クリア後のその先で   作:一葉 さゑら

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31【───として⒈】

 例えば、比企谷八幡という青年がいた。

 

 彼には現実を受け入れるだけの理性があった。しかし同時に、ある才女に化け物とまで称されたその理性をいとも容易く決壊させる程のストレスもあった。結果、彼は一度泣きわめくこととなったのだった。

 理性はもとより、本能すらもない。

 ただ、ひたすらに慟哭を後輩に向けることとなったのだ。

 

 そして、同種のストレスを桐ヶ谷和人も味わうことになる。彼もまた、義妹に嘆くことになる。

 

 そんな彼らの違いは2つある。大切な人の存在と、ストレス負荷のかかり方だ。一方は大切な人が現実に存在し、ストレスも日に日に、徐々に増えて行った。対してもう一方は大切な人は未だ眠っており、ストレスも0から100へ降って湧いたかのようにのしかかった。

 

 比企谷八幡には拷問のように、桐ヶ谷和人には処刑のようにストレスがもしかかっていった。

 

 この際どちらの方が悲惨なのかという議論は必要なく、どんな行動をとったのかを語るべきであることは言うまでもない。

 

 比企谷八幡は現実で戦い、桐ヶ谷和人はゲームを戦場に選んだ。

 結果、比企谷八幡は敗北し、桐ヶ谷和人は未だ争い続けている。

 それはやはり、主人公力、運命力の違いなのだろうか。

 

 

 やはり俺の青春ラブコメは間違っていたのだろうか。

 

 

 そんな考えを断ち切って、俺は前を見るのだった。

 

 

 なぜなら───、

 夕日の沈む公園に犬を片手に佇む美女を見たから。

 

 遠くから見てもわかるパッチリとした目と綺麗に整えられたサラサラの髪。スマホをいじるわけでもなく犬と遊ぶわけでもない。ただ単に佇むという行為を真摯に行うその姿は何者にも変えがたい美しさがあった。

 

 故に、美女。なのだが。

 

「……由比ヶ浜」

「結衣、でしょ?八幡くん」

「……久しぶりだな、結衣」

 

 名前呼びに妙な羞恥を覚える。

 名前呼びに顔を綻ばせる彼女。その笑顔はどうしようもなく由比ヶ浜結衣だった。

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 近くのベンチに座る。ベンチは一日中、日に当てられたお陰なのか妙に暖かかった。

 結衣はリードをベンチの淵に括り付ける。犬は元気にベンチを相手に綱引きを始めた。

 

「サブレ、だったっけ?」

「うん。相変わらず可愛いでしょ?カマクラちゃんも元気してる?」

「おう、夜な夜なベッドを襲撃して来るから俺がほとほと困っている位には元気だぞ」

「あはは。カマクラちゃんが羨ましいよ」

 

 たははー、と結衣は頰をかいて笑う。自分の顔がどうなっていたか分からないが恐らく目は泳いでいたのは間違いない。……相変わらず反応に困ることをぶっ込んで来やがる。

 

「そういや、大学はもう慣れたのか?」

 

 そっと目を逸らして問いかける。

 

「……うぅん。予想はしてたけどやっぱり勉強がね……。生半可な覚悟のつもりはなかったけど、現実の辛さを身をもって知ったよ」

 

 医学部など夢のまた夢である俺にはわからない悩みだな。

 肩を落とす結衣は「テスト……単位……」と虚ろな目でつぶやいていた。

 

「解剖とかやっぱりしたのか?」

「それは医学部のお医者さん目指す方が優先だね。私は看護の方だからまだそういうのはないよ。いずれはやるんだろうけどね。血とかやっぱりドバドバでるのかなぁ?ふぅ、提供者さんのためにも頑張んないとだ……」

 

 いかにも血とか苦手そうだからぶっ倒れないといいのだが。もし倒れたら確実に死体に顔を突っ込むだろうし。容易に想像がつく。

 そういえば、俺が雪乃の車にはねられた時も血とか出たのだろうか。だとしたら雪乃にとっても結衣にとってもとんでもないトラウマものだよなぁ。解剖時に思い出さないといいんだけど。

 

「その、ヒッキー、じゃなかった。八幡くんはどうなの?いろはちゃんと同じクラスになったって聞いたけど。付き合っちゃったり……ってわわわー!そんなわけないよね!ないよね!?」

「百面相かよ。付き合ってない。それにヒッキー呼びがよけりゃ、別にいいんだぞ?」

「いや、八幡くんって呼ぶ!呼びたい!呼ばせて下さい!」

「顔が近い」

 

 相変わらずリア充の距離感が分からない。

 グッと結衣のおでこを押しながら俺はある懸念を持つ。

 

「お前さぁ、大学でもそんなんなのか?」

「ん?」

「そんなにプライベートスペースが狭いのかってことだよ。医学部なんてこれまで恋愛してこなかったような奴らの巣窟なんだからもうちょっと気を付けろよな?」

 

 我ながらものすごい偏見で物を言ったと思う。しかも自分を棚に上げて。葉山みたいのがそう何人もいるとは思いたくない。……いたとしたら俺が嫉妬死するわ。

 ……ん?嫉妬?ちょっとまて?

 

 だけど今のセリフなんだか嫉妬する遠距離恋愛中の彼氏みたいじゃねえか?止めろ!そんなつもりで言ってない!断じてない!

 そんなニンマリと笑うな!

 

「……さぁね?」

「違うぞ?」

「なにがー?」

 

 ちくしょう。笑うな、悟るな、その立派な胸を揺らすな。

 俺は一ミリたりともそんな考えをしていない!

 

「ともかく、だ!」

「うんうん!」

「……」

 

 あー帰りて。精神状態も相まってもっと帰りてぇ。

 

「……えっと、結衣からのメールを読んできたわけだが」

 

 そう言って俺は右手に持ったスマホをプラプラと動かした。なんだかものすごく疲れたけどようやく本題。

 入りたくもない、本題の時間が来た。

 

「あー、うん。それね」

 

 結衣は髪の毛をいじりだす。いじいじと。

 

『話したいことがある』

 

 そうメールで呼び出された俺は今、ありふれた遊具がちんまりと置かれている公園にいる。そして、呼び出した彼女もまた隣にいる。

 

 実は、なぜ呼び出されたのかには心当たりがある。

 

 恐らく、元気付けてほしいと妹が頼んだのだろう。俺はこんなにも元気だというのに。それはもう、嫌になるほどに。現時刻、17:30。肩を叩かれて叱咤激励されるのにこれほどまでに適した時間はない。

 夕焼けで影が伸びる地面から徐々に光景は上がって行きやがて、俺が由比ヶ浜結衣に肩を抱かれるシルエットが映る。シルエットの先に見えるのは公園の木々から見える真っ赤な太陽。伸びる光の筋が煌びやかな未来を指しているかのようだ。

 そして、そんなら景色の中抱かれた俺は決心するのだ。どんなことをしてでも雪ノ下雪乃を取り返す、と。その上、その後にちゃっかり都合よく劇的なアイデアが思いついちゃったりしちゃってな。視聴者なら『今までの時間なんだったんだよ』と思うようなあっけらかんとした、それでいてこれしかないと思わせる名案。

 ……ははぁ、成る程確かに俺の未来は安泰なようだ。

 

 

 とでもいうと思っているのか、あの妹は。

 

 

 俺はこう見えても、いや、どう見ても最低だ。やることなすこと全て中途半端。その半端さはあろうことか行動ばかりか自分の思考にまで及んでいる。大事な仲間は取られたまま、妹に八つ当たりもするし、今こうして面を拝むのさえ恥じるべき相手とのうのうと会話をしている。笑ってさえもいる。しかも、笑って何が悪いと心の中では逆ギレしている。

 

 これ以上ないくらいに最低。

 一般市民の限界をこれ以上ないくらいな煮詰めた人間。

 

 それが俺だった。

 

 そんな相手に彼女は何を慰めようというのか。

 

 いかにして俺を立ち直らせるというのか。

 

 折れているのが元々の人間をどうして直せるというのか。

 

 俺は、俺の物語はもう、終わっているというのに。

 

 

 

 

 ───そう、思っていた。

 

 

 

 

「あー、えとね。八幡くん。今日は来てくれてありがとう。あのね、私。……今から告白します!」

「……へ?」

 

 

 

 ー・ー・ー

 

 

 やはり、俺の青春ラブコメはまちがっている。

 主に、TPO が。

 いや、時も場所も場合もあっている。

 

 ただ、明らかにタイミングが間違っていた。

 

 つまり、俺は虚を突かれていた。放心状態だった。

 

 ここ最近は何かと告白に縁のある俺だけれど、ここでもまた告白されるなんていうのはあまりにも青天の霹靂。びっくらこいた、どころではない。俺はクラップスタナーもびっくりな頭真っ白状態だった。

 

「あ、え……え?」

 

 ぼっち特有のどもり濃度を三倍にしたかのような呟き。それは返答されることなく宙に溶けていく。さっきまで普通に見れた結衣の顔はもう見れなくなってしまった。俺は今、中学二年生かよってくらいのウブさを晒していた。

 こうなれば最早夕焼けも何もあったものではない。沈鬱も憂鬱もあったものではない。

 

 俺はただ、彼女の声を逃すまいと唇の動き、声帯が作り出す空気の振動を一回の瞬きなく追うしかなかった。

 

 

「……は、はちみゃんきゅん!」

 

 

 しかし、目をグルグルさせているのは向こうも同じようだった。下げっぱなしだった目線をチラリと上にやれば真っ赤な顔が見える。噛んでからはリンゴを通り越してトマトの如き赤さになっている結衣の横顔が見える。

 

「す、す……〜〜!」

 

 目をギュッと詰まった結衣は突然ガバッと抱きついて来た!

 

「ちょ!おま!「好きです!大好きです!」

 

 後先を全く考えていないど直球な告白。

 あまりにも純粋な好意の伝達。

 

 それは俺の顔が熟れるには十分な言葉。

 

「結衣、お前小町に慰め……って、えぇ?」

 

 情けない声。ここまでくるといっそ自分は情けなさでできているんじゃないのかとすら思えてくる。

 頰を真っ赤に染めた結衣は俺の態度がツボに入ったのかクスリとその頰を緩めた。

 

「小町ちゃんがどうしたの? 私は八幡に想いを伝えてなかったと思ったから伝えに来たのに酷くない? そうやって告白の最中にも別の女の子の名前を出す悪い人にはこーだ!」

「や、やめ!小町は妹だ!というか、お前もうすぐ成人だろうが!どこに子供要素があるってわぷっ!」

 

 豊満な彼女の胸が押し付けられる。

 なにするんだ!と口を開けようにもそもそも息ができない。……こいつ、また一段と成長したな。

 うーりうり、とさらに頭を撫でられた俺はこんなとこ見られたらどうするんだと手をわちゃわちゃと無我夢中で動かした。

 

「あはは!くすぐったいよぉ!」

「……」

 

 撃沈。

 もうどうにでもなれって感じだ。

 

「私、今から最低だし忘れて欲しいこと言うよ」

「……」

「雪乃ちゃんは忘れて私と付き合おうよ。私、なんだってしたげるよ。八幡くん、ううん。ヒッキーにならなんでもしてあげるから!だから!」

「……」

「だから、そんな顔しないでよ」

 

 結衣の甘い香りが全体を包む。ともすれば、このまま結衣に溶けてしまえそうだ。

『今から最低なことを言う』とおきまりのセリフを言う所を彼女は『忘れて欲しいこと』とあえて改変した。偶然でないならそれは多分、『最低』という脅迫で俺に選択の幅を狭めたくないからなのか。あるいは、忘れて欲しいのは雪乃のことを指していたのか。

 どちらにせよ、どちらかを選ぶことのできなかった優柔不断な結衣らしいセリフだった。そして、成長した結衣にしか言えない言葉でもあった。

『溺れたかった!その言葉に甘えられたならどんなに良かったか!』などと言うつもりもない。だって、そんなことを言える位なら俺は、諦めていないのだから。

 

 

「……だけど。そんな諦めた俺だけど。そんな諦めた俺だからこそ!お前と付き合うことはできない!」

 

 

 今でもヒモになれるのならなりたいし、主婦だって将来の夢の1つとして俺の中に残っている。もしもそれを望めば結衣は喜んで叶えてくれるし、やがて雪乃のことを『忘れて欲しい』ままに忘れていくだろう。

 千載一遇のこのチャンス。

 けれど、彼女を諦めた俺は、彼女を忘れることまで許容してはいけないのだと思うのだ。例えそれが偽善だとしても、ただの執着だったとしてもそれだけはあってはいけない。

 

 記憶を書き換えられるであろう彼女の本心は、せめて俺の中だけには残しておかなければないないのだから。

 

 それが、俺が1日と少し悩んで出した結論。

 彼女の未来を、俺の意思を捨てた俺が得ることのできたたった1つの冴えない考え方だった。

 

 俺が雪乃のことを好きなのかはこの際関係ないし、そもそも今となっては考えることもない。ただそこにあるのは一般人のできる供養にも似た贖罪。カッコつけないで言えば、せめてもの抵抗。負け犬の遠吠え。

 俺を好きだと言う結衣やいろはには申し訳ないが、俺はこの選択を取ることにしたのだ。

 おれは、人生のために人生を捧げる。

 

 

「……そっか」

「すまん。『本物』が欲しい。そう言っておきながら俺は、それを手にすることを諦めた」

「……しょうがないよ。それがヒッキーの『願い』なんだから。ゆきのんは須郷さんと結婚して暮らしていく。それがヒッキーの『願い』なんでしょ?」

「違う。あいつのことを忘れないことが俺の『願い』なんだ」

 

 妙な誤解を訂正する。

 

「じゃあ、ゆきのんが結婚することは?」

「願ってもいないことだ。良くない意味でだが。ただ、俺はもうそれを阻止する機会を逃した。細い糸のような可能性を俺がバカなばっかりに千切ってしまった」

 

 地獄の誰かのように他人を蹴落とそうとしたわけでもない。ただ、神様がなんとなくで垂らした糸を神様がなんとなくで千切っただけ。そこに悪い奴は居たけれど、最も悪かったのは俺の運であっただけの話。

 だから、どうしようもないし、どうにもできない。

 

「なら、私が元気付けてあげるよ」

「どう言うことだ?」

「つまり、ヒッキーは元気がないってことでしょ?」

「……なんで今の会話からそんな話になるんだよ。医学部生としてその文脈判断はどうなんだ?」

 

 風邪っぽいですと伝えたら、捻挫ですね。と返された気分だ。

 

「だって、今でもゆきのんが結婚するのは嫌で、だけど『八幡くん』はそれを止めるのは無理だって諦めちゃったんでしょ?」

「……含みのある言い方だな」

 

 夕日はそろそろ姿を消す。慰めの時間は終わる。結局はこの物語はあっけなく終了する。後は適当に結衣がそれらしいことを言ってエンディングだ。二期に続けば良いけれど、人生において二期とは転生を指すし、転生してしまったら記憶も関係性も何もなくなる。

 やっぱり、人生はクソゲーだ。

 ろくな人に関わるから絶望するし、泣くし、こんなに惨めになる。たった一人の人を失うだけでこんな気分になる。

 なら、それならいっそ、俺はあの時先生の手を振りほどくべきだったのだ。職員室から無理にでも出て言ってしまえば良かったのだ。

 

 彼女達とも、出会わなければ───。

 

 

 

「だから、『八幡くん』が諦めなら、今度は私達がそれをやればいい!」

「……そっか。第1部、完結だな」

 

 明日に向かって出発だ。二期は3年後から始まりますってか。

 って、はい?今こいつなんて言った?

 

「だから、今度は、私達『奉仕部』の出番だよ!!」

 

 元だけどね、結衣は笑って言った。

 


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