大好物は煮っころがし   作:レスキュー係長

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① 大好物は煮っころがし

 

 里芋の煮っ転がしの作り方は簡単だ。まず里芋の下ごしらえから始める。ボールを水で満たし、少々の塩を加える。そこに皮をむいた里芋を放り込み、もみ洗い。こうすることで表面のぬめりを取り除くことができるのだ。これで下準備は終わり。

 次に鍋に水、粉末だし、醤油、みりん、砂糖、酒、塩、そして里芋を加え、火をつける。沸騰したらやや火を弱めながら落とし蓋。煮汁が少なくなってきたら、中火に戻して里芋を転がしていく。焦げ付かないように注意が必要だ。完全に煮汁がなくなったら好きなお皿に盛り、いりごまを振りかける。これで完成だ。

 

「出来たよ、比企谷。これ持って行って。」

 

 川崎沙希が台所でリビングでダラッとテレビを眺める比企谷八幡に呼びかける。あいよ、と返事をしながら八幡はキッチンへ向かい、里芋の煮っ転がしを受け取る。

 湯気が立つほどのできたては食欲をかき立てる。八幡は思わず一つつまみ、口の中に放り込んだ。甘辛く味付けされた里芋のねっとりとした食感は見事に八幡の好みを打ち抜いていた。

 

「ちょい、比企谷。つまみ食いしないの。ちゃんとテーブルで食べなさい。はしたないよ。」

 

「すまん、つい。だけど、あれだな。いつも通りうまいな、この煮っ転がし。ほんといい嫁になりそうだよな……。」

 

「………っ!またそう言うことを……いいから持って行って!まだほかにもあるんだから。」

 

 あいよ、とリビングに持っていく八幡に背を向け、長ネギを切る沙希の顔が真っ赤になっていたのは八幡はもちろん沙希本人も気づいていない。

 

 

********************

 

 もうじき大学二年生になる二人は同棲している。いや、正確には半同棲と言った方が正しいのだろうか。

 総武高校卒業後、八幡と沙希は同じ東京の名門大学に進学し、上京していた。八幡は文学部、沙希は法学部と学部は分かれているが、何の因果か笹塚に同じアパート、しかも隣同士という漫画みたいなシチュエーションに見舞われた。

 沙希としてはあまり八幡に干渉するつもりは毛頭なかった。が、専業主夫を目指す割にズボラな八幡をみているとイライラしてきてちょくちょく家事を手伝い(というかほとんど沙希が行っている。)、やがて一緒に食事を共にするほど日々の暮らしに馴染んでしまったのだ。

 

「ごちそうさまでした。今日もなんつうか…旨かった。里芋の煮っ転がしが。」

 

「そりゃよかった。あんたホントに煮っ転がし好きだよね。」

 

「まあな。昔はマックスコーヒーがいちばんだったんだけどな。」

 

 八幡は自分の食器と食べ終わっていた沙希の分の食器も重ね、台所へ置きに行く。皿洗いは八幡の仕事だ。

 

 八幡が皿洗いをしている間、沙希はその姿を眺めるのが習慣になっていた。

 

(あの背中に抱きつきたい。)

 

 沙希のその願いもとい欲望は恋する乙女ならばだれもが思うことだろう。だが、それはかなわない。なぜなら確かに二人は半同棲状態であったが別につきあっている訳では無いからである。ただ世話好きな女がたまたま家が隣のズボラ男の家で家事をしているだけ。恋人おろか友達でもない関係性だ、と沙希は認識していた。思い切って告白してみようという気持ちもあったが一歩が踏み出せない。拒絶されたくない。彼女のように。

 それほど沙希自身この関係性に居心地さを感じていた。それが上辺だけの関係と分かっていても現状維持を選び今に至る。

 

 皿洗いを終え、MAXコーヒーと紅茶花伝を持ってリビングのちゃぶ台の上に置く。

「あんた、それほんと好きだよね。飲み過ぎちゃダメだよ、絶対に体悪くするから。」

 

「だからこうやって一日一本だけって決めてるじゃん。」

 

「一日一本でも飲み過ぎだって。糖尿病になってからじゃ遅いんだよ…はい、これからは三日に一回ね。」

 

「おい、俺のアイデンティティを奪うつもりか。」

 

「あんたの本体は黄色い缶なの?いいからいうとおりにしな。じゃなきゃ、これから料理作ってあげないから。」

 

「……ずりぃわ。それ持ち出すとか。」

 

 八幡からすると沙希の家事、特に料理は無くてはならないものになりつつある。家から仕送りが来ているとはいえ、毎日外食出来るほどの額ではない。かといって、自炊を決まった料理(チャーハン)しか作れない。そんな中、冷蔵庫の特売品だけで2、3品作れてしまう沙希の料理は経済的に助かっている。

 

「というかそしたらお前も困るだろ。うちの食材使って料理してるわけだからお前も食費削減できてるだろうし。」

 

「あんたと一緒にしないで。私はバイトしてるからお金には困っていないの。言い訳しないで私の言うこと聞きな。」

 

「はあ…分かったから。俺が悪かったですよ。」

 

 八幡、涙の完全敗北である。

 

 

 そういえば、とふと沙希は八幡に話を持ちかけた。

 

「総武高校の集まり、あんた行くの?なんかLINEで話が回ってきたんだけど。」

 

「あ?そんなのあるのか?知らんかったわ。LINEのグルーブなんてずいぶん前に抜けたからな。で、何があるって?」

 

「だから総武高校卒業生の集まりだって。まあ、有志で集まるらしいよ。幹事は葉山だって。」

 

「パスで。」

 

「戸塚が来たら?」

 

「もちろん、行くに決まってん……いや、やっぱり止めとく。だって幹事が葉山だろ……」

 

 そのまま八幡は黙ってしまったが沙希には分かる。葉山が幹事ならばもちろんそのとりまきも来るだろう。それはつまり由比ヶ浜結衣と遭遇してしまうということだ。そして由比ヶ浜は間違いなく雪ノ下雪乃も連れてくるはずだ。あの奉仕部がそろってしまう。すでに崩壊してしまったあの部活は今もなお、八幡に大きな傷跡を残しているのだ。

 

********************

 

 比企谷八幡、由比ヶ浜結衣、雪ノ下雪乃。時にぶつかりあい、分裂の危機さえあったこの三人の部活、奉仕部は意外なことに高三の卒業式までは特段大きな問題が起きることはなかった。そう、卒業式までは。

 卒業式。誰もが友との別れを涙ながらに惜しむそんな日に事件は起こった。由比ヶ浜結衣が比企谷八幡に告白したのだ。結果はNO。結衣はその場で泣きながら八幡の前から走り去っていった。それが八幡が見た由比ヶ浜の最後であった。

 八幡が由比ヶ浜をふったことを知った雪乃は激しく八幡を罵倒した。それはいままでの冗談のような罵倒とは違う、友を本気で守ろうとする本気の罵倒であった。

 

「どうして貴方はそうやっていつも自分を……どうして私たちを信じてくれないの……どうして……どうして…」

 

 八幡が別れ際に雪乃とすれ違う際、雪乃の話したその言葉は一年経った今でも八幡の耳から離れない。

 

 八幡自身、結衣をふったことに後悔はしていなかった。結衣が自分に好意を抱いていたことはなんとなくではあるがわかっていたし、自分もその優しさに甘えてしまうこともあった。だが、そこにある好意は『本物』の好意では無く、自分を助けてくれるヒーローに対する好意に近いものではなかろうかという疑念がぬぐいきれなかった。

 結局のところ、八幡は人間的に成長しきれなかったのだ。確かに一時よりかは他人と接する回数も時間も圧倒的に増えている。が、他人から寄せられる好意や信頼に対する恐ろしいまでの猜疑心は奉仕部での活動をもってしても完全に取り払うことは難しかった。

 さて、話を戻そう。

 そんなこともあり、奉仕部はきれいなまでの空中分解を見せた。といっても実際のところ一対二になっただけなのだが。 

現在、雪乃は千葉の国公立大学へ、結衣は都内の有名私立大学へ進学している。無論、二人とも八幡と連絡は取り合っていない。唯一接点があるとするならば、平塚静だろうか。彼女は卒業した後も三人と連絡と取り合う数少ない人物だ。この崩壊に最も心を痛めた人物の一人でもある。

 

 

 

********************

 

「……そっか。別に大丈夫だよ、無理していくことなんてないよ。」

 

 八幡は沙希の『大丈夫だよ』という優しい言葉に何度救われたことか分からない。慈愛に満ちたその言葉は心に棘のように刺さった罪悪感をすべて消し去ってしまう。

 

「その、なんだ、ありがとな。知らせてくれて。」

 

「やめてよ、あんたらしくない。でもさ、いつかちゃんと向き合えるようになるといいね。色々なことと。」

 

「……善処する。」

 

 

 沙希は時計を見る。時刻はすでに十一時を回っていた。

 

「じゃあそろそろお暇するね。明日私、バイトで早く出るから朝食は自分で食べて。ジップロックで今晩の残り入れといたからチンして食べること。」

 

「おう。気をつけてな。」

 

 家隣じゃん、とつっこみたくなった沙希であったが、あいにくそんな体力は残っていなかった。

 

 

 そっと、家のドアを開け、鍵を差し込み施錠する。ふと生ぬるい風が沙希の頬を撫でていった。

 

 


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