ずっと続くまどろみのような感覚から、彼女は目を覚ました。
体を起こしてみる。
少し、違和感を覚えた。
まず体が、随分小さくなっている。
視線が低くなっている。
今は、元の体の3分の1ぐらいの視線の高さしかない。
それに今までは四本足で立っていた筈が、二本足で立てるようになっていた。
きょろきょろと周囲を見渡す。
低くなっているとは言え彼女の視座はとても高く、視界はとても広い。まばらな樹と、平原。草むらには、ちらほらとこちらを見ている人影が見える。
「……」
視線が合うと、その人影はさっと隠れてしまった。
「……」
聞きたい事、知りたい事は色々あったが、これでは調べようがない。
彼女は仕方無く、ふて寝を決め込む事にした。
「……」
ごろりと横たわって、目を閉じる。
再び彼女が眠りかけた、その時だった。
「ひゃあーーっ!! た、助けてーーーっ!!」
「うわあーーっ!! おっきなセルリアンが出たーーーーっ!!」
「……!!」
悲鳴。
聞こえた方に顔を向けると、こちらへ向けて少女二人が走ってくるのが見えた。
一人は全身がてらてらしていて、首筋から何本もうねうねしたのが生えていた。
もう一人は大きな耳と短めの尻尾が生えた黄色の毛皮を着た少女だった。
そんな二人の背後からは、青色の大岩に無数のうねうねと目玉が付いたような物体が迫っていた。
「……」
彼女は上体を起こした。
すると彼女の影が、二人の少女も二人を追ってきた物体も、すっぽりと覆った。
良くは分からないが、二人の少女はこの物体に追われている。ならばこいつをやっつければいいのは判った。
そっと、かつて前肢だった部位を掲げて、振り下ろす。
ずしーん!!
地面それ自体が揺れたようだった。
振り下ろされた彼女の掌は、二人の少女を追い掛けてきた物体を、蚊のようにぺちゃんこにして潰してしまった。
これで安全。
「……」
彼女は、二人の少女を見下ろす。
二人は目を丸くして彼女を見上げていたが……やがて、大きな耳を生やした方が目を輝かせて走り寄ってきた。
「すっごーい!! こんなおっきくて強いフレンズ、初めて見たよ!!」
「……」
「あ、私はサーバルキャットのサーバル!! こっちは友達のしょくしゅちゃん!!」
「しょくしゅです。よろしく」
「……」
「あなたは何のフレンズ? どこから来たの? 縄張りは?」
「……」
彼女は、首を横に振った。
「羽が無いから鳥じゃないし、フードが無いから蛇の子でもないね……しょくしゅちゃんと同じで、何のフレンズか分からない子なのかな?」
「でもサーバル、この人背中に甲羅をしょってますよ。亀の仲間なんじゃないでしょうか」
しょくしゅと名乗った方の少女が、頭から生えている何本ものうねうねしたものを動かして、彼女の背中を差した。
「じゃあ『こうらちゃん』だね!! それで良い?」
「……」
彼女はこくりと頷いた。
「ねぇ、こうらちゃん!! 体、登ってもいい?」
「……」
こうらと名付けられた彼女は、そっとサーバルに手を差し出す。
了承の意志を受けて、サーバルは器用に腕を伝ってこうらの肩に乗った。
「じゃあ、私も」
しょくしゅは、うねうねしたものを伸ばすとそれを伝うようにして、サーバルが乗ったのとは反対側の肩に乗ってきた。
「ねぇねぇ、こうらちゃん!! 立って立って!!」
「……」
こうらは頷いて、立ち上がる。
さばんなちほーの果てが見えるほどに、視界が広がる。
「うわあーっ!! たっかーい!! こんな景色、初めて見たよーーっ!!」
「綺麗……」
「……」
これが『こうら』と『しょくしゅ』そしてサーバルとの出会いだった。
この出来事を切っ掛けに三人は友達になった。
こうらは他のフレンズよりずっと体が大きいので、近付いたりすると殆どのフレンズは怯えて逃げてしまう。
だからもっぱら、しょくしゅとサーバルの方が彼女の縄張りに遊びに来るのが常だった。
数ヶ月ほど、そんな日が続いたある日の事だった。
「随分降ってるね」
こうらの体の陰に入って雨宿りしていたサーバルが、空を見上げて呟く。
この所、一週間か十日か……ずっと太陽を見ていない。
「大丈夫かな……このまま降り続いたら、川の水の量が増えて沼が溢れて一帯が水没するかも……」
「……」
こうらは、肩に乗っていたしょくしゅの体を鷲掴みして地面に降ろしてやる。
そうして立ち上がり、歩き始める。
「どうしたのこうらちゃん!!」
「何処へ行くの!?」
ゆったりとした歩みではあるが、こうらの背丈はサバンナのどんな樹よりもずっと高く、歩幅も相応に広い。サーバルもしょくしゅもそのスピードにはついて行けずに、置いてけぼりにされてしまった。
こうらがしばらく歩くと、先程しょくしゅが話題に上げた川に着いた。
「……!!」
ここ最近降り続いている雨のせいで、川は水の量がいつもよりずっと増えていて、流れも比べ物にならないほど速い。その流れの先には沼があって、沼は今にも溢れそうになっていた。
「……」
こうらは少し躊躇ったように動きを止めたが、それも束の間だった。
川に片足を入れる。
流石の巨体も、膨大な水流のパワーを受けてぐらりと傾く。
「待って!! こうらちゃん!!」
振り返ると、息せき切ってしょくしゅが駆けてきた。
「待って待って!! あなたが何をするつもりか分かったぞ!! 川を体で堰き止める気だね!! 危ないよ、止めて!!」
「……」
だが他に方法は無い。
こうらは手を振ってしょくしゅにこれ以上近付かないよう合図すると、川に再び入ろうとする。
「そうじゃなくて、こうらちゃん!! 樹でも岩でも何でも良いから、どんどん川に投げ込んで!!」
「……」
しょくしゅの意図は分からないが、こうらは彼女に従う事にした。
一度川から上がると、樹木を雑草のように引っこ抜いては川に投げ込んでいく。
しょくしゅも、頭から生えたうねうねしたのを総動員して木の枝を掴むと、どんどんと川に投げ込む。
こうらがしょくしゅの体よりずっと大きな岩をひょいと摘んで投げ込むと、流石に流れが弱まったように思えた。
「よし!! こうらちゃん、後はあの樹や石で作った壁が流されないように支えるんだ!!」
「……」
肩に乗るしょくしゅの指示に頷くと、こうらは体ごとぶつかるようにして即席の壁を支える。
「……」
「ううっ……まだ無理かな……」
しょくしゅも、両の手とうねうねしたのを全て使って壁を支えているがじりじりと隙間から水が噴き出していて壁が崩れそうになっている。
「おーい!!」
声に振り向くと、サーバルを先頭に何人かのフレンズがこちらに駆けてきていた。
「しょくしゅちゃんの言う通り、連れてきたよ!!」
「どうしましたの?」
カバが、いつも通りのおっとりした口調で尋ねてくる。
「カバさん!! みんな!! 川が溢れないように堰き止めるんです!! 手伝って!!」
「!! 分かりましたわ!! サーバル、シマウマにガゼルも!! あなた達はそちらを支えて!!」
「分かったよ!!」
「みんな、頑張って!!」
近隣のフレンズ達が力を合わせて、押し潰すような水の圧力を食い止めていく。
そうして、どれほどの時間が経っただろう。
やがて、光が彼女達を包んでいた。
夜が明けて、雨が上がったのだ。
いつのまにか、川の流れはいつも通りの優しく穏やかなものに戻っていた。
「沼は……」
溢れていない。
当然、周囲一帯も水没などしておらず水は引きつつある。
「やったー!! 防ぎ切ったぞー!!」
「やった、やった!!」
「やりましたのね」
「バンザーイ!! バンザイーっ!!」
フレンズ達が手に手を取り合って互いを讃え合い、生き残った事、守りきった事、やりきった事を祝福し合う。
こうらは、座ったままそんなフレンズ達を見下ろしていたが……辺りに目を向けてみると沢山のフレンズが集まってきていた。
今までは、彼女の巨体を怖がって近付いてこなかった者達だ。
彼女達は、次々に握手を求めたり体を登ったりして親愛や感謝を伝えてくる。
この時、こうらは本当の意味でジャパリパークの、さばんなちほーの仲間として受け入れられたのだ。
そしてまた、いくらかの夕陽が彼女達を通り過ぎていって……
ジャパリパークに、サンドスターの輝きが降り注ぐ季節がやってくる。
しょくしゅとこうらがやって来てから、一年が過ぎたのだ。
「サーバルちゃんによるとこのサンドスターで、また新しいフレンズが生まれてくるんだって」
「……」
「優しいフレンズだといいね」
「……」
肩に乗るしょくしゅに、こうらは頷き返す。
そしてこの翌日。
彼女達の次の冒険が、幕を開ける。