その姿を見て声を出す。
「……い゛っじ!!ごほっ!ごほっ!」
「ちょ!先輩大丈夫ですか!?」
むせた。
後輩との再会はちょっぴり切なかった。
ー・ー・ー
「……全く、先輩は変わらなすぎです」
起き上がらせた俺の上半身に寄り添うように、一色いろは は椅子に座った。そして最後に見た時の髪型とは違う、セミロングのぱっつんを揺らしてぷりぷりと怒る。
「……かみ、がた」
「あぁ、これですか?生徒会長に再選した時に切ってもらってから、なんとなくずっとキープしてます」
くるりと人差し指でサイドの髪を一房まるめる。巻いたそばから漏れていく髪の毛は絹のような艶があった。
なんとなく?と不思議に思ってその様子を見続けてみると一色は観念したように笑って教えてくれた。
「……願掛けだったんですよ、コレ。私は一つの髪型をキープするのが苦手、というか嫌だったので、それを高校卒業まで続けたら先輩は起き上がってくれるってね。まあ、実際は卒業前に起きちゃったんですけど。……もしかして私に告白するために聞いたんですか?ごめんなさい、せめて元気になってから出直して下さい。なんちゃって」
真ん丸な瞳を曲げて彼女は笑う。
筋肉の硬直が溶け始めた右手をそっと彼女の頭に置いた。
「ありがと、な」
精一杯の囁き。精一杯の感謝を、彼女に。強がりな彼女はきっと俺の前では泣いたりしないだろう。ずっと笑っておちゃらけて。それこそが自分の役目だといって道化を演じる。
その姿勢は正に昔の俺と同じだった。だからこそ、判る。手に取るようにわかってしまう。
彼女の思い、それに彼女がしてもらいたいことが。
俺も、彼女も本来甘えたがりなのだから。
だから、精一杯伝えて、撫でる。
それが、俺にできる唯一のお礼なのだから、と。
「先輩はっ、やっぱり……ズルいですっ!」
こら、まだ飛びついてくるな。身体がヒョロヒョロなんだよ。背中に回された腕はもう離すものかと言わんばかりにきつく俺を締め上げてくる。嬉しい痛みが体を走った。しかし、それでも痛み以上に腕と体から伝わってくるじんわりとした温もりはゲームでは決して味わうことのできないもので、俺もついつい甘えるかのように彼女の背中に手を回してしまった。
完璧に雰囲気に流されていた。
「先輩っ、先輩!……会いたかったんですよ!」
「……ははっ、こほっこほ。あざ……とい、な」
「あざといのは先輩です!ズカズカと人の心の中に入ってきて!急にいなくなって!気を引きたいなら素直にそうやって言って下さい!」
いや、別に気を引きたくてこんなに長時間ゲームをやってたわけじゃないんだけどな。
ひとしきり言いたいことを言いたい放題言い終えた一色は、小声で「すみません」と呟くと椅子に座り直した。どうやら急に恥ずかしくなったようだ。
「先輩」
「ん?」
「私、葉山先輩の卒業の時に告白しました」
……。晴れ晴れとした表情から推測するならば、無事成功したのか、それとも失敗したけど吹っ切れたのか。
「……がんばっ、た。な」
「はい。頑張りました。葉山先輩の卒業式の後、部室棟に呼び出して『好きです、付き合って下さい』って言おうと思ってたんです」
「ん?」
「けど、実際には、『恋に恋させてくれて、ありがとうございました!』と言ってしまいました」
「……ぉい」
呆れた目で一色を見つめる。彼女はいたって真剣な表情だったが、その裏からはえへへ、となぜか照れた表情も読み取れた。ただ、やはり後悔してる、とは程遠い態度だったので口を挟むのは一言だけにする。
しょうがないじゃないですか。口を尖らせて拗ねたふりをする彼女の話は続く。
「先輩に言ったじゃないですか。『責任とって下さいって』。私、先輩のこと、本気で好きになっちゃったんですよ?」
続く、と思ったがどうやらそれは違ったらしい。一色の口から飛び出したのは、俺にとって青天の霹靂の告白。
「……ぅえ?───え?」
ニヤァと小悪魔のような笑みを浮かべた一色は俺の右腕を抱え込んだ。
「ふふ、いーちゃった、いっちゃったー!わーたしったらいっちゃったー!ふふふ」
あざとい。だが俺にはクリティカルヒットした。
「ごほっ、ごほごほごほ!!んんっ!ごほっ!」
「あぁ、そんなに動揺しないで下さいよ。後輩の告白ごときでそんなんにならないで下さいって。単なる挨拶みたいなものですからっ」
お前はどこのイタリア人だ。
「ごほごほっ!……ぃ、んんっ!いや、それは……ちがう、な」
カサカサの喉が恨めしい。けど、一色。挨拶ってのはあまりにも悲しすぎるだろ。そんなことを言わせてしまった俺が恥ずかしいまである発言だ。
「俺と、お前は、同じだ」
「……はい」
「だから……『本気』なんて、ごほっ!軽々し、く。言えないことくらい判る」
俺の言葉に対して、むっとして一色はこちらを睨むように見てくる。俺はその目線から目を背けることなく相対する。しばらく続くこの勝負に勝ったのは、俺だった。
「……はぁ、参りました。そんでもって参りましたね……先輩、成長し過ぎです。ガチかっこ良くなりすぎです」
「そ、そうか?」
「その聞き方は相変わらずの先輩って感じですけど……まあ、いいです認めます!私は先輩にガチでゾッコンアイラブユーです!そしてこれはもう振られるまで、いえ振られても数年間は絶対に揺らがないレベルです」
「……そうか」
「大好きですっ!いや、違いますね。……好きです、先輩。……これも違いますね」
「何をやっているんだお前は」
突然百面相かというくらい雰囲気を変えた告白を連発する一色。そんな一色にカスッカスの声ながら突っ込まずにはいられない。
「何って、振ってもらうための準備ですよ」
そして事もなさげに彼女は言い切る。
告白がどれほどの覚悟を以って行われることか位、俺も彼女も分かっていることすら分かっているはず。
つまり、分かりきっているはず。
それなのに、一色という奴は飄々として振られてあげると言い放つのだ。
「もういいや。言葉なんて言葉でしかないですし。先輩、愛してます」
「そうか」
「……」
「……」
「……」
「……」
「……先輩?答えは言ってくれないんですか?」
部屋に降りた沈黙に耐えられなくなった一色が尋ねる。その目はヘタレを見るかのような目であったが、ちょっと待ってほしい。そして俺の言い訳を聞いてほしい。
「応えてやりたいのは山々なんだが、そろそろ由比ヶ浜の狸寝入りも限界らしいから日を改めてからまた来い。とりあえずの返事は誰もいなくなった後ですぐにしてやるから」
「わ、私は起きてなんかいないんだよ!!」
「へー、ソーナンデスカー。ユイセンパイサスガデスー。コーハイノコクハクヲジャマスルナンテサスガデスー」
「本当にごめんねぇぇぇ!!!」
せめて黙って目を閉じていてくれたなら答えることもやぶさかでもなかったが、流石に『ぐぅぐぅ』と寝息の再現までされては些か応えづらいものがあった。
後輩にケーキバイキングおごりの刑に処されていた由比ヶ浜が手を胸の前でふりふりと振って扉からたったったっと去っていくのを聞き届けた後、少し気まずそうに一色はこちらを見る。
「あの、先輩。まだ見舞客が来るとかはないですよね?」
「……わからん。こほっこほっ。けど雪ノ下は来ると思う」
「そうですか。じゃあ簡潔にお願いしますね」
「……付き合えというなら、悪いがノー、だ。何にしても自分の将来が見えない今、俺は誰とも付き合うつもりはない」
「付き合いたくない、お前のことが嫌いだ、とは言ってくれないんですね。予防線のつもりですか?」
「……怒るぞ?俺がお前を嫌いになれるわけがないだろうが」
「っ!ずるいっ!ズルいですよ!先輩」
「大人なんてのはズルい生き物なんだよ」
「掠れ声で言われても説得力ゼロです。……そんなんじゃ私、諦めつきませんよ……」
トントンと俺の肋骨を弱々しく叩く。情けない返答をした身としては受け入れるしかない痛みなのだが、俺は彼女のあまりの悲痛さに思わず言ってしまう。その一言が余計火に油を注いでいるなんて思いもせず。
「諦めをつけたいなら何度でも言ってやるから、いつでも来い。俺はお前をいつでも受け入れてやるから」
「……!!!先輩の、バカー!」
カバンをガッと掴むと一色は走り去って言った。
「罪な男ね、八幡君」
そして、その全てを聞いていた雪ノ下が入室する。