クリア後のその先で   作:一葉 さゑら

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6【例えばこんな再会⒌】

 整えようという意思が感じられないボサボサの長髪を無理矢理大きなキャップでまとめ上げ、黒地に紺のラインが入ったジャージを着こなす。そして化粧も前よりも控えめ。

 

 タイトルをつけるなら『ニートのお出かけ(深夜・コンビニ編)』といったところだろうか。或いは一昔前のストリートダンサー。平塚先生は俺の視線に対して恥ずかしそうに身じろぎした。

 そんなに気恥ずかしいといった顔をするなら、せめて格好くらい整えてくればいいものを。

 

 できる教師からだらしない大人へと驚異の退化を遂げたように見える平塚先生を前に、俺は少し目を閉じると深呼吸した。

 

 

「リストラされました?」

「あー、いやぁ実は……って相変わらず上の身分に対する態度がなってないな!というか、どっちかっていうとヘッドハンティングなんだが……。まぁ、その話はおいおいしていくとして。取り敢えず、SAO最大の功労者を労るとしようじゃないか。小林医師に黙認してもらった差し入れも持って来たからな。……比企谷はこれが好きだっただろう?」

 

怒涛の勢いのセリフであった。

それに差し入れだと?手渡された紙袋を覗いた。

……こ、これは!

 

「マッ缶!!!」

 

 

 ー・ー・ー

 

 

「あー、今なら死んでもいい」

「縁起でもないことを言うな。ましてやここは病院だぞ」

 

 先生の箴言が耳に入らないほど舌に集中する。ああ、この五臓六腑に染み渡る暴力的なまでの甘さがたまらなく好きだっんだよ!これがなくてどれだけゲーム内で泣き寝入りを決め込んでいたか……!

もう離さないよ、マイベストフレンド。

 

「そこまで飲料缶に熱い眼差しを向けられると、元教師として見ていて悲しくなってくるから止めろ。……この椅子借りるぞ」

「どうぞどうぞ、お好きにしてください。元教師、と言いうと、やはり教師は辞めちゃったんですか?」

 

 リストラじゃないって言っていたし寿退社、な訳ないよなぁ。こんな格好しているし、何かあったのだろう。俺は猿でもできそうな予想を立てながらマックスコーヒーを啜る。うん、美味い。

 

「ああ、辞めた。それにしても比企谷。少し痩せたところはあるが、いい目をするようになったなぁ。こう言っちゃ悪いが、前とは段違いだぞ」

「そうですかね?自分では分からないものですが、といいますか、目の窪みのせいで、光の入らない具合に限って言えば、より酷くなったような気がするんですけど」

「ふふ。元の体型に戻れば分かるさ」

 

 平塚先生は笑って答える。俺からすれば先生の方がよほど変わったと思うのだが、そこに突っ込んでも誰も得しなさそうなので、敢えて先生が話してくれるまで指摘するのは止めておく。

俺は気遣いのできる男だからな。……またはファーストブレッドを恐れたとも言うが。

 

「寒いとか熱いとかっていうのは向こうにもあったんですけど、やっぱりこっちに帰ってくるとなんというか、そういうのを『体感』しますね」

「感じるまでのプロセスはゲーム内の方が手数を踏むから、VR中での感覚の享受というのは現実と比べてしまうとどうしても鈍ってしまうしな。だから、実の所、痛みを感じる事よりも感じさせない方がゲームリソース的には幾分も得なんだよ」

「へぇ……なら、SAOが痛み無しの仕様だっていうのは、そういう意味では合理的、というかリアルに沿っていたたのかもしれないっすね。……というか平塚先生詳しいっすね」

「まあ、この一年色々やって来たからな。……不思議そうな顔をしているがつまり、君の思っている以上に世の中も周りも変わっているということさ」

 

 それは寂しくもあり、怖くもある話だった。平塚先生はいつの間にか教師の顔になっており、なあに、心配するなと俺の心配を笑い飛ばす。

 

「よっぽどお前の方が変わったよ。周りも変われば自分も変わる。前後の振り幅が少し大きいだけで起こったことは君のいた世界となんら変わらない。若者特有の柔らかな頭を使って未来の世界に適応したまえ。勿論力を抜いて程々にな」

「……そういうものですかね?」

「そういうものさ。ほら、飲み終わった缶はこの袋に入れたまえ。あくまでも私が飲んだてい(、、)だ。まあ、私は死んでもそんな甘ったるい飲み物は飲みたくないが」

「不謹慎です」

「すまない。口が滑った」

 

 カランコロン。平塚先生の飲んでいたコーヒーとマッ缶が袋の中で音を立てる。

 面会時間はまだまだある。囚われる前とは互いに変わりすぎていて、いまいち距離感が測れていないきらい(、、、)が互いにあり、病室にはなんとも言えない気まずさと懐かしさのせめぎ合った独特の空気が流れていた。不思議とその空気を嫌だと感じることはなかった。

 数秒の沈黙の中で、『先生』という単語から素朴な疑問が生まれる。

 

「そういえば、俺は来年からどうなるのですか?総武高で留年っすか?」

「……あぁ、思いの外感慨深いものがあって忘れていたが、その話もして来いと言われていたな。……そうだな、プリントにしてまとめたのも一応あるにはあるが、直接伝えた方が楽そうだから要点だけまとめて話すとしよう。細かいことは後でプリントを読んでくれ」

 

 平塚先生はどさっと、1センチはありそうな紙束をベッド隣にあるテーブルに置き、説明を始める。え?これ全部読まなきゃいかんとですか?

 

「まず、来年からの君の進路についてだが、早い話、総武高校三学年に進級してもらう」

「な!ちょっと待ってくれ!」

「いや、待たない。というか、君こそ少し待って話を聞け。時系列から説明するから。えっとだな。そもそも、君がSAOに囚われたのは一昨年の12月半ば(、、、、、)。君達がデスティニーランドへ行った数日後だ。3人の仲直りが済んだと思った直後に起きた青天の霹靂の出来事だったから、私もよく覚えているよ。女の子に涙を流させるなんて罪な男だと悪口を言い合わせたのを覚えている」

「その節は、ありがとうございました」

「ほお?悪口を言わせたというのにラグタイムなしでお礼とは、随分成長したものだな。先生として嬉しいぞ……っと話が逸れたな。そこから比企谷は約1年と2ヶ月の間ゲームに囚われていた。つまり、つい先日、2月23日(、、、、、)に帰還したわけだ。そして、この日というのは、これは我々が当初想定していたクリア時間よりも約2年早い日付だった。余談だが、それは目の怖いプレイヤーのお陰だと世間では話題だよ。あいにく君の部屋にはテレビはないようだけれどね」

「まぁ、目立つ目立たないとか考えず、帰りたい一心でがむしゃらにやっていましたからね。今から考えれば随分とでしゃばったものです」

 

 俺らしくもなく。

 そのせいで、いらぬリスクをどれだけ増やしたのだ。と平塚先生の質問に苦笑いでやり過ごそうとすると頭をグリグリとされ懐かしい言葉を頂戴する。

 

「だから、それで君が救われなかったらなんの意味もないと再三言っていただろうに」

「……すんません」

「『彼の行動は5千人以上の人を救った』『彼のお陰で大切な人を失わずに済んだ』。昨日のワイドショーでのコメントに免じて許してやろう。まさか現実でも同じようなことはしないだろうしなぁ?」

「しないっす」

「ふっ。そうかそうか。あはは。そんなに縮こまってくれるな、影の英雄。まだ本題に入ってないんだから」

 

 ぽんぽんと頭を叩く先生。

 なんだかんだ言って最後には認めてくれる平塚先生のノリに感謝しながら、俺はなされるがままに頭を動かした。しばらく弄ばれたせいで頭がグワングワンするがそんなことには構わず先生は本題に入る。

 

「つまりだな、あまりにも早い帰還のせいで、君達を迎え入れる準備がまだ整っていない。本来ならば学生のSAOサバイバーは一塊にまとめようとする手はずだったのだが、その一まとめにするための学校がまだできていないんだよ。だから、取り敢えずは通院しつつ、元の学校に通ってもらって、一年か半年後かSAOサバイバー用の学校ができ次第移行してもらうことになる、ということだ」

「まあ、なんとなくは分かりました。けど、よく俺進級できましたね」

 

 国語以外の成績、特に理数科目なんて塵芥のグラム数ほどの点数しかなかったというのに。

 

「出席単位が足りていたからな。それに総武高は3年次のカリキュラムの殆どが受験勉強に当てられるから総復習期間には丁度いいと思ってね。まぁ君の成績は国語以外見れたものじゃないから構わんだろうとの判断だ」

「教師にあるまじき酷い言い草だな」

「もう教師じゃないからな。……っとその話もしなければ、か」

 

 そう言って彼女がダボダボのジャージ(胸だけはぴったりしている。八幡ポイント高い)のポッケから無造作に出したのは革の四角いケース。殆どの学生にとっては無縁な代物であるそれは社会人にとってのエチケット。とどのつまり、名刺入れであった。

 ピッ、と慣れた動作で一枚引き抜いた先生は俺の掌の上に乗せる。

 

 

『平塚静』

 

 

 と、素っ気ない文体で書かれていた。

 

「名前なんぞどうでもいい。もっと下のところを読め」

 

 指摘が入る。つうっと下に視線を下ろせば、見たことのない社名と『義務教育及び高等学校生担当』の文字。

 どういうことだ?

 

「見慣れない社名だと思うが、そこが私の現在の務め先だ。VR事業を始めとした幅広い分野に関わる会社だが、その中でも私の今いる部署は、現在政府とその他いくつかの民間企業が連携して成り立っている少々特殊な部署だ」

「ということはつまり、SAOサバイバーの中で、学生に焦点を当てたサポートを行っている所で働いてる、ということっすかね?」

「概ねそれであっている。とは言ってもつい先日までは手続き待ちだったから、別の部署の事務作業の手伝いに回されてたのだがな。加えるとすれば、今来ているこのジャージはその作業着で、社泊して起きたら『君に伝えること』という指令書と共に病院の前にいたわけだ」

「なんだそのブラック企業」

 

 ブラックを通り越して闇なんだけど。どんな経緯があってそんなどん底のような社会の闇に身をひそめることとなったのかは分からないが、平塚先生もまた、俺と似たようにハードな毎日を送っていたようだった。

 そうなってくると先生の体調が気になるところだ。

 

「進路については了解しました。この際、自分の進路についてはとやかく言いません。その代わり先生もどうかご自愛して下さいね。もうそろそろ婚期も終わりなんですから」

「……まぁ、そうだな」

 

 え?なにその反応。怒るわけでもなく慌てるわけでもなく叱るわけでもない。なんというか言いづらいことだからいうに言えないみたいな反応。

 もしかしてついにゴールインできそうなんですか?もしもそうだったら三日三晩飲み明かしの大宴会なんですけど。……いや、なんでだろう。喜ばしことのはずなのに、それよりも先生が彼氏に騙されていないかの方が心配になってきた。

 

「他には何か聞いておきたいことはあるか?」

「他の知り合い───SAOサバイバーと連絡を取ることって可能ですかね?」

「……難しいだろうな。直接連絡を取ってもらうくらいしか私には提案できない。すまないな」

「いえ、それはプライバシー的にしょうがないですからね。……あ、じゃあ、『須郷』について知っていることを教えていただけませんか?」

「須郷……。今話題の須郷というならそれは、須郷信之氏のことだな。確かレクト社のフルダイブ技術研究部門の研究員で、同社のCEOの腹心の息子だ」

「息子……なぜそんな人が有名に?」

「そうだな。私からすればだいぶキナ臭い話になるのだが、レクトというのはもともと電機メーカーで、現在はVRMMORPGの運営を行なっている会社なんだ」

 

 SAO事件が起きたというのに、というか起きてる最中に別のVRMMORPGが流行ってたのかよ。思わず突っ込む。しかも電機メーカーがVR産業に介入ってのも、このご時勢では大分違和感があるな。

 

「そして、SAO事件勃発後、賠償責任によって解散したアーガスのSAO運営を引き継いだ会社でもある。SAOを運営しながら別の【アルヴヘイム・オンライン】というVRMMORPGを運営していたことからしてキナ臭いんだが、ここでの最大のキナ臭いポイント、つまり比企谷の質問の答えに帰着するんだが、そのSAOの運営引き継ぎがただの社員1人(、、、、、、、)の演説一つによって決まったという美談があるんだ」

「それを行なったのが須郷信之氏だ、と」

「そうだ。会社の印象を上げたかったのか、はたまた腹心の息子の出世を確実なものにしたかったのかは分からないが、彼の名声はいまや【SAOを現実から最も支えた】として非常に高いものとなっている。必要のない情報かもしれんが、それなりに清潔で整った容姿をしているためウケもいいらしいな」

「成る程、ありがとうございます。参考になりました」

「役に立ったならよかったよ。……さて、私はそろそろ戻るとするよ。お大事にしてくれ。もう君の国語を担当することができないのは寂しいが、分からないことがあったらメールでもしてくれ。元教師としてしっかりと教えるからな」

「はい、今までありがとうございました」

「お前と会えて良かったよ。教師のしがいがあって、それにお前は応えてくれる生徒だったからな」

 

 

 またな。ハードボイルドに決めたダボダボジャージ先生は空き缶の入ったコンビニを片手に提げて病室から去っていった。

 ダボダボでも、ジャージでも、頭がボサボサでも。最後までかっこいい、俺にはもったいないくらいの先生だった。

 

『平塚静』

 

『義務教育及び高等学校生担当』

 

 

 そして、『特例有限会社 ラース』

 

 

 たった三文がシンプルに配置された名刺がいかにも平塚先生らしいなと思うと自然に口元が微笑むのを感じた。

 

 

 

 時が進むのに身を任せること数分。

 

 

 

 一しきり思い出に浸った俺は、やることと時間のすり合わせを頭の中でする。

 

 

 

 

 それは、幾度となくSAOで繰り返してきた行為だったが、その行為を今度は大切な人のために使えることに、俺は大きな喜びを感じていた。

 

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 

 

 時はたち、リハビリを終えた俺は無事に退院し、新しい生活を迎えることになる。

 

 四月四日の入学式の日。

 

 その日は、俺の門出を祝う始まりの日であり、雪ノ下のお見合いの日まで残り2ヶ月を知らせるカウントダウンの日でもあった───。

 


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