大好物は煮っころがし   作:レスキュー係長

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②ばっけ味噌のお味はいかが?

三月末。暦では春に相当しているものの、朝方の寒さは未だ健在だ。

 

そんな中、八幡と沙希の姿は笹塚からほど近い新宿御苑にあった。桜が満開に咲き乱れる中、レジャーシートを敷き、ランチボックスから取り出したおにぎりを二人仲良く食べているその姿は、第三者から見れば恋人同士、もっと言えば夫婦に見えても不思議ではないほどだ。

 

 

さて、なぜ二人はそんなところにいるのか。それを知るには少し時間を巻き戻す必要がある。

 

 

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それは前日の夕食後に八幡が沙希へ質問したことから始まった。

 

「オススメのデートプラン?そんなの分かんないよ。した事ないし‥‥というか何でそんなこと聞くの。なに、なんかあるの。」

 

「あ、え、いや、お前が思っているようなことはないぞ。ただ、何というか、その‥‥」

 

 

八幡の何とも歯切れの悪い言葉に嫌な予感を覚える沙希。

大学に入ってから、幾度か八幡は女性からアプローチされていることを沙希は知っている。なんだかんだでモテる要素は揃っているのだ。目は腐っているが容姿はそれなりに整っているし、捻くれてはいるが確かな優しさを持ち、しかも頭も悪くないときている。これでモテない訳はない。

 

実際のところ、鈍感スキルのせいで本人は全く気づいていないのではあるのだが。

 

 

「なに。どういうことなの。ハッキリしなよ。」

 

 

こういう話をしていると思わず強い口調になってきてしまう。分かってはいるのだ。それが自分の持つ醜いまでの嫉妬であると。そして、自分の一番嫌いな部分であることも重々承知している。

だが、抑えよう、抑えようと頭では理解していても心が追いつかない。嫉妬や独占欲がまるで黒く汚れた水のように自分に満ちていく。

 

 

 

「‥‥‥だから、お前が考えているようなことじゃない。何というか‥‥今書いてる小説に必要だって編集の人に言われたんだよ。いわゆる、ラブコメ的な要素が。」

 

 

八幡は机の脇に置いたノートパソコンを開き、wordを起動させる。

 

 

「ああ‥‥これの事だったんだ‥‥ゴメン、変に強く言いすぎた。」

 

「いや、気にすんな。俺も急に変な事言ったしな。でもなんでそんな強く当たってくるんだよ。そういや、この前もそんなこと会ったよな。なんなの、俺のこと好きなの?」

 

 

好きだ、という喉まで出掛かった言葉をゆっくりと沙希は飲み込む。

 

(それが言えたらこんな苦労しないよ。)

 

あの告白事件を知ってしまっている沙希はその一線を越えることに躊躇いを感じていた。告白すれば由比ヶ浜結衣と同じように拒絶されるかもしれない。それがたまらなく怖いのだ。

その分、黙っていれば、このままでいれば、八幡の隣に居られる。それでいい。そういって、妥協しているのが今の沙希の現状である。

 

 

「‥‥そういうのいいから。で、ラブコメ要素=デートっていう発想が浮んだ。だから身近にいる女の私に聞いた。そんなとこでしょ。」

 

「おお。正解。よく分かったな。まあ、次は大賞目指したいからな。よろしく頼む。」

 

 

 

大学に入り、比企谷八幡が変わったことがある。それは将来の夢が専業主夫からライトノベル作家へ変化した、ということだ。

キッカケは同じ大学で自称八幡の親友でもある、材木座義輝である。彼の書いてくるライトノベル(もどき)が余りにも酷すぎたため、八幡が見本として自作のライトノベル原稿を書き上げたのが事の始まりだった。ファンタジーと現代日本を上手く融け合わせたストーリーやその高い文学性は材木座を無断で新人ライトノベル大賞に応募するという暴挙へ駆り立てたのだ。

しかも、初の投稿にもかかわらず新人ライトノベル大賞で佳作に選ばれてしまう。この出来事は八幡を変えていく。

それまで全く人から公の場で褒められることがなかった彼はその突然の知らせに動揺もしたが、今まで感じた事のないほどの喜びを感じた。

その日からだ。執筆活動を自発的に始めたのは。

 

今現在、佳作になった際に紹介してもらった出版社の編集者に相談に仰ぎながら新作のライトノベルを執筆中である。上手くいけば、文庫化も夢ではない。

 

 

「ハイハイ。じゃあまずあんたが思い浮んだデートプランを教えてよ。」

 

「家でテレビを見る。でそのまま一日中‥‥」

 

「却下。ふざけてるでしょ。はぁ‥まずネットで調べてみようよ。」

 

 

こうして調べた結果、新宿御苑デートが候補に挙がり今に至るのである。

 

 

 

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「このおにぎりの具、美味いな。少しほろ苦いのが癖になる。」

 

「ああ、それね。ばっけ味噌って言って、ふきのとうを味噌であえたやつなんだ。ふきのとうがスーパーで売ってたから珍しくって買ってみた。」

 

「ふきのとうか。なんか春の訪れを感じるな。」

 

「言ってることがオッサン臭いよ。」

 

「‥‥‥うるせえ。」

 

 

 

広い広場で遊びまわる子供、互いに耳元で囁き合い会話を楽しむ恋人たち、ひらりひらりと舞い落ちる桜に酔いしれる人々‥‥‥皆思い思いに春を楽しみ、幸せを噛み締めている。二人も例外ではなく、その暖かい春に身を委ね、食事を楽しんだ。

 

 

 

 

 

食事も終わり、魔法瓶にいれてきたほうじ茶を飲みながら一息つく。ふと沙希は自分の太ももをポンポンと叩く。その仕草はアレの合図でもあった。

 

「え‥もしかして川崎さん、ここでやるんですか。いや、それはちょっと‥‥」

 

「は、恥ずかしいだから、早くしてよね。はい!」

 

 

半ば強制的に太ももに頭を引き寄せられる八幡。そこで沙希が持ち出したのはいくつかの綿棒と梵天であった。

 

 

「ここんところ、耳掃除してなかったから‥‥こんな時じゃないとやらないでしょ。」

 

 

そう言って、まずは濡らしたタオルで耳全体を拭く。そして、そっと梵天を差し込む。優しく、丁寧に、耳垢を取り除いていく。

 

八幡から『あっ‥‥』という吐息が漏れ出るが、しばらくすると『すぅ‥‥』という静かな寝息に変わっていた。

 

これじゃあ片方しか耳掃除しかできないじゃん、と沙希は不満な顔をしているつもりであったが、周りの人からは春風のように優しく、桜のように美しい笑顔に見えているようだった。

 

 

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八幡が沙希の太ももの上で目覚めたのは午後三時五十分。閉園時間ギリギリだったため、すぐに二人は新宿門を出て、ゆっくりと歩きながら新宿駅方面へ歩いていた。

 

 

「すまん。寝てしまった。頭邪魔だっただろ。しかもすごい時間寝てたみたいだし。本当にすまん。」

 

「いや、いいよ別に。私も頭乗せたまま寝ちゃってたからお互い様だよ。もう片方は家でやろう。それよりこれからどうする?家帰る?」

 

「一応、今日のプランではバルト9で映画でも見る予定だったんだけどな。」

 

「へえ、あんたにしてはなかなかいいプランだね。ちなみに何見る予定だったの?」

 

「当然、劇場版プリキュアに決まってるじゃないか。」

 

「‥‥あんた、残念すぎるよ。普通は恋愛映画とかアドベンチャーじゃないの。」

 

「川崎、分かってないな。プリキュアは正義なのだよ。プリキュアの前ではいかなる映画も‥‥すいません、そんな目で見ないで。ごめんなさい。もう言いません。」

 

沙希はおもむろに八幡の腕に自分の腕を絡ませる。

 

「おい‥‥川崎‥‥」

 

「あんたのその小説に出てくる子って主人公の彼女なんでしょ。じゃあ今日は私がその彼女役ね。」

 

むちゃくちゃな理論だと沙希自身も思う。でも、せめて今日ぐらいは甘えさせて欲しい、なんて思ってる矢先のことだった。

 

 

 

 

「あれ?先輩じゃないですか。お〜い!先輩〜!」

 

 

 

少し後ろの方から現れたのは亜麻色の髪をあざとく飾り立て、ユルフワビッチ系ファッションを着こなす美少女。その発せられる甘ったるい声に八幡は聞き覚えがあった。

 

 

「一色‥‥‥」

 


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