346プロダクションアイドル寮第二棟   作:島村さん

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第四話 ぼっち

 

 仕事を始めて、僕らはすぐに悟った事がある。

 大浴場の清掃と言っても、結局やれることは限られているということだ。それもそのはず、僕らには清掃に関する専門的知識もそれを補う道具もないのだから。

 ではどうするか?

 簡単な話だ。僕らには僕らの出来る事をやればいい。つまり最低限のポイントを押さえて、残りはまた明日の業者に任せればいいのだ。床や浴槽をブラシで磨いたり、備品の中身を入れ替えたり、とにかくそんな感じで今日一日使用者が不快に思わなければそれでいい。多少汚れが残っていたとしても、拓海が洗ったとでも言っておけば文句の一つもでないだろう。別に嘘は言ってないし。

 

 という事で、手始めに僕らは二手に分かれて作業を分担することにした。拓海と乃々がブラシで床と浴槽を、僕と輝子は備品の詰め替えやガラス拭きなどの細かい作業が担当だ。

 

「む、この汚れは中々手強いな」

 

 適度に洗剤を付けた布巾片手に洗面台のガラスにこびり付いた謎の汚れに苦戦する。何度か布巾を前後させてみるも、汚れが落ちたようには全然見えない。うーむ、まるで大酒を飲んだ後に必ず絡んでくる川島さんの如き粘着性だ。粘り気が半端じゃない。

 あまりにも変化がないので一度手を止め、改めて汚れを注視してみることにする。そうだ、物事は常に多角的方向から分析することによって新たな一面が表層化する。もしかしたらこれも実は汚れではないのではなかろうか。

 

 鏡を注視したまま時が流れる。

 直後、ふと僕の脳裏に天啓的閃きが訪れる。

 

「なるほど! これは汚れじゃなくて模様か!」

「い、いや、どう見ても汚れだと思うぞ、親友」

 

 違った、やっぱ汚れだった。そりゃそうだ、鏡に模様があったらそれは既に鏡ではない。

 

「あ、あっちの洗い場の備品交換終わったぞ。フヒ……石鹸の在庫がもうあんまり無かった」

「ん、了解です。後で千春さんに報告しておきます」

 

 隣で桶にちょこんと座る輝子にお礼を伝える。長く伸ばした銀髪とアホ毛が特徴で趣味がキノコ栽培という一風変わったアイドル少女。自称根暗ぼっちで少し内向的だけど他人を思いやれる優しい心根の持ち主で、それでいて話してみると普通に面白い。

 

 加えてテンションが上がると性格が百八十度反転して全く予期していなかったメタラーに変身する。一度彼女のライブを見に行ったことがあるが、世紀末だった。いや、比喩表現とかそういうのじゃなくて実際に、現実の光景として。

 客席では一般客に混じって肩パッドに革ジャン装備のモヒカン野郎とか儀式で呼び出された邪神みたいな髪型の奴がサイリウム振っていた。割と真剣に会場間違えたかと思ったけど、ステージに立つ輝子を見て余計分からなくなった。アイドルって何? みたいな。

 ちなみに曲は凄く良かったし歌はかなり上手かった。最近のアイドル業界は凄い、といろんな意味で思い知らされたね。

 

 などと勝手に一人頷く僕に視線を泳がせながら、なにやら輝子が用具入れからごそごそと何かを取り出し始める

 

「こ、こういう油膜の汚れは専用の薬剤を使った方がいい、ぞ。ほ、ほら」

「お? おお!」

 

 す、すごい。あれだけ僕が磨いても取れなかった汚れがまるで魔法の様に!

 驚きと共に輝子に賞賛の声を送る。褒められ慣れていないのか、口をもにゅもにゅさせながらもにへっと嬉しさは堪え切れていない様子が実に良い。ああ、日々千春さんと一部のアイドルに扱き使われてすり減った心が癒される。

 

「それにしても見事に落ちてる……輝子さんよくこんな方法知ってましたね」

「休みの日の昼間とかの雑学番組なんかでよくやってるから……フ、フフ、 私のぼっち歴を舐めない方が良い。休日の一人での過ごし方とか……フヒ、既に極めている」

 

 そうか、極めてしまっているのか。

 隣を見るとやけに得意気な表情が返ってきた。アイドルやってるとマイナス方向にもポジティブになれるらしい。

 

 そのまま二人並んで洗い場の清掃をこなしていく。背後では時折、何故か拓海の怒声と乃々の悲鳴が定期的に聞こえてきていたが、とりあえず聞こえない事にした。あの二人は何をしているのだろう……まあ巻き込まれたくないから振り向かないけど。

 

「フヒ……時に親友」

「なんでしょう」

 

 手を動かしたまま、輝子が声を掛けて来る。黙々と作業するのにも些か飽きてきた良いタイミングだ。

 彼女は自称ぼっちを掲げている割に――むしろぼっち生活の経験からこそか――場の空気を読むのが上手い。周りをいつもよく見ているし、幸子の常時ワイルドピッチ発言を輝子がそれとなく軌道修正しているということが良くある。

 

 今の声かけも僕の心情を察しての事だとしたら――

 そう思うと僕の頬も綻ぶというものだ。僕の人権という当たり前に守られるべきものが普通に無かった事にされる此の場所で、思いやりの心に触れられるということはそれだけで尊いものだと僕は思う。

 

「この大浴場の排水溝……ジメジメヌメヌメしてて……フヒ、きのこの生息場におススメだと思わない、か?」

 

 まあその分発言が大宇宙な訳だけど。

 

「い、いや確かに環境は良いかもしれませんけど、大浴場にきのこは流石に」

「フヒ……そ、そうだよな。やっぱり土の地面じゃないとフレンズたちも困るよな。反省」

 

 何に、だ。そしてなんでだ。

 ああ、感じる……感じるぞ、此処の住人特有の対話しているようで繋がっていない会話のズレによる違和感。まあ、千春さんとか拓海とかみたいにセットで拳が飛んでこないだけ随分とマシではあるが。

 

 しかしあれだ。言動がどうであれ美少女が目の前で気落ちしているのに何もしないというのは僕の流儀に反する。ボーイミーツガール、ならば逆もまた然り! 見晒せ僕のフォロー術!

 

「でもあれですね。輝子さんはきのこですけど、何かを継続して大切に育てられるっていうのはそれだけで尊敬に値しますよ」

「フ、フヒ……そう、かな?」

「そうですよ。それにきのこは育てた後に食べる楽しみも持てますし、良いチョイスだと僕は思います」

 

 どうだこの当たり障りのない事をさも素晴らしい事のように伝える無駄に無駄の無い無駄な技は。ちなみに使用し過ぎると言葉に重みが無くなり軽率な軟派男になるので注意。ソースは父をゴミのような目で見るときの僕の母。

 

「し、親友ならそう言ってくれると信じていた。フヒ……そ、そうだ、私の部屋に初心者でもできるきのこ栽培セットがあるんだけど、ど、どう?」

「よーし、この辺はこんなもんでいいかな!」

 

 洗剤のついた布巾片手に勢いよく立ち上がる。輝子の元気は取り戻した。後は僕自身が余計なトラブルに巻き込まれない様に速やかに清掃を終わらせるだけである。決してきのこの育成を嫌がっての事ではない……決して。

 だが輝子には悪いが万が一にも管理人室がきのこの群生地にでもなってみろ、まず間違いなく隣から這い出てきたマウンテンゴリラが僕の明日を奪い取っていく。余計な火種は未然に防ぐのが吉なのだ。

 

 まあこの生活にもう少し余裕が出てきたら、自室の方で改めてきのこ栽培に挑戦させて貰ってもいいかもしれない。その旨をやんわりと輝子に伝えたら快く承諾してくれた。やっぱり優しいなあ輝子は。

 

 そのまま輝子から布巾を受け取り籠に仕舞う。

 

「そ、そうだ。フヒ……今度私の部屋で小梅ちゃん達ときのこ鍋するんだけど……親友もこないか?」

「楽しそうですけど、いいんですか? 僕なんかが行っても」

「基本的に鍋つついてホラー映画見てるだけだから……フヒ、でも私いつも途中で寝ちゃうし小梅ちゃんは映画に夢中になっちゃって……気づいたら毎回幸子ちゃん一人だけ涙目に」

 

 そう言って輝子は苦笑いのような表情を浮かべて見せた。

 つまりは映画を見ている間、幸子の話し相手になれと要はそういう話だ。捉え方によってはアレかもしれないが、今の輝子の表情を見るに打算や悪意はない。純粋に僕を誘ってくれた厚意と幸子をなんとかしてやりたいという気持ちからの提案だ。

 

 本当にまあ、彼女たちらしいといえばその通りか。

 要はホラー映画を見なければ済む話なのだ。初めこそ相手の趣味嗜好が分からなくて仕方がないとしても、相手の反応で大体分かる。持ってきたのは十中八九小梅だろうが、彼女も輝子も察しが良く優しい子だ。まず間違いなくジャンルを代えるなりしようとしたに違いない。

 そしてそれを幸子が制止した。

 

『ぼ、ボクが怖がってる? そんなわけないでしょう冗談はよしてくださいよ二人共! こ、こんな作り物のお話でこのカワイイボクが怖がるなんて、いやいやありえませんから……なんですかその顔は……無理しなくていい? む、無理なんてしてませんからっ! いいですよじゃあ次もホラー見ましょう! そこでボクが怖がってない事を証明して見せましょうなんたってボクはカワイイですからね!』

 

 みたいな感じで。

 一から百まで僕の想像ではあるが、あながち間違ってはいないと思う。輝子も幸子の性格を良く知っているだけにどうしたらいいのか分からないのだろう。どうもしなくていい気もするが、口にはしないでおく。

 

 だがそれらを省いても、だ。

 

「分かりました。そういうことなら是非参加させて下さい。楽しみにしてます」

 

 やはりこうして純粋に誘ってもらえるというのは嬉しいものだ。勝手に部屋で宴会開かれてたり、仕事の合間に休憩室として僕の部屋で爆睡されてるなんて心配もしなくていい。

 やっぱり普通が一番だ。こういうのでいいんだよこういうので。

 

「そ、そうか、それは良かった。じゃあ私はこの用具を片付けてくるから」

 

 そう言って輝子は鼻歌混じりに脱衣所へと向かっていった。

 実際に御呼ばれする際には、お菓子か何か適当に見繕っていくことにしよう。そんな事を考えながら強張った肩や腕を左右に動かしてほぐす。

 

「ふー……」

 

 さて、僕ももうひと踏ん張り頑張るとしますかね。

 


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