大好物は煮っころがし   作:レスキュー係長

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注意!オリキャラ出ます!(出すつもりはなかったんです。本当だよ。)


④カレーの具はいつだって悩ましい。

 

 沙希は悩んでいた。今夜のカレーはチキンにするのか、それともポークにするのか。ビーフは今月の八幡の仕送りの額を考えれば、やや贅沢にも思えるので却下。あえて、シーフードカレーも選択肢としてはなかなか魅力的である。

 このように沙希は毎日、夕食の献立をスーパーで考える。これが彼女にとって厄介なイベントなのだ。八幡はあまり自分から食べたいものを話すことはない。だからだいたい沙希が決めるのだが、料理が得意とはいえ作れるレパートリーも限られている。かぶらないようにどうにかアレンジで誤魔化しているがそれにも限界がある。

 食肉エリアで物色してみる。すると牛すじが目にとまる。やや下処理は面倒だが、その分トロトロの牛すじとスパイスのきいたルーが間違いなくおいしいカレーになるはず。そう思い、牛すじのパックを買い物かごに入れた。

 

********************

 

 同じ頃、八幡は出版社にいた。八幡の書いた新作の感想を求めるため、そして今後の話をするためだ。

 

「ちわっす。斉藤さん。」

 

 八幡が斉藤と呼んだ男は八幡の姿を見るとすぐさま向かってきた。身長百八十CM、ゴボウのように細い体は八幡でもやろうと思えば倒せそうなほどだ。

 

「いらっしゃい。比企谷君。さあ、こちらに座ってくれ。」

 

 案内されたのはいくつか丸テーブルといかにもおしゃれなイスが並べられたオープンスペースであった。八幡のほかにも何人か作家と編集者が話し合っていた。

 八幡はイスに腰掛け、斉藤がいれたコーヒーを受け取った。

 

「さて、早速始めようか。まず、この新作に関してなんだけど、申し訳ないけどやっぱりまだ文庫化は許可できないよ。」

 

 八幡はそれまで強く握っていた手の力を緩める。

 またか、というのが八幡の今の心境だった。

「……どうしてなんですか。理由を聞かせてくれませんかね。」

 

「うん。そうだよね。理由ね……なんていうかな……」

 

 言葉に詰まる斉藤。編集者として、しっかりとしたアドバイスを贈りたいと思うがなかなか言葉にするのが難しい。

 

「ストーリーですか。そもそもの設定が悪かったですか。それとも書き方ですか。」

 

「いや、どれもキチンと考えられていて凄いと思う。この異世界の設定だって中世ヨーロッパを基軸にしているんだろ。最近の異世界ものはどれも同じようなものばかりだからここまで詳細に設定されているのは感心するよ。」

 

「じゃあ、なんで!斎藤さんの言う通り、ヒロインと公園デートする描写も入れました。それでもなんか足りないんですか!」

 

 

思わず、語気が強くなる。八幡にとって、この新作はかなり自信作であった。ギリギリまで設定も考え抜いたし、ストーリーが破綻しないように材木座に何度も意見を求めたりもした。ここまでやっても認められない、その理由を求めていた。

 

その時だった。低音の効いたバリトンボイスが八幡の後ろから飛び込んできたのは。

 

「それはな、君の文章には人にワクワクさせるような衝動を与えないからだよ。」

 

八幡の目の前に現れた大男、立脇は少し変わっていた。頭はボサボサ、服もお世辞でも綺麗とはいえない、無精髭を生やしていたりと社会人としては落第点ではあったが、彼の放つ威圧感は編集部を支配していた。

 

 

「立脇さん、あんまり口出しはしないでいただきたい。私の担当なんで。」

 

「斎藤、お前だって分かってんだろ。彼の小説に足りないものを。彼は知りたがってる。だから教えたまでだ。それの何が悪い。」

 

「ですけど、新人ですし。あんまり刺激的な言葉を使わないで‥‥」

 

 

「斎藤さん、大丈夫です。詳しく教えてくれませんか、えっと‥‥」

 

「立脇だ、よろしく。」

 

 

そう言って八幡の隣に陣取る。やや近いその距離感に戸惑う八幡であったが、そんなことは言っていられない。

 

「具体的にどうして文庫化できないのか教えて頂けませんか。」

 

「いいだろう。いくつか質問しよう。まずは、今現在の実力で一万部を君は売り上げることはできると思うか。」

 

「一万部ですか‥‥どうでしょう、ちょっと想像できないです。」

 

「まあ、そうかもな。大体、新人の作家だと一万部売り上げれば中々なものだ。だが、間違いなく打ち切りだ。会社は慈善団体ではない。利益の少ない新人に長く投資することはない。安全圏は三〜五万部ぐらいだろうな。さて、安全圏まで売り上げるために必要な要素がある。というか売れてるラノベには大体備わっていると言っても過言ではない。なんだと思う。」

 

 

「‥‥さっき言ってたワクワク感うんぬんですか。」

 

「that's right。それだよ。読者にワクワクを感じさせることができるかどうか、それが大切だ。確かにストーリーの出来やキャラクターの個性も大切な要素の一つではある。でも売れてるラノベでも設定ガバガバなやつなんて呆れるほどあるだろ。それでも売れるのはそれを感じさせないくらいワクワクできるからだ。」

 

「‥‥じゃあ、俺のラノベはそれがない、ということですか。」

 

「ああ、残念ながらね。君の小説は心理描写が秀逸だとは思う。もしかしたら純文学だったら評価はされるかもしれない。でも売れることはない。」

 

 

八幡はギチギチと音を立て歯を噛みしめる。それは余りにも当たり前のことだったからだ。つまりは続きを見たいほど面白くはない、と言われているのだ。そんな簡単なことに気づけずに小説を書いていた自分に対してこれ以上ない怒りを覚えていた。

 

そうだ、と立脇は持っていた原稿をテーブルへ置く。

 

「これはさっきある大学生が持ってきた原稿だ。これを元に我々とより練り合わせて、今年の夏に文庫本出版予定だ。ストーリーやキャラクターは大したことないが、ワクワク感は俺が見ていたどの小説にも負けてないよ。読んでごらん。」

 

読んだら負け、心の中でもう一人の自分がそう言ってる。だが、知りたいという欲求に八幡は勝てなかった。

 

 

 

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「やり過ぎですよ、立脇さん。だいたいあの原稿、使いものにならないって本人に言い放ってたやつじゃないですか。」

 

 八幡が原稿を読み、何か思い詰めた様子で出版社から出た後、斉藤は立脇に詰め寄った。

 斉藤自身、八幡の隙のないストーリーや人物の描き方は一目置くところがあった。今まで見た中で三本の指に入るほどだ。自分が根気強く指導していけば、大化けするはずだと本気で考えた斉藤からすれば、立脇のしたことは八幡の才能を奪ってしまう危うい行為に見えていた。

 

「ああ、あれはひどい原稿だったな。SAOとゼロの使い魔を足して割ったような幼稚なプロットとキャラクター設定は笑えたよな。でも比企谷君に言ったことは本当だ。あそこまで中身が空っぽなのに人をわくわくさせることができるのは間違いなく才能だよ。」

 

「…何が目的なんですか。新人潰しの立脇さん。」

 

 新人潰しの立脇という不名誉な二つ名がつけられたのはずっと昔のことだ。彼が担当した新人作家は皆三ヶ月以内に夢破れ、執筆自体を止めてしまう。あまりのひどさに上層部が編集部から校正部へ左遷させるほどだった。ところが一ヶ月前、人事異動によりまた戻ってきたのだ。

 

「本人が知りたいから教えた。それだけだってさっきから言ってるだろ。他意はないよ。それにな…」

 

 立脇はポケットからたばこを取り出して、火を着ける。

 

「あの程度で挫折するくらいなら作家は向いてねえよ。お前の見立て通り、彼には才能がある。でもな、生半可な状態で作品を世間に出せばどうせ打ち切りだ。担当者も作家本人も誰も幸せにならない。アマチュアならともかく文庫本を出すならばそれはもうプロだ。出版ノルマ、締め切り、売り上げ、様々な問題に直面していくことになる。このくらいの試練、余裕で乗り越えてもらわなければ困る。」

 

「…乗り越えられるでしょうか。」

 

「知らんよ。神のみぞ知る、ってところだな。じゃあ、仕事戻るから。」

 

 立脇は八幡が飲んでいたコーヒーにたばこの吸い殻を投げ入れ、そっと立ち去っていった。

 

 

********************

 

 一足先に帰っていた沙希は牛すじの処理を終え、カレー作りに勤しんでいた。

 ルーから漂うスパイスが食欲をそそる。

 

 (早く帰ってこないかな。)

 

 八幡を待つ沙希の姿はまさに新婚の妻のようであった。

 

 ガチャリ

 

 その音は沙希の望んでいたものだった。ドアの先に八幡がいる。そう思うと胸が高まるのだった。

 

「おかえり。どうだっ……」

 

 沙希が言葉を失ったのは無理もない。玄関に立っていたのはいままで見たこともないくらい目元が腐った彼の姿だったからだ。

 


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