ブラックブレット ーガストレアとなった少年ー 作:ブロマイン
昼間照りつけていた日も程よく傾きはじめ、それぞれの家庭からも炊事の匂いが漂いだす夕暮れ時。一組の兄妹がまさに家へと帰ろうと住宅街を歩いていた。
ふと妹の方が兄へ向かって囁きかける。
「いい匂いだね〜カレーにハンバーグ、こっちは唐揚げかな?」
それを聞いた兄、名を理玖と言うーーは少し考えるそぶりをした。そう……そぶりだけをした。そして少しして、言い聞かせるように言う。
「なあ紫月、なにをどうしたところで今日の晩飯までこの空腹が満たされることはないぞ」
そう答える兄の両手には某ショッピングモールのロゴが刻まれた紙袋が大量に握られていた。
「そもそもこうなったのは、こんな時間まで色々と買いこんでたお前のせいだぞ」
紫月と呼ばれた少女が不貞腐れたように兄を見上げる。
「確かにさ、ちょっとだけ長居しちゃったかなとは思うよ。けどまだ七時前だよ、それなのに夕ご飯じゃなくて晩御飯になっちゃうっていうのは家が遠すぎると思うんだよね」
ここで理玖が「そうだな」と笑いながら返して、そのまま家へと帰れば、この兄弟の一日は、そしてこれからの人生は、平穏に終わったのかもしれない。
「ーー蓮・太・郎・の・薄・情・者・めぇぇぇッ」
しかし二人の意識はたった今聞こえた、これでもかと言わんばかりに恨みが込められた幼い叫び声に惹きつけられてしまった。そしてこれが聞こえたのは2人が歩いている道から一本脇にずれただけなのだ。2人は顔を見合わせるなり互いに頷いた。そして駆け足で、声の聞こえてきた道へと走り出した。
▽▼▽
2人が先ほど叫びをあげた少女を見つけるのにそう時間はかからなかった。なにせここは住宅街だ、大きな音を出す音源を探すのは難しくないだろう。現に1人の男性が少女に声をかけていた。理玖は、彼が『蓮太郎』なのかとその様子を見守る。
すぐに男性の不自然さに気づいた。彼は酒に酔っているようなフラフラとした頼りない歩き方をしているかと思えば、その顔は青ざめて脂汗をかいている。にもかかわらず意識しっかりしているようで、彼と対面している少女は彼へ向かって楽しそうに話しかけている。けれども残念なことに、彼の肩口には見逃すことのできない大きな傷が見て取れた。それは常人であれば立っているはおろか、意識を保っていられるのかも怪しいレベルのものだ。あの傷はもしや……?理玖がそう思い紫月を見ると、彼女が先程までの黒から一転、赤い瞳でこちらを見つめている。それは理玖の仮定ーー彼のガストレアウイルスに侵されているかもしれないことーーを肯定するものだった。
男はヒトの形を崩し、異形の者へと姿を変える。ガストレアウイルスに体内を侵食された生物は、その侵食が半数、50%を超えるとガストレアへと姿を変える。ガストレア狩りの最中に散った戦士が侵食され、新たな敵へと成り替わる。これが10年前の会戦から突如として現れたガストレア、そしてその存在が今尚絶滅しない理由である。
初めてガストレア化を見た、否初めて出なくてもそれを見た一般人はショックや恐怖で動けない。そしてガストレアは彼らに対して容赦無く襲いかかる。目の前のそれも例に漏れず目の前の少女へ襲いかからんとしている。
「紫月……急げっ」
そう怒鳴るように声掛けをして理玖も飛び出すが、正直追いつくのは厳しいだろう。ふと、少女の体が跳んだ、と言ってもガストレアに弾き飛ばされたわけではない。少女は一瞬屈んだのちに、風に吹かれた花弁のように舞い上がったのだ。そして再び地に足をつけた時、彼女の瞳は紫月と同じく、真っ赤に染まっていた。