の序列確認を頼むよ。あと、学園祭の収益の件、会計処理は済んだところまでまとめて」
そう言って資料を手に立ち上がった、書記長と呼ばれた男。
志摩 涼。
星導館学園、大学部3年。システム工学科の学生、かつ生徒会役員。
一部関係者以外には知られていないが、星導館学園生徒会の実質的ナンバー2である。
同時にこれもあまり知られていない事だが、相当な実力を持つジェネステラでもあった。
「それじゃ俺は会長に確認とって手続きするから。澪ちゃんはこいつのウチまでの交通手段を確認しておいて。交通費も用意してくれ。とりあえず特別管理費の方につければいいから。後から特待生予算に振り分けだな」
「はい。あ、会長が戻られました」
「そうか。じゃあちょっと行ってくる」
そういって涼は部屋を見廻す。
ここにいる6人のスタッフは、自分も含めまあまあの仕事ぶりだ。5月のアスタリスク。学園祭での大騒ぎが終わって間も無く、まだまだ事務処理が多い時期でこの状況は悪くない。この状態を維持する事が今の自分の重要な役割で―――
(あれ、何故俺はこんなに真面目に仕事しているんだろう)
苦笑しつつ部屋を出る。
それは学園の為、所属する学生の為、より良き未来の為なんだが・・・
やっぱり自分は誰かに使われる事で力を発揮するタイプか?
などと分析しつつ、すぐ向かいにある生徒会長室のドアをノックする。
彼の『上司』からすぐに返事があった。
ドアを開ける。
「ご苦労様です、涼さん。例の件ですね」
そこにいるのは名実共にこの学園を体現している人物。
星導館学園生徒会長、クローディア・エンフィールドは優雅な笑顔で迎え入れてくれた。
その外見は非の打ち所がない美少女。だが同時に大人びた雰囲気も合わせ持つせいか、会長室の重厚な執務机に佇む姿も様になっている。
その美しい存在の前に立つと、『例の件』を切り出す。
「天霧綾斗、ですか。今回は珍しく強引でしたね。会長」
「彼はどうしても欲しかったので」
「それにしても普段やらない権力をタテにするやり方、不審に思われますよ」
「そうでしょうね。貴方はどうですか?」
その問いに答えは無く、空間ウィンドウが展開される。そこには学園生徒のプロフィール、のような画面が表示された。
「これは・・・!」
クローディアから笑顔が消えた。
「天霧。聞いた事のある名前だった。すぐに思い出したよ。昔、少し関わったのでね」
涼の口調が変わった。
「抹消されたデータ。自分ではここまでしか復元できなかった。これ以上となると、専門家の手がいるね」
その画面、データが破損しているせいか、判読できない所が多いが・・・
「いえ、これで充分です。他にこの事を知っている人はいますか?」
「いないね」
「ではこの件は内密に。そうですか・・・天霧 遥さん。在籍は・・・5年前、ですか」
そう、5年前。当時クローディアはこの学園にはいない。
「ああ。だが在籍中もほとんど校内にはいなかったと思うね。妙な話だったが、まあ訳ありだろうと思って気にしないようにしていたけど、覚えてはいた。一応話した事もあったし―――」
「お会いになったのですか?」
「一度だけな。丁度最初の生徒会役員をやってた時期だったし。手続きに関連してちょっとね」
「涼さん。この件について、継続して調査をお願いできませんか?」
「了解。ただ事が事だけに、多くは期待しないでくれ。ああ、こちらからも一つ。天霧綾斗。間違いなく彼女の血縁者だと思うが、こいつをスカウトしたのはそれ以外の特別な理由がある、そういう事だな?」
「はい、その通りです。彼には多くの面で期待しています。そして・・・」
「こいつが必要なんだな?」
「はい。私の成すべき事の為に」
静かに、だが強く言う彼女の瞳には深い想いが込められているようだった。
「そうか。そういう事か。答えてくれてありがとうよ、クロちゃん」
「・・・懐かしい呼び方ですね」
「失礼しました、会長。とりあえす急ぎの話は以上です。別命なければ業務を続けます」
快活に答える涼。口調も戻っている。
「はい、よろしくお願いしますね」
そう言ったクローディアもまた、普段通りのにこやかな表情に戻る。
それを見た涼も微笑んで会長室を後にした。
歳下の上司、との接し方も、少し気を遣えば難しくはない。
再び、生徒会室。
涼が戻った時、各メンバーは静かに事務処理を進めていた。
そこだけ見ると問題は無さそうだが、学園の規模を考えると、生徒会運営の人数として充分とは言えない。
大学部2名、高等部3名(プラス会長)、中等部2名。これだけの人数で大規模と言っていい学園の運営、その約半分を担っているのだから、状況によっては無理が出てくる。
特にイベント前後の時期は負担が大きい。涼もすぐに席につき、必要なデータを画面に表示させて処理を始める。
本来、副会長になっていてもおかしくない彼が書記長という1ランク下の地位に留まっているのも、直接実務に関わる時間を確保するという面がある。(もっとも、本人に上昇志向は無い)
今日処理するべき案件、先の学園祭で起こった様々な問題、その経緯と対処を確認していく内に、時計の針は19時手前まで進んでいた。
大学部、高等部は構わないが、中等部のスタッフはそろそろ配慮が必要な時間だ。
「今日はこのあたりにしておこうか」
「お疲れ様」
「お先に失礼します」
メンバーが帰って行くのを見送って、生徒会室をロックする。
クローディアは・・・別件があるそうで会長室も閉まっている。
そこまで確認すると、涼はある小部屋の前で立ち止まる。
ドアに何も書かれていないその部屋は、特に重要でない資料(特に紙媒体の物)を一時保管する為に使われているが、ほとんど放置されていた。
その部屋に入り、中から施錠すると、スタンドアローンの端末を起動。メモリーカードを挿入。
操作する事、しばし。
そしてある画面を見て呟く。
「エクリプス、ね・・・」
その声は、誰にも聞かれる事は無かった。
翌日。
放課後、講義を終えた涼が大学部校舎を出る。
本来、それ程目立つ男ではない。
身体的には長身、スリムに分類されるが、目を引く程ではなく、顔立ちも良く言えば優しげ、普通に見れば平凡。
制服姿で学内にいれば周囲に溶け込んでしまう、そんな存在だった。
たまに、学園の序列制度による順位で13位という立ち位置が(微妙な所だが)多少注目される、その程度だ。
しかし現時点であれば、悪い意味で目立つ行動をとっていた。
胸ポケットから取り出されたのは小さな四角いケース。
蓋を開くと、白いスティックが並んでいる。
その1本を抜き出すと口にくわえ、先端に電熱式ライターを接触。
アスタリスクに限らず、世間では絶対少数派である、煙草を吸うという行為。
この男が言うには、趣味の一つ、であるらしい。
シガレットケースとライターをしまうと、盛大に紫煙を吐き出した。
そんな姿に視線が集まるが、あまり好意的でない物も含まれる。だが当人は気にもかけない。
学生が使えるスペースで唯一の喫煙場所、そこで一人、愛煙家としての時間を過ごすが・・・
端末に着信。
くわえ煙草でウィンドウを開くと、そこには憂い顔の生徒会長が映る。
「涼さん。まだ禁煙してくれないのですか?」
彼女にしては珍しく、その声には批判的なトーンが含まれる。
「すまんがこいつは譲れないんですよね。で、何かありました?」
「今日の定例ミーティング、次の会議の都合で少し時間を早めたいのですが、可能でしょうか?」
ため息交じりの声。
「いいですよ。それから例の件。思った以上に面倒になりそうです。なので俺が動いている事は・・・」
「わかっています。内密にします」
「頼みます。じゃあ今から」
通話を終えて空を見上げる。
吸殻を灰皿に放り込み、青い空に煙を噴き上げると、高等部、生徒会フロアに向けて歩き出した。
高等部校舎、最上階。生徒会フロア。
第1会議室。
半円形の会議机の中央で、クローディアが宣言。
「皆さん、揃いましたね。では、始めましょうか」
いつものように微笑んで、視線を向けると、それに応えて涼が立ち上がった。
同時に3Dディスプレイが展開。
「では、皆見てくれ。学園祭の後片付けもまだ終わった訳じゃないが、そろそろ次に備えなきゃならない。今日から準備開始だ!」
机上に大きく表示されたのは、アスタリスクの一大イベント。今年度の星武祭。
《フェニクス》の開催案内だった。
「まず最初に今年のフェニクスを含め、今期のフェスタに対する会長方針について説明する。基本方針としては前期までの成績低迷の挽回が目的になる。具体的な目標はこれだ。今期のフェスタ三大会の内、二つで優勝を目指す」
会議室内の空気が緊張した。
今挙げられた目標、それはあまりにハードルが高い。何しろ前シーズンにおいて星導館学園は実質最下位だったのだ。
それを今シーズン、いきなりトップを目指す、と言っているのに等しい。
「言いたい事はわかっているので今は聞いてくれ。高過ぎる目標と思うのはわかる。だが本来、アスタリスクの学園として、この程度は狙わないと。もちろんただのスローガンじゃない。実現する為の手段、計画も揃える。つまり生徒会として充分な準備をしておく、という事だ。さあ、始めようか!」
―――そしてストーリーが、今、動き出す
また暗躍系オリ主で始めてしまいました。
感想、ご指摘歓迎です。