346プロダクションアイドル寮第二棟   作:島村さん

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第二話 寮母

 

 寮の管理人といっても、実のところ僕の日々の仕事は割と少なかったりする。

 理由としてはそもそも従姉であり寮母である千春さんがいるからで、あの人が寮にいるときは基本的に僕の出る幕は無くなるのだ。

 書類整理や清掃業者なんかとのやり取りを手伝う事はあれど、アイドル達の生活に直結するような責任のある仕事は寮母である千春さんの担当だ。まあ割と適当に振られてる気はするけど。

 

 唯一男という事で役に立てそうな力仕事も、右手一本で世界を制してしまいそうなあの人の前では特に大きな意味を成していない。きっと前世はゴリラの一族を束ねる長とかだったに違いない。

 つまるところ僕の役回りは千春さん不在時の代役。言ってしまえばシフトの空きを埋めるバイトのような立ち位置で、仕事内容は専ら雑用に近い。

 

 まあ正式に社員として雇われてるわけでもない人間の扱いなんてこんなもんだ。僕としても美味しいご飯が食べれて家賃不要というだけでもお釣りがくると思っているしね。

 

 さて。

 

「……今日の僕の仕事は大浴場の清掃ですか」

「ああ」

 

 どうやら今日の僕の仕事はすでに決まっていたらしい。僕の確認の問いに千春さんが簡潔に頷く。寝起きなのか髪がボンバイエしてるが気にした様子は無く僕の首に右腕を回している。

 場所は管理人室。つまり僕の仕事場だ。ちなみに扉一つ隔てた隣には千春さんの居住スペース兼仕事場である寮母室がある。

 

 しかしこの状況は如何なものか。いま千春さんはTシャツ&パンツ一丁の漢気スタイルで僕の隣に立っている。仮にも寮母ともあろうものが、だ。いや、もはや僕の肩を支柱にもたれているといった方が正しいか。立つの面倒だから肩貸せよオラ、みたいな。おかげでこんなシチュエーションなのに全然ドキドキしない。

 ……いや、別の意味でドキドキはするけどね。主に僕の首の無事的な意味で。

 

 それにしても惜しい。

 ただひたすらに惜しい。

 千春さんは見た目だけなら美人の部類に入る。肩より少し長い程度の黒髪に若干つり目勝ちな瞳、背丈は女性にしては高いくらいだけど、全体のバランスが整っているからか少し大きく見えるのだ。

 加えて日ごろのだらけきった生活からは想像できないスタイルを千春さんは維持している。それこそそこらのアイドルに混じってもなんら違和感がない程度には。

 

 きちんと身なりを整えて軽く化粧をすればできる美人秘書みたいなのに、これで中身は中年のおっさんなのだから本当に救いがない。

 おっぱいのついたイケメンと聞くと興味を惹かれるが、おっぱいのついた中年となると全力で危機感しか沸かないから不思議だ。本当に勿体ない。しかしいま優先すべきは僕の首の安全だ。

 離れよう。即座に、かつ迅速に。

 

「ここ最近、給湯機器の調子が悪くてな。昨日業者に入ってもらって直したんだが、時間が丁度清掃業者と被ってキャンセルしたから今日の分がまだ終わってないんだよ」

「なるほど。じゃあ夕方までには終わらせないとですね」

 

 ここの寮の部屋には風呂はついているが、一階に誰でも使用可能な大浴場もあり、開放感からかそこを使用するアイドルは多い。許可証さえあれば、寮生でなくても利用できるのも魅力だ。使用時間は夕方の五時から夜の十一時まで。

 今回は理由が理由だから経緯を説明すればみんな納得はしてくれるだろうけど、中には大浴場の使用を楽しみにしている人もいる。間に合うのならそれに越したことはない。

 

 しかし大浴場か……ふむ。

 

「あー、残念ながら湯は既に抜いてるから、お前が楽しみにしてるアイドルの入った後の残り湯みたいなのはないぞ」

「分かってますよ。それに別に残念でもなんでもないですから」

 

 そっか、ないのか……ないのかあ。

 

「おい、顔がおやつを忘れられたチワワみたいになってるが……まあいい。それでどうだ? 夕方までに終わりそうなら通常通り解放するが」

「ちょっと微妙ですね。あの広さを僕一人でとなると、ぎりぎりになっちゃうかもしれません」

 

 なにぶん大浴場だ。普通に一般家庭の風呂掃除とはわけが違うだろう。

 普通に浴槽を磨いたり床をブラシでこすったり、うら若き乙女たちの残り香を堪能してるだけで時間なんてあっという間に過ぎ去ってしまう。

 前にちらっと見た清掃業者ですら二人体制だったのに、僕一人となると正直どれだけ時間が掛かるか検討もつかない。

 

 かと言って手を抜いて適当に済ませていい問題でもない。僕や僕の野郎友達が入る風呂なら一日洗ってない事実すら伏せられても許されそうなレベルだが、相手は如何せんアイドルだ。彼女たちにとって清潔感の欠如は命取り、加えて適当に洗ったのが僕だと判明してみろ。つまるところ控えめに言って僕の命はない。

 

「ふむ……そうだな」

 

 どうやら千春さんも僕と同意見なようで、顎に右手を添えながらなにやら思案に耽っている。

 普段は適当でものぐさな人だけど、こう見えてアイドル達の事は真剣に考える人である。性格もさばさばして余計な気を使わないからか、アイドル達からの評判も良いみたいだし、見た目以上には寮母としての自覚があるらしい。

 だからと言って溜まったストレスを僕で発散していい理由にはならないけどねっ! おいやめろ勝手に冷蔵庫開けて僕のシュークリームを食うなっ!

 

「まあそれはそれで仕方がない。こっちでも何人か人手を募っておく。もし間に合いそうになければ私の方で連絡は入れるようにするから、少し早めに報告を入れてくれ」

「分かりました。ところでそのシュークリームの代金なんですが」

「安心しろ、ちゃんとお前の給料から引いておく」

「そうですか。それは良……くねえな!? どういうことだってばよおい!?」

 

 あまりの理不尽さに思わずスタイリッシュなポーズでツッコミを入れてしまった。

 頼れる姉御みたいな雰囲気でなんてことを言うんだこのゴリラは。まるで流暢に言うもんだから思わず納得しかけたけど、これじゃあ僕はシュークリームを食べれなかった上に二倍の料金を搾取されてるおまぬけさんじゃないか。

 

「まったくお前は仕方ないやつだな」

 

 それはこっちの台詞ですが?

 まるで考えうる限り最悪のパワハラ発生である。そんな僕の負の怨念が通じたのか、やれやれと千春さんはどこからともなく取り出した硬貨のようなものを箪笥の上に置いて寮母室へと消えていった。

 

 その顔をしていいのは僕の方だとかパンツとTシャツ姿でそのお金は一体どこからとか、とにかく言いたい事は沢山あったが、それでも僕はそれらを全て飲み込むことにした。

 これ以上のトラブルは避けた方が良い。

 幸いにもお金は返ってきたのだからシュークリームはまた買いにいけばいい。

 

 しかしそんな僕の仏陀のような慈母の心は箪笥へと近づいた事で一瞬にして崩壊した。

 

 「……って二十円かよっ!?」

 

 箪笥の上に無造作に置かれていたのは十円が二枚、よもや二十円であった。普通のシュークリームの対価として払われた金額が二十円なのである。アリエナイ。

 

「……今度は鍵付き冷蔵庫を買おう」

 

 軽い眩暈と共に、二十円を握りしめたまま僕はとりあえずそう心に決意した。

 そして同時に僕は気づくべきだったのかもしれない。

 

 先の千春さんの台詞の中に不穏極まれる絶望的提案が含まれていたことに。

 

 しかしこの時の僕が気づけるはずもなかった。

 


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