街中で『あざとすぎる小悪魔』こと、一色いろはに出会ったのは偶然である。八幡はいろはの面倒臭さを十分に理解しているため、そそくさと挨拶をすましその場から離れようした。が、
「先輩、ここで出会ったのは何かの縁ですよ!これからどっかでお茶しません?」
と八幡のシャツの裾を掴み、上目遣いをするものだから八幡も断るに断れなかった。当然の如く、ここに沙希を置いていくのも悪いと思ったのか、『川崎と同伴ならば』という条件を付け、腕を組んでいる現場を目撃されて羞恥で顔が真っ赤になっている沙希に八幡は説明し、三人で近くの喫茶店へ入っていった。
「先輩、喫茶店とかとか入れるようになったんですね。てっきりまたサイゼリヤにでも連れて行かれるのかと思いましたよ。」
「別に喫茶店ぐらい普通にいくだろ、むしろサイゼより喫茶店の方がよく行くぐらいだぞ。今時の大学生なめんなよ。」
「とか言いつつ、昨日もあんたサイゼでラノベ書いてんじゃん……」
「ラノベですか…へえ~先輩、ラノベ書き始めたんですか。面白そうですね。見せてくださいよ。」
「断る。お前の『面白そう』は俺の作品に興味がある、という意味ではないだろ。お前のおもちゃにされるのは真っ平ごめんだ。」
「…おもちゃになんかしませんよ。まったく…私も信用されてないのかな……」
そうこうしている内に、入店時に注文したコーヒーや紅茶がテーブルの上に並べられる。いろははその中から注文したアールグレイを自分の近くまで引き寄せ、ティーカップに写る自分の姿をしばらく眺めてからようやく口を開いた。
「…どうですか、先輩。大学生活のほどは。」
「まあ、あれだ、可も無く不可も無くといった感じだな。お前はどうなんだ。東京にいるってことはこっちの大学受かったのか。」
「先輩方と同じ大学ですよ。やだなあ、奉仕部LINEで報告したじゃないですか。」
「……すまん。そのグループ、抜けてるから分からなかった。」
「あのさ、」
そう話の流れを断ち切ったのは沙希だった。もともと沙希はこの二人に干渉するつもりはなかったが、上辺だけで全く本題へいかない会話に我慢ならなかったのだ。
「言いたいことがあるならはっきり言いなよ。聞きたいことあるんでしょ。」
「え?あっ、はい。そうです。先輩に聞きたいことがあったんです。ずっと。」
いろはは改めてイスに腰掛け直し、アールグレイを口にする。少し冷めているが、アールグレイ特有の香りがいろはの心を落ち着かせていく。一息ついた後、いろはは覚悟を決めたように話し始めた。
「どうして、由比ヶ浜先輩を振ったんですか。」
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いろはの質問に八幡は黙り込んでしまった。そのような質問をしたいろはの意図が全く読めなかったからだ。
黙ったまま、コーヒーを一口。砂糖もミルクもいれていない真っ黒な液体は八幡が思っているよりもずっと、ずっと苦かった。
「……別に責めてる訳じゃないんですよ、先輩。私はその件に関してはまったくの部外者ですし。でも…悔しいんです。」
「悔しい?お前、奉仕部の部員でもないだろ…」
「だからこそ、です。私好きだったんですよ。奉仕部のこと。雪ノ下先輩がいて、由比ヶ浜先輩がいて、そして先輩がいる。三人で冗談を言い合いながら紅茶を飲む先輩たちが眩しかった。ああ、あれが『本物』なんだな、って思ってました。だから先輩たちに色々あって、奉仕部がばらばらになったって聞いて、なんか悔しくて……大好きだった場所が、大好きだった人がいなくなるのが。あ……すいません、私ばっかりしゃべっちゃって。あれ?なんでだろ?涙が……」
いろははしゃべりながら涙をぬぐう。それは優しい涙だった。
沙希はそっとハンカチをいろはに渡す。こういう時、慰めの言葉はいらないということを沙希は理解している。ただ溢れ出た涙を止めずに流し出せばいい。
「……先輩、教えてくれませんか。どうして由比ヶ浜先輩を振ったんですか。」
いろはの真っ直ぐな目。その目は
(これはもう話すしかなさそうだな。)
と八幡に思わせる確かなものがあった。
「俺が由比ヶ浜を振ったのは由比ヶ浜が勘違いしてたからだ。あいつが俺に抱いてた好意は本物じゃない。自分を助けてくれるヒーローに対する好意なんだよ。そんな勘違いをしたまま、付き合ったっていつか必ず破綻する。」
「‥‥それ本気で言ってますか。本当に由比ヶ浜先輩が勘違いしていたとでも。」
八幡は頭をポリポリと掻く。自分の気持ちが分からなくなるとその都度頭を掻いてしまう癖は昔から変わらない。
「多分、勝手に俺がそう思ってるだけだと思う。でもそう思っちゃったらそうにしか見えないんだ。好意を好意として受け取れないんだよ。なんか裏があるんじゃないかっていつも疑ってかかる。嫌なんだ。人に期待して、裏切られて、また期待して。バカみたいだろ。裏切られるの分かってて期待するなんて。」
「‥‥それは奉仕部の二人でも同じだったんですね。」
「ああ。平塚先生は俺が卒業するときに『君は変わったよ。』って言ってくれたけど、本質的には変わってないんだろうな。本当、ダサいよな。」
八幡は一通り喋った後、いろはの目を真っ直ぐ見れずにコーヒーカップへ目線を避難させる。コーヒーに映る自分の顔がなんだか情けなく見えた。
「先輩、顔上げてください。」
ゆっくりと顔を上げる。意外なことにいろはは笑っていた。
「ありがとうございます。話してくれて。」
「怒らないのか。」
「なんで、私が怒るんですか。なんですか?怒られたいんですか。変態ですか。」
「いや、違うから。勝手に変態扱いしないでね。おい、川崎が引くのは無しだろ。」
「先輩、もう一つだけいいですか。またあの奉仕部の、あの三人に戻れま‥‥」
ピピピ、ピピピ、ピピビ
突然の着信音は八幡の携帯からだった。
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着信は出版社からのようで「すまん。少し出てくる」と言って、その場から離れた。よって、テーブルには沙希といろはというあまり接点のない二人が残されることになる。
「あの‥‥川崎先輩。その‥‥先輩と付き合ってるんですか。」
気まずい空気の中突如放たれたいろはからの一言に、アイスティーを飲んでいた沙希は思わず吹き出しそうになる。
「な、なに、急に。」
「だって〜さっき先輩と腕組んでたじゃないですか〜あんなこと彼女さん以外やる人いないですよ〜。」
「いや、あれは比企谷のラノベの参考になればと思ってさ‥‥‥」
「そういえば一緒に住んでるんですよね。同棲ですか。」
「いや、ご飯とか掃除しているだけだから。というか誰からそれを‥‥あっ!」
沙希は思い出した。愛する弟、大志が総武高校の生徒会に入っていることを。一色いろはは生徒会を二期連続でおこなっているため、繋がっていてもおかしくはないのだ。ちなみに大志と母親には八幡との半同棲を伝えている。
ニヤニヤと薄ら笑いを浮かべるいろはに沙希はやや苛立ったが、ここで顔に出せば間違いなくネタにされると思い、諦めて正直に答えてみることにした。
「好きだよ。ずっと前から。多分、高二の文化祭の時からだと思う。」
「‥‥‥そうですか。告白は‥‥してないですよね。」
「うん。由比ヶ浜の一件があるからね。中々踏み出せないかな。ハッキリ言われたらキツイし。」
「ですよね‥川崎先輩どう思ってるんですか。由比ヶ浜先輩の一件とか諸々。」
カラン、とアイスティーの氷が動く。少しの間、沙希は考えをまとめる。
「比企谷が言ってることは多分本当にそうなんだと思う。でも、もう一つ理由があるんだと思うんだ。もし、由比ヶ浜の告白をあいつが受け入れたらどうなると思う?」
「そりゃ、恋人ですからデートしたり、一緒に家に帰ったりするんじゃないですか。」
「そう、それだよ。雪ノ下はどうなるの?結局、由比ヶ浜が告白した時点で二対一になることはあいつの中で確定してたんだと思う。由比ヶ浜とあいつがくっついて雪ノ下が一人になるルート。由比ヶ浜を振ってあいつ一人孤立するルート。あいつは二人のために後者を選んだ。こういうことじゃないのかな。全く、変なところで優しいよね。」
「‥‥やっぱりめんどくさいですね、先輩って。変わらないなあ。」
「そんなことないよ。変わったよ、あいつは。」
どこが!といろは思わず突っ込みたくなったが、沙希の目を見ればそれがウソではないのは明白だった。
「どこが変わったんですか。」
「第一に私と住んでること。昔のあいつならそんなこと有り得なかったでしょ。第二に夢が専業主夫からラノベ作家に変わったこと。他にも沢山あるよ。あいつはさっき、『自分は何にも変わってない。』って言ってたけどそんなことない。日々、色んなことを考え、悩み、そして成長してる。きっといつか、好意を素直に受け取れるようになれるはずだって私は信じてるから。私は、私はあいつのそばにいたい。」
「‥‥ずっと捻くれたままかもしれませんよ。」
「かもね。それでもいいよ。」
「川崎先輩を選んでくれないかもしれませんよ。」
「それは‥‥ちょっと辛いけど‥あいつが幸せならそれでもいいよ。」
ずるい。いろはは素直にそう思った。ここまで人から愛されているのにそれに応えようともしない先輩は最低だとも。
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八幡が電話から戻った時、二人の様子が変わっていることがすぐに分かった。特段声に出すレベルではなかったが、二人の間にあった遠慮という壁が綺麗に無くなっているように感じていた。
「電話、なんだったの。出版社?」
「ああ、なんか今後のことで話したいことがあるからって。なんか悪いな、話の途中で。」
「いえいえ。気にしないでくださいよ〜。こっちはこっちでガールズトークを楽しみましたから。ね、サキサキ先輩!」
「サキサキって言うな。」
「では、私はそろそろお暇しますね。お二人ともデートを楽しんでくださいね。」
そそくさと帰り仕度を始めるいろははボッーと立っている八幡の耳元へ行き、そっと囁く。
「先輩、ちゃんと責任とってあげてくださいね。」